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2012年11月10日 (土)

ジェラルド・J・S・ワイルド「交通事故はなぜなくならないか リスク行動の心理学」新曜社 芳賀繁訳

 リスク・ホメオスタシス理論は、どのような活動であれ、人びとがその活動(交通、労働、飲食、服薬、娯楽、恋愛、運動、その他)から得られるだろうと期待する利益と引き換えに、自身の健康、安全、その他の価値を損ねるリスクの主観的な推定値をある水準まで受容すると主張する。

【どんな本?】

 多くの国は、交通事故を減らすべく、ガードレールの設置や路面の整備などに多くの資本を投資している。自動車メーカーも、アンチ・ロック・ブレーキ・システムやエアバッグなど、安全を確保する機構の採用に意欲的だ。運用面でも、速度制限や飲酒運転の取り締まり・シートベルト着用義務化など、交通事故を防ぐため様々な努力がなされている。

 にもかかわらず、交通事故はなくならない。インフラや新技術で交通環境が改善されても、人々のインセンティブ(動機づけ)が変わらない限り、事故は減らないのだと主張する、過激で刺激的な本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TARGET RISK 2 : A New Psychology of Safety and Health : What works? What doesn't? And why... , by Gerald J. S. Wilde, 2001。日本語版は2007年2月10日初版第1刷発行。単行本ハードカバーで縦一段組み本文約285頁+訳者による解説とあとがき7頁。9ポイント47字×18行×285頁=約241,110字、400字詰め原稿用紙で約603枚。長編小説なら標準的~ちと長め。

 訳文そのものはこなれてるが、多分元の文章が学者風というかお堅いというかまだるっこしいというか。例えば肯定形にすりゃいいのに、二重否定を使って面倒くさい表現になってるみたいな部分があるんで、「わざと難しい表現にしてハッタリかましてるんじゃなかろか」と疑いたくなる。多分、そうではなくて、筆者の地なんだろうけど。

 一応、カテゴリは「科学/技術」としたが、あまり数式は出てこない。出てきても、無視して地の文だけ読めば充分に意味は通じるので、気にしないで結構。

【構成は?】

第1章 はじめに
第2章 ホメオスタシスという概念
第3章 リスク行動の簡潔な理論を目指して
第4章 リスク・ホメオスタシス理論
第5章 推論とデータ
第6章 教育による介入
第7章 工学的治療?
第8章 取り締まり
第9章 実験室でのリスク・ホメオスタシス理論
第10章 個人差
第11章 安全と健康への動機づけ
第12章 さらなる展望
 訳者による解説とあとがき/注/索引

【感想は?】

 頷ける所は多々ある。と同時に、細かい部分はかなり荒っぽいな、と感じる部分もある。鵜呑みにはできないが、経験的に納得できるところは多い。

 本書の内容は、交通事故に限らず、あらゆる事故に応用可能だ。ここで言う事故は、人が死傷するものだけでなく、不良品発生や誤発注や納期遅れも含む、あらゆる事故である。常に事故の危険がある職務に携わる人(大抵の仕事はそうだよね)、品質管理や安全管理に携わる人、そしてミスやロスによる損失を減らしたいと願う人なら、読んで損はない。

 筆者の主張を端的にまとめよう。

 ABS=アンチ・ロック・ブレーキ・システムなどの、自動車の安全装置は、大抵の場合、車間距離を詰めたり急ブレーキなどより荒っぽい運転を引き起こし、結果的に事故は減らない。路面の改善など快適な運転環境の整備も、より速い速度の運転や、より長距離のドライブを促し、やはり事故は減らない。

 事故を減らすには、ABSやエアバッグなどの工学的アプローチは無意味だ。信号や路面の改善など、インフラの整備も無意味だ。意外な事に、交通安全教育もあまり効果はない。警察の取り締まりもあまり効果はない。極端な厳罰化は、逆効果な場合もある。

 ムカつく人もいるだろう。自動車メーカーの熱意や、緑のおばさんの努力をあざ笑うが如き主張だ。実際、著者の主張を否定する人は多いらしく、本書の1/4程度は否定論への反論に割いている。

 だが、体感的には、かなり頷ける部分がある。大抵の人は、古い軽自動車を運転する際はスピードを控えめにするし、大型のスポーツカーなら、少々トバし気味になる。いいクルマは疲れないし運転が楽しいから、より長時間・より長距離のドライブに出かける。雪道はゆっくり走るし、広く長い直線はアクセルを踏む。狭い道・暗い道・見通しの効かない道は、本能的に徐行気味になる。危険な所はゆっくり注意深く走り、安全な場所ではトバす。

 これを、著者はこう理論化する。人は、自然と単位時間内の事故発生率を一定にしようとする、と。

 路面幅を広げたり、ガードレールを取り付けたり、路面を舗装したりすると、一見、事故が減りそうな気になる。だが、環境の整備は、ドライバーの行動を変える。よりスピードを出したり、より長距離を運転する。スピードを出す、長距離のドライブ、いずれも事故を増やす要因になる。結果として、事故の発生件数は減らない。

 これらを、様々なデータで検証したのが、この本だ。

 反論も多々ある。例えば、「現実に1kmあたりの事故発生率は減ってるじゃないか」という主張。これは事実だ。データの裏づけもある。だが、同時に、住民一人あたりの走行距離も増えている。結果として。全体的には大きな変化はない。

 ノルウェイの例二つは教訓的だ。1993年6月、ノルウェイの一部地域で、トラックドライバーに凍結路面の運転の教習の受講を義務付けたが、事故リスクは逆に増えた。運転能力は高めたが、同時に自信も高め、よりリスクを許容するようになったんだろう、と推論している。

 オスロ市で路面が雪に覆われた路面の交通量は5~10%だが、事故は15%を占める。「事故が増えるじゃん」と思うでしょ。「しかし、死亡事故件数は比較的少なく、物損事故が多く、人身傷害事故が少ない」。皆さん、すべる分、スピードを控えるわけ。

 主なデータはアメリカ合衆国のものなので、日本とはだいぶ様子が違うが、共通点は多い。悲しいのが、交通事故に強い相関がある三つの数字、失業者数・雇用者数・労働力外人口。どういうことかというと。景気がいいと交通事故が増え、悪いと事故が減る、そういうことです。

 いかにも絶望的な内容に思われるが、実はちゃんと代案も提示している。方針は四つ。

  1. 慎重な行動によって感じられる利益を増やす
  2. 慎重な行動によって感じられるコストを減らす
  3. 危険な行動によって感じられるコストを増やす
  4. 危険な行動によって感じられる利益を減らす

 中でも効果的なのが、1. 。本書では「無事故運転へのインセンティブ強化」として、複数の例を挙げている。

 例えばドイツのクラフト食品は、1957年にドライバーに通達を出した。「有責事故を起こさなければ、半年ごとに350マルクのボーナスを出す」。初年度に運転距離10万Kmあたりの事故が約1/3に減り、保険料が安くなったので充分にモトが取れた。「小さなニンジンは大きなムチより好かれるばかりでなく、効果も大きい」。

 カリフォルニアでは、「一年間無事故記録だったら運転免許を12ヶ月無償で延長できる」と、通知を出した。一年以内に免許行進予定の者は対照群より22%事故率が低く、また一年後にボーナスを得た群は、二年目も他群より33%事故率が低かった。

 とすると、日本のゴールド免許制度も、交通事故を減らすのに効果があるんだろうか。本書では、自動車保険の話も扱っていて、「無事故者には保険料を値引きせよ」と主張している。これもまた、日本じゃ当たり前に実施されてるなあ。

 素直に読めば、自動車の改良は安全性を高めない、とも読めるが、別の解釈も出来る。安全性の向上は、より多くのモビリティに貢献する、と。現実の自動車の運転速度は、エンジンや足回りだけじゃ決まらない。より安全で快適なクルマにすることは、実用的な運動性能を高めることにつながる、とも考えられる。

 最後に、細かいケチをつけておこう。体感的な危険は、速度に比例しない。クルマにもよるが、速度の二乗ぐらいに比例する…と、私は感じる。こういう細かい補正は必要だが、大枠の所では同意できる部分が多かった。事故・ミス・ロスを防ぎたいと願う、全ての人にお勧め。

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