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2013年3月の15件の記事

2013年3月28日 (木)

ジェフリ・スカール,ジョン・カロウ「魔女狩り」岩波書店 小泉徹訳

ミュシャンブレッド(R. Muchembled)の示すところによれば、客は遠くの「病治し」を信頼して訪れるくせに、近くに住んでいる人々は彼女の力を恐れ、何かことがあると、悪い魔女だと避難するのである。またこうした相談役のなかには、良いことであれ悪いことであれ、ほんとうに自分が超自然的な方法を実践する力があると信じていた人もいるようだ。

【どんな本?】

 中世の欧州を席巻したといわれる魔女狩り。その実態はどうだったのか。どんな人が魔女とされたのか。どれぐらいの規模で行われたのか。どのように広がったのか。いつごろが最も盛んで、いつごろ終息したのか。なぜ流行し、なぜ下火になったのか。司法や教会は、魔女裁判に対しそのような態度で臨んだのか。

 一般の印象では、大規模な虐殺が広い地域で長く行われたように思われているが、記録に残っている魔女狩りの実態は大きく異なる。広く多くの文献にあたって魔女狩りの意外な実態を明かすと共に、その原因について現在有力とされている複数の説を紹介し、魔女狩り研究の現在を俯瞰する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Witchcraft and Magic in Sixteenth and Seventeenth Century Europe, Second Edition - Studies in European History, by Geoffrey Scarre & John Callow, 2001。日本語版は2004年10月20日第1刷発行。単行本ハードカバーで本文約117頁+訳者解説8頁。9ポイント45字×17行×117頁=約89,505字、400字詰め原稿用紙で約224枚。小説なら中編の分量。

 実は文章、けっこう読みにくい。これは訳がどうこうというより、原文がそうなんだろう。一般向けの啓蒙書というより初心者向けとはいえ学術書に近い内容で、わかりやすさより正確さを重視した内容となっている。欧州史の有名人が随所に出てくるので、詳しい人はより楽しめるが、あまり詳しくなくても充分に意味は把握できるのでご心配なく。 

【構成は?】

第1章 魔術と魔法
 1 魔法(witchcraft)と妖術(sorcery)
 2 日常の魔術(low magic)と高度な魔術(high magic)
第2章 魔術、魔法、法
 1 魔女裁判はどのように学問的に定型化されたか
 2 魔女迫害 地域研究
 3 魔女迫害 誰が犠牲者になったのか
第3章 魔女迫害の原動力
 1 魔女狩りを研究する
 2 魔女迫害の理論
 3 魔女が実在するという信仰は本当にあったか
 4 魔女としての女性
第4章 魔女裁判はなぜ終息したのか
 1 変化する信念
 2 結論
  訳者解説/参考文献・日本語文献案内/索引

【感想は?】

 「魔女狩りの実態って、本当はどうなんだろう?」なんて野次馬根性で選んだ本だ。頁数も少ないし、「これなら手っ取り早くわかるだろう」と虫のいい考えで読んでみたら、これが大当たり。他の本を読んでいない状況で言い切るのは多少気が咎めるが、入門用としてはベストだろう。

 というのも、バランスがいいのだ。この本を読んで気づいたことの一つは、魔女狩りの実態や原因については、今でも多数の説があり、それぞれ納得できる部分とできない部分がある、ということ。この本では、その中の代表的な説を幾つか紹介し、それを肯定する証拠と否定する証拠を提示する、そういう形を取っている。一つの仮説を強力に指示する形ではないので爽快感には欠けるが、反面、魔女狩り研究の現在を俯瞰する視点が得られる。

 英語の witch、日本語だと「魔女」と訳されるので女性限定の印象があるが、実は男性も犠牲となっている。全般的に女性が多いのは事実で、「魔女裁判の被告に占める女性の比率」がハーゼルで95%、エセックスでは92%なのに対し、エストニアでは40%、17世紀のモスクワでは33%と、男性の方が多い。なら適切な訳は「魔術師狩り」が適切かなあ?

 やっぱり漫画などでは若い女性が被害に遭うケースが多いのだが、実際は高齢の女性、それも未亡人が多かった。また独身女性も狙われた。ここで面白いのが、「近世ヨーロッパでは、一生結婚しない女が15%にのぼった」ってのも興味深い事実。

告発された魔女がもっとも多かったのは社会階層の最底辺ではなく、それより少し上のところであった。(略)典型的な魔女とは、(略)喧嘩好きで、攻撃的な性質で悪名高いというものである。

 つまりは近所で嫌われ者の婆さんで、かつ庇護者となる夫がいない人がつるしあげられたわけです。

 意外な事実は他にもあって、まずは魔女狩りの時代。一般に中世が盛りとされてるけど、「魔女迫害という考え方の根は中世にあったが、その現象自体は、中世のものでなく、近世のものであった」「魔女迫害が最悪の恐慌状態に達した時期は、1590年代、1630年代、1660年代と推定できる」。

 地域的にも欧州全般を覆ったわけではなく、場所によりけり。これは領主の違いによるもので…

行政が中央集権化し、安定した統治形態になっていた大規模な領邦では、こうした魔女恐怖に屈する可能性ははるかに低く、またこうした地域でたとえ恐慌が起きても、カトリックであれプロテスタントであれ、領邦君主が事態の進行にうまく歯止めがかることができた(略)。対照的に、小領邦、男爵領、司教領といったところでは長期にわたって魔女狩りが生じる傾向があった。

 領主が強力な地域では起こらず、小領主の所で恐慌が起きたわけ。また異端審問が厳しいイタリアやスペインは意外と少なく、またカトリックのアイルランド、カルヴィニズムのオランダ、正教のロシア(モスクワ大公国)も「大規模な魔女恐慌を免れた」。

 そして最も意外なのが、その規模。「知られている統計数字から推測する限り、1428年から1782年の間に、ヨーロッパ全体で、最大限、四万人が魔女として処刑された」。意外と少ない。まあ、民衆が勝手に私刑にした数は推定するしかないんだけど、正式な裁判の記録から推測すると、約四万人となる。

 悲しいのが、魔女狩りの土台となる魔術の概念を広げたのが、「15世紀なかばの印刷技術の発明」だって点。今、ヘイトスピーチしてる人たちがインターネットを活用してるのと重なる。なお、魔術の概念を広めた書物の一つは「ドミニコ会の修道士で異端審問官をかねていたクラーマーとシュプレンガーによって書かれたわいせつな著書『魔女に与える鉄槌』(1487年、→Wikipedia)」って、やっぱり昔から魔女っ娘は卑猥な目で見られてたのね←違う

 さて、魔女狩りの原因については、主な説として以下4つを紹介してる。

  1. 災禍に対する反応としての魔女迫害
  2. 宗派抗争の武器としての魔女迫害
  3. (人類学的な)機能的説明:嫌われ者の排除、恐怖による秩序維持、八つ当たり、陰謀論など
  4. 魔女と社会統帥:権力者とそれにへつらう者

 著者自身は、価値観が大きく揺らぎ絶対的な権威が砕け散ったための社会的緊張が原因だろう、と見ている模様。最後で、また、現代に警鐘を鳴らしている。これは傾聴に値するだろう。

原則にしたがって残酷にならざるをえないと感じるときこそまさに、人間は自らを抑制する良心の声に耳を傾けなくなるからである。私たちの時代にあって、社会の少数派をいけにえにしたり、大量虐殺を実行しようとする者に、そうした擁護論や、正当化の口実は当てはまらない。

 そう、今だって魔女狩りは続いている。被害者を魔女と呼ばないってだけ。私は主張する。「頭髪が貧しい者を差別するな!」と。

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2013年3月27日 (水)

R・A・ラファティ「昔には帰れない」ハヤカワ文庫SF 伊藤典夫/浅倉久志訳

 彼は一党の最後のひとりといてよかった。
 何だと?偉大な個人主義者の最後のひとりか?今世紀の真に創造的な天才の最後のひとりか?まったき先駆者の最後のひとりなのか?
 ちがうちがう。彼は最後のドジ、まぬけ、うすのろ、阿呆だったのだ。
  ――最後のユリーマ

【どんな本?】

 レイフェル・アロイシャス・ラファティ、アメリカのSF作家。その作風は田舎の法螺話風だったり、神話風だったり、意味不明だったりするが、ほぼ唯一無二のスタイルであり、その作品は読者に強烈な印象を残す。この作品集は、ベテラン翻訳家の伊藤典夫と浅倉久志がタッグを組んだ、日本オリジナルの短編集であり、ラファティの作品では比較的にわかりやすい作品を多く含んでいる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年11月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約441頁+伊藤典夫の解説11頁。9ポイント39字×16行×441頁=約275,184字、400字詰め原稿用紙で約688枚。長編小説ならちょい長め。

 ベテラン翻訳者の仕事だけあって、文章は翻訳物のSFとしては読みやすい部類。また、作風も基本的にホラ話なので、小難しい理科っぽいネタが出てきたら「なんかハッタリかましてるな」と思って結構。キリスト教、それもカトリックの影響を強く受けた作品が多いので、キリスト教関係に詳しいと、更に楽しめる。

【収録作は?】

 「昔には帰れないまでの」Ⅰ部と、「忘れた偽足」からのⅡ部に分かれていて、解説によるとⅠ部は比較的わかりやすい作品、Ⅱ部はヒネった作品が中心となっている。

素顔のユリーマ / Eurema's Dam / 伊藤典夫訳
 もの覚えの悪いアルバートは、何をやっても人に後れを取った。だが、彼には奥の手があった。機械を作り、それに代行させるのだ。学校では字を書く機械を作り、加減乗除をする機械を作り、更にそれを代数や二次方程式も解けるよう改造した。14蔡の時、自分のかわりに女の子と付き合う機械を作ったが…
 ハッカー必読。ハードウェアの人もソフトウェアの人も。ハッカーが便利なモノを作る動機ってのは、たいてい「面倒臭いなあ、これぐらい機械がやってくれてもいいじゃん」みたいな気持ちなわけで、アルバート君の気持ちもよく判る。「無能なもの、欠陥のあるものだけが発明するのだ」とか、名フレーズがいっぱい。
月の裏側 / Other Side of the Moon / 伊藤典夫訳
 ジョニー・オコナーは機械のように規則正しい生活をしている。毎晩おなじ時間におなじバス停で降り、同じ店で一杯飲んで、同じ時間に家につく。このバスに乗る人も、みなそれぞれ決まった時間に決まったバス停で降りる。だが、その日、ぼのブロンド娘はいつものバス停で降りなかった。
 いつもとは少しだけ違う道を辿り、オコナーが迷い込んだ世界は。皮肉が効いた掌編。
楽園にて / In the Garden / 伊藤典夫訳
 その衛星の一部の地域に、原生動物探知機は反応した。ばかりか、脊椎動物識別機・認識力走査機・超常知覚探知機まで反応した。スタークをキャプテンとする一行は、その天体の反応を示した一画へとリトル・プローブ号を向けた。彼らがそこに見たのは…
 カトリックの影響を強く受けたラファティならではの、50年代SF風味が懐かしい作品。最後のオチのキレが見事。
パイン・キャッスル / Pine Castle / 伊藤典夫訳
 その飲み屋は、やたらと暗かった。おまけに壁はざらざらで手に棘がささる。そうスティーヴン・ネクロスは愚痴る。失業中の曲芸飛行士、モリー・オロリーが宥める。「明かりがないくらいがちょうどいい明るさなのよ」。
 落ちる怖さ、蛇の怖さ、窒息の怖さ…。怖いことにも色々あるけど、最も怖いのは…。
ぴかぴかコインの湧きでる泉 / Bright Coins in Never-Ending Stream / 伊藤典夫訳
 町の人は、のろまで文なしの爺さんマシュー・クォインに閉口している。問題は、支払いの段になって、やたらと手間がかかるってことだ。おまけに、何度も繰り返される昔話がくどい。若い頃はピカピカの伊達男だったもんさ、と。今じゃ、それを聞くのは鳩やリスばかりだ。
 若い頃の自慢話がクドい上に、支払いのカウンターでやたらと手間取る爺さんって、そりゃ嫌われてもそうがない。なんで落ちぶれたのか、というと…
崖を登る / The Cliff Climbers / 伊藤典夫訳
 その崖を登ろうと挑戦した者は昔からいたようで、幾つかのメッセージが残っている。最初のものはリトル・フィッシュヘッドの手によるもので、「第三十六期の第三十六年にこの崖に登った」とある。
 これぞラファティの味。いかにもアメリカの田舎風の法螺話というか馬鹿話というか。
小石はどこから / Fall of Pebble-Stones / 伊藤典夫訳
 ビル・ソレルには困った癖がある。雨の後、19階にある自宅の窓から、小石を投げるのだ。ときおり、石は下の道を歩いている人にあたる。そして、いつもの警官が苦情を言いに駆け込んでくるのだ。
 これまたアメリカの田舎風の奇妙なお話。確かに、雨の後、家の軒下に出来た溝には小石が沢山つまっている。これはどこから来たのか、というと…
昔には帰れない / You Can't Go Back / 伊藤典夫訳
 ヘレンの亡き夫、ジョン・パーマーは骨や石くれを残して逝った。何十年もむかし、われわれが幼かった頃、ホワイト・カウ・タウンに出かけた時の思い出の品だ。ヘレンはムーン・ホイッスルを吹くのが巧かった。ホワイト・カウ・タウンは小さい町だった。
 仕掛けはやっぱりホラ話風だけど、オチはしんみりする。
忘れた偽足 / Old Foot Forgot / 伊藤典夫訳
 ドゥーク・ドクターの次の患者は、スファイリコス患者だ。病気にかからないはずの球体生物が言うには「わたしのなかに苦しんでいるものがあるのです。子どもの時分、一秒足らずのあいだ出して引っ込めた偽足のひとつが、怒って叫んで、もどりたいといいはるのです」
 やはり奇妙奇天烈な発想が展開するお話。ただのホラ話のような気もするけど、キリスト教関係の仕掛けがあるような気もする。
ゴールデン・トラバント / Golden Trabant / 浅倉久志訳
 パトリック・T・Kの店にやってきた男は、重そうな包みを抱えていた。男の抱え方で、パトリック・T・Kは、その中身と重さを見破った。鉄にしては重すぎる。プラチナにしては軽すぎる。男は、金塊を売りにきたのだ。早速、男は取引にかかった。「おれはもう売値を決めてある」
 その男、シルドは、どこから金塊を手に入れたのか。ハードボイルド風だけど、やっぱりラファティ味。
そして、わが名は / And Name My Name / 伊藤典夫訳
 クルディスタンの山地に、彼らは集まってきた。たいていのグループは七人で、または五人か九人だった。尾なし猿が、北極熊が、マンモスが、クロコダイルが、そして鯨が。世界中で、見えない動物にまつわる目撃報告や噂がとびかった。
 これぞラファティの本領。一見ばかばかしくて、でも神話っぽい。スケールが大きくて、終末感が漂うけど、決して悲劇的ではなく、妙な滑稽味があり、独特の世界観を感じさせる。
大河の千の岸辺 / All Pieces of a Rivershore / 浅倉久志訳
 金持ちのインディアン、レオ・ネーションは、何でも集めた。今、彼が凝っているのは、「世界一の長い絵」だ。友人のひとり、チャールズ・ロングバンクに、彼は語る。「サーカスや演芸場でよく見世物にされていた」。既にレオはおそまつな絵を20本と、まるきりちがう絵を3本手に入れていた。
 これまた、一見馬鹿馬鹿しいホラ話。今はあまり見ないけど、昔は日本でも、お祭りなどでは胡散臭い見世物小屋がよく出ていた。今でもあるのかなあ。
すべての陸地ふたたび溢れいづるとき / When All the Lands Pour Out Again / 浅倉久志訳
 三人の碩学が、重大な問題を話し合っている。ジョージ・ルーイル博士、ラルフ・アマース博士、ウィルバートン・ローマー博士。ルーイルは告げる。「はじめて起きたときも、いや、何度目に起きたときも、それは理解されなかった」「この世界と、その上を動きまわるすべてのものを一新する」
 でましたラファティの十八番、特異な能力を持つ数人のグループ。たぶんこの作品集の中で、最もカトリックの影響が濃い作品。私はオチの他にはアイルランドの蛇ぐらいしかわからなかったけど(→Yahoo!知恵袋)。
廃品置き場の裏面史 / Junkyard Thoughts / 浅倉久志訳
 ジャック・キャスの廃品置き場に、警察官のドラムヘッド・ジョー・クレスがきた。ジャック・キャスは乱杭歯で猪首で声の大きい、がさつで陽気な男だ。ジョー・クレスが追っているのは、上品なペテン師J・パーマー。確かにジャック・キャスの店には不審な事が多い。怪しげな品物が沢山あるし、盗品売買の嫌疑でしょちゅう逮捕もされる。
行間からはみだすものを読め / And Read the Flesh Between the Lines / 伊藤典夫訳
 バーナビー・シーン邸の古い空き部屋では、しばらく前から鳴動が続いていた。ジョージ・ドレイコス博士、ハリー・オドノヴァン、クリス・ベネデッィティの第一級の頭脳を持つ三人とわたしは、その古い部屋を調べてみた。二階の干し草置き場であり、物置小屋だ。
 「すべての陸地ふたたび溢れいづるとき」に続き、特異能力を持つ数人のグループが出演する作品。やっぱりカトリックの強い影響を感じるんだけど、詳しくないのでようわからんです。
1873年のテレビドラマ / Selenium Ghosts of the Eighteen Seventies / 浅倉久志訳
 テレビの発明者はドイツのパウル・ニプコーで1884年のことだとされる。だが、“セレン”ドラマの第一作は、1873年にオーレリアン・ベントリーが製作したのだ。わたしは彼の古いテレビドラマの受像機と親映写機を集めた。そして、奇妙な現象が…
 Google で検索すると、オーレリアン・ベントリーは見当たらないが、パウル・ニプコー(→Wikipedia)は実在の人物。物語は、残された13本のドラマについて語られ…。普通に読んでも充分に楽しめるし、オチのキレもいい。ただ、13って数字には何かの意味があるような気が…

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2013年3月25日 (月)

Jesse Liberty, Brian MacDonald「初めてのC# 第2版」オライリー・ジャパン 日向俊二訳

 本書「初めてのC#」では、C# 2005 と .NET2.0 の開発プラットフォームについて紹介します。本書は、初心者プログラマと、VB6やそのほかの非オブジェクト指向プログラミング言語からC#に移行しようとしている読者を対象としています。本書を読み進むと、.NET のための高品質で生産性の高いプログラミングを学ぶことができます。

【どんな本?】

 ある種のプログラマには定評のある O'Reilly の NutShell シリーズの一つ。Microsoft が Windows アプリケーション開発用に生み出したオブジェクト指向プログラミング言語 C# の入門書。プログラミングの経験はあるがオブジェクト指向の経験は少ない人を対象に、C#言語の機能・構文・文法を解説する。

 対象とするC#の版は、2005年11月にリリースした C# 2005 こと C#2.0、処理系は Visual Studio 2005。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Get Start With C# 2.0 and .NET Programming. by Jesse Liberty & Brian MacDonald, 2006。日本語版は2006年8月10日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約345頁。8ポイント48字×38行×345頁=約629,280字、400字詰め原稿用紙で約1574枚。長編小説なら3冊分ぐらい。

 全般的に読みにくい。実用的な入門書で読みやすさは重要な要素なので、後に詳しく説明する。

【構成は?】

 まえがき
1章 C# と .NET プログラミング
2章 Visual Stdio 2005
3章 C# 言語の基礎
4章 演算子
5章 実効制御
6章 オブジェクト指向プログラミング
7章 クラスとオブジェクト
8章 メソッド
9章 デバッグ
10章 配列
11章 継承とポリモーフィズム
12章 演算子のオーバーロード
13章 インターフェース
14章 ジェネリックとコレクション
15章 文字列
16章 例外
17章 デリゲートとイベント
 索引

 各章の末尾には、「まとめ」と「演習問題」がついてる。演習問題の回答は、O'Reilly のサイトから入手できる。

【感想は?】

 実用書としては、帯に短したすきに長し。あまりお勧めできない。

 まず、最初に謝罪。こういう本を紹介する時は、「これを読むと○○ができるようになります」と「出来るようになること」を書き、かつ実証すべきだと思うんだが、実は私、今の所、一行もC#のプログラムを書いてない。だって処理系を持ってないし、持っていても Windows 上での開発経験は無いし←をい。まあ、そういう、無責任な書評だ、とご了承ください。

<この本を読むと、何ができるか>

 スタンドアロンの Windows が動く環境で、コンソール・アプリケーションが作れる…かもしれない。はっきり言って、役に立つプログラムは作れない。サンプルは、コマンド・プロンプト上で動くモノしか扱っていない。しかも、入出力で出てくるのは Console.WriteLine()、つまり「標準出力にテキストを書き出す」だけで、標準入力すら扱わない。 ましてや、GUIを伴うプログラムを作るのは無理。

 多少なりとも役に立つプログラムを作りたいなら、C#言語についてもっと突っ込んだ解説書である「プログラミングC#」と、.NET Framework 関係の知識が必要。いや私 Microsoft Windows の開発環境は何も知らないんで、他にも必要な事があるかも知れないが、ご容赦ください。

 つまり、この本は、プログラミング言語としての C# の機能・文法・構文の概要を掴むための本なのだ。

 サンプルは豊富に出てくるが、分割コンパイルの方法は出てこない。また、正規表現の詳細や、よく使うクラス・ライブラリの継承関係やメソッドなど、突っ込んだ話は省略している。結局、誰向けに書いたんだ?

<対象読者>

 冒頭の引用にあるように、以下の条件すべてにあてはまる人を読者として想定している。

  • Microsoft Windows を使っている。
  • プログラミングの経験がある。
  • オブジェクト指向での経験は乏しい。

 が、しかし。そういう読者に、あまりこの本はお勧めできない。というか、正直いって、入門書としてはお勧めできない。対象読者が、イマイチ絞りきれていない感がある。

 まず、訳文が硬い…というか、RFCとかでアリガチな、原文に忠実な翻訳調。技術文書だから読みやすさより正確さが重要なのは仕方がないが、慣れていない人には辛いだろう。そして、慣れている人なら、ワンランク上の「プログラミングC#」を読むだろう。

 次に、内容。最初の方では、「なぜ条件分岐なんて機能が必要なのか」とクドクド書いている。プログラミングの初心者には親切だろうけど、他の言語で経験がある人にとっては、かなり鬱陶しい。ってんで読み飛ばすと、大事な所も読み飛ばしちゃったりする。

 これが後半になると、いきなりハードルが上がって何の解説もなく「スコープ」や「コールバック」なんて言葉が出てくる。経験豊富な人には親切なんだが、初心者には意味不明だろう。そして、経験者なら、「プログラミングC#」を読むだろう。結局、誰向けに書いたんだ?

<感想>

 まず、「どんな奴がどんな目的でよんだのか」を示そう。私のプログラミング経験は…

  • プログラミング自体は多少の経験がある。主に使った言語はcとperl。プラットフォームは MS-DOS と Linux。
  • オブジェクト指向の経験は少しだけ。まあ、perl5 をオブジェクト指向と言えるなら、だけど。外野として c++ の文法は多少齧ってる。
  • Windows の開発環境については、ド素人。

 で、読んだ目的は「例のPC遠隔操作事件でC#言語に野次馬的な興味が湧いたから」。あまし切実な目的じゃないんで、ソース・プログラムをキッチリ追いかけて読んだワケではないです、はい。

 冒頭に近い2章で、開発環境の Visual Studio 2005(以後VSと略す) を紹介してるのは親切。以後、サンプルはVS上で作り、検証している模様。デバッガの使い方も9章に解説があるのは嬉しい…って、今調べたらもう Visual Stdio 2012 が出てるじゃん。

 個々の機能について解説する時に、単に「こういう事が出来ます」ってだけではなく、「こんな時に便利です」と、「ありがちな使用状況」を紹介してるのは嬉しい。

 以降、プログラミング言語としての C# の感想を。

 switch~case が、なんか中途半端。フォールスルーが不許可なら、if 文でいいじゃん。つか私、c を使ってた時もあまし swich~case 誓わなかったんだよね。みんな if~else if。コンパイラによっちゃ分岐表の最適化とかしてくれたんだろうけど、あまし賢いコンパイラは使えなかったのさ、しくしく。

 ガベージコレクション(ゴミ集め)があるのは、とっても嬉しい。c++ だと、string 型を使うのにイロイロと苦労したような。でもやっぱり、ファイルやデータベース,通信ポートなどを使うクラスだと、デストラクタ(ファイナライザ)が必要なのね。

 メソッド呼び出しは、やっぱり値呼び出し。だから、メソッド内で引数に代入した時、組み込み型(int や char)とオブジェクトじゃ挙動が違う。いっそ全部、参照呼出しにしちゃえばいいのに。最も、その場合も、問題はあるんだけどね。参照を示すのが c の * や & でなく、ref 修飾子になったのは嬉しい。いや私、* が2個以上つくと理解できないもんで。

 基本型のバイト数が決まってるのも嬉しい。decimal 型があるのも、事務系の人には有り難いかも。でも整数だけなんだよなあ。利息計算とかで小数や割り算が必要な時は、「予め10n倍を掛け整数にして云々」みたいな工夫が必要なのか、またはライブラリで Money 型をサポートしてるのか。つか文字型が2バイトって漢字ナメとんのか?最新の仕様じゃ変わってる事を祈ります。

 継承関連は、ちと込み入ってる。基本は単純継承で多重継承はなし。その替わり、interface がある。ソッチの方が綺麗だしね。メソッドのオーバーライドは注意が必要。親クラスで virtual して、子で override するのがお作法かな?

 ジェネリックって何かと思ったら、c++ のテンプレートだね。いやきっと正確には違うんだろうけど、目的は同じっぽい。

 string 型の代入が =演算子と Copy メソッドで違うのは混乱を招きそう。

 デリゲート、何かと思ったらコールバックというかハンドラというか。こういうの、やっぱり GUI 系のサンプルの方が説明しやすいんだろうなあ。

 全般として、設計思想は c++ より java に近い雰囲気がある。c++ の混乱した仕様を java の経験で整理して、Objective-c から美味しい所を摘みました、みたいな感じ。特に嬉しいのはガベージ・コレクションと正規表現とデリゲートかな。あと、参照の * を ref にするとか、プログラムの書きやすさ・読みやすさにも配慮している様子。

 でもやっぱり、サンプルコードの変数名やメソッド名が、やたらと長いのは、なんとかならんのだろうか。

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2013年3月23日 (土)

高野和明「ジェノサイド」角川書店

『人類絶滅の可能性
 アフリカに新種の生物出現』

【どんな本?】

 乱歩賞作家・高野和明による、ノンストップ・エンタテインメント長編小説。2012年「このミステリがすごい!」国内編で堂々トップに君臨し、また「このSFが読みたい!」2012年版でも6位に食い込む健闘を見せた。アフリカの奥地で発生した「新種の生物」を巡る、現代の政治・軍事・状況を反映したサスペンスとアクションに満ちた娯楽大作であり、同時に人類という種の本質に迫る壮大な傑作SF。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は雑誌「野生時代」2010年4月号~2011年4月号。書籍は2011年3月30日初版発行。私が読んだのは2011年7月25日の7版。売れてます。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約588頁。9ポイント45字×21行×588頁=約555,660字、400字詰め原稿用紙で約1390枚。普通の長編小説2冊分ちょい。

 ベストセラー作品だけあって、文章そのものはこなれていて読みやすい。幾つかの専門的な分野についてかなり突っ込んだ仕掛けを使っているか、そこは娯楽作家だけあって、かなり噛み砕いて説明している。最悪の場合、意味が分からなくても充分に楽しめる構造になっているのはさずが。具体的には大きく分けて二つ。ひとつはアフリカ中央部の政治・軍事状況。もう一つは、医学・生物学・薬学・化学。繰り返すが、小難しい事はわからなくてもお話は楽しめるので、特に構える必要はない。わかる人には「おお、結構キチンと調べてあるなあ」と感心する、そういう構成になっている。

 ただ、作品名でわかるように、かなり凄惨な場面も出てくる。残酷な場面が苦手な人は、要注意。

【どんな話?】

 時代は2004年。赤道直下、アフリカ大陸の中央、コンゴ・ルワンダ・ウガンダの国境近辺。それぞれの国軍・反乱軍・民兵が入り混じり、乱戦の様相を呈 する地域。そこに、人類の種としての存続すら危うくする新種の生物が発生した、との情報がホワイトハウスに入る。時の大統領グレゴリー・S・バーンズは秘密裏に処分を決定、チームの編成を命じた。

 ジョナサン・イエーガーは、アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレー所属だったが、不治の病・肺胞上皮細胞硬化症に侵された幼い息子の治療費を稼ぐため、民間軍事会社ウエスタン・シールド社に入る。イラクの警備任務を終えた彼に、高額の報酬を伴う仕事の依頼が入る。チームは四人、「あまりきれいな仕事ではないのだ」

 ウイルス学が専門の大学教授・古賀誠治が、突然亡くなった。残された息子の古賀研人は薬学部の大学院生で、専門は有機合成。忌引き明けで研究室に出た研人に、誠治を名乗るメールが来る。
 「私が帰らない場合は、アイスキャンディーで汚した本を開け。このメールの事は、母さんを含め誰にもいうな」

【感想は?】

 ベストセラーになるだけの事はある、娯楽大作。かなり込み入った設定だけに、冒頭近くは少々とっつきにくい部分もある。特に、研人の専門である有機化学・薬学に関するあたりは、ちと小難しい用語が並ぶ。でも大丈夫。分からなければテキトーに読み飛ばしても、お話の大筋には問題ない。極端な話、「何か専門的な事を言ってハッタリ効かせてるんだな」ぐらいに思っても結構。冒頭部分のヤマを越えると、後は一気に物語りに引き込まれ、本から目を離すのに苦労する。

 話は大きく分けて三つのパートで進む。第一は傭兵ジョナサン・イエーガーがアフリカの中央部でミッションに携わるパート。次にホワイトハウスで大統領バーンズを中心に「新種の生物」に対処する場面。最後が、大学院生の古賀研人が亡き父親を名乗るメールに振り回されるお話。

 第一のパートと第二のパートは、なんとなく想像がつく。つまり大統領が決めた「対処」の、現場がイエーガーなんだろう、と。そこで読者は戸惑う。「新種の生物って、何だ?未確認生物UMA対策に、たった四人って、少なくないか?つか、なんで傭兵を使う?『きれいなしごとじゃない』って、物騒だな」

 そこで第三のパート。薬学が専攻の研人に、ウイルスが専門の父親が遺したメッセージ。ここで私は想像した。「イエーガーの仕事は、ウイルス感染者を処分する事か?でもウイルスを生物って言うかなあ?」で、読み進むとエボラ出血熱の話が出てきて…

 それぞれのパートは、現実の人物や情勢をモデルにしていて、これがなかなか迫真感を増している。バーンズ大統領とその閣僚は、明らかにブッシュJrとネオコン連中だろう。イエーガーが登場するのはイラクの警備任務なんだが、アメリカがイラク侵攻を決めるプロセスなどは、相当に調べこんでいる模様。

 イラクばかりでなく、我々日本人には馴染みのないアフリカ中央部の情勢もキチンと調べてあるのはさすが。ルワンダの虐殺に象徴される部族紛争、その基盤となった植民地支配、そして周辺国に波及する・または介入してくる周辺国の思惑とプロセスなども、込み入った情勢をかなり噛み砕いて説明している。ここで作品名でもある「ジェノサイド」を連想するが…

 などとキナ臭いのはイエーガーばかりでなく、研人のパートもなかなか。何せ「誰にも言うな」だ。まあ、イロイロと事情があって周囲の人に声をかけるのだが、「誰が信用できるのか、そもそも父親の誠治も信用できるのか」という不安は付きまとう。

 この「信用できるのは誰か」というサスペンスは三つのパート全てに共通しており、そのためか緊張感はずっと途切れない。おまけに善玉・悪玉が固定しているわけではなく、それぞれの登場人物が何か因縁を抱え、一瞬一瞬の決断でどっちに転がるかわからない、そういう不安定さがさらにお話を盛り上げていく。

 などといった軍事サスペンス物語としての面白さで「このミス」トップに輝いたのはうなずけるが、同時に「このSF」でも6位に食い込んでいる点に注目。しかも、軍事・政治情勢の迫真性・緊迫感が、同時にSFとしてのテーマに貢献してるのはさすが。現実のアフリカ情勢を部隊としながら、その奥に「ヒトって生き物の正体って、何なんだろうねえ」と訴えてくるのだ。

 植民地支配のために、人工的に創りだされたフツ族とツチ族の反目。その遺産を利用し、自らの権力・財力保持に余念がない権力者たち。非武装の農民たちを食い物にして、残忍な欲望を満たす武装勢力。そういった情勢を遠くから眺め、自国の、または自分の利益に基づいて行動する先進国の政治家たち、そしてそんな政治家を選ぶ民主主義という社会制度、そして民主主義が生み出す傭兵や様々な惨劇。その原因を探る過程で、ヒトという種の獣性を抉り出すあたりは、「もうやめて!」と叫びたくなるほどの絶望が忍び寄ってくる。

 こういった権力者たちと対比されるのが、研人を代表とする研究者だちだ。暗い表情で研究生活の不平・不満を漏らす父親の誠治に、研人は尋ねる。「そんなに自分の仕事が嫌なら、辞めればいいじゃん」。

すると父は、「いや、研究だけは止められん」

 立場的には研人が成長したあたりの姿に相当するルーベンスが、彼の人生を決定した人物に出会うシーンは、凄惨な場面が続くこの物語の中で、最高に泣ける名場面。この瞬間の二人の気持ちを思うと…

 社会・軍事情勢はかなり現代の国際情勢に忠実で、舞台そのものはかなりリアル。特にイエーガーたちが教会で窮地に陥る所は、「作り話だろおい」と突っ込みたくなるが、残念ながらこれは現実をベースにしている。本当に、今現実に起きていることなのだ。悲しいことに。

 その分、人物像は漫画的というか、かなりエフォルメというかベタな感じがする。が、それでいいのだ。なぜって、これはSFなのだから。SFは人間を書けていなくてもいいのだ。そのかわり、人類が書けていれば。そう、この作品は、「人類」を描いている。人物像のベタさは、「人類を描く」視点で読んだ時、むしろ必須となってくるのだ。

 人類の存続すら危うくする新種の生物が現れた時、人類はどう対処するか。現代の人類は、どんな姿をしているのか。ヒトが作った社会には、どんな問題があるのか。それは、ヒトのどんな性質によるものなのか。現代社会が抱える問題を、ヒトという種の根源に立ち返って俯瞰する問題作であり、かつそんな大きな問題を一気呵成の勢いで読ませる上質の娯楽作品でもある。「早く続きを読みたい、でもじっくり考えたい」と板ばさみに煩悶しつつ、結局は一気に読まされてしまう、面白すぎて困る大作。

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2013年3月21日 (木)

司馬遷「史記列伝 三」平凡社ライブラリー 野口定男訳

太子公曰く――
自分は、黄帝より太初にいたるまでを述歴して、百三十篇をもって終わった。
  ――太子公自序 第七十

【どんな本?】

 史記は中国の最初の正史(→Wikipedia)だ。Wikipedia によれば、前漢の武帝の時代、紀元前91頃に年司馬遷(→Wikipedia)が著した。本紀・表・書・世家・列伝からなり、伝説の黄帝から彼の生きた武帝の時代までを扱う。

 列伝は、主に戦国時代(→Wikipedia)・秦(→Wikipedia)・楚漢戦争(項羽と劉邦の戦い、→Wikipedia)・前漢の頃を扱い、その時代に生きた重要な人物に焦点をあて、それぞれの性格・生き様や著名なエピソードを並べたものである。

 平凡社ライブラリー版は、その列伝を読みやすい現代の日本語に訳したもの。この三巻では、匈奴や越など辺境の人物,遊侠や占い師など市井の人物などを扱うほか、亀甲占いの詳細などバラエティ豊かな内容となっている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によれば、原書の成立は紀元前91年ごろ。平凡社ライブラリー版は2011年1月7日初版第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約499頁+半藤一利の解 説「范蠡と日本人」11頁を収録。9ポイント42字×16行×499頁=約335,328字、400字詰め原稿用紙で約839枚。長編小説なら2冊分ぐら い。

 中国の古典は原文と読み下し文を収録する場合が多いが、このシリーズは日本語の現代文のみを収録している。中国古典の訳文としては比較的素直であるものの、やはり当事の文章作法の影響は強く残り、日本語としてはかなりクセが強い。それ以上に、内容的にかなりハードルが高い。

 当事の中国の知識人向けに書かれているため、中国の歴史・社会・地理に通じていないと、背景事情がよく判らない。また、漢以前の中国の伝説・歴史上の有名なエピソードや言葉が頻繁に出てくるので、読みこなすには相応の教養を要求される。できれば本紀から入るか、または他の本で軽く前漢までの歴史を予習しておこう。

 列伝は、原則として時代の流れに沿った感じで人物が登場する。構成としては各巻が独立しているものの、できれば「伯夷列伝 第一」(平凡社ライブラリーの一巻収録)から読むといい。ただし、平凡社ライブラリー三巻収録の最後、「太子公自序」で、史記全体の概要と構成を述べているので、これを最初に読んでもいい。

【構成は?】

匈奴列伝 第五十
衛将軍・驃騎列伝 第五十一
平津侯・主父列伝 第五十二
南越列伝 第五十三
東越列伝 第五十四
朝鮮列伝 第五十五
西南夷列伝 第五十六
司馬相如列伝 第五十七
淮南・衡山列伝 第五十八
循吏列伝 第五十九
汲・鄭列伝 第六十
儒林列伝 第六十一
酷吏列伝 第六十二
大宛列伝 第六十三
游侠列伝 第六十四
佞幸列伝 第六十五
滑稽列伝 第六十六
日者列伝 第六十七
亀策列伝 第六十八
貨殖列伝 第六十九
太史公自序 第七十
 戦国時代要地図/解説「范蠡と日本人」半藤一利

 第三巻は前漢の頃を中心としながら、匈奴や越など周辺国,遊侠など民間人,そして亀甲占いの方法などを扱う。最終巻の「太史公自序 第七十」は著者である司馬遷の自己紹介であり、また史記全体の構成と概要を説明しているので、これを最初に読んでもいい。

【感想は?】

 平凡社ライブラリーの第三巻は、イロモノ集といった雰囲気がある。なんたって、いきなり「匈奴列伝」だし。

 その匈奴、今でいうモンゴルだろう。冒頭で彼らの生活様式を説明している。定住せず農耕もしない。馬・牛・羊のほか駱駝・馬を飼い、遊牧と狩りで生活する。子供も羊に乗り弓で鳥や鼠を射る。だもんで、男は全員が戦士。面白いのが婚姻。「父が死ぬと、子が継母を妻とし、兄弟が死ぬと、残った兄か弟がその妻を取って、自分の妻とした」。

 中原との戦闘の様子は、モロに「定住者の帝国と周辺の蛮族」の関係。いきなり侵入して略奪し、中央から大軍が派遣されると各自バラバラに逃げる。足の遅い歩兵や、車輌で大量の補給物資を運んでた中国の軍は、機動力で適わず大抵が取り逃がす。向うは全員が騎兵だし、そりゃ敵わんわ。

 朝鮮列伝なんてのもあって、平壌で長期の攻城戦をやってる。軍を二手に分け片方は陸路を、もう一軍はなんと船で渤海を渡り上陸。地図で見ると平壌は平地で攻めやすそうに見えるけど、意外と要害の地らしく数ヶ月も粘ってる。

 帝国の威光を感じるのが、「大宛列伝」。Wikipedia によると大宛は今のフェルガナ(→Wikipedia)。アフガニスタンの北、キルギス・ウズベクスタン・タジキスタンとか、その辺。人々は「土着して田を耕し、稲麦をうえております。葡萄酒があり、また良馬が多く、馬は血の汗をかきます(→Wikipediaの汗血馬)」。

 以後、鳥孫・康居・奄蔡・大月氏など遊牧民族の紹介が続いた後、なんと安息(ペルシャ)の紹介。その後、条枝(シリア)・黎軒(ローマ)まで出てくる。身毒(インド)も名前は出てくる。漢帝国は葡萄とウマゴヤシを手に入れ、「帝は始めてうまごやしや葡萄を肥沃の地に植えた」。紀元前だってのに、西方から植物を組織的に輸入してる。すげえ。

 「貨殖列伝」は、成功した商人の話。紀元前だってのに商業が発達してるってのも凄いが、「貧から冨を求める道としては、農は工に及ばず、工は商に及ばない。刺繍するよりは、市場に出て商売せよ」なんぞと言ってるのも凄い。ここでは、当事の漢帝国の各地の気候・風土や産業、そして地方の人の気風も紹介してる。なお、当事の利息は年2割ほどだった様子。「年に馬五十頭を増やす者は千戸の領地を持つ諸侯と等しい」などと当事の収入や物価がわかるのも楽しい。

 この辺で気がついたんだが、当時は職業の自由があった…というより、身分で職業を縛るって考えが、なかったんだなあ。出世も贔屓か実績で、あまり出自は煩く言われない。まあ、官の職に就くには賄賂が要るんだけど。案外と古代中国はリベラルというか資本主義というか。

 などの外国の話と共に、イロモノ色を強めているのが、「亀策列伝」。なんと、この巻は亀甲占い入門だったりする。訳者によると「褚少孫の作文ではないかと言われている」そうで、確かに色合いが違う。つまりは亀の甲羅を焼いて吉凶を占うんだが、やっぱり大きな亀は珍重したっぽい。「長江の神が黄河の神に亀の使いを送ったが、亀は漁師に囚われ、『解放してくれ』と帝の枕元に立った」なんて童話の原型っぽい話もあったりする。

 あまり著者の司馬遷は表に出ない史記だが、この巻は最後の「太史公自序」でわかるように、著者自身の思想が処々に出てくる。やはり思想としては孔子に始まる儒教と老子に始まる道教が二大勢力らしく、著者は老子を大きく評価し、儒教家は「口先ばかり」とあまり良い感情を抱いていない様子。いかにも老子っぽいのが「滑稽列伝」の末尾。

「子産(鄭の名相)は鄭国を治めたが、民は彼を欺くことはできなかった。子賤(孔子の弟子、宓不斉の字)は単父(山東省)を治めたが、民は彼を欺くに忍びなかった。西門豹は鄴を治めたが、民は彼を欺こうとはしなかった」とある。この三者の才能のうちで、誰が最も賢明なのであろうか。

 また、「貨殖列伝」の冒頭も、なかなか。

最善の為政者は民の心によって治め、次善の為政者は利を示して民を導き、そのつぎの為政者は民を教誨し、さらにつぎの為政者は力によって民を整斉え、最下の為政者は民と争うのである。

 中国の古典では、目上の者を言い負かせて、不興を買うどころか逆に感心される話がよくあるのが特徴。「汲・鄭列伝」の汲黯も大胆な人で…

帝「朕は仁義を施すことを主張したいと思うのだ」
黯「陛下は内心多欲であらせながら、外面的に仁義を施そうと思し召されております」

 ま、この時は帝を怒らせちゃうんだけど。

 戦乱の時代を通して全般的な歴史の流れが読める第一巻、安定しつつある社会の中で官吏同士の出世争いが多い第二巻、そして他国の情報や当事の社会の様子がわかり資料的価値の高い第三巻。途中、能弁な人が過去の故事を滔滔と述べたててやや冗長な所もあるけど、それもまた中国の古典の味。かなりの歯ごたえで相応の覚悟は要るけど、歴史書の醍醐味は充分に味わえる。

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2013年3月19日 (火)

二大政党制で両党の政策が似てくるわけ

 ネタ元はウイリアム・パウンドストーンの「選挙の経済学」。

 米国は昔から共和党と民主党が鍔迫り合いを演じていて、二大政党制などと言われる。大統領も両党が交代で務めている感がある。一般に共和党は保守っぽい印象があり、民主党は革新っぽい。

 が、あくまでも「っぽい」のであって、意外と民主党が大きな戦争の口火を切ったりしているし、共和党でもコリン・パウエルあたりはリベラルな言動が目立つ。正直言って、私のような素人には両党の違いがよく判らない。

 判らないのも当然で、「二大政党制で小選挙区だと、自然と両党の主張は似てくるんだよ」というのが、パウンドストーンのお話。うろ覚えだが、自分なりに絵を描いて解説してみよう。モデルは小選挙区。一つの議席を両党で競う選挙制度だ。

 一般に政治主張は、右派とか左派とか言われる。二人の候補者がいたら、有権者は自分の主張に近い方の候補者に投票するだろう。

 パウンドストーンは、これを浜の屋台に例える。浜辺があって、屋台が二つ出ている。客は浜の左から右へと全体に均等に散らばっている。両店の扱う品も値段も違いはない。客は、自分に最も近い店で買う。なるべく多くの客を掴むには、どこに店を出せばいいだろうか?

 まず、右端と左端に店を出してみよう。それぞれが、同数の客を得るだろう。以下の図のようになる。

01
 ここで、青屋が欲を出す。「もちっと真ん中に寄れば、赤屋の客を奪えるんじゃね?」

02

 青屋の読みは当たり、赤屋の客を奪う。だが赤屋も黙っちゃいない。「そっちがその気なら、俺だって…」と、少し中央に寄る。
03
 これを繰り返すと、最終的に二つの店は、浜の真ん中に並んで店を出す形に落ち着く。
04
 と、こんな風に、浜の屋台は、浜の真ん中あたりに集まっていく。この図は一次元だけど、二次元の平面でも、似たような現象が起きて、特定の地域に同じ品物を扱う店が集まってくる。秋葉原は、そうやって出来たのだ。ホンマかいな?

 政治の話しに戻そう。上の図のように、一つの議席を奪い合う二大政党制だと、両党の主張は、有権者全体の意見の中央値あたりで見分けがつかなくなっていく。とは言っても、単純化したモデルなので、幾つかの点で現実とは違う。今、アドリブで考えても、以下3つが思いつく。

  • このモデルだと、有権者の全員が浮動票と仮定してるけど、そりゃ無茶でない?
  • 有権者の全員が、両候補者の主張を完全に理解するとは思えないなあ。
  • つかさ、政治主張って、一次元の直線で表せるほど単純じゃないよね。

 それでも、このモデルは面白い。現実の選挙でよくある「表割れ」、または「スポイラー」と呼ばれる現象も、巧く説明できるのだ。

 こんなシナリオを考えよう。両党が鍔迫り合いを演じている時に、第三の党が名乗りを上げる。ここでは、緑屋としよう。赤屋が左派、青屋を右派として、緑屋は極右とする。緑屋は極端な政策であり、少しの票しか集めない、選挙戦としては、事実上、赤屋と青屋の一騎打ちだが、緑屋の出現は、どっちの党の有利に働くだろうか?
05
 実は、左派の赤屋に有利なのだ。極右の緑屋は、右派の青屋の票を奪う。半々に分け合ってたのが、青屋の票が減るので、赤屋の得票数が最大となる。この形の緑屋を、パウンドストーンはスポイラーと呼んでいる。

 …などと記事を書いてみたけど、あんまし、この図はわかりやすくないなあ。お口直しに、今思いついたジョークを。

クラークの第三法則:共和党員向け 「充分に発達した民主党は、共和党と区別がつかない」
クラークの第三法則:民主党員向け 「充分に発達した共和党は、民主党と区別がつかない」

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2013年3月18日 (月)

「完本 池波正太郎大成14(剣客商売4)」講談社

「女だてらにやっていることなど、世間に知れたら、嫁のはなしもなくなる。よいか、このことはないしょ、ないしょだぞ」
  ――ないしょないしょ

【どんな本?】

 「鬼平犯科帳」で有名な昭和のベストセラー作家・池波正太郎の、もうひとつの代表シリーズ「剣客商売」合本の最終巻。老いて隠居したとはいえ妖怪じみた剣の腕は衰えず、野次馬根性の赴くまま事件に首を突っ込んで快刀乱麻の活躍を見せる小柄な元剣客・秋山小兵衛と、その倅で、これまた剣名高い謹厳実直な大男・秋山大治郎の親子を中心に、大治郎の妻・三冬,御用聞きの弥七とその手下の傘徳などレギュラー陣に加え、魅力的なゲストが続々と登場する娯楽時代小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解題によると、初出は小説新潮1981年2月号~1989年7月号、「ないしょないしょ」は週刊新潮1987年11月19日号~1988年5月19日号。初刊は以下五冊。今はいずれも新潮文庫から文庫本が出ている。

  • 剣客商売 波紋 1983年11月25日
  • 剣客商売 暗殺者 1985年1月15日
  • 剣客商売二十番斬り 1987年10月25日
  • 剣客商売番外編 ないしょないしょ 1988年9月10日
  • 剣客商売 浮沈 1989年10月25日

 単行本ハードカバー縦二段組で本文約620頁。8.5ポイント28字×25行×2段×620頁=約868,000字、400字詰め原稿用紙で約2170枚、長編小説なら4~5冊分の大ボリューム。

 時代小説ではあるけれど、文章のよみやすさは抜群。おまけにお話の運び方が抜群に巧いので、読み始めたら一気に引き込まれる上に、なかなか止められない。

 長いシリーズで登場人物も多くなると、世界や人物の設定が込み入ってきて途中から入るのは難しそうに思えるが、この作家の場合は心配いらない。それぞれが登場するたびに、クドくない程度に人物の説明が入るので、すんなり作品世界に入っていける。特にこの巻は番外編的な位置づけの長編が収録されており、どうしても心配だったら長編から読み始めてもいい。売れる作家ってのは、新しい読者がとっつきやすくする親切な工夫が巧みだなあ。

【どんな話?】

 若い頃は剣の腕で名を上げた秋山小兵衛、今は隠居して若い女房おはると共に、隠宅で静かに過ごす…つもりが、顔の広さと持ち前の野次馬根性で、何かと事件に巻き込まれ、または自ら首を突っ込んでいく。倅の秋山大治郎も修行の旅を終え、今は小さいながらも道場を持ち、少しずつ弟子も増えつつある。生真面目な大治郎だが三冬を嫁に貰った頃から思慮深くなり、今は長子の小太郎も生まれた。

 その日、小兵衛は兄弟子の松崎助右衛門を訪ねようと家を出たが…

【収録作】

消えた女/波紋/剣士変貌/敵/夕紅大川橋/暗殺者(長編)/おたま/二十番斬り(長編)/ないしょないしょ(長編・番外編)/浮沈(長編)

【感想は?】

 ああ、もったいない。終わってしまった。

 既に隠居していた秋山小兵衛だが、この漢では少しづつ老いが忍び寄ってくる。最終巻というのもあって、中盤あたりは、やや黄昏迫る雰囲気が漂ってくる。妙に弱気になってる小兵衛が可愛くもあり、切なくもあり。まあ、設定じゃアレだから、あんまし心配はしてないんだけど。

 その分、ワリを食っちゃったのが大治郎。今までは小兵衛と交代で主役を務めていたのに、この漢では、ほとんど小兵衛が出ずっぱりで主役を勤める。作品の雰囲気としては、小兵衛がしんみりした作品が多いのに対し、大治郎は明るい雰囲気の作品が多くて、その明暗がいいアクセントになっていたんだが。

 などと中盤あたりまで思ってたけど、「浮沈」は小兵衛が主役ながら、やたらと明るい。というか、とってもユーモラス。最後の最後に、これを持ってくるかあ。いやあ、参りました。

 出だしは、果し合いの場面。小兵衛は、弟子の滝久蔵の敵討ちの立会いとして深川千田稲荷裏の草原に赴く。仇の木村平八郎も、立会いに山崎勘助を連れてきた。滝と木村の戦いに小兵衛と山崎も助太刀する事となり、小兵衛は山崎と切りむすぶ。山崎も優れた剣客で、小兵衛と壮絶な戦いを繰り広げ…

 と激しいアクションで始まる。緊張した雰囲気が、一気に崩れるのが、鰻売りの又六が小兵衛を訪ねてくる場面。老母を労わり真面目に働き、気がつけば三十路を越えた又六。誠実な人柄は小兵衛や弥七にも好かれ、「そろそろ嫁の世話を…」などと話し合っていた所にやってきた又六は…

 いやあ、笑った笑った。小兵衛が又六を叱り飛ばす場面は、暫く転げまわってしまった。つか、なぜ怒る小兵衛w いいじゃん、そういう事にしといてやれば。なぜそこまで又六をいじめるw この人、絶対に面白がってる。まあ、いっか。滅多にあることじゃなし。

 この作品で重要な役割を果たすのが、金貸しの平松多四郎。不細工な顔と金貸しという因業に見られがちな商売が相まって、世間からは強欲と思われている。いや不細工ってのに親しみを感じ…てなんかいないぞ、違う、違うったら。まあ、そんな風に顔で損しちゃいるが、これでも昔はれっきとした武士。だったのが、今は完全に商売人と化してる台詞が笑える。挨拶が終われば「いかほど、御用立てをいたしましょうか?」だもんなあ。楽しい人だ。

 この作品集の中で私が一番好きなのは、番外編の「ないしょないしょ」。こっちは女性が主人公で、秋山小兵衛はゲスト扱い。ゲストと言っても、重要な役割を果たすんだけど。

 越後新発田の神谷道場で下女として働くお福。齢は十六ながら、既に父母はなく天涯孤独の身。村人の世話で神谷道場に下女としてきたが、ある日、主人の神谷弥十郎は…

 以後、お福さんは激動の運命に投げ込まれる。同じ道場に住む下男の老人の五平と共に江戸へ向かう羽目になり、なんとか見つけた奉公先が、68歳の老人である三浦平四郎。武家の隠居の見本みたいな人で、相応に腕に覚えはあるらしいが、今はのんびり日々を過ごしている。お福と三浦老人の平穏な暮らしは、今までの彼女の厳しい暮らしを思うと、「ああ、よかったねえ」としんみりしちゃうんだが、そこは長編。ここから先も山あり谷ありで…

 波乱万丈の女の人生。田舎の貧農の娘が、江戸の風に揉まれ変わってゆく成長譚であり、また人と人との出会いと別れを描く人生模様でもある。じっくりと作りこまれた江戸の商家の内情も、これまた今の会社と変わらぬ派閥争いや贔屓があったりして、これまた身につまされる。

 このシリーズ、もうひとつ魅力があって、それは舟。小兵衛も自家用の舟を持ち、若い女房のおはるが見事な櫂さばきを見せ、深川あたりを縦横無尽に駆け抜ける.。当事の江戸は水運が盛んだったし、東洋のヴェニスって赴きだったんだろうなあ。一般に勾配のきつい日本にあって、平坦な関東平野にあり、しかも東京湾の奥ともなれば波も穏やか。全国の藩邸もあって需要も多く、盛んに舟が行き来したことだろう。ちょっと前、荒川の再開発なんて話もあったけど、どうなったんだろう。

 池波正太郎の作品は、やはり料理が大きな魅力で、読むと腹がなるのが困り物。料理といっても、あまり手の込んだものではなく、意外とあっさり作れそうなのが、これまた困る。必須なのが山椒。体重が気になる人は、決して夜遅くに読まないように。

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2013年3月15日 (金)

王様の耳はロバの耳

 自分じゃ気が利いた文章のつもりだけど、ブログの記事としては短すぎる。かといって下手に膨らませると切れ味が鈍る。そんなのをテキトーに集めてみた。つまりは、言ってみたかっただけです、はい。


無知の怖さは、知識がない事より、間違った知識を持っている事だ。


間違った知識の多くは、無関係なのに関係があると思い込む、そういう形を取る。
例えばガリレオの実験だ。物の重さは落ちる速さに関係がない。
ガリレオはピサの斜塔から大小二つの鉛球を落として実証した。


知らなければ、学ぼうと考える事もある。
間違った知識でも、「知っている」と思い込んでいれば、もう学ぼうとしない。


辛口のカレーが好きだからといって、チョコレート・パフェが嫌いとは限らない。
小難しいチャールズ・ストロスが好きだからといって、田中ロミオの「人類は衰退しました」が嫌いとは限らない。


リチャード・ハーマンJr「第45航空団」より、古株軍曹が新任の小生意気な少尉を揶揄して
「あいつは何をやるかは教えてくれないくせに、どうやるかは教えてくれるんです」


スポーツが得意な者はスポーツの価値を高く評価する。
知識が豊富な者は知識の価値を高く評価する。


よみびとしらず「awk は書かねえ。たったの一行」


人は食べ物の好みなど感覚的な違いは許容しやすい。
思想・信条など高尚な違いは許容しにくく、往々にして暴力などの原始的な解決に頼る。


ところで、高尚か低俗かは、どうやって測るんだろう?

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2013年3月14日 (木)

スティーヴン・ベイカー「IBM奇跡の“ワトソン”プロジェクト 人工知能はクイズ王の夢を見る」早川書房 土屋政雄訳 金山博・武田浩一解説

「人間ももっと自分の内部を見つめて、おれはなぜこれをやってるんだ、と問いかけてみたら面白くなると思う。いったい人間であることに意味があるのか、人間であることは重要なのか、とかね」
  ――IBMジョパディ・プロジェクト・リーダー デイビッド・フェルーチ

【どんな本?】

 2011年2月16日、米国で人気のクイズ番組「ジョバディ!」に、異形の挑戦者が現れた。その名は「ワトソン」、IT業界の巨人IBMが威信にかけて生み出した人工知能だ。対戦相手はケン・ジェニングスとブラッド・ラター、いずれも当番組では圧倒的な戦歴を誇る王者である。

 なぜIBMはワトソンを作ったのか。それはどんな機構で動いているのか。ワトソンは人工知能と言えるのか。開発にはどんな難関があり、どうやって解決したのか。ワトソンは何が得意で何が苦手なのか。どんな用途に使えるのか。人工知能研究者たちの反応は。ライバルたちは、どんなアプローチを取っているのか。番組側は、どんな思惑で挑戦を受け入れたのか。チャンピオンたちは、どのように戦ったのか。

 「人工知能冬の時代」と言われた80年代を過ぎ、今は Google翻訳やGoogleサジェストなど主に自然言語処理を中心として、一般の人々が自然に使える段階に入りつつある。クイズ王を目指したワトソン・プロジェクトを例に取り、今、まさに生活に侵入しつある人工知能研究の現状を俯瞰しつつ、コンピュータが映すもうひとつの知性体「人間」の不思議を探る科学解説書であり、また、ひとつの開発プロジェクトの誕生から終焉までを記録したドキュメンタリーでもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は FINAL JEOPARDY - Man vs. Machine and the Quest to Know Everything, by Stephen Baker, 2011。日本語版は2011年8月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約325頁に加え、同プロジェクトに参加した日本IBM東京基礎研究所の金山博氏&武田浩一氏による解説10頁。9.5ポイント42字×17行×325頁=約232,050字、400字詰め原稿用紙で約580枚。長編小説なら標準的な分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容的にも、充分にこなれていて判りやすい。コンピュータ、それも人工知能のネタとなると、ナニやら難しい数式や理論が出てくるんじゃないかと尻込みする人もいるだろうが、心配後無用。漢字さえ読めれば、小学生でも読みこなせる。恐らく最大の難関は、ゴールであるテレビ番組「ジョバディ!」で出題されるクイズだろう。アメリカ人向けの番組のため、向うの文化や地理に関係した問題が多い上に、クイズ番組としてもレベルが高いのだ。でも大丈夫。ちゃんと文章中に答えが出てくる。

【構成は?】

イントロダクション――「生きた言葉を理解するコンピュータ」が問いかけるもの
第1章 発端――チェスコンピュータ「ディープブルー」の次は?
第2章 「ジョパディ」に挑む――最高の舞台、最強の人間チャンピオン
第3章 開発プロジェクト、発足
第4章 人工知能を教育する
第5章 ワトソンと企業ブランディング
第6章 ワトソン、人間と戦う
第7章 人工知能の現状とゆくえ
第8章 科学とエンタテインメントのはざまで――ワトソンの「指」問題
第9章 ワトソンの就職活動――実社会への応用
第10章 コンピュータはゲーム戦略を立てる
第11章 対戦――2011年2月16日、歴史が変わった
 謝辞
 クイズ番組「ジョバディ」について/土屋政雄
 解説/金山博・武田浩一(日本IBM東京基礎研究所)
 原註/参考・関連文献

【感想は?】

 エキサイティング。「コンピュータがクイズ番組で人間を破った」という時事的な面白さは当然のこと、困難な目標をチームがどうクリアするかというプロジェクトX的な感動、「ワトソンはいったいどんな理屈で動いてるんだ?」という学術的興味、人工知能を通して見えるヒトの認識の不思議、冬の時代を超えたかに見える人工知能界隈の業界事情、そしてクイズ番組「ジョバディ!」の裏事情まで、真面目な眼で読んでも野次馬根性で読んでも、面白さはてんこもり。

 日本を知るには、外国で生活してみるといい。日本では空気のように存在するものが、外国にはない。日本では当たり前に通用する事柄が、外国では通用しない。そういった文化や社会制度の衝突を通じて、「日本とはどういう国か」が見えてくる。

 ソレが何かを知るには、それと違うモノを持ってきて、比べてみるのが簡単だ。ところが、残念ながらこの世にはヒトのように考えるモノがない。そこでコンピュータだ。記憶も計算も伝達もできる。これをヒトと比べれば、またはこれで知能を作れば、ヒトのオツムの仕組みがわかるだろう。

 ってな動機もあって、人工知能の研究は始まった。1950年代の話だ。1970年代あたりまでは、意気盛んな研究者も多かったが、1980年代あたりに失速する。要は、「使えない」のだ。人工知能がフレーム問題とかで躓いてる間に、パーソナル・コンピュータが普及し、Excelなどのパッケージ・ソフトウェアも浸透する。それまでプロのプログラマが数億円の計算機でCOBOLのプログラムを作っていたのに、PC+Excelなら素人が数時間で表を作ってしまう。Excelを作るのに億単位のドルが必要でも、千万単位で出荷すれば充分にモトが取れる。Intelは2年で計算力を倍増し、メモリも今じゃiPodでさえギガ単位である。おまけにインターネットじゃGoogleが大暴れ。これじゃプログラマはみんな失業だね、などとと思ってたら…いや、話が逸れた。

 まあ、そんな風にコンピュータと、その利用環境の進歩があまりに凄まじいがために、地道な研究で一歩一歩進んでいた人工知能の研究は置いてけぼりを食う。実のところ、ワトソンも基本は力任せである。多数のプロセサ・多数のプログラムが同時並行で解を探し、最も当たりっぽい解を答える。プロジェクトを引っ張ったデイビッド・フェルーチがやってきたのが、UIMA(非構造化情報管理アーキテクチャ)である点が、基本方針を象徴している。これは、多数のプログラムが「会話」するための技術だ。フェルーチ曰く「ただのパイプ敷設さ」。

 であるにせよ、ワトソンはスタンドアロンである。インターネットには繋がっていない。じゃ、どっから知識を仕入れたか、というと、やっぱりインターネットだった。やっぱり Wikipedia が活躍している。わはは。

 人工知能にもいろいろな派閥があって、大きく分けると「とりあえず使えりゃいい」派と、「基礎がちゃんとないと駄目でしょ」派だ。基礎派は「だってワトソンは意味を理解してないでしょ」と言う。実用派の筆頭はGoogle。Google翻訳の手口は凄まじい。まず大量の翻訳済みの文書(仮に辞書とする)を用意する。翻訳すべき文章と似た文章を辞書から探し、対応する翻訳文を返す。意味もへったくれもない。重要なのは辞書の量だ。これを「人工知能」と言っていいのかどうか。なお、当事のGoogleが使っていたのは、国連の文書だそうな。

 などとコンピュータの話も面白いし、ヒトのオツムの話も面白い。問題「大洪水の際、モーゼが方舟に乗せた各動物の総数です」。正解は、ゼロ。問題を、こう変えればわかる。「大洪水の際、織田信長が方舟に乗せた各動物の総数です」。そう、モーゼなのだ、ノアではなく。これは人間だからひっかかる問題なのだ。もうひとつ、人間のオツムのクセを表す問題を。

「雪の色は?」「白」
「ウェディングドレスは?」「白」
「ふわふわの雪は?」「白」
「牛の飲み物は?」

 「ミルク」と答えたら、あなたは人間です。間違いだけど。ヒトのオツムは、そうできてます。

 スタンフォード大学のクリフォード・ナス教授の研究も興味深い。人間とコンピュータでトランプのブラックジャックの勝負をする。コンピュータは画面に台詞を表示する。台詞のパターンが三つある。1)自分の事だけを話す 2)相手の事だけを話す 3)両方の事を話す。どれが最も好かれるか。一番嫌われるのが、自分の事だけ話す奴。まあ、当然だね。男に好かれるのは、2)相手の事だけ話すパターン。女性に好かれるのは、3)両方の事を話すパターン。女性にモテたければ、お互いの事をネタにすればいいらしい。

 なんてのもあるし、ワトソンの開発速度が遅くなった際にフェルーチが取った対策も、開発プロジェクトを率いる立場の人には役立つだろう。50年代にクイズ番組のヤラセが発覚して議会に持ち込まれた、なんてウソみたいなネタも盛り込まれ、ワイドショー的な興味で読んでも楽しい。人工知能がテーマだが、語り口は親しみやすく、扱うネタも「うんうん、あるある」的な身近な例を出しながら、エキサイティングな先端のIT技術が頭に入ってくる。新しくて、わかりやすくて、面白い。誰でも楽しめる、優れた科学ノンフクションだ。

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2013年3月12日 (火)

司馬遷「史記列伝 二」平凡社ライブラリー 野口定男訳

 淮陰侯韓信は淮陰(江蘇省)の人である。はじめ無位無官の民だったころ、貧乏で何の善行もなかったので、推薦され択ばれて官吏となることもできず、また、商売して生計を立てることもできず、常に人に寄食した。そのため、彼を嫌う者が多かった。
  ――淮陰侯列伝 第三十二

【どんな本?】

 「史記(→Wikipedia)」は、中国の前漢(→Wikipedia)の武帝(→Wikipedia)の時代(紀元前91年ごろ)、司馬遷が著した歴史書で、本紀・表・書・世家・列伝からなる。列伝は、戦国時代(→Wikipedia)・秦(→Wikipedia)・楚漢戦争(項羽と劉邦の戦い、→Wikipedia)・前漢の頃の有名な人物の伝記集だ。

 平凡社ライブラリーのシリーズは、その列伝を読みやすい日本語版に訳し、三巻にまとめたもの。この二巻では、秦~楚漢戦争~前漢の頃の人物が中心となっている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によれば原書の成立は紀元前91年ごろ。平凡社ライブラリー版は2010年12月10日初版第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約478頁+半藤一利の解説「荊軻と日本人」10頁を収録。9ポイント42字×16行×478頁=約321,216字、400字詰め原稿用紙で約803枚。長編小説なら2刷分ぐらい。

 中国の古典の日本語版は、原文や読み下し文を併記している本が多いが、このシリーズは現代語訳の日本語だけを収録している。おかげで文章は比較的に親しみやすいが、それでもかなり手ごわかった。

 列伝は歴史上の有名な人物を多数取り上げ、その人生や著名なエピソードをまとめたもので、当事の知識人向けに書いた書だ。そのため、中国の歴史・社会・制度・文化に通じていないと意味がわからない。文章作法も独特で、慣れるまでは少々戸惑う。人名も最初にフルネームが出てくるが、途中で役職名になったり愛称になったりするので、注意深く読まないと誰のことだかわからない。また、台詞の随所で周・春秋時代・戦国時代の人物や故事を引用しており、読みこなすにはその辺の素養が必要となる。

 などと文句をつけているが、つまるところ、「読みやすさは読者が持つ中国の歴史や古典の教養に比例する」のだ。

【構成は?】

呂不韋列伝 第二十五
刺客列伝 第二十六
李斯列伝 第二十七
蒙恬列伝 第二十八
張耳・陳余列伝 第二十九
魏豹・彭越列伝 第三十
黥布列伝 第三十一
淮陰侯列伝 第三十二
韓信・盧綰列伝 第三十三
田儋列伝 第三十四
樊・酈・滕・灌列伝 第三十五
張丞相列伝 第三十六
酈生・陸賈列伝 第三十七
傅・靳・蒯成列伝 第三十八
劉敬・叔孫通列伝 第三十九
季布・欒布列伝 第四十
袁盎・晁錯列伝 第四十一
張釈之・馮唐列伝 第四十二
万石・張叔列伝 第四十三
田叔列伝 第四十四
扁鵲・倉公列伝 第四十五
呉王濞列伝 第四十六
魏其・武安侯列伝 第四十七
韓長孺列伝 第四十八
李将軍列伝 第四十九
 戦国時代要地図/解説「荊軻と日本人」半藤一利

 第一巻が戦国時代~秦の頃の人物を扱ったのに続き、第二巻では秦~楚漢戦争~前漢の人が中心となる。

【感想は?】

 前に書いたように、中国の古典の素養がある人向け。正直、私はかなり苦しんだ。

 前の巻は戦国時代の頃の話なので、かなり血生臭く豪快な話が多かった。この巻も前半部分は秦の滅亡から楚漢戦争の頃の人が多く、武人が活躍する。中盤以降は漢が安定に向かう時代で、官僚的な人物が多くなる。また、暗殺者を扱う「刺客列伝」や医者を扱う「扁鵲・倉公列伝」など、異色なパートが増えるのも、この巻の特徴だろう。

 いわゆる故事来歴の原典でもあり、特に言及こそされないものの、「これは!」と思うエピソードが豊富なのも中国の古典の面白さ。例えば「李斯列伝 第二十七」。秦の始皇帝の下で丞相となった李斯は、二世の時代に宦官の趙高に陥れられ一族みなごろしになる。権勢をふるう趙高は…

鹿を二世に献じて馬だと強弁した。二世が左右の者に、
「これは馬だろう」
と問うと、左右の者はみな、
「馬です」
と答えた。

 現代でも物語の原型として最もよく使われているのは、「淮陰侯列伝 第三十二」だろう。漢の名将として名高い韓信(→Wikipedia)を扱った章だ。老婆の施し・ならず者の股くぐり・国士無双に続き、やはり盛り上がるのは「背水の陣」。時は楚漢戦争、敵地で趙の大軍に追われる韓信と張耳。前には趙の塁壁、後ろは河。圧倒的に不利な布陣だが。

 大将旗を掲げ前進する韓信と張耳、塁壁を開いて迎え撃つ趙軍。しばしの戦いの後、韓信と張耳の軍は崩れ敗走し、河の前の陣内に逃げ込む。勇み立って追い立てる趙軍、踏ん張って防ぐ漢軍。だがその間に、予め密かに韓信が放っておいた遊撃部隊二千騎が趙の砦に侵入・奪回、漢の赤幟二千をはためかせる。うろたえた趙の兵は壊走し…

 「なんか最近、似たな話をどっかで見たような…」と思ったら三浦健太郎の「ベルセルク」単行本7・8巻収録の「ドルドレイ攻略戦」だった。改めて読み直すと、巧いわ三浦健太郎。戦術そのものは韓信の背水の陣をなぞりつつ、グリフィス・ガッツ・キャスカそしてアドンという強烈な役者で三浦流の物語に仕上げてる。

 まあいい。この後、奇計の意味を聞かて答える韓信の言葉が、これまた深謀深慮に富んでる。

「…わたしは平素から士大夫の心をつかんで彼らをなつけているわけではない。いわば、市井の人を駆りたてて戦闘させるようなものだ。いきおい、死地に置いて各人に自発的に戦わせることをしないで、これに生地をあたえたなら、みな逃げ出してしまうだろう」

 韓信の台詞はどれも味わい深いんだが、やっぱり漢王(劉邦)との会話は有名。

劉邦「わしなどは、それだけの兵に将だることができるだろうか」
韓信「陛下は、まあ、十万の兵に将たるにすぎません」
劉邦「そなたはどうか」
韓信「わたしは、兵が多ければ多いほど、ますますよろしいです」
劉邦「多ければ多いほどますますよいというのに、どうしてわしの禽(とりこ)になったのか」
韓信「陛下は兵に将たることはおできになりませんが、将に将たることはできます」

 名将として名高い韓信に対し、妙にトボけた味わいなのが「樊・酈・滕・灌列伝 第三十五」の灌嬰。元は絹商人だったのが漢王に仕える。騎馬隊を指揮して功績をあげるが、その記述が独特。「部下の兵卒が○○を斬った」ばっかり。軍功はみな部下があげていて、本人は首を取ってない。後ろから指揮する人だったのか、部下を引き立てる人だったのか。騎兵の指揮官ってのは先頭を走るタイプふが多いと思うんだが、どうなんだろう。

 中盤からは漢が安定に向かう時代を反映してか、武官と文官の対立や文官同士の足の引っ張り合いが増えてくる。このあたりは、日本の戦国時代から関が原に向かう頃を髣髴とさせる。異色なのが「扁鵲・倉公列伝 第四十五」で、なんと医者の話。それまであまり怪異は出てこなかったのが、ここでは出だしから怪異譚。

 館舎の長だった扁鵲、長逗留する長桑君を丁重にもてなす。十数年たち、長桑君は秘伝の丸薬と医学書を扁鵲に渡し、「これを雨露で飲んで、三十日たつと、不思議な物象を見る」と語り姿を消す。言われたとおりにした扁鵲、三十日たつと…

塀をへだてた向こう側の人を見ることができるようになった。その眼で病人を見ると、見ただけで五臓のしこりがすべてわかり、病源の所在をつきとめることができたが、ともあく、脈を診て症状がわかるということにしておいた。

 ここでは鍼が出てきたり、リーシュマニア病(→Wikipedia)っぽい症状が出てきたり。

 漢が安定期に向かい、歴代の皇帝は遠方の王や諸侯の力を削ぐため因縁をつけ潰しまくる時代。出てくる人の多くは非業の最期を遂げる。これもまた、歴史の中で繰り返されてきたパターンなんだろうなあ。

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2013年3月11日 (月)

榊涼介「ガンパレード・マーチ 2K 5121小隊の日常Ⅲ」電撃文庫

「ぬふふー。顔色が変わったな。ソックスタイガー。オジサンらと小難しい話ばしよるんに飽きてきておらんか?」

【どんな本?】

 そもそもの始まりは、2000年9月28日発売の SONY Playstation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」。当事のハードウェア能力を超える要求仕様と凝りに凝ったシステムにより肥大した開発費により、広告費ゼロというゲームにあるまじき状況で発売開始。ところが、斬新かつ柔軟なゲーム内容、練りに練られたバランス、そしてアクの強い登場人物の魅力は妄想力逞しいディープなファンの心を捉えて離さず、触れるもの全てを宣教師と変えてゆき、ついには星雲賞まで獲得した。2010年9月22日に PSP 用ゲームアーカイヴとして復活し、今なお若いファンを獲得し続けている。

 ノベライズの第一弾は広崎悠意「高機動幻想ガンパレード・マーチ」だが、当シリーズとは完全な別物。2001年12月15日に榊涼介が「ガンパレード・マーチ 5121小隊の日常」からシリーズを始め、これまた好評を博し、入れ替わりの激しいライトノベルにありながら11年以上もシリーズを重ね、この巻で通算36冊目となる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年3月10日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約279頁。8ポイント42字×18行×279頁=約210,924字、400字詰め原稿用紙で約528枚。標準的な長編小説の分量。

 文章はライトノベルに相応しくこなれている。この巻は軍事用語もあまり出てこないので、最近の巻の中ではとっつきやすさはピカ一。「5121小隊の日常」と名のつく巻は連作短編集で、5121小隊の各メンバーそれぞれが主役となり、彼らの生活や舞台背景が明かされる。長いシリーズだけに、どこから読み始めていいのか迷う人には、格好の入り口だろう。ただ、出来れば再録でいいから5121小隊全員のイラストを口絵につけて欲しかった。

【どんな話?】

 1939年に勃発した第二次世界大戦は、意外な形で終わった。1945年、月と地球の間24万kmに突如出現した黒い月、ついで人類の天敵「幻獣」の襲来だ。圧倒的な兵力の幻獣はユーラシアを蹂躙し、人類の生存圏は南北アメリカとアフリカ南部、そして日本だけとなる。

 1998年、幻獣は九州に上陸。1999年、日本は二つの法案を可決する。熊本要塞の戦力増強と14歳~17歳の少年兵の招集である。学兵たちを、壊滅寸前の自衛軍の戦力回復の時間稼ぎのため投入する腹案だった。キワモノ兵器の人型戦車・士魂号三機を核とし、はみだし者を集めた5121小隊が意外な活躍を見せ、九州を奪われるものの多くの学兵を救う。

 以後、日本は山口防衛戦・九州奪還を通し一部の幻獣勢力と和平に漕ぎ付け、北海道独立の危機を凌ぐ。死闘を生き延びた5121小隊の名声は高まり、米国政府の招聘を受け新大陸へ渡る。幻獣に包囲されたニューヨーク州レイクサイドヒルの市民を救い、サムライ・ブームを巻き起こす。

【収録作は?】

 米国西海岸はワシントン政府から独立、独自に日本政府との国交を求めていた。日本艦隊が入港したシアトルで長期休暇に入った5121小隊、だが曲者揃いの彼らが平穏な日々に埋没するはずもなく…

善行忠孝の困惑
 空路シアトル入りした遠坂・田辺・善行。躍進する遠坂財閥総帥の財界人として来た遠坂&田辺はともかく、大原首相の肝いりで秘密外交団の一員という立場の善行は、連日の会議で忙殺されていた。やっと時間が空き、シアトルの街を視察するつもりだった善行に、思わぬ客人が…

 困惑というより、窮地でしょ、これ。まあ自業自得だけど。開幕編として、5121小隊に対するシアトル市民の感情が伝わってくる。なんだよサムライ・ブラックってw しかもデマ振りまいてるしw つか善行、うら若い乙女をドコに連れて行くw 喜んでたみたいだから、いいけど。後半は、珍しい人のジョークが。短い台詞だと、切れ味が鋭いわ。
森精華の抵抗
 東海岸では、散々な目にあい、精根尽き果てた森精華は、三日間、寝込んでしまった。目覚めた時はシアトルの病院。数日で退院はしたものの、突然の長期休暇命令に戸惑いは増すばかり。他の隊員たちはそれぞれ自分のペースで休暇の楽しみを見つけており、出遅れた気分の森は原付で街を散策する。湾岸沿いで見つけたそれが、事件の始まりだった。

 原さんからは「不細工で不器用」と揶揄される森にスポットがあたる一編。溜め込んじゃうタイプの人が限界を超えると、往々にして大変な事になるもので。そんな時に頼りになるのが、趣味。とりあえず一心不乱に打ち込めるこのがあれば、当面は痛みを忘れていられる。しかし、意地悪い姐さんだw
壬生屋未央の憧れ
 事件の処罰として小学校での奉仕活動が命じられた森。教員志望の壬生屋は、そんな森が羨ましく、同行を申し出る。ただでさえスター扱いの5121小隊、しかも道着に袴姿の美少女パイロットとあって児童はもちろん職員までもが大騒ぎ、苦手な英語に困惑しながらも筋書きどおり、小学生相手にチャンバラの指導をする羽目になり…

 「不潔ですっ!」の印象が強い未央ちゃんの、もうひとつの側面が拝める短編。問題児の保護者として父親が出てくるあたりが、アメリカを感じさせる(日本は母ちゃんの国、アメリカは父ちゃんの国なのだ)。噂だと日本の弁当はアメリカのナードたちに憧れのシロモノだとか。ましてサムライ・ブラックの手作りと来た日には、毎日が争奪戦だろうなあ。などと文化の違いを強調しながらも、案外と根底に流れるものは似ているようで、そこを見極める未央ちゃんの魅力大爆発の一編。
狩谷夏樹の献身
 遊び歩く整備班の面々、トレーニングと食べ歩きに余念のないパイロットやスカウト連中を尻目に、狩谷夏樹はひとり整備テントに篭り、士魂号の調整を続けている。生体パーツこそないものの、機械部品は潤沢で、ゲストの立場を利用すればいくらでも手に入る。イ号作戦でやりくりしていた熊本時代からすれば夢のような状況で、整備員の憧れ100%コンディションを目指し奮闘する狩谷。しかし、そんな彼の楽園に侵入してきたのは…

 うんうん、なっちゃんと連中じゃ相性は最悪だよねえ。つか何やってんだジェフw 滝川と気が合いそうな奴だなあ。空気読めない所もソックリだし。危機的な状況では意外な成長を見せたなっちゃんだけど、ここではコアな女性ファンに高評価な陰険眼鏡の魅力?を発揮している。
芝村舞の孤独
 突然の休暇命令に戸惑うのは森ばかりではない。トレーニングと水族館通いの日課が終われば手持ち無沙汰の舞。カンを維持するために必要な実機訓練は、なぜか原の厳命により禁止され、そろそろ日本の食べ物が恋しくなってきた。

 舞のように前向きでエネルギッシュな人は、やはり自由な時間というのが苦手なようで。今までは「戦場で生き延びる」という苛烈ながらも明確な目標があったのに対し、ここでは特に目標も見つけられず、戸惑う舞が可愛い。が、やはり見せ場を掻っ攫うのは原さん。榊さん、やっぱり原さんが贔屓なんだろうなあ。ののみにも、そろそろ同年代の友達を見繕ってあげてください、榊さん。
茜大介の試練
 先の事件で御用となった茜は、懲りずにカウンセラーのキャメロン相手に熱弁をふるっていた…ここでも自分の役割を5倍ほどに膨らましつつ。ここでも日本と同様に警官のお世話になる機会の多い茜だが、有名人の立場が幸いしたか、警官も好意的だ。そんな茜の前に現れたのは…

 相変わらず天上天下唯我独尊の茜を狂言まわしに、西海岸地域の明るいばかりではない状況を垣間見せる一編。茜もげろ。
遠坂圭吾の不思議な愛情
 財界人としては他に先駆けシアトル入りした遠坂圭吾。ビジネスマンとしての目でシアトルの経済状況を観察し、その目論見を探っていた。そんな彼を訪れたのは…

 特異な趣味の紳士が待ちに待った芳香漂う一編。山口防衛戦あたりから異端へと堕ちた遠坂圭吾、だが彼の牙は折れていなかった。かつての戦友との出会いに目覚める戦士の血。つか油断もスキもない連中だなあ。これがニューヨークの金融資本と繋がっているとは、恐ろしい世界だw
原日記 in Seattle #1~#6

 久しぶりの短編集、それも「小隊の日常」とあってはファンとしちゃ喜びもひとしお。長編もいいけど、やっぱり短編は切れ味が鋭いし、一編ごとにテーマがくっきりしていて親しみやすい。ガンパレの短編集としては外せない「遠坂圭吾の不思議な愛情」もいいが、私は未央ちゃんの魅力が炸裂する「壬生屋未央の憧れ」に泣いた。教師志望らしく、指導すべき所は指導し、任せるべき所は任せる見切りが鮮やか。

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2013年3月 9日 (土)

エヴァン・ハンター「暴力教室」ハヤカワ文庫NV 井上一夫訳

「どういう意味だって?こういうわけさ。だいたい実業高校というのは教育制度のごみ箱だ。市中の実業高校は全部そうだけどね。きみが来たのは、中でも大きな溢れるくらいにつまったごみ箱だ。われわれの仕事がどんなものか知りたいかね?われわれの仕事はそのごみ箱の蓋の上に座って、ごみが街にこぼれないようにすることだ。それがわれわれの仕事だよ」

【どんな本?】

 ミステリ・ファンにはエド・マクベインの筆名でで知られるエヴァン・ハンターの出世作であり、同名の大ヒット映画の原作でもある長編小説。ニューヨークの実業高校に英語(国語)教師の職を得た復員海軍軍人のリチャード・ダディエが、自分の理想と荒れた学校のギャップに呆然としながらも、必死に立ち向かう姿を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE BLACKBOARD JUNGLE, by Evan Hunter, 1954。日本語版は1955年にハヤカワ文庫より出版。私が読んだのは2002年7月31日発行の完全版。文庫本縦一段組みで本文約550頁+序文7頁に加え解説4頁。9ポイント39字×17行×550頁=約364,650字、400字詰め原稿用紙で約912枚。上下巻に分けてもよさそうな分量。

 最近の翻訳物の小説と比べると、言葉の選び方にやや時代を感じさせるかも。特に下品なチンピラの台詞。まあ、時代背景が1950年代なので、多少は古臭くても仕方がないか。

【どんな話?】

 戦争が終わり海軍を退役したリチャード・ダディエは、臨時教員資格を利用し北地区実業高校の英語(国語)教員募集に応募する。妻のアンは妊娠六ヶ月、なんとか職に就かねばならない。幸いダディエは即日採用となった。今期は校長も新任のスモール氏に代わった。実業高校の経験が豊富なベテランだ。今期は同僚に二人の新人がいる。小柄だが理想に燃えるジョシュア・エドワーズ、いささか魅力的過ぎる女性のロイ・ハモンド。

 リチャードは2年7組を担任になった。実業高校の例に漏れず、2年生ともなれば悪たれ共は羽をのばしつつある。ガキ共には早速「親父(ダッディ)よう」などと仇名をつけられてしまった。おまけに初日から望みもしない英雄になる羽目に…

【感想は?】

 18禁にしようって声が、なぜ出ないんだろう。

 といっても、描写が過激だからじゃない。いや確かに暴力描写はあるし、性的な場面もある。ソッチはあまし実用的じゃないけど。マズいのはそういうことじゃなくて、ですね。

 お話を簡単に言ってしまえば、新人教師が荒れた実業高校に赴任して苦労する、そういう話だ。これを、新人教師リチャード・ダディエの一人称で語っている。これが問題。

 教師が生徒をどうまとめ上げるか、どう統率するか、そのテクニックと心理状態が、こと細かに書かれちゃってる。生徒に手の内を見られちゃったら、そりゃ先生方もやりにくいでしょ。18禁ってのは、そういう意味。

 生徒の統率ったって、開成みたいないい子が集まる所じゃない。舞台となる実業高校は、日本だと「ヤンキー漫画に出てくる工業高校」を思い浮かべて頂ければ結構。「ごくせん」とか「ビーバップ・ハイスクール」とか。出来の悪いガキが集まってる、殺伐とした雰囲気の男子校。原題も BLACKBOARD JUNGLE と殺伐としてるし、本のカバーには飛び出しナイフが堂々と描かれてる。

 ってんで、教師も命がけだ。ガキとはいえ人数が違う。束になってかってきたら、とてもじゃないがさばききれない。序盤に出てくる実業高校教師の格言が怖い。「クラスに背を向けるな」。尻を向けるのは失礼だから、なんて上品な意味じゃない。ゴルゴ13的な意味だ。

 最初はダディエも同期のジョシュアも、理想を持っている。「生徒たちは悪人じゃない。無知なだけだ」。だが、職場の先輩たちの多くは、悟った雰囲気を漂わせ…

 手痛い洗礼を受けながらも、あの手この手で悪たれどもを授業に集中させようと努力するダディエとジョシュア。最初から理想に燃えていたジョシュアと違い、ダディエは単なる就職口と考えていた。だが、職務に放り込まれたダディエは、次第に生徒の指導を真剣に考え始めるが…

 この辺は、教師物語というより「お仕事小説」として共感することしきり。どんな仕事でも、多少は慣れてくるといい気になる。ところが、真剣に職務を考え始めると、自分が何も知らない事に愕然とする。こういう経験って、ありませんか?私はあります、情けない事に、何度も。まあダディエ君が生徒の気持ちに気づくあたりは、ちと笑っちゃったけど。まあ、人間、あんまし一生懸命になっちゃうと、見えなくなっちゃうんだよなあ。

 と同時に、大学を出たダディエと、落ちこぼれの生徒たちとの視点の違いも痛感させられる。

 後半は、生徒の中のボス格の一人、グレゴリー・ミラーとの関係が物語の焦点となる。体格のいい黒人で、頭の回転も速い。クラスの中ではボス格で、率先してダディエをからかうが、同時に複雑な一面も持っている。優れた資質を持ちながら、教室では悪たれのボスとして振舞うミラーの立場は、アメリカの、いや、全ての社会が持つ暗黒面の象徴でもある。そう、能力も才能も、状況次第で毒にも薬にも変わってしまう。

 物語のハイライトは、終盤。「五十一番目の竜」。派手なアクションもなく、声を荒げるわけでもなく、教師と生徒の会話が続く、単にそれだけの場面なのに、私はグングン引き込まれた。

 仕事ってのは、楽なもんじゃない。勤務時間の大半は、好きでもない事柄に費やされる。巧くいくことなんて、滅多にない。それでも人は仕事を続ける。稼がにゃならんってのは、確かに根本にある。それは事実だ。けどね。案外と、それだけじゃ、なかったりする。これもまた、人の業かしらん。

 作家としては若い時期の作品だけに、欠点もある。描写は少々冗長で、もう少し刈り込んだ方がいい所もある。正直、いくつかの段落は軽く流し読みした。だが、問題生徒のミラーがダディエの視点の中心になるにつれ、これは人間集団のすべてが抱える問題点を提起している事に気がつく。

 ダディエは、熱血教師じゃない。強固な信念を持つわけでもないし、明確な方法論を知ってるわけでもない。迷走し試行錯誤し、なんとか道を見つけようとする、普通の若い教師だ。その迷走具合こそが、この作品を面白くしている。書名はセンセーショナルだが、実は普遍的な問題を扱った小説だった。

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2013年3月 7日 (木)

ウィリアム・パウンドストーン「囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論」青土社 松浦俊輔他訳

 男が妻と母親をともなって、川を渡っている。対岸にキリンが姿を現す。男が銃をとってキリンに狙いをつけると、キリンはこう言った。「お前が撃てば母親が死ぬ。撃たなければ妻が死ぬ」。この男はどうすべきなのだろう。

【どんな本?】

 純粋数学の世界で天才と謳われ、工学の分野でもノイマン・コンピュータを提供し、現代のIT隆盛の基礎を築いたフォン・ノイマンは、同時に応用数学と経済学の分野でも画期的な分野を切り開いた。ゲーム理論(→Wikipedia)だ。

 この本は、世紀の天才フォン・ノイマンの特異なキャラクターと生涯を描くと共に、有名な課題「囚人のジレンマ」(→Wikipedia)に焦点をあてゲーム理論の基礎を解説する。皮肉にもノイマンの人生の絶頂期である1950年代は、典型的な「囚人のジレンマ」である米ソの核開発競争の時代だった。

 当事の社会情勢など大規模な話題から、パーティーなどで簡単に遊べるゲームなど身近なネタまで、幅広く具体的な例でゲーム理論とその限界を解説する数学・科学の一般向け解説書であり、また同時にフォン・ノイマンという稀代の天才の生涯を綴る伝記でもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は PRISONER'S DILEMMA, by William Poundstone, 1992。日本語版は1995年5月20日第1刷発行、私が読んだのは2002年3月15日発行の第14刷。売れてるなあ。単行本ハードカバー縦二段組で本文約348頁+訳者あとがき6頁。8ポイント25字×21行×2段×348頁=約365,400字、400字詰め原稿用紙で約914枚。長編小説なら約2冊分。

 翻訳物のわりに、文章そのものは悪くない。「フォン・ノイマンとその時代」を伝える本としては、充分な読みやすさ。だが、ゲーム理論の入門書としては、はっきり言って失格。著者は「やさしく、わかりやすく」を心がけ、数式や専門用語を避けて説明しているのだが、それが却ってまわりくどくわかりにくくなっている。

 一般人が常識としてのゲーム理論を知りたければ、私はモートン・D・デービス著「ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで」講談社ブルーバックスを薦める。本書の参考文献にも挙がっているし。1973年の本で今や古典だが、基本を感覚的に掴むと同時に重要な専門用語を把握するには質・量共に過不足ない。

【構成は?】

ジレンマ
ジョン・フォン・ノイマン
ゲーム理論
核爆弾
ランド研究所
囚人のジレンマ
1950年
ゲーム理論への不満
フォン・ノイマンの晩年
チキンとキューバ危機
さらに社会のジレンマ
適者生存
ドルオークション
 訳者あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 本書で扱うテーマを箇条書きで整理すると、以下5つになるだろう。

  1. フォン・ノイマンの伝記
  2. 囚人のジレンマを中心としたゲーム理論の紹介
  3. 典型的な囚人のジレンマである米ソの核開発競争と、それに対するアメリカ社会の対応
  4. フォン・ノイマンにまつわる、ちょっと笑える
  5. パーティーを盛り上げる楽しいゲームの紹介

 1.~3. は、書名からある程度は予想できるのだが、4. は意外だった。

 フォン・ノイマン、正しくはヨハン・ノイマン・フォン・マージータ。ハンガリー生まれで後にアメリカに移住。若い頃から数学で頭角を現す。15歳の時、ハンガリーのクン政権が国を滅茶苦茶にして以来、筋金入りの反共産主義となる。宗教的にはほぼ無関心で、信仰も反発もなし。頭の良さを示す逸話は多々あって。

フォン・ノイマン「数学の力は26歳以降は下り坂になる。経験が下降ぶりをかくしていられるだけだ」
スタニスラフ・ウラム「フォン・ノイマン自身が歳をとりながらこの限界年齢を引き上げている」

フォン・ノイマンは食べることと飲むことが好きだった。グッド・ハウス・キーピング誌「彼は何でも計算できる…カロリー以外は」

コンピュータの改良に取り組んだフォン・ノイマンは、その性能を試すため自分と機械で競争した。先に答えを出したのはフォン・ノイマンの方だった。

難問を抱えた科学者たちは、フォン・ノイマンに新しいコンピュータの設計を頼んだ。ノイマンは、問題の具体的な説明を求めた。2時間ほど科学者はノイマンに説明した。ノイマンは暫く頭を抱えた後、目の前の紙切れに何かを書いた。「もう新しいコンピュータは要りません。問題はたった今、私が解きました」

 計算力ばかりではない。記憶力も凄まじい。一度読んだ本は、完全に覚えてしまう。若い頃にギボンの「ローマ帝国衰亡史」を通読するなど歴史にも詳しいフォン・ノイマンは、ビザンチンの歴史の権威と、ある日付について議論になり、書物を開くとノイマンが正しかった。後にノイマンが彼をパーティーに招待した際に歴史の権威は答えた。

「ジョニーがビザンチンの歴史の話をしないと約束してくれるなら伺います」

 社交的で活発なばかりでなく、愉快な人でもあったらしく、「無限とも思えるジョークのストックがあった」とか。
 さて、囚人のジレンマ、基本形はこんな感じだ。

二人の犯罪者を捕まえたが、取り調べは難航した。警察は二人を引き離し、双方に取引を持ちかける。

  • どっちも証言しなければ、どっちの刑期も1年だ。
  • お前が証言し、相棒が証言しなければ、お前は釈放し、相棒は3年の刑期をくらう。
  • 逆なら、お前は3年くらい込み、相棒は釈放だ。
  • 両方が証言すれば、どっちも2年だ。

 自分が裏切って、相手が裏切らなければ、自分は得をする…双方とも。これのバリエーションが、チキン・ランだ。チンピラ同士が、車を正面衝突させるコースで全力疾走させる。ビビって先にハンドルを切った方が負け。自殺願望を持つ者が勝つ、という無茶苦茶なゲームだ。

 これをチンピラがやってる分には「馬鹿な連中」と笑っていられるが、米ソ対立で双方が原子爆弾を持つ世界情勢はチキン・ランそのもの。現代なら、北の若き将軍様が同じ事を仕掛けている。当事のアメリカでは、「先制攻撃でソ連を滅ぼせ」という予防戦争を唱える者も多かった…フォン・ノイマンを含めて。ところが。

まったく奇妙な話だが、予防戦争が実際にうまくいくものかどうかという点については、論争の中で、ほとんど触れられていいなかった。

 当事の核兵器、例えばプルトニウム爆弾のファットマンは、「使用可能であるのも、組み立てられてからたかだか48時間以内」で、「原爆を運搬できるように改修された飛行機は、ほとんどないも同然だった」。この辺は、現代日本の核武装論者も似たようなレベルな気がする。

 一回こっきりなら裏切ったほうが得な囚人のジレンマだが、自然界には共生という現象がある。なぜ利他的な行動が生存競争の中で発達するのか。その鍵は、「繰り返し」にある。現実では、囚人のジレンマが何回も繰り返される。

 1980年にミシガン大学の政治学教授ロバート・アクセルロッドは、多くのプログラムを集め繰り返し囚人のジレンマのコンテストを開いた。そこで優勝したのは、意外なプログラムだった。いわゆる「おうむ返し」戦略だ。

  • 最初は協調する。
  • 2回目以降は、相手が出したのと同じ手を出す。

 特に、その単純さが驚きだった。これは個人的な見解だが、面白いことに、これはヒトの感情的な反応そのものだ。好きな人には優しくし、嫌な奴にはツンケンする。人間、素直に生きるのが最も得なのかも。でも「べ、別にアンタのためにやったんじゃないんだからねっ」なんて釘宮声で言われたら←黙れ

 パーティー・ゲームとしてが、ドルオークションが面白い。1ドル札をオークションにかける。最高値の人が競り落とす。2番目に高い値をつけた人は、自分がつけた値を胴元に払う。よく考えると、これは怖い。もっと怖いのは、日常で遭遇する似た例が沢山紹介されていること。

 前半はフォン・ノイマンの強烈な個性とユーモアで引っ張り、中盤は冷戦の緊張感が引き締め、終盤はゲーム理論の意外な応用の広さと限界に驚く。長く分厚い本ではアあるが、思ったより難しくもなくダレもしなかった。ただ、出来れば予め他の本でゲーム理論の基本を学んでから読んだ方がいい。

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2013年3月 6日 (水)

イアン・マクドナルド「サイバラバード・デイズ」新☆ハヤカワSFシリーズ 下楠昌哉・中村仁美訳

「勝利の凱旋。窓から落ちて恋に落ちる、結婚、それから服葬。窓(ウインドウ)から寡婦(ウイドウ)へ。信じなさい。それが運命なのです。」
  ――暗殺者

【どんな本?】

 「火星夜想曲」で鮮烈にデビューしたイギリス/北アイルランドのSF作家イアン・マクドナルドにが描く、近未来のインド/ネパールを舞台とした連作短編集。2004年英国SF協会賞を受賞した長編 River of Gods のスピンオフであり、SFマガジン編集部編「このSFが読みたい!2013年版」海外編でも4位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は CYBERABAD DAYS, by IAN McDONALD, 2009。日本語版は2012年4月15日発行。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約444頁に加え、訳の下楠昌哉による「新しきインド、新しきイアン・マクドナルド」8頁を収録。9ポイント24字×17行×2段×444頁=約362,304字。400字詰め原稿用紙で約906枚。長編小説なら2冊分。

 正直言って、結構読みにくい。そういうスタイルの著者なのだ。斬新なアイデアを投入しながらも、詳しく説明せず、幻想的な記述で雰囲気を醸し出す。文章も技巧を凝らすタイプで、スラスラ読める娯楽型ではない。それこそがイアン・マクドナルドの味であり、アクでもある。

【どんな話?】

 複数の国に分裂し、互いに睨みあうインドの各国。カースト制度や貧富の差は残したまま、コンピュータやロボットのテクノロジーは大きく発達し、更なる混沌が渦巻くインド。ガンガーには巡礼が集い、若者は最新のインタフェース機器ライトホークを耳朶に装備する。神話とハイテクが交差する土地に、

【収録作は?】

サンジーヴとロボット戦士 / Sanjeev and Robotwallah / 中村仁美訳
 田舎の村アーラウラの近辺が、戦場になった。男どもは大人も子供も野次馬根性丸出しで見物に行く。喘息もちの少年サンジーヴも興奮し、ロボットに惚れこんだ。日本製のアニメに食いつき、インターネットで各国のロボットのスペックを漁り、頭に叩き込む。だが、次に兵士がアーラウラに来たとき…

 ロボットオタクの少年サンジーヴが、現実のロボットとパイロットに出会うお話。出だしは授業中の小学校。たった数行で男の子と女の子の違いを鮮やかに描き出している。幼い頃の憧れが、しょうもない現実を目の当たりにし、また本人の成長と共にどう変わっていくのか。
カイル、川へ行く / Kyle Meets the River / 中村仁美訳
 居留地内のサッカーU-11チームのセンターで活躍するカイル・ルービン。ウイングのサリムとは最初ポジションを争って険悪な仲だったけど、陸軍チームとの試合をきっかけに親友になった。二人は一緒にサリムの惑星に行く。使うのは、最新型のライトホーク。手袋型コンピューターを手にはめ、完全自己受容タイプのライトホークを耳のうしろにかける。全ての感覚が、ライトホークから流れてくる。サリムの父親は現地政府の指導者であり、その子のサリムも最新テクノロジーを使い見せ付ける必要があるんだ。

 これも主人公は少年。テロリストが仕掛けた爆弾が爆発する瞬間も、この年頃の男の子には「すっげえ!」と興奮するイベントになる。国歌復興を支援するため他国から派遣された者が住む居留地で、アメリカ人のカイルが出会った現地の少年サリム。サッカーとライトホークを通じて絆を深める二人と、それを取り巻くオトナの事情。少年時代の一瞬を鮮やかに切り取った短編。
暗殺者 / The Dust Asassin / 中村仁美訳
 ジャイプールの街で昔から反目しあうジョドラ家とアザド家。ジョドラ家の末娘メムサーブ・パドミニは、宮殿の奥で猿の警備ロボットに守られ育つ。必要なのだ、ロボットが。アザド家は、次々と暗殺ロボットを送り込んできたのだから。父はパドミニに囁いた。「おまえは武器なのだよ、パドミニ、われわれがアザド家に復讐するためのな」。だが、事件が彼女の運命を激変させた。

 この本の全体を通し重要な役割を果たすアイデアは二つ、ライトホークとヌート。ここでは、ヌートにスポットが当たる。ジョドラ家の家令として登場するヘールが、ヌートだ。男でも女でもない、中性人。生まれつきではなく、医学的処置でヌートになる。インドには昔からヒジュラ(→Wikipedia)ってのがあるけど、それとも少し違う。対立する両家・貴種漂流譚・意味深な予言と、御伽噺の骨組みを、最新のSFガジェットで肉付けした作品。
花嫁募集中 / An Eligible Boy / 下楠昌哉訳
 デリーの水資源省に勤めるジャスビール・ダヤルは、デンタル・クリニックで歯を真っ白に削り上げた。膚も眉も爪も手抜かりはない。男女の産み分けが実現したのはいいが、今のインドじゃ適齢期の男は女の4倍もいる。ジャスピールは、これから婚活の夜ジャーディ・ナイトに出かける。早く相手を決めないと、両親が勝手に相手を連れてきちまう。

 状況はある意味ユーモラス。けど、現実に少子化政策を取っている中国を見ると、かなり現実的なネタのような気がする。そりゃ年頃の男なら、雑誌を漁ったりして、リア充を目指すよねえ。お高くとまってお節介なラム・タルン・ダスが登場するあたりから、ジャスビール君の特訓には熱が入ってくる。果たしてジャスビール君は彼女をゲットできるだろうか。
小さき女神 / The Little Goddess / 中村仁美訳
 日没に男たちが、わたしを迎えにきました。向かう先は、カトマンドゥ、女神の館。そこで、わたしを含む10人の女の子が試されました。女神が宿る女の子には、32の印があるのです。そこで起こったことは、今でも覚えています。男たちが次々と入ってきては、奇妙な儀式を見せ、その度に他の女の子は泣き出して部屋の外へ連れ出されました。

 ネパールで生神(クマリ、→Wikipedia)となった女性の物語。選抜試験の様子から、彼女が普通じゃない事が伝わってくる。俗世から隔絶されて育つ少女だが、やがてヒトに戻る日がくる。右も左もわからぬ年頃の少女が、どうやって俗世で生きていくか。静かなネパールと、騒がしくエネルギーに満ちたインドの対比が鮮やか。オタク丸出しのアショク君が可愛い。
ジンの花嫁 / The Djinn's Wife / 下楠昌哉訳
 昔々、デリーに、魔神(ジン)と結婚した娘がいました。娘が恋に落ちたのは赤い砦の城壁。彼女はエシャ・ラトーレ。デリーで最高の踊り子。お相手は隣国バラットのもっとも聡明な外交官A。J・ラオ。モンスーンが来なくなって二年、彼女の国オウドはガンジス川の上流にダムを作ろうとしていますが、それはバラットを干上がらせます。二つの国は戦車やロボット攻撃ヘリやミサイルでにらみ合い…

 この世界の魅力がたっぷり詰まった作品。今でもインドはIT教育に熱心だったり、ハイテク立国に余念がない。イギリスの植民地になる前は多くの藩王国が乱立していて、地方ごとに文化が違う。ベンガル州では独立を求める声が強いし、ラジャスタン州の中・上流階級にはかつてのマハラジャを賛美する人が多い。市場はむき出しの資本主義で、大抵のものは定価がなく交渉で価格が決まる。と同時に神殿が随所にあり、バスの運転席には神棚がある。ハイテクを受け入れながらも、昔からの文化はしぶとく生き続け、多様性のカオスが更にエスカレートしたらどうなるか。マクドナルドが幻視するインドを、じっくり味わおう。
ヴィシュヌと猫のサーカス / Vishnu at the Cat Circus / 下楠昌哉訳
 長兄のシヴァことシヴは、バラットでビジネスマンとして成功した。子供の頃から賢かったけど、両親はそれで満足しなかった。だから私ヴィシュヌを作った、ラオ博士に注文して。私は病気にかからない。そう設計されている。そして、脳も特別製で、何も忘れることはない。最大の福音は、寿命だ。平均の二倍は確実。だが、そのツケはちゃんとあって…

 長命人ヴィシュヌの一人称で語られる、この世界を俯瞰した物語。長生きできるってのは羨ましくもあるが、まあ、大変だねえ、いろいろと。今まで仕掛けられてきたライトホークなどのガジェットを存分に活かしつつ、壮大なヴィジョンへと物語りは進んでいく。

 やはりこの本の魅力は、ハイテクと神々が同居する混沌としたインド社会だろうなあ。物語としてのハイライトは最後の「ヴィシュヌと猫のサーカス」だけど、私は「小さき女神」の静かな余韻が好きだ。人の本質まで変革させかねないテクノロジーを描く点はグレッグ・イーガンも同じだが、イーガンが倫理的な問題を突きつけるのに対し、この作品の登場人物は単なる「道具」として自分の価値観に従い使っていく。インドというエネルギッシュで混沌とした競争の激しい、だが同時にドロップアウトした者が選べる道も豊富にある舞台が、それに説得力を持たせている。

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2013年3月 2日 (土)

ダン・コッペル「バナナの世界史 世界を変えた果物の数奇な運命」太田出版 黒川由美訳

 バナナの運命は何億という人々の運命でもある。この本を書いた目的は、バナナがいかに重要な食べ物であるか――そしていかにすばらしいものになりうるかを、できるだけ多くの人々に伝えるためである。

【どんな本?】

 バナナは手軽だ。値段は手ごろだし、素手で皮をむけばすぐに食べられる。アスリートが急いで栄養補給するのに便利だし、パフェには欠かせない。日持ちしないけど、いつだってスーパーなどで売ってるし、熟して甘みが強くなったのが好きな人もいるだろう。

 私たち日本人が日頃食べているバナナは、たった一つの品種「キャベンディッシュ」だけだ。これは、チャップリンが術って転んだ時の品種「グロスミッチェル」ではない。いつの間にか、流通するバナナの品種は変わっていたのだ。世界には千種を越えるバナナがある。食べられるのは実だけじゃないし、カレーに合うバナナだってある。

 クリーミーで甘いバナナだが、その歴史は苦い。いくつもの政権がバナナに左右され、多くの人命を奪った。そして今、バナナそのものも大きな危機に瀕している。と同時に、アフリカでは、人の命をつなぐ重要な作物ともなっている。

 手軽で黄色くてちょっとユーモラス。そんなバナナの、意外な歴史と現状を語る、社会と科学の美味しいドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BANANA : The Fate of the Fruit That Changed the World, by Dan Koeppel, 2008。日本語版は2012年1月27日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約324頁。9.5ポイント44字×17行×324頁=約242,352字、400字詰め原稿用紙で約606枚。長編小説ならやや長め。

 翻訳物のドキュメンタリーのわりに、文章は意外とこなれていて読みやすい。少しだけ生物学の話も出てくるが、あくまでも一般人を対象としているので、特に構える必要はない。小学校の理科をマスターしていれば、充分についていける。ただ、日本人には馴染みの薄い中南米の国名が頻繁に出てくるので、Google Map か地図帳があると便利かも。

【構成は?】

 世界一、つつましい果実
第1部 バナナの系譜
 1 そして神はバナナを造られた
 2 バナナはこうして繁殖する
 3 最初の農園
 4 バナナの血脈
第2部 伝播
 5 アジア
 6 太平洋
 7 アフリカ
 8 アメリカ大陸
第3部 コーンフレークとクーデター
 9 アメリカのバナナ
 10 荒野を開拓する
 11 なぜバナナの皮は人を笑わせるのか
 12 バナナマン・サム
 13 今日バナナはありません
 14 人がバナナを作る
 15 バナナ労働者虐殺事件
 16 非人間的な共和国
 17 商売をたたき直す
第4部 どこまでも貪欲に
 18 活用されない知識
 19 純然たる科学
 20 第二の戦線
 21 戦時も休まず
 22 ブランド・バナナ
 23 グアテマラ
第5部 さようなら、ミッチェル
 24 キャベンディッシュ
 25 瓦解
 26 新しいバナナの登場
 27 変わらぬ不正
 28 バナナかけるバナナ
 29 救世主と目された男
 30 ゴールデン・チャイルド
第6部 新しいバナナ
 31 パナマから遠く離れた地で
 32 敵を知る
 33 岐路に立つバナナ
 34 フランケン・バナナ
 35 本質は変わらない?
 36 出口を見いだすために
  年表――バナナの歩み/訳者あとがき

【感想は?】

 意外性に溢れている。博物学的にも、社会的にも。

 いつも私が食べているバナナが、たった一種の「キャベンディッシュ」だけ、というのも意外だし、千を越える品種がある、というのも意外。木だと思ってたら草木(多年生植物)だし。種がないのにどうやって増えるかというと、「“吸芽”という、やはり球茎から伸びる新芽を利用して行われる」。キャベンディッシュは、みんなクローンなのだ。下手すっと最初の農耕はバナナかもしれなくて、「紀元前5000ごろ、世界でもきわめて早期に作られた(ニューギニアの)この小さな古代農園で、バナナが栽培されていたことが確認された」。今のバナナは中国南部~インドあたりが原産らしい。インドはバナナの本場で…

料理用のバナナもあれば、生食用のバナナもあり、市場に行けば、黄色や緑だけでなく、オレンジや茶色、赤褐色のバナナが入手できる。

インドにおけるバナナの食文化を知れば、皮をむいて中身を食べるというのは、初歩の初歩だということがわかるだろう。バナナはカレーやシチューに入れて調理されるし、多くの地域では、葉も皿として使用される。肉の代用として平たいコロッケにして食べることもある。

 ウガンダで「マトケ」という言葉は食べ物とバナナの両方の意味がある。日本語の「ごはん」みたいなモンか。そのウガンダ、国民ひとりあたりのバナナの消費量が230kg。すげえ。日本のコメより愛されてる。

 ところが、そのバナナ、今は極めて危険な状況にある。主な原因は二つ、パナマ病とシガトカ病だ。パナマ病は真菌、シガトカ病はアブラムシの一種が媒介するウイルスによるもの。問題は、バナナに種がないこと。みんなクローンだから、一株がやられると全部やられる。グロスミッチェルが姿を消した理由も、これ。

 にも関わらず、安定して供給が続くのはなぜか。答えは簡単、土地を使い捨てにしているのだ。ジャングルを切り開いてプランテーションを作り、育て、収穫する。そして病気が流行ったら、次の土地へと移る。合衆国のユナイテッド・フルーツなどがやっていたのが、これ。労働環境もアレで、ゴタゴタが起きる。1928年10月、コロンビアで…

三万二千人の労働者が参加した大ストライキである。彼らは医療サービスや適切なトイレ用設備を要求した。賃金も、ユナイテッド・フルーツ社が所有する店でしか使えない紙切れでなく、現金で支払うよう求めた。

 この結末を報告したのが、米国大使キャフェリー。

「謹んでご報告いたします」
「ボゴタにいるユナイテッド・フルーツ社の代表者から昨日知らされたところによると、コロンビア軍が殺害したストライキの参加者は千名を超えておりました」

 ユナイテッド・フルーツ社、合衆国政府、コロンビア政府が一体となって事態にあたったわけ。グアテマラではCIAも出張って大統領ハコボ・アルベンスを追いつめる。この時の状況も凄い。「同社は、グアテマラの耕作可能地の70パーセントを占める160万ヘクタール以上の土地を所有していた」「バナナ会社の保有する土地の3/4以上が、休耕地だった」。

 土地改革で休耕地を摂取する。代価は60万ドル。抗議するユナイテッド・フルーツ、「安すぎるだろJK」。切り返す政府「これは同社が提出する納税申告諸に基づいて算出した額」。折りしも合衆国はマッカーシー旋風が吹き荒れる最中。アルベンスにアカの烙印を押し、「1953年の半ば、米国のアイゼンハワー大統領は、CIAにアルベンス政権失脚工作の許可を与えた」。このあたりは、ティム・ワイナーの「CIA秘録」にも出てたような気がする。

 諸々の原因はパナマ病やシガトカ病などの病気。品種改良で病気に強い品種を作ろうにも、なにせバナナには種がない。いや野性のバナナにはあるんだけど、キャベンディッシュにはないのだ。「一万本のバナナから、ようやく一粒の種がみつかる」。それでもなんとか一品種「ゴールド・フィンガー」を作り出す研究者フィル・ロウ。その味、著者は「ものすごく気に入った」。

味も感触もキャベンディッシュとは違う。果肉はキャベンディッシュよりぽってりと重く、それほどクリーミーではない。味は酸味があり、ブラジルのプラタと同じくらい酸っぱかった。

 ああ、食べてみたい。
 蒸気船の時代と異なり、現代は病気の蔓延速度も速い。パナマ病に強いはずのキャベンディッシュも、マレーシアで罹患し、被害は広がりつつある。ベルギーのバナナ研究者ロニー・スウェンネンなどは遺伝子組み換えなどで新種のバナナを開発し、ナイジェリアなどで効果をあげているが、国によっては消費者のアレルギーが遺伝子組み換え作物を拒む。タンザニアの実地試験場でのスウェンネンの体験談が面白い。

このとき、予想もしていなかった出来事があり、スウェンネンの試験は飛躍的に拡大することになった。バナナは非常においしく育ったので、地元農家が夜間にこっそりとプランテーションに忍びこんで手に届くものを奪いとると、自分の庭の畑に植えたのだ――この行為によって、スウェンネンが改良したバナナが非常に広く認知される結果となった。

 ジャガイモと似てるね。そういえば、遺伝的な多様性を持たない品種が絶滅の危機に至り社会を揺るがしたのも、ジャガイモに似てる(→Wikipedia)。ヒトは、いつになったら歴史から学ぶんだろう。

 読み終えて買い物に行ったら、思わず八百屋で目についたバナナを買ってしまった。低温で保存するほうが保つそうです。B01

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