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2012年11月 5日 (月)

ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」新潮社 若島正訳

 ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩目にそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。

【どんな本?】

 ロシア生まれの作家ナボコフが英語で書いた代表作。スキャンダラスな内容故に複数の出版社から見送られながらも、出版後はその評判を巡る論争からベストセラーとなった問題作であり、今なおその解釈についての論争が続いている難解なミステリであり、今日の「ロリータ・コンプレックス」の語源となった作品でもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Lolita, by Vladimir Nabokov, 1955。私が読んだのは新潮社の単行本で、2005年11月30日発行。今は同社から文庫版が出ているし、詳しい解説付きとのことなので、可能なら文庫版がお勧め。というのも、やたらと凝った作品なので、詳しい解説が必須なため。
 ちと翻訳の経緯が複雑なので、整理しておく。

  1. 1959年2月に河出書房新社から上下巻で大久保康夫訳で出版。
  2. 誤訳が多いとの批判があり、河出書房新社から改訳版が出る。
  3. 1980年、新潮文庫から大久保康夫訳が出版。この際、改訳版を手直ししている。
  4. 2005年11月30日、新潮社から若島正訳が出版。
  5. 2006年10月、新潮文庫より若島正訳の文庫版が出る。

 ハードカバー縦一段組みで本文約443頁。9.5ポイント43字×20行×443頁=約380,980字、400字詰め原稿用紙で約953枚。長編小説なら約2冊分。

 文章・内容ともに、かなり難渋。これは著者・訳者ともに意図的なものでもあり、また私の文学的素養の貧しさ(というより無に近い)のためでもある。訳の若島氏自ら新潮文庫の大久保康夫訳を「あまりにもこなれすぎている」と評しており、手早く内容を把握したい人は、上記の 3. 新潮文庫の大久保康夫訳がいいだろう。

【どんな話?】

 パリ生まれのスイス市民で、教養溢れる欧州人であるハンバート・ハンバートには、困った性癖があった。9歳から14歳の少女、中でも特別な魅力を持つ「ニンフェット」に惹かれるのだ。アメリカのニューイングランドに居を探す彼は、ヘイズ婦人の下宿を下見に行く。そこで彼はニンフェットに出会った。ヘイズ夫人の娘、ドロレス・ヘイズ、我がロリータ。

【感想は?】

 相応に西欧の文学作品を読み込んだ教養人で、かつ充分な読解力と注意力と時間と熱意を持つ人向け。とてもじゃないが私のような素人に読みこなせるシロモノではない。しかも、それを否応なく読者に思い知らせるようになってるから困る。

 というのも。作中に有名な文芸作品の引用やパロディが随所にあって、若島氏が注をつけてくれてるんだが、私がわかったのはアルセーヌ・ルパンだけ、という情けなさだ。ああ哀しい。ちなみにどんなのが出てくるかというと、T・S・エリオット、バイロン、ロバート・ブラウニング、ヒレア・ベロック、ジョイス・キルマー…ほとんどわからん。シェイクスピアの「マクベス」も使われてたが、読んで一年もたっていないのに全く気がつかなかった。

 しかも主人公のハンバート・ハンバートがパリ育ちの教養人のためか、随所でフランス語が出てくる。アメリカで「外国語」といえばまずフランス語で、フランス語が話せる人が教養人、という社会風潮を現しているのはわかるが、なんたってこの作者だ。裏にどんな意図を隠してるかわかりゃしない。なんたって、著者自ら施した仕掛けに対し…

本書を『ある遊女の回想記』とか『グロスヴィット公の愛の遍歴』といった系列のものだという印象の下に読み始める読者には、読み飛ばされるか気づかずにに終わるか、あるいはそもそもそこまでたどりつかないのが落ちであろう。

 なんて言ってる。いやそういうのを期待したわけじゃないけど、やっぱり気づかずに終わりましたよ、あたしゃ。
 加えて、訳者の共謀もある。やはり解説に曰く。

『ロリータ』は文章のナボコフ度とでも呼ぶべきものが異常に高い作品だと言っていい。必然的に、力の入っている箇所では文章がかなり難解になり、手触りがごつごつしてくる。そこで、この新訳では、そういうごつごつした感触をなめらかに処理してしまうのではなく、そのまま伝えることを意識的に心がけた。

 さて、物語は、困った性癖を抱えたランバート氏の手記、という形で語られる。ええ歳こいたオッサンである彼が、その性癖ゆえの奇妙な行動を語る部分は、やってる事は煩悩溢れる中高生とほとんど変わらないのに、言葉はやたらと上品かつ流麗で、そのギャップが可笑しい。

 例えばロリータが新しい学校に通う事になり、ハンバートが宿を決める場面。決め手となったのは、書斎から見える風景。「学校の校庭が見えるのだ」。勢い込んだハンバート氏、双眼鏡を持ち出していざ、と思ったら…

 彼の言葉と行動のギャップは明らかで、ヘイズ夫人との関係もそうだよねえ…と思ってアチコチ読み返すと、この作品の印象がガラリと変わるから怖い。ハンバート氏の独白を「たわごと」として切り捨て、やってる事だけを考えると、こりゃ…うーん、やっぱり出版を断られるのも仕方がないって気がする。

 と思ったら、かなり早い時点で、ちゃんと手がかりが出てるじゃないか。なんと8頁だ。

たしかに、彼はおぞましく、下劣で、道徳的腐敗の輝ける見本であり、凶暴性と道化性を併せ持っていて、そこにはおそらくこの上ない苦悩が読み取れるかもしれない(略)。絶望的な率直さが告白の中に脈打っていようとも、悪魔のごとく狡猾な罪はけっして赦されることがない。彼は異常である。…

 お話は、ランバート氏とロリータの二人が、自動車で合衆国を放浪する旅へと続く。ここで展開される、当事の合衆国の風景も読みどころ。さすがモータリゼーションの国だけあって、モーテル(日本のとは違い、向こうじゃ普通の宿)は随所にあるし、ヒッチハイカーも多い。

 後にロリータが通う学校の校長が語る教育方針も、進歩的である事を気取りたがるアメリカの姿を皮肉っている。なかなか能弁な女性だけど、人の名前を覚えるのは苦手な様子。

 そして、ヒロインのロリータ。ハンバート氏は「ニンフェット」と言うが、この表現と彼女の言動とのズレがまた、現実的というか、まあそうだよね、というか。彼女の視点で読み返すと面白い発見があっりそうだけど、真面目に読むと重すぎてこっちの神経が保ちそうにない。

 あ、ちなみに。ポルノとしては、上品過ぎて使い物にならんです。

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