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2013年1月の21件の記事

2013年1月31日 (木)

神林長平「敵は海賊・海賊の敵 RAJENDRA REPORT」ハヤカワ文庫JA

「…匋冥は必ず、やってくる。降臨、というわけだ。来ないなら、おびき寄せてやる。われわれ海賊課は、それを、叩く。敵は、海賊だ」

【どんな本?】

 雪風シリーズで有名なSF作家・神林長平の、もう一つの看板シリーズ「敵は海賊」の最新長編。未来の宇宙を舞台に、圧倒的な力で君臨する海賊・匋冥と、それを追う広域宇宙警察・対海賊課の刑事チームの三人?ラテル・アプロ・ラジェンドラの活躍を描くスペースオペラ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年1月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約299頁。9ポイント40字×17行×299頁=約203,320字、400字詰め原稿用紙で約509枚。長編小説としては標準的な長さ。ベテランに相応しく、文章の読みやすさは抜群。スペース・オペラだけあって、得体の知れないガジェットも沢山出てくるけど、あまし気にする必要はない。

 特筆すべきは、長いシリーズ物であるにも関わらず、この巻から読み始めても充分に物語世界に入り込める形になっている点。今までのお話が伏線になっている記述は多々あるが、わからなきゃわからないで、ちゃんと楽しめる。また、このシリーズはコミカルな場面が多いため、雪風シリーズよりとっつきやすい。

【どんな話?】

 民間からは「海賊と似たようなもの」と認識されている広域宇宙警察・対海賊課。その中でもコキ使われているのが、ラテル・アプロ・ラジェンドラの三人?のチーム。徹底して海賊を憎むラテル、見た目は黒猫の異星人で食欲魔人のアプロ、そしてフリゲート艦に搭載された人口知性体ラジェンドラ。

 いつものようにじゃれあうラテルとアプロにラジェンドラが容赦ない突込みを入れていたその日、現れた依頼人は若く美しいフィラールの女性シャフュラン・メートツ。一目惚れしたラテルは、覚えたてのフィラール語で、たったひとつだけマスターした言葉を呟く。

「シャフュラーナシェリフィリアラナ」

 海賊がたむろする街、火星のサベイジ。遠方からそこになんとかたどり着いた青年ポワナ・メートフは、ホテルの部屋で行列を作る蟻に悩まされ、殺蟻剤を買いに街に出た。早朝で大半の店は閉まっている。やっと見つけた店に入ると、店主は一人の客を相手にしている。

「骨抜き銃です。ま、旦那にとっては玩具でしょうが、面白がってもらえるかと」

【感想は?】

 待ってました!ロングピース印の看板シリーズ、待望の新作。そりゃもう、むさぼるように読んださ。

 今までもワープロの自動記述などメタフィクション的な仕掛けが多いこのシリーズ、今回はフリゲート艦搭載の人口知性体ラジェンドラによる報告書、という形だ。

 メタフィイクションなどと小難しい言葉を使ったけど、内容の親しみやすさは抜群。特に、ラテル・アプロ・ラジェンドラの会話は、まさしく漫才そのもので笑いっぱなし。ライトノベルとラベルをつけても充分に通用する読みやすさだし、物語世界にもすんなり入って行ける。

 今まではラテルとアプロのドツキ漫才への突っ込み訳として、一歩退いた位置にいたラジェンドラが、この巻では毒舌をいかんなく発揮して、漫才を更に盛り上げてくれるから嬉しい。特に、ラジェンドラの一人称という仕掛けのため、彼が考えている事が細かく記述され、ラジェンドラのナチュラルに嫌味な性格が否応なしに伝わってくるのが嬉しい。嫌味ったって、屈折して嫌味なんじゃなくて、天然で嫌味なんだよな、このマシン(?)。もう、冒頭から、彼のラテルに対する評価が酷いったらないw

 そして猫型異星人のアプロ。見た目は黒猫だが、圧倒的な戦闘能力に加え、実に困った能力も持っている。大食らいで、頭の中は食うことだけ。彼の世界は「うまいもの」と「うまくないもの」でできている。そのくせ女性職員の前では猫をかぶり可愛い子ぶっているので、女性にはウケがいい。

 そんなアプロに齧りつかれ、殴り返せば女性職員から「いじめっこ」と思われてしまう哀れなラテル君。口を開けば互いに嫌味ばかりの三人?なのに、海賊相手では優秀なチームだから不思議。

 にも関わらず、その強引な捜査がたたり、民間人はおろか他の警察からも「海賊よりも海賊らしい」「どのみち似たようなものだ」と評価されてしまう海賊課。そりゃそうだ、実際、武装もやたらと強力だし。

 彼らが追うのは海賊。海賊はみんな敵で、中でも最重要な標的が匋冥・ツザッキイ。正体不明で多数の表の顔を持ち、海賊を仕切っていると思われているが、その実態は…。彼のハードボイルドな人物像も、この物語の大きな魅力の一つ。人が徹底して束縛を嫌い、自由を求めたら、どこにたどり着くか。

 今までも黒猫アプロの対比として白猫を連れ、ラテルのレイガンの対比としてフリーザーを持つ匋冥、この巻では徹底したリアリストとして描かれ、その対比物となるのは宗教。

「おれは、自分を操ろうとしたり縛ろうとする者を、叩く。宗教は最も強力な、縛りだ。そこでおれの虚像が創られるのを放置しておくわけにはいかない」

 この宗教と匋冥の対決が、これまた大笑いの展開になる。いや役者はみんな大真面目なんだが、あまりにブッ飛んだ話が出てくるんで、もはや笑うしかない。案外と、現実も似たようなものかもしれない。

 ロングピース印に欠かせないのが、意味不明な禅問答。ここでも活躍するのが匋冥。彼と家出青年ポワナのやりとりは、相変わらず意味深っぽくて、けど実はラテル・チームの漫才と同次元なんじゃないか、などと悩み始めるとキリがない。たかが蟻の駆除で、なんでそこまで深く考えねばならんのだw

 小難しい屁理屈が多いと思われがちな神林長平だが、このシリーズは読者サービス満点の娯楽作。ギャグあり、アクションあり、因縁の対決あり、得体の知れないガジェットもわさわさ、そして神林特製の屁理屈もあり。親しみやすく面白く独自カラーもある、神林長平入門用としては最適な一冊。

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2013年1月30日 (水)

ポール・ポースト「戦争の経済学」バジリコ株式会社 山形浩生訳

「戦争は兵器の問題というよりは支出の問題なのであり、その支出を通じてこそ兵器は使い物になるのだ」
  ――古代ギリシャの戦史家ツキジウス
「お金こそが戦争の筋肉である」  ――ローマの歴史家タキトゥス
「最後の1ギニーが常に勝利を収める」  ――ルイ14世

「どうしてわれわれ(アメリカ)が中国と戦争なんかしたがるんですか?そんなことをしたらウォールマートが全部閉店しちゃうじゃないですか」

「アメリカ経済のためにも、ここらでがつんと戦争を!」

【どんな本?】

 戦争すれば景気がよくなる?戦争は儲かる?軍産複合体が戦争を望んでいる?徴兵制と志願兵制、どっちがいい?傭兵は信用できない?平和維持活動は何が嬉しいの?マクドナルドが進出した国どうしは戦争しない?911でアメリカ経済は打撃を受けた?民族・宗教対立が内戦を招く?

 経済学者である著者が、戦争を公共事業に見立て、世間でよく言われる「戦争の効果」などを検証しながら、その利害・発生しやすい状態・防衛産業の実態を解説し、経済学の視点や手法を初心者向けに紹介する、ちょっと変わった経済学の啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE ECONOMICS OF WAR by PAUL POAST, 2006。日本語版は2007年11月11日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約381頁に加え、訳者による付録「事業・プロジェクトとしての戦争」18頁を収録。9ポイント43字×18行×381頁=約294,894字、400字詰め原稿用紙で約738枚、長めの長編小説との分量…だが、表やグラフを多数掲載しているので、実際の文字数は6~7割程度。

 翻訳物にしては、日本語は読みやすい。真面目な経済学の本であり、数式もたまに出てくるが、加減乗除ぐらいなのであまり気にする事はない。だた、例えば数式で「国の所得」を変数Yで表現し、以後はYで説明を続けるのは、ちと不親切な気がする。素直に「国の所得」と表現すればいいのに。経済学者って、そういう表現が好きなんだろうなあ。

 とまれ、各章の末尾には要約とキーワードと復習問題をつけるなど、「わかりやすさ」には配慮している模様。

【構成は?】

 謝辞/序文
第1部 戦争の経済効果
 第1章 戦争経済の理論
 第2章 実際の戦争経済:アメリカの戦争 ケーススタディ
第2部 軍隊の経済学
 第3章 防衛支出と経済
 第4章 軍の労働
 第5章 兵器の調達
第3部 安全保障の経済面
 第6章 発展途上国の内戦
 第7章 テロリズム
 第8章 大量破壊兵器の拡散
  付録 事業・プロジェクトとしての戦争
  訳者解説/参考文献/索引

 付録の「事業・プロジェクトとしての戦争」は、日清戦争と自衛隊のイラク派兵を例に、戦争を投資と見立てて訳者が利害を検討している。

【感想は?】

 損得勘定で戦争を論じているわけで、不謹慎な本ではある。途中では戦死者の命を金額に換算しているし。だが、それだけに、冷静かつ冷徹に戦争の実態を語った本でもある。「戦争は絶対悪だ」と考える人や、「愛国心こそ最も崇高」と考える人には虫唾が走る内容だが、「防衛予算はどの程度が妥当か」と計算する類の人なら、じっくり読む価値がある。

 計算の元データとしては、主にアメリカの20世紀のデータを使っている。幸か不幸か20世紀後半のアメリカは世界中でドンパチやってたのでデータが豊富な上に、徴兵制から志願兵制への移行・兵器体系の現代化といった変化に加え、総力戦の二次大戦/冷戦/イラクやアフガニスタンなどへの派兵と、様々な戦争の形態を経験しているので、バラエティも豊富だ。おまけに兵器体系や経済・産業構造が日本と近いので、参考とするには最高のサンプルだろう。敢えて言えば国境紛争がないぐらい。

 などと戦争への「もう一つの視点」を与えてくれる上に、なんと言っても経済学の入門書である。ちょっとその辺が通じにくいけど。例えば、いきなりマクロ経済の式が出てきたりする。

Y=C+I+G+(X=M)

 なんか難しそうだが、私が勝手に書き換えよう。

国の所得=消費+民間投資+政府支出+(輸出-輸入)

 「戦争で景気がよくなる」という説は、この式の政府支出が増えて国の所得が多くなる上に、若者が徴兵され失業率が下がるからだ…戦場が自国でなければ。ところが、人には兵隊に向く人もいれば、プログラマに向く人もいる。Larry Wall(プログラム言語 perl の作者)にバクダッドのパトロールをさせるのは国の損失だろう。薬莢工場がフル稼働してもアメリカには何の財も残らないが、ハイウェイを整備すれば多くの企業と消費者が恩恵を受ける。おまけに戦争が終われば薬莢工場は従業員を解雇し、失業者が増える。

 てんで、「戦争は景気を良くする効果もあるけど、副作用もあるよ」ってのが、第二次世界大戦までの検証。これが朝鮮やベトナム以降は話が違ってくる。兵員数が少ないので失業者は減らない上に、ダラダラと続くので支出も無駄に多くなる。やるならサッサと決めろ、と、まあ、当たり前の話。

 国としての強さを決める要素の一つが、「1人あたりのGDP」というのも、言われてみれば当然だけど、ちょっと目から鱗。第二次世界大戦でイギリスが健闘したのも、冷戦でソ連が倒れたのも、これが原因。合衆国市民は「更に1$」の増税に堪えられたけど、ソ連国民は耐えられなかった、だから崩壊した、ということ。別の見方をすれば、「平時には国民の所得を増やせ、それが国を強くする」とも言えるわけ。贅沢は素敵だ。

 さて、国はどうやって戦費を調達するか。色々あるけど、その一つは国債。これを巡る議論が、多額の国債を抱えた今の日本と重ね合わせると、少しホット。国債を大量に発行すると、どうなるか。民間の貸付金利が上がるのだ。国債を買う人は、国債がなければ、そのお金をどうするか。他の人に貸すか、銀行に預ける。貸したい人が増えれば、金利は下がる、そういう理屈。

 じゃ、多額の国債を発行しながらも銀行の預金金利が上がらない日本の現状は、どう理解すべきなんだろうか。しかも、日本の国債の金利、すげえ低いし。

 やはり近年の話題としてホットなのが、アラブの春に代表される内戦。怖いのが、これが続く期間。「通常の内戦は、平均すると7年続く。1980年代以前には、内戦の平均期間は4年だった。今日では、内戦の平均期間は8年だ」。シリア、どうなるんだろ。幾つかの点で、シリア内戦はこの本の内容を裏切っているが、ナイジェリアの政情不安定には当てはまる。

  • 1人あたりGDPが250ドルの国は、今後5年間で戦争が起きる確率が15%だ。(略)600ドルになると、その確率は半減する。
  • 紛争リスクとして最も強力なものは、その国のGDPの相当部分が原材料(鉱物、宝石、石油などの天然資源)の輸出からきているという条件だ。
  • 水平格差―民族、政治、宗教集団間にある格差―は紛争の危険性を増す。

 地下資源に頼る国が危ない理由の一つは、政府がマトモな政治をする意欲を持ちにくいこと。鉱山さえ押さえておけば権力を維持できるなら、学校を作るより軍に鉱山を警備させた方がいい。逆に叛乱側から見れば、鉱山さえ奪えば権力をダ奪える。シエラレオネが、モロにこれ。

 面白いのが、極端に民族や宗教が多様化してると、かえって内戦が起きにくい、という指摘。一つの民族が立ち上がっただけじゃ、国軍に各個撃破されてしまう。中国とチベットがコレだね。

 他にもテロの項では原子力・化学・生物兵器の費用対効果を計算してたり、イスラム独特の送金システムのハワラを紹介してたり、アルカイダの意外な資金源を暴いていたり、世界最大の闇兵器市場がタイだったり、意外な事実やエピソードが満載。低強度紛争に興味があるなら、ぜひ読んでおきたい一冊。

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2013年1月28日 (月)

SFマガジン2013年3月号

「いいですか?SFとは初音ミクであり!まどか☆マギカであり!ももいろクローバーZなンですよッ!」
  ――ゆずはらとしゆきインタビュウより某営業氏のお言葉

 280頁の標準サイズ。今回の特集は「2012年度英米SF受賞作特集」として、ヒューゴー賞/ネビュラ賞/ローカス賞/ブラム・ストーカー賞/世界幻想文学大賞/フィリップ・K・ディック賞/ジョン・W・キャンベル記念賞/シオドア・スタージョン記念賞/ジョン・W・キャンベル新人賞/アシモフ誌読者賞/アナログ誌読者賞/英国SF協会賞/アーサー・C・クラーク賞/英国幻想文学賞の発表に加え、SFマガジン読者賞海外部門・国内部門を発表。

 特集の小説はポール・J・マコーリイの「選択」,ケン・リュウの「紙の動物園」,ジョン・G・ヘムリイ(ジャック・キャンベル)「ベティ・ノックスとディクショナリ・ジョーンズ、過ぎ去りしティーンエイジに立ち返っての奇譚」、キジ・ジョンスン「霧に橋を架けた男」。加え国内作家の小説が二編、樺山三英「無政府主義者の帰還」第二回と夢枕獏「小角の城」。

 ポール・J・マコーリイの「選択」はシオドア・スタージョン記念賞受賞作。舞台は異星人との交流が始まり、海面が上昇して多くの陸地が水没した未来の地球。「ドラゴンがマーサムの近くで浜に乗りあげたんだ」。16歳の少年ルーカスが早朝の畑仕事で一息ついたとき、友達のダミアンが誘いに来た。ルーカスが作ったヨットに乗って、ドラゴンを見に行こう、と。
 舞台は未来で異星人の変なテクノロジーは出て来るんだが、読了後はむしろルーカスとかあちゃんジュリア・ダミアンととーちゃんジェイスンの関係の対比が心に残る。環境保護というかララダイトっぽい運動に熱心で実際的な事には無関心な元哲学教授の引きこもりなジュリア、支配的で暴力的なジェイスン…って、単にダメなオトナじゃねーかw

 ケン・リュウ「紙の動物園」はヒューゴー賞ショートストーリー部門/ネビュラ賞ショート・ストーリー部門受賞作。父さんはカタログで母さんを選んだ。カタログには「香港出身で英語が堪能」とあったが、事実じゃなかった。ぼくが幼い頃、母さんは折紙で虎を折ってくれた。母さんが折って息を吹き込んだ虎は、命を得て動き回った。
 しんみりするファンタジイ。似たような事例は今の日本にもあるわけで、ヒトゴトではない…などと難しく考えてもいいけど、とりあえず素直に感動しておこう。

 ジョン・G・ヘムリイことジャック・キャンベル「ベティ・ノックスとディクショナリ・ジョーンズ、過ぎ去りしティーンエイジに立ち返っての奇譚」はアナログ誌読者賞ノヴェレット部門受賞作。過去への時間旅行は実現されたが、大きな制限があった。できるのは過去の本人に意識を飛ばすことだけ。2039年、危機を回避するために高齢者から選ばれ1965年に飛び、15歳になったベティ・ノックス。彼女に話しかけたディクショナリ・ジョーンズは彼女を追いかけ飛んできた。「第一陣の痕跡が消えちゃったんでね」
 器用だなあ、この人。売れる作品の書き方を心得てる。「体は子供、心は老人」って、名探偵コナ…いえ忘れてください。とはいえ、いかにもライトノベルっぽいシチュエーションは効果抜群。時は激動の60年代、アメリカが激変する直前。中身は年寄りだが体は高校生、ヴィジュアルだけならモロにボーイ・ミーツ・ガールそのもの。ヒキも連続TVドラマっぽい形だし、評判によってはシリーズ化できる構成になってる。人気が出るのもわかるなあ。

 キジ・ジョンスン「霧に橋を架けた男」はヒューゴー賞ノヴェラ部門/ネビュラ賞ノヴェラ部門/アシモフ誌読者賞ノヴェラ部門受賞作、今回は前後編の前編。建築家のキット・マイネンは、霧の川に橋を架けるため、帝国の都アトヤールから左岸町に来た。帝国は霧で分断されている。右岸町へ渡る船を捜すキットは、渡し舟を操るラサリ・フェリーを訪ねるが、数日待てと言われる。
 「へ?霧の川?なにそれ?」と思ったら、つかみはオーケー。見た目は霧だけど、中身はだいぶ違う。川幅は1/4マイルだから、約400メートル。舞台のテクノロジーは産業革命以前っぽくて、このレベルの技術じゃかなりの難事業になりそう。霧の性質もアレで、これまた架橋を難しくしてる。お話の展開、今のところは田舎の町で大型プロジェクトをどう進めるか、みたいな話になってる。橋を架けるキットと、橋によって職を失いかねないラサリの交流を中心にしずしずと話は進む。

 特集もあって SF SCANNER は特別版として4編紹介。
 ファージングで話題をさらったジョー・ウォルトン「見知らぬ者たちのなかで」を紹介するのは中野善夫。SFファンの若き頃の日常が楽しいファンタジイ。「ディレイニーやゼラズニイ、ル・グインが梳きなのに、ハインラインも好きってどういうことだ?」にはこう答えよう。「辛口のカレーも好きだし甘いケーキも好きなんじゃい、文句あるか」と。
 小川隆が紹介するのはラヴィ・ティドハー「オサマ」。イスラエルの作家による歴史改変もので、ネタは当然彼だろう。なんか最近、日本でも仁木稔や宮内悠介が活発だし、最近の流行なのかしらん。まあ昔はソ連を悪役にしとけば済んだけど、今はアレだから、そういうのもあるのかしらん。

 東茅子の MAGAZINE REVIEW はアナログ誌2012.7/8~2012.11。なんとラリイ・ニーヴンのショート・ショート「ピンクのシャツを着た男」が出てる。<アスタウンディング>誌の編集長ジョン・W・キャンベルは政府から圧力を受ける。「原子力関係の記事を載せるな」。そこに現れたピンクのシャツの男は、キャンベルにアドバイスを…。キャンベルが原爆関係で政府にケチつけられたのは事実らしいし(→アーサー・C・クラーク「楽園の日々」)、ピンクのシャツの男にもモデルがいるんだろうなあ。是非読みたい。お願いします編集長。

 巽孝之「真夏の夢のミッドウェスト」は世界SF大会チャイコン7レポート。「宇宙飛行士主賓」なんてのがあるあたりは、さすがアメリカ。ちなみに招待されたのはストーリー・マスグレイヴ。

 鳴庭真人「英米SF注目作カレンダー2011」は2011年の注目作を総ざらい。気になるのはグレッグ・イーガン「時計じかけのロケット」は三部作のの開幕編。チャールズ・ストロスも新作「ルール34」を出してる。なんと警察小説。ヴァーナー・ヴィンジの「空の子供たち」は「遠き神々の炎」の続編。銀河の端っこほど人も機械もおバカになる、みたいな設定だっけ?NetNews を小道具に使ってたような。

 池澤春菜「SFのSは、ステキのS」、今回は整理と清掃の話。本に限らず溜まっていくモノを整理するコツはですねえ、「捨てるモノ」を選ぶのではなく、「残すもの」を選ぶことです。原則、全部捨てるって発想。でもって、三日後には後悔するんだな、「アレ取っとけばよかった」と。あと、季節モノの衣装は質屋に出すって手も。季節になったら受け出せばいい。そう簡単には流れないし、質屋の倉はしっかりしてます。やった事ないけど←無責任な

 SF BOOK SCOPE、森山和道の NONFICTION 「知の逆転」はインタビュー集。ジャレド・ダイアモンド/ノーム・チョムスキー/オリバー・サックス/マービン・ミンスキー/トム・レイトン/ジェームズ・ワトソンというそうそうたる顔ぶれ。ミンスキーの「SFしか読まない」って、偏ってるなあ。いや人の事はいえないけど。

 長山靖生「SFのある文学誌」、今回は「世界をいかに旅するか 明治のヴェルヌ・ブーム」として、ジュール・ヴェルヌと、彼が日本に紹介された経緯の話。ウェルズは「時の旅人」が出てるけど、ヴェルヌは見つからないんだよなあ。私はヴェルヌの方が好きです。バック・トゥ・ザ・フューチャー第三部の結末は最高に気持ちよかった。「80日間世界一周」、前編は明治11年6月に川島忠之助が訳し自費出版し、評判が良かったので後編は慶応義塾出版社から出たとか。ヴェルヌの受け取られ方から、明治の考え方を探る論評が鋭い。ヴェルヌについても、単なる空想物と思われがちだが、実はしっかりと考証していたとか、「80日間世界一周」の好評で連載中にタイアップの打診があったけど断ったとか、ヴェルヌのファンは必読。また、挿絵を担当した山下りんの略伝も意外性に富んで面白い。

 「咎人の星」刊行記念の「ゆずはらとしゆきインタビュウ」。自らを「ライトノベル作家」といい、二言目には「○○なひとは、ぼくの小説は読まない方が良い」って、やたらダウナーなテンションが、ある意味斬新。ここまで商売っ気のない相手だと、インタビュウ、やりにくかったろうなあw

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2013年1月26日 (土)

「半分以上のブログはアクセス数30以下,50以上は2割,100以上は1割」を検証

 世の中のブログは、どの程度のアクセスを貰っているのか、という話。よく、「アクセス数50以上のブログは全体の2割、100以上だと1割程度」と言われる。それがどの程度信用できるのか、このブログのアクセス履歴を元に検証してみた。

結論から言うと、こうなる。

 だいたいあってる、いい加減な検証だけど。

具体的には、こんな感じ。計算だと、中央値(平均ではない、→Wikipedia)はアクセス数25~26ぐらい(補足参照)。

2013.12.06 補足
アクセス数2~50のブログの分布を検証したが、この数値は間違っている模様。中央値は2~10の間らしい。詳細は別記事「半数以上のブログはアクセス数3以下?」を参照。

アクセス数   割合
  20以上   6~7割(補足参照)
  30以上   4割
(補足参照)
  40以上   3割
(補足参照)
  50以上   2割
 100以上   1割
 200以上   5%
1,000以上   1%未満

 つまりはアクセス数100以上のブログは1割程度で、アクセス数が倍になると該当するブログは半分になる、そういう関係です。

検証の手順

では、どうやって検証したかを述べよう。正直、我ながら突っ込みどころ満載な検証だが。 大まかな手順は、以下。G01_2

  1. このブログのアクセス数とココログ内の順位から、アクセス数と順位の関係式を導き出す。
  2. 上の式にいろんななアクセス数を当てはめて、順位を予想する。
  3. ココログの推定ユーザ数から、順位をブログ全体の割合に換算する。

 では詳細を説明しよう。まず、使ったデータ。
 ココログは、日ごとに自分のブログがアクセス数順でココログ内の何位か教えてくれる。最近2週間ほどのアクセス数と順位を記録した。また、今まで比較的アクセス数の多かった日の順位も記録があるので、それを追加した。いや順位が上がり嬉しかったんで、つい記録しちゃったのよ。ってんで、データ件数は23件。これで散布図を作る。

 右のグラフがそれで、x軸がアクセス数、Y軸が順位。予想通り、「アクセス数が増えれば順位が上がる」という結果だ。当たり前だね。

 ちなみにY軸、順位として読むと変な感じがするけど、「自分よりアクセスが多いブログが幾つあるか」と解釈して欲しい。

 決定係数R2が0.952とある。これは、「アクセス数と順位に関係がある可能性が高い」程度の意味。値の範囲は0~1で、0なら無関係、1に近いほど関係が深い。分野にもよるが、0.7以上なら「関係がある」と見なす模様。

 で、その関係を示す式が、f(x)。xがアクセス数で、結果が順位。以下の式のxにアクセス数を代入すると、ココログでの順位の予想ができる…はず。

2106231.596/(x1.151)

 上記の式の x に様々な値を代入して、得た結果が最初の表だ。実際の計算結果は10進数で精度5桁ぐらいの数値が出たんだが、計算の元データの精度が悲惨なものなので、敢えて先頭一桁だけを示した。実際、信用できる数字は先頭の1桁ぐらいだろう。なお、ココログの総ブログ数は10万として計算した。

 ついでに。アクセス数が50以上なら、上位何%ぐらいかを概算する、もっと簡単な式がある;50未満なら、冒頭の表を参照すればいい。

10÷アクセス数

 例えばアクセス数50なら 10÷50=0.2=20%、アクセス数100なら 10÷100=0.1=10%だ。

ホンマかいな?

 と言っても、突っ込み所満載の分析である。人に突っ込まれると悔しいので、自分で突っ込んでおく。まず、二つ。

  • サンプル数23個って、少なすぎじゃね?
  • サンプルのデータの幅が狭すぎじゃね?X軸のデータなんて3桁前半ばっかしじゃん。

 これについては全くその通りで、反論のしようがない。データを自給自足している限り、サンプル数は増えてもデータ範囲は広くなりそうもない。

 そして、もっとも怖い突っ込みが、これ。

  • ココログの総ブログ数10万って、どこから出てきた数字?

 ソースは2つ。

  • 昔、ブログファンというサイトがあって、そこに各ブログサービスごとの毎日/毎週/毎月の更新ブログ数の数字があった。で、自分の記憶によると、日ごとに6万ちょい、週ごとに8万~10万だった…ような、気がする。
  • ココログサポートブログ総数わかる人いますか?に「ビリの順位はだいたい11万〜12万位」とある。日付は2010年5月24日。

 最初は怪しさプンプンだし、次のもいささか情報が古い。まあ、計算の元の数字も精度はアレなんで、計算しやすい10万ちょうどにした、ってのが実態。かといって、これを真面目に考えていくと、様々なケースが出てきて、かなり難しい。例えば、以下のケースは、「総数」に含めるべきだろうか?

  1. トラックバック・スパムが目的の、スパム業者のブログ
  2. 他人に見てもらおうとは思っていない、備忘録的なブログ
  3. サークルなど仲間内の掲示板代わりに使っているブログ
  4. オーナーに見捨てられた野良ブログ
    1. でも便利情報が載っているので、今でもアクセスが絶えないブログ
    2. 誰もアクセスしなくなったブログ

 …など、キリがない。ブログファンが閉鎖してしまったのが、つくづく残念だ。

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2013年1月25日 (金)

ハインリヒ・ヒラー「セブン・イヤーズ・イン・チベット」角川文庫ソフィア 福田宏年訳

 真夜中過ぎだったろうか、突然まったく思いもよらぬ道連れに出会った。一頭の熊が道の真ん中で後脚で立って、私に向かって唸っているのである。そこはガンジス川の水音が高いので、熊も私もたがいの足音に気づかなかったのである。

【どんな本?】

 スキーヤーであり登山家でもあるオーストリア人の著者は、1939年にドイツのヒマラヤ登山隊(ナンガ・パルバット遠征隊)に同行するが、帰国の途中に第二次世界大戦が勃発、インドでイギリス軍に捕らえられ収容所に抑留される。収容所を脱走した著者は同盟国である日本軍との合流を目指し、ヒマラヤを越えチベット横断を図る。

 当事のチベットは独立国であり、また鎖国政策により外国人の入国を認めなかった。著者は巡礼を装い、禁断の都ラサへと向かう。

 ヒマラヤの麓、海抜5000mを越える高地に広がる極地の気候と美しい風景、そこに住む人々の逞しく知恵に満ちた暮らし、極寒の高地で展開する小説さながらの冒険の数々、知られざる国チベットの人と社会と文化、そして神秘のヴェールに包まれた聖都ラサの姿。

 若きダライ・ラマの個人教授を務めた著者による、冒険に満ちた山岳紀行文であると共に、知られざる国チベットを知性と愛情に満ちた目で観察した、貴重な文化資料。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SIEBEN JAHRE IN TIBET, by Heinrich Harrer, 1953。日本には1955年新潮社から「チベットの七年」として抄訳が刊行、1981年に福田宏年訳で白水社から「チベットの七年」刊行。私が読んだのは1997年11月25日初版発行の角川文庫版で、白水社版を元に著者と編集部が校正・再編集したもの。

 文庫本縦一段組みで本文約456頁+「50年後のあとがき」6頁+訳者あとがき3頁。8ポイント42字×19行×456頁=約363,888字、400字詰め原稿用紙で約910枚。長編小説なら2冊分ぐらい。

 1955年の作品とは思えぬほど文章は垢抜けていて読みやすい。ただし、内容の面白さにつられて採点が甘くなっている可能性は認める。

【構成は?】

 (ヘラルド映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」名場面集)8頁
 (著者によるモノクロ写真)8頁
 まえがき
抑留されて/脱走計画/国境を越えチベットへ/至福の村/劇的な出発/最悪の旅程/禁断の都へ/魔術師の知恵/滞在許可/ラサに暮らすⅠ/ラサに暮らすⅡ/クーデター未遂/政府からの委託/幸福が終わる予感/ダライラマの個人教師/侵攻されるチベット/チベットを去る/50年後のあとがき
 訳者あとがき/追記

 基本的に時系列順。なお、冒頭にダライ・ラマ猊下によるメッセージ一頁を収録。

【感想は?】

 雪と瓦礫に埋もれた神々の座を越え、時には役人に追われ時には盗賊に合い、貧しいながらも親切な村人や遊牧民に暖かく歓待され、たどり着いたのは黄金の都。古の文化を守る穏やかで信仰の篤い人々に囲まれ過ごす至福の日々、だがそこには黄昏が迫っていた…

 と書くと、まるでお子様向けの御伽噺のようだが、本当にそういう内容なんだから困る。

 この本、大きく分けて二つの部分からなっている。前半は収容所の脱走からヒマラヤを越えて聖都ラサに辿りつくまでの冒険物語、後半はラサに留まりダライ・ラマを初めとする都の人々との交流を綴った異文化観察記。しかも、どっちも興奮と驚きに満ちた傑作に仕上がっている。

 冒頭の収容所脱出からインド・チベット国境を越えるまでからして、水牛の小便は飲むは熊に出くわすわの大活劇。しかもイギリス軍に追われ人目をはばかりながらの脱出行が、海抜5000メートルの高地で繰り広げられる。冬の寒さは厳しいが、夏の日差しは強い。地図を見れば判るが、緯度はエジプトのカイロとほぼ同じ。冬は寒く、夏は厳しい、とんでもない所だ。

 空気は乾燥し、下手をするとマッチが暴発する。零下30度以下で風が吹きすさぶ山地を行く冒険の道行き、欧州製の軽いテントは風に飛ばされがち。「重いヤクの毛皮のテントが欲しいなあ」などとボヤき、谷では蛭に襲われながらも、キャラバンの後を辿り東へと進む。

 そんな所にも人は住み、ヒマラヤを越えて交易している。「チベット人は例外なく、金持ちも貧乏人も、生まれついての商人」で、「貴族や商人たちが、母国語のほかに蒙古語、中国語、ネパール語、ヒンディ語を話すのは、珍しいことではない」。

 インドとの国境に近い西チベットでは遊牧民が多いらしく、テント生活が中心。著者はここでチベット語を学びつつ、彼らの生活に入ってゆく。鎖国政策を取るチベット国の方針で「外国人と接触してはならん」とお触れが出ていて、著者らを見ては逃げ出す者も多いが、元来人懐っこい人々なのか、遊牧民などは気持ちよく迎え入れたりする。

 ネズミ・南京虫・蚤と戦いながらツァンパ(→Wikipedia)とバター茶に慣れてゆく著者たち。いずれも本書内にレシピが載ってます。農民はこれが主食だが、遊牧民は「冬はほとんど肉料理ばかり」「健康な本能によって、冬の寒気に耐えるのに必要な栄養を摂取するすべを心得ている」。意外な事に、主な輸出品目は塩。塩湖があるのだ。

 ハッタリかまして役人に取り入り滞在許可を貰った村では親しく村人と付き合いつつ、「スキーしたいなあ、ピクニックに行きたいなあ、あそこに見えるはエベレストじゃないか」などと同行のアウフシュタイナーと話し合う。、あれだけ山で苦労したのに、どんだけ山が好きなんだこの人。

 怖いのは山ばかりではない。なにせ人気がまばらなこの地域、山賊カムパだって出る。間違ってカムパのアジトに彷徨いこんだ著者たち、はたして…

 などという生死の境をさまよい続ける前半の冒険物語も面白いが、やっとたどり着いた幻の都ラサを描く後半も負けず劣らずの面白さ。ここで光るのが、著者の絶妙な距離感。元々が信仰篤いチベットの人々で、しかも場所が聖都。郷に入れば郷に従えで、友として多くの人と親しく交わり、彼らの信仰には敬意を払いながらも、迷信は迷信として冷静に記述している。

 ここで描かれるチベットの社会もまた、貴重な文化資料。僧侶が君臨する絶対的な宗教国家であり、貴族が土地を支配する封建制国家でもある。医療は呪術であり、車輪すらない。だが交易は盛んな様子で、ネパールやインドとは関係が深い模様。先代のダライ・ラマは先進の気鋭に富み、ジープも輸入した。

 終盤では猊下との交流が暖かい筆致で描かれる。若いながらも気品はあり、また知識欲にも富む。活仏として厳しい規範を誠実に守りつつも、実は機械いじりが大好き。家庭教師の著者には間断なく質問を浴びせ、世界の情勢を知りたがる。

 殺生を好まぬチベット人は、茶の中に飛び込んだ虫すら救おうとする。遊びだってある。麻雀が輸入された時は夢中になりすぎて禁止令が出た。スポーツ大会のようなものもあり、重量挙げや騎馬競技のほかに、相撲に似た競技もある。面白いのが僧侶の性生活。

厳しい禁欲生活を送り、婦人との接触は一切遠ざけていたからである。しかし同性愛はよく見受けられる減少で、むしろ、その人の生活が女性と関わりのないことの何よりの証拠として、歓迎すべきことと見られていた。

 いやはや、お国柄って、それぞれだなあ。
 暖かい歓待に対し、多少なりとも国の発展に貢献することで応えようとする著者とアウフシュタイナー。だが知の源泉を握り絶対的な権力を誇る僧侶たちとの調整は難しい。

 とかやってるうちに、中原では人民解放軍が支配権を確立し、チベットへと軍靴を進めてくる。鎖国政策を取ってきたため他国との交流もなく、孤立無縁なチベットは窮地に立たされ…

 と、最後の場面では、ファンタジーの世界に容赦なく現実が踏み込んでくる、そんな印象で終わった。生臭い国際政治という視点で読んでもよいが、極地での冒険物語として、またそこの住む人々の見聞記としても逸品。暖かい目で人々を見守りつつ、冷静な観察眼でレシピや生活リズム、そして文化や社会制度を細かく記録した、楽しくて貴重な紀行文。

 ちなみに、同じ頃、日本人もチベットに潜伏していたりする。西川十三「秘境西域八年の潜行」がソレで、こっちはやや胡散臭い人物が僧侶に化け、ちょうどハラーと逆方向からチベットに潜入する話。こちらは貧乏ラマ層としての生活感溢れる描写が生々しく、また著者のふてぶてしい逞しさが楽しい作品だった。今は抄しか出ていないのが残念。

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2013年1月23日 (水)

もしレイ・ブラッドベリがブロガーだったら

ネタ元はサム・ウェラー著「ブラッドベリ年代記」河出書房新社濃い緑色の字の部分は、ネタ元からの引用。

12歳の時にブログを始める。以来、毎週欠かさず最低ひとつの記事をアップし続ける。

ブラッドベリが創作を始めたのは12歳の頃。それ以降、毎週必ず一編以上の短編を完成させ続ける。

ブログを始めて三年目には、ラジオの葉書職人として盛んに投稿する。授業中に勝手に番組の台本を書き、DJに手渡す。4年目にやっと投稿した葉書が読まれる。

タイピングの授業中、レイはバーンズ・アンド・アレン向けの空想的な台本を書きはじめた。そして毎週水曜の午後、フィゲロア劇場までローラースケートですべっていき、ジョージ・バーンズに手渡すのだった。(略)バーンズ・アンド・アレンがレイのジョークのひとつを採用してくれた。(略)1936年2月26日に放送された

4年目には何人かの有名ブロガーの芸を盛んに真似る。

コナン・ドイルの《シャーロック・ホームズ》、P・G・ウッドハウスの《ジーヴス》、エドガー・アラン・ポオの諸作をコピーするのに時間を費やした。

6年目になると、有名なブロガーの執筆方法に学び始める。

トマス・ウルフの作品に学び、ドーシア・ブランデの「作家になる」で磨きをかける。

「十八、十九、二十歳ごろの人間、つまり、なにも知らないのに知っていると思っている人間にとって、ウルフは完璧だ」

ブロガーのオフ会には積極的に顔を出し、はしゃいで楽しむ。うち何人かには、記事の書き方について厳しいが的確な指導を受ける。

SFファン・グループのロサンゼルスSF協会に入り、ファン雑誌にも寄稿する。ヘンリー・カットナーやC・L・ムーアに作品を見せ、批評してもらう。

「もし若い作家にアドヴァイスをあたえるとしたら、こういうだろう。その一、来る日も来る日も書くこと。その二、外へ出て、おなじような境遇の人々をさがすこと――いうなれば、特別あつらえの教会を見つけるわけだ」

9年目、やっと記事がオタク系ニュースサイトで紹介される。

彼の短編「振子」が載った<スーパー・サイエンス・ストーリーズ>の当該号は、1941年8月22日にロサンゼルスのニューススタンドにならんだ

10年目、自分でも傑作と感じられる記事ができる。執筆にかかった時間は二時間。

1942年の晴れた日、「みずうみ」を書き上げる。

12年目あたりから、オタク系ニュースサイトの常連となる。だが、オタク系というレッテルが貼られるのを恐れる。

1944年、あいかわらず週に一編を書いていた彼は、22編を売った。

13年目、別のブログを立ち上げ記事を書き始める。いきなり三つの記事が一般の大手ニュースサイトで紹介される。

1945年、<マドモワゼル>に「目に見えぬ少年」、<チャーム>に「ジェイミーの奇跡」、<コリアーズ>に「いつ果てるとも知れぬ春の日」をウィリアム・エリオットのペンネームで投稿した(略)八月の三週、レイはウィリアム・エリオットの秀作を賛美する手紙を、一誌でなく三誌すべてから受けとった。

ネタに困ると、有名ブロガーの過去の記事をナナメに拾い読みする。

「インスピレーションを得る最高の方法を見つけた。ロサンゼルスの図書館へ行って、そこらをうろつきまわり、棚から本をぬきとって、こっちで一行、あっちで一段落と拾い読みしたら、また本をとりだして、むさぼり読み、場所を変える。それかた手近の紙切れにいきなり書きはじめるのだ」

不愉快な事があった時は、それをどう記事に料理するか考える。

「自分の大好きなものを十あげて、それを褒めたたえたまえ。自分の大嫌いなものを十あげて、それを殺したまえ」

ロサンゼルスを歩く人は滅多にいない。LAは自動車の街だ。ある風の強い深夜、友人と歩いていると、レイと友人は警官の職務質問を受ける。警官の無作法な尋問が腹に据えかねたレイは、帰宅して「歩行者」を書いた。

人気が出てからは、他の人気ブログは見ない。

「うっかり盗作したくないんだ」

【おまけ】

ブログを続けるコツの一つは、こんな事を決して考えないこと。

暇つぶしの読み物を探している人は、私の記事とブラッドベリの「群集」、どっちを選ぶんだろう

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2013年1月22日 (火)

小川一水「天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河」ハヤカワ文庫JA

「まったく、仕事が多すぎる。この騒ぎが終わったころには、おれは何でも屋になってるかもしれんな。左官屋に生物学者に配管工に……」
「電気屋と溶接屋とコックもだね」

【どんな本?】

 小川一水が全10部の大構想で送る、長大なSF年代記シリーズ「天冥の標」も、やっと折り返し地点。第三部「アウレーリア一統」の2249年,第四部「機械仕掛けの子息たち」の2313年とほぼ繋がる2349年。小惑星帯を舞台に、大企業の進出に怯える零細自作農家タック・ヴァンディの奮闘と、今までのシリーズの陰で蠢いてきた「アレ」が明かされる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年11月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約417頁。9ポイント40字×17行×417頁=約283,560字、400字詰め原稿用紙で約709枚。長編小説としては長め。

 文章は読みやすい。特にこの巻は、ユーモラスでリズミカルな文章が心地いい。舞台が未来の小惑星帯なので、低重力環境の描写が醍醐味でもあり、メガが苦手な人には鬼門でもあり。長いシリーズ物ながら、各巻の話は独立しており、また刊行の順番も時代をシャッフルしているため、どの巻から読み始めても構わない構造になっているのも嬉しい。

【どんな話?】

 時は2349年、所は小惑星バラス。農家を営むタック・ヴァンディには悩みが多い。閉鎖環境維持装置セルス・マネージャー略してセルマネの調子は悪いし、収穫したほうれん草の質はイマイチ。空気循環器のフィルタの清掃・堆肥の処理・肥料の調整と、仕事は山ほどある上に、最近は大企業のミールストーム社が進出してきて、タックら零細農家の立場は危うくなる一方。おまけにひとり娘のザリーカは年頃で、不満を溜め込み爆発寸前だ。

 地球から遠く離れた宇宙のどこか、海の中でひょこっとノルルスカインは生まれた。群体で生活するサンゴ虫の中、ぼんやりと過ごしてきたノルルスカイン。だが、ある時、大変な事に気がついた。

自分はサンゴ虫ではない!

【感想は?】

 お仕事作家・小川一水の本領発揮。「こちら郵政省特配課」では配達を、「ここ掘れONE-ONE!」では地下採掘を扱った彼が、この巻で描くのは「農家」。「農業」ではなく、「農家」なのがミソ。

 冒頭から、(宇宙)農家の仕事がリアリティたっぷりに描かれる。場所は宇宙で時代は未来だけど、「農家」の立場は現代の先進国の農家をモデルにしてるんだろうなあ、と思う。「百姓」という言葉を蔑称として使う人もいるけど、あの言葉の由来は「百の姓に携わる者」という意味だ、と聞いたことがある(真偽は不明)。一応、Wikipedia の百姓へのリンクを張っておこう。

 どういう事かというと、それだけ沢山のモノゴトを管理・運営せにゃならん仕事という意味で、工場に例えるなら、やたらと工程が複雑で品質管理が難しい製品を、市場動向と己の懐や能力を見極めながら、何をどれぐらい作りどこに売るかを考えて決めて作って売る仕事、ってな感じ。

 つまりは各員が個人事業主として経営者であり営業であり経理であり現場の作業員でもある、体はもちろん頭も使えば駆け引きも重要な、独立性も高ければ同時にリスクも多い、案外とハイリスク・ハイリターンな職業として、この作品では描かれている。

 冒頭から収穫の重労働が描かれる。娘のザリーカの寝不足を見て「この時期、農家は夕食後すぐにでも床に就いてしまわなければならない」などとボヤくタックは、自分を「労働力」リソースのひとつとして見て、管理しているのがわかる。これは、完全に経営者の視点だ。

 続く場面では、収穫したほうれん草を集積場で売る際の等級交渉の場面、そして農家仲間との井戸端会議で、彼らが市場動向に大きな注意を払い、流通などのコストにも細かい配慮をしている様子が出てくる。やるべき事はもちろん、考えにゃならん事もやたら多く、気苦労が絶えない商売。だが、それでもタックが農家を続けるのは…

ここがタックの農場だからだ。

 と、独立心旺盛な、この舞台・この時代の農家の気概を見せてくれる。各農家の得手不得手、そして農作物の特徴と市場における位置。葉物は育成が早いがその分手もかかり、しかも鮮度が大事で目が離せない。穀物は安定しているが儲けもたかが知れていて…などと品目による違いの考察も面白い。何を作るにせよ市場動向は重要で、流通が発達しているこの時代、農家も国際情勢に敏感で…

 と、まあ、農業SFとしては、私が今まで読んだ中では最高に本格的。技術面だけでなく、「事業として成立しうるか」「事業者はどう行動するか」という面を細やかに、かつ深く考察しているのが、やたらワクワクする。ちなみに宇宙の土で植物が育つのか、という疑問は、「そのままじゃ無理だけど肥料を与えればおk」だとか。ネタ元は清水建設宇宙開発室編「月へ、ふたたび 月に仕事場をつくる」オーム社より。

 という「お仕事作家」の面白さに加え、今までの巻ではトリックスター的な役割を演じてきた、奴らの正体と目的が見えてくる。こっちは普通の人間じゃないのは皆さんわかってるだろうけど、SF者なら随喜の涙を流すこと請け合いの本格派。そのくせ、語り口は妙に飄々としてユーモラスなのがおかしい。

 今回は群像劇というより、タックを中心とした家族の物語が展開する。奴らのスケールが、タックの個人的な悩みの見事な対比となり、奴らの立場も鮮やかに浮き上がらせる構成も巧い。なんたって、細々とした農場経営の悩みと同時に、タックが抱えている大きな悩みが、最近は反抗的な娘のザリーカ。まあ、年頃の娘が農業なんぞに興味を持つわけもなく、何かと街へと出かけ…

 おまけに、妙な女をタックが拾っちまったから、さあ大変。

 シリーズも半ば近くになって、やっと役者が揃いつつある「天冥の標」シリーズ。この巻も、宇宙時代の農業をテーマに精密な考察の元、リアリティたっぷりに農家の生活を描きつつ、突き放した視点で人類の行く末も俯瞰している。シリーズとしても目が離せないし、独立した作品としても本格派の貫禄充分。いやあ、楽しかった。

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2013年1月21日 (月)

フランセス・アッシュクロフト「人間はどこまで耐えられるのか」河出書房新社 矢羽野薫訳

過酷なツール・ド・フランスに参加するサイクリストは、12時間連続で上り坂を漕ぎつづける。その彼らが実験室の中では、同じペースの運動を一時間さえ続けることができず、驚いて悔しがることも多い。

【どんな本?】

 ヒトはどこまで高く登れるのか。深く潜る限界は?サウナなら80℃でも大丈夫なのに、夏の暑さが耐えがたいのはなぜ?エスキモーはなぜ凍えない?なぜ高山病になるの?熱中症の適切な介護法は?船が転覆したら、どうしたらいい?スポーツは努力か才能か?宇宙空間は人体にどんな影響があるの?

 オックスフォード大学生理学部教授でインシュリン分泌の第一人者が記す、人間が限界に挑戦した歴史と記録と共に、暑さ・寒さなどに対しヒトを含む生物が、どのような体のメカニズムで対処しているかを探る、愉快で楽しい科学の本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は LIFE AT THE EXTREMES - THE SCIENCE OF SURVIVAL, by FRANCES ASHCROFT, 2000。日本語版は2002年5月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約356頁+訳者あとがき5頁。9.5ポイント46字×19行×356頁=約311,144字、400字詰め原稿用紙で約778枚。長編小説なら長め。

 翻訳物の科学解説書だが、文章は比較的に読みやすい。原書のヤード・ポンド法を(たぶん)訳者がメートル法で補っているのも嬉しい。科学とはいっても特に難しい前提知識は要らない。まれに亀の甲みたいな分子式が出てくるけど、わからなければ読み飛ばしても問題ない。小学校卒業程度の理科の知識があれば、充分に読みこなせるだろう。

【構成は?】

 はじめに
 キリマンジャロに登る
第1章 どのくらい高く登れるのか
 思い切って飛び込む
第2章 どのくらい深く潜れるのか
 温泉の至福
第3章 どのくらい暑さに耐えられるのか
 冷たい水のブルース
第4章 どのくらいの寒さに耐えられるのか
第5章 どのくらい速く走れるのか
第6章 宇宙では生きていけるのか
第7章 生命はどこまで耐えられるのか
 謝辞/訳者あとがき

 各章はそれぞれ独立していて、章の中も2~10頁程度の連続したコラムが続く形なので、気になった部分だけ拾い読みしてもいい。また、時折2頁程度の独立したコラムが入る。

【感想は?】

 一見、イロモノ的な書名だが、中身は真面目な科学の本。とはいえ書名に違わず高度・深度・暑さ・寒さなどの限界の数値や、それに挑戦したエピソードはちゃんと出てくるので、ご安心を。また科学とは言っても難しい式はほとんど出てこないので、理科が苦手な人でも充分読めるだろう。一部、代謝機能の説明などでATPやグリコーゲンなどの言葉が出てくるが、面倒なら読み飛ばして結構。基本的に「楽しく読んでもらう」事を目的とした本なので、無理をすることはない。

 「読者の興味を惹く」姿勢は挿話の選び方にも出ていて、例えば「第3章 どのくらいの暑さに耐えられるのか」では、トウガラシの「暑さ」を説明している。トウガラシが含むカプサイシンが「熱さ」の受容体と反応するため、だそうだ。よって体が暑いと感じて、汗が出てくる。辛さの単位はカプサイシンの量で決まり、「中辛のアマトウガラシは1熱単位で、もっと辛いハラペーニョは1000熱単位、燃えるようなハバネロウは10万熱単位」って、ハバネロすげえ。

 などとイロモノもあるが、基本的には真面目な本で、例えば冒頭の第1章では高山病の歴史から原因、そして対策までを記している。最古の文書は紀元前37~32年の中国の前漢書。「古代ギリシャ人も、オリュンポス山の山頂(標高2900メートル)では息苦しくなることから、山頂は神々が住むところで人間が足を踏み入れることは許されないのだと信じていた」。山岳信仰が発生する理由の一つが、これか。

 第2章では、潜水病がテーマになる。これが見つかった起源が、産業革命ってのも面白い。広い河に橋をかける際、ダイバー(潜水夫)が働くのだが、彼らが陸に上がって暫くするとバタバタと倒れたのが起源。これの原因は血管に窒素の気泡ができる事で、予防はゆっくり減圧する事なんだが、減圧にもコツがある。「気圧の絶対値の半分までは急激に減圧しても安全だが、それ以降はゆっくり慎重に減圧しなければならない」。

 怖いのは、素もぐりの際の注意点。あまし深く潜ると大変。7メートルあたりから肺の空気が圧縮されて密度が高くなり、自然に沈む。あんまし深く沈むと、浮き上がるのが大変になる。

 著者もダイバーらしく、ダイビングの話題も豊富。スキューバダイビングの起源が「第二次世界大戦中に施設した地雷を大戦後に除去することだった」ってのも、意外。潜水艇も扱ってて、「深海のYrr」に出てきたディープ・フライト、実在してるとは知らなかった。

 スポーツやダイエットに興味がある人にも、重要な情報を含んでる。急いでダイエットする場合、大抵は汗を流して体重を落とそうとするけど、無茶すると危険。

普通は、体内の水分の3~4%が失われても体に支障はない。5~8%が失われると疲労感やめまいを覚え、10%を越えると肉体的にも精神的にもダメージを受ける。体重の15~25%以上の水分が失われると、まず命にかかわる。

 仮にヒトの体の7割が水分だとして、体重50kgだと50*0.7*0.1=3.5kgを一気に落とすのは無茶、ってこと。
 スポーツだと、ちょっと悲しい話も。「肉体的な能力の限界は遺伝子によって決められている」。アンギオテンシン交換酵素というタンパク質の配列を決める遺伝子があって、これで決まる。ただし、「この変化が10週間のトレーニングを終えた後に初めてあらわれた」とあるから、「ある程度までは訓練でいけて、それ以上は才能で決まる」、と解釈していいのかな?

 私が最も面白かったのは、「第6章 宇宙では生きていけるのか」。アンドルー・チェイキンの「人類、月に立つ」で、宇宙飛行士たちが「宇宙服が窮屈だ、特に指先が痛い」とボヤく場面がある。あれ、ちゃんと理由があるのだ。

 重力から解放された宇宙飛行士は、背が伸びる。脊椎の椎骨と椎骨のあいだにある、円盤状の軟骨が圧迫されなくなるからだ。たいていの人は1,2センチ程度だが、77歳で二回目の宇宙飛行を果たしたジョン・グレンは6センチも伸びた。

 つまり、宇宙服のサイズはあっていたけど、宇宙飛行士が大きくなっていた、ってわけ。無重力の宇宙では骨がもろくなるのは有名だけど、「運動をしても地球上と同じ体力を維持したり、骨量の減少を完全に防いだりできることは証明されていない」。火星まで行けるのかしらん。

 昔のアメリカの宇宙船は純粋酸素を使ってたけど、今は空気と同じ組成。ところが、宇宙服は1/3気圧の純粋酸素。気圧が違うんで、「スーツを着てすぐに船外へ出ると減圧症になりやすい」。「実際のミッションでは一般に、純粋酸素を呼吸する前に船内の気圧を下げて酸素濃度を上げる」。船外活動する際には、相応の準備時間が必要なわけ。いきなり宇宙服を着ればいいってもんじゃ、ないんだなあ。

 などとヒトの話ばかりでなく、ナポレオンのロシア遠征で凍傷にかかった馬を食べた話や、砂漠に住むカエルの話、そしてお馴染みのクマムシも出てくる。船酔いを防ぐコツなど身近なお役立ち知識や、水難時の適切な対応などサバイバルな知識も満載。イロモノで気を惹いて真面目な科学に誘う、古典的だけど効果的な手法を巧く使った本だった。

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2013年1月18日 (金)

ジョナサン・スウィフト「ガリバー旅行記」角川文庫 山田蘭訳

敵が強すぎるという理由で戦争を始めることもあれば、弱すぎるという理由で始めることもある。
  ――第四話 フウイヌム国渡航記

【どんな本?】

 幼児向け絵本の定番「ガリバー旅行記」(→Wikipedia)。小人の国リリパットは誰もが知っている。だが、絵本は抄訳であり、底本は絵本と全く味わいが異なり、かなりの毒を含んでいる。著者のジョナサン・スウィフト(→Wikipedia)はアイルランド生まれのイングランド人という屈折した生い立ちのためか、この作品もアイルランドらしい大法螺と、インクランド人らしいひねくれたユーモアが満載だ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TRAVELS INTO SEVERAL REMOTE NATIONS OF THE WORLD. IN FOUR PARTS By LEMUEL GULLIVER, First a Surgeon, and then a Captain of feveral SHIPS. , by Jonathan Swift, 1726。私が読んだのは角川文庫版で2011年3月25日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約448頁+阿刀田高の解説8頁。9ポイント40字×17行×448頁=約304,640字、400字詰め原稿用紙で約762頁。長編小説としてはやや長め。

 18世紀の書物だが、私が読んだ角川文庫版は拍子抜けするほど読みやすい。単位系も親切にメートル法に変換してある。構成は連作短編形式で、各編はほぼ独立しているため、気になった部分だけを拾い読みしてもいい。ただし、ユーモアのセンスが独特であり、ある程度読者を選ぶだろう。アンブローズ・ピアスの「悪魔の辞典」が好きな人は、尻上がりに面白くなるので期待しよう。

【収録作は?】

ガリバー船長より従兄のシンプソへの手紙
発行者から読者へ
第一話 リリパット渡航記
 あまり豊かでない地主の三男ガリバー氏は、身を立てるため医学と航海術を修め、何度か航海に赴く。結婚して診療所を開いたが経営は思わしくなく、再び航海に出た。何度目かの航海で船は岩礁に衝突、ガリバー氏は必死に泳いで陸にたどり着き、疲れ果てて眠ってしまった。
 目覚めた時、ガリバー氏は手足も髪も地面に縛り付けられ、身動きできなくなっていた。何かが体に這い上がってきたので目をこらすと、身長15センチにも満たない人間だった。

 幼児向けの絵本によく使われるのは、この第一話。確かに小人の国で巨人であるガリバーが、その巨体を活かして活躍する場面は胸躍る。小人の国では食料の調達も大変だが、出るモノの始末も大弱り。そういった御伽噺では省略されがちな部分も、キチンと書いてあるあたりは流石。もっとも、解説によると「著者の趣味じゃないの?」だそうだが。

 前半では冒険物語風だが、後半に入ると社会風刺がボチボチ出てくる。リリパット国の内乱の原因が、馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しいが、Wikipedia によればカトリックとプロテスタントを皮肉っているとか。著者のスウィフトはカトリックの国アイルランドで牧師(=プロテスタント)の息子として生まれている事を考えると…

第二話 ブロブディンナグ渡航記
 懲りずに再び航海に出たガリバー氏、また嵐に巻き込まれ独り陸地にたどり着く。今度は巨人の国で、スケールは我々の10倍ほど。農場主に拾われたガリバー氏、九歳の娘グラムダルクリッチに気に入られたのはいいが、欲に駆られた農場主はガリバー氏を見世物にして興行の旅に出かけ…

 これもまた冒険物語の王道そしての面白さが溢れている。想像してみよう、ネズミや猫の体長が10倍になったら、と。猫なんて肉食だし、大変な猛獣になってしまう。ばかりでなく、蝿・蚊・ハチまで10倍になる。ひええ~。魔法少女ものの小動物よろしく女性に気に入られたガリバー氏、ちょっと羨ましい体験もするが…。

 後半では、やはりブロブディンナグと英国(をはじめとする欧州社会)を比較した社会風刺が始まる。愛国心溢れるガリバー氏、国王相手に必死に英国の弁護を試みるが、国王曰く「一本の麦、一筋の草しか生えていなかった土地に、二本の麦、二筋の草を育てることのできるものこそ、ありとあらゆる政治家を束にしたよりも価値のある人間であり、祖国にもより豊かな貢献をしているのだ」と主張して譲らない。わはは。
第三話 ラピュタ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリブ、そして日本渡航記
 実績を買われ引き止める妻を説得しまた海へと旅立ったはいいが、海賊に襲われ漂流の果てに無人島にたどり着いたガリバー氏。一息ついた時、空を回遊する島を発見する。拾い上げられたその島はラピュタ、そこに住む人は数学と音楽に耽溺し、たびたび深い思索にのめり込み我を忘れる癖があった。

 某アニメで有名なラピュタ、その植民地バルニバービ、魔術師の島グラブダブドリブ、不死人ストラルドブルグのる島ラグナグ、そして日本が登場する。この辺からスウィフトは調子が出てきたらしく、社会風刺がキレを増す。
「最高の税率を課せられるのは、もっとも女の好意をかちえた男とする」とか、大笑い。しかも自己申告制。人が真剣に深遠な思慮にふけるのは、どんな時かというと…。トンデモ本の書き方も伝授してくれる。
 グラブダブドリブでは、イタコよろしく歴史上の有名人を呼び出し、いろいろと話を聞く。やはり欧州人にとって古代ギリシアとローマは理想と憧れの国なんだなあ、としみじみ感じる一編。
第四話 フウイヌム国渡航記
 今度は船長として旅に出たガリバー氏だが、海賊に船を奪われボートで見知らぬ島に流れ着く。そこでは馬=フウイヌムが文明を築き、ヒトに似た獣ヤフーを使役していた。なんとか理性を持つ存在である由を馬に伝えたガリバー氏は、「理性のかけらを持つヤフー」として独特の地位を与えられ…

 スウィフトの毒舌がフル・スロットルで暴走する、この作品の白眉。徹底して善良で誠実で理性的なフウイヌムに、ヒトの持つ獣性と愚かさと悪意を凝縮したヤフーを対比させ、これでもかというほどヒトの偽善性と愚かさを暴き立てる。戦争の理由と手段と結果、法律の目的と現状を茶化し、弁護士や法律家をコキおろす。ヒトが衣服を纏う理由とか、笑いながらも切なくなる。ちょっと引用。

性別によって教育の中身を変えるなど、主君にはいかにもおかしな話に聞こえたようだ。たしかにそのとおり、わが故国の住民の半分は、子どもを産む以外は何の取柄もない人間になりさがってしまっている。そんな役に立たない生きものに子どもの養育をまかせるなど、主君から見れば許しがたい蛮行だという。

 巻末の阿刀田高による解説は必読。著者のスウィフトの屈折しきった性格が飲み込めていると、「フウイヌム国渡航記」で見られる、ヒネくれまくった皮肉がよくわかる。アンブローズ・ピアスの「悪魔の辞典」や、ジョージ・バーナード・ショーの「格言」が好きな人なら、きっと気に入るだろう。書物という麻薬に魅入られた全ての人にお勧め。ただし、前途有望な若者には極めて有害なので、毛髪を半分失うまでは近寄らないこと←をい

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2013年1月17日 (木)

ブログやめますか、それとも人間やめますか

 かつてiTunesでライブラリからお目当ての曲を探すなんて記事を書いた。スマート・プレイリストを使う、無駄に面倒くさい方法だ。しばらくしてもう一度調べたら、アップル社のサポート頁で、もっと使いやすい方法が紹介されていた(→iTunes 10 for Windows: ライブラリまたはプレイリストを検索する)。検索窓にキーワードを入れるだけ。

 なにこれ。やたら簡単じゃん。なんでこんなわかりやすい方法に気づかないのか俺。得意そうに面倒くさい方法を記事にするなよ俺。つかさ、なんか記事の最後で偉そうな事ほざいてるんですけど。なんだよ「使い勝手という点では、どうなんだろう?」って。自分の間抜けをアップル社のせいにするなよ俺。

 これに気づいた時、思った事。

  1. うわナニ偉そうな事言ってんだ俺、恥ずかしい奴。
  2. つかネットに嘘…とまでは言わんが、紛らわしい情報をバラ撒くなよ俺。
    迷惑だな、早く記事消せよ。
  3. …でもさ…これ、美味しくね?
    ブログのネタとして。面白いじゃん、こんな恥ずかしい話。
    …さて、どう料理しよう。

 なんか、もう、何もかも終わってる感じがする、イロイロと、人として。

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2013年1月16日 (水)

松田道生「カラスはなぜ東京が好きなのか」平凡社

 カラスを観察していると、このバードウォッチングに大別して二つあることに気がついた。ひとつは、鳥の名前がわかったらおしまいのバードウォッチング。もうひとつは、鳥の名前がわかったところから始まるバードウォッチングである。

【どんな本?】

 都会で逞しく繁殖しているカラス。図体の大きさや煩い鳴き声、そして集団でゴミを漁る真っ黒い姿が気味悪がられ、テレビなどで話題になった。なぜカラスは東京で繁殖するのか、どんな生活をしているのか、巣は何処にあるのか、そして効果的な駆除法はあるのか。

 などといったカラスの生態と共に、バードウォッチャーである著者が、どのようにカラスを観察するのか、どんな所に注目するのか、人の多い東京でカラスを観察する苦労やトラブル、そしてカラスに関するよくある誤解など、カラス観察の実態や、人とカラスの関わりを綴った、都会での自然観察エッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2006年10月18日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約297頁+あとがき4頁+参考文献8頁。9.5ポイント44字×16行×297頁=約209,088字、400字詰め原稿用紙で約523枚。長編小説なら標準的な長さ。

 文章はエッセイ系の素直な文体で読みやすい。内容も、科学系の本ではあるが、特に小難しい前提知識は要らない。漢字さえ読めれば、小学生の高学年でも充分に読みこなせる。主な舞台が東京都文京区なので、都内の地理に詳しい人は、より楽しく身近に読めるだろう。

【構成は?】

第1章 カラスを調べる
第2章 巣作りは大変
第3章 子育ての季節
第4章 受難の日々
第5章 巣立ちへ
終章 カラスが教えてくれたこと
 あとがき/引用・参考文献

 各章は、2頁~10頁程度の半ば独立したエッセイからなっているので、気になった所だけを拾い読みできる。各章の末尾には、2~4頁の独立したコラムが付属している。

【感想は?】

 カラスの生態も楽しいが、それ以上に「カラスを観察する人」の生態が楽しい。

 著者は文京区の六義園を中心にカラスを観察している。都会の真ん中だけに、近所の住民や通勤してきた人とも否応なしに関係ができる。大きな双眼鏡を持ってアチコチ覗き見してはメモを取っているるわけで、見ようによっては想いっきり怪しい。時として警察から職務質問を受けたりする。ビビりながらも平静を装って対応する著者、ところが観察対象がカラスとわかると警官の態度が一変する。

面白いことに、傷ついたカラスが交番に持ち込まれたり、どこそのこ交番の○○がカラスに襲われたと、お巡りさんたちはけっこうカラスと関わっていることがわかった。

 この職務質問がきっかけになったのか、以降も巣落としや幼鳥の行方などで著者は警察と穏やかな協力関係を築き上げている。さすが。

 さて、日本のカラスで多いのはハスブトガラスとハシボソガラス。「ハシブトガラスは森林、ハシブトガラスは草原など開けた環境を好む」のだが、東京で多いのは意外な事にハシブトガラス。平野部なのに森林に住むハシブトガラスが栄えているのは意外。

 著者は巣に注目してカラスを観察する。カラスはかなり賢くて、著者を覚えてしまう。ただし、好意ではない。特に繁殖期である春先から初夏にかけて、卵や雛を守るため威嚇するのだ。他の人は無視して、著者だけを威嚇してくる。「私のように、巣を見上げたり巣立った幼鳥に関心を持つ人に対してはいたって攻撃的になる」。

 つまりカラスが人に攻撃的になるのは、巣を守るためだ。著者はこれを利用して、カラスの行動を見て巣のアタリをつける。さすが。これに関しては、とある老婦人とカラスの関係が面白い。

「このカラスは、私のことを慕ってあとをついてくる。そのため、カラスが自動車にぶつかってしまったことがある」などなど、いろいろなエピソードを楽しそうに語ってくれた。(略)「慕ってついてくるのではなく、警戒してあとをつけているのだ」とは、とてもいえる雰囲気ではなかった。

 そりゃそうだ。
 カラスが巣を作るのは、主にスダジイ(→Wikipedia)。巣の位置でもカラスの行動は違ってきて、一般に高い所に巣があるカラスは穏健で、低い所に巣があるカラスは攻撃的だとか。つまりは巣の危険度によってカラスの態度が変わるわけ。また、巣とねぐらが違ったりする。巣に関しては、試作巣など面白い話がいろいろ出てくる。

 やはりご婦人は優しい方が多いのか、カラスに巣財をプレゼントするため、針金のハンガーを敢えてベランダに吊るす奥様も出てくる。嫌われ者のカラスだけど、「カラスだって一生懸命生きてるんだ」と感じる人も居るんだよなあ。

 とはいえ、カラスはけっこう大きい。集団でゴミ集積場を漁っている場面などは、ちょっとした迫力がある。著者はカラスの死体が見つかる季節を元に、効果的な駆除法を提案している。三月中旬から四月中旬の一ヶ月が最も死体の発見が多い。「自然の中の食料がもっとも少ない時期」なので、「この季節に、ごみの量を減らしたり管理をしっかり」するのが効果的だろう、と。

 巣落としをするのは「5月15~25日の10日間」は著者のお薦め。なお、巣に卵や雛がいるなら、巣落としには(東京都の場合)鳥獣保護法に基づいた「有害鳥獣駆除」の申請が必要で、「30日以内に結果を報告する義務がある」。卵や雛は有害物質の検体などで回収している場合もあるので、自治体に問い合わせよう。

 実は毎年パートナーを変える鴛鴦と違いカラスは長く番を続けたり、若鳥は群で行動したり、巣とねぐらが違ったり、巣は毎年新築したり、危険人物を尾行したりと、意外なカラスの生態がわかるのも面白いところ。身近な野生動物でもあるし、誰にでも観察できるのも嬉しい。巣の見つけ方を覚えたら、近所の風景が違って見えるかもしれない。ただし、警官に職務質問される可能性があるので、身分証明書は持っていこう。

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2013年1月15日 (火)

iTunesでライブラリからお目当ての曲を探す 2

 ネタ元は Apple 社のサポート頁。→iTunes 10 for Windows: ライブラリまたはプレイリストを検索する

Itunesfind_11 沢山の CD をパソコンに取り込んでライブラリが充実してくると、お目当ての曲を探すのも大変になってくる。曲名をフルで覚えてれば「ライブラリ」を曲名で整列させて、スクロールしていけばいいんだけど、曲名の一部しか覚えていないと、ちとシンドい。Windows のフォルダみたく、Ctrl+F で検索できればいいのに。なんで iTunes には「検索」機能がないんだ!

 などと息巻いたが、実はちゃんと iTunes は検索機能を持っているのだった。右のスクリーン・ショットを見て欲しい。画像をクリックすると拡大表示します。右上の赤い○の所が、検索窓。ここにキーワードを入れれば、お目当ての曲が見つかる。

Itunesfind_12 例えば、こんな条件で曲を検索してみよう。お目当ての曲は、Grateful Dead の Food Morning Little Scoolgirl だ。

  1. 曲名に girl が入ってたような気がする
  2. ミュージシャンは Grateful Dead だと思った

 手順は、以下4段階。

  1. 左袖から「ミュージック」を選ぶ。特定のライブラリから探す場合は、そのライブラリを選ぼう。
  2. 右上の検索窓に、キーワードを入れる。ここでは、上の例に従って、dead と girl を入れた。
    Itunesfind_13 キーワードを入れている途中で、候補のリストが出る場合もある(二番目のスクリーン・ショット)。
    また、キーワードを全部入れても「結果なし」とつれない返事が返ってくる事もある(三番目のスクリーン・ショット)けど…
  3. 気にしないで、Enter キーを押そう。ここでは、4曲見つかった。(左下ののスクリーン・ショット)

 

Itunesfind_20  かつてスマート・プレイリストを使う方法を紹介したけど、こっちの方が遥かに簡単だ。も少し調べて書けばよかったなあ、などとしみじみ反省した。ああ恥ずかしい。

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2013年1月14日 (月)

ウィリアム・ブラウニング・スペンサー「ゾッド・ワロップ あるはずのない物語」角川書店 浅倉久志訳

そういえば、すべての狂気は、特別扱いの宇宙観を捨てず、現実のぬかるみのなかに立つことを拒むという、子供っぽい態度と関係があるのかもしれない。

【どんな本?】

 アメリカのアンタジー作家ウィリアム・B・スペンサーの第四長編。「SFが読みたい!2000年版」のベストSF1999でも、海外編で8位に食い込む躍進を見せた。

 かつて人気童話作家だったが、今は隠遁生活を送っているハリー・ゲインズボロー。彼が書いたおとぎ話「ゾッド・ワロップ」に影響された精神病院の入院患者たちは、共有する幻想に駆られ病院を脱走し、世界を変容させてゆく。現実と幻想が混じりあう狂気の世界を描く、異色作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Zod Warrop, by William Browning Spencer, 1995。日本語版は1998年12月5日初版発行。単行本ハードカバー縦二段組で本文約233頁。8.5ポイント23字×22行×2段×233頁=約235,796字、400字詰め原稿用紙で約590枚。長編小説としては標準的な長さ。

 翻訳物の小説としては標準的な読みやすさ。だた、現実と幻想が入り混じるお話なので、ときおり現実と幻想の区別がつかなくなる場面があるのは覚悟しよう。

【どんな話?】

 レイモンド・ストーリは野外での結婚式を望んだ。突風が吹きすさぶ4月、列席者が待つ中、レイモンドは現れた。タキシードを着て、自転車に乗り、猿を首に乗せて。次に現れたのは、白いバン。車体には「ハーウッド心療クリニック」と書かれている。バンから出てきたのは、三人。レインコートを羽織った巨人、白いワンピースの水着の美女、そして車椅子の女性。

 「わが愛するエミリー・エンゲルです」とレイモンドが紹介したのは、車椅子の女性。式が誓いのキスまで進んだとき、黒塗りのリムジンが現れ、レイモンドは花嫁を抱えて逃げ出した。

【感想は?】

 出だしは無意味なドタバタ・ナンセンスに見える。冒頭の結婚式のシーンはバタバタと慌しくイカれたアクションが続き、「モンティ・パイソン風のハイテンションなギャグ作品か?」と思ったが。

 やはり全般の印象を決めているのは、作中の童話作家ハリー・ゲインズボローの書いたおろぎ話「ゾッド・ワロップ」。これが、とても童話とは思えぬ化け物や悪者がたくさん出てくる恐ろしげな話。登場人?物の名前を挙げると「ぬえみずち」「凍り姫」「流血大公」「根絶やし侯」など。

 自分はゾッド・ワロップの登場人物の一人だ、という妄想に囚われたレイモンド・ストーリーは、世界を救うため冒険の旅に出る…周囲の者を巻き込みながら。明らかに狂っているレイモンドだが、いかなる困難や障害にもめげず明るく前向きに突き進む姿は、まさしく勇者そのもの。彼の存在は、暗くよどみがちな物語で、一筋の輝く糸にも見える。

 逆にどよ~んと暗いのが、童話作家ハリー・ゲインズボロー。酒に溺れアル中となり、一時期はハーウッド心療クリニックに入院する。今はキャビンに一人で自堕落に暮らし、たまに訪ねてくるのは版権代理人のヘレン・カーティスのみ。なぜ彼がこんなになっちゃったのか、というと。

「ぼくが書いているのはエイミー向きの本なんだ」
「ぼくが書くのは……これまで書いてきたのは、そればかりだった。エイミー向きの本」

 やがて見えてくる、ハリーとエイミーの関係、そして彼が打ちひしがれている理由。やがてレイモンドの狂気はハリーをも巻き込み、現実を侵食しはじめ…

 狂人たちが暴れまわるこの物語、テーマの一つは「圧倒的な悲しみにどう対応するか」だろう。とても太刀打ちできない悲しみに襲われた時、人はどうするか。自分にはどうしようもない、残酷な現実に直面し、手も足も出ない時、人には何ができるか。狂気に落ち込むのは、その対応の一つだ。

 ハリーの取った手段も、似たようなものだ。現実から目を背け、逃げ出す。巨人ポール・アラン・テイトも、暴力衝動に身を任せ、傷つけ傷つけられることで嵐をやりすごそうとする。

 ハリーの元妻ジーン・ハリファックスの場合は、もっと哀しい。圧倒的な力で迫ってくる現実、そして何もできない自分。それでも現実の中で生きていかなければならないとしたら。なんとか「自分は世界をコントロールできる」という幻想にすがりたい、自分は世界に支配力を持っている、そういう感覚を持ち続けたいとしたら。

 何かを破壊する、誰かを傷つける、そんな行動は、「世界をコントロールしている」という幻想を維持するのに役に立つ。その結果は、大抵がロクなことにならない。けれど、やらずにはいられないのだ。自分は無力ではない、自分は少しでも支配権がある、そう思い込むために。世界をオカしくしてるのは、もしかしたら、この手の妄想なのかもしれない。

 そうやって、ドツボに嵌ってしまった二人を、レイモンドが有り余る活力とリーダーシップで、嵐に巻き込んでいく。だが、レイモンドは「追われる者」だ。なんたって、精神病院の脱走患者なんだから。このチェイスが、これまた「世界の危機を救うパーティー」というレイモンドの妄想にピッタリとハマっちゃってるもんだから、たまらない。

 童話が重要な仕掛けとなっているだけあって、お話はSFというよりファンタジー風味に進む。それも、不気味で恐ろしい雰囲気のファンタジーだ。絶望的な冒険の旅の果てに、何が待っているか。

 かつて大きな哀しみに襲われ、そして愚かな対応をした経験のある人に捧げる、愛と冒険と勇気のファンタジー。

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2013年1月13日 (日)

ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「おおエルサレム! 上・下」ハヤカワ文庫NF 村松剛訳 4

 ドヴ・ヨセフ(ユダヤのエルサレム補給/配給担当)が市の婦女子の運命を決定していたとき、ニューヨークの国際連合のこれらの構成員はには、まったく別の課題が提起されていたのである。彼らは暦を、計算してみた。エルサレムにある全宗教と全国家機関のお祭りにそれぞれ一日をあてていたら、一年では日が足りない、ということがわかった。

 ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「おおエルサレム! 上・下」ハヤカワ文庫NF 村松剛訳 3 から続く。

【どんな本?】

 副題は「アラブ=イスラエル紛争の源流」。アラブとイスラエルの武力衝突の原点となった第一次中東戦争を、1947年11月29日の国連パレスチナ分割案決議から1948年5月14日のイスラエル建国を経て1948年7月17日の第二次停戦案までを中心に、主にエルサレムの奪い合いに焦点を充てて描く迫真のドキュメンタリー。

 著者はアメリカとフランスのジャーナリストで、他にドキュメンタリー「パリは燃えているか?」「さもなくば喪服を」「今夜、自由を」、小説「第五の騎手」がある。いずれも膨大な取材を元に大量のエピソードを積み重ね、モザイクのように事件を浮き上がらせる手法が特徴。

 ここでは、エピソードをいくつか紹介する。本の概要などは ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「おおエルサレム! 上・下」ハヤカワ文庫NF 村松剛訳 1 をご覧いただきたい。

【エピソード集】

●聖ジョージ通りの戦闘の後、真夜中

 撤退したアラブ軍団が遺棄した三両の自走砲を回収しようと、ヨセフ・ネヴォとミシュカ・ラビノヴィッチとヤコブ・ベン・ウルの三人は車両に近づく。成功すれば彼らの装甲部隊の戦力は倍になる。三人が二台目を牽引し始めたとき、最後の自走砲が反対方向に動き出した。アラブ軍団のザール・エルハヴェル中尉も、彼らと同じ事を目論んでいたのだ。

●敬虔

 エルサレム旧市街のユダヤ人地区はアラブ軍団の手に落ち、市民は新市街へと避難する。彼らは打ちひしがれていた。だが、エルサレム防衛副官ハイーム・ハレルが驚いたのは、彼らの失意の理由を知った時だ。

 それは辛うじて死をまぬがれたためではなく、一切の財産を失ったためでもなかった。シオンの門からカタモンの地区に来たとき、この金曜日の夕昏に、彼らの生涯ではじめて安息日を瀆したことのためだった。

 ハレルは、彼らに蝋燭を一本ずつわたした。「一本ずつ火が点じられていくと、まわりの人びとの顔が、歓喜に輝くのをハレルは見た」。

●音楽

 包囲され飢えたエルサレム。市民は臨時放送局「コル・エルシャライム(エルサレムの声)」を楽しみにしていた。最も人気が高いのは、オーケストラの30人の楽団員だ。

彼らの演奏をラジオで聞くには、電力がなかったので、彼らは毎週火曜日に街頭に現われ、アラブ軍の砲撃をものともしない勇敢な聴衆のまえで、そのレパートリーを疲労した。砲撃が本当にひどくなると、音楽家たちは急場しのぎのスタジオに避難し、平然として演奏をつづけた。

●将校教育

 イスラエル独立前は地価軍事組織であり、駐屯する英軍に監視されていたハガナだが。

英軍の監視の目を巧みにのがれて、ハガナはエズレルの谷の実験農場の中に、将校課程をまでつくり上げることに成功し、二箇月間に150人を昇進、任官させた。教育内容は、委任統治政府の兵舎から苦心して盗み出してきた何冊かの赤い小冊子である。それらは英軍の、教育用マニュアルだった。

●情報戦

 エルサレムを確保するには、駐屯中の英軍が確保している建物を奪取した側が有利になる。ユダヤはスパイや賄賂など様々な手口で各部隊の正確な撤退日時を手に入れ、英軍とほぼ入れ替わりで庁舎などを確保したのだが…

旧市街のアラブ人指導者のひとりで、元警視ムニール・アブ・ファデルは、旧市街の城壁に沿ってブルドッグの「ウォルフ」を散歩させながら、輸送隊の行進を目にした。この時はじめて、彼はイギリス軍の撤退を知ったのである。

●助力

 戦争にあたり、アラブ諸国の指導者の言葉は勇ましい。サウジアラビアのイブン・サウド王曰く「自分の最後のねがいは軍の先頭にたってパレスチナで死ぬことである」。イスラエル独立を待たず義勇兵によるエルサレム奪取を目指し戦闘を始めるハジ・アミンと前線で指揮を取るアブデル・カデルに、イブン・サウドから支援の積荷が届いた。

しかし箱を開いたアブデル・カデルは、怒りで蒼白になった。イブン・サウドが送ってきたのは第一次世界大戦当事の小銃の一山で、サウドはこれをつかってアラビアの砂漠を征服したのである。アブデル・カデルはその一挺一挺を、膝でへし折った。

●工夫

 15歳でユダヤ人との戦いに身を投じたエル・クトゥブは、発明と工作の才にも恵まれていた。

彼がつくった投擲器は、手榴弾に数百メートルの射程距離を与えた。暴発をふせぐためにガラスの環を手榴弾にとおし、撃針を留めておくことも考案した。手榴弾が目標に命中するとガラスの環は砕け散り、撃針が作動するのである。

●国連

 国際連合初代パレスチナ代表としてエルサレムに赴いたスペイン人のパブロ・デ・アスカラーテだが、歓迎は冷ややかだった。それでも国際連合の存在を都市に誇示すべく、彼は事務所の外に国際連合の旗を掲げ敬礼した。その直後、一斉射撃が建物を襲った。困ったことに、国際連合の青と白の旗の色は、シオニスムのそれと同じだったのだ。

●勇者

 独走ちがちなアラブの義勇兵を卓越した指導力でまとめあげ、カステルを占領したアブデル・カデル。だが、乱戦の最中に彼は戦死する。「カステルを再占領した何百人のアラブ人は、彼の葬儀に列席するために、その朝のうちに大挙してエルサレムにもどってしまったのである」。ユダヤ人はカステルを奪還した。

●翼よ、あれが…

 ユダヤは合衆国の余剰物資として買い込んだものの中に、三機のB17空の要塞がある。操縦士ロイ・クルツは過去に年間、TWAの機関士として地中海を飛んでいた。午後9時40分、彼は馴染みのカイロのアル・マザハ空港に無電を入れる。「こちらTWA航空924便。着陸よろしいですか?」カイロ管制官がこたえる。「TWA航空924便、了解」「第四滑走路に着地どうぞ」。

 着陸し慣れた舗装路にまっすぐに機首を向けるクルツ。そして爆撃手ジョニー・アディールが空港を高性能爆弾で覆う。クルツは別れの挨拶を送る。「カイロ管制塔へ」「まだ第四滑走路への着地、了解ですか?」

●包囲

 アラブの包囲により飢えるエルサレムのユダヤ人だが…

ある晩ハイーム・ハレルは、カタモンにある彼の家で、鉄条網の向うからきこえてくるひそやかな口笛の音をきいた。暗がりのなかを音に向かって這ってゆくと、そこにいたのは何年も彼の家で女中として働いていた初老のアラブ女のサロメだった。鉄条網ごしにトマトをいくつか渡してくれたながら彼女は囁いた。「わかってますよ。何もないんでしょう」

●略奪

 アルメニア人の食料品店から略奪して来た炭酸飲料水の入った瓶を全部呑みほしたガドナ(ハガナの少年兵部隊)の隊員たちは、はげしい不快感に襲われた。(略)「早く医者を呼んで下さい。アラブ人に毒薬を呑まされました」。(略)彼らは生まれてはじめて、シャンパンを呑んだのだった。

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ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「おおエルサレム! 上・下」ハヤカワ文庫NF 村松剛訳 3

ニサン・ベクのシナゴーグは、アラブ軍団の攻撃にたいする最初の重要拠点だった。この建物はユダヤ人がわの布陣の基本点であり、少数の守備隊が絶望的な頑強さで抵抗した。この混乱のなかでただ一度、場違いの光景が現出し、戦闘者たちは一瞬、熱をさまされた。トルコ帽をかぶったアラブ人の家賃集金人が、その同胞から家賃を徴収しようとして、ユダヤ人街の路を平然と駆け回っていたのである。

 ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「おおエルサレム! 上・下」ハヤカワ文庫NF 村松剛訳 2 から続く。

【どんな本?】

 1947年11月29日の国連によるパレスチナ分割案決議から1948年7月17日の第二次停戦案受諾まで、パレスチナの地で続いた第一次中東戦争。古都エルサレムの奪い合いを軸に、アメリカとフランスのジャーナリスト・コンビが幅広く膨大な取材を元に描く、重量級の紛争ドキュメンタリー。

【感想は?】

 本書の最大の特徴は、膨大な取材に裏打ちされた大量のエピソードの奔流だ。あまりの量に圧倒され、読者は往々にして大筋を見失う。前回の記事で大雑把かつ不正確に概要をまとめたので、参考にして欲しい。更に簡単に背景を説明すると…

 ユダヤ側の周到かつ執拗な根回しの甲斐あってパレスチナ分割案は決議されたものの、アラブ・ユダヤ共に、これが実質的な効果を持つとは思っていない。現実の国境は武力で決まるだろう。

 エルサレムへの凱旋を夢見るハジ・アミンの命によりアラブ中から集まった義勇兵はイスラエルの建国宣言を待たずに戦闘を初めエルサレムを包囲、武器兵員全てが不足するハガナを圧倒する。飢餓に苦しむエルサレムだが、最大の危機はこれから。エジプトやトランス・ヨルダンを主力とするアラブ諸国は1948年5月14日のイスラエル建国および英軍の撤退を機に正規軍を進軍させる。

 ユダヤとアラブが、まるで漫画のように対照的に描かれている。世界中に張り巡らしたネットワークを駆使し、政治的にも軍事的にも一つの目的に向かい組織的に行動するユダヤ。同じアラブ内で全く統一が取れず、各自がバラバラに動くアラブ。武器・兵員ともに貧弱なユダヤと、湯水のごとく弾薬を浪費するアラブ。全てが計画的なユダヤと、ほとんど勢い任せのアラブ。武器調達のエピソードが、これまた凄い。

【武器調達】

 時期的に第二次世界大戦の直後で、世界中で武器は余っている。必要なのはカネとコネ。ユダヤ国家は決議案当時、未だ成立していないので、国家としての取引は出来ない弱みもある。おまけにパレスチナの治安維持を司る英軍は、完全にアラブびいき。

 欧州に武器調達に飛び立つユダヤのエフド・アヴリエルとシリア軍大尉アブダル・アジス・ケリーヌの話は、あまりに出来すぎている。両名は互いに知らぬまま同じスイス航空442便のDC4に乗り合わせる。両者は、共に同じビルにたどり着く。.プラハのベルクリド大通り20番、ズブロヨフカ・ブルノ社。「取引相手は国家のみ」と限定するズブロヨフカ・ブルノ社に対し、未だ国家を持たぬアヴリエルの切り札は…

 この両名の因縁は更に続く。運搬する船を三ヶ月かけて探し、やっとユーゴスラヴィアの港リエカで沿岸航行船ノラ号を見つけたアヴリエル、船会社の事務所に行くと社員曰く「船をもう一隻、お見つけになったのですね」。彼は他の船を雇っていないが、荷主には心当たりがある。ケリーヌだ。かくしてハガナの秘密工作員は、もう一つの船リノ号を目標に…

 このリノ号、もう二回ほど登場するのだが、まるで映画のように数奇な運命を辿る。

 ユダヤ人エフダ・アラジはワルシャワの工場で秘密裏に三千丁の小銃を作り、その仲間は「砂漠の戦場踏査に行き、壊走したドイツ・アフリカ軍団の遺棄した武器をもってくる」。薬莢の製造に行き詰ったヨセフ・アヴィダールは、「イギリスの化粧品工場に、口紅の容器を何十万個か注文した」。

 中でも卓越してるのが、ハイーム・スラヴィーヌ。彼はテル・アヴィヴのキャフェで新聞記事に目を留める。「合衆国の軍需工場の60万の製造機械が屑鉄として廃棄される」。ハガナを率いるダヴィッド・ベン・グリオンに宛てた手紙は、彼をアメリカ巡業へと送り出す。米国の法はある種の機械を廃棄する際、所有者が解体して使用不能にする義務を負う。多数の拾い屋を手配したスラヴィーヌは全部品をかき集め、自らの手で復元した。彼の機械は小銃の実包五万発を毎日生産する。

【輸送】

 武器はあるだけじゃ役に立たない。焦点となるエルサレムに届けなければ、ただの鉄屑だ。それはアラブも承知していて、テル・アヴィヴ=エルサレム間の街道で待ち伏せをかける。襲われた車列から…

最初に降りてくる人びとは、たいていが血にまみれていた。輸送隊の到着を待つ医療班に、彼らはほかの乗客に支えられてひきわたされる。最後に降りてくるのが、死者たちだった。

 街道中のラトゥルンをトランス・ユルダンのグラブ・パシャ率いるアラブ軍団に占領されたユダヤは何回か絶望的な奪回を試みるが、いずれも失敗に終わる。これを迂回してテル・アヴィヴからエルサレムへ向かったジープが、奇策を生む。「道路を作ってしまえ」。そのジープは「5月14日の戦闘のさいに捕獲された、アブデル・カデルのジープだったのである」。

 たった一台のブルドーサーで始まった道路建設工事、間に合わぬと見たユダヤ側はテル・アヴィヴで数百人の男を徴集する。「殆どの男たちが、二つの共通の特徴を見せていた。停年退職に近い年齢であることと、都会人で、歩くのに慣れていない」。彼らに荷物を背負わせ、エルサレムへ運ぶ計画だ。しり込みする中年男達に、責任者ヨセフ・アヴィタールは語る。

 ――諸君のひとりひとりの背負う荷物が、ユダヤ人百人の命を一日支えることになるのだ。
 このことばがまるで突然、彼らに新しい力を吹き込んだかのように、彼らは、最も重い荷物をかつぐ名誉を得ようとして争った。

 この路は、こう名づけられた。ビルマ・ルート。

【アラブ流】

 アラブに不利な面しか知らされるエルサレムのアラブ人を鼓舞しようと、アラディン・ナマリはビラを作る。アラブ諸国のラジオを聴いて筆写し、それをタイプライターで打ち、複写する。そのビラはラマラのラジオ・パレスチナで放送された。

  • 「イラク軍はパレスチナの大部分に電気を供給しているルーテンベルクの発電所を奪取した」
  • 「エジプト軍はカン・ユニを経てガザに達し、勝利の進撃を続行中」
  • 「レバノン軍は道路沿いの全ユダヤ開拓民村の陣地を掃討し、勝利の進撃をつづけている」

 ビラを読んだパレスチナ人、ジョージ・ディープは、エジプト軍のベルシェヴァ、ヘブロン、ベトレヘムでの「勝利」の発表を見て憤激した。「地図を送ってやったのに、あいつらには読めないのだろうか」と彼は嘆く。「彼らが征服したと嘘をついているその土地は、ぜんぶアラブ領内にあるのだ」

【シリアの核】

 シリアは、核兵器を持っている。少なくとも、当事の大統領シュクリ・エル・クワトリはそう主張している。1948年7月14日、レバノンの山の避暑地アレイで開かれた第二次停戦案を話し合うアラブ側の会議で、彼は同僚に向かい…

シリアはやがて新しい聖戦の主導権を握るであろうということを洩らした。シリアはいまや、自家製の原子爆弾を持っている。それはダマスカスのアルメニア人の鍛冶屋の手で製造された。

 すんません、引用したいエピソードが他にも山ほどあるんで、次回に続きます。

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2013年1月10日 (木)

ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「おおエルサレム! 上・下」ハヤカワ文庫NF 村松剛訳 2

「静粛に――瓦礫の下で負傷者が救いを呼ぶかも知れない」
  ――爆破されたホテル・アトランティック跡地の張り紙

 ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「おおエルサレム! 上・下」ハヤカワ文庫NF 村松剛訳 1 から続く。この記事では歴史や舞台設定など、ややこしい所をかなり大雑把かつ乱雑に整理してみた。まだ2/3程度しか読了していないんで、この記事にはかなり怪しげな記述もある、とお断りしておく。手早く概要を知りたい方は、Wikipedia の第一次中東戦争をどうぞ。

【背景】

 この本は、第一次中東戦争を、特にエルサレムの攻防を中心に描いたドキュメンタリーだ。ジャーナリストの著者コンビが、イスラエル・アラブ双方の政治・軍事指導者から戦場となったエルサレムに住む市民まで幅広く取材し、その歴史的・国際的背景から資金・兵器の入手、各戦闘部隊の指揮系統や先頭の様子、そして戦争に巻き込まれた市民たちの生活を鮮やかに再現する。

 歴史的にややこしい土地柄でもあり、古代からの因縁も本書で軽く触れているが、主に扱っているのは「パレスチナ分割案」を国際連合が決議した1947年11月29日から、1948年7月17日の第二次停戦案まで。

 登場人物もやたらと多いことだし、自分用のメモも兼ねて背景事情を整理しておく。

 歴史的には。中世、ユダヤ人に対しアラブの各王朝は比較的寛容だった。だがレコンキスタで欧州を奪回したキリスト教徒は迫害を躊躇わない。19世紀、テオドール・ヘルツルが主導する政治的シオニスムはパレスチナへの移民の波を起こし、ロシアのポグロムなどがうねりを大きくする。

 移民たちはベイルートなどにいる地主たちから土地を買い、アラブ人の小作人を追い出して開拓村を作る。ヒトラーが更に移民を増やし、ユダヤ人の存在感が大きくなるのに対し、アラブ人は無力で無秩序なまま暴力的な反応を示す。自衛の必要を感じたユダヤ人はハガナの地下軍隊を成長させる。

【パレスチナ分割案】

 「パレスチナ分割案」の何が問題か、というと。

 ユダヤ側にとって、分割そのものは希望通り。ただ、二点ほど困る事がある。英文 Wikipedia に地図があるので見て欲しい。第一に、ユダヤ国家が薄く広く広がっていて国境線が長く、軍事的に極めて脆いこと。自警団程度の戦力しか持たないハガナでは、当事のキナ臭い情勢でアラブの正規軍相手に守り通すのは、まず不可能だ。次に、エルサレムの扱い。国連管理と言ってはいるが、発足したての国際連合がエルサレムを防衛し得るとは思えず、事実上アラブに明け渡す事になるだろう。

 アラブ側では、そもそも分割案自体が納得いかない。各国の思惑はバラバラで、例えばトランス・ヨルダンはエルサレムを含むウエストバンクを自国領に組み込もうと目論んでいたし、ハジ・アミンはパレスチナ国家樹立を夢見ていた…そこでは、ユダヤ人は少数民族としての地位に落とされる。

 ここで出てきたハジ・アミン、正式にはエルサレム大法官モハメッド・サイード・ハジ・アミン・エル・フセイニ(→Wikipedia)という。ユダヤ人に追い出されたパレスチナ人たちの指導者であり、第二次世界大戦ではドイツに協力して枢軸側にアラブ人を従軍させ、また連合軍に対する諜報やサボタージュやゲリラを指揮した…ばかりでなく、ナチスのユダヤ人虐殺にも力を貸した。加えてライバルになりそうなアラブ人も暗殺し、己の地位を確保する。

【軍事勢力】

 登場する軍事勢力、ユダヤ側は比較的にまとまっている。大きく分けてハガナと、それ以外。

  • ハガナ:ユダヤ側の主力。開拓村の自警団から発生した。指揮官はダヴィド・ベン・グリオン。精鋭部隊バルマッハを含む。
  • それ以外:イルグンとシュルテン。本書ではほとんどテロリスト的な扱いであり、一般的にも過激派と位置づける人が多い。デイール・ヤッシンの虐殺も彼らの仕業とされている。

 アラブ側は、ハジ・アミン率いる義勇兵部隊と、各国の正規軍。この二つはほとんど協調せず、それぞれが勝手に戦う。各国の正規軍も、統一した指揮系統を持たない。「われわれはみんな、べつべつに闘うことに意見が一致したのです」。

  • 義勇兵部隊:1947年11月29日の分割案決議から1948年5月14日のイスラエル建国宣言までは、彼らがアラブの主力として戦う。当初はハジ・アミンの甥アブデル・カデルが優れた指導力を発揮するが…
  • 各国の正規軍:最も存在感が大きいのは、トランス・ヨルダンのグラブ・パシャ率いるアラブ軍団、次いでエジプト軍。他にシリア,イラク,レバノン,サウジアラビア,イエメン,モロッコ,スーダンが参戦している。

 これに加え、1948年5月15日までは英国軍が駐留し、治安維持の責任を負っている…タテマエ上は。本書によると、実質的にはユダヤ側の取締りには熱心だが、アラブ側には手出しをしなかった、とある。

【情勢の推移】

 分割決議案に怒るアラブだが、各国の足並みは揃わない。特に主力をなすトランス・ヨルダンのアブダラ王と、エジプト王のファルクウは犬猿の仲。結局、正規軍の進軍は英軍の撤退を待って、という事になる。

 エルサレムに君臨する夢を見る大法官ハジ・アミン・フセイニは勝手にゲリラ戦を始めるが、彼の元に寄せられる義勇兵は指揮の統一が取れず、山賊集団の様相を呈してくる。だが、ハジ・アミンの甥アブデル・カデルの卓越した戦略眼は、エルサレムの弱点を鋭く見抜く。

 補給がなければエルサレムは維持しえない。テル・アヴィヴからエルサレムへ至る街道を封鎖すれば、エルサレムは干上がる。幸い、街道の途中にはアラブ人の村が多い。これを拠点としてユダヤ人の輸送隊を襲う。拠点を提供した村には、戦利品の略奪を許せば喜んで協力するだろう。

 同じ事はユダヤ側も考えていた。バスやトラックの両側に鉄板を打ち付けて即席の装甲車とし、コンボイを組んで輸送を始めるが、アブデル・カデルの戦略は優れた効果を上げ、エルサレムは次第に飢えていく。

 ユダヤ側は圧倒的に戦力が少なく、開拓村は各地に分散している。全軍指揮官のベン・グリオンは政治的配慮で「一つの村も放棄してはならない」と主張するが、エルサレム防衛を任されたデビッド・シャルテールは軍事的見地から「幾つかの村を放棄して戦線を縮小すべし」と具申する。

 アラブ,イスラエル両側ともに、村やエルサレムに住む敵側住民を退去させようと嫌がらせを始める。直接的な爆弾テロはもちろん、張り紙や無言電話などの陰険な手法も総動員して。そんな中、暴走したイルグンとシュルテンはアラブ人の村デイール・ヤッシンを襲撃、平和な村を地獄に変える(→Wikipedia)。

 虐殺事件は、アラブ側に二つの動きをもたらす。一つは復讐の喚起であり、以後アラブは「デイール・ヤッシン」を合い言葉に闘志を奮い立たせ、民間のユダヤ人への虐殺が始まる。もう一つは難民の発生だ。虐殺を恐れるアラブ人はエルサレムや村を捨て、近隣の国へ退去を始める。

去って行った人びとは殆ど例外なく、裕福な人びとだった。大法官指揮下の政治的指導者たちがそれにつづく。アラブ高等委員会のうちエルサレムにとどまったのは二人だけだった。立派な人たちだたが、二人とも七十代の病人である。

 指導者たちを見習い、次第に避難者の波は大きくなる。ユダヤ側の思惑は、虐殺によって現実となった。

【やっと感想】

 アブデル・カデルの締め上げは効果を奏し、飢え始めるエルサレム。ギリギリと締め付けられるような緊張感が続くこの本だが、ユーモアも忘れないのが著者両名の憎いところ。水も配給制となったエルサレムに、輸送隊は二人の新しい住民を運んでくる。

床屋と娼婦である。
「おお、二人を迎えることは何という悦びだったろう」と青年のひとりが回想している。「床屋の門口にわれわれ全員が行列をつくりに行った。綺麗に剃ってもらってから、みんなで女のところに行列をつくりに行ったものだ」

 まったく、男ってのはw

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2013年1月 8日 (火)

ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ「おおエルサレム! 上・下」ハヤカワ文庫NF 村松剛訳 1

「紀元70年から今日まで、エルサレムの鍵がユダヤ人の手にわたったことは一度もありません。あなたの民がこの特権を手に入れたのは、したがって十九世紀間を通じてこれがはじめてです」

【どんな本?】

 1947年11月29日、国際連合はパレスチナ分割案を採決する。喜びにわき乱痴気騒ぎとなったエルサレムのユダヤ人地区をよそに、ユダヤ人の秘密民兵組織ハガナを率いるダヴィッド・ベン・グリオンは沈思した。「この連中は戦争を盆踊りではじめられると考えている」。

 翌朝未明、エルサレムの大法官モハメッド・サイード・ハジ・アミン・エル・フセイニは、レバノンの避暑地アレイのホテルの一室から電話をかける。彼の指示によりエルサレムで発生したアラブ人のデモは放火へと発展し、ユダヤ人右派イルグンによるアラブ人映画館「王者」の襲撃・放火へと連鎖する。エルサレムは戦場になった。

 同日、エラザール・シュルケはベトレヘムの聖降誕教会そばのアラブ人の土産物屋を訪ねていた。採決の後もアラブ人商人と取引が続けられるか、それを彼は心配しいていた。そこにあった羊皮紙の断片は、20世紀最大の考古学的発見、すなわち死海文書だった。

 1948年5月14日イスラエル独立と同時に発生した第一次中東戦争。フランスのドミニク・ラピエールとアメリカのラリー・コリンズのジャーナリスト・コンビが5年に渡る綿密な取材・調査を基に、イスラエル・アラブ諸国の政府・外交官はもちろん各軍の将兵から戦場に住む市民まで、膨大なエピソードでエルサレムの攻防戦を中心に第一次中東戦争を再現し、今なお続くパレスチナ問題の原点を描き出す、ドキュメンタリーの金字塔。

 ただ残念ながら今は絶版で入手困難。古本で買うか、図書館で借りよう。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は O Jerusalem, by Dominique Lapierre and Larry Collins, 1971。日本語版は1974年に単行本で出版、1980年2月15日にハヤカワ文庫NFから文庫本発行。文庫本とはいえ上下巻で本文約424頁+398頁=約822頁に加え訳者あとがき9頁。8ポイント43字×20行×(424頁+398頁)=約706,920字、400字詰め原稿用紙で約1,768枚。長編小説なら三冊分を越える大ボリューム。

 文章そのものは読みやすいが、分量に相応しくエピソードは多数で登場人物も凄まじく多い。登場人物一覧をつけて欲しかった。各エピソードの記述方法が凝っていて、最後で意味がわかる仕掛けになっており、大抵の挿話はもう一度読み直す羽目になる。また舞台がエルサレムなだけに、歴史・宗教的な事柄の引用が頻繁に出てくる。聖書や世界史に詳しいとより楽しめるが、わからなくてもなんとかなる。質・量ともに読み応えは充分。じっくり時間を取って取り組もう。

【構成は?】

上巻
 プロローグ
 第一部 聖地の分割――1947年11月29日
  1 ニューヨークのスケート場
  2 「ついにわれわれは自由の民となった」
  3 長い苦難のみち
  4 「チチ キロニ ツイタ」
  5 プラハのパ・ド・ドュー
  6 聖書と拳銃
 第二部 金と武器――1948年冬
  7 「エルサレムを絞め殺すのだ」
  8 「あんなに長いあいだ、あたしたちは隣人だったではないの?」
  9 ハガナのサンタ・クロース
  10 不条理への旅
  11 「市街へのみちにある、バブ・エル・ウェドよ」
  12 ごるだ・メイアーの25の「ステファン」
  13 「救済は空から訪れる」
 第三部 エルサレム包囲――1948年春
  14 襟さレムの外人部隊兵
  15 一閃の白光
  16 外交官たちの一階の部屋
  17 老人と大統領
  18 「ご婦人は毛皮の服でどうぞ」
  19 「地獄の中の家」
  20 夜の飛行場
  21 緩衝板の上の四つのことば
  22 「昨夜殺したアラブ人のひとりさ」
  23 静かな村の最後の夜
  24 「シャローム、おまえ……」
  25 戦争へのみち
下巻
 第三部 エルサレム包囲――1948年春(つづき)
  26 卵と砂糖とマツア
  27 グラブ・パシャからのしらせ
  28 「私たちはもどって来ます」
  29 「それでは行って石を投げたまえ」
  30 わずか一票の差で
  31 最後のポーカー
 第四部 聖都のための戦い――1948年5月14日~7月16日
  32 ユダヤ暦5708年8月5日
  33 「彼らは守り抜くであろう」
  34 「マリアの月 いちばん美しい月」
  35 「いったいどんな時計を見ているのですか?」
  36 一世代の悔恨
  37 「ナオミ、あなたのご主人がエルサレムを救ったのよ!」
  38 「雄弁かつ巨大な証人」
  39 「彼ら全員を、われわれは必要とする」
  40 「白旗を持って出る最初の男は、銃殺させる」
  41 「血のにじむ目」
  42 地獄に堕ちた人びとの饗宴
  43 「エルサレムからお休みなさい」
  44 「われわれはかつて、紅海を越えたではないか」
  45 「アラブの民は、決してきみを赦さないだろう」
  46 生者のための乾杯
  47 「寒露の如く」
  48 都の中の国境
  エピローグ
   年表/登場人物のその後/訳者あとがき

【感想は?】

 これを書いている現在は、まだ全体の1/3程度しか読み終えていない。が、敢えて断言する。この本は間違いなく傑作であり、紛争・戦争を描いたドキュメンタリーとして20世紀の最高峰と言っていい。異論はあるだろうが、コーネリアス・ライアンの「いちばん長い日」(史上最大の作戦)の上を行くと私は思う。

 ラピエール&コリンズの特徴は、圧倒的な取材量だ。その特徴が活きているという点で、「おおエルサレム!」は彼らの出世作「パリは燃えているか」すら凌ぐ効果を上げている。

 なんといっても、登場する人物の範囲が広い。イスラエルでは初代首相となるダビッド・ベン・グリオンはもちろん、ゴルダ・メイアー,イサク(イツハク)・ラビン,エルサレム防衛司令官のデヴィッド・シャルテールなど。アラブ側ではパレスチナ抵抗運動の礎を築いたハジ・アミン・エル・フセイニとその実戦部隊を率いたアブデル・カデルを始め、サウジアラビア王イブン・サウド,エジプト王ファルクウ,そしてトランス・ヨルダンのアブダラ王とアラブ最強のアラブ軍団を率いるグラブ・パシャことサー・ジョン・ベイゴット・グラブなど。両側の政治と軍の主要人物が勢ぞろい。若き日のナセルもチラリと顔を出す。

 と、戦った両側のVIPから取材しているのはもちろん、それ以上にこの作品を盛り上げているのは、エルサレムをはじめパレスチナの地に住むアラブ・ユダヤ両側の市民たちだ。

 アラブ側では。分割決議案の議決後、キナ臭くなった旧市街で突如売れ始めたトルコ帽で稼いだ帽子屋フィリップ・アルクウ。闇夜に拳銃を乱射しては向かいのユダヤ老婦人に諌められるナディ・ダイエス。イルグンの爆弾で妻を失うハメヘ・マジャジ。戦場となる旧市街を去るジブライル・カトゥール。

 ユダヤ側も多彩だ。カトゥールのよき隣人だったヤフェ一家。包囲で飢えたエルサレムへの補給を担ったロイヴィン・タミール。ベン・エフダ街の爆弾テロで俳優の道を絶たれるアブラハム・ドリオン。やはり爆弾で職場を吹っ飛ばされながら、不屈の闘志で立ち上がるテッド・ルウリエとシムション・リプシッツ。彼らの職場は、ローカル新聞バレスタイン・ポスト。

 分割決議案の直後より、双方がテロで相手の市民を追い出しにかかる。アラブ側の標的の一つがバレスタイン・ポスト。だが、テッドの妻は語る。「あなたの義務は新聞を出すことですよ」。翌朝六時、エルサレムの住民はバレスタイン・ポストの朝刊を手に入れる…たった一頁しかなかったが。この爆弾で片目を失った印刷主任のリプシッツは「残った片目に拡大鏡をつけて仕事を続ける。ユダヤ人国家誕生を告げる大見出しの活字を組むのは、彼である」。

 テロの応酬で殺伐としたエルサレム。だが、たった一箇所、アラブ人とユダヤ人が集団で平和かつ友好的に共同生活を送る場所があった。国際赤十字の代表のスイス人ジゃック・ド・レイエニ見つけた、狂気が支配する世界での唯一の楽園。

――狂人は、何としあわせだろう。
彼が訪れたのは、エルサレムの精神病院だったのである。

 などととりとめのないまま、次の記事に続く。

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2013年1月 6日 (日)

柴田錬三郎「眠狂四郎無頼控 1」新潮文庫

「なんの――私という男に、明日という日はない!」

【どんな本?】

 昭和の人気作家・柴田錬三郎の代表作であり、文庫本17巻に綿渡る長期シリーズの開幕編。時は文政、第十一代将軍・徳川家斉の時代。美形で凄腕ながら無残な運命を背負い虚無感を抱える剣士、眠狂四郎。己の運命を呪い人に情けをかけず、前に立ちふさがる者は女であろうと躊躇いなく斬る孤高の男。だが降りかかる火の粉を払う度にしがらみは増え業は積もり狂四郎に絡みつく。腐敗した世に血しぶきを上げ哀しきヒーローが駆け抜ける娯楽時代小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は1956年5月より週刊新潮に連載。1956年11月と1957年1月に「眠狂四郎無頼控 一・二」として新潮社より単行本が出版、1960年8月31日新潮文庫より文庫版発行。私が読んだのは2009年7月10日の67刷改版。長く愛されてます。文庫本縦一段組みで本文約491頁+遠藤周作の解説8頁。9ポイント38字×16行×491頁=約298,528字、400字詰め原稿用紙で約747枚。長編小説ならやや長め。

 娯楽路線の時代小説であり、日本語は読みやすい。連作短編の形であり、それぞれケリがついているので、次々と読み進められる。ただ、髷の形や装いが重要な意味を持つ場面が多いので、和装に疎いと細かいニュアンスが掴みにくいかも。

【収録作】

雛の首/霧人亭異変/隠密の果て/踊る孤影/毒と柔肌/禁苑の怪/修羅の道/江戸っ子気質/悪魔祭/無想正宗/源氏館の娘/斬奸状/千両箱異聞/盲目円月殺法/仇討無情/切腹心中/処女侍/嵐と宿敵/夜鷹の宿/因果街道

【どんな話?】

 とある空き家で開かれた賭場。壺振りのいかさまが露呈し刃傷沙汰となりかけた所に、わって入った浪人者が一人。壺振りの金八を表に連れ出し、妙な話を持ちかける。

「お前は、本職は、掏模だな」
「なに、お前の身ごなしの軽いのを借りてな、これから、押込強盗をやろうという趣向だ」
「金にはなるぞ。忍び入るのが大名屋敷だ」

 眠狂四郎と名乗る浪人者が金八を連れて行ったのは、老中水野越前守の屋敷。なんと狂四郎は門番に己の名を告げ、堂々と門から入っていく…

【感想は?】

 元祖ヴィジュアル系。

 私は「剣士物=ハードボイルド」的な思い込みがあって、その伝で行くと眠狂四郎はギャビン・ライアルの「深夜プラス1」のハーヴェイ・ロヴェルを連想する。口数は少なく陰を背負い、半ば人生を捨てているが、腕だけには拘りを持つ孤高の男。非情のダーティ・ヒーローというとまんま大藪春彦の「汚れた英雄」が出てくるけど、大藪ヒーローに見られる「野望」すら持たないのが眠狂四郎の特徴。イマイチ心を捨てきれない故の葛藤が、彼の哀しさを引き立たせる。

 ヴィジュアル系というのは主人公の眠狂四郎が死の匂いと虚無感を漂わせた白皙の美形というのもあるけど、同時に装いや仕草が作品の雰囲気作りで大きな役割を果たしている、という意味でもある。装い・着こなし・姿勢が、人物の立場・性格・気分を伝える、重要な役を果たす。

 主人公の眠狂四郎が、黒をよく纏う。これが、ダーティ・ヒーローとしての彼の印象を巧く伝えている。剣の技も独特だ。なんたって、必殺技の円月殺法、最初の構えが下段だし。まっとうな剣士は青眼だし、猪突型なら上段。下段ってのは、かなり屈折してヒネくれた人物像を伺わせるし、実際、屈折しまくってる。

おれは、天地にただ一人で生きて行ってやるぞ!

 まあ、生い立ちを考えれば、「そりゃ屈折するわなあ」と納得します、きっと。剣を学んだはいいが、心技体の技体だけ身につけ心を得そこなった男。情を押し殺し人を遠ざけ今日だけに生きる無情の剣士。だがそこはイケメン、やたらとモテる上に、ちゃっかり据え膳はいただく。ああ羨ましい妬ましい。

 構成もテレビ時代を予見したかのように、一話完結の連作短編の形。これは週刊誌連載という発表形式に拠るものなんだろうけど、お陰で読み進めるのが楽しい楽しい。各話でそれぞれ事件が起き謎が浮かび探索が始まり眠狂四郎が策を練り、そしてお約束の円月殺法が炸裂する。その上でシリーズ通しての話もジリジリと進むんだから憎い。娯楽作品のお手本みたいな構成だ。テレビ屋が放っとくわけないよなあ…と思ったら、何度も映像化されてる。当然だよね。

 脇役もいい。いきなり濡れ場の美保代さん、清楚な静香ちゃんのダブル・ヒロインもいいけど、狂四郎の手下を気取る金八が陰鬱になりがちなドラマに軽さと明るさをもたらしてる。まあ正体は巾着切りなんだけど、チャキチャキの江戸っ子。台詞がいちいち気風のいいべらんめえ調で、地口だらけの七五調のリズムが気持ちいい。

「ようよう――小指きりきり、きりぎりす、松虫鈴虫くつわ虫、蝶々とんぼは浮気者、来てはちらちら思わせぶりな――ってな。お安くねえや」

「へへえ、退屈、屁理屈、こちゃ空っ穴(からっけつ)、敷かれて重いが女房の尻」

 狂四郎をつけ狙う敵役が、これまたキャラが立ってる。この巻で印象的なのが、むささび喜平太と戸田隼人。喜平太はせむしの小男、最初の得物は槍。剣と槍って時点で狂四郎は圧倒的に不利な上に、「むささび」の異名は伊達じゃない。間合いの違いは円月殺法も封じ…

 見るからにイロモノな喜平太とガラリと変わり、戸田隼人は若く誠実な優等生。構えだって上段だ。邪道の狂四郎とは好対照。師の子龍平山行蔵からも見込まれ、極意を会得するなら彼と思われている。陰と陽、邪道と正道、浪人と御家人。腐敗した世を見限った狂四郎と、世を正そうと励む隼人。いや話は続くから、狂四郎が死なないのはわかっちゃいるが、それでも両者の対決は心躍るからシバレンの筆はたいしたもの。

 伴天連・抜荷(密輸)・隠密など大道具小道具を駆使し、時には怪談話も交えムッチリなお色気サービスも忘れない。各編ごとに起きる事件は解決するも、生じる因縁の糸は更に絡まり読者を絡め取ってゆく。連作の構成を憎いほど存分に生かした、昭和の娯楽作でありました。

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2013年1月 4日 (金)

河野元美「イスラエル・キブツの生活 バック・パッカー達のフィールド」彩流社

 ベイト・ゼーラのボランティア達がハッシシーを入手するルートは近郊都市ティベリアスで行きずりに出会うアラブ人からによるものだった。数回の廻しのみのために一ヶ月の労働奉仕によるポケット・マネー(2500円相当)に二倍の代金を払うそうしたビジネスに、たとえ好奇心と興味から参加しようとしたところで、私のように当時貧乏のどん底にいた者には出来るはずがなかった。

【どんな本?】

 数年間、海外の安宿を泊まり歩く者をバックパッカーと呼ぶ。イスラエルにはキブツという集団家族的な小社会があり、中には海外からの旅行者を受け入れるキブツもあって、貧乏だが暇だけはあるバックパッカーの溜まり場となっていた。

 1970年代後半から1980年代初頭、長期間キブツに滞在した著者が、そこで出会ったバックパッカーたちや、キブツの生活の内情、当事のイスラエル社会の様子、そしてヒッチハイクのコツやお国柄などを綴った遺稿集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2009年4月25日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約193頁+編集部による「刊行にあたって」2頁+奥様による「後書きにかえて」6頁。9.5ポイント44字×17行×193頁=約144,364字、400字詰め原稿用紙で約361枚。長編小説なら短め。

 日本語ネイティブの人の著作だけあって翻訳物よりは読みやすい。ただ、エッセイ集のような内容だが、著作を生業とした人ではないので、あまり巧みとは言えない。また、半ば日記のようなものであり、背景がわからず意味不明な文章も所々にあるので、そういう部分は適当に読み飛ばそう。

【構成は?】

 刊行にあたって/序文
第一章 ボランティア生活
第二章 ウルパン生活
第三章 友よ!そして旅立ち
第四章 イスラエルあれこれ
エピローグ
 後記/後書きにかえて

 各章は2~8頁の半ば独立したコラムから成っていて、気になった部分だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 バックパッカーの遺稿集的な位置づけなので、内容はかなり散漫。内容の多くは著者のキブツ生活を綴ったものだが、欧州のバックパッカー仲間を訪ねた際のエピソードや、国ごとのヒッチハイク事情の違いなども書かれており、副題の「バック・パッカー達のフィールド」の方がしっくりくる。

 とはいえ、キブツの報告は貴重だ。キブツはイスラエル独特の集団家族で、中には海外の「ボランティア」を受け入れるものもある(→Wikipedia)。70年代あたりはヒッピーの溜まり場になっていたらしく、冒頭の引用が示すように、本書にもそんな雰囲気が色濃く漂っている。

 著者も「ボランティア」としてキブツで生活した。ただ、キブツはボランティアとキブツのメンバーとの交流は活発でないらしく、キブツのメンバーの記述は控えめで、紙面の大半は各国から集まったボランティアの生態に割かれている。

 ボランティアの宿舎は基本的に四人部屋。安宿ならドミトリーに該当する。混む時期には男女も同室になる。バックパッカー同士の交流は活発で、となれば当然カップルが生まれたり分かれたり。当時はソレを目当てにキブツに来る輩も多かったらしい。

 ボランティアという事なので、仕事もある。原則として一日6時間、著者はグレープフルーツ農場で多くを過ごす。バナナ農場は過酷で、特に収穫期がキツい。「バナナの房は最小のものでも20キロ~25キロもある。巨大なものになると40キロ~50キロ近いものまであるのだ」。厨房のホール係りもあるし、工場労働もある。

 中には武器工場もあり、それに対するボランティアの立場は様々。ストライキを決行するスイス人たち、単に労働と割り切って働く者たち。著者はこういった事を真面目に考え込んでしまう人柄らしく、それが本書に独特の「臭み」を与えている。自然体で生活している「来て見てシリア」の清水紘子氏とは対照的だ。

 対人関係も深く考えでしまう感があるが、その分、細かく観察もしている。曰く「キブツでは社交性が第一」。内気ではやっていけない。それも巧く立ち回れということではなく、「ソーシャル(社交的)であるためには、良きにつけ、悪しきにつけ、どんどんやる奴が一番なのさ」。催し物などでは、飛び入りで参加して暴れると喝采を受ける。「職業的プロの芸術家達が見せるショーなどにはあまり期待しない。(略)キブツが評価するのは素人芸でも積極的に参加する人々の姿勢であり、その輪が第一なのだ」。

 とまれ、言葉がわからないと社交もへったくれもない。ってんで、全般的に英語が得意な英米人が仕切りがちになる。一念発起した著者、ウルパン(ヘブライ語特訓会話学校)へ入学する。宿舎も豪華だし労働時間も平均4時間に減る。ところがここでも、内気は損気となる。筆記ではトップの筆者が、会話ではヘロヘロ。苦闘の末に著者が掴んだ外国語習得の極意は貴重な教訓。

日本の学校教育の中で習得して来た日本人英語力というものを一度思い切りズタズタにやぶり捨てるしかないと思う。
 裸一貫になることは怖いことだが、それを一度思い切ってやらない限り会話力は根こそぎになる。
(略)ノートに文章化してしまうのではなく反復することが必要だったのだ。
(略)書くことではない。頭を操縦して、しゃべる事だと。

 会話もキブツの生活同様に最初は気後れする著者だが、コツを掴むとがむしゃらに取り組みはじめる。

 生真面目な著者はボランティアでも懸命に働く。労働もお国柄がある模様で、一般にボランティアは怠け者が多い様子。そんな中でも日本人は全般的に真面目に働く。同様に真面目なのがベトナム人で、ベトナム系ユダヤ人のエピソードは大笑い。あんまりにも勤勉なベトナム系移民者たちのリーダーに対し、工場長が叫ぶ。

「頼むから君の兄弟たちに、もっとゆっくり労働するように特訓してくれないか!」

 わはは。米作が中心で、中国の周辺国という共通した事情が、似た国民性を育てたんだろうか。

 音楽にもお国柄が出る。ウルパンも三人部屋で、そこで相部屋となった西ドイツ北方出身のヨャーグ君に著者は童謡「七つの子」を教えるが、ヨャーグのアレンジによって「三拍子の陽気な童謡となってしまった」。ヨャーグ君、ドイツ人らしく、機械的なまでに規則正しい生活をしていたそうな。この後、彼は皮肉な運命にのまれることになる。似たような事情のフランス人パトリック君も切ない。

 やはりイスラエルとしてはドイツに特別な感情を抱いているらしく、「プレゼント」で提供される旅行の行き先にはちゃっかり「独立戦争のモデルフィールドとナチス虐殺の記念館」を含んでいる。同じドイツ系の者でも、ユダヤ系は受け入れるが、プロテスタント系には冷たく当たる人もいる。

 過酷な労働、乱脈な男女関係、夜通し踊るバックパッカーたちの底知れぬバイタリティ、仲間と巧くやれる者と孤立する者、夜毎のハッシシー(マリファナ)パーティー。現在のキウツはボランティアの受け入れに消極的になっているらしく、またボランティアの側も「良い子」が増えているらしい。70年代の野卑なまでのエネルギーに溢れた若者たちが集まり、そして旅立ってゆく。あの時代だけに存在した、奇妙な共同体の貴重な記録。

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2013年1月 3日 (木)

小川一水「天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち」ハヤカワ文庫JA

「それにしても、なんなんだろう。考えるとしたくなる、この……この胸の中の、厄介で手に負えなくて、ほかのこと全部を無視しようとする、とことん懲りない、これは。どうしておれは、おれたちは、こんなにほしいんだろう。なんとかならないのか?」

【どんな本?】

 小川一水が長大な構想の基に全10部の予定で紡ぎだす、未来史シリーズ「天冥の標」の第四部。植民惑星の動乱を扱う「メニー・メニー・シープ」、近未来のパンデミックを描く「救世群」、そして航海一族アウレーリアにスポットをあてた「アウレーリア一統」に続き、第四部は「恋人たち」にスポットを当て、宿命が与える壮絶で抱腹絶倒の生き様を活写する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年5月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約515頁。9ポイント40字×17行×515頁=約350,200字、400字詰め原稿用紙で約876枚。長編小説としては長め。

 文章はこなれていて読みやすい方。ただ、SFであり舞台の多くが小惑星帯の低重力環境なので、SFっぽいガジェットが苦手な人には辛いかも。長いシリーズ物ではあるが、(恐らくは意図的に)時代をシャッフルした順番で刊行しているので、どの巻から読み始めても構わないのも嬉しい。

【どんな話?】

 2313年、セレス。港湾の荷役労働者たちは、好き者のベンに誘われ、給料日のお楽しみへと出かける。今日の目的はただの店じゃない。なんと、ベンが『ハニカム』を見つけた、というのだ。新入りのアルゲーロも期待に胸と股間を膨らませ、店が集まっているランタン・クォーターに向かう。

 が、どうやらハズレで、『ハニカム』はカタリだったらしい。とはいっても、アルゲーロだって溜まっている。せっかく来たんだ、せめて一戦と割り切り臨戦態勢を整えた所に、とんだ邪魔者が現れる。乙女の仮面と老人の仮面の二人組みが荒っぽく乱入して来たのだ。

「わたくしたち市民は、次代の社会をになうべき同胞が、社会の一員として敬愛され、かつ、良い環境のなかで心身ともに健やかに成長することをねがうものです」
「わたくしたち市民は、家庭や船艇や勤労の場所その他の社会における正しい指導が、同胞の人格の形成に寄与するところきわめて大なることを、銘記しなければなりません」
「わたくしたち市民は、心身ともに健全な同胞を育成する責務を有することを深く自覚し、同胞もまた、社会の成員としての自覚と責任をもって生活を律するように努めなければなりません」
「麗しかれかし、潔かるべし」

【感想は?】

 大真面目なスペース・ポルノ。

 今回、スポットが当たるのは、「恋人たち」。彼らの主な仕事が娼婦・男娼である以上、どうしてもそーゆー場面は必要になるんだが、それを考慮に入れてもこの巻は頑張りすぎというか、きっと著者もそーゆー方向での面白さを目指し敢えてサービス場面をドカドカと投入したんだろうなあ。

 しかも、単にエロティックにするだけではなく、SFならではの真面目な考察が冒頭から炸裂してるあたりが、この著者の一筋縄じゃいかないところ。なんたって、舞台は宇宙だ。重力はないか、あっても極めて小さい。それが便利な場合もあるけど、物理法則は作用反作用だ。下手に押せば互いに離れてしまう。となると、激しく繰り返し動くというのは、かなり難しくなる。それじゃどうするかというと…

 ってのもあるし、無重力化で液体を飛び散らせると大変な事になる。昔も今も、商売でやってる所は、大抵が水を大量に使う。いや飛び散るのは水だけじゃないけど。というわけで、そーゆー職場や使う道具も、無重力環境に合わせて色々と工夫しなきゃいけない。

 などと、いかにも科学的な問題点を拾い出し、それにいちいちもっともらしい解決策を示すのが、なんともおかしい。いやキチンと考えて納得できる解ではあるけど、今までこーゆー事を真剣に考察した小説って、案外と見当たらないし。大抵は軽い描写で済ますか、ポルノとしての面白さを追求し物理法則を無視するかの両極端で、真面目にポルノしてる作品なんて滅多にないわけで。

 さて、今回の主役は「恋人たち」。彼・彼女らの存在意義、生きる目的が…うん、まあ、名前でだいたい想像つくよね。ところが、これ、突き詰めて考えていくと、実は意外と難しい。今回、お客になるのは、ムッツリスケベなキリアン君。若いだけあって、そりゃ元気だ。彼のお相手となるのがゲルトルッドとアウローラの姉妹。羨ましい。実に羨ましい…って、まあそれは置いといて。

 単にスケベなだけなら、後は小手先の技術の問題で済む。衣装を変えたり、状況を変えたり…って、まんま、コスプレ風俗だけど、実際、そういう場面が次々と出てくる。これがまた、宇宙時代だけあって、実に凝ってる。それはそれで面白いのだが、問題はキリアン君がムッツリだって事。これが、「恋人たち」の仕事に一段と深みを与えてゆく。

 主人公のキリアン君、人一倍スケベでありながら、同時に人一倍ムッツリでもある。若さゆえの羞恥も手伝って、なかなか素直になれない。それに対し、生まれながらの「恋人たち」であるアウローラは、実に屈託がない。両者の会話は、「恋人たち」の難しい立場を浮き彫りにする。と同時に、それは人間の心の屈折したややこしさの投影でもある。

 などと難しい事を考えられるのは読み終えた今だからであって、読んでる最中は笑いっぱなし。重要な問題を真面目に語りあってるのだが、両者のズレはギャグ漫画そのものだから可笑しい。

 明らかなコミック・テイストを更に盛り上げているのが、聖少女警察ことPV。特にエルンゼアナ・ボルテージ。衣装はどっかの魔法少女モノっぽいし、容姿は…えっと、私は「ゼロの使い魔」のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを連想した。言葉遣いはちと荒いけど、釘宮ヴォイスだと思って読むと、より可笑しい。ちなみに私的にゲルトルッドは同作品のキュルケなんだけど、ヒロインのアウローラがピンと来ないんだよなあ。性格的にはティファニアなんだけど、スタイルはむしろタバサだし。あ、でも声は能登声があってるかも←どうでもいい

 時代は2313年に設定されている。先の「アウレーリア一統」に続く時代であり、懐かしい名前も次々と出てくる。これがシリーズ物の嬉しい所。前回に引き続き「救世群」も重要な役で出てくる、というか、このシリーズ、案外と救世群を中心とした物語なのかな、と思ったり。

 少しづつ舞台の裏側が明かされるのは、この巻でも同じ。「アウレーリア一統」では裏方だった存在が、やはりここでも暗躍している。

 性愛という難しいテーマを、真正面から捉え誠実に、けどサービスも忘れずに考察した物語。でもやっぱり笑っちゃうんだよなあ、どうしても。

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2013年1月 2日 (水)

クリス・エヴァンス「精密の歴史 人間はいかに精度をつくってきたか」大河出版 橋本洋/上野滋共訳

 精密工学は、新しいテクノロジーと考えることができる。つまる、少なくとも従来の専門分野の構成要素を新たにグループ化し、包含するものである。ただ「精密工学研究者」の新興共同体は、まったくといってよいほど共通の文化を持たず、産業革命よりはるかに先んじている時計製作や天文学、機器製作にそのルーツを持ちながら、歴史に対する感覚がない。

 ここで説明した背景にある論理的な拠りどころは、「精密工学の歴史」を確立することによって、無駄な際発明を少しでもなくしたいということであった。世の中には、単純な歴史など存在しない。

【どんな本?】

 天体の運行や経過時間などをより正確に測るなどの科学の要求や、仕様に出来る限り近いボルトやナットを作り誰がどこで作ったボルトやナットでも自由に組み荒らせて使いたいなどの工学・産業の要求に応えるため、科学者や職人は正確に測る・作る努力を費やしてきた。それは熱による膨張や重さによるたわみ、または材質の不均衡や床の振動など、誤差を招く要因との戦いでもあった。

 この本は、研究者・工学者そして技術者向けに精密を追及した歴史を綴るとともに、細分化しがちな精密工学の関係者たちに向け俯瞰的な視点をもたらし「車輪の再発明」を防ぐ目的で出版された。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Precision Engineering : an Evolutionary View, by Chris Evans, 1991。日本語版は1993年5月20日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約252頁。8.5ポイント39字×20行×約252頁=約196,560字、400字詰め原稿用紙で約492枚。小説なら標準的な長編小説の分量。

 量こそ少ないものの、かなり読みにくい。訳者は両名とも工学者で、読みやすさより正確さを優先した文章である上に、そもそも機械工学の研究者・技術者・学生を読者に想定しているため、「割出し」「剛性」「親ねじ」など機械工学の専門用語が説明なしで出てくる。学術書または論文と思っていい。

【構成は?】

 日本語版へのまえがき/まえがき
序論
第1章 なぜ精密か
第2章 設計思想と技術
第3章 精密機械要素
第4章 円周および直線割出装置
第5章 回折格子の生産
第6章 コンパレータと長さ標準
第7章 ダイヤモンド工具とシングルポイント旋削加工
第8章 精密工学を築いた人々
むすび
 「精密の歴史」概略年表/略語・頭字順/注記と参考文献/索引/訳者あとがき

 頁の上1/4が本文で、下1/4に図版・表・写真などの補足資料を置く体裁。頁をめくらずにイラストを参照できるのはありがたい。「注記と参考文献」は40頁にも及び、完全な専門書だ。

【感想は?】

 自分が期待した内容と、だいぶ違っていた。

 期待した内容は。5W1H、つまり「誰が・何を・いつ・どこで・なぜ(動機または目的)・どうやって・どれぐらい」の、「どうやって」に比重を置いた本、つまり正確に測る・作る手法や道具の進歩を語りつつ、「精密」を作り出す技術の基礎を学べる本だと思っていたのだが。

 実際には、専門家向けの本だった。5W1Hだと、「誰が」の比重が最も重く、それに「何を・いつ」が続く。つまりは、「最初に手法や道具を編み出した栄誉は、誰に与えるのが妥当か」に重点が置かれている。私が期待した「どうやって」の部分は、省略されていたり、専門用語満載で歯が立たなかったり。

 まあ、それは間違った期待をした私が悪いのであって、本書の欠点とするのはいいがかりだろう。

 さて。普通の人が精密機械と言われてまず連想するのは、時計だろう。これについては同じ意見の専門家もいて、ルイス・マムフォード曰く。

近代産業時代の基調をなす機械は、蒸気機関でなく時計である。時計は近代技術の先端を行くものであり、それぞれの時代において首位を保ってきた。時計は、他の機械が熱望する技術の極地である。さらに時計は、多くの機械仕事のモデル的役目も果たしてきた。

 としている。だが、別の意見もある。W.F.ダーフィーは「互換性の真のパイオニアは印刷業者であり、彼らは動かす活字の寸法をある限度以内に維持しなければならなかった」と主張し、更にこう続ける。

工作機械で製作する重要な機械要素のなかで、互換性を求められたのは歯車だった。そのために歯形の精度とピッチの均一性が最も重要であることは、時計メーカーがはっきりと証明していた。

 精度の敵はいろいろあって、まずは温度。金属は熱で膨張するからね。クロノメーターを作ったジョン・ハリソンは鉄と真鍮を組み合わせた。他に室温を一定にしたり、木やコンクリートなど材質を工夫したり。18世紀のジョン・バードはグルニッヂ天文台で、「室内の3、4人の体温が太陽と同じ影響を与えるので、私は、助手の入室を一人以上は決して認めなかった」。

 振動対策も大変。台座に花崗岩やコンクリートを使えば熱での膨張・収縮が少なくて便利だけど、振動は伝わってくる。「風のある日には、刻線製作は機械が設置されている建物の近くにある木の揺れによって影響を受けた」とか道路を走る馬車の振動とか。

 ここで、有名なマイケルソン・モーレーの実験(→Wikipedia)が出てきたのは嬉しかった。エーテルの存在を実証するため、「向きにより光の速度が変わる」由を証明しようとした実験。これに使った装置、石のテーブルの上に光学装置があるんだが、その石のテーブルは水銀の上に浮かべてある。水銀の上に乗せる、という案は、かなり愛用されていた様子。

 加工機械の花形といえば、やはりダイヤモンド。硬いんで、金属を加工する刃先などに使われる。最古の記録は1779年のジェシー・ラムズデンが直線刻線機の製作で「工具の先端にダイヤモンド切れ刃を付けた」と記述している。工業用ダイヤモンドは色々な名前で呼ばれてて、Carbonado とか Black Diamond とか bort とか。「この10~15年間に、合成多結晶ダイヤモンド工具が入手かのうになり」って、パソコンの低価格化にも関係してるのかしらん…と思ったら「コンピュータメモリ用ディスクは、現在光学以外の応用分野で主たるものである」そうな。

 先のジョン・ハリソンを初め、ティコ・ブラーエやロスアラモス国立研究所、またはツァイスなどメカや科学に興味がある人には馴染み深い名前が出てくるかと思えば、あまり有名でない職人さんの名前が出てきたり、出てくる人名や機械は色とりどり。金属の削り屑の匂いが漂ってきそうな、硬派で専門的な本だった。

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