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2013年3月14日 (木)

スティーヴン・ベイカー「IBM奇跡の“ワトソン”プロジェクト 人工知能はクイズ王の夢を見る」早川書房 土屋政雄訳 金山博・武田浩一解説

「人間ももっと自分の内部を見つめて、おれはなぜこれをやってるんだ、と問いかけてみたら面白くなると思う。いったい人間であることに意味があるのか、人間であることは重要なのか、とかね」
  ――IBMジョパディ・プロジェクト・リーダー デイビッド・フェルーチ

【どんな本?】

 2011年2月16日、米国で人気のクイズ番組「ジョバディ!」に、異形の挑戦者が現れた。その名は「ワトソン」、IT業界の巨人IBMが威信にかけて生み出した人工知能だ。対戦相手はケン・ジェニングスとブラッド・ラター、いずれも当番組では圧倒的な戦歴を誇る王者である。

 なぜIBMはワトソンを作ったのか。それはどんな機構で動いているのか。ワトソンは人工知能と言えるのか。開発にはどんな難関があり、どうやって解決したのか。ワトソンは何が得意で何が苦手なのか。どんな用途に使えるのか。人工知能研究者たちの反応は。ライバルたちは、どんなアプローチを取っているのか。番組側は、どんな思惑で挑戦を受け入れたのか。チャンピオンたちは、どのように戦ったのか。

 「人工知能冬の時代」と言われた80年代を過ぎ、今は Google翻訳やGoogleサジェストなど主に自然言語処理を中心として、一般の人々が自然に使える段階に入りつつある。クイズ王を目指したワトソン・プロジェクトを例に取り、今、まさに生活に侵入しつある人工知能研究の現状を俯瞰しつつ、コンピュータが映すもうひとつの知性体「人間」の不思議を探る科学解説書であり、また、ひとつの開発プロジェクトの誕生から終焉までを記録したドキュメンタリーでもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は FINAL JEOPARDY - Man vs. Machine and the Quest to Know Everything, by Stephen Baker, 2011。日本語版は2011年8月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約325頁に加え、同プロジェクトに参加した日本IBM東京基礎研究所の金山博氏&武田浩一氏による解説10頁。9.5ポイント42字×17行×325頁=約232,050字、400字詰め原稿用紙で約580枚。長編小説なら標準的な分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容的にも、充分にこなれていて判りやすい。コンピュータ、それも人工知能のネタとなると、ナニやら難しい数式や理論が出てくるんじゃないかと尻込みする人もいるだろうが、心配後無用。漢字さえ読めれば、小学生でも読みこなせる。恐らく最大の難関は、ゴールであるテレビ番組「ジョバディ!」で出題されるクイズだろう。アメリカ人向けの番組のため、向うの文化や地理に関係した問題が多い上に、クイズ番組としてもレベルが高いのだ。でも大丈夫。ちゃんと文章中に答えが出てくる。

【構成は?】

イントロダクション――「生きた言葉を理解するコンピュータ」が問いかけるもの
第1章 発端――チェスコンピュータ「ディープブルー」の次は?
第2章 「ジョパディ」に挑む――最高の舞台、最強の人間チャンピオン
第3章 開発プロジェクト、発足
第4章 人工知能を教育する
第5章 ワトソンと企業ブランディング
第6章 ワトソン、人間と戦う
第7章 人工知能の現状とゆくえ
第8章 科学とエンタテインメントのはざまで――ワトソンの「指」問題
第9章 ワトソンの就職活動――実社会への応用
第10章 コンピュータはゲーム戦略を立てる
第11章 対戦――2011年2月16日、歴史が変わった
 謝辞
 クイズ番組「ジョバディ」について/土屋政雄
 解説/金山博・武田浩一(日本IBM東京基礎研究所)
 原註/参考・関連文献

【感想は?】

 エキサイティング。「コンピュータがクイズ番組で人間を破った」という時事的な面白さは当然のこと、困難な目標をチームがどうクリアするかというプロジェクトX的な感動、「ワトソンはいったいどんな理屈で動いてるんだ?」という学術的興味、人工知能を通して見えるヒトの認識の不思議、冬の時代を超えたかに見える人工知能界隈の業界事情、そしてクイズ番組「ジョバディ!」の裏事情まで、真面目な眼で読んでも野次馬根性で読んでも、面白さはてんこもり。

 日本を知るには、外国で生活してみるといい。日本では空気のように存在するものが、外国にはない。日本では当たり前に通用する事柄が、外国では通用しない。そういった文化や社会制度の衝突を通じて、「日本とはどういう国か」が見えてくる。

 ソレが何かを知るには、それと違うモノを持ってきて、比べてみるのが簡単だ。ところが、残念ながらこの世にはヒトのように考えるモノがない。そこでコンピュータだ。記憶も計算も伝達もできる。これをヒトと比べれば、またはこれで知能を作れば、ヒトのオツムの仕組みがわかるだろう。

 ってな動機もあって、人工知能の研究は始まった。1950年代の話だ。1970年代あたりまでは、意気盛んな研究者も多かったが、1980年代あたりに失速する。要は、「使えない」のだ。人工知能がフレーム問題とかで躓いてる間に、パーソナル・コンピュータが普及し、Excelなどのパッケージ・ソフトウェアも浸透する。それまでプロのプログラマが数億円の計算機でCOBOLのプログラムを作っていたのに、PC+Excelなら素人が数時間で表を作ってしまう。Excelを作るのに億単位のドルが必要でも、千万単位で出荷すれば充分にモトが取れる。Intelは2年で計算力を倍増し、メモリも今じゃiPodでさえギガ単位である。おまけにインターネットじゃGoogleが大暴れ。これじゃプログラマはみんな失業だね、などとと思ってたら…いや、話が逸れた。

 まあ、そんな風にコンピュータと、その利用環境の進歩があまりに凄まじいがために、地道な研究で一歩一歩進んでいた人工知能の研究は置いてけぼりを食う。実のところ、ワトソンも基本は力任せである。多数のプロセサ・多数のプログラムが同時並行で解を探し、最も当たりっぽい解を答える。プロジェクトを引っ張ったデイビッド・フェルーチがやってきたのが、UIMA(非構造化情報管理アーキテクチャ)である点が、基本方針を象徴している。これは、多数のプログラムが「会話」するための技術だ。フェルーチ曰く「ただのパイプ敷設さ」。

 であるにせよ、ワトソンはスタンドアロンである。インターネットには繋がっていない。じゃ、どっから知識を仕入れたか、というと、やっぱりインターネットだった。やっぱり Wikipedia が活躍している。わはは。

 人工知能にもいろいろな派閥があって、大きく分けると「とりあえず使えりゃいい」派と、「基礎がちゃんとないと駄目でしょ」派だ。基礎派は「だってワトソンは意味を理解してないでしょ」と言う。実用派の筆頭はGoogle。Google翻訳の手口は凄まじい。まず大量の翻訳済みの文書(仮に辞書とする)を用意する。翻訳すべき文章と似た文章を辞書から探し、対応する翻訳文を返す。意味もへったくれもない。重要なのは辞書の量だ。これを「人工知能」と言っていいのかどうか。なお、当事のGoogleが使っていたのは、国連の文書だそうな。

 などとコンピュータの話も面白いし、ヒトのオツムの話も面白い。問題「大洪水の際、モーゼが方舟に乗せた各動物の総数です」。正解は、ゼロ。問題を、こう変えればわかる。「大洪水の際、織田信長が方舟に乗せた各動物の総数です」。そう、モーゼなのだ、ノアではなく。これは人間だからひっかかる問題なのだ。もうひとつ、人間のオツムのクセを表す問題を。

「雪の色は?」「白」
「ウェディングドレスは?」「白」
「ふわふわの雪は?」「白」
「牛の飲み物は?」

 「ミルク」と答えたら、あなたは人間です。間違いだけど。ヒトのオツムは、そうできてます。

 スタンフォード大学のクリフォード・ナス教授の研究も興味深い。人間とコンピュータでトランプのブラックジャックの勝負をする。コンピュータは画面に台詞を表示する。台詞のパターンが三つある。1)自分の事だけを話す 2)相手の事だけを話す 3)両方の事を話す。どれが最も好かれるか。一番嫌われるのが、自分の事だけ話す奴。まあ、当然だね。男に好かれるのは、2)相手の事だけ話すパターン。女性に好かれるのは、3)両方の事を話すパターン。女性にモテたければ、お互いの事をネタにすればいいらしい。

 なんてのもあるし、ワトソンの開発速度が遅くなった際にフェルーチが取った対策も、開発プロジェクトを率いる立場の人には役立つだろう。50年代にクイズ番組のヤラセが発覚して議会に持ち込まれた、なんてウソみたいなネタも盛り込まれ、ワイドショー的な興味で読んでも楽しい。人工知能がテーマだが、語り口は親しみやすく、扱うネタも「うんうん、あるある」的な身近な例を出しながら、エキサイティングな先端のIT技術が頭に入ってくる。新しくて、わかりやすくて、面白い。誰でも楽しめる、優れた科学ノンフクションだ。

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