小川一水「天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち」ハヤカワ文庫JA
「それにしても、なんなんだろう。考えるとしたくなる、この……この胸の中の、厄介で手に負えなくて、ほかのこと全部を無視しようとする、とことん懲りない、これは。どうしておれは、おれたちは、こんなにほしいんだろう。なんとかならないのか?」
【どんな本?】
小川一水が長大な構想の基に全10部の予定で紡ぎだす、未来史シリーズ「天冥の標」の第四部。植民惑星の動乱を扱う「メニー・メニー・シープ」、近未来のパンデミックを描く「救世群」、そして航海一族アウレーリアにスポットをあてた「アウレーリア一統」に続き、第四部は「恋人たち」にスポットを当て、宿命が与える壮絶で抱腹絶倒の生き様を活写する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2011年5月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約515頁。9ポイント40字×17行×515頁=約350,200字、400字詰め原稿用紙で約876枚。長編小説としては長め。
文章はこなれていて読みやすい方。ただ、SFであり舞台の多くが小惑星帯の低重力環境なので、SFっぽいガジェットが苦手な人には辛いかも。長いシリーズ物ではあるが、(恐らくは意図的に)時代をシャッフルした順番で刊行しているので、どの巻から読み始めても構わないのも嬉しい。
【どんな話?】
2313年、セレス。港湾の荷役労働者たちは、好き者のベンに誘われ、給料日のお楽しみへと出かける。今日の目的はただの店じゃない。なんと、ベンが『ハニカム』を見つけた、というのだ。新入りのアルゲーロも期待に胸と股間を膨らませ、店が集まっているランタン・クォーターに向かう。
が、どうやらハズレで、『ハニカム』はカタリだったらしい。とはいっても、アルゲーロだって溜まっている。せっかく来たんだ、せめて一戦と割り切り臨戦態勢を整えた所に、とんだ邪魔者が現れる。乙女の仮面と老人の仮面の二人組みが荒っぽく乱入して来たのだ。
「わたくしたち市民は、次代の社会をになうべき同胞が、社会の一員として敬愛され、かつ、良い環境のなかで心身ともに健やかに成長することをねがうものです」
「わたくしたち市民は、家庭や船艇や勤労の場所その他の社会における正しい指導が、同胞の人格の形成に寄与するところきわめて大なることを、銘記しなければなりません」
「わたくしたち市民は、心身ともに健全な同胞を育成する責務を有することを深く自覚し、同胞もまた、社会の成員としての自覚と責任をもって生活を律するように努めなければなりません」
「麗しかれかし、潔かるべし」
【感想は?】
大真面目なスペース・ポルノ。
今回、スポットが当たるのは、「恋人たち」。彼らの主な仕事が娼婦・男娼である以上、どうしてもそーゆー場面は必要になるんだが、それを考慮に入れてもこの巻は頑張りすぎというか、きっと著者もそーゆー方向での面白さを目指し敢えてサービス場面をドカドカと投入したんだろうなあ。
しかも、単にエロティックにするだけではなく、SFならではの真面目な考察が冒頭から炸裂してるあたりが、この著者の一筋縄じゃいかないところ。なんたって、舞台は宇宙だ。重力はないか、あっても極めて小さい。それが便利な場合もあるけど、物理法則は作用反作用だ。下手に押せば互いに離れてしまう。となると、激しく繰り返し動くというのは、かなり難しくなる。それじゃどうするかというと…
ってのもあるし、無重力化で液体を飛び散らせると大変な事になる。昔も今も、商売でやってる所は、大抵が水を大量に使う。いや飛び散るのは水だけじゃないけど。というわけで、そーゆー職場や使う道具も、無重力環境に合わせて色々と工夫しなきゃいけない。
などと、いかにも科学的な問題点を拾い出し、それにいちいちもっともらしい解決策を示すのが、なんともおかしい。いやキチンと考えて納得できる解ではあるけど、今までこーゆー事を真剣に考察した小説って、案外と見当たらないし。大抵は軽い描写で済ますか、ポルノとしての面白さを追求し物理法則を無視するかの両極端で、真面目にポルノしてる作品なんて滅多にないわけで。
さて、今回の主役は「恋人たち」。彼・彼女らの存在意義、生きる目的が…うん、まあ、名前でだいたい想像つくよね。ところが、これ、突き詰めて考えていくと、実は意外と難しい。今回、お客になるのは、ムッツリスケベなキリアン君。若いだけあって、そりゃ元気だ。彼のお相手となるのがゲルトルッドとアウローラの姉妹。羨ましい。実に羨ましい…って、まあそれは置いといて。
単にスケベなだけなら、後は小手先の技術の問題で済む。衣装を変えたり、状況を変えたり…って、まんま、コスプレ風俗だけど、実際、そういう場面が次々と出てくる。これがまた、宇宙時代だけあって、実に凝ってる。それはそれで面白いのだが、問題はキリアン君がムッツリだって事。これが、「恋人たち」の仕事に一段と深みを与えてゆく。
主人公のキリアン君、人一倍スケベでありながら、同時に人一倍ムッツリでもある。若さゆえの羞恥も手伝って、なかなか素直になれない。それに対し、生まれながらの「恋人たち」であるアウローラは、実に屈託がない。両者の会話は、「恋人たち」の難しい立場を浮き彫りにする。と同時に、それは人間の心の屈折したややこしさの投影でもある。
などと難しい事を考えられるのは読み終えた今だからであって、読んでる最中は笑いっぱなし。重要な問題を真面目に語りあってるのだが、両者のズレはギャグ漫画そのものだから可笑しい。
明らかなコミック・テイストを更に盛り上げているのが、聖少女警察ことPV。特にエルンゼアナ・ボルテージ。衣装はどっかの魔法少女モノっぽいし、容姿は…えっと、私は「ゼロの使い魔」のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを連想した。言葉遣いはちと荒いけど、釘宮ヴォイスだと思って読むと、より可笑しい。ちなみに私的にゲルトルッドは同作品のキュルケなんだけど、ヒロインのアウローラがピンと来ないんだよなあ。性格的にはティファニアなんだけど、スタイルはむしろタバサだし。あ、でも声は能登声があってるかも←どうでもいい
時代は2313年に設定されている。先の「アウレーリア一統」に続く時代であり、懐かしい名前も次々と出てくる。これがシリーズ物の嬉しい所。前回に引き続き「救世群」も重要な役で出てくる、というか、このシリーズ、案外と救世群を中心とした物語なのかな、と思ったり。
少しづつ舞台の裏側が明かされるのは、この巻でも同じ。「アウレーリア一統」では裏方だった存在が、やはりここでも暗躍している。
性愛という難しいテーマを、真正面から捉え誠実に、けどサービスも忘れずに考察した物語。でもやっぱり笑っちゃうんだよなあ、どうしても。
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