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2013年1月22日 (火)

小川一水「天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河」ハヤカワ文庫JA

「まったく、仕事が多すぎる。この騒ぎが終わったころには、おれは何でも屋になってるかもしれんな。左官屋に生物学者に配管工に……」
「電気屋と溶接屋とコックもだね」

【どんな本?】

 小川一水が全10部の大構想で送る、長大なSF年代記シリーズ「天冥の標」も、やっと折り返し地点。第三部「アウレーリア一統」の2249年,第四部「機械仕掛けの子息たち」の2313年とほぼ繋がる2349年。小惑星帯を舞台に、大企業の進出に怯える零細自作農家タック・ヴァンディの奮闘と、今までのシリーズの陰で蠢いてきた「アレ」が明かされる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年11月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約417頁。9ポイント40字×17行×417頁=約283,560字、400字詰め原稿用紙で約709枚。長編小説としては長め。

 文章は読みやすい。特にこの巻は、ユーモラスでリズミカルな文章が心地いい。舞台が未来の小惑星帯なので、低重力環境の描写が醍醐味でもあり、メガが苦手な人には鬼門でもあり。長いシリーズ物ながら、各巻の話は独立しており、また刊行の順番も時代をシャッフルしているため、どの巻から読み始めても構わない構造になっているのも嬉しい。

【どんな話?】

 時は2349年、所は小惑星バラス。農家を営むタック・ヴァンディには悩みが多い。閉鎖環境維持装置セルス・マネージャー略してセルマネの調子は悪いし、収穫したほうれん草の質はイマイチ。空気循環器のフィルタの清掃・堆肥の処理・肥料の調整と、仕事は山ほどある上に、最近は大企業のミールストーム社が進出してきて、タックら零細農家の立場は危うくなる一方。おまけにひとり娘のザリーカは年頃で、不満を溜め込み爆発寸前だ。

 地球から遠く離れた宇宙のどこか、海の中でひょこっとノルルスカインは生まれた。群体で生活するサンゴ虫の中、ぼんやりと過ごしてきたノルルスカイン。だが、ある時、大変な事に気がついた。

自分はサンゴ虫ではない!

【感想は?】

 お仕事作家・小川一水の本領発揮。「こちら郵政省特配課」では配達を、「ここ掘れONE-ONE!」では地下採掘を扱った彼が、この巻で描くのは「農家」。「農業」ではなく、「農家」なのがミソ。

 冒頭から、(宇宙)農家の仕事がリアリティたっぷりに描かれる。場所は宇宙で時代は未来だけど、「農家」の立場は現代の先進国の農家をモデルにしてるんだろうなあ、と思う。「百姓」という言葉を蔑称として使う人もいるけど、あの言葉の由来は「百の姓に携わる者」という意味だ、と聞いたことがある(真偽は不明)。一応、Wikipedia の百姓へのリンクを張っておこう。

 どういう事かというと、それだけ沢山のモノゴトを管理・運営せにゃならん仕事という意味で、工場に例えるなら、やたらと工程が複雑で品質管理が難しい製品を、市場動向と己の懐や能力を見極めながら、何をどれぐらい作りどこに売るかを考えて決めて作って売る仕事、ってな感じ。

 つまりは各員が個人事業主として経営者であり営業であり経理であり現場の作業員でもある、体はもちろん頭も使えば駆け引きも重要な、独立性も高ければ同時にリスクも多い、案外とハイリスク・ハイリターンな職業として、この作品では描かれている。

 冒頭から収穫の重労働が描かれる。娘のザリーカの寝不足を見て「この時期、農家は夕食後すぐにでも床に就いてしまわなければならない」などとボヤくタックは、自分を「労働力」リソースのひとつとして見て、管理しているのがわかる。これは、完全に経営者の視点だ。

 続く場面では、収穫したほうれん草を集積場で売る際の等級交渉の場面、そして農家仲間との井戸端会議で、彼らが市場動向に大きな注意を払い、流通などのコストにも細かい配慮をしている様子が出てくる。やるべき事はもちろん、考えにゃならん事もやたら多く、気苦労が絶えない商売。だが、それでもタックが農家を続けるのは…

ここがタックの農場だからだ。

 と、独立心旺盛な、この舞台・この時代の農家の気概を見せてくれる。各農家の得手不得手、そして農作物の特徴と市場における位置。葉物は育成が早いがその分手もかかり、しかも鮮度が大事で目が離せない。穀物は安定しているが儲けもたかが知れていて…などと品目による違いの考察も面白い。何を作るにせよ市場動向は重要で、流通が発達しているこの時代、農家も国際情勢に敏感で…

 と、まあ、農業SFとしては、私が今まで読んだ中では最高に本格的。技術面だけでなく、「事業として成立しうるか」「事業者はどう行動するか」という面を細やかに、かつ深く考察しているのが、やたらワクワクする。ちなみに宇宙の土で植物が育つのか、という疑問は、「そのままじゃ無理だけど肥料を与えればおk」だとか。ネタ元は清水建設宇宙開発室編「月へ、ふたたび 月に仕事場をつくる」オーム社より。

 という「お仕事作家」の面白さに加え、今までの巻ではトリックスター的な役割を演じてきた、奴らの正体と目的が見えてくる。こっちは普通の人間じゃないのは皆さんわかってるだろうけど、SF者なら随喜の涙を流すこと請け合いの本格派。そのくせ、語り口は妙に飄々としてユーモラスなのがおかしい。

 今回は群像劇というより、タックを中心とした家族の物語が展開する。奴らのスケールが、タックの個人的な悩みの見事な対比となり、奴らの立場も鮮やかに浮き上がらせる構成も巧い。なんたって、細々とした農場経営の悩みと同時に、タックが抱えている大きな悩みが、最近は反抗的な娘のザリーカ。まあ、年頃の娘が農業なんぞに興味を持つわけもなく、何かと街へと出かけ…

 おまけに、妙な女をタックが拾っちまったから、さあ大変。

 シリーズも半ば近くになって、やっと役者が揃いつつある「天冥の標」シリーズ。この巻も、宇宙時代の農業をテーマに精密な考察の元、リアリティたっぷりに農家の生活を描きつつ、突き放した視点で人類の行く末も俯瞰している。シリーズとしても目が離せないし、独立した作品としても本格派の貫禄充分。いやあ、楽しかった。

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