パオロ・バチガルピ「シップブレイカー」ハヤカワ文庫SF 田中一江訳
「ないしろ大金だからな。あんたが自分たちは道をはずれたことをしないと思ってるただひとつの理由は、あんたはふつうの連中みたいに金を必要としないってことなんだ」
【どんな本?】
石油が枯渇し温暖化で海面が上昇し遺伝子改造技術が暴走した未来を舞台に、底辺で這いずり回る人々に焦点をあてた作品を送り出している新鋭SF作家パオロ・バチガルピの新作は、なんとYA(ヤング・アダルト)、しかも見事にローカス賞YA長編部門を受賞した。
「ねじまき少女」と同じ世界のアメリカで、船舶解体作業員として劣悪な環境で日銭を稼ぐ少年ネイラーが、座礁した高速船から少女を救い出した事から、命がけの冒険に巻き込まれ…
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は SHIP BREAKER, by Paolo Bacigalupi, 2010。日本語版は2012年8月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約417頁+訳者あとがき5頁。9ポイント40字×17行×417頁=約283,560字、400字詰め原稿用紙で約709頁、長編小説としてはやや長め。
最近の訳者さんらしく翻訳SF小説としては日本語はこなれているが、さすがにライトノベルとしては手こずるかも。とまれ、この内容じゃあまり軽い文体は似合わないしなあ。
【どんな話?】
座礁した廃船の狭いダクトに潜り込み、銅線など価値のある廃物を回収する仕事で、ピマやスロスたち軽作業クルーと共に働き食いつないでいる少年ネイラー。もともと、人が潜りこむことなど想定していない配管ダクトなだけに、狭く明かりはないし作りもモロく、アスベストの屑やネズミの糞が舞い空気も悪い。入り組んだ配管ダクトは迷路で、下手に迷い込めばそのまま干からびる。体が小さく軽い子供だからこそ出来る作業で、だから強欲なボスのバピも雇ってくれる。
その日、ネイラーが潜りこんだダクトは折り悪くも折れてしまい、ネイラーは船内の廃油溜まりに落ちた。真っ暗な廃油の中、たったひとつの救いの糸は上にいるスロス。だがスロスはネイラーの仕事を狙っているし、石油を巧く捌く手を見つければ大金持ちになれる…ラッキー・ストライクは、そうやってのし上がった。助けを求めるネイラー、だがスロスは…
【感想は?】
暗~い作風のパオロ・バチガルピがYA?大丈夫かいな?と思ったら、やっぱりバチガルピだった。
社会の底辺の少年が、危機に瀕したお金持ちのお嬢様を救い、冒険の旅に出る。これだけなら「ハヤテのごとく!」かい、ってな感じのボーイ・ミーツ・ガールの黄金パターン、おまけにYA市場狙いだ。普通ならハラハラ・ドキドキの冒険と甘~いラブロマンスが展開するはずが、バチガルピじゃどこに飛んでいくか判らない。しかも、「ねじまき少女」と同じ世界だし。
ってんで読みはじめたら、やっぱりバチガルピだった。なんたって、ネイラー君の立場からして、やたらと過酷。狭く脆い配管ダクトに潜る仕事だ。体が小さい子供だから出来る。下手に育っちまったら…。というか、その前に、子供がアスベストの屑が舞う配管ダクトの中を這いずり回る仕事で食いつなぐって、どうよ。
こうなっちまったのも、石油が枯渇したのが原因。世界の経済は大きく混乱し、ごく少数の金持ちと大半の貧民に別れてる。合衆国政府は無力となり、労働基準法も児童福祉法も吹っ飛んでいる。この世界観は、ブッシュJr.政権の新自由主義を皮肉ってるんだろうなあ。中盤以降では海面の上昇やハリケーンの大型化も示唆され、これまた地球温暖化に関心を持たない合衆国政策への批判とも取れる。つまりはバチガルピって、そういう人なのだ。
ちょっと政治的な背景を補足すると、新自由主義は背景にリバタリアニズムがある。市場経済を信奉し、政府による介入を出来るだけ避けよう、という主張。一見、保守主義に見えるが、人種差別や職業差別に反対し、薬物の合法化も求めるあたりが違う。同時に最低賃金の撤廃や少年労働の解禁も求めてたりする。つまりは「個人の選択の自由を出来る限り広げろ、法による規制は弊害が多い」とする思想で、自由原理主義と自称している。ウォルター・ブロックの「不道徳教育」は優れた参考書だ。SF作家では、ロバート・A・ハインラインとジェイムズ・P・ホーガンがリバタリアンとして有名。そして、バチガルピは、彼らと大きく対立する立場を取っている。
悲惨なネイラー君の立場だが、読み進めるに従って、実は更に悲惨である由が次第にわかってくる。いつの世にも働き手は多くて、仕事は少ない。少ない仕事をどう配分するかというと、大抵の場合はギルドを作って自衛する。ネイラー君もピマをボスとするクルーに入って仕事にありついている。
こういうスラムでの少年労働の描写が、バチガルピは容赦なくえげつない。よくこれでYAで出せたもんだ。しかも、ネイラー君は家庭にも問題を抱えていて…
まあ、そういう環境で育った少年だけに、お姫様を助ける過程や、助けた後の冒険も、なかなか甘い話とはならない。助けた相手はお金持ちのお嬢様、自分はしがないシップブレイカー。僻みだって、たっぷりある。ハヤテ君のように、「お嬢様、お手をどうぞ」とはいかない。こういう底辺で足掻く者の屈折した気持ちを正直に書いちゃうあたりが、リアルでもあり、読んでいて苦しくもあり。これこそがバチガルピの真骨頂なんだが、YAでここまで書いていいのか?まあ、お嬢様の方も、御伽噺のお姫様って感じじゃないんだが。
そんな世界なだけに、出てくる大人もロクなもんじゃない。雇い主のバピは強欲だし、ネイラーの親父リチャード・ロペスは腕っ節自慢のジャンキーで、近所のならず者の上に君臨している。だが、たまにはまっとうな人もいる。ピマの母親サドナは、リチャード・ロペスと張り合える腕っ節と、聖母のごとき博愛主義が共存した稀有な人。
そして、正体不明な不気味さを持つトゥール。遺伝子改造技術が発達したこの世界で、半人と呼ばれる、ヒトと他の動物の遺伝子を掛け合わせた、使役動物のような存在。といっても大人しいわけじゃなく、身体能力は極端に優れ、格闘じゃ人間に勝ち目はない。半人の物理的なパワーも怖いが、労働力が有り余ってる世界で、更に半人を作り出す資本家の論理も怖い。
YAらしく、ネイラーの成長を示すイベントもあって、これがなかなか過酷。この辺もまた、家庭における父親の存在が大きいアメリカの文化を皮肉っているようで、バチガルピらしい。
どっかで聞いた話なんだが、世の中には「かーちゃん文化」と「とーちゃん文化」があるそうな。子供がとーちゃんとかーちゃん、どっちと強く結びつくかの違いで、日本やイタリアはかーちゃん文化。イタリアはマリア信仰が強いし、日本もかーちゃんAA J('ー`)し はあるが、とーちゃんAAはない。対してアメリカはとーちゃん文化で、「カッコーの巣の上で」や映画「ラスト・ボーイスカウト」によく現れている。
ライトノベルとするには、ちと刺激が強すぎる内容だが、これで何人かの青少年がSFに嵌ってくれれば、SF大会の高齢化も緩和されようというもの。次は是非「第六ポンプ」に挑戦して頂きたい。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:ライトノベル」カテゴリの記事
- 小野不由美「白銀の墟 玄の月 1~4」新潮文庫(2019.11.12)
- 森岡浩之「星界の戦旗Ⅵ 帝国の雷鳴」ハヤカワ文庫JA(2018.10.14)
- オキシタケヒコ「おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱」講談社タイガ(2018.08.05)
- エドワード・ケアリー「アイアマンガー三部作3 肺都」東京創元社 古屋美登里訳(2018.06.25)
- エドワード・ケアリー「アイアマンガー三部作2 穢れの町」東京創元社 古屋美登里訳(2018.06.24)
コメント