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2012年12月27日 (木)

子母澤寛「父子鷹 一・二」嶋中文庫

「不思議でございますねえ。麟太郎さんが鳶に見えますかなあ。叔父上はあれ程お見事な剣術の行司をなさるに、麟太郎さんははっきり見る事はお出来なさいませんか。尤も高い山は麓からでは見えませんからね。余りお近いからです」

【どんな本?】

 勝海舟の父・勝小吉を昭和初期の人気作家、子母澤寛が描く長編小説。

 腕は立つが酒は飲めず、旗本でありながら気風のよさで江戸の町人たちに慕われ…るはいいが、面倒事があれば何かと頼られ更に取り巻きが増えてゆく。うるさ型で秀才の兄・彦四郎は御番を求め八方手を尽くすが、小吉ときたら生来の無頼は押さえきれず美味しい話を棒に振る。

 幕府の土台が崩れつつある江戸末期を舞台に、破天荒な男の爽快な生き様を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によると、「1955年5月から1956年8月まで読売新聞夕刊に連載」。私が読んだのは嶋中文庫版で2005年3月20日発行の第一刷。文庫本縦一段組みで本文約519頁+483頁=1,002頁に加え、筆者あとがき5頁+筆者と司馬遼太郎の対談「幕末よもやま」19頁を収録。

 9ポイント39字×17行×(519頁+483頁)=約664,326字、400字詰め原稿用紙で約1661枚。普通の長編小説約三冊分。昭和初期の歴史物とはいえ文章は充分に現代文で、意外とスラスラ読める。ただ、現代では使わない言葉が一部に出てくるが、まあ文脈でわかるだろう。例えば「中風」、これは脳卒中を示す(→Wikipedia)。また、レイアウトが当世風らしく、場面転換でも行を空けないのが少し面食らった。

【どんな話?】

 父の男谷平蔵の財と兄の彦四郎の奔走により、なんとか小普請支配石川右近将監のお見送りにありついて二年、やっと三度目のお声がかりとなったのは勝小吉十七の時。御番入りには更に五百両を工面せねばならん。「おれはもう嫌になった」と不貞腐れて帰る途中の永代橋、出会わせたのは黒門町の紙屋のせがれ長吉。

 「やっぱりあなたさまは御武家様でございましたね。どうも唯の乞食とは思われませんでした」

【感想は?】

 なんたって幕末の英傑・勝海舟の父親である。さぞかし立派な…と思ったらとんでもない。出だしからいきなり乞食だ。別に貧乏ってわけじゃない。実家の男谷家はむしろ身分不相応に裕福で、小吉をお役につけるため賄賂をばら撒いている。

 賄賂でお役が決まる、という実にわかりやすい形で、読者には当事の幕府の内情が伝わる。以降、秀才の兄・彦四郎は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、何かと小吉のために奔走しては、小吉がこれをブチ壊す。小吉の顔を見れば小言ばかりの兄ちゃんだけど、やってる事は「なんとか小吉を正道に戻そう」と四苦八苦。わかりにくいツンデレだね。父ちゃんの平蔵もその辺は飲み込んでて。

「あ奴は腐敗堕落地獄の底にある今のご正道に、素直に服して上役にあげへつらいおれる奴ではない。御番入りをしたら却ってむずかしい事をひき起こし、閉門、切腹などと、こちらが心配しなくてはならぬかも知れんのう」

 さてこの小吉、天下の旗本とはいえ今は無役。道を歩けばゴロツキ共が寄ってきて、「勝様勝様」と持ち上げては面倒毎を持ち込んでくる。曰く講の金を使い込んだ、火消しの中組み八番と北組み十二番の喧嘩だ、夜鷹の切見世にチンピラがたかりに来る…。巾着切り(スリ)の弁治と強請りの五助が飛び込んできたら、たいていは悶着も道連れだ。

 ってんで、町の有象無象が持ち込む騒動を、小吉が「嫌だ嫌だ」と言いつつ担ぎ出されてカタをつける、そういう形で物語りは進んでゆく。小吉本人は「お旗本だい」と威張っちゃいるが、やってる事はヤクザと変わりない。睨みを利かせ時には腕っ節でゴロツキを追っ払い、その手並みの鮮やかさが更に評判を呼ぶ…のはいいが、同時に持ち込まれる悶着の尻も大きくなっていく。

 中でも困るのが岡野の殿様、孫一郎。千五百石の大身でありながら女には目がなく、長年連れ添った女房を他所に女行者に入れあげる。この人、ホントにしょうもない人で道楽に迷い家を食いつぶすだけの好色爺さんで、女への入れあげようはもはや天晴れとすら言いたくなる。いや単なる助平爺いなんだけどね。

 破天荒なのは主人公まかりでなく小説の作りもそうで、なんたって主人公の本名が出てくるのは二巻の末尾近く。「小吉って何か町人みたいな名前だなあ」と思ったらやっぱり幼名で、実はちゃんと武士らしい名前があった。千頁近い長編で主人公の名前が出てくるのが一回きりってのも酷いw

 とはいえ、この小説の文体だと、確かに「小吉」の方があってる。落語や講談とまではいかないが、全般的にべらんめえ調で強烈なリズムの文体で、気の利いた台詞がひょこひょこ飛び出す。

「本当です。片輪にはいつでもなれるが、男になれるのは一生の間にあるかないか知れないものだとはっきり思い知りました」

 麟太郎の懐妊の際の父ちゃん(平蔵)の台詞も酷いw

「座敷牢の中で出来た子だ、並の子ではない」

 誉めてるんだか貶してるんだか。厳しい兄ちゃん(彦四郎)も甥は嬉しいようで…

「小吉、お前という奴は途方もない事ばかりやっているが、子供だけは立派に拵えおった」

 兄ちゃんは養子を貰ってるためか、やっぱり血縁は嬉しいようで。兄ちゃんの養子の精一郎さんも出来た人で、小吉から麟太郎を剣の弟子にと請われて曰く。

「叔父上と二人がかりなら引き受けます。技はわたしが教えます。心は叔父上がお教え下さい」
「叔父上、あなたは麟太郎を唯の剣術遣いになさるお考えでありますか。わたしは麟太郎さんをある程度の剣術遣いにする事は出来る自信はあります。しかし、それは何処にもおりましょう。そんな事では詰まりません」

 さすがに昭和初期の作だけあって、用語は少々今と違うものの、きっぷのいい文体と台詞は慣れると心地いい、だけでなくついうつってしまうから困る。殿様というより親分と呼びたくなる男の半生記、接客の仕事が多い人には毒かもしれない。

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