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2012年10月11日 (木)

山田正紀「ファイナル・オペラ」早川書房

雨夢見えし てふ ゆきて
時のうつるもわきまへず

【どんな本?】

 SF作家としてベテランでありながらミステリにも挑戦し新境地を切り開いた山田正紀による、「ミステリ・オペラ」「マヂック・オペラ 二・二六殺人事件」に連なるシリーズ最新作。終戦直前の東京を舞台に、14年ごとに奉納される秘能「長柄橋」およびそれを演じる明比一族と長良神社を中心に、過去と現在を交錯させつつ、論理と幻想の大伽藍を構築する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出はミステリ・マガジン2010年8月号~2011年10月号にかけ連載。加筆修正後2012年3月25日初版発行。単行本縦二段組で本文約398頁。8.5ポイント25字×21行×2段×398頁=417,900字、400字詰め原稿用紙で約1045枚。そこらの長編小説なら2冊分。

 文章は比較的素直なのだが、内容を理解するのに難渋する。というのも、物語の構造が複数の時代に渡り、かつ現実と幻想を変化自在にとりまぜ、著者お得意の「象徴」を随所に散りばめた曼荼羅的な形式であるため。特に前半は一見ランダムにアチコチへと振り回されるので、ついて行くのに苦労する。

【どんな話?】

 昭和20年8月1日深夜~2日の早朝にかけ、八王子の長良神社では、神職を務める明比一族により、秘能「長柄橋」が演じられていたが、B29の空襲により中断した。「長柄橋」は明比一族に伝わり、14年ごとに演じられる。内容は定かではないが、「隅田川」と関係が深いと言われている。14年前に演じられた時、6歳の瓔珞・燦水・そしてぼくは一緒に遊んでいたが、いつの間にか燦水は消えていた。誰に聞いても、燦水を知らないという。

【感想は?】

 読了後、「わけわかんねー!」と思い、この記事を書こうと再度冒頭から読み直したら…ドカンとやられた。いやはや、仕掛け満載だわ。

 私はミステリが苦手な上に、この作品は特にミステリとして敷居が高い。なにせ、語り手が自ら「私は信用できない語り手ですよ」と告白しているのだ。

 ――どうか、ぼくの言葉を信じないでほしい。ぼくの記憶を信じないでほしい。疑ってほしいのだ。どうか、どうか……

 だもんで、早々にミステリとして謎解きに挑戦するのは諦め、「山田正紀作品」として楽しむことにした。でも大丈夫。そういう意味でも、楽しめる要素は満載。なんたって、冒頭からこれだし。

「八月六日午前八時十五分――に戦争は終わった。ぎりぎりだった」

 山田正紀作品の楽しさは沢山あるけど、その一つがアチコチに散りばめられたシンボル。恐らくは精神分析のユング派的な形で作品内に置かれ、物語のテーマで重要な役割を果たす。この作品では、アオムラサキという蝶。架空の種なのかオオムラサキ(→Wikipedia)の別名なのか不明だが…

 山田正紀+蝶といえば、SF者は傑作「チョウたちの時間」を連想する。この作品でもアオムラサキは時に密接した役割を果たす。幼くして世を去った子供の種子の象徴としてこの世に具現し、やがて次の命へと生まれ変わり、「輪廻転生の旅に発つ」。シンボルとしてのアオムラサキは、物語の随所に配置されている。改めて読み返すと、この意味は重いわ。

 舞台は終戦間際の東京。となれば米軍の空襲で焼け野原になり、人の死が珍しくない。特にこの作品が注目しているのは、幼くして何の罪もなく死んでいった子供たち。先のシンボルであるアオムラサキもそうだが、秘能「長柄橋」と関係が深い「隅田川」(→Wikipedia)も子供が重要な役割を果たす。

非情な人買いに攫われた幼子の梅若丸は、病に倒れ葬られる。わが子を取り戻さんと物狂いとなった母は、梅若丸の塚を見つけ…

 となった所で、能談義へとつながっていく。母は梅若丸の姿を垣間見る。だが、他の登場人物に梅若丸は見えない。そこで論争が起きる。梅若丸は舞台に出すべきか、出さざるべきか。これは題目の解釈に深く関わる問題で、当然ながら「長柄橋」にも重要な影響を及ぼす。

 とは言っても、肝心の「長柄橋」が、なかなか姿を現さないので、なんとももどかしい所ではあるのだけど。この「長柄橋」の解釈が、いかにも山田正紀らしい哀しみに満ちた視点なのが、かつて彼の作品を読み漁った者として嬉しい限り。「神狩り」や「弥勒戦争」に通じる、いやより広がりを増した視点なんだよなあ。

 そう、どうしようもない世界の理、または絶対的な力によって君臨する者、それらに対し、道具として遣い捨てられ、または単なる障害物として排除されてしまう者たちが、その理不尽になんとかして抗おうとする物語。かつての作品は、それでも闘う術を持つ「戦士」の物語だったのが、これは抗う術すら持たぬ弱者の視点までが加わった。

 「イリュミナシオン」あたりでは恨み節が少々度を越していた感があったけど、この作品はその辺が控えめでありながら、随所に出てくる子役やアオムラサキが哀しみを滲ませる。ブラッドベリが何を書いてもブラッドベリになるように、山田正紀は何を書いても山田正紀なんだなあ。

 ミステリとしてのトリックはもとより、終盤での「アオムラサキ」「隅田川」「長柄橋」「長良神社」、そして混沌とした語り手の記憶や瓔珞・燦水などの謎が次々と明らかになる展開は、目から鱗がポロポロ落ちていく感覚で快感至極。まあ、そこで再び冒頭を読み返すと「な、なんだってー!」となり、再び混沌に叩き落される。

 つまりですね、結局、私はこの作品をどう解釈していいか、よくわからないんですよ、はい。自分の好きなように解釈しろ、って事なのかしらん…シテ役のつもりで。

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