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2013年2月 8日 (金)

G・ブルース・ネクト「銀むつクライシス [カネを生む魚]の乱獲と壊れゆく海」早川書房 杉浦茂樹訳

「魚は数が減っているだけじゃない。次々に姿を消しているんだ。(ニューヨークの)ハドソン川には以前、シャッド(ニシン科の食用魚)がいた。おおきなチョウザメもいたんだけど、どちらも姿を消した。政府の個体調査が問題なのは、ハドソン川のシャッドやチョウザメを計算に入れていないことだ。つまり、今もいる魚だけを数えて、いなくなった魚は無視しているんだ」  ――漁業学者ダニエル・ポーリー

【どんな本?】

 マゼランアイナメ(→Wikipedia)、またの名をチリ・シーバスまたは銀むつ、もしくはメロ。学名は Dissostichus eleginoids。スズキ目ノトテニア科の魚。主に南半球の深度700m以上の深海に住み、成長すれば体長1.5m体重40kgを超える。脂がのったマイルドで嫌味のない味は、北米と日本で好まれている。

 1977年、若い水産物卸売業者リー・ランツはロサンゼルスからチリのバルパライソに来た。偶然、深海用の延縄にかかった顎の突き出た恐ろしげな魚は、脂っこすぎて地元では見向きもされない。だが、アメリカ市場に詳しいランツは、その魚が秘めた可能性を見抜く。

 2003年8月7日、オーストラリアの巡視船サザンポーター号は、南インド洋のオーストラリアと南アフリカの間の無人島ハード島の沖で、三隻の銀むつの密漁船を発見する。パトロール隊を率いるスティーブン・タフィーと船長のアンドルー・コドリントンは、南へ逃亡する一隻を追う。極寒の海で繰り広げられるチェイスは、やがて他国を巻き込み…

 銀むつの密漁をサンプルに、ハイテク化・国際化した現代の遠洋漁業の現場と、その流通・消費過程を追い、水産資源が迎えている危機とその構造、そして密漁の現実を明らかにしたドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Hooked, Pirates, Poaching, and the Perfect Fish, by G. Bruce Knecht, 2006。日本語版は2008年4月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約308頁。9ポイント45行×19行×308頁=約263,340字、400字詰め原稿用紙で約659枚。

 翻訳物のノンフィクションにしては、拍子抜けするほど読みやすい。冒頭に主要登場人物一覧があるのも親切。単位系も基本的にメートル法。敢えて言えば、1海里=1.852km/1ノット=1.852km/hと但し書きして欲しかったのと、巻末の地図は冒頭につけて欲しかった。思わず地図帳を持ち出しちゃったよ、あたしゃ。

【構成は?】

プロローグ 南インド洋
第一章 バルパライソ(チリ)
第二章 南インド洋
第三章 ロサンゼルス
第四章 南インド洋
第五章 ロサンゼルス
第六章 南極海
第七章 リベイラ(スペイン)
第八章 南極海
第九章 ニューヨーク
第一〇章 南極海
第一一章 ニューヨーク
第一二章 南極海
第一三章 ケープタウン(南アフリカ)
第一四章 南大西洋
第一五章 ブリッジハンプトン(ニューヨーク沖)
第一六章 南大西洋
第一七章 バンクーバー(カナダ)
第一八章 南大西洋
第一九章 バンクーバー(カナダ)
第二〇章 南大西洋
第二一章 ケープタウン近海
第二二章 バース(オーストラリア)
第二三章 バース
第二四章 バース、2005年9月9日
エピローグ
 謝辞/訳者あとがき

 主な時系列は二つ。一つは1977年からの銀むつブームの盛り上がりから現代までを描くもの、もう一つは2003年の巡視船と密漁船のチェイス。

【感想は?】

 魚は好きですか?私は好きです。サンマもイワシもマグロも好きだし、居酒屋に行けばホッケを頼みます。大根おろしが合うんだよね。これからニシンが楽しみです。でも最近、あんまり見ないんだよね…と思ったら、やっぱり。

 これを読むと怖くなってくる。これは、銀むつを標本に、現代の水産業を、漁業・流通・消費に至る国際的なルートを具体例を挙げわかりやすく説明すると共に、大きな問題である密漁とその検挙を描いたルポルタージュだ。

 この本の最大の特徴は、視点が多彩なこと。物語はオーストラリアの巡視船が密漁を発見する所から始まる。ここで、取り締まる側・巡視船のクルーばかりでなく、密漁船の船長・漁労長の視点も紹介される。これは貴重。

 もうひとつのストーリーでは、銀むつに目をつけた卸売り業者リーランツを始め、レストランのシェフ・ニューヨークのレストラン事情・漁業学者・環境保護運動家など、流通・消費側の視点だ。

 そして、双方に共通しているのが、国際的な事。密漁を追う側はオーストラリア・南アフリカ・イギリス・アメリカが関わる。密漁船ビアルサ号も華やかで、ウルグアイ・チリ・ポルトガル・スペイン、そしてアメリカも関わってくる。海は多数の国に接しているため、追う側は国際的な協力が必要だ。そして、密漁する側は、法の抜け道を探すため、多数の国の抜け道を組み合わせる。

 昔から大西洋の漁師は勇ましかったようで、「スペインの漁船が大西洋を渡り、カナダ近海でタラ漁を開始したのは15世紀。クリストファー・コロンブスのアメリカ発見より早かった」というから、たいしたもの。ところが漁業技術の進歩が思わぬ結果を招く。枯渇だ。排他的経済水域が200海里になった背景には、これがある。

 たくさん採れば儲かる。漁師は大金をつぎ込み新しく優れた船や機材を買い、大量に採りまくる。採りすぎて枯渇しはじめても、せっかく買った船や設備を無駄にするわけにはいかない。より優れた船でより遠くへ出かけ、より激しく採り尽す。世界的に水産資源は貧しくなり、「発展途上国の人々が魚を食べられなくなった」。漁業学者ダニエル・ポーリー曰く「アンゴラでは、大飢饉の最中に大量の魚を輸出しているんだ」。

 この本には出てこないが、ソマリアが海賊の根城になった背景の一つは、外国の密漁船がソマリアの漁場を荒らしたためソマリアの漁民が食えなくなった、という事情がある。弱体化したソマリア政府は密漁船を追い出す能力がなかった。

 最近の漁法は根こそぎ型で、幼魚も成体も区別しない。昔のメカジキ漁は銛を使うため、大物だけを狙えたが、今の延縄は無差別だ。シーシェパードに代表される、欧米がイルカに敏感な理由もマグロ漁だ。キハダマグロはイルカと行動をともにする性質があるため、漁師はイルカの群を探す。巾着魚網で、イルカを取り囲むように網をかけ、引き絞る。マグロと一緒にイルカもかかり、「1960年代末までに、毎年50万頭近いイルカが殺された」。環境保護に取り組む生物学者サム・ラブッデが撮ったビデオが大きな反響を呼び…。ちなみに、彼が使ったカメラはソニーの8ミリカメラ。皮肉だなあ。

 などと重たい問題もあるが、サザンポーター号のチェイスは冒険物語そのもの。目次でわかるように、追跡は南氷洋に向かい、氷の海の恐怖が追うもの・追われるもの双方を襲う。海が次第に氷に閉ざされていく様子を、科学的に解説しているのが、かえって恐怖を煽る。

 やがてサザンポーター号が南アフリカの協力を仰ぎ、臨検用の武装要員の派遣を依頼する。ここで来たチームが、びっくり仰天。急な要請に対し迅速に適切な要員を揃えるのも凄いが、姿勢の違いもお国柄の違いを感じさせて面白い。「万が一、彼らが誰かを殺したりしたら、かなり面倒なことになるぞ」と危惧するオーストラリア、<密漁船の奴らが『どうぞ、ご乗船ください』なんて言うものか!>とつぶやく南アフリカ。資本主義社会で生き残れるのは強者だけ。

 などのシリアスな話も面白いが、意外な密漁船の船内も興味深い。うん、長期の漁じゃ叛乱も怖いしねえ。他にもアメリカのグルメの歴史や、密漁業者のややこしい実態、やっぱり信用できない中国の漁業統計など、トリビア?がいっぱい。私が最も気になったのは、マンハッタンのレストラン・オシーナのシェフ、リック・ムーネンによる銀むつ料理の秘伝レシピ。まず塩で覆って一晩寝かせ、塩を洗い落としてから味噌と日本酒を使ってですねえ…

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