アントニー・ビーヴァー&アーテミス・クーパー「パリ解放 1944-49」白水社 北代美代子訳 2
シドニー=ガブリエル・コレット「人生になにを期待しているの?」
トルーマン・カポーティ「なにを期待しているのかはわからないが、なにを望んでいるのかはわかっている。それは大人になることだ」
シドニー=ガブリエル・コレット「でもそれだけは」「あたしたちのだれにも絶対にできないのよ」
【どんな本?】
「スペイン内戦」「ノルマンディ上陸作戦」「スターリングラード 運命の攻囲戦」「ベルリン陥落」など戦記ドキュメンタリーの傑作を発表したアントニー・ビーヴァーが、妻のアーテミス・クーパーと組み発表した歴史ノンフクション。
独軍のマジノ線突破・フランス占領・ヴィシー政権成立から連合軍のノルマンディ上陸・パリ解放とドゴール凱旋、そしてマーシャル・プランによる復興と冷戦への突入までを、ドゴール派と共産党の対立など政界、サルトルを筆頭とする文化人、そして対独協力者の私刑やニュールックへの賞賛と反発などの世相を交え、戦中・戦後のフランスを立体的に描く。
【感想は?】
アントニー・ビーヴァー&アーテミス・クーパー「パリ解放 1944-49」白水社 北代美代子訳 1 より続く。
軍事が得意なアントニー・ビーヴァーだが、この本は政治の話が中心で、それに文化や世相が絡む形で進む。数少ない軍事の話では、フランス軍の暗号の話が光る。「フランス軍は口が軽い」と見なしていた連合軍だが、その原因は…
実際にイギリスは、真の問題がドゴールの参謀本部による現代的な通信暗号システム採用拒否に由来するのを知っていた。(略)一回限りしか使用しない暗号用無作為数列に切り替えたのは、ようやく1944年、あるイギリス人将校がフランスの暗号をその目の前で解読して見せたあとである。
ドゴールの他国不信は、こんな所でも問題を起こしてたのね。
ドイツ軍の占領はピトー元帥をはじめとする多くの対独追従者を生む。エリ・ド・ロートシルト男爵は捕虜となり、屋敷はドイツ空軍ハネッセ将軍に押収される。捕虜収容所から帰還した男爵と執事の会話が苦い。
男爵「ハネッセ将軍が使っていたあいだ、家はとても静かだっただろうね」
執事「とんでもございません、ムッシュー・エリ。毎晩、レセプションがございました」
男爵「だが……だれがきたんだ」
執事「同じ方がたです。ムッシュー・エリ。戦前と同じ方がたです」
解放は妬みも手伝って追従者への粛清へと向かう。映画監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーはハリウッドに逃れる。痩せこけた抑留者の帰還が、復讐の火を煽る。フランスでは、今でもユダヤ人抑留にヴィシー政権がどの程度協力したか、が大きな争点となっている。帰還者への庶民の目は…
抑留者は一目で見分けられた。リリアーヌ・ド・ロートシルトは抑留者が痛ましく背を丸め、痩せていたようすを回想している。歯は虫歯で黒ずみ、肌は黄ばんで冷たく、いつも汗をかいていた。地下鉄では、どんなに高齢の婦人でも、「骸骨の一体が車輌にはいってくると、静かに立ち上がり、席を譲った」
ヴィシー政権の首班ペタンの死刑を望む世論は32%から76%に跳ね上がる。
アイゼンハワー将軍が恐るべき収容所の実態を取材するために、時間のあるジャーナリストすべてをドイツに連れていこうとしているそのときに、捕虜、抑留者、難民を担当するフランスの役所は、収容所の情報を伏せておこうとした。カカシの格好をしたほとんど骸骨のような姿の現実を想像した者はほとんどいなかった。
そんな帰還者だが、列車でパリの駅に着いた時…
弱りすぎてまっすぐに立っていられない者もいた。だが、できる者は歓迎委員会の前で記をつけの姿勢をとり、かすれ声で「ラ・マルセイエーズ」を歌い始めた。
世論の怒りに乗じて支持者を増やす共産党は、社会党の乗っ取りを企てる。ドゴール派と共産党が目立つ本書の中で、社会党は影が薄いんだよなあ。右派は「共産党によるクーデター」のデマを流す。
共産党の主な票田は労働者。面白いのが、都会生活が与える影響。
ブルターニュとオーヴェルニュ出身者がパリ移住者の大きな割合を占めた。どちらも信心深いカトリック教徒だったにもかかわらず、一度都会にたどりつくと、出身地の共同体の平均よりも少ない数の子どもしかもうけなかった。(略)原因は冷酷なほどに単純だった。狭い賃貸アパートという物理的制約と食品の価格である。
物資不足はヤミ市を生む。酷いのはブルターニュの漁港で、「トロール船の所有者には船を海に出すよりも、割り当てられた燃料をヤミで販売したほうがいい稼ぎになった」。寒波の影響も厳しく、燃料が枯渇したパリに石炭を運ぶ貨車が、路線の氷結で動けなくなる。頻発するストライキ、追いつめられた社会党内相のジュール・モックは、だが情勢を正確に見抜く。「ストライキが呼びかけられたのは」「労働者階級が経済状況に真の不満を訴えているからだ」。
そんな所に現れた白馬の騎士はアメリカのマーシャル・プラン。「強いドイツ」を警戒するソ連は、フランス共産党にプランの拒否やサボタージュを指示する。ストライキ鎮圧案を議会にかける内閣に反対する共産党、叛乱扇動の演説を始めた共産党議員ラウル・カラスに対し、追放の議決が出て、共和国衛兵のマルカン大佐がカラス追放の命令書を持ってカラスに迫るが…
マルカンが演壇に向かって前進しようとするたびに、共産党員は「ラ・マルセイエーズ」を歌いだした。国歌を聞くと、大佐はぱっと気をつけの姿勢をとり、敬礼しなければならない。歌がやむとすぐに、ふたたび前進を試みるが、また「ラ・マルセイエーズ」がはじまり…
わはは。
結局、マーシャル・プランは歓迎され、ジャン・モネの優れた割り振りもあって、フランスは復興の波に乗る。産業再生を重要視し、優先順位を明確にする。曰く「鉄鋼、石炭、水力発電、トラクター、輸送」。対するソ連の強硬な対応や、ソ連からの亡命者ヴィクトル・クラフチェンコの回想録「私は自由を選んだ」が明らかにしたソ連の実態、特に強制収容所の存在はフランスの共産主義の息の根を止める。
などと窮地に立たされるのが、ジャン=ポール・サルトルを初めとする文化人。彼らの生活が描かれているのも、この本の特徴。当事のサルトルの仕事ぶりは、喫茶店で執筆する現代日本の作家・漫画家と似てるから面白い。1944年当時は…
《カフェ・フロール》で午前と午後、三時間ずつ仕事をした。朝の仕事は、ポケットを本と原稿用紙で膨らませて、勢いよくドアをはいるところから始まった。お気に入りの隅まで(略)腰をおろし、原稿を広げながらコニャックを二杯がぶりとやり、そして執筆を開始する。
共産党と共に勢いに乗ったサルトルやカミュは、やがて共産党と共に失速、革命の終焉を迎える。著者は、現代の左翼思想にも通じる彼らの思想を見事に要約している。
スターリンの体制は情けを知らないかもしれない。だがすべての革命にはひとりの恐ろしい王がいる。重要なのは、ソビエト連邦が表明する哲学が人間の正義の側に立っていることだ。それに対して、アメリカ合衆国は、経済的自由のほかにはなんのイデオロギー的、あるいは社会的プログラムも提供しない。そして経済的自由とは単純に他者を搾取する自由を意味する。
彼らに交代して表舞台に立つのが、マーシャル・プランや観光でフランスを訪れるアメリカ人。コカコーラ社の重役二人、ファーレーとマキンスキーは経済協力局のフランス担当責任者デイヴィッド・ブルースを訪ねるが、失望を味わう。「ふたりはむしろ残念そうに、(広告塔として)エッフェル塔を使用するというアイディアを放棄した」。
軌道に乗るフランス経済は、メーデーの参加者を減らす。アメリカ大使館の観察者は…
「解放以来もっとも静かなメーデーが明らかにしているのは、生活条件に対する労働者の満足と言うよりも、スローガン、教養、組織に対する無関心と信頼の欠如である」
同様に、ドゴール派も勢いを失っていく。復興の豊かさは、政治的情熱を失速させた。
被占領地でで生き抜くため占領軍に媚びを売った右派は解放後に粛清され、解放後の勢いに乗じて乗っ取りを図った共産党も冷戦でどんでん返しに会う。空隙に雪崩れ込むアメリカ文化は、しかしファッションなどフランスの誇りまでは潰せなかった。
EUの中では比較的に独自路線の強いフランス、ムスリム女学生のスカーフ登校を禁止するなど宗教への拒否感が強いフランス、今でも左派の思想界をリードするフランス。そんな現代のフランスの原点を探るにも便利であり、また、右派と共産党と穏健派という三者の政治的対立のサンプルのひとつでもあり、また、蹂躙された国の復興の物語でもある。歯ごたえはあるが、それに相応しい内容も備えている。気力を充実させて挑もう。
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