ジェフリ・スカール,ジョン・カロウ「魔女狩り」岩波書店 小泉徹訳
ミュシャンブレッド(R. Muchembled)の示すところによれば、客は遠くの「病治し」を信頼して訪れるくせに、近くに住んでいる人々は彼女の力を恐れ、何かことがあると、悪い魔女だと避難するのである。またこうした相談役のなかには、良いことであれ悪いことであれ、ほんとうに自分が超自然的な方法を実践する力があると信じていた人もいるようだ。
【どんな本?】
中世の欧州を席巻したといわれる魔女狩り。その実態はどうだったのか。どんな人が魔女とされたのか。どれぐらいの規模で行われたのか。どのように広がったのか。いつごろが最も盛んで、いつごろ終息したのか。なぜ流行し、なぜ下火になったのか。司法や教会は、魔女裁判に対しそのような態度で臨んだのか。
一般の印象では、大規模な虐殺が広い地域で長く行われたように思われているが、記録に残っている魔女狩りの実態は大きく異なる。広く多くの文献にあたって魔女狩りの意外な実態を明かすと共に、その原因について現在有力とされている複数の説を紹介し、魔女狩り研究の現在を俯瞰する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Witchcraft and Magic in Sixteenth and Seventeenth Century Europe, Second Edition - Studies in European History, by Geoffrey Scarre & John Callow, 2001。日本語版は2004年10月20日第1刷発行。単行本ハードカバーで本文約117頁+訳者解説8頁。9ポイント45字×17行×117頁=約89,505字、400字詰め原稿用紙で約224枚。小説なら中編の分量。
実は文章、けっこう読みにくい。これは訳がどうこうというより、原文がそうなんだろう。一般向けの啓蒙書というより初心者向けとはいえ学術書に近い内容で、わかりやすさより正確さを重視した内容となっている。欧州史の有名人が随所に出てくるので、詳しい人はより楽しめるが、あまり詳しくなくても充分に意味は把握できるのでご心配なく。
【構成は?】
第1章 魔術と魔法
1 魔法(witchcraft)と妖術(sorcery)
2 日常の魔術(low magic)と高度な魔術(high magic)
第2章 魔術、魔法、法
1 魔女裁判はどのように学問的に定型化されたか
2 魔女迫害 地域研究
3 魔女迫害 誰が犠牲者になったのか
第3章 魔女迫害の原動力
1 魔女狩りを研究する
2 魔女迫害の理論
3 魔女が実在するという信仰は本当にあったか
4 魔女としての女性
第4章 魔女裁判はなぜ終息したのか
1 変化する信念
2 結論
訳者解説/参考文献・日本語文献案内/索引
【感想は?】
「魔女狩りの実態って、本当はどうなんだろう?」なんて野次馬根性で選んだ本だ。頁数も少ないし、「これなら手っ取り早くわかるだろう」と虫のいい考えで読んでみたら、これが大当たり。他の本を読んでいない状況で言い切るのは多少気が咎めるが、入門用としてはベストだろう。
というのも、バランスがいいのだ。この本を読んで気づいたことの一つは、魔女狩りの実態や原因については、今でも多数の説があり、それぞれ納得できる部分とできない部分がある、ということ。この本では、その中の代表的な説を幾つか紹介し、それを肯定する証拠と否定する証拠を提示する、そういう形を取っている。一つの仮説を強力に指示する形ではないので爽快感には欠けるが、反面、魔女狩り研究の現在を俯瞰する視点が得られる。
英語の witch、日本語だと「魔女」と訳されるので女性限定の印象があるが、実は男性も犠牲となっている。全般的に女性が多いのは事実で、「魔女裁判の被告に占める女性の比率」がハーゼルで95%、エセックスでは92%なのに対し、エストニアでは40%、17世紀のモスクワでは33%と、男性の方が多い。なら適切な訳は「魔術師狩り」が適切かなあ?
やっぱり漫画などでは若い女性が被害に遭うケースが多いのだが、実際は高齢の女性、それも未亡人が多かった。また独身女性も狙われた。ここで面白いのが、「近世ヨーロッパでは、一生結婚しない女が15%にのぼった」ってのも興味深い事実。
告発された魔女がもっとも多かったのは社会階層の最底辺ではなく、それより少し上のところであった。(略)典型的な魔女とは、(略)喧嘩好きで、攻撃的な性質で悪名高いというものである。
つまりは近所で嫌われ者の婆さんで、かつ庇護者となる夫がいない人がつるしあげられたわけです。
意外な事実は他にもあって、まずは魔女狩りの時代。一般に中世が盛りとされてるけど、「魔女迫害という考え方の根は中世にあったが、その現象自体は、中世のものでなく、近世のものであった」「魔女迫害が最悪の恐慌状態に達した時期は、1590年代、1630年代、1660年代と推定できる」。
地域的にも欧州全般を覆ったわけではなく、場所によりけり。これは領主の違いによるもので…
行政が中央集権化し、安定した統治形態になっていた大規模な領邦では、こうした魔女恐怖に屈する可能性ははるかに低く、またこうした地域でたとえ恐慌が起きても、カトリックであれプロテスタントであれ、領邦君主が事態の進行にうまく歯止めがかることができた(略)。対照的に、小領邦、男爵領、司教領といったところでは長期にわたって魔女狩りが生じる傾向があった。
領主が強力な地域では起こらず、小領主の所で恐慌が起きたわけ。また異端審問が厳しいイタリアやスペインは意外と少なく、またカトリックのアイルランド、カルヴィニズムのオランダ、正教のロシア(モスクワ大公国)も「大規模な魔女恐慌を免れた」。
そして最も意外なのが、その規模。「知られている統計数字から推測する限り、1428年から1782年の間に、ヨーロッパ全体で、最大限、四万人が魔女として処刑された」。意外と少ない。まあ、民衆が勝手に私刑にした数は推定するしかないんだけど、正式な裁判の記録から推測すると、約四万人となる。
悲しいのが、魔女狩りの土台となる魔術の概念を広げたのが、「15世紀なかばの印刷技術の発明」だって点。今、ヘイトスピーチしてる人たちがインターネットを活用してるのと重なる。なお、魔術の概念を広めた書物の一つは「ドミニコ会の修道士で異端審問官をかねていたクラーマーとシュプレンガーによって書かれたわいせつな著書『魔女に与える鉄槌』(1487年、→Wikipedia)」って、やっぱり昔から魔女っ娘は卑猥な目で見られてたのね←違う
さて、魔女狩りの原因については、主な説として以下4つを紹介してる。
- 災禍に対する反応としての魔女迫害
- 宗派抗争の武器としての魔女迫害
- (人類学的な)機能的説明:嫌われ者の排除、恐怖による秩序維持、八つ当たり、陰謀論など
- 魔女と社会統帥:権力者とそれにへつらう者
著者自身は、価値観が大きく揺らぎ絶対的な権威が砕け散ったための社会的緊張が原因だろう、と見ている模様。最後で、また、現代に警鐘を鳴らしている。これは傾聴に値するだろう。
原則にしたがって残酷にならざるをえないと感じるときこそまさに、人間は自らを抑制する良心の声に耳を傾けなくなるからである。私たちの時代にあって、社会の少数派をいけにえにしたり、大量虐殺を実行しようとする者に、そうした擁護論や、正当化の口実は当てはまらない。
そう、今だって魔女狩りは続いている。被害者を魔女と呼ばないってだけ。私は主張する。「頭髪が貧しい者を差別するな!」と。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:歴史/地理」カテゴリの記事
- ローレンス・C・スミス「川と人類の文明史」草思社 藤崎百合訳(2023.10.29)
- ニーアル・ファーガソン「スクエア・アンド・タワー 上・下」東洋経済新聞社 柴田裕之訳(2023.10.08)
- 植村和代「ものと人間の文化史169 織物」法政大学出版局(2023.09.29)
- マイケル・フレンドリー&ハワード・ウェイナー「データ視覚化の人類史 グラフの発明から時間と空間の可視化まで」青土社 飯嶋貴子訳(2023.08.08)
- ソフィ・タンハウザー「織物の世界史 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか」原書房 鳥飼まこと訳(2023.07.18)
コメント