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2012年12月の16件の記事

2012年12月31日 (月)

SFマガジン2013年2月号

いちばんの難関は“スレーブ・モションコントロールカメラ”だった。身長差のあるホビットやドワーフ、魔法使いをワンフレームに違和感なく収めるときに使った新技術なんだ。
  ――映画「ホビット 思いがけない冒険」監督 ピーター・ジャクソンのインタビュウ

 280頁の標準サイズ。今回は日本作家特集として、樺山三英・宮内悠介・藤井大洋・オキシタケヒコの短編の他、梶尾真治の怨讐星域25話「星条旗よ永遠なれ」とシオドラ・ゴスの短編「クリストファー・レイヴン」を収録。

 特集のトップバッターは藤井大洋「コラボレーション」。検索エンジンの暴走によりインターネットが崩壊し、完全な認証型ネットワークトゥルーネットに置き換わり20年がたった未来。だが日本では、管理責任の押し付け合いなどで宙に浮いた旧型サーバーがゾンビのように生き延び、宛てのないメッセージを送り続けている。旧型サービスの痕跡を履歴から拾い上げてサーバー運営者に連絡する仕事に携わる高沢は、懐かしいURLを目に留めた…
 多くの老いたプログラマにとっては、若い頃に自分が書いたコードなんて活火山の火口に放り込みたいシロモノだったりするが、多少でも利用者がいると、そういうワケにもいかなくて苦悶したりする。「指がコマンドを覚えていた」ってのは、あるなあ。curl はよく使います、アレな画像をまとめて(以下自粛)。そんあこんなでプログラマ諸氏には身に染みる作品。

 樺山三英「無政府主義者の帰還」は新シリーズの第一回。時は昭和初期、震災から復興しつつある東京。アナキストとして反体制運動に携わっていたOは、出獄して転向し、今は政府の密偵として働いている。今日のOの目的地は鳥有亭、それは瓦礫の山ともみまごう奇妙な建築物で…
 Oのモデルは彼(→Wikipedia)かな?ドクトル・クラウスの運命と、彼を招聘した日本の思惑のズレ方が皮肉が効いてる。この著者、「狂った建築物」が好きだなあ。

 オキシタケヒコ「エコーの中でもう一度」。佐敷裕一郎・武藤富士伸・カリンの所員三人の零細研究所「武佐音響研究所」が受けた仕事は、テープのクリーニング作業だった。依頼主は盲目の女性・花倉加世子。彼女が生まれ育った地方都市のアーケード街の雑踏を録音したもの。区画整理で商店街が取り壊される事になり、テープは彼女のせめてもの思い出の品となる。もう一つの依頼は…
 これはオーディオ・マニア感涙の一編。人間が聞いている音とは、どういうものか。音源から出た音は、どうやって我々の耳に届き、人間はどうやってソレを聞き分けているのか。例えば Windows のコントロールパネルのサウンドエフェクトでも様々なエフェクト(効果)がつけられるけど、アレはどうやっているのか。フーリエ変換がわからなくても、直感的にわかる説明がとても嬉しい。

 宮内悠介「ハドラマウトの道化たち」は、「ヨハセスブルグの天使たち」「ロワーサイドの幽霊たち」「ジャララバードの兵士たち」に続くDXシリーズ。アフガンで細菌兵器を流出させてしまったアキト、今度の任地はイエメンだった。日干し煉瓦の高層建築が入れ組んだ街シバームは、様々な部族・宗教の者が集まっていた。混沌とした彼らを、一人の者がまとめ上げた。ジャリア・ウンム・サイード。彼女の教義は…
 アキトと共闘するタヒルの人物設定がヒドいw。ジャリアが志向する政治形態は、SFならではのもの。似たようなアイデアをアイザック・アシモフが書いていたような気がするが、現実にやろうとしたら、職を奪われちゃう人があらゆる手段で潰しにくるだろうなあ。

 梶尾真治「星条旗よ永遠なれ」。今回はノアズ・アーク号の視点。惑星<約束の地>の衛星軌道に到達したノアズ・アーク号は周回軌道に入った。第一次移住計画は開発員の選定も終わっていたが、ここへきて中断する羽目になった。惑星の観測で、たった一つの陸地に小さな多数の光点が見つかったのだ。知性を持つ生物がいるのか?意外な状況で難しい選択を迫られたキース大統領は…
 今回は、いよいよ迫るファースト?・コンタクトに向け、緊張感を高める回。タイトルが示すように、アメリカの歴史を引用しつつ、適切な移民方法を模索するノアズ・アークの面々。エンディングが不吉だ。

 シオドラ・ゴス「クリストファー・レイヴン」。学園で開かれる同窓会で再開した元ルームメイトの四人。高慢なエレノア・プレスコット、おどおどしたメアリ・ダヴェンボート、エレノアの取り巻きミリセント・トリヴァー、優等生のわたしルーシー。天敵同士だったわたしたちだが、ひとつの秘密を機に絆ができた。そう、クリストファー・レイヴンの。
 女学生のちょっとイケナイひ・み・つ♪な話。いや実際の語り手はオバサンなんだけど、まあお話の中心は女学生時代だからいいじゃないですか。物語は、レイヴンの謎を巡る女学生の探索と冒険のお話で、ホラー風味に話は進む。

 もうひとつ、READER'S STORYの田辺ふみ「運動会」が秀逸。アンドロイドのアイドル、ホロウ・エンジェル。従来機とは異なり、出荷時のAIはまっさらで、教育やボディ動作のチューニングは購入者がする必要がある。無料貸与の抽選に当たったハヤタは全力でチューニングを施し、全て同じ容姿のホロウ・エンジェルだけで開かれる運動会への出場へ漕ぎつけた…
 いやはや、やられた。この文字数(二千字以内)で、これだけ見事な展開に持ち込むとは。これはもう完全にプロのレベルでしょ。SFバカ本あたりに収録されても他作品に見劣りしないできばえ。

 丸屋九兵衛 (THEY CALL ME)TREK DADDY、今回は共生体のお話でスポーンとトリルを対比させてる。私が思い浮かべた共生体は、「宇宙飛行士グレンジャーの冒険」のグレンジャーと「風」…って、誰も知らんがな。有名な所では「たったひとつの冴えたやりかた」とか。

 椎名誠のニュートラル・コーナー、「北極圏のフルカケはどうしてみんなピチピチ跳ねるのか」って、そりゃ跳ねますがなw。さすがにカリブーは滅多に食べられないよねえ。羊が流行らないのは…やっぱり、飼育費用と収入の問題かしらん。日本の多湿な気候だと羊毛の品質が難しい、とか?

 大橋博之「SF挿絵画家の系譜」は鰭崎英朋。「小説は後に単行本化され形として残り、人々に読み継がれることはあっても挿絵はその場限り」に唸らされる。それ考えると、漫画家はまだ恵まれてるのかも。

 ピーター・ジャクソンのインタビュウはスレーブ・モションコントロールカメラの話が面白かった。もう一つ、トールキンの引用もいい。

神話が神話になるためには、その時代から次の時代へと語り継がれなければいけない。
人から人へと伝えられ、その間に新しいクリエーションが付け加えられ、その物語はもっと大きな神話となる。

 時代結社<カンパニー>シリーズの刊行が始まったケイジ・ベイカーのインタビュウ、「エリザベス時代の英語を教えてきた」経歴を持つ彼女が語る、言語の変化速度の話が興味深い。

変化の速度は、徐々に遅くなってきています――人間がなんらかの記録手段を発明するたびに、変化の速度が落ちるのです。チョーサーの著作を翻訳なしで理解することはほぼ不可能です。(略)しかしながら、シェークスピアの作品を原文のまま読むことならできます。チョーサーの時代からシェークスピアの時代までのあいだに、印刷が産業として確立されたからです。

 今は2ちゃん語とかあるけど、寿命が短いから、本来の日本語に影響を与えないんだろうなあ。「オマエモナー」とか今は死語だし。

 なんと1月には神林長平の「敵は海賊・海賊の敵」が出る。今回の語り手はラジェンドラらしい。宇宙一不幸なAI、果たしてアプロに邪魔されずに語れるのか。

 

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2012年12月29日 (土)

清水紘子「来て見てシリア」凱風社

 シリアの人たちは、「米は油を入れて炊くものと決めている。だから、「病人には白がゆ」なんていうのは思いも及ばない。

【どんな本?】

 現在は内戦状態が続いているシリア。物騒なニュースばかりが入ってくるが、そこにどんな人たちがどう暮らしているのか、多くの日本人は何も知らない。この本は、1989年から約3年半、シリアのダマスカス大学に私費留学した著者による、留学中に体験した事柄や親しくなった人々を綴るエッセイ集。

 シリア人とはどんな人たちなのか。どんな所に住んでいるのか。何をどんな風に食べているのか。何が美味しいのか。イケメンや美女は多いのか。自由恋愛はアリなのか。人の家を訪問する際のマナーは?どんなファッションが流行っているのか。どんなお祭りがあるのか。日本はどう見られているのか。寒いのか暑いのか。生活する女性の目線で見た、ユルくて楽しいシリア案内。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1998年2月13日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約262頁+あとがき2頁。9ポイント40字×20行×262頁=約209,600字、400字詰め原稿用紙で約524枚だが、写真を豊富に収録しているので、実際の分量はその8割程度。著者は半ばジャーナリストのためか、文章はこなれていて読みやすい。

【構成は?】

 まえがき
パルミラ'95/バーブ・トゥーマ/シーニー兄ちゃん/ムカつきラマダーン/わくわくラマダーン/オリーブの村(ミクロ・バスの旅1)/小さな紳士たち/(ミクロ・バスの旅2)/中東の軽井沢(ヨルダンの夏1)/アラブの誇り(ヨルダンの夏2)結婚兄ちゃん撃退法/花嫁は十四歳/コーヒーと迷信/イスラム・アレルギー/キャンパス・ライフ/日本奇談/それぞれの湾岸戦争/クルドの炎/おばさんの断食/イースター/シリアの広島/あこがれのメッカ/キリストの言葉を話す人々/ベドウィンの町/大統領選挙/さらば、イスラム・アレルギー/まさかのチフス/アサド政権二十五年
 あとがき/シリア旅行案内
 他コラム26本

 10頁ほどの独立した記事が並ぶ形なので、気になる所だけを拾い読みしてもいい。注が本文の下にあるのが親切だ。時折ある大場真由のイラストがいい味出してる。

【感想は?】

 アラブというと気性が荒くて喧嘩っ早いという印象があったけど、微妙に違うなあ。内容の多くは首都ダマスカスでのエピソードだが、出てくるオバチャンの性格は「マイペースで人懐っこくて気のいい田舎のオバチャン」だ。

 政治的・宗教的にややこしい土地だが、著者の政治的な立場はニュートラルであろうとしていて、地元の人の声は伝えるが著者自身の意見はあまり出さない。せいぜい出征した知人が「無事に帰ってくるといいなあ、家族も心配してるし」程度。宗教的には仏教徒を自称しているが、まあそこらの日本人と同様にあまり深入りしているわけではない。シリアの政治体制に対しても特に意見は言わないが、そこに住むシリア人は好き。つまりはノンポリで社交的な人、という立場だ。

 この本が貴重な点の一つがソコで、普通にシリアに暮らす人々の素顔が見られるのが嬉しい。もうひとつは、著者が女性である点。一般にアラブ系のニュースは男性の視点で語られるし、男性と女性の接触も難しいので、そこに住む女性の立場・生活そして気持ちがわからない。女性だからこそ親しくなれた、オバチャン・友人・クラスメイトの話はとても貴重だ。例えば、下宿のオバチャンのこんな言葉。壁にかかった肖像画を示して曰く。

「あれはね、あたしが四十くらいのときさ。昔はねえ、そりゃあきれいで、“街のブリジット・バルドー”なんて呼ばれたもんだよ」

 この一言で、彼女が顔を出して歩いていた事、欧州ド映画がそれなりに入っていた事がわかる。いや彼女はクリスチャンなんだけど。

 そう、シリアはアラブという印象が強いが、クリスチャンもいるしクルド人もいる。「褐色肌のいわゆるアラブ風から、金髪白肌青い目のヨーロッパ風、黒髪の平坦顔のアジア風まで、バリエーションも豊かだ」。

 女性のファッションも様々で、「長袖・丈長のグレーのレーンコートに白いスカーフ」は標準的なムスリム。保守的な人は「黒いコートに黒スカーフ、黒手袋をはめて、顔まで黒布で隠」している。が、普通の洋服を着るムスリム女性もいる。キリスト教徒は洋風で、「ノースリーブにミニスカートの大胆姉ちゃんだっている」。民族衣装の人もいて、かなりカオスというか国際都市な雰囲気。キッチリと着ているレーンコートの中までちゃんとレポートしているのは嬉しい限り。ファッションで面白いのが香水。

ブランド物や既製品のほかにオリジナルが作れる。スークの香水屋へ行けば、花の香りからスパイシーな香りまでいろいろ揃えていて、好みにあわせて調合してくれる。

 食べ物もいろいろ。イスラム教徒が多いので酒は少なく、「お酒の楽しみを取り上げられた彼らは甘味ものに走る」。ってんで、「甘いシャーイ(紅茶)」なんてのが出てきたけど、これインドのチャイみたいなモンだろうか。インドっぽいのは他にもあって、ミクロ・バス。「カラフルなボディーと、派手な飾りつけで人目を引いた」おんぼろバスって、インドやパキスタンのバスやトラックもそうなんだよなあ。

 著者が留学していた当時は、湾岸戦争の頃。街の人々もピリピリして「一日中、BBC(英国放送協会)やモンテカルロ放送のラジオ・ニュースに聞き入った」。いやシリアの国営放送もあるんだけど、「ニュースに関しては、みんな主にそうした外国発の放送を聞いていた」。逞しいもんです。「おしん」も放映され、評判は上々な様子。

 ちなみにシリアは多国籍軍側での参戦で、これを巡るシリア人の心中は複雑。「アラブ・スンニー・ムスリムのほとんどは、フセインに同情していた」が、同時にイラクやイスラエルからのミサイル攻撃を恐れる。日本政府の退避勧告に従う(フリをして)カイロに出かけ帰ってきた著者、下宿の部屋は…

 床がピカピカに磨きあげられ、ベッドはきれいに整えられている。脱ぎ捨てていったセーターやジーンズは洗濯し、たたんで、布までかけてある。おばさんだ。私を待って、毎日せっせと部屋をかたづけてくれていたのだ。

 客人は丁重にもてなすのがシリア流。著者も長距離バス乗り合わせて仲良くなった同年代の女性や、大学での友人宅にお邪魔してはご馳走攻めにあっている。日本だと人のお宅にお邪魔する際は、何か手土産を持っていくのが流儀だけど…。まあ、お客を親切にもてなすのはアラブに限らず、西洋化してないアジア一般に言える事かも。迷子になって道を聞いた際のオッサンの対応も、インドそっくりだったりする。

 カイロばかりでなく、ヨルダンのアンマンにも短期間だが逗留している。ここや湾岸戦争を通して見える、アラブ内の諸国の関係、特に湾岸諸国の独特の位置も興味深い。

 民族と宗教が複雑に絡み合うシリアで、仏教徒の日本人という独特の立場を活かし、クルド・キリスト教徒・ムスリム見境なく仲良しになり、様々なお祭りや行事に参加する著者。イースター見物は、ほとんど初詣のハシゴのノリ。ハチャメチャなシリア人の日本観、シリア家庭料理のレシピ、大胆?なシリア流あいさつ、ややこしい立場のクルド人など、視点もバラエティも豊かなシリア逗留記だった。

 でも、こういう楽しい人たちが、今は内戦に巻き込まれているんだよなあ。なんだかなあ。

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2012年12月27日 (木)

子母澤寛「父子鷹 一・二」嶋中文庫

「不思議でございますねえ。麟太郎さんが鳶に見えますかなあ。叔父上はあれ程お見事な剣術の行司をなさるに、麟太郎さんははっきり見る事はお出来なさいませんか。尤も高い山は麓からでは見えませんからね。余りお近いからです」

【どんな本?】

 勝海舟の父・勝小吉を昭和初期の人気作家、子母澤寛が描く長編小説。

 腕は立つが酒は飲めず、旗本でありながら気風のよさで江戸の町人たちに慕われ…るはいいが、面倒事があれば何かと頼られ更に取り巻きが増えてゆく。うるさ型で秀才の兄・彦四郎は御番を求め八方手を尽くすが、小吉ときたら生来の無頼は押さえきれず美味しい話を棒に振る。

 幕府の土台が崩れつつある江戸末期を舞台に、破天荒な男の爽快な生き様を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によると、「1955年5月から1956年8月まで読売新聞夕刊に連載」。私が読んだのは嶋中文庫版で2005年3月20日発行の第一刷。文庫本縦一段組みで本文約519頁+483頁=1,002頁に加え、筆者あとがき5頁+筆者と司馬遼太郎の対談「幕末よもやま」19頁を収録。

 9ポイント39字×17行×(519頁+483頁)=約664,326字、400字詰め原稿用紙で約1661枚。普通の長編小説約三冊分。昭和初期の歴史物とはいえ文章は充分に現代文で、意外とスラスラ読める。ただ、現代では使わない言葉が一部に出てくるが、まあ文脈でわかるだろう。例えば「中風」、これは脳卒中を示す(→Wikipedia)。また、レイアウトが当世風らしく、場面転換でも行を空けないのが少し面食らった。

【どんな話?】

 父の男谷平蔵の財と兄の彦四郎の奔走により、なんとか小普請支配石川右近将監のお見送りにありついて二年、やっと三度目のお声がかりとなったのは勝小吉十七の時。御番入りには更に五百両を工面せねばならん。「おれはもう嫌になった」と不貞腐れて帰る途中の永代橋、出会わせたのは黒門町の紙屋のせがれ長吉。

 「やっぱりあなたさまは御武家様でございましたね。どうも唯の乞食とは思われませんでした」

【感想は?】

 なんたって幕末の英傑・勝海舟の父親である。さぞかし立派な…と思ったらとんでもない。出だしからいきなり乞食だ。別に貧乏ってわけじゃない。実家の男谷家はむしろ身分不相応に裕福で、小吉をお役につけるため賄賂をばら撒いている。

 賄賂でお役が決まる、という実にわかりやすい形で、読者には当事の幕府の内情が伝わる。以降、秀才の兄・彦四郎は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、何かと小吉のために奔走しては、小吉がこれをブチ壊す。小吉の顔を見れば小言ばかりの兄ちゃんだけど、やってる事は「なんとか小吉を正道に戻そう」と四苦八苦。わかりにくいツンデレだね。父ちゃんの平蔵もその辺は飲み込んでて。

「あ奴は腐敗堕落地獄の底にある今のご正道に、素直に服して上役にあげへつらいおれる奴ではない。御番入りをしたら却ってむずかしい事をひき起こし、閉門、切腹などと、こちらが心配しなくてはならぬかも知れんのう」

 さてこの小吉、天下の旗本とはいえ今は無役。道を歩けばゴロツキ共が寄ってきて、「勝様勝様」と持ち上げては面倒毎を持ち込んでくる。曰く講の金を使い込んだ、火消しの中組み八番と北組み十二番の喧嘩だ、夜鷹の切見世にチンピラがたかりに来る…。巾着切り(スリ)の弁治と強請りの五助が飛び込んできたら、たいていは悶着も道連れだ。

 ってんで、町の有象無象が持ち込む騒動を、小吉が「嫌だ嫌だ」と言いつつ担ぎ出されてカタをつける、そういう形で物語りは進んでゆく。小吉本人は「お旗本だい」と威張っちゃいるが、やってる事はヤクザと変わりない。睨みを利かせ時には腕っ節でゴロツキを追っ払い、その手並みの鮮やかさが更に評判を呼ぶ…のはいいが、同時に持ち込まれる悶着の尻も大きくなっていく。

 中でも困るのが岡野の殿様、孫一郎。千五百石の大身でありながら女には目がなく、長年連れ添った女房を他所に女行者に入れあげる。この人、ホントにしょうもない人で道楽に迷い家を食いつぶすだけの好色爺さんで、女への入れあげようはもはや天晴れとすら言いたくなる。いや単なる助平爺いなんだけどね。

 破天荒なのは主人公まかりでなく小説の作りもそうで、なんたって主人公の本名が出てくるのは二巻の末尾近く。「小吉って何か町人みたいな名前だなあ」と思ったらやっぱり幼名で、実はちゃんと武士らしい名前があった。千頁近い長編で主人公の名前が出てくるのが一回きりってのも酷いw

 とはいえ、この小説の文体だと、確かに「小吉」の方があってる。落語や講談とまではいかないが、全般的にべらんめえ調で強烈なリズムの文体で、気の利いた台詞がひょこひょこ飛び出す。

「本当です。片輪にはいつでもなれるが、男になれるのは一生の間にあるかないか知れないものだとはっきり思い知りました」

 麟太郎の懐妊の際の父ちゃん(平蔵)の台詞も酷いw

「座敷牢の中で出来た子だ、並の子ではない」

 誉めてるんだか貶してるんだか。厳しい兄ちゃん(彦四郎)も甥は嬉しいようで…

「小吉、お前という奴は途方もない事ばかりやっているが、子供だけは立派に拵えおった」

 兄ちゃんは養子を貰ってるためか、やっぱり血縁は嬉しいようで。兄ちゃんの養子の精一郎さんも出来た人で、小吉から麟太郎を剣の弟子にと請われて曰く。

「叔父上と二人がかりなら引き受けます。技はわたしが教えます。心は叔父上がお教え下さい」
「叔父上、あなたは麟太郎を唯の剣術遣いになさるお考えでありますか。わたしは麟太郎さんをある程度の剣術遣いにする事は出来る自信はあります。しかし、それは何処にもおりましょう。そんな事では詰まりません」

 さすがに昭和初期の作だけあって、用語は少々今と違うものの、きっぷのいい文体と台詞は慣れると心地いい、だけでなくついうつってしまうから困る。殿様というより親分と呼びたくなる男の半生記、接客の仕事が多い人には毒かもしれない。

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2012年12月25日 (火)

谷泰「牧夫フランチェスコの一日 イタリア中部山村生活誌」平凡社ライブラリー

戦前は、かれらも、他の村人とおなじく、自家消費用の十数頭の羊しかもっていなかった。だから大羊所有者のもとで雇われて、日銭を得る一回の牧夫にすぎなかった。ところが戦中戦後、多くの村人たちが自家所有の羊を売り払おうとした。かれらはそれを買い集めて、その所有頭数を増やしたのであった。村の共有放牧地になっている上牧地は、いまやこの二人の兄弟しか、夏に放牧をするものはいない。
  ――牧夫フランチェスコの一日

【どんな本?】

 イタリア中部のクェルチーノ村は、普段の人口は230人程で76戸の山村で、羊の移牧を主な産業としてきたが、20世紀になり電気や自動車が入り込み、若者はローマなどの都市へと出て行きつつある。クェルチーノ村をフィールドワークで訪れた著者は、クェルチーノ村の6人の目を通し、20世紀のイタリアの山村の生活の変転を綴る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は1976年8月に日本放送出版協会より刊行、1996年4月15日に平凡社ライブラリーより初版第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約266頁+平凡社ライブラリー版あとがき11頁+野村雅一の解説6頁。9ポイント41字×15行×266頁=約163,590字、400字詰め原稿用紙で約409枚。やや短めの長編小説の分量。

 学者さんの書いた本だが、学術書というより小説のようにスラスラ読める。文章が素直な上に、構成がいい。各章それぞれ一人の人物にスポットをあて、各員の視点で自分の人生と村の生活の変化を語る形になっていて、連作短編集のように楽しい。

【構成は?】

 序 イタリアの村から
Ⅰ レオナルドの遍歴
Ⅱ 村を出たマッテオ
Ⅲ 牧夫フランチェスコの一日
Ⅳ ある夏の日のカリーノ
Ⅴ 司祭の試み
Ⅵ 若者たちのあした、あるいは村の行方
 平凡社ライブラリー版あとがき/解説 イタリア山村への共感の糸口 野村雅一

 各章はそれぞれ独立していて、個々の人物(レオナルド,マッテオ、フランチェスコ,カリーノ,ドン・トマゾ,バッティスタ)が自分の視点で村を語る形。序章は舞台背景を語るので最初に読んだ方がいい他は、気になった所だけを拾い読みしても構わないが、できれば頭から順に読んだ方が面白い。

【感想は?】

 20世紀とは、なんとも激動の時代だったんだなあ。

 クェルチーノ村はで13~14世紀には存在したらしいが、第二次世界大戦までは電気も自動車も、水道すらなく、羊の移牧を主な産業としていた。ところが第二次世界大戦あたりから急激に文明の波が押し寄せ、若者は教育を身につけ都会へ出て行き、移牧を専業とするのはフランチェスコ&エジディオのディ・チューザレ兄弟だけとなる。

 羊の移牧なんて日本じゃまずお目にかかれない職業で、「いかにもイタリアだよなあ」と異国情緒もあるが、同時に村の急激な文明化と人口流出、そして新旧世代の行き方・考え方の違いは、日本と共通…どころか、今では世界中の至る所で共通して抱えている問題だ。

 などという大袈裟な問題意識もあるが、同時に酒場で知り合ったオッサンから人生遍歴を聞くような面白さもある。というか、基本的にはオッサン達が自分の人生を振り返る、という形でこの本は語られる。酔ったオッサンの話は往々にしてクドい上に職務上の細かい事柄は専門用語バリバリで要領を得ないが、この本は文化人類学者の著者がオッサンの代弁をする形なので、専門的な話はわかりやすく解説してくれる。ありがたや。

 物語の舞台となる村の背景は、イタリアの田舎クェルチーノ村。近くの町までロバに乗って一時間はかかる。伝統的に牧夫で食ってきた村だが、第二次世界大戦あたりから道路ができ電気が来て若者は教育を受け都会へ出て行き、牧夫業は廃れつつある。司祭ドン・トマゾは道路建設や教育に尽力して文明化を後押しするが、同時に村の行事や歌などを掘り起こし伝統文化を保存し村人の誇りも守ろうとしており、また観光資源としての活用も考えている。なんか、日本にも似た構図があるような。

 最初の登場人物レオナルド、雇われ牧夫として出稼ぎに出るが親方に恵まれず、流しの梳毛職人として暮らす。牧夫も楽じゃない。朝四時に起き搾乳を手伝い、昼は100頭の群の面倒を見る。冬の雨降りでも戸外に立ちっぱなし。夜七時に帰ってチーズ作りの手伝い。それでも低賃金の牧夫が見つかればお払い箱。流しの梳毛職人も仕事があればいいが、なければ数日間も無駄な旅が続く。

 マッテオの父親は100頭ほどの羊を持っていたが、マッテオは徴兵を機にローマで大工として働く道を選ぶ。「農民ならば、村に帰ったすぐその日から、くわを持って土地を耕しはじめれば、やがて収入が約束される」が、牧畜は一旦家畜を手放すと「一年や二年で頭数を増やすことはできない」。一度潰れた畜産業を復興させるのは大変なんだなあ。

 フランチェスコは廃業する村人の羊を買い取り、今は600頭ほどの羊を持っている。ここで語られる牧夫の仕事は、かなり知恵と経験と体力が要る熟練労働だ。600頭の大半はメスで、オスは10頭程。オスの大半は幼い頃に屠殺する。乳が取れないのもあるが、交尾期=妊娠時期を延ばし乳を長期間安定供給する意味もある。群に一頭、去勢したオスの誘導羊を入れ、調教して命令を仕込み、群をリードさせる。放牧地の移動ルートを設定し、羊の寝所も定期的に変える。糞まみれは羊の健康によくないし、放牧地の肥やしもまんべんなくまきたい。

 カリーノは褄のフィロメナと小間物屋を営業しつつ農業を続けている。モノ本位のカリーノとカネで考えるフィロメナのすれ違いがおかしい。カリーノは「ニンニクぐらい畑で作ればタダだ」と考え、フィロメナは「店に精を出したら、それぐらいのカネは入る」。オルガネット(アコーディオンに似た楽器)の名手のカリーノと、村一番の踊り手だったフィロメナ。青年団の催しで舞台に立つ夫婦、カリーノは見世物扱いされるようで嫌がっているが、フィロメナは観客の拍手が楽しくて有頂天になる。

 この本のハイライトは、「Ⅴ 司祭の試み」。理想に燃えクェルチーノ村に赴任した司祭ドン・トマゾ、都会者の彼の視点を通してみるレオナルド・マッテオ・フランチェスコ・カリーノと、彼らの視点での彼ら自身の物語りとの大きな違いに、最初から大笑いしてしまう。見世物扱いを嫌がりむっつりしたカリーノが、彼の目を通すと「にがみばしった」となる。

 そして、最後に登場するのは若者代表のバッティスタ。ローマ大学工学部電子工学科の学生で24歳、日頃はローマで生活するが、村の評議員でもある。共産党の党員となり、司祭ドン・トマゾの文明開花の努力も「キリスト教民主党ラインだということで、賛成できなかった」。ローマに生活基盤を置きながらも、自分はクェルチーノ村の者だと思っているバッティスタ。この章で語られる、都会に基盤を置く者と村に定住する者の軋轢は、イタリアだけの現象ではあるまい。

 オッサンの人生の物語であり、伝統的職業の報告書であり、貧しい山間部に生まれた庶民の生活史であり、色男と美女の結婚生活の内情であり、理想に燃える伝道師の奮闘記であり、また現代文明の波に揉まれる山村の歴史でもある。文化人類学者の著作であるだけに食事など細かい部分での異国情緒がふんだんに詰まっていると同時に、機械文明と世代が変えてゆく村の生活という大筋では他国とは思えぬ共通点が目に付く。

 学者の著作ではあるが、決して小難しい内容ではない。あまり構えずに気軽に読もう。

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2012年12月23日 (日)

ケン・キージー「カッコーの巣の上で」冨山房 岩本巌訳

「いいかい、おれはこの病棟のいわば胴親になって、賭場をご開帳しようってわけだ。だからさ、とっととボスのところへ案内しろよ。ここでは、ほんとのボスが誰かをはっきりさせてやるんだから」

【どんな本?】

 1962年アメリカで発表されベストセラーとなり、その後1975年に映画化され、これも大ヒットした長編小説。婦長ラチェッドが隠然と君臨し、患者たちが去勢されたように卑屈に従う精神病院に、刑期逃れの仮病で入院してきた赤毛の男マックマーフィーが巻き起こす騒ぎを、古参で大男の入院患者ブルーム酋長ことブロムデンの視点で描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST, by Ken Kesey, 1962。日本では1970年代に岩本巌訳で出版、その後1996年に同訳者により改訳・再販となる。私が読んだのは1996年6月22日の改訳版、第一刷。

 ハードカバー縦一段組みで本文約498頁。9ポイント45字×18行×498頁=約403,380字、400字詰め原稿用紙で約1,009枚。そこらの長編小説二冊分の大容量。やや時代を感じさせる言葉が出てくるが、文章そのものは意外と素直。ただ、妄想に囚われた精神病患者の視点で語られる物語なので、深読みし始めるとキリがない。

 なお、訳者による解説は堂々とネタバレしているので、気になる人は先に読まないように。

【どんな話?】

 その精神病院は婦長のラチェッドが静かに支配し、三人の黒人がその配下として患者を追い回している。大男の混血インディアンのブロムデンは口が聞けず耳も聞こえないフリをして、素直に掃除を続ける。手のかかる患者は電気療法やロボトミーで「協力的」になる。

 憂鬱な月曜日、その男はやってきた。赤毛のR・P・マックマーフィー。流れ者のギャンブラー、服役中の喧嘩で精神錯乱と鑑定され、作業農場での服役よりマシと考え入院してきた。明るく人懐っこいマックマーフィーは初日から「ここはおれが仕切る」と宣言し、「ボスは誰か?」と問う。そこで名乗りを上げたのは患者組合の委員長ハーディング。

 だが、本当に病院を仕切っているのは婦長のラチェッドだ。それに気づいたマックマーフィーは、毅然とラチェッドに立ち向かい、静かな病院を掻き回しはじめ…

【感想は?】

 激動の60年代の序章。できれば読む前に、著者について知っておいた方がいい。ヒッピーのハシリのような人で、セックス・ドラッグ・ロックンロールを地でいったような人だ。→Wikipediaのケン・キージー

 そういう背景を考えて読むと、これはまさしく「体制への反逆」の物語と読める。静かに病院に君臨し、医師すら己の思うままに動かし、規則によって病棟を精密機械のように管理する婦長ラチェッド。彼女の築き上げた体制に対し、羊のように素直に従う患者たち。その患者のサンプルが、語り手であるチーフことブロムデン。

 混血インディアンのブロムデンは大男だが、怯えきっている。耳も聞こえず口も利けないフリをして、用心深く日々をやりすごす。周囲の者も彼をナメkって、というよりほとんど無視している。他の患者も多かれ少なかれブロムデン同様に、素直に規則に従っている。

 そこに現れたマックマーフィー、最初のミーティングから本当のボスを見極め、鍛えたギャンブラーの目で計画を練り始める。

 ブロブデンがイカれているのは序段から明らかで、病棟が電子機械で管理されている・処方される薬には電子機器が隠されているなどの妄想に囚われている。つまりは「信用できない語り手」だ。だが、深く考えないで読んでいると、彼の妄想は統合失調症の被害妄想ではなく、世界の詩的な比喩じゃないかと思えてくる。

 訳者の解説もそんな立場で、病院は合衆国の小型模型であるかのような解釈だ。そういう視点で読むと、当事の「怒れる若者」の考え方が、少し見えてくる。これが、意外と(当事の感覚で)新しいものではなく、実は素朴で原点回帰的なのが面白い。

 性に注目してみよう。ここでは実社会と違い、女性である婦長ラチェッドが男性である患者を支配している。今気がついたが、患者は皆男性ばかりだ。このラチェッド、キッチリと事務的な装いをしながら、巨乳なのが皮肉。

 対するマックマーフィーは、野生のギャンブラーそのもの。言葉は下品で、性的な例えを多く使う。婦長が患者たちの「大切な玉」を突っつき出すと指摘する。パンツ一丁に帽子を被った姿で婦長の前にそそり立つ。この場面、私はプロレスラーのスタン・ハンセンを連想した。時代は違うが、彼のやっている事は男性性の誇示だ。

 「あなたたちのため」に規則で縛る婦長は、精神分析のユングっぽい言い方をすればグレート・マザーだろう。その支配力の凄まじさは、終盤近くのビリーの運命に現れる。

 そんな母親然とした婦長に飼いならされた患者たち。主人公ブロムデンも、その姓は白人の母親から譲り浮けたものだが、彼が思い出すのは偉大な酋長だった父親の事ばかり。そんな状況で、マックマーフィーは何を武器に立ち上がるのか。

 野生であり、男性性だ。まずは賭博で患者たちの勝負欲を刺激する。単純だが、確かに男はアツくなる。次に野球のワールド・シリーズ。これも野郎が浸る道楽だ。そしてバスケットボールで汗を流す。激しく体を動かせば気持ちが奮い立つ上に、闘争本能が目覚める。そして、仕上げは釣りだ。狩猟本能にまで火がつき、男の野生が復活する。

 機械と規律で支配された病院で、マックマーフィーは患者の野生を呼び起こして対抗しようとする。これに主人公ブロムデンの回想が重なってゆく。

 叛乱に立ち上がるマックマーフィーに、だが患者たちはなかなか同調しない。飼いならされた患者たちを、マックマーフィーは「ニワトリの突っつき」に例える。互いが監視しあい、足を引っ張り合って支配に迎合する状況を見事に表現する。毅然としたマックマーフィーを、患者たちは特別な者と見なし…

「あんたはいつも…勝ってばかりいる!」
「勝ってばかりだと、とんでもない」彼は目を閉じたまま言った。「呆れたね。勝ってばかりだと」

 最近はアニメでも等身大のヒーローが描かれたりするけど、マックマーフィーには特別な能力があるわけじゃない。マックマーフィーが感じていることは、果たして患者たちに通じるのか。

 つまりはラチェッドとマックマーフィーの対決の物語だが、それをどう解釈するか。支配 vs 自由、機械 vs 野生、女性 vs 男性、または 親 vs 若者か。ユング風にヒネって「死と再生の物語」などと解釈をしても面白いけど、ちと収集がつきそうにない。

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2012年12月20日 (木)

クリス・マグナブ+マーティン・J・ドハディ「最新コンバット・バイブル 現代戦闘技術のすべて」原書房 角敦子訳

アメリカ軍では、射撃チームはチームリーダーである下士官(伍長もしくは三等軍曹)階級が一人と、歩兵三人で構成される。そのうち一人は火力支援にまわるために分隊支援火器(SAW)を携行し、もう一人の擲弾兵は、M203グレネードランチャーを装着したM16アサルトライフルを持っている。四人目のライフル銃兵は、たいてい射撃チームの通信係も兼ねている。

【どんな本?】

 現代の戦場での作戦行動を、装備・戦術・戦闘時の注意点・地形や状況・チーム編成など、主に主に米軍・英軍の小部隊の歩兵を中心に紹介・解説する。壕の掘り方や移動経路の選び方など内容は具体的かつ網羅的で、イラストや写真もふんだんに掲載し、ビギナーにもとっつきやすい構成になっている。姿勢や隊形などビジュアルな面の解説も多く、ドラマや映画の戦闘シーンを鑑賞する際に、より深い理解を得る助けになるだろう。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は COMBAT TECHNIQUES - An Elite Forces Guide to Modern Infantry Tactics, by Chris McNab and Martin J. Dougherty, 2007。日本語版は2008年5月10日第1刷。単行本ソフトカバー縦二段組で本文約273頁+訳者あとがき3頁。8.5ポイント23字×21行×2段×273頁=約263,718字、400字詰め原稿用紙で約660枚だが、写真やイラストが多いので、実質的な文字量は7~8割程度だろう。標準的な長編小説の分量。

 翻訳物の軍事本にしては、文章は拍子抜けするほど読みやすい。また、随所に入っている写真やイラストが理解を助けるとともに、いいアクセントになっている。ただ、サブマシンガンとマシンガンの違いなど武器・兵器の基礎的な解説は省略しているので、ある程度は予習しておくか、Wikipedia で調べるなどの工夫が必要。銃器に関しては、かのよしのり著「銃の科学」を優れた入門書としてお薦め。

【構成は?】

 序
第1章 歩兵火器
第2章 歩兵戦術
第3章 重火器による支援
第4章 戦術的地形
第5章 特殊部隊
第6章 反乱軍掃討作戦
 訳者あとがき/索引

 各章は、それぞれ2~10頁程度の半ば独立した記事から成っており、気になる所だけを拾い読みできる。

【感想は?】

 ビギナー向けの入門書としては、やたら面白くてわかりやすい。映画やドラマ作品を作るための参考書としてはボリュームが足りないが、鑑賞する側としては必要充分で、かつ飽きない適度な分量にまとまっている。軍事オタク入門書として最適な本。

 敢えて文句を言えば、兵器の種類(M16A2やT-72MTB)や軍の編成など、ごく基礎的な用語の解説がないこと。さすがにそこまで入れると電話帳並のサイズになってしまうので、「銃の科学」「戦闘技術の歴史」などで補おう。

 扱う内容は、基本的に米軍・英軍の歩兵の立場のもの。構成でわかるように、火器・戦術・支援・地形など基本的かつ下世話な事柄に加え、イラクやアフガニスタンなど現代の状況を反映した特殊部隊と反乱軍掃討作戦が加わっている。また、あくまで歩兵の立場での本なので、機甲部隊の編成など上級指揮官に要求される内容は含まない。

 その分、記述は下世話なほど具体的で、素人には現代戦の意外な側面がわかる面白さがある。例えば、マシンガンの銃身交換。映画などではあまり描かれないけど、意外とマシンガンの銃身の消耗は早い。

連射モードで九発以下の連射をした場合は、次の連射の前に四、五秒の間をおいて銃身を冷やす。このペースを保っても10分もしたら銃身を交換しなくてはならないだろう。10~12発連射して二、三秒しか休止しないという速射では、銃身交換は二分後になる。また給弾ベルトが休みなしに送りこまれる持続射撃では、わずか60秒後に銃身を交換しなくてはならない。

 道理でコマンドーは銃を使い捨てにするわけだ。
 やはり読んでて面白かったのが、欺瞞工作。例えば「擬似地雷原」。なんのことはない、地雷が埋まってるように地面を荒らしておくだけ。まあ、荒らすだけじゃなくて、移動する際も「埋まってるフリ」してソコを避けて通るんだけど、安上がりに地雷と同じ効果を期待できる。わはは。

 戦術では、まず計画で METT-TC が、いかにも米軍らしい。ちょっとヒネればビジネス書が書けそうだ。

  • Mission:任務
  • Enemy:敵
  • Terrain:地形と天候
  • Troops:使用可能な自戦力と支援
  • Time:所要時間
  • Civil:民間人への配慮

 戦闘服も意外とハイテクで、「近赤外線を反射する染料を使っており、暗視装置をごまかせる」って、歩兵までステルスかい。顔に変なペイントするのも偽装の意味があって、単に真っ黒じゃいけない。「そんなことをしたら、そこだけ抜けたように黒い部分ができあがるだけだ」。

 音も重要で、ガチャガチャ騒がしくちゃいけない。確認するには、「その場で跳びはねるとよい」。犯罪に応用しないように。匂いも大事。「作戦に出る前は、ニンニクやカレーなど強い匂いがする食物は食べないほうがよい」。インド軍は、どうしてるんだろ?陸自には部隊ごとに秘伝のカレー・レシピがあるという噂だが。

 やはり戦術の花形は、待ち伏せ。谷間の細い道路を通る補給部隊の長い列とかは、格好のカモ。「縦列の先頭と最後尾の車両は、真っ先に無力化する。すると間にはさまれた車両が動けなくなる」。道路事情が悪いアフガニスタンでISAFが苦戦してる理由の一つがこれかも。しかも、「山道は待ち伏せ攻撃にはもってこいだ。あちこちから監視できるし、狭く曲がった悪路はゆっくりとしか薦めず、高所から狙い撃ちがしやすい」。その上で退路も予測しておいて、逃げ出したら退路を長距離砲で砲撃したり航空機で爆撃したり。

 現代戦を象徴してるのが、第5章の特殊部隊と第6章の反乱軍掃討作戦。敵でも大家は認める立場らしく、随所に毛沢東を引用している。要は地元の人を味方につければ勝ちってこと。だもんで、支援するにしても、単にモノを与えるのではなく、「自力でやっていくのを手助け」する方針だとか。

できれば地元で手に入る材料や用具を使用し、住民に即席でつくる滑車など簡単なしかけを教えて、いつまでも役立てられるようにする。こうした技能は将来もまた使えるし、運がよければ、住民はそれをどこで習ったのかを思い出すだろう。

 ここまで来ると、もはや軍というより開発支援に近い。

 反乱軍を倒すためには、火器を発射して闘わなくてはならないが、求められるのはそれだけではない。警察官、救助隊、消防士、衛生兵、ストレスのカウンセラー、車両の整備士、ソーシャルワーカー、有人、隣人、政府職員としての役割も果たさなければならない。

 …などと言われると、「案外と自衛隊にも出番はありそうだなあ」などと思えてしまう。
 内容そのものは禁欲的なまでに戦闘に特化しているが、文章は読みやすく、イラストなど理解を助ける図版も多い。土嚢の積み方や移動経路の選び方など下世話で具体的なテクニックから、「毛沢東の戦略とその対抗法」まで扱う内容は幅広い。軍ヲタ入門としては最適な一冊。

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2012年12月19日 (水)

小川一水「天冥の標Ⅲ アウレーリア一統」ハヤカワ文庫JA

「ロイズに国民はおりませんし、政策の施行もしておりません。あなた方が統治と呼ぶ行為の大半は、私どもの利益管理部門の審議によれば、非採算的であると結論付けられる類のもののようです。私どもにお任せくだされば、あなた方もお楽にして差し上げられますが」

【どんな本?】

 小川一水が全10部の構想で送るSF長編シリーズ第三弾。第一部は遠未来の植民惑星の異変を描き、第二部は近未来のパンデミック・サスペンスとバラエティ豊かなこのシリーズ、この巻では24世紀の太陽系を舞台に、異星人の遺物を巡る追う者・追われる者のド派手なスペース・オペラを繰り広げる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2010年7月15日発行。文庫本縦一段組みで本文約546頁。9ポイント40字×17行×546頁=約371,280字、400字詰め原稿用紙で約929枚。そこらの長編小説なら2冊分の大容量。

 文章はこなれていて読みやすいが、スペース・オペラだけに、様々なガジェットが次から次へと出てくる。それが楽しみなところでもあり、一見さんには辛いところでもあり。あと、かなり登場人物が多いんで、出来れば巻頭に登場人物一覧が欲しいなあ。ハヤカワさん、なんとかなりません?

【どんな話?】

 西暦2150年ごろ。小惑星まで生息域を広げた人類は、木星の大赤斑に奇妙なモノを見つける。「チャンク」と呼ばれる都市規模のソレに対し、以後、何回か無人・有人の探査が行われたが、大きな収穫はなかった。

 2249年、ケープコッド所属の探査船アケロン号がチャンクに降り立ち、有人探査を始めた。チャンク改め「ドロテア・ワット」は、放射年代測定で八千五百年前の建造と出た…人類の建造物ではありえない。ドロテア・カルマハラップ少将率いる特別調査隊は、70名の隊員中19名を失いながらも、大きな成果を挙げつつあった。ドロテア・ワットは、巨大なエネルギー炉を維持していたのだ。これがあれば、太陽系の勢力図は一気に塗り変わる…

【感想は?】

 長大なシリーズ第三弾は、豪快で爽快なスペース・オペラ。宇宙海賊・海賊退治に燃える王子様・胡散臭いジャンク屋・貧乏な輸送屋・華麗な宇宙戦艦・読み合いの艦隊戦、そして敵船に乗り込む白兵戦までありだ。

 実のところ、日本のSFで太陽系を舞台にしたスペース・オペラを書くのは、やたら難しい。谷甲州が航空宇宙軍史シリーズで極めて論理的かつ精密に太陽系スケールの砲撃戦を考証しちゃったんで、それを超えるのは相当に無茶しなきゃならない。遠未来の恒星間スケールに持ち込むか、適当に異星人の技術を取り入れるか。

 だが、そこを敢えて真正面から挑んだ小川一水、見事な仕掛けで白兵戦を実現させてしまった。いやあ、このあたり、読んだ時には作者の誠実さと執念に頭が下がった。やっぱりねえ。スペース・オペラなら艦隊戦と同時に、白兵戦も欲しいよねえ。

 しかも、単に撃ちあうだけじゃない。白兵戦ったって、大半は自由落下状態で戦われる。それを活用したノイジーラント(アウレーリア)の戦術、言われてみれば理に適ってるけど、さすがに思いつかなかった。このアイデアだけでご飯三杯はいける。アダムスの活躍は、ぜひ映像化して欲しい。

 などとド派手な白兵戦に対し、艦隊戦は、昔の帆船時代の艦隊戦か、または今の潜水艦戦に似てるのが面白い。何せ戦域が広くリアルタイムの通信も難しい。よって艦隊司令は相応の政治的権限を持ち、また判断力も求められる。敵艦隊の発見が難しいため、戦略的な航路の読み合いになる。

 スペース・オペラに欠かせないもう一つが、異様で多様な社会。この作品では人類社会しか出てこないけど、それでもバラエティは豊か。冒頭の引用は、小惑星帯で大きな勢力を誇るロイズ非分極保険社団。「え?社団?国じゃないの?」との疑問は、ごもっとも。でも、ちゃんと強大な勢力として威をふるう、煮ても焼いても食えない連中だったりする。

 やはり食えない連中として描かれるのが、敵役の海賊。やってる事は、昔のカリブの海賊に近い。つまり、武装の貧弱または皆無の輸送船を襲い、積荷とお宝を頂いてドロン。「弱い敵だけを襲い、強い敵が来ると逃げる」。セコくてしょうもない奴らだが、どうも裏に組織がある模様で…

 その海賊ハンターとして活躍するのが、主人公のアダムス・アウレーリア率いる強襲砲艦エスレル。あでやかな主人公に相応しい流麗な艦が、太陽系狭しと駆け回り、暴れまわる。エスレルと海賊の、宝物を巡るチェイスが、この作品の主軸。いいねえ、これぞ冒険物語の王道。

 第Ⅰ部「メニー・メニー・シープ」で活躍したアウレーリア一族のルーツが語られるのも、この作品の読みどころ。ここでは宗教国家ノイジーラント大主教国として登場するが、その実態は…。いわゆる「宗教国家」で連想する雰囲気とは、だいぶ違う。いやはや、なんとも凄まじいルーツであることよ。

 凄まじいルーツといえば、こっちも負けちゃいない。第Ⅱ部「救世群」で登場した冥王斑感染者のグループが、この作品では「救世群」としてしぶとく生き延びている。生き延びているのはいいが、彼らの立場がなんとも。爽快なだえのスペース・オペラかと思ったら、こういう猛毒を仕込むから、この著者も人が悪い。

 保険会社が威を誇る世界だけあって、国?際社会の流通事情も、独特の仕掛けを考えている。かつては金や銀だったし、現在の基本通貨はドルかユーロだけど、太陽系に広がった人類がナニを基準とするか、というと。

 そして、エンディングでは、シリーズを通した仕掛けの一部が明かされる。果たしてこの大河ドラマ、どこへ行くのか。巻を追うごとに面白くなるから困る。

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2012年12月17日 (月)

恩藏茂「FM雑誌と僕らの80年代 『FMステーション』青春記」河出書房新社

 CDは、音楽を消耗品にする第一歩だった。

【どんな本?】

 1980年代。媒体がLPからCDへと変わり、J-WAVEを初めとするFM局の多局化が始まる。FMラジオの番組表を売り物にしたFM雑誌「FMステーション」の編集長を務めた著者が、エアチェック文化の隆盛と衰退・日本の軽音楽の洋楽から邦楽へのシフトなど、当事のラジオ・音楽を中心とした若者文化の変転を背景に、雑誌編集の舞台裏を綴ったエッセイ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2009年9月30日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み、本文約234頁+あとがき2頁。9.5ポイント45字×17行×234頁=約181,305字、400字詰め原稿用紙で約454枚。長編小説なら標準的な長さ。文章はラジオのDJが語りかけるようなくだけた感じで、親しみやすく読みやすい。読み始めたらアッサリ読み通してしまう。

【構成は?】

 はじめに――かつてエアチェックとFM雑誌の時代があった――
第1章 FM放送が始まった~エアチェック時代の前夜
第2章 こちらFMステーション編集部~後発FM雑誌のドタバタ奮闘記
第3章 FMと番組表とカセットテープ~音楽をエアチェックする時代
第4章 FMステーションの黄金時代~ステーション読者の思い出のために
第5章 音楽メディアの変貌~CD登場、ビデオ規格戦争、FM多局化
第6章 黄金時代の終焉~すばらしき“ラジオ・デイズ”
 あとがき――FM雑誌の読者に花束を

 原則として時系列順。各章は4~10頁程度の半ば独立したコラム10個程度で構成されており、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

【感想は?】

 ああ、変わったなあ、世の中も、自分も。今、使ってる iPod-nano、容量2Gの年代物だけど、それでも24時間以上の音楽がギッシリ入ってる。昔は90分用のカセット・テープにアルバム2枚を録音し、それをウォークマンで聴きながら通勤したっけ。初めてウォークマンを使って街を歩いた時は、風景が違って見えたっけ。

ターミナル駅の人ごみの中で、「レット・イット・ビー」のイントロが始まったとき、周囲の景色と人の波が突然ストップ・モーションになり、まるで自分だけが異次元の世界にいるような錯覚におちいったことがある。

 うんうん、そうそう。
 当事のキー・アイテムとして重要なのが、このカセット・テープ。今の iPod の類に比べるとやたら場所を取るけど、それでもレコードに比べれば遥かに小さいし、なんたって録音できるのが嬉しかった。カセット・レーベルも頑張って書いたなあ。「FMステーション」は、切り抜いて使えるカセット・レーベルを売り物にしていて、アーティストの写真のサイズもその由を配慮していたとか。

 なかなか戦略的な人のように思えるけど、編集長として雑誌の方向性を定める際は、「行きがかり上、たまたまそうなった面もあった」と正直に告白してる。見事な発想なのに、部下曰く「オンゾウさん、そういう卑怯な手を考えるの、うまいね!」。

 部下だけでなく、上司の操り方もなかなか。矢沢栄吉のインタビューの原稿が上がったのはいいが、ボスがとんでもない赤字を入れてきた。なんと、一人称を全部「ぼく」に変えてしまったのだ。雑誌のカラーに合わせるとはいえ、矢ちゃんが「ぼく」じゃしまらない。やっぱり彼の一人称は「矢沢」じゃないと。そこで卑怯な編集長は…

 ロック・フォーク系のミュージシャンが歌謡曲に関わり始めたのも、この頃。歌謡曲側もロック調を取り入れ始めていて、当事のアイドルのコンサートのバックバンドは意外と豪華なメンバーが揃ってたりする。井上大輔氏曰く。

「シブがき隊のこの曲(100%…SOかもね!)は洋楽サウンドのつもりで書いた。自分の曲ではこういう冒険はできないが、アイドルのレコーディングには費用と時間が十分にかけられるから、いいミュージシャンを集めて、その時の最新の音づくりをすることもできる」

 今はアニメやゲームの音楽で冒険してる人が沢山いる。どう聴いてもプログレだったり。
 FM雑誌のメインは、やっぱり番組表。エアチェックに熱心な若者のために、番組でかける曲目まで掲載していた。隔週刊だから、3週間前には曲目まで決定してなくちゃいけない。FM局としてはアドリブも効かせたいので、雑誌との攻防が始まる。雑誌側で苦労してたくせに、恩藏氏、自分がFM福岡で出演した時は…。なんと身勝手なw

 当事の音楽の話も懐かしい。あったね、オージー・ロック。ちょっとお洒落なエア・サプライ、一発屋だと思ってたけど意外と生き残ったメン・アット・ワーク、イケメンなリック・スプリングフィールド、そしてセバスチャン・ハーディー←ズレてるズレてる。いやいい曲やってるのよ、Sebastian Hardie。Four Moments、聴きまくったなあ。最初の Glories Shall Be Released(→Youtube)から雰囲気バッチリで。

 やがてCDが登場、音楽の聴き方を大きく変えていく。「思いがけなく廃盤や過去のアーティストにスポットがあたることになった」。あったねえ。私も探したよ、Mr.Big。ポール・ギルバートじゃないよ。ROMEOをやってた方(→Youtube、→Wikipedia)…と思って検索したら、なんと活動を再開してた。

 その反面、ジャケットが小さくなって、例えば「クリムゾン・キングの宮殿」みたいな特異なジャケットがなくなり、消耗品になった、とも嘆いている。確かに。私はロジャー・ディーンが好きだったなあ(→画像検索の結果)。そのかわりMTVが登場し、プロモーション・ビデオが氾濫しはじめる。しかしMTV、開局でソレ(→Youtube)流すかw

 やがてJ-WAVEの開局をはじめとするFM多局化、それに伴うFM東京などの差別化などFMラジオ界は激変し、またアーティストと雑誌の関係も変わり、FM雑誌も次々と休刊してゆく。

 機械・媒体・流通・創造など、音楽をめぐる環境が激変した80年代。FM雑誌という特異な立場だからこそ書けた、ギョーカイからリスナーまで幅広い視野でのエッセイ集。ちと自分語りが多い書評になっちゃったけど、この本を読むと、どうしても自分の思い出を語りたくなっちゃうのよ。

 ってんで、Steely Dan の FM(→Youtube)でも聴きながら、リラックスしてお読みください。

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2012年12月16日 (日)

山本弘「MM9 invation」東京創元社

 「六・年ま・え・君た・ちはこ・の国に・大きな・怪獣災が・いを起こ・そうっとs-たー・しかっ・し・失敗した・われわっ・れは・君たっちに・手・を貸したーいー・そのた・めに・強い怪獣を・何び・きも・つれ・てきた」

【どんな本?】

 噂の怪獣SF小説であり、ドラマ化もされた「MM9」の続編、ついに登場。自然災害の一種として怪獣災害が存在する現在。舞台は前作より6年後。地球侵略を企てる何者かが、怪獣災害を引き起こそうとする者たちと手を組み、宇宙から怪獣を地上に送り込む。気特対こと気象庁特異生物対策部は、どのように宇宙怪獣に立ち向かうのか。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年7月25日初版。単行本ソフトカバー縦一段組み、本文約291頁。9ポイント43字×20行×291頁=約250,260字、400字詰め原稿用紙で約626枚。長編小説としてはやや長め。

 文章は抜群の読みやすさ。山本弘の文体は独特のアクがあって、特に最近の「去年はいい年になるだろう」や「アリスへの伝言」はかなり山本色が濃く、慣れない人には鼻につく心配があったのだが、この作品では山本色が薄めで、一見さんでも大丈夫。

 前作の続編いう位置づけのため、出来れば前作を読んでおいた方が楽しめる。が、この作品では主人公が変わっている上に、重要な設定は随所で説明されているため、この作品から入っても大きな問題はない。

 巻末の地図、出来れば巻頭につけて欲しかった。

【どんな話?】

 現代の日本。ときおり怪獣が出現し、その対応には気特対こと気象庁特異生物対策部があたる。前作より6年後、地球侵略を目論む何者かが、怪獣災害を目論む地上の組織と結託し、宇宙から怪獣を送り込む計画を立てる。

 気特対の管理化にあった「怪獣」ヒメは、体のサイズを自由に変えられ、出現時は身長20mほどだったが、今は十五歳ぐらいの人間の少女にそっくりの姿で、仮死状態となり眠っている。現在は気特対の管理下にあるが、自衛隊に移管されることとなった。だが、その輸送中、ヒメを乗せたCH-47Jチヌークが火球と接触して墜落し…

【感想は?】

 怪獣?いくらSFったって、んなモンを成立させるのは無茶だ。だいたい、生物としておかしいだろ。どうやって繁殖してるんだ。あんなデカい体、どんな骨格で支えるのさ。代謝系は…などと、突っ込み始めたらキリがない。が、そこを敢えて成立させ、無理矢理にでも理屈をこじつけたのが、このシリーズ。

 その理屈のこじつけが、この作品の面白さのひとつ。お馬鹿なものをお馬鹿と片付けず、豊富な科学&オカルト知識を無駄遣いして、誠実かつ大真面目に裏設定を創り上げていく。いかにして怪獣の存在を理論付け、それを歴史に組み込むか。この巻では、過去の怪獣災害にも言及し、かの名作まで引き合いに出して歴史を創造していく。おじさんは思わずニンマリだ。

 怪獣は、色んなものを吐く。高熱のビームだったり、毒だったり。ただ、「アレは無茶だよなあ」と、私は子供心にも思っていた。だが、この作品では、キチンとその無茶に理論付けしている。ここは読んで思わず感動してしまった。うん、それならアリだ。そうか、そんな手があったのか。すげえ。

 理論付けするだけじゃない。怪獣が地上で動き回る際、SF者は細かい突込みを入れたくなる部分があるんだが、その辺もキッチリ処理してるあたり、芸が細かい。

 怪獣モノのお約束は幾つかあるが、その一つは自衛隊。大抵はやられ役で、「何のために出てきたんだ」的な扱いなのだが、ここではちゃんと活躍するのが嬉しい。しかも、活躍する兵器がマニアックというか、充分に調べてあって、「なんで戦車ばっかり映すんだ」と不満を溜めている方々も、満足できる仕上がり。

 もう一つのお約束は、象徴的な建物を破壊すること。この作品で獲物になるのは、東京スカイツリー。ここでも無駄に凝り性を発揮して、なぜスカイツリーが目標となるのか、キチンと理屈をつけてるのが楽しい。うんうん、そういう理由ならスカイツリーっきゃないよね、確かに。

 ばかりでなく、怪獣が暴れまわる千代田区・台東区・墨田区あたりに詳しい人は、思わず「うんうん、あの辺かあ」と頷いてしまう描写がギッシリ。ええ、当然、我らが聖地・秋葉原も犠牲になります。この「好きな街や建物が怪獣に蹂躙されると喜ぶ」という倒錯した心理って、何なんだろう。

 などといいう怪獣物のお約束な展開は、後半の話。前半は、まさしくライトノベルの王道、「落ちモノ」のノリ。つまり、煩悩渦巻く思春期の少年の前に、あらわな姿の美少女が現れて…という展開。

 この辺、最近の山本節のアクの強い文体ではなく、やたらテンポがいい。この作品の主人公は案野一騎、高校一年生。彼が「ヒメ」を匿う事になり、幼馴染の酒井田亜紀子とのトタバタが始まる。この一騎君、ありがちにヘタレで、ありがちにスケベ。ヒメのボケと一騎の突っ込みのリズムは、まさしく浅草の漫才のノリ。文章はこなれててサクサク読めるんだが、腹抱えて笑っちゃうから、なかなかページがめくれない。こういうのを読みやすいと言っていいのかどうか、悩むところ。

 怪獣モノというコンセプトなだけに、当然ながら過去の名作へのオマージュもたっぷり詰まってる。中でもハッキリとわかるのが、ウルトラマン・シリーズ。物理法則を無視して巨大化するヒメの設定は、まさしくウルトラマンそのもの。姿が美少女ってのが、著者の趣味まるだしで潔い。ヒメの写真が出回る騒ぎには大笑いした。そりゃそうだ、規制できないよなあ。わはは。怪獣とのバトルは、ウルトラ・シリーズのファンなら感涙もののシーンの連続。おじさんは充分に堪能したぞ。

 怪獣+本格SF+美少女という、著者の趣味丸出しの作品ながら、快調なテンポの文章と無駄に真面目な設定で上質の娯楽作に仕上がったSF長編。かつてウルトラ・シリーズに熱狂したオヂサンにも、煩悩に悩む青少年にも、そして本格SFに飢えたSF者にも楽しめる、現代日本ならではの爽快なエンターテイメント小説。

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2012年12月14日 (金)

デイヴィッド・ミーアマン・スコット+ブライアン・バリガン「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」渡辺由佳里訳 糸井重里監修・解説

「毎晩真珠を獲りに潜るのだが、ときにはアサリを獲って来てしまうこともある」
  ――ジェリー・ガルシア

【どんな本?】

 糸井重里が監修して話題を呼んだ本。サイケデリック調の表紙、安っぽい紙と印刷、そしてグレイトフル・デッドという聞きなれない名前。「マーケティング」というからにはビジネス書っぽいが、パラパラめくると長髪のヒッピーっぽいオヤジがギターを弾いてる写真が沢山載っている。一体、なんの本なのだ?本気なのか冗談なのか、どっちだ?

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Marketing Lessons from the Grateful Dead - What Every Business can Learn from the Most Iconic Band in History, by David Meerman Scott and Brian Halligan, 2010。日本語版は2011年12月12日第一版第一刷発行。私が読んだのは2012年1月24日発行の第一版第五刷。

 単行本ハードカバーで274頁。縦一段組11ポイント36字×15行×274頁=約246,600字、400字詰め原稿用紙で約617枚…だが、写真やイラストを多数収録している上に、要所でレイアウトを変えているので、実際の分量はその半分ぐらいか。長編小説なら短め。

 文章そのものは読みやすい。ただ、出てくる言葉が1960年代のヒッピー文化やロック・ミュージック関係、そして近年のオープンソース系の単語が多いんで、そっちに関心がない人には意味不明かもしれない…というか、はっきり言って DeadHeads 向けの本。原書はかなりユーモラスな文体だと思われるが、ギャグが通じていない部分がある。ロゴ警官は Logo-Cop じゃないかな?

【構成は?】

 彼らはそれをやっていた。 糸井重里
 Introduction 「グレイトフル・デッドのライブほど素晴らしいものはない」
PART ONE - THE BAND
 Chapter 1 ユニークなビジネスモデルを作ろう
 Chapter 2 忘れられない名前をつけよう
 Chapter 3 バラエティに富んだチームを作ろう
 Chapter 4 ありのままの自分でいよう
 Chapter 5 「実験」を繰り返す
 Chapter 6 新しい技術を取り入れよう
 Chapter 7 新しいカテゴリーを作ってしまおう
PART TWO - THE FANS
 Chapter 8 変わり者でいいじゃないか
 Chapter 9 ファンを「冒険の旅」に連れ出そう
 Chapter 10 最前列の席はファンにあげよう
 Chapter 11 ファンを増やそう
PART THREE - THE BUSINESS
 Chapter 12 中間業者を排除しよう
 Chapter 13 コンテンツを無料で提供しよう
 Chapter 14 広まりやすくしよう
 Chapter 15 フリーから有料のプレミアムへアップグレードしてもらおう
 Chapter 16 ブランドの管理をゆるくしよう
 Chapter 17 起業家と手を組もう
 Chapter 18 社会に恩返ししよう
 Chapter 19 自分が本当に好きなことをやろう
  本書の発刊によせて(ビル・ウォルトン)/訳者あとがき

【感想は?】

 DeadHeads の、DeadHeads による、DeadHeads のための、DeadBook。

 DeadHeads とは何か。60年代にデビューした、アメリカのロックバンド Grateful Dead の熱狂的なファンを言う。では、Grateful Dead(→Wikipedia) とは何者か。ゴチャゴチャ説明するより、とりあえず音を聞いてみよう。比較的一般ウケしそうな曲を曲あげる。以下、リンクは全て Youtube、全てライブ版。長い曲は途中でスキップして構わんです。

  • Uncle John's Band(8分20秒) : カントリーっぽいシンプルな曲。アルバム Workingman's Dead 収録。
  • Shakedown Street(13分6秒) : 当事の「ディスコ」風のリズムを取り入れている。アルバム Shakedown Street 収録。
  • Sugar Magnolia(9分6秒) : 軽快なロックンロール。アルバム American Beauty 収録。

 ナニやら意味ありげなバンド名のわりに、意外と音は普通…というか、むしろ古臭く泥臭いんで呆れたかもしれない。長く続いたバンドでもあり、途中で色々と新しいオモチャで遊んだりもしたけど、基本的にはカントリー&ウエスタンやブルースを基本とした、アメリカの田舎者向けの音だ。日本なら、演歌に相当するマーケットだろう。

 いやこういう事を言うと「貴様は Mars Hotel や Aoxomoxoa を知らんのか!」と怒られかねないが、まあそれはそれで。まさか初心者にいきなり Dark Star(→Youtube)や Terrapin Station(→Youtube) を薦めるのもどうかと。やっぱり大人しい Ripple(→Youtube) あたりがとっつき易いだろうし。アルバムなら American Beauty とか。

 …って、全然書評になってないな。一応はビジネス書の体裁をとってるし、糸井重里は「掛け値なしの『ビジネス書』」と冒頭で書いてあるが、信じちゃいけない。末尾のビル・ウォルトンの「本書の発刊によせて」を DeadHeads が読めば、爆笑間違いなしだ。ところで「約束の地」は Promised Land(→Youtube)だよね。

 各章の構成は、だいたいこんな形だ。

  1. こんな問題がある。
  2. Grateful Dead はこうやって対応した。
  3. 最近のビジネスでは○○社が似たような事をやって成功している。
  4. キミもやってみよう。

 ミソは、Grateful Dead の方法が、今のオープンソース・ビジネスと似ている、という点だ。例えば、Grateful Dead はコンサートでの録音をファンに許可した。そして、ファン同士が自由に録音テープを交換できるようにしたのだ。これでファン同士の結束が固くなり、Dead の知名度も上がった…少なくとも、アメリカでは。

 この辺、今の若い人には、初音ミクに代表されるボーカロイドや、上海アリス幻樂団による東方Projectのキャラクター管理あたりを引き合いに出せばピンと来るかもしれない。ライセンスの扱いを緩くして、活発なファン活動を促す戦略だ。私はチルノが好きです。

 …じゃなくて。ビジネスとして云々なら、オープンソース系の本を O'Reilly あたりで探せば、もっと真面目な本が見つかるだろう。が、それじゃ、 Dead Heads がついてこない。日本じゃ Grateful Dead は悲しいほど知られていないけど、アメリカじゃビッグ・ネームなのだ。ビル・クリントンやバラク・オバマも DeadHeads だし。

 上の構成を見て欲しい。こんな事を言われれば、DeadHeads はそりゃ嬉しくなる。私も DeadHeads って程じゃないが、それでも Grateful Dead は大好きだ。だもんで、読了後の今はやたらいい気分だったりする。Amazon がどうとか mySQL が云々とか書いてあったような気がするが、それよりジェリー・ガルシアの笑顔の方が印象に残っている。つまり、そういう方面をターゲットにした本だと思う。なんで日本で四刷まで行ったんだろう。

 まあ、アレです。この本で多少なりとも Grateful Dead に興味を持ってもらえれば、私は嬉しい。暇があったら、この辺を聴いてみて下さいな。

  • インターネット・ラジオのGDRADIO.NET : iTunes を使っている人は、ラジオ→Classic Rock→gdradio.net で見つかる。24時間 Grateful Dead 垂れ流し。
  • Podcast の mvyradio Shakedown Stream : だいたい毎週更新。一回の放送が4~5時間に及ぶ大ボリューム。

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2012年12月13日 (木)

「完本 池波正太郎大成12(剣客商売2)」講談社

「だが、徳次郎どん、お前さんに会えてよかったよ。わし、一目で、お前さんが、しっかりした人だと見極めがついたのだ。その目に狂いはなかった。それがうれしくてねえ」

【どんな本?】

 時代劇の名手・池波正太郎による、鬼平犯科帳と並ぶ代表作「剣客商売」の合本第二弾。老いを自覚し隠居はしたものの、衰えぬ剣名と野次馬根性に突き動かされ事件に巻き込まれまたは自ら顔を突っ込む枯れ切れない老剣客・秋山小兵衛と、その息子で実直な秋山大治郎の二人を中心に、御用聞きの弥七やその手下の徳次郎・男装の女武者・三冬などのレギュラー陣に加え、彼かに関わる剣客などの人々を描く連作短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は雑誌「小説新潮」1975年7月号~1978年7月号。完本のシリーズでは1998年11月20日第一刷発行、私が読んだのは2010年6月15日発行の第五刷。新潮文庫の文庫本なら6巻~10巻にあたる内容。

 単行本ハードカバー縦二段組で本文約713頁。8.5ポイント28字×25行×2段×713頁=約998,200字、400字詰め原稿用紙で約2496枚。長編小説なら5冊分ぐらいの分量。

 文章は抜群の読みやすさ。続き物なだけに、できれば前巻から読んだ方が楽しめるが、そこは人気作家。途中からでもすんなり入っていけるように、レギュラー陣であっても随所でそれとなく人物像を紹介するなど、細かい配慮がなされている。

【収録作】

鷲鼻の武士/品川お匙屋敷/川越中納言/新妻/金貸し幸右衛門/いのちの畳針/道場破り/春愁/徳どん、逃げろ/隠れ蓑/梅雨の柚の花/大江戸ゆばり組/越後屋騒ぎ/決闘・高田の馬場/毒婦/狐雨/狂乱/仁三郎の顔/女と男/秋の炬燵/待ち伏せ/小さな茄子二つ/或る日の小兵衛/秘密/討たれ庄三郎/冬木立/命の命脈/春の嵐(長編)

【感想は?】

 やっぱり人気作家だけあって、読者を物語に引きずりこむのがやたら巧い。この巻でも、冒頭の「鷲鼻の武士」からして、一気に物語世界に引っ張りこまれた。

 大柄な色男だが、垂れ下がった瞼が特徴の剣客・渡辺甚之介が、秋山小兵衛を訪ねてくる。日頃は柔和な甚之介だが、この日の小兵衛は違和感を感じた。「こいつ。今日は、死神を背負って来た…」

 ここまで、文庫本なら一頁ほど。たったこれだけで、「うああ、これからどうなるんだあ~!」と読む方は気になってしょうがない。「ど、どうなるんだ…」と思って読み続けると、物語は思わぬ方向に転がっていく。

 思わぬといえば、著者も芸幅を広げているのか、この巻では今までと趣向が違う傾向の作品も入っている。中でも「お、これは」と思ったのが、傘屋の徳次郎を中心に据えた「徳どん、逃げろ」。御用聞きの弥七の右腕として端役扱いだった徳次郎が、ここでは主役を勤める。

 荒事の腕はいまひとつながら、忠実で粘り強い仕事で弥七の信頼厚い徳次郎。江戸の暗黒街の噂話を仕入れるために、夜は大名の下屋敷で開かれる賭博場に出入りしている。今夜も松平肥前守の中間部屋で遊んでいた徳次郎、帰り支度をしていた所を、よく見る客に声をかけられる。「わしはね、八郎吾というがね」

 この男、身なりはこざっぱりして、勝ったときは相応の酒代を置いていくし、負ければ負けたでさっぱりした顔で帰っていく。徳次郎は「どう見ても、憎めねえ男…」と思っていたが、向うも徳次郎を「肚がすわっている」と見ていた様子。いったい、何を企んでいるのかと思えば…

 うはは。大爆笑。いやこの八郎吾、とんでもねえ奴なんだが、どうにも憎めない。八郎吾の狙いといい、徳次郎と弥七の会話といい、笑いっぱなしの一編だった。まあ、あるんだよね、色んな人と出会ったりしてると、妙に気に入っちゃったり気に入られちゃったりする事が。でもって、気に入られても、その理由がさっぱりわからなかったりする。

 芸幅という意味では、「狐雨」が新境地。ある日、思い立った大治郎、本郷の団子坂の杉本道場を訪ねる。先代の杉本又左衛門は人柄がよく教え方も上手いので道場は流行っていたが、一人息子の又太郎には「わしの跡をつごうなどと、決して思うなよ」と言い残し世を去った。又太郎、剣に熱心ではあるが又左衛門曰く「下手の横好き」。だが父の遺言を聞かず道場を継いだ又太郎だが…。いやはや、こういう芸風も持っているとは。

 続く「狂乱」は、打って変わって切ない物語。秋山小兵衛が牛堀道場を訪ねた際、道場では立会いの最中だった。本多丹波守の家人・石山甚市と名乗る者が、道場の腕っこきを次々と倒し、道場主の牛堀九万之助に勝負を迫るが…。なまじ優れた剣を使えるが故に孤立していく甚市の姿が、ひたすら哀しい。まあ、似たような事は、現代の職場でもあったりする。

 最後の「春の嵐」は、巻末を飾るに相応しいオールスター・キャストで謎あり剣戟ありの長編。

 時は師走、八百石の旗本・井上主計助が頭巾をした大柄な侍に斬殺される。侍は「あきやま、だいじろう」と名乗り、井上の共の小者を残して去った。その頃、大治郎は小兵衛宅で鯛と軍鶏を味わっていたのだが…

 杉本又太郎は、竹薮のなかに不審な男を見つけた。細帯を頸に巻きつけ、自殺しようとしている。さすがに見かねた又太郎、飛び出して止めて家に招きいれ、飯を与える。見ればまだ若い。よほど腹がすいていたらしく綺麗に平らげた若者は、そのまま寝てしまった。

 大治郎にかけられる辻斬りの嫌疑と、杉本道場にひょっこり現れた図太い謎の若者。大治郎側の物語が担う緊張感を、杉本道場のギャグが和らげつつ、物語は進む。剣客商売シリーズ初の長編だけあって、出演者も豪華絢爛で、今まで出てきた準レギュラーも続々と顔を出し、それぞれに見せ場が用意されている。

 現代の刑事物よろしく、寒風の中で執念深い捜査を続ける徳次郎。小兵衛への恩を忘れず何かと走り回る鰻売りの又六。捜査に、人の手配にと大忙しの弥七。剣と生活ともに大治郎の頼れるパートナーとなる三冬。そして、待ってました、手裏剣お秀こと杉原秀さんも大活躍。いやあ、堪能堪能。

 物語は老中田沼意次まで巻き込み、どんどん大掛かりになっていく。今 Google で検索したら、スペシャル番組になってる。さもありなん。というか、むしろ映画として作って欲しい。

 秋山道場には新弟子ができるし、大治郎と三冬の仲も一気に進む。二人の仲が変わる「品川お匙屋敷」は、読んでてついニンマリしてしまう。ボリュームは長大だが、著者の筆は読者を引きずりこんで放さず、会話のテンポの良さも手伝って、読み始めたら寝不足は必至。通勤電車の中で読む人は、乗り過ごしに気をつけよう。

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2012年12月12日 (水)

リン・マーグリス+ドリオン・セーガン「性の起源 遺伝子と共生ゲームの30億年」青土社 長野敬+原しげ子+長野久美子訳

この減数分裂を伴う性は、自然選択のための多様性をもたらす供給源としてはあまり重要でないが、動植物の発生や生殖には決定的な役割をもっている。動物や植物の減数分裂を伴う性の歴史は、原生生物の共食いと共生体の分化からきたもので、共生体の一部のものが原生生物の細胞内小器官になっていったというのが、私たちの仮説である。  ――「序章 本書の読者へ」より

【どんな本?】

 著者のリン・マーグリスはマサチューセッツ大学の生物学教授でカール・セーガンの元奥さん、ドリオン・セーガンはカールとドリオンの子で著述家。

 多くの動物や植物には性があり、生殖と深い関係がある。だが、動物・植物ともに、性を伴わない生殖をする種もある。「なぜ性があるのか、いつ性が発生したのか」という疑問をきっかけに、原核生物から原生生物(単細胞の真核生物)への進化の過程を辿りつつ、性を伴う生殖が持つ二つの側面、すなわち減数分裂と遺伝子の組み換え機構のルーツを探り、最近の生物学の成果を紹介しながら、大胆な仮説を提唱する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ORIGINS OF SEX - Three Billion Years of Genetic Recombination -, by Lynn Margulis andDorion Sagan, 1986。日本語版は1995年10月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約328頁。9ポイント46字×18行×328頁=約271,584字、400字詰め原稿用紙で約679枚。長編小説ならやや長め。

 正直言って、かなり読みにくい。まず文章が日本語として一般向けでなく学術書の文体、つまり、わかりやすさより正確さを優先した文体だ。また内容も高度で、「ヌクレオイド」や「オルガネラ」などの生物学用語が容赦なく出てくる。本書の重要なテーマである減数分裂も説明はない。ちゃんと読み下すには、高校卒業程度の生物学の知識が必要。とりあえず参考になりそうな Wikipedia の記事を挙げておく。→細胞、→減数分裂

【構成は?】

 謝辞/第二刷への序文
序章 本書の読者へ
1 生命とは何か? DNA、自己維持、複製義務
2 進化とは何か? 細胞DNAの継続性とエラーの必要性
3 性とは何か? 分子、細胞、固体の組み換えと合体
4 DNAへの脅威と性の出現 紫外線、化学的な死、DNAの修復
5 組み換えと細菌の対合 微生物の性がもたらした地球規模の進化的変化接合
6 単細胞原生生物の出現 共生細菌と個体の性
7 染色体の起源 クロマチンの荷造り
8 減数分裂における染色体の展開 微小管とその組織中心
9 捕食その他の合体方式 原生細胞の倍数化のジレンマ
10 対合と折半 受精と減数分裂
11 減数分裂と分化 微生物の共同体生態学から、細胞内共生の生物学
12 大きな卵と小さな精子 異形配偶子の起源と性
13 性の30億年 進化の共通遺産と多様な戦略
 用語解説/訳者あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 一般向けの科学啓蒙書かと思ったら、とんでもない。生物学について相応の基礎が出来ている学生向けに、自説を敷衍するのを目的とした学術書だ。内容は高度だし、その主張は「私の仮説である」と明言している。

 そのため、文章も正確さを期し、わかりやすさを犠牲にしているので、読み下すにはかなり時間と頭を使う。充分な前提知識がない私は、かなり苦労した。だが、この本で彼女の語る仮説はかなり大胆で魅力的だ。SF者、特に遺伝子操作やナノマシンに興味があるなら、この本は格好のネタを提供してくれる。

 この本では、性が持つ二つの機能に注目する。ひとつは遺伝子の組み換えであり、もう一つは減数分裂である。そのいずれも、ルーツを単細胞生物に求めている。

 まずは、遺伝子の組み換え。

 太古の地球にはオゾン層がなく、太陽光線を遮るものがなかった。生物にとっては特に紫外線が問題で、これがDNAの配列をかき乱す。具体的には、隣り合ったチミン塩基(ATCGのT)を結合させチミン二量体にしてしまう。これを放置すれば生物は死ぬ。そこで修復機能が発生した。修復するには元の配列の情報が必要である。

 第一の方法は、二重らせんのもう一方を鋳型とする方法だ。もう一つは、別の細胞由来、、例えばバクテリオファージなどのDNAを使う方法だ。後者の場合、他の個体の遺伝子を組み込むことになる。

つまり進化的な意味では、紫外線障害の修復が細菌に性現象をもたらした。

 現代の科学者がやってる遺伝子組み換えを、原核生物(細胞核を持たない生物)が数十億年前に既にやってた、ってんだから驚き。そして、同じ機能を、現代に生きる私たちの体は、備えている。私やあなたが生物学を知ろうが知るまいが。ただ、この機能は、同時にインフルエンザ・ウイルス感染の危険ももたらしているし、各種薬剤への耐性菌も誕生させている。うーん。

 さて、性の持つもう一つの機能が、減数分裂。こちらは、ちとややこしい…というか、実は私もよくわかってない。

 多くの動物の細胞が持つミトコンドリア。これはかつて別の生物で、細胞内に共生するようになった、という説があり、多くの生物学者に受け入れられている。

 単細胞の真核生物には、激しく動く鞭毛を持つ種がある。鞭毛により生物は運動性を獲得した。著者は主張する。この鞭毛、元はスピロヘータ(→Wikipedia)であり、宿主に捕食されたか宿主に寄生するかして、共生するようになったのではないか、と。

 スピロヘータによって、細胞は運動性を獲得した。別の形で、細胞内の機関も運動性を獲得した。原核生物と真核生物の違いは、核の有無であり、核を持つ真核生物が細胞分裂(→Wikipedia)する際は、複製された染色体が南北の両極に集まる。この南北両極への運動が、スピロヘータの名残りだろう、と著者は推測する。

 減数分裂に関しては他に半数体と倍数体の違いや、同種の二つの生物がくっついて鞭毛担当と分裂担当と担当を分けて云々といった話も出てくるが、正直言って私もよくわからなかった。ただ、この書の仮説に従うと、SFでよくある「性が三つ以上ある生物」の発生はかなり難しくなってしまう。うーん、困った。

 上記二つの他に面白かったのが、原核生物から真核生物への進化。宿主が嫌気性の場合、好気性のミトコンドリアが好む酸素は宿主のDNAを攻撃する。これから身を守るために、宿主は核に膜を備えDNAを守ったんだろう、と。この辺は、仮説とはいえなかなかエキサイティングだ。

 さて、この本にはナノマシンなんて言葉は全く出てこない。にも関わらずSF者がナノマシンを連想するのは、スピロヘータのくだり。単細胞生物がスピロヘータによって運動性を獲得したんなら、ナノマシンに運動性を持たせるには、スピロヘータを組み込めばいいじゃないか…と、それこそ魔獣戦線の世界だな←全然違う

 文章は堅いし、内容は高度だ。その分、最近の生物学のエキサイティングな様相が伝わってくる。歯ごたえはあるものの、それに相応しい興奮もある。覚悟して挑もう。

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2012年12月 9日 (日)

ハーマン・ウォーク「ケイン号の叛乱」フジ出版社 新庄哲夫訳

「…海軍とは天才が立案して愚者が実行する一大計画なのだ。君が愚者ではなく、しかも海軍にいる以上、要領よくやっていくには愚者の真似をするほかに手はない。たとえ、君の本来の知性がもっと近道をしたらどうか、簡素化して常識どおりにやったらいいじゃないかといったところで、そいつは全然、通用しっこないんだ」

【どんな本?】

 時は太平洋戦争、合衆国海軍の老朽駆逐艦ケイン号を舞台とした群像劇で、1952年にピュリッツアー賞小説部門を受賞、1954年には映画化されこれも大ヒット、55年のアカデミー賞では作品賞などをさらった。著者は太平洋戦争において合衆国海軍の掃海駆逐艦で副長を務めた経験を持つ。

 裕福なWASP青年ウィリー・キース&貧しいイタリア系の娘メイ・ウィンとの恋と、無能な艦長により危機に瀕するケイン号を軸に、当事の合衆国海軍の内情を予備新任士官の視点でリアルに描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Caine Mutiny, by Herman Wouk, 1951。日本語版は1953年に光文社より出版、後に改訳版・文庫版がでたが絶版。1970年8月25日にフジ出版社より単行本で復活、私が読んだのは1984年8月20日の新装版。その後、ハヤカワ文庫NVから文庫版が全三巻で出ている。

 単行本ハードカバー縦二段組み本文約595頁+訳者による解説10頁+新装版あとがき5頁。8ポイント27字×24行×2段×595頁=771,120字、400字詰め原稿用紙で約1,928枚。そこらの長編小説なら4冊分の大ボリューム。重さも780gと迫力バッチリ。さすがに53年の翻訳なので文体はやや古臭いが、文章そのものは比較的に素直。

 なお、訳者による解説は大胆なネタばらしを含むので、要注意。

【どんな話?】

 ブリンストン大学を卒業したウィリー・キースは、陸軍の徴兵を避けるため1942年に予備海軍士官学校に入る。余技にピアノを弾くキースは、クラブで出会った歌手のメイ・ウィンと恋に落ちる。席次こそ上位なものの、幾つかの失敗で同期中最悪の失点で任官を迎えたキースは、ケイン号勤務となった。

 キースが着任したケイン号は、第一次大戦の古参兵で、スクラップ寸前の掃海駆逐艦だった。艦内は散らばり放題で悪臭が充満し、水兵はだらしない格好で悪態をついている。艦長のド・ブリース少佐ときたら入浴中だったらしく、泡だらけの素っ裸で着任の挨拶を受ける始末だが、6年近く同艦に乗艦しているベテランだ。慌しい改装中らしく、やっと見つけた寝床はなんと装弾庫。始終錆おとしの音がガンガンと響き、室温は40℃を越える。

【感想は?】

 物語は、合衆国海軍の新任士官ウィリー・キースの目を通して語られる。そこで見える駆逐艦(というか掃海艇)内の細かいエピソードに、著者の経験が大きく生きていいる。冒頭は着任したキースが、先任の仕官トム・キーファに言われる台詞。教育レベルの差が大きく、マニュアル大好きなアメリカ社会を「天才が立案して愚者が実行する」と簡潔に表現している。

 着任当初は次々と発せられる命令と、それに従って動く乗務員の様子を「何がなんだか見当もつかない」と戸惑っていたキースが、次第に各作業の意味を把握して艦全体のシステムを理解していく模様は、働いた事がある人なら、誰でも経験したことがあるだろう。その職だけで通用する俗語にまみれた会話が、少しづつ意味がわかってくる。何のためにするのか訳がわからない作業が、実は意味のある工程だとのみこめる、あの感覚。

 お坊ちゃん育ちのキースは、まるで海賊のようなケイン号に驚き、続いて同期を尋ねて他艦を訪れた際、あまりに整然とした艦内に再び驚く。艦長によって艦内の雰囲気が一変する、海軍文化の一端が垣間見える。これは、やがてド・ブリースの異動とフィリップ・F・クイーグ少佐の着任で、キース自身が否応なしに体感してゆく。

 このクイーグ艦長の造形こそ、この作品のキモだろう。やたらと細かい事に拘る規則一点張りのガミガミ屋で、ド・ブリースの元でたるみきった艦内を引き締めようとするが…。ド・ブリースとクイーグの交代の際に交わされる会話は、転勤の多い月給取りなら、なかなか身に染みる。

 エリートの清潔な生活に慣れたキースは、キチンとした艦を目指すクイーグを最初は好意的に見るが…。スチルウェルがクイーグに目をつけられる場面も、やはり異動の多い組織に勤める者なら、誰もが自分の経験を思い出して「うへえ」となるだろう。いるんだよね、そーゆー奴。ま、あまし思い出に浸るとロクな事がないのでホドホドにしておこう。ケーイ!

 物語全体を通し、「権威をカサに着て威張り散らす」悪役として描かれるクイーグ。そんなクイーグが率いる合衆国海軍とは、どんな組織か。

その中には、おそらく十人に一名の船乗りすらいなかったろう。大学生、セールスマン、学校教師、弁護士、会社員、小説家、薬剤師、技師、農夫、ピアノひき……彼らこそ、ネルソン艦隊の熟練した士官たちを顔色なからしめた若者だった。

 みなさん、キース同様、徴兵でいきなり引っ張られた若者だ。ま、それは敵の帝国海軍も同じなんだけど、それは置いて。これはまた、アメリカという国の縮図でもある。ウィリーの父曰く。

われわれのこの国は結局、メイ・フラワー号でやってきた祖先たちとともに、開拓者や新しくやってきたポーランド人、イタリア人、ユダヤ人の移民たちから形づくられている。みんな、古い世界から立ち上がって外へ出てゆき、新世界でよりよい生活を築こうと意気に燃えた人たちだった。

 いけすかない艦長を出し抜こうと奮闘する、乗員たちの涙ぐましい工夫もまた楽しい。アレコレとイチャモンのタネを見つけるクイーグも相当なものだが、彼の給水禁止を水兵が出し抜く場面は、まさしく泣き笑い。それに対する副長マリックの大人の対応も、実に見事。

 ケイン号は太平洋での勤務の傍ら、補給や事務連絡などで方々の艦と接触する。ここで描かれる、艦の種類ごとの勤務内容の違いや、通信担当となったキースが覚える「手抜き」のテクなどは、著者の従軍経験が活きているんだろう、実に生き生きして楽しい。軍に限らず、組織で働くには融通って大事だよね。

 物語の終盤は、法廷劇となる。ここで登場するユダヤ人弁護士グルーンウォルドが、なかなかの曲者。絶体絶命の危機で脂汗たらたらの彼らに対し、涼しい顔をしたグリーンウォルドは何を考えているのか。そして、評決が出た後のグリーンウォルドの演説も、急な開戦で膨れ上がった当事の合衆国海軍の問題点を、そして当事の世界情勢の中でアメリカが果たした役割を、皮肉な視点で描き出す。

 軍隊物ではあるが、戦闘シーンは少なく、多くの場面は艦内の人間関係に費やされる。そこで展開される指揮官と部下のドラマは、組織で仕事をする人なら、誰もが経験する理不尽さに満ちてる。特に人事異動の激しい組織で働く人なら、様々な立場で共感できる場面が多い。そして昇進し立場が変わると、別の場面で共感するだろう。

 合衆国海軍をモデルに、組織を、そしてアメリカという国家そのものを描いたボリューム満点の長大なドラマ。腰を据えてじっくり読もう。

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2012年12月 6日 (木)

Twitterの文字制限の思わぬ効果

 Twitter のアカウントは作ったが、ほとんど使ってなかった。使い方もよくわからないし。久しぶりにログインして覗いてみたが、他愛のないおしゃべりばかりだった。「なんだ、有用な情報なんてないじゃん」と思ったんだけど。

   「でも、楽しそうだなあ」

 …あれ?ちょっと待て。
 私は、とんでもない勘違いをしてたんじゃなかろか。

 昔はテキスト・エディタを使って手動でHTMLタグを入れてたような世代なんで、インターネットというと、「情報発信しましょう」みたいなおカタい考えが頭に染み付いてる。そりゃオンライン・ゲームとかもあるけど、あれは動画が中心だ。テキストが中心だと、どうしても「何か意味のある情報を出さねば」などと脊髄反射的に構えてしまう。

 でも、「みんなで楽しくおしゃべりする場所」として考えると、Twitterは巧くできてる。特に、一つのつぶやきが、140字という制限。調べると携帯電話のショート・メッセージの文字数に由来してるらしいのだが(IDEA*IDEATwitterの発言はなぜ140文字までなのか?)、「みんなで楽しくおしゃべりする」ためにも、これが役に立っている。

 実際に多人数が集まっておしゃべりする際、たまに長い演説をかます人がいる。こういう人が弁舌をふるっていると、他の人は口を挟むきっかけが掴めず、独演会になってしまい、他の人は面白くない。いや私もたまにやっちゃうんだけど。

 そこでTwitterの140字。これじゃ、演説なんかしようがない。そりゃ何回かに分けて投稿すりゃできるし、実際にニンジャ・スレイヤーなんて長編小説まで書いちゃう人もいるけど、操作が面倒くさいんで、大抵の人は挫けてしまう。お陰で、参加者みんなにしゃべる機会が巡ってくる。演説したけりゃ、ブログでやればいいんだし。

 「インターネット=情報発信」という古臭い思い込みが自分に染み付いているんだなあと、つくづく思い知らされたのでありました。

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2012年12月 4日 (火)

エドワード・ギボン「【新訳】ローマ帝国衰亡史 普及版 上・下」PHP研究所 中倉玄喜編訳

 あのアテネやスパルタの隆盛をとめ、没落をはやめた原因は、異邦人とまじわらず、祖先の純潔をたもとうとした狭量な政策にあった。この点、大志あるローマは違っていた。かれらは、野望の前には虚栄をすてた。奴隷であれ異邦人であれ、敵であれ蛮族であれ、長所や美点があれば、これを活用することこそ、賢いだけでなく、名誉でさえあると考えていたのである。

【どんな本?】

 今なおヨーロッパ文化の土台であり誇りでもあるローマ帝国の、没落の過程を描いた古典的な18世紀の歴史書「ローマ帝国衰亡史」より、各時代の代表的な章を選んで訳した縮刷版。扱っているのは共和制から帝政となった初代皇帝アウグストゥスから、コンスタンティノポリス(コンスタンティノーブル/イスタンブール)陥落まで。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The History of The Decline and Fall of The Roman Empire, by Edward Gibbon, 1776~1788。全訳は岩波文庫・ちくま文庫からそれぞれ全10巻で出ている。本書は原書から抜粋して訳したもので、2000年10月にPHP研究所から出版されたものを加筆・修正したもので、2008年3月7日第1版第1刷発行。

 新書版の上下巻で縦一段組み、389頁+365頁=754頁。10ポイントの年寄りにやさしい文字サイズで41字×15行×(389頁+365頁)=約463,710字、400字詰め原稿用紙で約1,160枚。長編小説なら2冊分。

 タイトルに【新訳】とつけるだけあって、日本語としては今日的で親しみやすく読みやすい。とまれ古典の香りも残り、表現は少々上品ではある。それより、固有名詞、特に地名がラテン風の表記なのが厳しい。ブンリタニア(ブリテン島)などの国名は上巻の冒頭に地図があるのでわかるのだが、都市名で分かったのはコンスタンティノポリス(コンスタンティノープル、現イスタンブ-ル)ぐらいだった。

【構成は?】

上巻
  普及版の発刊によせて/はしがき/ローマ帝国最大の版図
 第Ⅰ章 両アントニヌス帝時代における手お刻の版図と軍事力
 第Ⅱ章 98~180年 帝政初期の皇帝たち
 第Ⅲ章 180~248年 コンモドゥス帝の死後からフィリップスの登位まで
 第Ⅳ章 248~285年 帝国再建期の皇帝たち
 第Ⅴ章 285~313年 ディオクレティアヌス帝の帝政とその治領
 第Ⅵ章 305~330年 キリスト教の発展と神学論争の論点
 第Ⅶ章 キリスト教の発展 コンスタンティヌス帝および子息帝らの治世とユリアヌスの登場
下巻
 第Ⅷ章 360~363年 ウァレンティニアヌス帝とウァレンス帝 
 第Ⅸ章 365~398年 テオドシウス帝の治績と帝国の最終分裂
 第Ⅹ章 398~410年 西の帝国の衰亡にいたる経緯
 第ⅩⅠ章 西ローマ帝国滅亡の概要 その後の東の帝国とユスティニアヌス帝の時代
 第ⅩⅡ章 東ローマ帝国の隆盛 ビザンティン帝国の素顔
 第ⅩⅢ章 イスラム勢力の台頭 イスラム勢力の発展と東ローマ帝国の衰亡
 第ⅩⅣ章 東ローマ帝国の滅亡
 終章 ローマ帝国の遺産
  あとがき/東西ローマ帝国皇帝表/ローマ史年表

 実は各章に年代とタイトルはついていない。私が勝手に解説から拝借した。各章は本文と(恐らく訳者による)解説から成っている。本文はギボンの原書の各章からハイライトを抜粋したもので、解説は章全体の内容をまとめたもの。概要を手っ取り早く掴みたい人は、解説だけを読めばいいかも。全然ギボンじゃないけど。

【感想は?】

 歴史の、あらすじ。

 なにせ長大なローマ帝国史を、帝政以降のみとはいえ、たった上下二巻にまとめようってのが無茶なんだろう。次から次へと目まぐるしく舞台も登場人物も変わり、読了後に残るのはトルコに蹂躙されたコンスタンティノポリスの荒廃した風景だったりする。ちゃんと知りたければ10巻の完全版を読め、ということか。

 帝政とはいえ、意外と皇帝は世襲ばかりではないし、かなり暗殺もされている。ありがちなのが、属州の軍司令官や総督が蜂起して帝位を奪うパターン。または蛮族の討伐に出た遠征軍の司令官が、将兵に推挙されて紫衣をまとったり。いずれも、戦い慣れた辺境の軍が、平和ボケしたローマの軍を蹴散らす形になる。

 例えばゲルマニア・ガリアを治めていた副帝ユリアヌス、ところがローマのコンスタンティウス二世に睨まれ、ペルシャ遠征を命じられる。ばかりか皇帝自ら西方の蛮族を煽ってユリアヌスの足元を掬おうとする親書まで見つかる始末。こりゃイカンと一気にイタリアへ兵を進め…た矢先にコンスタンティウス二世が病死、ユリアヌスが後を継ぐ。ローマじゃ軍も市民も大喜び。

 キリスト教については意外と辛らつというか科学的というか、原始キリスト教から(執筆)当事のキリスト教が大きく変わっている由を明確に指摘してて、「客観的であろうとすれば、往々にして教職者の完全ならざるところを白日の下にさらさなければならない」とか「理性が冷静な中庸をもとめるのにたいし、熱情は人を駆り、反極端の彼方へと一気に飛翔させる」とか。肝心の教会も正教とカトリックで内輪もめを始めるし。

 対するイスラム教にも一章を割いてて、なるべく公平たらんと意識しているのを伺わせる。いきなり「キリスト教徒はモハメッドの出自の卑しさを盛んにあげつらう。だが、その中傷はきわめて拙く、むしろかれの美点を強調する結果となっている」だもの。ここでも、ギボンの歴史家らしい大きな視野が見られて…

 イスラム教について驚くべきことは、その布教範囲ではなく、むしろその不変性に在る。すなわち、モハメッドがメッカやメディナで唱えたと同じ教説が、12世紀という星霜を経た今日でもなお純粋なかたちで、インド、アフリカ、トルコの諸民族によって維持され信奉されているということに在る。

 と、この辺は、21世紀の現代でも変わってなかったり。

 ほとんど戦争ばかりの章のなかで、息抜きになったのが第Ⅹ章で、ローマ人の日常生活を描いている。お楽しみは競技場での拳闘士の試合で、「夜明けとともに競技場に殺到して席をとるのに狂奔し、なかにはそのことのために、近くの柱廊で眠らないまま夜を過ごす者たちも少なくなかった」。

 同章は西ローマ帝国の衰えを描いていて、悲しいのが辺境の扱い。国境守備隊の兵に給料が支払われず、やむなく解散、地元民は蛮族の王に保護を求めた、と。今でもアフリカじゃよくある話らしい。あっちは将兵が山賊に化けたりする。時代は変われど、歴史のパターンは変わらず。

 やはりクライマックスはコンスタンティノプリスの落城。ローマは難攻不落を誇る街に立てこもるが、寄せ手は20倍以上の大軍。頼みの綱のキリスト教世界からの援軍は遅々として来ず、孤軍奮闘するローマ軍。三百隻以上のイスラム軍船の間を縫って堂々と入城するジェノアからの五隻の援軍、そしてオスマン艦隊の山越えからイェニツェリの突撃。この辺を読むと、今でもギリシアとトルコがギクシャクしてるのも、なんか納得してしまう。

 なまじ「あらすじ」な雰囲気なだけに、そこには歴史が描くパターンが明確に見て取れる。読んでて、「あれ?ここ、前にも読んだような?」な気分になる箇所もしばしば。ちょっと現代のアメリカや200年前の江戸を思わせる部分もあって、自分の視点が少し高くなったような気分になる。それでも、最後には「やっぱり完全版を読まないとなあ」って気になるし、帝政以前も知りたくなってきたりする。歴史は深入りするとキリがないなあ。

【関連記事】

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2012年12月 2日 (日)

「ただのSFではない」「ただのロックンロール」

柴野拓美「いいSFが出てくると『これはただのSFではない』と言い出す人がいてムカムカする」
RCサクセション「そうさ これは ただのロックンロールショウ」

 「これはただのSFではない」、あったね、そういう言い方。大抵は主流文学に主軸を置いている人が、社会風刺を含んだSF作品を持ち上げる際に、よくこういう言い方をした。

 対して、RCサクセションの「ただのロックンロール」。この言葉をどう解釈するかは人によりけりだけど、私は「ただのロックンロール」ってのは、誉め言葉だと思っている。これでどんな曲を連想するかというと…

 Beatles の I Wanna Hold Youre Hand,Free の All Right Now,CCR の Up Around The Bend,Doobie Brothers の China Grove,AC/DC の Bad Boy Boogie,そして KOTOKO の Princess Brave!。

 ロックのスタンダードである、Johnny B. Goode や Long Tall Sally とかの流れを汲んだ、覚えやすくてわかりやすいリフとノリのいいアップテンポのリズム、メロディーは長調でエイトビートの曲。ついでに言うとギターはあましエフェクターを使わずシンセもナシ、でもコーラスは欲しい。小細工なしで直球勝負な雰囲気の、ライブでギターがイントロを弾きはじめると聴衆総立ちで会場が沸騰する、そういう感じ。

 つまり、「ただのロックンロール」といった場合、「ロックンロールはそれ自体が魅力的なモノだ」という認識が、そこにはある。「その分、ゴマカシが効かなくてバンドの地力が露呈する」みたいな視点も。そして、「ただのSFではない」という言い方には、SFを見下す視点が反映してる。

 じゃ、「ただのSF」というと…うーん、マイク・レズニックの「サンティアゴ」かな?でもあれは、「ただのSF」というより、むしろ「ただのスペースオペラ」なんだよなあ。

 SFではなく他のジャンル小説で考えよう。「ただの推理小説」。パッと思い浮かぶのは、クロフツの「樽」。人物描写や心理描写を禁欲的にまで切り捨て、出来る限り純粋に「捜査」「推理」そのものの面白さを追及した作品。でも、これを「ただの推理小説」とか言ったら、ミステリ・ファンは怒って、抗議が殺到するだろう。「本格派と言え!」と。

 おお、そうか。「本格派」と言えばいいのか。じゃ「本格SF」なら…うん、うじゃうじゃ出てくる。「幼年期の終わり」「アイの物語」「砂漠の惑星」「マカンドルー航宙記」「日本沈没」「神狩り」「戦闘妖精・雪風」「スターメイカー」「都市」「たったひとつの冴えたやり方」「造物主の掟」「スタータイド・ライジング」「サターン・デッドヒート」…キリがない。でも、これらを「ただのSF」と言われたら、やっぱり気分が悪い。

 再び発想を変えて、「本格派」をロックに適用してると。例えば、AC/DC を「本格派ロックンロール・バンド」とは…言わないよなあ、やっぱり。なんか最近はヘビー・メタルっぽく言われてるけど、私は「愚直なブギー・バンド」だと思う。というか、そういう、あんまし進歩しない感じが好き。アンガス・ヤングには、ずっとクソガキでいて欲しい。そしてクソジジィになって、ずっと下品なケツ出しパフォーマンスを続けて欲しい。

 などと考えつつ、結局、SFとロックンロールの違い、「ただの」と「本格」の違いは、わからないままだった。すんません。

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