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2012年12月 2日 (日)

「ただのSFではない」「ただのロックンロール」

柴野拓美「いいSFが出てくると『これはただのSFではない』と言い出す人がいてムカムカする」
RCサクセション「そうさ これは ただのロックンロールショウ」

 「これはただのSFではない」、あったね、そういう言い方。大抵は主流文学に主軸を置いている人が、社会風刺を含んだSF作品を持ち上げる際に、よくこういう言い方をした。

 対して、RCサクセションの「ただのロックンロール」。この言葉をどう解釈するかは人によりけりだけど、私は「ただのロックンロール」ってのは、誉め言葉だと思っている。これでどんな曲を連想するかというと…

 Beatles の I Wanna Hold Youre Hand,Free の All Right Now,CCR の Up Around The Bend,Doobie Brothers の China Grove,AC/DC の Bad Boy Boogie,そして KOTOKO の Princess Brave!。

 ロックのスタンダードである、Johnny B. Goode や Long Tall Sally とかの流れを汲んだ、覚えやすくてわかりやすいリフとノリのいいアップテンポのリズム、メロディーは長調でエイトビートの曲。ついでに言うとギターはあましエフェクターを使わずシンセもナシ、でもコーラスは欲しい。小細工なしで直球勝負な雰囲気の、ライブでギターがイントロを弾きはじめると聴衆総立ちで会場が沸騰する、そういう感じ。

 つまり、「ただのロックンロール」といった場合、「ロックンロールはそれ自体が魅力的なモノだ」という認識が、そこにはある。「その分、ゴマカシが効かなくてバンドの地力が露呈する」みたいな視点も。そして、「ただのSFではない」という言い方には、SFを見下す視点が反映してる。

 じゃ、「ただのSF」というと…うーん、マイク・レズニックの「サンティアゴ」かな?でもあれは、「ただのSF」というより、むしろ「ただのスペースオペラ」なんだよなあ。

 SFではなく他のジャンル小説で考えよう。「ただの推理小説」。パッと思い浮かぶのは、クロフツの「樽」。人物描写や心理描写を禁欲的にまで切り捨て、出来る限り純粋に「捜査」「推理」そのものの面白さを追及した作品。でも、これを「ただの推理小説」とか言ったら、ミステリ・ファンは怒って、抗議が殺到するだろう。「本格派と言え!」と。

 おお、そうか。「本格派」と言えばいいのか。じゃ「本格SF」なら…うん、うじゃうじゃ出てくる。「幼年期の終わり」「アイの物語」「砂漠の惑星」「マカンドルー航宙記」「日本沈没」「神狩り」「戦闘妖精・雪風」「スターメイカー」「都市」「たったひとつの冴えたやり方」「造物主の掟」「スタータイド・ライジング」「サターン・デッドヒート」…キリがない。でも、これらを「ただのSF」と言われたら、やっぱり気分が悪い。

 再び発想を変えて、「本格派」をロックに適用してると。例えば、AC/DC を「本格派ロックンロール・バンド」とは…言わないよなあ、やっぱり。なんか最近はヘビー・メタルっぽく言われてるけど、私は「愚直なブギー・バンド」だと思う。というか、そういう、あんまし進歩しない感じが好き。アンガス・ヤングには、ずっとクソガキでいて欲しい。そしてクソジジィになって、ずっと下品なケツ出しパフォーマンスを続けて欲しい。

 などと考えつつ、結局、SFとロックンロールの違い、「ただの」と「本格」の違いは、わからないままだった。すんません。

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