ウィリアム・ブラウニング・スペンサー「ゾッド・ワロップ あるはずのない物語」角川書店 浅倉久志訳
そういえば、すべての狂気は、特別扱いの宇宙観を捨てず、現実のぬかるみのなかに立つことを拒むという、子供っぽい態度と関係があるのかもしれない。
【どんな本?】
アメリカのアンタジー作家ウィリアム・B・スペンサーの第四長編。「SFが読みたい!2000年版」のベストSF1999でも、海外編で8位に食い込む躍進を見せた。
かつて人気童話作家だったが、今は隠遁生活を送っているハリー・ゲインズボロー。彼が書いたおとぎ話「ゾッド・ワロップ」に影響された精神病院の入院患者たちは、共有する幻想に駆られ病院を脱走し、世界を変容させてゆく。現実と幻想が混じりあう狂気の世界を描く、異色作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Zod Warrop, by William Browning Spencer, 1995。日本語版は1998年12月5日初版発行。単行本ハードカバー縦二段組で本文約233頁。8.5ポイント23字×22行×2段×233頁=約235,796字、400字詰め原稿用紙で約590枚。長編小説としては標準的な長さ。
翻訳物の小説としては標準的な読みやすさ。だた、現実と幻想が入り混じるお話なので、ときおり現実と幻想の区別がつかなくなる場面があるのは覚悟しよう。
【どんな話?】
レイモンド・ストーリは野外での結婚式を望んだ。突風が吹きすさぶ4月、列席者が待つ中、レイモンドは現れた。タキシードを着て、自転車に乗り、猿を首に乗せて。次に現れたのは、白いバン。車体には「ハーウッド心療クリニック」と書かれている。バンから出てきたのは、三人。レインコートを羽織った巨人、白いワンピースの水着の美女、そして車椅子の女性。
「わが愛するエミリー・エンゲルです」とレイモンドが紹介したのは、車椅子の女性。式が誓いのキスまで進んだとき、黒塗りのリムジンが現れ、レイモンドは花嫁を抱えて逃げ出した。
【感想は?】
出だしは無意味なドタバタ・ナンセンスに見える。冒頭の結婚式のシーンはバタバタと慌しくイカれたアクションが続き、「モンティ・パイソン風のハイテンションなギャグ作品か?」と思ったが。
やはり全般の印象を決めているのは、作中の童話作家ハリー・ゲインズボローの書いたおとぎ話「ゾッド・ワロップ」。これが、とても童話とは思えぬ化け物や悪者がたくさん出てくる恐ろしげな話。登場人?物の名前を挙げると「ぬえみずち」「凍り姫」「流血大公」「根絶やし侯」など。
自分はゾッド・ワロップの登場人物の一人だ、という妄想に囚われたレイモンド・ストーリーは、世界を救うため冒険の旅に出る…周囲の者を巻き込みながら。明らかに狂っているレイモンドだが、いかなる困難や障害にもめげず明るく前向きに突き進む姿は、まさしく勇者そのもの。彼の存在は、暗くよどみがちな物語で、一筋の輝く糸にも見える。
逆にどよ~んと暗いのが、童話作家ハリー・ゲインズボロー。酒に溺れアル中となり、一時期はハーウッド心療クリニックに入院する。今はキャビンに一人で自堕落に暮らし、たまに訪ねてくるのは版権代理人のヘレン・カーティスのみ。なぜ彼がこんなになっちゃったのか、というと。
「ぼくが書いているのはエイミー向きの本なんだ」
「ぼくが書くのは……これまで書いてきたのは、そればかりだった。エイミー向きの本」
やがて見えてくる、ハリーとエイミーの関係、そして彼が打ちひしがれている理由。やがてレイモンドの狂気はハリーをも巻き込み、現実を侵食しはじめ…
狂人たちが暴れまわるこの物語、テーマの一つは「圧倒的な悲しみにどう対応するか」だろう。とても太刀打ちできない悲しみに襲われた時、人はどうするか。自分にはどうしようもない、残酷な現実に直面し、手も足も出ない時、人には何ができるか。狂気に落ち込むのは、その対応の一つだ。
ハリーの取った手段も、似たようなものだ。現実から目を背け、逃げ出す。巨人ポール・アラン・テイトも、暴力衝動に身を任せ、傷つけ傷つけられることで嵐をやりすごそうとする。
ハリーの元妻ジーン・ハリファックスの場合は、もっと哀しい。圧倒的な力で迫ってくる現実、そして何もできない自分。それでも現実の中で生きていかなければならないとしたら。なんとか「自分は世界をコントロールできる」という幻想にすがりたい、自分は世界に支配力を持っている、そういう感覚を持ち続けたいとしたら。
何かを破壊する、誰かを傷つける、そんな行動は、「世界をコントロールしている」という幻想を維持するのに役に立つ。その結果は、大抵がロクなことにならない。けれど、やらずにはいられないのだ。自分は無力ではない、自分は少しでも支配権がある、そう思い込むために。世界をオカしくしてるのは、もしかしたら、この手の妄想なのかもしれない。
そうやって、ドツボに嵌ってしまった二人を、レイモンドが有り余る活力とリーダーシップで、嵐に巻き込んでいく。だが、レイモンドは「追われる者」だ。なんたって、精神病院の脱走患者なんだから。このチェイスが、これまた「世界の危機を救うパーティー」というレイモンドの妄想にピッタリとハマっちゃってるもんだから、たまらない。
童話が重要な仕掛けとなっているだけあって、お話はSFというよりファンタジー風味に進む。それも、不気味で恐ろしい雰囲気のファンタジーだ。絶望的な冒険の旅の果てに、何が待っているか。
かつて大きな哀しみに襲われ、そして愚かな対応をした経験のある人に捧げる、愛と冒険と勇気のファンタジー。
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