谷泰「牧夫フランチェスコの一日 イタリア中部山村生活誌」平凡社ライブラリー
戦前は、かれらも、他の村人とおなじく、自家消費用の十数頭の羊しかもっていなかった。だから大羊所有者のもとで雇われて、日銭を得る一回の牧夫にすぎなかった。ところが戦中戦後、多くの村人たちが自家所有の羊を売り払おうとした。かれらはそれを買い集めて、その所有頭数を増やしたのであった。村の共有放牧地になっている上牧地は、いまやこの二人の兄弟しか、夏に放牧をするものはいない。
――牧夫フランチェスコの一日
【どんな本?】
イタリア中部のクェルチーノ村は、普段の人口は230人程で76戸の山村で、羊の移牧を主な産業としてきたが、20世紀になり電気や自動車が入り込み、若者はローマなどの都市へと出て行きつつある。クェルチーノ村をフィールドワークで訪れた著者は、クェルチーノ村の6人の目を通し、20世紀のイタリアの山村の生活の変転を綴る。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
元は1976年8月に日本放送出版協会より刊行、1996年4月15日に平凡社ライブラリーより初版第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約266頁+平凡社ライブラリー版あとがき11頁+野村雅一の解説6頁。9ポイント41字×15行×266頁=約163,590字、400字詰め原稿用紙で約409枚。やや短めの長編小説の分量。
学者さんの書いた本だが、学術書というより小説のようにスラスラ読める。文章が素直な上に、構成がいい。各章それぞれ一人の人物にスポットをあて、各員の視点で自分の人生と村の生活の変化を語る形になっていて、連作短編集のように楽しい。
【構成は?】
序 イタリアの村から
Ⅰ レオナルドの遍歴
Ⅱ 村を出たマッテオ
Ⅲ 牧夫フランチェスコの一日
Ⅳ ある夏の日のカリーノ
Ⅴ 司祭の試み
Ⅵ 若者たちのあした、あるいは村の行方
平凡社ライブラリー版あとがき/解説 イタリア山村への共感の糸口 野村雅一
各章はそれぞれ独立していて、個々の人物(レオナルド,マッテオ、フランチェスコ,カリーノ,ドン・トマゾ,バッティスタ)が自分の視点で村を語る形。序章は舞台背景を語るので最初に読んだ方がいい他は、気になった所だけを拾い読みしても構わないが、できれば頭から順に読んだ方が面白い。
【感想は?】
20世紀とは、なんとも激動の時代だったんだなあ。
クェルチーノ村は13~14世紀には存在したらしいが、第二次世界大戦までは電気も自動車も、水道すらなく、羊の移牧を主な産業としていた。ところが第二次世界大戦あたりから急激に文明の波が押し寄せ、若者は教育を身につけ都会へ出て行き、移牧を専業とするのはフランチェスコ&エジディオのディ・チューザレ兄弟だけとなる。
羊の移牧なんて日本じゃまずお目にかかれない職業で、「いかにもイタリアだよなあ」と異国情緒もあるが、同時に村の急激な文明化と人口流出、そして新旧世代の行き方・考え方の違いは、日本と共通…どころか、今では世界中の至る所で共通して抱えている問題だ。
などという大袈裟な問題意識もあるが、同時に酒場で知り合ったオッサンから人生遍歴を聞くような面白さもある。というか、基本的にはオッサン達が自分の人生を振り返る、という形でこの本は語られる。酔ったオッサンの話は往々にしてクドい上に職務上の細かい事柄は専門用語バリバリで要領を得ないが、この本は文化人類学者の著者がオッサンの代弁をする形なので、専門的な話はわかりやすく解説してくれる。ありがたや。
物語の舞台となる村の背景は、イタリアの田舎クェルチーノ村。近くの町までロバに乗って一時間はかかる。伝統的に牧夫で食ってきた村だが、第二次世界大戦あたりから道路ができ電気が来て若者は教育を受け都会へ出て行き、牧夫業は廃れつつある。司祭ドン・トマゾは道路建設や教育に尽力して文明化を後押しするが、同時に村の行事や歌などを掘り起こし伝統文化を保存し村人の誇りも守ろうとしており、また観光資源としての活用も考えている。なんか、日本にも似た構図があるような。
最初の登場人物レオナルド、雇われ牧夫として出稼ぎに出るが親方に恵まれず、流しの梳毛職人として暮らす。牧夫も楽じゃない。朝四時に起き搾乳を手伝い、昼は100頭の群の面倒を見る。冬の雨降りでも戸外に立ちっぱなし。夜七時に帰ってチーズ作りの手伝い。それでも低賃金の牧夫が見つかればお払い箱。流しの梳毛職人も仕事があればいいが、なければ数日間も無駄な旅が続く。
マッテオの父親は100頭ほどの羊を持っていたが、マッテオは徴兵を機にローマで大工として働く道を選ぶ。「農民ならば、村に帰ったすぐその日から、くわを持って土地を耕しはじめれば、やがて収入が約束される」が、牧畜は一旦家畜を手放すと「一年や二年で頭数を増やすことはできない」。一度潰れた畜産業を復興させるのは大変なんだなあ。
フランチェスコは廃業する村人の羊を買い取り、今は600頭ほどの羊を持っている。ここで語られる牧夫の仕事は、かなり知恵と経験と体力が要る熟練労働だ。600頭の大半はメスで、オスは10頭程。オスの大半は幼い頃に屠殺する。乳が取れないのもあるが、交尾期=妊娠時期を延ばし乳を長期間安定供給する意味もある。群に一頭、去勢したオスの誘導羊を入れ、調教して命令を仕込み、群をリードさせる。放牧地の移動ルートを設定し、羊の寝所も定期的に変える。糞まみれは羊の健康によくないし、放牧地の肥やしもまんべんなくまきたい。
カリーノは褄のフィロメナと小間物屋を営業しつつ農業を続けている。モノ本位のカリーノとカネで考えるフィロメナのすれ違いがおかしい。カリーノは「ニンニクぐらい畑で作ればタダだ」と考え、フィロメナは「店に精を出したら、それぐらいのカネは入る」。オルガネット(アコーディオンに似た楽器)の名手のカリーノと、村一番の踊り手だったフィロメナ。青年団の催しで舞台に立つ夫婦、カリーノは見世物扱いされるようで嫌がっているが、フィロメナは観客の拍手が楽しくて有頂天になる。
この本のハイライトは、「Ⅴ 司祭の試み」。理想に燃えクェルチーノ村に赴任した司祭ドン・トマゾ、都会者の彼の視点を通してみるレオナルド・マッテオ・フランチェスコ・カリーノと、彼らの視点での彼ら自身の物語りとの大きな違いに、最初から大笑いしてしまう。見世物扱いを嫌がりむっつりしたカリーノが、彼の目を通すと「にがみばしった」となる。
そして、最後に登場するのは若者代表のバッティスタ。ローマ大学工学部電子工学科の学生で24歳、日頃はローマで生活するが、村の評議員でもある。共産党の党員となり、司祭ドン・トマゾの文明開花の努力も「キリスト教民主党ラインだということで、賛成できなかった」。ローマに生活基盤を置きながらも、自分はクェルチーノ村の者だと思っているバッティスタ。この章で語られる、都会に基盤を置く者と村に定住する者の軋轢は、イタリアだけの現象ではあるまい。
オッサンの人生の物語であり、伝統的職業の報告書であり、貧しい山間部に生まれた庶民の生活史であり、色男と美女の結婚生活の内情であり、理想に燃える伝道師の奮闘記であり、また現代文明の波に揉まれる山村の歴史でもある。文化人類学者の著作であるだけに食事など細かい部分での異国情緒がふんだんに詰まっていると同時に、機械文明と世代が変えてゆく村の生活という大筋では他国とは思えぬ共通点が目に付く。
学者の著作ではあるが、決して小難しい内容ではない。あまり構えずに気軽に読もう。
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