司馬遷「史記列伝 三」平凡社ライブラリー 野口定男訳
太子公曰く――
自分は、黄帝より太初にいたるまでを述歴して、百三十篇をもって終わった。
――太子公自序 第七十
【どんな本?】
史記は中国の最初の正史(→Wikipedia)だ。Wikipedia によれば、前漢の武帝の時代、紀元前91頃に年司馬遷(→Wikipedia)が著した。本紀・表・書・世家・列伝からなり、伝説の黄帝から彼の生きた武帝の時代までを扱う。
列伝は、主に戦国時代(→Wikipedia)・秦(→Wikipedia)・楚漢戦争(項羽と劉邦の戦い、→Wikipedia)・前漢の頃を扱い、その時代に生きた重要な人物に焦点をあて、それぞれの性格・生き様や著名なエピソードを並べたものである。
平凡社ライブラリー版は、その列伝を読みやすい現代の日本語に訳したもの。この三巻では、匈奴や越など辺境の人物,遊侠や占い師など市井の人物などを扱うほか、亀甲占いの詳細などバラエティ豊かな内容となっている。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
Wikipedia によれば、原書の成立は紀元前91年ごろ。平凡社ライブラリー版は2011年1月7日初版第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約499頁+半藤一利の解 説「范蠡と日本人」11頁を収録。9ポイント42字×16行×499頁=約335,328字、400字詰め原稿用紙で約839枚。長編小説なら2冊分ぐら い。
中国の古典は原文と読み下し文を収録する場合が多いが、このシリーズは日本語の現代文のみを収録している。中国古典の訳文としては比較的素直であるものの、やはり当事の文章作法の影響は強く残り、日本語としてはかなりクセが強い。それ以上に、内容的にかなりハードルが高い。
当事の中国の知識人向けに書かれているため、中国の歴史・社会・地理に通じていないと、背景事情がよく判らない。また、漢以前の中国の伝説・歴史上の有名なエピソードや言葉が頻繁に出てくるので、読みこなすには相応の教養を要求される。できれば本紀から入るか、または他の本で軽く前漢までの歴史を予習しておこう。
列伝は、原則として時代の流れに沿った感じで人物が登場する。構成としては各巻が独立しているものの、できれば「伯夷列伝 第一」(平凡社ライブラリーの一巻収録)から読むといい。ただし、平凡社ライブラリー三巻収録の最後、「太子公自序」で、史記全体の概要と構成を述べているので、これを最初に読んでもいい。
【構成は?】
匈奴列伝 第五十
衛将軍・驃騎列伝 第五十一
平津侯・主父列伝 第五十二
南越列伝 第五十三
東越列伝 第五十四
朝鮮列伝 第五十五
西南夷列伝 第五十六
司馬相如列伝 第五十七
淮南・衡山列伝 第五十八
循吏列伝 第五十九
汲・鄭列伝 第六十
儒林列伝 第六十一
酷吏列伝 第六十二
大宛列伝 第六十三
游侠列伝 第六十四
佞幸列伝 第六十五
滑稽列伝 第六十六
日者列伝 第六十七
亀策列伝 第六十八
貨殖列伝 第六十九
太史公自序 第七十
戦国時代要地図/解説「范蠡と日本人」半藤一利
第三巻は前漢の頃を中心としながら、匈奴や越など周辺国,遊侠など民間人,そして亀甲占いの方法などを扱う。最終巻の「太史公自序 第七十」は著者である司馬遷の自己紹介であり、また史記全体の構成と概要を説明しているので、これを最初に読んでもいい。
【感想は?】
平凡社ライブラリーの第三巻は、イロモノ集といった雰囲気がある。なんたって、いきなり「匈奴列伝」だし。
その匈奴、今でいうモンゴルだろう。冒頭で彼らの生活様式を説明している。定住せず農耕もしない。馬・牛・羊のほか駱駝・馬を飼い、遊牧と狩りで生活する。子供も羊に乗り弓で鳥や鼠を射る。だもんで、男は全員が戦士。面白いのが婚姻。「父が死ぬと、子が継母を妻とし、兄弟が死ぬと、残った兄か弟がその妻を取って、自分の妻とした」。
中原との戦闘の様子は、モロに「定住者の帝国と周辺の蛮族」の関係。いきなり侵入して略奪し、中央から大軍が派遣されると各自バラバラに逃げる。足の遅い歩兵や、車輌で大量の補給物資を運んでた中国の軍は、機動力で適わず大抵が取り逃がす。向うは全員が騎兵だし、そりゃ敵わんわ。
朝鮮列伝なんてのもあって、平壌で長期の攻城戦をやってる。軍を二手に分け片方は陸路を、もう一軍はなんと船で渤海を渡り上陸。地図で見ると平壌は平地で攻めやすそうに見えるけど、意外と要害の地らしく数ヶ月も粘ってる。
帝国の威光を感じるのが、「大宛列伝」。Wikipedia によると大宛は今のフェルガナ(→Wikipedia)。アフガニスタンの北、キルギス・ウズベクスタン・タジキスタンとか、その辺。人々は「土着して田を耕し、稲麦をうえております。葡萄酒があり、また良馬が多く、馬は血の汗をかきます(→Wikipediaの汗血馬)」。
以後、鳥孫・康居・奄蔡・大月氏など遊牧民族の紹介が続いた後、なんと安息(ペルシャ)の紹介。その後、条枝(シリア)・黎軒(ローマ)まで出てくる。身毒(インド)も名前は出てくる。漢帝国は葡萄とウマゴヤシを手に入れ、「帝は始めてうまごやしや葡萄を肥沃の地に植えた」。紀元前だってのに、西方から植物を組織的に輸入してる。すげえ。
「貨殖列伝」は、成功した商人の話。紀元前だってのに商業が発達してるってのも凄いが、「貧から冨を求める道としては、農は工に及ばず、工は商に及ばない。刺繍するよりは、市場に出て商売せよ」なんぞと言ってるのも凄い。ここでは、当事の漢帝国の各地の気候・風土や産業、そして地方の人の気風も紹介してる。なお、当事の利息は年2割ほどだった様子。「年に馬五十頭を増やす者は千戸の領地を持つ諸侯と等しい」などと当事の収入や物価がわかるのも楽しい。
この辺で気がついたんだが、当時は職業の自由があった…というより、身分で職業を縛るって考えが、なかったんだなあ。出世も贔屓か実績で、あまり出自は煩く言われない。まあ、官の職に就くには賄賂が要るんだけど。案外と古代中国はリベラルというか資本主義というか。
などの外国の話と共に、イロモノ色を強めているのが、「亀策列伝」。なんと、この巻は亀甲占い入門だったりする。訳者によると「?少孫の作文ではないかと言われている」そうで、確かに色合いが違う。つまりは亀の甲羅を焼いて吉凶を占うんだが、やっぱり大きな亀は珍重したっぽい。「長江の神が黄河の神に亀の使いを送ったが、亀は漁師に囚われ、『解放してくれ』と帝の枕元に立った」なんて童話の原型っぽい話もあったりする。
あまり著者の司馬遷は表に出ない史記だが、この巻は最後の「太史公自序」でわかるように、著者自身の思想が処々に出てくる。やはり思想としては孔子に始まる儒教と老子に始まる道教が二大勢力らしく、著者は老子を大きく評価し、儒教家は「口先ばかり」とあまり良い感情を抱いていない様子。いかにも老子っぽいのが「滑稽列伝」の末尾。
「子産(鄭の名相)は鄭国を治めたが、民は彼を欺くことはできなかった。子賤(孔子の弟子、?不斉の字)は単父(山東省)を治めたが、民は彼を欺くに忍びなかった。西門豹は?を治めたが、民は彼を欺こうとはしなかった」とある。この三者の才能のうちで、誰が最も賢明なのであろうか。
また、「貨殖列伝」の冒頭も、なかなか。
最善の為政者は民の心によって治め、次善の為政者は利を示して民を導き、そのつぎの為政者は民を教誨し、さらにつぎの為政者は力によって民を整斉え、最下の為政者は民と争うのである。
中国の古典では、目上の者を言い負かせて、不興を買うどころか逆に感心される話がよくあるのが特徴。「汲・鄭列伝」の汲黯も大胆な人で…
帝「朕は仁義を施すことを主張したいと思うのだ」
黯「陛下は内心多欲であらせながら、外面的に仁義を施そうと思し召されております」
ま、この時は帝を怒らせちゃうんだけど。
戦乱の時代を通して全般的な歴史の流れが読める第一巻、安定しつつある社会の中で官吏同士の出世争いが多い第二巻、そして他国の情報や当事の社会の様子がわかり資料的価値の高い第三巻。途中、能弁な人が過去の故事を滔滔と述べたててやや冗長な所もあるけど、それもまた中国の古典の味。かなりの歯ごたえで相応の覚悟は要るけど、歴史書の醍醐味は充分に味わえる。
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