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2012年11月の14件の記事

2012年11月29日 (木)

SFマガジン2013年1月号

なんだよ、あの翻訳の一歩後ろにいつも控えておりまする白髪美髯の執事的な絶妙な距離感がいいんじゃないか。
  ――池澤春菜「SFのSは、ステキのS」

 280頁の標準サイズ。今月は日本SF作家クラブ創立50周年記念特集として、巽孝之「日本SF作家クラブ気質考」やイベントレポート、牧眞司「日本SF年表」など。小説は夢枕獏「小角の城」・北野勇作「カメリ、ツリーに飾られる」・草上仁「ミサイル畑」に加え、巻末には年末恒例の2012年度版SFマガジン・インデックス。

 特集では、いきなりMARUZEN&ジュンク堂書店によるSFブックミュージアムの告知。場所は池袋本店7階特設会場、2013年4月13日まで。ちょっと行ってみようかしらん。

 巽孝之「日本SF作家クラブ気質考」、発足当時の世間がSFを見る目は冷たい。江頭淳や吉田健一には叩かれ、荒正人とは論争となる。面白いから引用しておこう。最近は世間でSFが認知されつつある、どころか変に頭よさげな印象すら持たれてる感があるけど、空気読んで言わないだけで、内心は両者みたく思ってる人が結構いるんじゃなかろか。円城塔の芥川賞受賞の騒ぎも、同じ感覚が残っている由を実証してるし。ま、アレは若手が老兵を叩き出す格好になったけどね。

吉田健一「科学小説という形式だけを取り上げていうならば、外国の小学生が熱中するものに日本のおとなの読者がわれを忘れる時代が来るというのは、情けない話だなどというのでなしに、そんな時代は来ないのに決まっている」

荒正人「マンガ、テレビ、映画などからは本格的SFは育たぬであろう」

 続くSFWJ50ブックガイドでは星新一「人造美人」から上田早夕里「華竜の宮」まで日本SF作家クラブ会員の作品から50冊を厳選して紹介。7ポイント26字×26行=676字×50本、今月もSF書評マガジンだなあ。個人的に矢野徹は「折紙宇宙船の伝説」の方が好き。あれは傑作ですぜ。

 巻末の「SFブックミュージアム」参加作品リストは、まんまお勧めSF作品リストとして使える。SF作家クラブのマークの右肩についたアクセントが、頁ごとに微妙に違ってるあたり、芸が細かい。

 などと日本SF特集なのに翻訳物を持ち上げてどうする池澤春菜w 翻訳者を執事に例えるあたりは見事。作品世界との距離感が日本語ネイティブの作品とは違うよね、という感覚には激しく同意。やっぱりレムは多少堅い文体じゃないと納得いかないし、チャールズ・ストロスは O'REILLY っぽくクール気取ってヒネた雰囲気が合うし、SFじゃないけどギャビン・ライアルは気取った文体であって欲しい。

 Media Sgowcase/MUSIC、「いまロックは、屍者の帝国である」って、納得しちゃうのが哀しい。特にプログレ者には身に染みる。これがブルースになると伝統芸能として開き直れるんだが。まあジョジョで ROUNDABOUT が流行るから、もしかしたら復活も…ないか。

 北野勇作「カメリ、ツリーに飾られる」。今回はクリスマスのお話。今朝のカフェでは、クリスマスの話題でもちきり。常連のヒトデナシたちが話している。大川のあたりでクリスマスが膨らみかけている、この調子だと地上の街角までクリスマス一色になる、今夜あたりイブじゃないかな、と。
 相変わらずノスタルジックながら少しズレた、微妙にユルくてボンヤリした世界だけど、今回はクリスマスだけあって、ちょっと賑やかで華々しい雰囲気がある。つかなんだこのオチはw

 草上仁「ミサイル畑」。いろいろとドジを踏んで左遷され、ド田舎のサント・ヨハネスブルグに飛ばされた遺伝子技術者のわたし。農業惑星のここで、軍需産業に売り込める作物を作る仕事だが、ここでもロクなモノができず、製品開発部長に嫌味を言われている。せっかく作ったSB17Kも、タブついて利益がでなくなった。いまさら転職しようにも歳が歳だし…
 誰だ原稿落としたの。お得意のサラリーマンもの。熾烈な新製品開発競争に投げ込まれた技術者の悲哀がしみじみ伝わってくる。他社との競争になると、キリがないんだよね。開発競争に苦しむ技術者諸氏は涙するだろう。

 金子隆一「SENCE OF REALITY コメの飯とお天道様は」。今回はインディカ米とジャポニカ米をネタに、栽培稲のルーツのお話で、なんとも意外な最新情報。常日頃から思ってるんだけど、日本のコメって凄まじい常習性・依存性があるよね。私は24時間ぐらいで禁断症状が出ます。

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2012年11月28日 (水)

クライヴ・アーヴィング「ボーイング747を創った男たち ワイドボディの奇跡」講談社 手島尚訳

「あなたがたがこれから何かを決定する場合、飛行機というものはどんどん大きくなっていくものだということをつねに念頭においておく必要がある。大きさを抑えようなどと考えてはいけない。自分にリミットをもうけたりしないで、飛行機から最大限の能力を引き出すことが肝心だ」  ――チャールズ・リンドバーグ

【どんな本?】

 ジャンボの愛称で親しまれ、今や世界の空を制覇したベストセラーの大型旅客機ボーイング747。だが、その誕生に至る過程はボーイング社を倒産の危機にまで陥れる難産であり、また当時はSST(超音速旅客機)までの中継ぎ役と目され、貨物用に転用される予定だった。

 ジェット化に伴う後退翼の採用はダッチロールの悪魔を呼び起こし、400人を超える乗客数は緊急時の避難の困難を伴う。遅れるP&Wの大型ターボファンエンジンの開発、隙をうかがうライバルのダグラス社、パンナムとのタフな交渉。技術・工学・ビジネスそして人間ドラマなど様々な視点で多数の秘話を盛り込みつつ綴る、ボーイング747誕生までのルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は WIDE-BODY, THE MAKING OF THE 747, by Clive Irving, 1993。日本語版は2000年11月15日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで406頁。9ポイント47字×18行×406頁=約343,476字、400字詰め原稿用紙で約859枚。長編小説ならかなり長め。

 翻訳物のわりに日本語はこなれていて、かなり読みやすい。また原書のヤード・ポンド法の数字は、メートル法に換算した数値をカッコでくくって補っているのがありがたい。4~8頁に1枚程度の割合でモノクロの写真が入っているのも嬉しい。ただ、読んでいると、出てくる航空機やエンジン,工学・航空用語を詳しく調べたくなり、ついつい Wikipedia を覗いてしまうため、なかなか進まないのが困りもの。

【構成は?】

 ボーイング747を創った男たち(主な登場人物)
 訳者まえがき
 プロローグ――ワイドボディの出発点
第一部 ナプキンに描かれた後退翼
 一 30年前の苦い経験
 二 若きエンジニア群像
 三 世界を縮めた後退翼
 四 風洞の暴れ馬
 五 悪魔との苦闘
 六 カウボーイと科学者
 七 インチ単位の闘い
 八 不気味なやつがやってくる
第二部 老雄たち、最後の大事業
 一 横どりされた空軍の発注契約
 二 大きな輪
 三 ダブルか、ワイドか
 四 設計の主導権は誰に
 五 ロシア人にバイブルを見せるな
 六 機体重量を減らせ
 七 バンドよ、ラッパを吹き鳴らせ
 八 パリへ飛ぶ
 九 厳冬の季節
  エピローグ ワイドボディを生んだ風土

 ドラマ的な盛り上げを目論んでか、かなり時系列はシャッフルしている。

【感想は?】

 書名でわかるように、基調としてはボーイング社を持ち上げる感じにできあがっている。「講談社だしビジネス系の本か」と思ったが、意外とエンジニアリングの話が多い。登場人物も、ボーイング社では当事の社長のウィリアム・M・アレンを除けば大半がエンジニアか研究者、またはテスト・パイロット。

 747誕生の話なのだが、これがなかなか登場せず、半分ぐらいは「ボーイング社がジェット機を開発する」お話。ここでも、中心となるのは世界に先駆けて後退翼の採用を決定し、それに付きまとうフラッター(→Wikipedia)に悩まされる話が印象に残る。

 お話はプロペラ機の時代から始まる。第二次世界大戦で大型爆撃機B-17を開発し実績を作ったボーイング社、1945年9月に陸軍航空軍に大型ジェット爆撃機XB-47に後退翼を採用する提案を出す。音速に近づくと翼面上に衝撃波が起きるが、後退角を大きく取ると衝撃波が起きる「臨界点が高く」なるのだ。またジェットエンジンの効率は速度にほぼ比例し、航続距離も増える。

 なお、アメリカは1941年、真珠湾攻撃の二ヶ月前ににジェットエンジンを手に入れていた。イギリスがアメリカに極秘の機械として送っていたのだ。

 だが、後退翼には高い代償が必要だった。まず、納入先の陸軍航空軍のお偉方が、見慣れぬ奇妙な形に納得しない。当初はエンジンを胴体内に収める形だったが、被弾→エンジン火災発生の危険を考えると、胴体から放す必要がある。音速に近づくと姿勢が安定しない。また、懸念どおりフラッターからダッチロール(→Wikipedia)が起きる。

 ここで風洞実験を繰り返しながら適切なエンジンの位置を探る描写は、航空機開発の難しさと面白さが炸裂する場面。日頃は何の気なしに見ているエンジンの位置と形には、キチンとした意味と根拠があるのだなあ、と実感する。

 XB-47のテスト・フライトの場面も感動的だ。六発の大型爆撃機のXB-47 vs 新鋭のF-84サンダージェット戦闘機(直線翼、→Wikipedia)、その際の会話は…

マクルー(F-84)「ガイ、君はどこにいるんだ」
タウンゼンド(XB-47)「そっちからおれをみつけられないなら、どうやって撃ち落せるんだ」

 テスト・パイロットで楽しいのが、テックス・ジョンストン。テスト中のダッシュ80ことボーイング367-80(→Wikipedia)にVIPを乗せ社長のアレンを含めた20万の大観衆の目前でお披露目の飛行をする際、なんとバレルロール(→Wikipedia)をやらかす。これを見た社長のアレンは後に業界の会合で語る。

「私はいま、わずかながらユーモアを持ってこの出来事についてお話ししています。しかし、こうした気持ちになるまでは、22年の時の流れが必要でした」

 やがてベストセラー707が登場、当時はセレブのモノだった航空機搭乗の庶民化をもたらす。これを嫌うIATA(国際航空運送協会)とパンナムは対立、パンナムのイギリス発着を禁止するイギリス政府に対しパンナムはアイルランドのシャノン空港を使って抗戦。結局、1952年に「すべての航空会社がツーリストクラス運賃を導入する」。ジェット化・大型化は海外旅行の庶民化にも貢献してるわけ。

 更なる大型化を求めるパンナムにボーイングは747の計画で応えるが、エンジンはおろか形状の目処すらたっていなかった。当事のボーイングはSST開発に人材を奪われ、また今までは軍用機の転用でやってきたボーイングにとって、全学を寺社負担する旅客機の開発は生死を賭けた大博打だった…

 ソ連との交渉、コンテナ普及に伴う運送事情の変化、ダブルデッキ vs ワイドボディ、ワシントン州シアトルの独特の土地柄、風洞実験の恐怖、重量軽減の苦闘、開発者同士のエゴのぶつかり合い、そして迫り来る倒産の危機。「ジャンボ」の愛称はイギリスのリポーターがつけたもので、当初ボーイング社はこれを嫌っていたなど、意外なエピソードもギッシリ。航空機に興味があるなら、一読の価値あり。

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2012年11月26日 (月)

上田早夕里「リリエンタールの末裔」ハヤカワ文庫JA

「空を飛ぼうとする者は、常に危険と隣り合わせの場所にいる。そういう人間は、皆、冒険者だ。私は空だけでなく、自分が住んでいる社会においても冒険者でありたいと思っている。だが、冒険とは、常に生きて帰ることを目指すべきものだ。そういう意味で、社会の動きは慎重に見させてもらうよ」
  ―「リリエンタールの末裔」

【どんな本?】

 2010年に発表した「華竜の宮」が圧倒的な支持を受け、「このSFが読みたい!2011年版」でもベストSF国内編でトップをもぎ取った上田早夕里による、SF短編集。「華竜の宮」と同じ世界を舞台にした表題作、世界と人間の認識を扱う「マグネフィリオ」「ナイト・ブルーの記録」、そして18世紀の英国で圧倒的な精度の航海用時計を作ったジョン・ハリソンを描く「幻のクロノメーター」の四編を収録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年12月15日発行。文庫本縦一段組みで本文約311頁に加え、香月祥宏の解説8頁。9ポイント40字×17行×311頁=約211,480字、400字詰め原稿用紙で約529枚。長編小説なら標準的な長さ。文章そのものは、比較的読みやすい。一部で最新科学の成果が使われているので、そこで好き嫌いが分かれるかも…って、ハヤカワ文庫JAを読む人なら、大抵は好きな人だよね。

【収録作は?】

リリエンタールの末裔
 村で育ち12歳になったチャムは、飛行が大好きだ。体重の制限があり、飛べるのは子供だけ、飛べなくなる日が子供時代の終わり。チャムは小柄で痩せていたため、誕生日の前の日まで飛んでいた。やがてチャムは、海上都市ノトゥン・フルへと出稼ぎに出る。そこでは、ハンググライダーの愛好家がクラブを作っているが、資産など厳しい入会基準がある。貧しいながらもチャムはクラブ入会を目指すが…

 「華竜の宮」と同じ世界を舞台にした作品。飛ぶこと、ただそれだけに人生の全てを賭けるチャムの瑞々しさが眩しい。彼が憧れたノトゥン・フル、だがそこにも人間同士の軋轢が思わぬ形で影を落とす。理不尽な迫害に対し、チャムが出す解は…。この「影」が、実に人間らしいというか、しょうもないというか、まあ遠い未来になっても、人間なんてそんなもんなんだろうなあ。
 どうでもいいが舞台の東経90度北緯20度、現在はベンガル湾の奥、バングラデシュの海岸のあたり。私はチャムを浅黒くほりが深い小柄で精悍なベンガル人だと思いながら読んだ。
マグネフィリオ
 和也は医療機器を販売する会社に勤めていた。同期の修介とはいい友人となり、よく飲みに行っては社内では言えない愚痴をこぼした。和也は同僚で控えめな菜月に惹かれ誘いをかけたが、あっさりフラれた。菜月は、修介と交際していたのだ。修介と菜月の結婚を祝福しながらも、和也は菜月への想いを断ち切れずにいた。そして、家族同伴の社員旅行の日。三人が乗ったバスは交通事故にあい…

 BMI(ブレイン・マシン・インタフェース)を小道具に、人と人との関係の深層に切り込んだ作品。事故で運命が激変した三人、果たしてそれぞれの想いの行方は…。そういう技術があったら、自分ならどう使うかなんて、考えちゃいけません、はい。心に染み入るせっかくの読後感が台無しになります。
ナイト・ブルーの記録
 一週間ほど前、私は霧島恭吾へ申し込んだインタビューに了解をもらっていた。霧島恭吾、海洋無人探査機の元オペレーター。だが、その日、届いたメールは彼の死を告げていた。享年73歳、死因は急性心停止。だが、同時に奇妙な言葉があった。
 《本人は他界しましたが、インタビューはお受けします。霧島さんと約束しておられた日に、本人の自宅までお越し頂ければ幸いです》

 ここで扱う海洋無人探査機は、自律型ではなく有線で制御するタイプ。海洋研究開発機構だと、ハイパードルフィンが見つかった。ここでも最新の脳研究の成果を意欲的に取り込み、身体の拡張によって変容していくヒトの認識を扱っている。ご興味のある方はミゲル・ニコレリスの「越境する脳」をどうぞ。
 霧島が得た感覚、実は案外と現代でも多くの人が体験しているような気がするんだが、どうなんだろ。ジミ・ヘンドリクスは次々と浮かび上がるアイデアを「悪魔が頭の中で囁いている」と言ったとか。そこまで有名人じゃなくても、道具を己の肉体のように扱う人っているでしょ。タクシーの運転手とか板前さんとか。
 どうでもいいが、私はデレク&ドミノスの「愛しのレイラ」のイントロを初めて聞いた時、「ギターの音が雨の雫のように降ってくる」って感覚にとらわれた。
幻のクロノメーター
 私が生まれ育ったのはバロー村。父さんは大工で、ジョン・ハリソンさんと親しかった。ハリソンさんも大工で時計職人じゃなかったけど、素晴らしい時計を作ったし、父さんはそれを自慢していた。父さんが亡くなって、私と母さんはロンドンに住むハリソンさんの家に住み込むことになった。
 ロンドンの匂いと騒音はひどかったけど、ハリソンさんは親切な人だった。その頃、ハリソンさんは経度評議員会が要求する航海用時計の製作に挑んでいた。委員会の要求は、60日間の航海で誤差が2分以内。そんな時計を人間が作れるなんて信じられなかった。

 うおお、ジョン・ハリソン(→Wikipedia)。18世紀の英国、外洋を航海中の船で経度を正確に測るため必要な、長期間正確に動く時計の製作に挑み、資金調達や様々な嫌がらせにもめげず、見事に賞金を獲得した男。そりゃ今は電池と水晶で正確な時間が分かるけど、当事の機械式でどうすりゃそこまで正確なモノが作れるのか。実際の機械の内部にまで踏み込み、出来上がったモノを通してハリソンの職人気質を伝える手法も見事。そうか、木にはそういう利点があったのね。

 全体を通してみると、「一つの方向に偏った人生を送った人」をテーマにした作品が多い。「リリエンタールの末裔」では「飛ぶこと」に拘りぬくチャム、「ナイト・ブルーの記憶」では深海探査木のオペレーションに生きた霧島恭吾、そして時計作りに人生を賭けたジョン・ハリスン。「マグネフィリオ」も、自分の人生の中心を定めた人を描いてる。

 拘って、拘りぬいて、前人未到の地に到達して、それでも前を見る事をやめない人たち。「火星ダーク・バラード」でも、悪役のグレアムは強烈な魅力を持っていた。この短編集でも、チャムや霧島やハリソンは輝いている。

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2012年11月23日 (金)

大島真生「公安は誰をマークしているか」新潮新書433

 公安警察は暴力革命やテロ、ゲリラを企てる組織を壊滅させ、外国からのスパイ(工作員又は諜報員)を摘発するのが具体的な仕事である。外国のスパイなどを担当する公安警察内部の部門を、さらに細分化して外事警察ともいう。そして人員、経験、ノウハウ、あらゆる点からも公安警察最強の組織が警視庁公安部なのだ。

【どんな本?】

 著者は産経新聞に勤め、2003年~2006年まで警視庁公安部・警備部を担当した。警視庁公安部を中心とした警察の公安部隊について、その歴史・組織編成と実情・主な職務・性格・能力・実績などを解説すると共に、彼らの捜査対象である国内の過激派・右翼・ロシアや北朝鮮の工作員が起こした事件や、その特徴などを明らかにする。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年8月20日発行。ソフトカバーの新書で縦一段組み本文約218頁。9.5ポイント39字×15行×218頁=約127,530字、400字詰め原稿用紙で約319枚。小説なら長めの中篇~短めの長編の分量。ブンヤさんが書いた本らしく、文章は素直で読みやすく、また各エピソードも衝撃的な場面を冒頭に持ってくるなど、読者が楽しんで読めるように工夫している。

【構成は?】

 はじめに
序章 公安とは何か
第1章 警視庁公安部 公安総務課vs共産党
第2章 公安一課vs過激派
第3章 公安二課vs革マル
第4章 公安三課vs右翼
第5章 外事一課vsロシアスパイ
第6章 外事二課vs北朝鮮工作員
第7章 外事三課vsアルカーイダ
第8章 事件現場に臨む公安機動捜査隊
終章 公安調査庁の実力は
 おわりに
 参考文献

【感想は?】

 書名のつけ方が、巧い。というのも、本書の主人公は公安のはずだが、読み終えてみると、公安がマークしている過激派や工作員ばかりが印象に残っているからだ。

 一口に「公安」といっても、本書によれば大きく二つの組織がある。一つは法務省下の公安調査庁など、もうひとつは警察庁警備局公安課&自治体警察の公安部・公安課。本書では主に後者、つまり警察の公安を扱う。両者の職務はカブる所が多く、「公安調査庁は近年、リストラ対象として度々狙われてきた」。

 冒頭に日本の公安関係の組織図があって、実にわかりやすい。ミステリ好きな人は警察の組織に詳しいんだろうけど、素人の私にはかなりありがたかった。指揮系統については結構ぶっちゃけてて、本来なら自治体警察の指揮下にあるはずの県警公安課が、事実上は警察庁公安課の指示にしたがっている、などとアッサリ書いてある。その為か、刑事警察との「不仲は相当根深いものなのだ」。

 一般的に捜査機関は縄張り意識が強いものだけど、刑事さんと公安の不仲については、その根をGHQの時代に遡って紐解いている。

 公安警察の活動を全般的に扱う本書だが、基本的に警視庁の公安部を中心に据えている。これには著者の経歴も関係あるのだろうけれど、ちゃんとした理由があるのだ。なんたって、各国の大使館は東京に集中しているため、他国のスパイも東京を中心に活動しているのだから。

 構成を見ればわかるように、前半は過激派など国内の組織の話題を扱っている。今でも総務課は共産党を監視しているようだが、最近は「共産党情報のニーズが減ってきた」。ためか、統一協会・グリーンピース・シーシェパード・オウム真理教関係なども担当しているが、「(公安)組織を維持するために対象範囲を広げざるを得ないという内向きな事情が背景にある」。

 こういう、対象組織が衰えたため存在意義が問われているのは公安一課も同じで、「極左暴力集団は昭和44年(1969年)の約5万3500をピークに減少しており」「平成22(2010)年の全体の人数は約1万3200人」、しかも高齢化してて「縮小傾向に歯止めがかからない」。おまけに対立するグループやグループ内の内輪もめ(内ゲバ)で消耗してるんだから世話ない。

 どうでもいいが、極左の組織名って、なんで漢字が沢山続く長い名前が多いんだろ。「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」とか、革命が二回出てくる。

 極左の共通点のもう一つは、大学を重要な拠点としている点。革労協は明治大学・革マルは早稲田大学に巣くい、学園祭を資金源にしていたため、大学は学園祭を中止した。普通の学生さんこそいい迷惑だよなあ。

 極左は組織的なテロ・ゲリラを繰り広げるのに対し、右翼は個人の犯罪が多い模様。また、暴力団との境目があいまいで、警視庁で暴力団を取り締まる組織犯罪対策四課とカブる部分があるんだが、こっちは意外と仲良くなってる様子。だけならいいが、捜査員が極右組織の内部に浸透するため、癒着しがちな部分もあるとか。

 後半は外国関係で、こっちはモロにスパイの世界。「在日ロシア大使館員は、三分の二がSVRやGRUのスパイとされ」ってんだからお盛んだ。表向きの肩書きと実際の指揮系統は別で…

 冷戦時代、東京・晴海にあった国際貿易センターで行われたソ連見本市の会場で、ソビエト本国から来ていた係員が公使や参事官、一等書記官など在日ソ連大使館の幹部が会場を訪れても全く挨拶をしなかったにもかかわらず、大使の運転手が現れると、直立不動で挨拶したことから、この運転手が諜報機関の幹部であることがわかった

 とか、抜け目なく見えるロシア人も意外とアレだなあ。でも最大の難関は「日本ではどうしても白人は目立ってしま」う事だとか。

 対照的に目立たないのが中国。真空掃除機と言われ、多くの民間の在日中国人を介在させ、得られる情報は広範囲に全てかき集める。

 最近になって忙しくなったのが、アルカーイダなどイスラム関係。サッカーのワールドカップも狙われたが、「日本にはイスラム教徒が少なく、支援体制(インフラ)の構築が困難だったため断念した」。アメリカのCIAともタテマエ上は協力関係にあるが、「米国当局から提供される情報は一方通行で、頭ごなしのものが多い」。あの国らしいねえ。

 全般的に、極左関係は先細りだが、外国関係はアルカーイダなど仕事が増えている模様。公安の存在価値は変わらないけれど、組織形態や職務内容は大きく変わりそうな予感がする。

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2012年11月22日 (木)

ジェームス・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」新潮文庫 田中西二郎訳

「あたしは安料理屋ではたらいてたの。ロサンジェルスの安料理屋で、二年も暮らしてみなさいよ。だれだって、金時計ぶらさげた最初の男のいうことをきくわ」

【どんな本?】

 1892年生まれのアメリカの作家ジェームズ・ケインによる犯罪サスペンス小説。Wikipediaによれば既に四回も映画化されている。流れ者のチンピラ青年フランク・チェンバーズと、サンドイッチ食堂の若妻コーラ・パパダキスのカップルが企む完全犯罪を中心に、刹那的な若者の生き様と、その周囲で蠢く事件関係者、そして二人の間に流れる激しい感情を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Postman Always Rings Twice, by James Mallahan Cain, 1934。私が読んだのは1963年7月15日発行の新潮文庫版で、1992年10月20日の49刷。約半年ごとに増刷してるから、かなりのロングセラー。

 あとがきによると、日本への紹介は1953年に飯島正訳の荒地出版。1959年、東京創元社から世界名作推理小説体系にレイモンド・チャンドラーの二編と共に 田中西二郎訳で一冊にまとめ刊行、1963年に同じ訳者で新潮文庫より文庫本刊行。今は集英社文庫から中田耕治訳が、ハヤカワ・ミステリ文庫から「郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす」の名前で小鷹信光訳が出ている。

 文庫本縦一段組みで本文約177頁に加え訳者によるあとがき5頁。古い本だがミステリの流儀に馴染んだ訳者らしく、あとがきもネタバレなしなので、安心して読もう。8ポイント43字×18行×177頁=約136,998字、400字詰め原稿用紙で約343枚。長編小説としては短め。

 さすがに1959年の翻訳だけあって、名詞は少々年代を感じさせる。特に、「キャリフォニア」「フライド・エグズ」などカタカナ言葉が、英語のカナ表記が定まらず訳者が暗中模索していた当事の状況がうかがえる。にも関わらず、文章は意外なほど読みやすい。物語はチンピラのフランク・チェンバーズの一人称で語られる。無教養で下品な語り手の、俗語満載で下卑た文体は、往々にして時代の変化に敏感である事を考えると、これは「今になってやっと価値がわかる名訳」かも。

【どんな話?】

 昨夜、寝床にしたトラックはいつの間にか走り出し、おれチェンバーズは道に放り出された。歩き出したおれは二本樫亭というサンドウィッチ食堂を見つけ、そこで働くことになった。おやじはギリシャ系のニック、その女房はコーラ。亭主の留守におれとコーラはうまいことやってたが、コーラはニックにウンザリしてた。おれたちはニックを片付ける相談を始め…

【感想は?】

 「黴臭くて湿っぽく退屈な小説」かと思ったら、とんでもない。短い頁数でめまぐるしく話が展開する、ジェットコースター・ノベルだ。

 ジャンル分けしようとすると、どうにも扱いに困る。日本じゃ最初はミステリとして出版されたそうで、そりゃ確かに犯罪を扱ってるけど、謎解きを主眼とするミステリでは、ない。「あとがき」ではハードボイルドとしている。そう言われると文体は乾いているし、良識的でもない。でも、いわゆる「ヒーローが活躍する話」では、ない。

 お話は若いチンピラのチェンバーズと、彼と不倫関係になるコーラのカップルを中心に進む。このチェンバーズ、小手先は器用で小賢しいが、どうにも小物臭プンプン。特に野望もポリシーもなく、テキトーなその日暮らしが染み付いている。あまりお近づきになりたくない類の不良青年だ。

 彼とコーラがデキるまで、たった13頁。これだけで物語の舞台説明から登場人物の紹介までこなし、かつニックの目を盗んで二人をくっつける手並みは凄い。この後、自分の生い立ちを語るコーラの台詞がまた、実にハードボイルドしてる。

 「三年まえ。美人コンテストで入賞したの。高校の美人コンテストで一等になったの、デモインで。あたしの家が、あそこだったの。ご褒美に、ハリウッドに旅行させてもらったの。急行を降りたときは15人もの男があたしの写真をとりに来たけど、二週間たったら、あたしは安料理屋ではたらいてたわ」

 これでわかるように、コーラもあまし賢い方じゃない。というより、はっきり言って、小ずるい。自分の過ちのツケを人に回し、しかも自分は「いい子」でいようとする、ありがちなセコい女だ。嫌な奴なんだが、これが実に「ああ、いるよね、こーゆー奴」と思わせるというか、体温どころか体臭まで匂ってきそうな生々しさがある。ほんの数行の台詞、それもオツムの弱い若い女らしいたどたどしい言葉遣いで、ここまで人物像を浮かび上がらせるケインの技は見事。

 そして二人は邪魔者のニックを始末するため、犯罪計画を練り始める。ここから二人の運命は急展開を迎え…

 この急展開がまた、アッと驚く仕掛けに満ちてて、ぐんぐん読者を引っ張っていく。仕掛けがまた鮮やかで、なおかつ、主人公の二人チェンバーズとコーラの造形に相応しい、乾いてクールなシロモノ。一部の仕掛けはチョイとややこしくて何度か読み返さないと理解できなかったが、わかると巧妙さに感心すると同時に、社会の中でのチェンバーズとコーラの立ち位置を改めて考えさせられる。

 そのチェンバーズとコーラの心の動きが、これまたややこしいドラマに満ちている。出会った当初、二人の心にあるのは引力だけで、それを妨げるのは亭主のニックの存在だ。この時点では比較的に単純で、つまりはいかにニックを排除してくっつくか、ってだけ。まあ、それはそれで緊迫感が溢れる場面が多いんだけど。

 恋愛物としての読みどころは、二人の心に引力以外のモノが侵入してきた以降。それまでは肉欲と区別がつかなかった二人の関係が、次第に違う物に姿を変えていく…のか、最初からそうだったのが姿を現したのか。私は前者の解釈だけど、この辺は人によって解釈が違うだろう。

「おめえとおれと街道と、それだけだ、コーラ」
「ええ、あんたとあたしと街道と、それっきり」

 追いつめられ、ピッタリと息があっているように見える二人。お互いが人生における不可欠のパートナーだと思い込んでいる二人。しかし、ニックを始末する犯罪計画は、二人が互いに弱みを握る立場へと変えていく。意思でなったパートナーの筈が、利害が絡み、両者の関係は大きく変わってしまう。

 風来坊として生きてきたニック、安料理屋の勤めしか知らないコーラ。二人の生き方の違いが軋轢を生む場面では、女のしたたかさがジンジンと伝わってくる。

 しょうもない連中の、しょうもない生き方を描いた物語。良識派にとっては、実にけしからん小説だ。だが、美男美女の若手役者の話題作として映画化したら、さぞかし映えるだろうなあ、とも思う。人生のギリギリの淵で試される、汚物溜めの中に生まれた愛の物語。

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2012年11月21日 (水)

サイモン・シン「宇宙創成 上・下」新潮文庫 青木薫訳

新しい理論が受け入れられるまでには次の四つの段階を経る。
第一段階――こんな理論はくだらないたわごとだ。
第二段階――興味深くはあるが、ひねくれた意見だ。
第三段階――正しくはあるが、さほど重要ではない。
第四段階――私はずっとこの意見を唱えていたのだ。
  J・B・S・ホールデーン(1892~1964) イギリスの遺伝学者

【どんな本?】

 「フェルマーの最終定理」「暗号解読」など、数学の難問に挑んできた数学者たちの歴史を描いてきたサイモン・シンが、次に挑んだのが、物理学・天文学、そして宇宙論とその歴史だ。神話の時代から天動説と地動説の争い,アインシュタインの相対性理論がもたらした大変革を経て、現代の宇宙論の基礎を築いた定常宇宙論 vs ビッグバン仮説の大論争をテーマに、それに関わった多くの物理学者・天文学者と彼らが主張する宇宙論を、多彩なエピソード彩りながら、一般向けに解説する科学史&科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BIG BANG, by Simon Singh, 2004。日本語版は2006年に新潮社より単行本で出た後、2009年2月1日に新潮文庫より文庫版上下巻で発行。文庫本上下巻で縦一段組み、本文は(約377頁+約318頁)に加え付録「科学とは何か?―― What Is Science?」8頁,用語解説19頁,訳者あとがき9頁,文庫版訳者あとがき4頁。9ポイント39字×17行×(377頁+318頁)=約460,785字、400字詰め原稿用紙で約1152枚。長編小説なら約2冊分。

 翻訳物の科学解説書、それも最先端の物理学・天文学を扱っているにも関わらず、拍子抜けするほど読みやすく、わかりやすい。かの有名な E=mc2 など一応は数式も出てくるが、別に理解する必要はない。直感的に理解できるように、ちゃんと図やグラフによる説明がつく。下巻に入ると、言葉通り天文学的な数字を扱うために指数(xn)が出てくるが、それすら文中で説明してある。漢字さえ読めれば、小学生高学年でも理科が得意なら理解できるかも…と思って見直すと、難しい漢字にはちゃんとルビがふってある。なんと親切な。

【構成は?】

上巻
第Ⅰ章 はじめに神は…
天地創造の巨人からギリシャの哲学者まで/円に円を重ねる/革命もしくは回転/天の城/望遠鏡による躍進/究極の問い
  第Ⅰ章のまとめ
第Ⅱ章 宇宙の理論
アインシュタインの思考実験/重力の闘い ニュートンvsアインシュタイン/究極のパートナーシップ 理論と実践/アインシュタインの宇宙
  第Ⅱ章のまとめ
第Ⅲ章 大論争
宇宙を見つめる/消えますよ、ホラ消えた/天文学の巨人/運動する宇宙/ハップルの法則
  第Ⅲ章のまとめ
下巻
第Ⅳ章 宇宙論の一匹狼たち
宇宙から原子へ/最初の五分間/宇宙想像の神の曲線/定常宇宙モデルの誕生
  第Ⅳ章のまとめ
第Ⅴ章 パラダイム・シフト
時間縮尺の困難/より暗く、より遠く、より古く/宇宙の錬金術/企業による宇宙研究/ペンジアスとウィルソンの発見/密度のさざなみは存在するのか
  第Ⅴ章のまとめ
エピローグ
謝辞/付録:科学とは何か?―― What Is Science?/用語解説/訳者あとがき/文庫版訳者あとがき

 流れはおおむね時系列順。各章の冒頭に、科学者などの有名な言葉が数個引用されていて、ちょっとしたジョーク集の感がある。また、各章の末尾に「まとめ」があるのも親切。

【感想は?】

 サイモン・シンの著作の特徴は、なんといってもわかりやすいこと。この本は、特にわかりやすさが光ってる。私が最も唸ったのが、特殊相対性理論の部分。これの基本の一つが、「光の速度は一定」という法則。なんとなくわかったつもりになっていたけど、実はわかってなかったのが、この本でわかった。

 「光の速度は一定」というけど、実はこれだけじゃ完全じゃない。問題は、何に対して一定なのか、という点。この本では、高速で走る透明な列車の天井と床に鏡を置いて、その間を反射する光の速さふはどうなるか、という図で説明している。列車の中にはアリスがいて、列車の外にはボブがいる。アリスは列車&鏡と共に動き、ボブは動かない。

 アリスから見ると光は列車内を上下に動いてるだけ。だから、垂直に動くように見える。ボブは外で見てるから、光は斜めに動くように見える。さて、「光の速度が一定」とは、何に対して一定なのか。

 答え。「観測者に対して」。

 アリスはともかく、問題はボブ。斜めに動くのは、垂直に動くより距離が大きい。でも、光の速度は一定。じゃ、どうなるか。ボブから見ると、アリスの時間がゆっくり流れる(ように見える)。これを、たった一枚の絵で納得させてくれるから、この本は嬉しい。

 「フェルマーの最終定理」や「暗号解読」などの数学の本に比べ、この本のうれしい所は、冒険や「新兵器」が出てくる点。なんで理論物理に冒険が関わってくるのか、普通は理解できないだろう。

 さて。相対性理論は、今までのニュートンの世界観と、大きく違う。ここで、対立する二つの理論がある場合、どっちが正しいか、という問題が持ち上がる。科学は実証が重要だ。既にある観測結果(データ)を双方が説明できるなら、より単純な方または現在主流の節に軍配が上がる。新説が主流に打ち克つ最善の方法は、何か。

 主流じゃ説明できない未知の減少を、予言すること。

 相対性理論では、重力で光が曲がる事を予言する。当時、最も観測しやすい大重力は、太陽だ。星の光が太陽で曲がる事を確認できれば、特殊相対性理論の勝利だ。が、太陽は明るすぎて星の光を隠す。が、ひとつ、望みがある。皆既日食だ。日食で太陽の光が遮られれば、星が観測できる。

 ってんで、1919年、アーサー・エディントンは皆既日食が観測できるアフリカへ向かう。

 これの経緯が、また面白い。時は第一次世界大戦。クエーカー教徒として徴兵拒否したエディントン、このままじゃ留置場行き。見かねた王室天文学のフランク・ダイソン、エディントンを観測に派遣すべく熱弁をふるう。内心は相対性理論を支持しつつ、「ドイツのものである一般相対性理論に対し、ニュートンの重力理論を防衛することは英国人の義務であろう」。

 科学的な話は、下巻に入ると更に面白くなる。なんで原子の構造が宇宙論に関係あるのか、なんで相対性理論で原爆を作れるのか、他銀河との距離はどうやって測るのか、などなど。

 論の対立は、同時に人と人の対立でもある。ここで最大のスターは、英国人フレッド・ホイル。古いSF者には「10月1日では遅すぎる」で有名な、定常宇宙論の立役者。ところが、あまりに才能に恵まれた彼の活躍は、幾つかの点でビッグバン宇宙論を強力に支援してしまう。野次馬的に見た最大の活躍は、「ビッグバン」という言葉を発明した事。センスが良すぎるのも考え物です。彼の論敵のガモフもまた文才豊かな人で…

 各章の扉にある名言集も、ユーモアたっぷり。難しい宇宙論で凝った頭を、やんわりと揉みほぐしてくれる。

宇宙について無知であればあるほど、宇宙を説明するのは簡単だ。
  ――レオン・ブランシュヴィク

 地質学が証明する地球の年齢34億年と、初期のビッグバン宇宙論が導き出す宇宙の年齢20億年、このズレを解決していく過程は、上質なミステリとしても楽しめる。

 「この世界はどうやってできたのか」という、人間が持つ根源的な疑問。これの解を探す長い歴史を、たった2冊に圧縮し、かつ素人にも分かりやすく説明した上に、科学者たちのビックリ・エピソードをユーモアたっぷりに綴った本。科学を愛する全ての人にお勧め。

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2012年11月18日 (日)

テリー・ビッスン「ふたりジャネット」河出書房新社奇想コレクション 中村融編訳

 だれもがウィルスン・ウーのような友人を持つべきだ、絶えず頭をひねっていなけりゃならなくなるから。ウーはパン職人をしながらハイスクールを卒業し、それからドロップ・アウトしてロック・バンドを結成し、それからブリンストン(だと思う)の奨学金を得て数学(だと思う)を専攻し、それからドロップ・アウトしてエンジニアの職に就き、それから夜学で医科を途中まで進んでから、法科に鞍替えした。
  ――「穴の中の穴」より

【どんな本?】

 1990年、「熊が火を発見する」でヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞・デイヴィス読者賞・スタージョン記念賞とアメリカSF界の各賞を総ナメにしたテリー・ビッスンの、日本独自の短編集。日本でも「SFが読みたい!2005年版」の「ベストSF2004」海外部門で第5位に躍進した。

 アメリカ南部のホラ話の流れを汲む、SFというより馬鹿話の味わいが濃い、ユルくて楽しいお話。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 日本独自の編集。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約360頁。9ポイント42字×18行×360頁=272,160字、400字詰め原稿用紙で約681枚。長編小説ならやや長め。

 文章は翻訳物のSFとしては標準的な読みやすさ。SFとは言っても基本的に馬鹿話・法螺話なので、たまに小難しい屁理屈や数式が出てくるけど、ハッタリだと思って無視して構わない。

【収録作は?】

 以下、日本語の作品名 / 英文の作品名 / 発表年 の順。

熊が火を発見する / Bears Discover Fire / 1990
 おふくろを見舞った帰り、州間高速65号線でタイアがパンクした。12歳になる甥のウォーレス・ジュニアに手伝わせてタイアを交換してる時、俺たちは見た、熊が木立のへりで松明を掲げてるのを。各地で火を扱う熊が目撃されてて、TVじゃ<今日のニュース>で盛んに報道してる。

 お話の内容まんまのタイトル。でも、別に種の対立だの共存だのと大袈裟な話になるわけではなく、60過ぎのオッサンの主人公・老人ホームで過ごす彼の母・12歳で好奇心旺盛なウォーレス・ジュニアの交流が淡々と語られる。56年型のキャディ・ラジアルタイアの登場でお払い箱になりつつあるタイア修理技術の継承など、去り行くモノの郷愁を漂わせつつ、ちょっと切ない感じで物語りは幕を閉じる。
アンを押してください / Press Ann / 1991
 ブルースと映画を見に行く途中、現金を引き出すために銀行の端末に立ち寄ったエミリー。けど、出てきたメニューが変。「お預け入れ/お引き出し/残高照会/お天気」…え?なに、「お天気」って?

 会話とATMのメニューだけで構成された短編。状況がちとわかりにくいので、整理すると。ブルースとエミリーのカップルは、映画を見てエミリーの誕生日を祝うつもり。ブルースはキャッシュ・カードを機械に呑みこまれ、仕方なくエミリーのカードを使ってる。ところが、端末は奇妙なおせっかいをはじめ…
未来から来たふたり組 / Two Guys from the Future / 1992
 あたしがギャラリーの夜間警備のバイトをしてたら、変なふたり組みが現れた。なんでも、未来から芸術品を回収に来たとか。ピカピカ光る服を着て、背の低い方はちょっとキュート。次の夜、オーナーと相談するためにまた来るというので、オーナーのボロゴーヴに話をつけた。そして夜、彼らは再び現れ…

 一応、タイム・パラドックス物なのかな。頻出するギャグが、英語とスペイン語の地口なので、ちと分かりにくい。あげくにオチが、完全に年寄り向け。
英国航行中 / England Underway / 1993
 ブライトンに住むフォックス氏の日課は決まっている。午後は愛犬のアンソニーと海辺の遊歩道を散歩し、オーデンシールド夫人の店で日課のトロロプを読み、クリケット場でアンソニーを走り回らせ、<豚とアザミ>亭で夕食をとる。ところが、どうも今日、遊歩道から見る波は様子がおかしい。

 ブライトンはイングランド南部、英国海峡に面している。お話の中心となるアイデアは馬鹿話そのもの。英国が抱える社会問題を茶化しつつ、「アメリカ人の視点で見る英国の変人紳士」を静かに描く。単調なフォックス氏の生活、退屈そうだなあと思いつつ、それはそれで幸せかもしれない、とも思う。
ふたりジャネット / The Two Janets / 1990
 ユニオン・スクエアの露天本屋に立ち寄った帰り、16丁目の公衆電話が鳴った。母さんだ。あたしの母さんは、公衆電話であたしをつかまえる、奇妙な技を持っている。「そういえば、ジョン・アップダイクがこないだオーエンズボロに引っ越してきたのよ」

 有名作家が続々と田舎町に引っ越してくる、というお話で、アメリカ文学が好きな人向け。田舎から出てニューヨークに暮らす主人公、故郷で生活している元ボーイフレンドや友人。なんとかニューヨーカーになりきろうとしつつ、やっぱり断ち切れない故郷。
冥界飛行士 / NecroNauts / 1993
 わたしは18ヶ月前に事故で視力を失ったが、今でも絵が描ける。新聞は超常能力と呼ぶが、今までどおりにやっているだけだ。そんなわたしに、奇妙な依頼が来た。「計画中の遠征にイラストレーターとして参加して欲しい」と。わたしの事情を説明したが、先方は先刻ご承知の様子。

 ユーモアに溢れた短編が多いこの作品集の中では、異色の作品。依頼は、死後の世界の探検と、そのイラストを描くこと。テーマでわかるように、不気味で冷たい恐怖が忍び寄ってくる。
穴の中の穴 / The Hole in the Hole / 1994
 ヴォルヴォのブレーキ・パッドがキーキー喚くんで、おれは自動車用品店を探しまくった。やっと見つけた洞穴みたいな店で、ヴィニーって奴が教えてくれた。「<穴>のフランキーのところを紹介してやれよ」。言われたとおりに行くと、確かにあった。凄い。廃車置場は、あらゆるヴォルヴォがぎっしりつめこまれてる。

 万能中国人ウィルスン・ウーのシリーズ第一弾。このシリーズは、典型的な南部風のホラ話。筆者のカー・マニアっぷりがよく出てて微笑ましい。ヴォルヴォに詳しい人は是非ご一読あれ。
宇宙のはずれ / The Edge of the Universe / 1996
 おれはキャンディの住むアラバマに来た。彼女の父親ホイッパー・ウィル・ノイダートがあこぎな稼ぎで北アラバマ中に敵がいるが、今はアルツハイマーやパーキンソン病を患って、老人ホームで大人しくしている。いつも通るがらあきの駐車場には、ビーズの座席クッションが捨ててあるんだが…

 万能中国人ウィルスン・ウーのシリーズ第二弾。キャンディに惚れ、住み慣れたブルックリンを離れアラバマまで来たおれ。北部人の弁護士が見る南部の田舎の社会が面白い。誰彼構わず口汚く罵っては銃をブッ放すホイッパー・ウィルのキャラクターが強烈に光ってる。いい友人を持ったね。
時間どおりに教会へ / Get Me to the church on Time / 1998
 ハネムーンでブルックリンに来たおれとキャンディ。いつもなら滑走路待ちで上空を旋回する707が、今日は定刻で着陸した。荷物回収所で、幼なじみのアーサー・ブリッツに出会った。おれたちふたりはディトマス・プレイボーイズを結成し、木の上の家を作ったんだ。

 万能中国人ウィルスン・ウーのシリーズ第三弾。南部からニューヨークに舞台を移し、どころか、ちょっと変わったニューヨーク観光案内の感がある作品。変わりゆくニューヨーク、機械嫌いのミニーおばさん、ガキの秘密基地とノスタルジーがいっぱい。

 全体を通し、幾つかのテーマが共通している。田舎から出て都会で暮らす人、古い自動車、そして流れゆく時代が残した過去の残滓。1942年ケンタッキー州オーエンズボロ生まれというから、結構な歳。大半が馬鹿話なんで、肩肘はらずに、くつろいで読もう。

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2012年11月15日 (木)

マーカス・ラトレル&パトリック・ロビンソン「アフガン、たった一人の生還」亜紀書房 高月園子訳

 作戦エリアに到着すると、ヘリは数マイルの間隔を置いて三度、見せかけの侵入を行った。降下し、真の目的地からはかけ離れた地上の点で空中停止飛行を行う。もしアフガン人が見ていたら、さぞかし頭が混乱しただろう――おれたちすら混乱した!

【どんな本?】

 2005年夏。アフガニスタン北東部にて、米国海軍SEAL部隊の一チームが、パキスタンからアフガニスタンへの侵入を図るタリバンの部隊と交戦し、互いに大きな被害を出した。テキサス生まれのマーカス・ラトレルは激烈な戦闘でチームのメンバーを失いながらも生還、後にホワイトハウスにてジージ・W・ブッシュ大統領より海軍十字章を受ける。

 合衆国海軍SEALとは何者か。どんな者が、どのように選ばれ、どんな訓練を受けるのか。なぜ海軍の戦闘部隊が内陸国のアフガニスタンに出動するのか。アフガニスタンの戦場で、米軍はタリバンとどう戦うのか。SEAL三等曹長のマーカス・ラトレルが、小説家パトリック・ロビンソンと協力し、アフガニスタンにおけるSEALの戦闘を語る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Lone Survivor, by Murcus Luttrell with Patrick Robinson, 2007。日本語版は2009年9月10日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約438頁。9ポイント45字×18行×438頁=354,780字、400字詰め原稿用紙で約887枚。長編小説なら二冊分に少し足りない程度。

 文章はこなれていて読みやすい。また、少し下品な言葉遣いは、テキサスで生まれ育った著者の素朴で明るく親しみやすい人柄がよく出ている。が、ニワカ軍オタの私にも分かるぐらい軍事関係の誤訳が目立つ。いきなり16頁で「<C130ハーキュリーズ>ターボフロップ戦闘機(→Wikipedia)」って、をい。輸送機でしょ。それと、ヤード・ポンド法はメートル法に換算した値を補って欲しかった。「六千フィート(約1829m)」みたく。

【構成は?】

  謝辞
 プロローグ
1 空飛ぶ倉庫でアフガニスタンへ
2 俺たちが小さかった頃、そして、ばかでかいオールド・アリゲーター
3 戦士の学校
4 地獄へようこそ、紳士諸君
5 敗残兵のように
6 「じゃあな、野郎ども、あいつらに地獄をお見舞いしてやれよ」
7 なだれのような弾丸
8 尾根での最後の闘い
9 爆破と銃撃により死亡と推定される
10 アメリカ人逃亡者、タリバンに追いつめられる
11 死亡事故はひどく誇張されていた
12 「2-2-8! 2-2-8だ!」
 エピローグ
 その後

 2章はマーカス・ラトレルの生い立ち、3・4・5章は海軍のSEAL選抜試験と訓練の模様。

【感想は?】

 大きく分けると、三つの部分になる。一つは3・4・5章で、合衆国海軍SEALの過酷な選抜試験と訓練、そしてデルタやSASとも違うSEALの雰囲気。二つ目は6・7・8章で語られる、タリバンとSEALの戦闘の様子。最後に、9~12章の、マーカスがたったひとりで生還するまでの経緯。

 基本的に「従軍した兵の手記」なので、前線で戦う兵の視点であり、アフガニスタンの戦線全般を俯瞰するものではない。「政略-戦略-戦術-戦闘」で言えば、戦闘のレベルが中心。また、SEALという特殊な部隊であるだけに、作戦内容も特殊で、標準的なアフガニスタン戦線の話ではない。

 具体的な作戦の内容は、というと。戦場はアフガニスタン北東部のパキスタン国境近辺。標的はタリバンの重要人物でオサマ・ビンラディンの側近の一人であるベン・シャーマック(仮名)。標的は一人だが、周囲は常に80~200人の武装戦士が固めている。彼が某村に滞在している、との情報がある。

 SEALの役割は、4人のチームによる、先行しての偵察と確認。ヘリ(CH-47チヌーク→Wikipedia)で近辺に潜入、某村の近くに潜伏してベン・シャーマックの所在を確認し、情報に間違いがなければ無線で実戦部隊の派遣を要請する。ただし、標的が他の場所への移動を図るなら、狙撃して暗殺もあり。

 筆者のマーカス・トレイルは絵に描いたような南部男。少々荒っぽいカウボーイ気取りの、陽気で素朴な男。熱烈な愛国者で、誇りと家族と友情を大切にする。同じテキサス野郎のジョージ・W・ブッシュを敬愛し、SEALの戦友にも強い絆を感じている。この本では、アチコチで米国内のリベラルへの嫌味が出てくる。

 SEALの選抜過程は、モロに「落とすための試験」。5週間の過程で、164人のクラスは32人に減る。教官は、あの手この手でヒヨコの心を折ろうとする。ひたすら走り、腕立て伏せをして、泳ぐ。食堂まで2マイル(約3km)離れているので、食事のたびに4マイル(約6km)走らなきゃいけない。意図的な嫌がらせもある。ランニングのスキに教官が部屋に忍び込んで荒らし、ヒヨコが戻ってきた直後に部屋の点検をして、こっぴどく怒る。

 最後の一週間はヘル・ウイークと呼ばれる。始まりは夜9時前。いきなり部屋のドアを蹴破った男が機関銃を乱射し、練兵場に叩き出す。練兵場でも機関銃の乱射に加え、高水圧のホースで訓練生をなぎ倒す。BGMは轟音の砲声と怒号とホイッスル。寝る間もない訓練、食事の時間は7分。返事はいつだって「フーヤー!」

 SEALの特徴は、スイム・バデイ。相棒とは常に一緒。トイレでさえ。相棒がボートから水に落ちたら、バデイも落ちる。「プールでは腕の届かない距離以上に二人が離れることがあってはならない」。

 実際の戦闘の様子も、具体的な記述が多い。普通持っていく弾倉は八個。今回の得物はM4(→Wikipedia)と手榴弾、拳銃はシグ・ザウエル9mm。狙撃用はMk12 .556(たぶんSPR mk12またはSAM-R、→Wikipedia)、それにクレイモア(地雷、→Wikipedia)。食料・望遠鏡・無線機も加え、荷物の総重量は45ポンド(約20kg)。冒頭の引用にあるように、着陸時、ヘリは数回のフェイントをかます。

 タリバンは米軍の無線交信を盗聴する場合もあり、また死傷した将兵から奪ったビーコンで米軍のヘリをおびき寄せる時もある。移動時は銃と砲弾だけを持って動く。予備の砲弾や水は、別の者が持って運ぶ。偵察員は手ぶらで、「ライフルすら持っていない」。身軽なので速く静かに動ける。

 タリバンとの交戦後、深手を負いながらもただ一人生き延びた彼は、別の村のパシュトゥーン族に保護される。ここで彼がわずかながらに体験するパシュトゥーン族の社会と生活も、なかなか興味深い。誇りと掟を守るためにはタリバンにすら抗う、鋼の意思を持つ村人たち。その独立不羈の気風は、テキサス人と同じような気がする。「侮蔑されることに慣れていない者」。著者は、パシュトゥーンの掟「ロクハイ」に命を助けられる。

 典型的な保守的南部人のマーカスが、気候も文化も違うアフガニスタンで、どう闘いどう生き延びたのか。生々しい戦闘場面も面白いが、彼の視点とアフガニスタンの村人たちとの行き違いも興味深い。力だけでは決してアフガニスタンを押さえられない、そう痛感させられる本だった。

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2012年11月12日 (月)

「完本 池波正太郎大成11(剣客商売1)」講談社

「負けた相手に勝たねば、剣士としての自信が取り戻せぬ。自信なくして、おのれが剣を世に問うことはできぬ。なればこそ、負けた相手には勝たねばならぬ。ぜひにも、ぜひにも……」

【どんな本?】

 昭和の娯楽小説の大家、池波正太郎による「鬼平犯科帳」と並ぶ代表作。時は安永、所は江戸。齢60を目前に隠居は決めたものの妖怪じみた剣の腕は衰えず、野次馬根性で事件に首を突っ込んでは融通無碍な知恵と人脈で解決する秋山小兵衛と、その倅で謹厳実直な大男の秋山大治郎の活躍を描く連作短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 改題によると、初出は雑誌「小説新潮」1972年1月~1974年12月。完本のシリーズとしては1998年10月20日第一刷発行、私が読んだのは2007年2月14日の第四刷。文庫本だと1巻~5巻を収録。文庫は今でも年に2~3回は版を重ねてる模様。

 単行本ハードカバー縦二段組で本文約711頁。8.5ポイント28字×25行×2段×711頁=約995,400字、400字詰め原稿用紙で約2489枚。長編小説5冊分、実際に文庫本だと1~5巻。読みやすさは抜群。というか、あまりのめり込むと口調や文体が伝染して困ったことになる。

【どんな話?】

 江戸時代、十代将軍徳川家治の治世で、田沼意次がのし上がる安永の頃。小兵の白髪頭ながら剣は凄腕の秋山小兵衛は隠居を決め込み、30も年下の下女おはるとねんごろになり、転寝の日々を過ごしている。

 息子の秋山大治郎は色黒の威丈夫、諸国を巡り磨いた剣の冴えは見事なものの、いささか世知には疎い。父が建ててくれた小さな道場も、厳しすぎる稽古に弟子はいつかず、今日も大治郎は一人で稽古に励む。

 先に田沼の屋敷で開かれた剣術大会で好成績を収め名が知れたためか、大治郎の道場に珍しい客人があった。大垣四郎兵衛と名乗る立派な風采の侍が、奇妙な依頼を持ち込む。

  「人ひとり、その両腕を叩き折っていただきたい」

【収録作】

女武芸者/剣の誓約/芸者変転/井関道場・四天王/雨の鈴鹿川/まゆ墨の金ちゃん/御老中暗殺/鬼熊酒屋/辻切り/老虎/悪い虫/三冬の乳房/妖怪・小雨坊/不二楼・蘭の間/東海道・見付宿/赤い富士/陽炎の男/嘘の皮/兎と熊/婚礼の夜/深川十万坪/雷神/箱根細工/夫婦浪人/天魔/約束金二十両/鯰坊主/突発/老僧狂乱/白い鬼/西村屋お小夜/手裏剣お秀/暗殺/雨避け小兵衛/三冬の縁談/たのまれ男
 解題

【感想は?】

 なんという贅沢な小説だ。

 何が贅沢と言って、とにかく登場人物の使い方が贅沢。連作短編集である。冒頭の数編はレギュラー紹介として小兵衛・大治郎・三冬などが話の推進力となるが、彼らの人物像を読者が掴んだあたりから、各話ごとにゲストの登場人物が絡み、話が進む形になる。

 このゲストが、とてつもなく魅力的で、「うわ、この人、準レギュラーにならないかなあ」などと思いながら読むと、次の話では更に魅力的な人物が出てくる。次から次へと面白い人が入れ替わり立ち代り出てくるんで、しまいには眩暈がしてくる。長編小説の主役を充分に張れる人物が、文庫本にして50頁程度の短編でゲスト扱いなんだから憎い。

 いや、最初は期待したのよ。なんたって、冒頭の「女武芸者」じゃゲスト扱いの佐々木三冬が、堂々とレギュラー入りするし。この三冬が、これまた素敵な人で。齢19の美少女。武家の娘としては血筋もよし、縁談もよく入るものの、女だてらに剣術を学び、筋もいい。それが嵩じて縁談の度に無茶を言い出す。

自分を褄に迎えるべき人が自分より
「強いお人でなくては、いや」

 日頃の身だしなみも振袖どころか武者姿、道を歩けば颯爽とした美少年?ぶりに町娘が見ほれる有様。わはは。「こ、これは…」などと助平根性で読み進めると、ちゃっかりレギュラー入り。そりゃ入るよなあ、面白い人だしねえ、などと油断していると。

 他にも続々出て来るんだ、面白い人が。例えば、三浦金太郎。28歳独身。「剣の腕前は相当なもの」だが、ファッション・センスは相当に残念。白粉を耳たぶにつけ、唇には紅をさし、眉には墨をつける。いや別にソッチの趣味じゃなく、「白粉をつけておきますと、岡場所の女どもがきゃあきゃあさわぎましてね」。若いわりに飄々としてサバけた人で、どうにも底が読めない。

 やはり憎みきれないのが、鬼熊こと熊五郎。居酒屋の親父で歳は六十台半ば。客商売のくせに口汚く、出てくる言葉はいつも悪態。となりゃ客との喧嘩も絶えず、時には叩きのめされたりもするが、それでも「死ぬなんて怖かねえ、さあ、殺せ、殺しゃがれ!」と最後まで意地を張り通す。とんでもねえ爺ぃで、あまり近所にいて欲しくないタイプだが、池波さんの手にかかると「うおお、どうなるんだ!」と気になってしょうがない。

 今のところはゲスト扱いだが、是非レギュラー入りして欲しいのが杉原秀。父親の杉原佐内を助け、道場を切り盛りする女武芸者。道場といっても百姓や子供を相手の田舎道場、三冬と違い色黒で化粧っ気もない。弟子が百姓ばかりなためか気取りもなく、礼儀正しくはあるが武家を鼻にかけた所もない。彼女には今後も活躍して欲しいのだが、はてさて。

 剣客だけに物騒な話が多いが、同時にシモネタも扱う度量の広さが嬉しい。なんたって、主人公格の秋山小兵衛が、ええ歳こいて10代の下女に手を出す助兵衛爺ぃだし。彼が医者の小川宗哲と組んで大治郎に仕掛けるまんじゅうネタは酷いw いい加減、気づけよ大治郎。つか、そこまで引っ張りますか。当時は通勤電車で小説新潮を読みながら吹きだす月給取りが続出しただろうなあ。シモネタの幅も広くて、「夫婦浪人」じゃ、なんと男色ネタまで出てくる。いやもっと早くから出てるんだけど。

 連作の楽しみとしては、やはりレギュラー陣が事件を経て成熟していく様子が読みどころ。冒頭の引用にあるように、小兵衛は剣客として生きてきた。斬った分、返り血も浴びる。己が溜めた業は仕方なしとしても、倅まで業を背負わせる生き方はどうしたものか。剣客として成長するのは楽しみながら、人を斬るごとに買う恨みは、どうしようもない。

 誠実で実直な大治郎が、いかに剣客としての業を背負っていくのか。やはり剣に惹かれながらも、女になりつつある三冬の想いは届くのか。粂太郎少年は、お使い役から卒業できるのか。

 他にも読み所は多々あるにせよ、敢えてこの記事では人物中心にまとめてみた。いやキリないのよ、魅力を挙げると、食べ物とか江戸の地理とか社会構造とか得物とか。

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2012年11月10日 (土)

ジェラルド・J・S・ワイルド「交通事故はなぜなくならないか リスク行動の心理学」新曜社 芳賀繁訳

 リスク・ホメオスタシス理論は、どのような活動であれ、人びとがその活動(交通、労働、飲食、服薬、娯楽、恋愛、運動、その他)から得られるだろうと期待する利益と引き換えに、自身の健康、安全、その他の価値を損ねるリスクの主観的な推定値をある水準まで受容すると主張する。

【どんな本?】

 多くの国は、交通事故を減らすべく、ガードレールの設置や路面の整備などに多くの資本を投資している。自動車メーカーも、アンチ・ロック・ブレーキ・システムやエアバッグなど、安全を確保する機構の採用に意欲的だ。運用面でも、速度制限や飲酒運転の取り締まり・シートベルト着用義務化など、交通事故を防ぐため様々な努力がなされている。

 にもかかわらず、交通事故はなくならない。インフラや新技術で交通環境が改善されても、人々のインセンティブ(動機づけ)が変わらない限り、事故は減らないのだと主張する、過激で刺激的な本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TARGET RISK 2 : A New Psychology of Safety and Health : What works? What doesn't? And why... , by Gerald J. S. Wilde, 2001。日本語版は2007年2月10日初版第1刷発行。単行本ハードカバーで縦一段組み本文約285頁+訳者による解説とあとがき7頁。9ポイント47字×18行×285頁=約241,110字、400字詰め原稿用紙で約603枚。長編小説なら標準的~ちと長め。

 訳文そのものはこなれてるが、多分元の文章が学者風というかお堅いというかまだるっこしいというか。例えば肯定形にすりゃいいのに、二重否定を使って面倒くさい表現になってるみたいな部分があるんで、「わざと難しい表現にしてハッタリかましてるんじゃなかろか」と疑いたくなる。多分、そうではなくて、筆者の地なんだろうけど。

 一応、カテゴリは「科学/技術」としたが、あまり数式は出てこない。出てきても、無視して地の文だけ読めば充分に意味は通じるので、気にしないで結構。

【構成は?】

第1章 はじめに
第2章 ホメオスタシスという概念
第3章 リスク行動の簡潔な理論を目指して
第4章 リスク・ホメオスタシス理論
第5章 推論とデータ
第6章 教育による介入
第7章 工学的治療?
第8章 取り締まり
第9章 実験室でのリスク・ホメオスタシス理論
第10章 個人差
第11章 安全と健康への動機づけ
第12章 さらなる展望
 訳者による解説とあとがき/注/索引

【感想は?】

 頷ける所は多々ある。と同時に、細かい部分はかなり荒っぽいな、と感じる部分もある。鵜呑みにはできないが、経験的に納得できるところは多い。

 本書の内容は、交通事故に限らず、あらゆる事故に応用可能だ。ここで言う事故は、人が死傷するものだけでなく、不良品発生や誤発注や納期遅れも含む、あらゆる事故である。常に事故の危険がある職務に携わる人(大抵の仕事はそうだよね)、品質管理や安全管理に携わる人、そしてミスやロスによる損失を減らしたいと願う人なら、読んで損はない。

 筆者の主張を端的にまとめよう。

 ABS=アンチ・ロック・ブレーキ・システムなどの、自動車の安全装置は、大抵の場合、車間距離を詰めたり急ブレーキなどより荒っぽい運転を引き起こし、結果的に事故は減らない。路面の改善など快適な運転環境の整備も、より速い速度の運転や、より長距離のドライブを促し、やはり事故は減らない。

 事故を減らすには、ABSやエアバッグなどの工学的アプローチは無意味だ。信号や路面の改善など、インフラの整備も無意味だ。意外な事に、交通安全教育もあまり効果はない。警察の取り締まりもあまり効果はない。極端な厳罰化は、逆効果な場合もある。

 ムカつく人もいるだろう。自動車メーカーの熱意や、緑のおばさんの努力をあざ笑うが如き主張だ。実際、著者の主張を否定する人は多いらしく、本書の1/4程度は否定論への反論に割いている。

 だが、体感的には、かなり頷ける部分がある。大抵の人は、古い軽自動車を運転する際はスピードを控えめにするし、大型のスポーツカーなら、少々トバし気味になる。いいクルマは疲れないし運転が楽しいから、より長時間・より長距離のドライブに出かける。雪道はゆっくり走るし、広く長い直線はアクセルを踏む。狭い道・暗い道・見通しの効かない道は、本能的に徐行気味になる。危険な所はゆっくり注意深く走り、安全な場所ではトバす。

 これを、著者はこう理論化する。人は、自然と単位時間内の事故発生率を一定にしようとする、と。

 路面幅を広げたり、ガードレールを取り付けたり、路面を舗装したりすると、一見、事故が減りそうな気になる。だが、環境の整備は、ドライバーの行動を変える。よりスピードを出したり、より長距離を運転する。スピードを出す、長距離のドライブ、いずれも事故を増やす要因になる。結果として、事故の発生件数は減らない。

 これらを、様々なデータで検証したのが、この本だ。

 反論も多々ある。例えば、「現実に1kmあたりの事故発生率は減ってるじゃないか」という主張。これは事実だ。データの裏づけもある。だが、同時に、住民一人あたりの走行距離も増えている。結果として。全体的には大きな変化はない。

 ノルウェイの例二つは教訓的だ。1993年6月、ノルウェイの一部地域で、トラックドライバーに凍結路面の運転の教習の受講を義務付けたが、事故リスクは逆に増えた。運転能力は高めたが、同時に自信も高め、よりリスクを許容するようになったんだろう、と推論している。

 オスロ市で路面が雪に覆われた路面の交通量は5~10%だが、事故は15%を占める。「事故が増えるじゃん」と思うでしょ。「しかし、死亡事故件数は比較的少なく、物損事故が多く、人身傷害事故が少ない」。皆さん、すべる分、スピードを控えるわけ。

 主なデータはアメリカ合衆国のものなので、日本とはだいぶ様子が違うが、共通点は多い。悲しいのが、交通事故に強い相関がある三つの数字、失業者数・雇用者数・労働力外人口。どういうことかというと。景気がいいと交通事故が増え、悪いと事故が減る、そういうことです。

 いかにも絶望的な内容に思われるが、実はちゃんと代案も提示している。方針は四つ。

  1. 慎重な行動によって感じられる利益を増やす
  2. 慎重な行動によって感じられるコストを減らす
  3. 危険な行動によって感じられるコストを増やす
  4. 危険な行動によって感じられる利益を減らす

 中でも効果的なのが、1. 。本書では「無事故運転へのインセンティブ強化」として、複数の例を挙げている。

 例えばドイツのクラフト食品は、1957年にドライバーに通達を出した。「有責事故を起こさなければ、半年ごとに350マルクのボーナスを出す」。初年度に運転距離10万Kmあたりの事故が約1/3に減り、保険料が安くなったので充分にモトが取れた。「小さなニンジンは大きなムチより好かれるばかりでなく、効果も大きい」。

 カリフォルニアでは、「一年間無事故記録だったら運転免許を12ヶ月無償で延長できる」と、通知を出した。一年以内に免許行進予定の者は対照群より22%事故率が低く、また一年後にボーナスを得た群は、二年目も他群より33%事故率が低かった。

 とすると、日本のゴールド免許制度も、交通事故を減らすのに効果があるんだろうか。本書では、自動車保険の話も扱っていて、「無事故者には保険料を値引きせよ」と主張している。これもまた、日本じゃ当たり前に実施されてるなあ。

 素直に読めば、自動車の改良は安全性を高めない、とも読めるが、別の解釈も出来る。安全性の向上は、より多くのモビリティに貢献する、と。現実の自動車の運転速度は、エンジンや足回りだけじゃ決まらない。より安全で快適なクルマにすることは、実用的な運動性能を高めることにつながる、とも考えられる。

 最後に、細かいケチをつけておこう。体感的な危険は、速度に比例しない。クルマにもよるが、速度の二乗ぐらいに比例する…と、私は感じる。こういう細かい補正は必要だが、大枠の所では同意できる部分が多かった。事故・ミス・ロスを防ぎたいと願う、全ての人にお勧め。

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2012年11月 8日 (木)

ジョー・ホールドマン「擬態 カムフラージュ」早川書房 海外SFノヴェルズ 金子司訳

 言葉に頼らないメッセージを知的異星人に伝達しようという考えは1820年までさかのぼることができる。ドイツの天才数学者、カール・フリードリッヒ・ガウスが提唱したのは、シベリアの森林地帯に大きな一区画を開墾し、そこに三つの正方形を形づくるように小麦を植え、ピタゴラスの定理を図形で示そうというものだった。

【どんな本?】

 「終わりなき戦争」「ヘミングウェイごっこ」などで有名なアメリカのSF作家、ジョー・ホールドマンによる長編SF小説。100万年前、地球に到達した異星人。自由に姿を変えられるソレは、人類に興味を持ち、1931年のカリフォルニアの海岸から上陸し、ヒトの姿を借りて人類社会に潜り込む。ストレートなSFであり、またちょっとトボけた味のネビュラ賞受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は CAMOUFLAGE, by Joe Holdeman, 2004。日本語版は2007年5月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約337頁+高橋良平の解説8頁。9ポイント46字×21行×337頁=約325,542字、400字詰め原稿用紙で約814枚。長編小説としては長め。

 翻訳物の小説としては、文章は読みやすい方。本格的なエイリアンSFでありながら、特に小難しい科学知識やSF用語などの前提知識も要らない。一応はおカタい科学用語も出てくるが、「なんかソレっぽいコトを言ってるんだろう」ぐらいに思っておけば充分。

【どんな話?】

 100万年前、ソレは地球にたどり着き、太平洋の海底に沈んだ。やがてホオジロザメの姿を真似て、海を探索した。人類に興味を持ったソレは、1931年、カリフォルニア州の海岸に上陸し、人類に姿を変え、ヒトの社会に紛れ込み、人類の生態を学び始める。

 2019年。海洋探索の会社を経営するラッセル・サットンに、退役直前の海軍少将ジャック・ハリバートンが儲け話を持ち込む。トンガ=ケルマデク海溝、水深一万メートルを越える深海で、妙なモノが見つかった。大きさは小型トラック程度、ダイヤモンドより堅く、プルトニウムの三倍以上の密度がある。これを引き上げてサモアに運び、調べようというのだ。

【感想は?】

 物語は大きくわけて3つのパートで進む。ヒトの姿を借りて人類の生態を学ぶ<変わり子>、妙なモノを調べるラッセルとジャック、そしてもうひとつの異星生命体<カメレオン>。

 何にでも姿を変えられて、ほとんど不死。理想的な生命体だが、なぜそんな生命が誕生したのかってのは、映画などじゃ無視されがち。ところがこの作品は、 冒頭で無敵の生命が誕生した過程がキチンと描かれてるのも嬉しいところ。球状星団を彷徨う惑星で発生した生命が、どんな環境に置かれるか。長編SFの冒頭 としては、満点に近い出来栄え。

 3つのパートの中で、最も面白いのは<変わり子>のパート。1931のカリフォルニアに上陸したソレは、少年の姿を借りて、人類について学ぼうとする。そのプロセスが実に楽しい。上陸したてで人類について何も知らない<変わり子>が、どうやってヒトの社会に溶け込み、学んでいくか。まず最初は…。うん、まあ、ソレが基本だよねえ。

 さて、ヒトの姿を借りたはいいが、場所が問題。なんたってカリフォルニア。イロイロとお盛んな地域。ってんで、この作品、ベッドシーンが随所に出てくる。ところが片方は、人類の生態を学習中の異性の生命体。知識欲と好奇心は旺盛だが、わかってるワケじゃない。

 だもんで、妙にギクシャクしたやりとりになる。というより、ドタバタ・コメディとして読むのが正解だろう。ベッドシーンに限らず、この作品は、全般的にユーモラスな雰囲気が漂っている。数頁ごとの短い章が連続する構成で、章の最後の段落は、結構な割合でオチがついてる。「この結果には少なからぬ人間が驚かされた」には、大笑いした。

 <変わり子>が上陸したのは1931年で、第二次世界大戦の直前。やがて海兵隊に兵卒として入隊した<変わり子>は、太平洋戦線のフィリピンへと送られ、バターン死の行進を経験する。この辺はヴェトナムでの従軍経験のある著者らしく、なかなか迫力あるんだが、面白いのが新兵訓練の場面。映画「フルメタル・ジャケット」をご存知の人は、ちょっと比べてみて欲しい。エイリアンの新兵が、海兵隊のシゴキをどう切り抜けるか。こんな新兵の教官にはなりたくないなあ。

 バターン死の行進では、「アメリカの白人社会しか知らないエイリアン」の視点から見た日本軍、という、なかなか倒錯したシロモノが描かれる。日本兵が怒鳴る場面では、「どの国でも同じようなもんだよなあ」などと思ったり。

 海洋SFとしての面白さもあって、例えばメルボルン沖の<不吉な穴>の場面。沖合い数キロの珊瑚礁の中に泥穴があり、周辺は妙に藻が育ち魚が集まる。トロール網が引っかかるものの、魚の群れが集まるので地元の漁師は重宝している。その正体は…

 ラッセルとジャックのパートの、主な舞台はサモア。こっちはこっちで悪戦苦闘。なにせダイヤモンドより堅く、プルトニウムより重い。これを台座に持ち上げる場面も、いかにもアメリカらしい力技。アメリカらしいといえば、扱いの方針転換がなされる章の最後の一句が、これまた現在のアメリカへの皮肉が効いてて、なんとも。

 もうひとつ、「ああ、アメリカだなあ」と思うのが、向うの学生の生活。大学を卒業して社会に出ても、若いうちはまた大学に戻って別の専攻を学んだり。ちょっと羨ましいなあ。

 ネビュラ賞というと、妙に深刻で文学的って印象があったんだが、意外なくらい明るくてユーモラスな作品だった。あまり構えず、気楽に読もう。

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2012年11月 6日 (火)

宇沢弘文「自動車の社会的費用」岩波新書B47

 本書は、自動車の社会的費用と言う問題について、主として経済学的な側面からの分析を試みるものであるが、(略)経済学者の間で一つの共有財産となっている考え方を紹介するという性格のものではない。むしろ、自動車の社会的費用という問題を通じて、現代経済学の理論的前提にどのような問題点が存在し、どのような修正が必要とされているのか、ということを考えてゆこうとするものである。

【どんな本?】

 昭和の日本の高度成長は、自動車産業に牽引された側面がある。自動車だけでなく、その便宜を図るために建設された道路網も、多くの労働者に仕事を提供した。反面、当時は「交通戦争」と言われるほど交通事故が多発し、また光化学スモッグなどの公害も生み出した。

 交通事故や公害などを、自動車が抱える社会的費用として算出し、適切な費用負担を求める過程を通じて、現代経済学の主流である新古典派が暗黙の前提として規定している条件に疑問を呈し、より効率的な配分・市民の基本的権利を守った形での社会のあり方を模索する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1974年6月20日第1刷発行。私が読んだのは1992年11月5日発行の第20冊。定番として着実に版を重ねてます。新書版で縦一段組み、本文約176頁。9ポイント41字×14行×176頁=約101,024字、400字詰め原稿用紙で約253枚。小説なら中篇の分量。

 分量は少なく、題材も身近な自動車に例をとり、一見親しみやすげ。だが日本語としては音読みの漢字が並んだり二重否定が出てきたりで、意外と堅い。特に本書のテーマの核となる経済学の理論を語る部分で、興が乗ったのか学者的な文体になるのが辛い。反面、経済学の説明の内容そのものは、素人の読者を想定し丁寧に説明しているので、一部を除きじっくり読めば理解できる。

【構成は?】

 まえがき
序章
Ⅰ 自動車の普及
Ⅱ 日本における自動車
Ⅲ 自動車の社会的費用
Ⅳ おわりに
 あとがき

【感想は?】

 35年前の新書なので、多少は時流に会わない部分もある。まずは当事の時代背景を把握しよう。時事ドットコムの【図解・社会】交通事故死者数の推移(最新)をご覧いただきたい。1948年以降、交通事故死者数は上昇を続け、1970年あたりでピークに達している。

 減少に転じた理由は幾つかある。交通事故の増加は「交通戦争」などと呼ばれ社会問題となり、社会の関心が高まり交通事故防止に向け官民共に対策を講じたこと、歩道の確保など安全面に配慮したインフラの整備が始まったこと、自動車も安全性に配慮した設計がなされ始めたことなど。

 また当時は自動車の排気ガス規制もなく、交通の激しい都市部では夏ともなると光化学スモッグが日常的に発生し、ラウドスピーカーの町内連絡が光化学スモッグ警報をアナウンスしていた。今思えば、かなりデンジャラスな時代だったよなあ。

 じゃ現在はどうかというと、それでも2011年の交通事故で4611人が亡くなっている。自転車で幹線道路を走ると、路側帯を違法駐車が占拠し、ちょっとしたスリルを味わえる。昔の道路は缶ケリなどの遊び場だったが、今は缶を置いても走る自動車に倒されてしまう。そりゃゲーム機が流行るわけだ。

 こういった交通事故・公害、そして奪われる遊び場や、自家用車の普及に伴い衰退する路面電車などを、本書では「社会的費用」として算出しようと試みる。が、その前に。現在、そういった社会的費用を負担しているのは、誰なのか。この目の付け所に筆者の姿勢が現れている。

 交通事故で亡くなる者の多くは、歩行者だ。豊かな人は、光化学スモッグに毒される都市から、郊外へ脱出できる。ええトコのお坊ちゃんは滅多に路上で遊ばない。そして、路面電車に乗るのは、自家用車を持たない人たちだ。つまり、貧しく弱い立場の人が、自動車の社会的費用を負担しているのだ、と著者は主張する。自転車乗りの一人として、この意見には強く賛同したい。

 経済学者だけあって、随所に数字が出てくる。モータリゼーションといえばアメリカが思い浮かぶが、意外と(当事の)日本が飛びぬけている数字がある。単位面積あたりの自動車台数だ。1972年の数字で、可住面積1平方kmあたりの自動車保有台数が、アメリカ26台・イギリス120台・西ドイツ102台に対し、日本は約200台。「とくに、東京については1500台、大阪については900台」って、そりゃ渋滞も起きるよ。

 自動車国家アメリカでも、特に自動車依存が強いロスアンゼルス。「都市面積の25%が道路、25%が駐車場」ってのが凄い。これは都市計画のせいもあって、自動車が増える→渋滞する→道路を拡張する→便利なので自動車の利用が増える、ってな感じの悪循環に陥るとか。

 これに対し、著者はロンドンの例などで案を示す。道路沿いの一時的駐車場8800箇所を全廃して緑化し、駐車場の新規建設を認めない。対策については、松浦晋也「のりもの進化論」がワクワクするような案を多数示していて、なかなか面白かった…というか、ソッチで薦められてこの本を読んだんだけど。

 経済学の話では、「資本主義では放置すると自然と貧富の差が拡大する」という現象と、そのメカニズムの説明がわかりやすく、かつゾッとさせられる。いや私も貧乏人だし。つまり、貧乏人は、収入の大半が生き延びるための最低限の出費=消費に消えるので、貯蓄や投資に回せない。ずっとカツカツのまま。でも余裕がある人は貯蓄や投資に回せるんで、更に余裕が増える。

 かといって貧乏人に金をバラまけばいいかというと、実はロクなことにならない。貧乏人は消費財を買う。需要が増えれば価格が上がる。消費財は値上がりし、貧乏人の生活は更に苦しくなる。バラまき政策が巧くいかない理由が、これ。

 読んでて時代を感じるのが、自由貿易の例としてGATTが出てくる所。「公害発生型産業の製品を輸出して、環境保全型産業の製品を輸出しているときには、一般に経済厚生が低下する」って、今の日本は当時と立場が逆になってる部分があるんだよなあ。

 経済学のように、マクロなモノゴトを数値化する場合は、とりあえず細部を無視したモデルを考えて理論を構築する。そうしないと、複雑すぎて扱えないからだ。ただ、それを現実に当てはめると、理論と現実のギャップが生じる。そして、大抵の場合、ギャップのツケは弱者に回る。

 新古典派が前提とする市場の流動性や個人の合理性に対し、普通の人も漠然とした違和感を感じているだろう。本書に出てくる自動車の社会的費用の試算額は、試算者の立場により、それこそ桁が違う試算額が出てくる。経済学が抱える政治的な側面が、つくづく実感できる。

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2012年11月 5日 (月)

ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」新潮社 若島正訳

 ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩目にそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。

【どんな本?】

 ロシア生まれの作家ナボコフが英語で書いた代表作。スキャンダラスな内容故に複数の出版社から見送られながらも、出版後はその評判を巡る論争からベストセラーとなった問題作であり、今なおその解釈についての論争が続いている難解なミステリであり、今日の「ロリータ・コンプレックス」の語源となった作品でもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Lolita, by Vladimir Nabokov, 1955。私が読んだのは新潮社の単行本で、2005年11月30日発行。今は同社から文庫版が出ているし、詳しい解説付きとのことなので、可能なら文庫版がお勧め。というのも、やたらと凝った作品なので、詳しい解説が必須なため。
 ちと翻訳の経緯が複雑なので、整理しておく。

  1. 1959年2月に河出書房新社から上下巻で大久保康夫訳で出版。
  2. 誤訳が多いとの批判があり、河出書房新社から改訳版が出る。
  3. 1980年、新潮文庫から大久保康夫訳が出版。この際、改訳版を手直ししている。
  4. 2005年11月30日、新潮社から若島正訳が出版。
  5. 2006年10月、新潮文庫より若島正訳の文庫版が出る。

 ハードカバー縦一段組みで本文約443頁。9.5ポイント43字×20行×443頁=約380,980字、400字詰め原稿用紙で約953枚。長編小説なら約2冊分。

 文章・内容ともに、かなり難渋。これは著者・訳者ともに意図的なものでもあり、また私の文学的素養の貧しさ(というより無に近い)のためでもある。訳の若島氏自ら新潮文庫の大久保康夫訳を「あまりにもこなれすぎている」と評しており、手早く内容を把握したい人は、上記の 3. 新潮文庫の大久保康夫訳がいいだろう。

【どんな話?】

 パリ生まれのスイス市民で、教養溢れる欧州人であるハンバート・ハンバートには、困った性癖があった。9歳から14歳の少女、中でも特別な魅力を持つ「ニンフェット」に惹かれるのだ。アメリカのニューイングランドに居を探す彼は、ヘイズ婦人の下宿を下見に行く。そこで彼はニンフェットに出会った。ヘイズ夫人の娘、ドロレス・ヘイズ、我がロリータ。

【感想は?】

 相応に西欧の文学作品を読み込んだ教養人で、かつ充分な読解力と注意力と時間と熱意を持つ人向け。とてもじゃないが私のような素人に読みこなせるシロモノではない。しかも、それを否応なく読者に思い知らせるようになってるから困る。

 というのも。作中に有名な文芸作品の引用やパロディが随所にあって、若島氏が注をつけてくれてるんだが、私がわかったのはアルセーヌ・ルパンだけ、という情けなさだ。ああ哀しい。ちなみにどんなのが出てくるかというと、T・S・エリオット、バイロン、ロバート・ブラウニング、ヒレア・ベロック、ジョイス・キルマー…ほとんどわからん。シェイクスピアの「マクベス」も使われてたが、読んで一年もたっていないのに全く気がつかなかった。

 しかも主人公のハンバート・ハンバートがパリ育ちの教養人のためか、随所でフランス語が出てくる。アメリカで「外国語」といえばまずフランス語で、フランス語が話せる人が教養人、という社会風潮を現しているのはわかるが、なんたってこの作者だ。裏にどんな意図を隠してるかわかりゃしない。なんたって、著者自ら施した仕掛けに対し…

本書を『ある遊女の回想記』とか『グロスヴィット公の愛の遍歴』といった系列のものだという印象の下に読み始める読者には、読み飛ばされるか気づかずにに終わるか、あるいはそもそもそこまでたどりつかないのが落ちであろう。

 なんて言ってる。いやそういうのを期待したわけじゃないけど、やっぱり気づかずに終わりましたよ、あたしゃ。
 加えて、訳者の共謀もある。やはり解説に曰く。

『ロリータ』は文章のナボコフ度とでも呼ぶべきものが異常に高い作品だと言っていい。必然的に、力の入っている箇所では文章がかなり難解になり、手触りがごつごつしてくる。そこで、この新訳では、そういうごつごつした感触をなめらかに処理してしまうのではなく、そのまま伝えることを意識的に心がけた。

 さて、物語は、困った性癖を抱えたランバート氏の手記、という形で語られる。ええ歳こいたオッサンである彼が、その性癖ゆえの奇妙な行動を語る部分は、やってる事は煩悩溢れる中高生とほとんど変わらないのに、言葉はやたらと上品かつ流麗で、そのギャップが可笑しい。

 例えばロリータが新しい学校に通う事になり、ハンバートが宿を決める場面。決め手となったのは、書斎から見える風景。「学校の校庭が見えるのだ」。勢い込んだハンバート氏、双眼鏡を持ち出していざ、と思ったら…

 彼の言葉と行動のギャップは明らかで、ヘイズ夫人との関係もそうだよねえ…と思ってアチコチ読み返すと、この作品の印象がガラリと変わるから怖い。ハンバート氏の独白を「たわごと」として切り捨て、やってる事だけを考えると、こりゃ…うーん、やっぱり出版を断られるのも仕方がないって気がする。

 と思ったら、かなり早い時点で、ちゃんと手がかりが出てるじゃないか。なんと8頁だ。

たしかに、彼はおぞましく、下劣で、道徳的腐敗の輝ける見本であり、凶暴性と道化性を併せ持っていて、そこにはおそらくこの上ない苦悩が読み取れるかもしれない(略)。絶望的な率直さが告白の中に脈打っていようとも、悪魔のごとく狡猾な罪はけっして赦されることがない。彼は異常である。…

 お話は、ランバート氏とロリータの二人が、自動車で合衆国を放浪する旅へと続く。ここで展開される、当事の合衆国の風景も読みどころ。さすがモータリゼーションの国だけあって、モーテル(日本のとは違い、向こうじゃ普通の宿)は随所にあるし、ヒッチハイカーも多い。

 後にロリータが通う学校の校長が語る教育方針も、進歩的である事を気取りたがるアメリカの姿を皮肉っている。なかなか能弁な女性だけど、人の名前を覚えるのは苦手な様子。

 そして、ヒロインのロリータ。ハンバート氏は「ニンフェット」と言うが、この表現と彼女の言動とのズレがまた、現実的というか、まあそうだよね、というか。彼女の視点で読み返すと面白い発見があっりそうだけど、真面目に読むと重すぎてこっちの神経が保ちそうにない。

 あ、ちなみに。ポルノとしては、上品過ぎて使い物にならんです。

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2012年11月 3日 (土)

ロードリ・ジェフリーズ=ジョーンズ「FBIの歴史」東洋書林 越智道雄訳

 今日、連邦規模の犯罪と戦う連邦規模の警察力が必要だという考え方は、当たり前になっている。ところが、連邦犯罪と戦う連邦警察組織という考え方は、割りと近年のものなのだ。1870年代以前、合衆国には連邦犯罪の摘発部局は、ほとんど存在していなかった。

【どんな本?】

 映画「アンタッチャブル」などでは犯罪組織と戦うヒーロー役であり、一般にも犯罪摘発組織の印象が強いFBI=連邦捜査局。それはいつ、どのように成立し、どんな職務をこなし、どのように変化してきたのか。どんな問題点を抱え、どのように変革してきたのか。

 南北戦争以後の再統合の時期に発端を求め、有名な禁酒法時代のギャング対策から「赤狩り」のヒステリー、そして9.11の大ポカから現在の姿まで、合衆国の歴史にあわせ変化してきたFBIを、その位置づけ・組織の性質・主な職務内容などを、公開の資料から洗い出し、加えて有名な事件の経緯などを多数の挿話で綴る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE FBI a history, by Rhpdri Jeffreys-Jones, 2007。日本語版は2009年5月31日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約388頁+訳者の追補11頁。9ポイント46字×19行×388頁=約339,112字、400字詰め原稿用紙で約848枚。長編小説なら長め。

 文章はやや硬め。特に前提知識は要らないが、州の独立性が比較的に強く連邦政府の権限強化に慎重な合衆国の文化や、南北戦争以後の合衆国の歴史や有名な事件などに詳しいと、より楽しめる。

【構成は?】

 序文
第1章 人種、およびFBIの特質
第2章 秘密裏の再統合 (1871~1905)
第3章 誇り高き創世記 (1905~1909)
第4章 使命感の喪失 (1909~1924)
第5章 最初の改革時代 (1924~1939)
第6章 防諜活動と統制 (1938~1945)
第7章 リベラルなアメリカの疎外 (1924~1943)
第8章 ゲシュタポの恐怖と諜報機関の分裂(1940~1975)
第9章 神話と現実としての時代錯誤(1945~1972)
第10章 アメリカンデモクラシーの危機(1972~1975)
第11章 改革とその批判者たち(1975~1980)
第12章 回復された使命(1981~1993)
第13章 葛藤と逆行(1993~2001)
第14章 「9.11」、そして国家的統一を求めて
 追補 「訳者あとがき」に代えて 「レス・シキュア、レス・フリー(安全減れば自由減る)」のディレンマ
  参考文献/元註/索引

 第1章は概要、2章以降は原則として時系列だが、ご覧のとおりテーマによって多少前後する。各章は冒頭と末尾に章のまとめが入るので、面倒くさがりな人は第1章だけを読むか、各章の末尾だけを読めば手っ取り早い。

 本文のレイアウトが工夫されていて、各頁の下に訳注がある。頁をめくらずに済むので、なかなか便利。編集は大変だろうけど。

【感想は?】

 かなりお堅い、政治的な本。話題の中心は組織としての性質や職務内容、その背景となった当事の世論の動向と連邦政府・州政府との位置づけに重点が置かれ、末端の捜査員の名前や捜査のテクニックなど細かい話はあまり出てこない。人物としてよく出てくるのは合衆国大統領・司法長官、そしてディレクター(俗にFBI長官といわれる立場だが、本書ではディレクターと記す)。

 FBIというとギャングの天敵というイメージがあるが、この本を読むとかなり手広くやっているのがわかる。出てくる事件で見ると、こんな感じ。

  1. マフィアなど広域の組織犯罪
  2. エンロンなど合衆国内の経済犯罪
  3. KKK・極右・極左など国内のテロ組織
  4. ナチス・ドイツなど他国の諜報機関の合衆国内での活動
  5. アルカーイダなど他国のテロ組織の合衆国内での活動
  6. ウォーターゲートなど政治がらみの事件

 この本を読んでわかるのは、大統領と司法長官によってFBIが注力する職務内容が大きく変わること。この本では、1870年の司法省設立と、それに伴う司法省が指揮するシークレット・サービス部隊をFBIの前身としている。当事の主な職務はKKKの摘発。南部諸州の州政府とそれに属する警察は、人種犯罪対策に不熱心だったので、連邦の捜査機関が必要だったわけ。

 「FBIは創立日を1908年7月26日としている」。当事の名前はBI=捜査局。議会の腐敗を一掃するためセオドア・ローズヴェルト大統領と司法長官チャールズ・J・ボナバートが、それまで財務省からの出向だったシークレット・サービスを司法省直属とし、専門の組織に編成する。

 ところが1912年11月7日、ジョン・アーサー・ジョンスン(→Wikipedia)の逮捕でBIの印象派大きく変わる。黒人の元ヘビー級王者の彼は言動が挑発的で、白人の怒りを買っていた。特に、白人女性と堂々とイチャつくのがマズかった。彼の容疑は売春。当事のBIは州境を越える組織売春も扱っていた。が、ジョンスンの事件は明らかに個人と個人の関係。要はBIが世間に迎合したわけ。同じ時期、財界人の求めに応じてIWW(世界産業労働者)などの左派組織も摘発してる。

 こういう「赤への恐怖」を煽る風潮は捜査組織にとって予算獲得のよき機会らしく、以降もちょくちょく時流に乗ってちゃっかり増額予算を獲得している。60年代にも公民権運動が盛り上がり、多くの黒人や学生が活発な政治活動を繰り広げる。政府は、その裏に共産主義者の暗躍があると睨んで盛んに捜査したが、ほとんど証拠は出てこなかったそうな。

改めて考えると、ソ連など当事の共産主義勢力がなぜ黒人組織に接近しなかったのか、謎だ。コナかけたけどフラれたのか、最初から眼中になかったのか、どっちだろ?スペイン内戦では国際旅団を送っていたから、合衆国内で活動してたのは確かなんだが。

 …などと、当事の大統領と司法長官の意向によって捜査の重点が変わっていくのが、合衆国の政府組織の大きな特徴。それが大衆迎合に陥る欠点もあるが、逆に風通しが良くなる効果もある。本書の中で、FBIは何回か改革を経験する。

 人物として際立ってるのは、やっぱりJ・エドガー・フーヴァー。ショウマンシップ溢れる人らしく、ギャングとの対決では「逮捕現場に立ち会うことは、丹念に打ち合わせずみだった」。自分をスターに仕立て上げ、FBIの評判も良くしようという虫のいい演出は、見事に当たる。政治的にも抜け目のない人で、時の大統領の意向に応じてKKKも熱心に摘発する。意外なことに、第二次世界大戦時の日系人の強制収用にもフィーヴァーは反対してる。「FBIの捜査ではスパイ活動や反米活動の証拠は上がっていない」。

 ところが、第二次世界大戦後に大きなショックがフーヴァーを襲う。CIAの設立に伴い、縄張りだった中南米をCIAに奪われてしまう。以後、FBIとCIAは犬猿の仲となり、これが911のポカの原因の一つとなる。これは根が深くて…

2003年12月、司法省の検閲総監が指摘したところでは、FBIにはEメールを安全にCIAに送信する機能すらなかったのである。まことに原始的な話だが、特別捜査官はEメールを刷りだして、、その現物をCIAの相方に届けていたのだ。

 もう一つの業病は、人種的多様性の欠如。

2007年初頭までには、アラビア語が話せるFBI捜査官は、(略)流暢だったのはわずか33名、捜査局が雇用していたイスラム教徒に至ってはなんと12名にすぎなかったのである。

 なんかFBIの悪口ばかりになっちゃったけど、少なくとも人種的な多様性に関しては対応を取ってる模様。それより、機密性が高い一国の捜査機関の情報が、これだけ公開され、かつ一般向けに書籍として刊行されてるのが羨ましい。警察庁や公安調査庁の本なんて、出る日がくるのかしらん。

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