「完本 池波正太郎大成13(剣客商売3)」講談社
その試合について、秋山大治郎が父の小兵衛へ語るや、
「負けてやれ」
即座に、小兵衛がいった。
――勝負
【どんな本?】
昭和の大ベストセラー作家・池波正太郎の、「鬼平犯科帳」と並ぶ看板シリーズ「剣客商売」の合本第三弾。隠居したとはいいながら、持ち前の名声と野次馬根性のため事件が舞い込みまたは自ら首を突っ込み騒動が絶えない老剣客・秋山小兵衛と、その子で謹厳実直な秋山大治郎の剣客親子を中心に、大治郎の妻・三冬、御用聞きの弥七などに加え、色とりどりのゲストを迎えて展開する娯楽時代小説の連作短編集に加え、番外編の長編「黒白」を収録。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
解題によると、初出は小説新潮1978年12月~1980年7月の短編14編+黒白は週刊新潮1981年4月~1982年12月。初刊は以下5冊。いずれも今は新潮文庫から文庫版が出ている。
- 剣客商売 勝負 1979年11月10日
- 剣客商売 十番斬り 1980年9月25日
- 黒白 上/中/下 1983年2月25日
単行本ハードカバー縦二段組で本文約705頁。8.5ポイント28字×25行×2段×705頁=約987,000字、400字詰め原稿用紙で約2468枚、長編小説なら5冊分の大ボリューム。
ボリュームこそ多いものの、なんたってベストセラー作家・池波正太郎だ。文章はこなれてて読みやすい上に、お話の吸引力が抜群で、読み始めたら本を閉じるのに苦労する。長い連作物だが、この人の場合は途中から読み始めても大丈夫なように、重要な登場人物はそれとなく背景を紹介している。特に長編の「黒白」は、小兵衛が若い頃の話なので、短編より長編が好きな人は、ここから読み始めるのも、ひとつの手。こういう、長いシリーズで複数の入り口を用意するのも、ベストセラー作家ならではの気配りなんだろうか。
【収録作】
剣の師弟/勝負/初孫命名/その日の三冬/時雨蕎麦/助太刀/小判二十両/白い猫/密通浪人/浮寝鳥/十番斬り/同門の酒/逃げる人/罪ほろぼし/黒白(長編)
【感想は?】
長編「黒白」は少し色合いが違うので、後でまた。
他の短編は、ベテラン作家が波に乗って書いた雰囲気で、安定感は抜群。静かで渋い雰囲気の「剣の師弟」に始まるが、次の「勝負」では、パッと雰囲気が明るくなる。原則的に小兵衛と大治郎が交代で主役を務めるシリーズ、この時期は大治郎が主役だとメジャー調になるんだよなあ。なんたって新婚だし、立ち上げた道場も順調。おまけに妻の三冬は懐妊し…と、明るい話題にことかかない。まあ三冬の出番があって嬉しい、ってのはもちろんあります、はい。
さて「勝負」。名が売れてきた大治郎。常陸の国・笠間八万石の城主・牧野越中守貞長は彼を剣術指南役にヘッドハントするも、大治郎はすげなく断る。仕方なく他の者を探し、候補に上がったのが谷鎌之助28歳。ここで牧野が駄々をこねる。「秋山を打ち破った者でなくてはならぬ」。人の仕官がかかった話、人情としては敢えて負けるのもアリだが、そこは融通が利かない大治郎。思い悩んだ末、父の小兵衛に相談すると…
唐変木で嘘が下手、特に剣の事となるとますますスジを曲げられない大治郎と、何度も修羅場をくぐって経験豊富な小兵衛の対比もいいが、ここではゲストの谷鎌之助の剣客ゆえの「しょうもなさ」が光る。剣客に限らず、男ってのは、どうにも、こういうしょうもない事に拘るんだよなあ。是非とも再登場させて欲しい。今までも魅力的なキャラを容赦なく使い捨てにしてきた著者だから、あまし期待はできないけど。
続く「初孫命名」は、ユーモラスで飄々とした味わいの話。初孫の命名に悩む小兵衛、兄弟子の松崎助右衛門に相談しようと出かけるが…。何年たっても、先輩後輩の関係ってのは変わらないもんで。肩を並べて修行したのはほんの数年。今は互いに60過ぎ、その後の付き合いの方が長いけど、やっぱり出会った頃の関係はずっと続く。相談ったって、松崎助右衛門は特別な知恵を出してるわけじゃないんだが、その一言が嬉しいんだよね。
【黒白】
番外編。主人公は、波切八郎と若き日の秋山子兵衛の二枚看板。父の後を継ぎ、波切道場を守る波切八郎。その日、彼の耳に入ったのは、門弟の永野新吾が道場破りをしている、という噂だった。ここ暫くは進境いちじるしい永野新吾だが、その殺気には高弟の三上達之助も警戒していたのだが…
愛弟子の異変から始まる波切八郎の数奇な運命に、秋山小兵衛が絡む物語。著者曰く…
〔黒白〕は、たぶん、二人の剣客の物語になるだろう。
〔黒〕は悪、〔白〕は善である。
なんぞと言ってるから、秋山小兵衛が善で波切八郎が黒か、などと思い込みそうだが、読むとそれほど単純じゃない。というか、多分書いてて著者も「…いや、これ、違うよな」と思ったらしい。終盤の小兵衛の台詞が、その辺を語ってる。むしろ、「黒白なんて簡単に色分けできるモンじゃないんだよね」みたいな話だ。
まあ後(本編)の秋山小兵衛が、清濁併せ飲む妖怪と天狗を混ぜたような爺様だし。とまれ、やっぱりこの作品でキャラが立ってるのが波切八郎。出だしは後の大治郎を思わせる、真面目で剣ひとすじ、かなりの世間知らず。弟子の蛮行に悩み、己の責任と果し合いの板ばさみに悩む、責任感の強い好青年。しかし運命は、彼を闇の世界へ招きいれ…
と、彼の運命が暗転するあたりは、謎に満ちたミステリ仕立て。謎の解明も面白いが、私が好きなのは、暗転した以降の八郎の変化と、その八郎の周囲にまとわりつく男たち。変転した運命の中で、それでも剣への想いは捨てきれず、だが同時に剣の腕ゆえに闇に飲み込まれようとする八郎。剣の持つ闇と光、これもまた黒白だろう。捨て鉢になりながらも、強敵との立会いを望む気持ちは膨れ上がり、研ぎ澄まされてゆく。それが彼を支えているとも言えるし、彼を闇へと誘っているとも取れる。
そして、八郎に絡む岡本弥助。世慣れた男で、剣も相当に使える。妙に人好きのする男で、八郎も彼を憎みきれない。だが生い立ちや仕事の話になると、のらりくらりとかわして正体を見せない。物騒な連中に狙われているものの、飄々として命を惜しむでもない。得体の知れない男だが、彼もまた黒と白の合間を行き交う、善悪だけでは判断できない男。
そんな岡本弥助に惹かれ、「くされ縁」と悪態をつきながらも離れきれぬ伊之吉。剣は使えぬが、ならず者なりのツテや腰の軽さで調べ事で働く、胡散臭い男。
この三人が描く、闇の中でのつかず離れずの千鳥足のダンスが、滑稽で悲しい。互いに「このままじゃイカン」と思いつつ、だが互いへの情や仕事ゆえにズルズルと絡み合ってゆく。
やはり人の情で泣かせるのが、波切道場に住み込みで働く老僕の市蔵。老僕の鑑というか、とにかく波切八郎への忠義がハンパない。彼の行動原理は極めて単純で、とにかく波切八郎様一筋の人。ややこしい人が多いのの作品の中で、彼の純朴さは清々しい。
他にも秋山小兵衛の最初の奥さん・お貞、同門の嶋岡礼蔵・内山文太、そして小兵衛の師の辻平右衛門など、本編で名が出る人も元気に登場し、時の流れを感じさせる大作となった。
しかし、これだけ複雑で面白い物語を、「これからの彼の行路は作者の私にも予見できない」って、アドリブで書いてる著者ってのも、凄まじい化け物だなあ。物語への吸引力は相変わらず抜群で、読み始めたら止まらなくなるから、充分に余裕を見て読み始めよう。
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コメント
はい(`∇´ゞありがとうございます。
何年か前に洋画の『ザ・フォースカインド』というのを映画館で観て、ちょっとショックを受けました。
ご覧になりましたか?
あれは、SFかオカルトかフィクションかな?お客が3人しかいなくて、それも怖かったです。
投稿: たく | 2014年6月16日 (月) 09時28分
私はSFばかり読んできたので剣術の構えや和装など時代物の「お約束」に疎い読者ですが、ご愛顧いただければ幸いです。
投稿: ちくわぶ | 2014年6月15日 (日) 23時50分
確か、ヤクルトスワローズの武上選手だったという話を何かの解説で読みました。ヤクルトスワローズのファンだったのかな?ご教授なんてお恥ずかしいです。これからもよろしくお願いします。
投稿: たく | 2014年6月15日 (日) 07時20分
八郎のモデルの話は知りませんでした。ご教授に感謝します。
投稿: ちくわぶ | 2014年6月14日 (土) 23時13分
おはようございます。楽しく拝読しております。作者が、黒白という題名を思いついた話は、面白いですよね。
浪切のモデルはプロ野球選手だったというのも微笑ましいですよね。
私は、山本周五郎の、雨あがる、母ちゃん、こんち午の日などを、小さな会場ですが、朗読したりしております。
ちくわぶ様の書評は勉強になります。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
投稿: たく | 2014年6月13日 (金) 08時03分