ジェームス・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」新潮文庫 田中西二郎訳
「あたしは安料理屋ではたらいてたの。ロサンジェルスの安料理屋で、二年も暮らしてみなさいよ。だれだって、金時計ぶらさげた最初の男のいうことをきくわ」
【どんな本?】
1892年生まれのアメリカの作家ジェームズ・ケインによる犯罪サスペンス小説。Wikipediaによれば既に四回も映画化されている。流れ者のチンピラ青年フランク・チェンバーズと、サンドイッチ食堂の若妻コーラ・パパダキスのカップルが企む完全犯罪を中心に、刹那的な若者の生き様と、その周囲で蠢く事件関係者、そして二人の間に流れる激しい感情を描く。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Postman Always Rings Twice, by James Mallahan Cain, 1934。私が読んだのは1963年7月15日発行の新潮文庫版で、1992年10月20日の49刷。約半年ごとに増刷してるから、かなりのロングセラー。
あとがきによると、日本への紹介は1953年に飯島正訳の荒地出版。1959年、東京創元社から世界名作推理小説体系にレイモンド・チャンドラーの二編と共に 田中西二郎訳で一冊にまとめ刊行、1963年に同じ訳者で新潮文庫より文庫本刊行。今は集英社文庫から中田耕治訳が、ハヤカワ・ミステリ文庫から「郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす」の名前で小鷹信光訳が出ている。
文庫本縦一段組みで本文約177頁に加え訳者によるあとがき5頁。古い本だがミステリの流儀に馴染んだ訳者らしく、あとがきもネタバレなしなので、安心して読もう。8ポイント43字×18行×177頁=約136,998字、400字詰め原稿用紙で約343枚。長編小説としては短め。
さすがに1959年の翻訳だけあって、名詞は少々年代を感じさせる。特に、「キャリフォニア」「フライド・エグズ」などカタカナ言葉が、英語のカナ表記が定まらず訳者が暗中模索していた当事の状況がうかがえる。にも関わらず、文章は意外なほど読みやすい。物語はチンピラのフランク・チェンバーズの一人称で語られる。無教養で下品な語り手の、俗語満載で下卑た文体は、往々にして時代の変化に敏感である事を考えると、これは「今になってやっと価値がわかる名訳」かも。
【どんな話?】
昨夜、寝床にしたトラックはいつの間にか走り出し、おれチェンバーズは道に放り出された。歩き出したおれは二本樫亭というサンドウィッチ食堂を見つけ、そこで働くことになった。おやじはギリシャ系のニック、その女房はコーラ。亭主の留守におれとコーラはうまいことやってたが、コーラはニックにウンザリしてた。おれたちはニックを片付ける相談を始め…
【感想は?】
「黴臭くて湿っぽく退屈な小説」かと思ったら、とんでもない。短い頁数でめまぐるしく話が展開する、ジェットコースター・ノベルだ。
ジャンル分けしようとすると、どうにも扱いに困る。日本じゃ最初はミステリとして出版されたそうで、そりゃ確かに犯罪を扱ってるけど、謎解きを主眼とするミステリでは、ない。「あとがき」ではハードボイルドとしている。そう言われると文体は乾いているし、良識的でもない。でも、いわゆる「ヒーローが活躍する話」では、ない。
お話は若いチンピラのチェンバーズと、彼と不倫関係になるコーラのカップルを中心に進む。このチェンバーズ、小手先は器用で小賢しいが、どうにも小物臭プンプン。特に野望もポリシーもなく、テキトーなその日暮らしが染み付いている。あまりお近づきになりたくない類の不良青年だ。
彼とコーラがデキるまで、たった13頁。これだけで物語の舞台説明から登場人物の紹介までこなし、かつニックの目を盗んで二人をくっつける手並みは凄い。この後、自分の生い立ちを語るコーラの台詞がまた、実にハードボイルドしてる。
「三年まえ。美人コンテストで入賞したの。高校の美人コンテストで一等になったの、デモインで。あたしの家が、あそこだったの。ご褒美に、ハリウッドに旅行させてもらったの。急行を降りたときは15人もの男があたしの写真をとりに来たけど、二週間たったら、あたしは安料理屋ではたらいてたわ」
これでわかるように、コーラもあまし賢い方じゃない。というより、はっきり言って、小ずるい。自分の過ちのツケを人に回し、しかも自分は「いい子」でいようとする、ありがちなセコい女だ。嫌な奴なんだが、これが実に「ああ、いるよね、こーゆー奴」と思わせるというか、体温どころか体臭まで匂ってきそうな生々しさがある。ほんの数行の台詞、それもオツムの弱い若い女らしいたどたどしい言葉遣いで、ここまで人物像を浮かび上がらせるケインの技は見事。
そして二人は邪魔者のニックを始末するため、犯罪計画を練り始める。ここから二人の運命は急展開を迎え…
この急展開がまた、アッと驚く仕掛けに満ちてて、ぐんぐん読者を引っ張っていく。仕掛けがまた鮮やかで、なおかつ、主人公の二人チェンバーズとコーラの造形に相応しい、乾いてクールなシロモノ。一部の仕掛けはチョイとややこしくて何度か読み返さないと理解できなかったが、わかると巧妙さに感心すると同時に、社会の中でのチェンバーズとコーラの立ち位置を改めて考えさせられる。
そのチェンバーズとコーラの心の動きが、これまたややこしいドラマに満ちている。出会った当初、二人の心にあるのは引力だけで、それを妨げるのは亭主のニックの存在だ。この時点では比較的に単純で、つまりはいかにニックを排除してくっつくか、ってだけ。まあ、それはそれで緊迫感が溢れる場面が多いんだけど。
恋愛物としての読みどころは、二人の心に引力以外のモノが侵入してきた以降。それまでは肉欲と区別がつかなかった二人の関係が、次第に違う物に姿を変えていく…のか、最初からそうだったのが姿を現したのか。私は前者の解釈だけど、この辺は人によって解釈が違うだろう。
「おめえとおれと街道と、それだけだ、コーラ」
「ええ、あんたとあたしと街道と、それっきり」
追いつめられ、ピッタリと息があっているように見える二人。お互いが人生における不可欠のパートナーだと思い込んでいる二人。しかし、ニックを始末する犯罪計画は、二人が互いに弱みを握る立場へと変えていく。意思でなったパートナーの筈が、利害が絡み、両者の関係は大きく変わってしまう。
風来坊として生きてきたニック、安料理屋の勤めしか知らないコーラ。二人の生き方の違いが軋轢を生む場面では、女のしたたかさがジンジンと伝わってくる。
しょうもない連中の、しょうもない生き方を描いた物語。良識派にとっては、実にけしからん小説だ。だが、美男美女の若手役者の話題作として映画化したら、さぞかし映えるだろうなあ、とも思う。人生のギリギリの淵で試される、汚物溜めの中に生まれた愛の物語。
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