マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー 上・下」ハヤカワ文庫NV 一ノ瀬直二訳
「トム、だまされちゃいけない。仕事というものは、一から十まですべて私的なものなんだ。あらゆる人間の、生きていく上でのあらゆる営みはすべて私的なものであり、それを人々は仕事と呼んでいるんだ。それでも結構。だがそれはあくまでも私的なものでしかないんだな。これをぼくがどこから学んだか知っているかい?ドンだ。ぼくのおやじだ、ゴッドファーザーからさ」
【どんな本?】
シシリアン・マフィアの世界を描いてベストセラーとなり、フランシス・コッポラ監督による映画も記録的な大ヒットとなった作品。
第二次世界大戦終戦直前のニューヨークを主な舞台とし、シシリアン・マフィアを率いるヴィトー・コルレオーネと、彼の後継者となるマイケル・コルレオーネのコルレオーネ一家の物語であり、彼らを取り巻くマフィアや市民を描く群像劇であり、当事のアメリカ社会の裏側をマイノリティであるシシリー系移民の視点で写す社会派の小説でもあり、優れたリーダーのあるべき姿を教える人生指南であり、法の裏で生きる男たちに捧げるハードボイルド小説であり…と、多面的な魅力に溢れた娯楽小説の傑作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Godfather, by Mario Puzo, 1969。日本語版は1972年ハヤカワ・ノヴェルズより、1973年にハヤカワ文庫NVで刊行。私が読んだのは2005年11月15日発行のハヤカワ文庫NV版。文庫本縦一段組みで上下巻、本文約431頁+417頁に加え松坂健の解説「プーヅォが作ったモダンアメリカ20世紀の神話――『ゴッドファーザー』はアメリカの忠臣蔵?」9頁。9ポイント39字×17行×(431頁+417頁)約562,224字、400字詰め原稿用紙で約1406枚。標準的な長編小説なら三冊分ぐらいの分量。
翻訳物の小説にしては、比較的読みやすい。ただ、ちと問題が…
【どんな話?】
第二次世界大戦の終戦を間近に控えたアメリカ。
葬儀屋を営むアメリゴ・ボナッセラは、判事の声を信じられない想いで聞いた。彼の娘は二人の青年に殴打され、重症を負い今も入院している。青年たちへの判決は禁固三年に執行猶予。ボナッセラはつぶやく。「ドン・コルレオーネのところへ行って、正しい裁きを仰ごうじゃないか」
ロサンゼルスのホテルで、ジョニー・フォンティーンは途方にくれる。かつて大スター歌手だった彼の人気は衰え、その美しさに惹かれ結婚した女房のマーゴット・アシュトンは浮気三昧。どんなに痛めつけても、妻は彼を馬鹿にし続ける。彼は救いを求め帰郷を決意する。ドン・コルレノーネ、彼の名付け親、ゴッドファーザーの元へ。
パン屋のナゾリーネは苦悩する。雇ったイタリア人捕虜のエンツォが、娘と恋仲になった。下手に騒げばエンツォはイタリアに送還され、娘のキャサリンはエンツォを追いかけ家を出るという。なんとかエンツォに米国市民権を取らせ、アメリカに引き止めねばならない。彼は最善の方法を知っていた。ドン・コルレオーネだ。
ロングアイランド、ヴィトーことドン・コルレオーネの屋敷では、盛大な宴が開かれている。娘のコンスタンツィア・コルレオーネの結婚式だ。多くの人がお祝いに駆けつけ、または贈り物を贈ってきた。
ドンの三人の息子も列席している。長男のサンティノ、愛称サニーは勇敢だが短気で、それが後継者としての懸念だ。次男のフレッドは両親に忠実で従順だが、イマイチ力強さに欠ける。三男のマイケルは跡継ぎと目されていたが、親に逆らい海兵隊に志願し、負傷除隊した後はダートマス大学へ通い、今は宴の片隅で婚約者と語らい、家族とは距離を置いている。
宴の途中で邸内の事務室に戻ったドンは、片腕のトム・ハーゲンと共に、特別な訪問者との面会を始める。まずは、パン屋のナゾリーネからだ。
【感想は?】
危険。この本は、とっても、危険。
まず、扱う内容が危険。マフィアである。犯罪組織である。日本でいうならヤクザ、暴力団である。当然、犯罪の手口や血生臭い暴力の場面がアチコチに出てくる。健全な青少年には、イロイロと有害。
何が有害といって、ドン・コルレオーネその人が、凄まじく有害。特に厨二病にかかりやすい人は、要注意。もうね、カッコいいったらありゃしない。そこの少年、この本を読んだら、早く中年になりたくなるよ。厨二病ったって、この人の場合、周囲には発症してるのが分かりにくいからタチが悪い。口調は常に冷静、温厚にして礼儀正しく、善意に溢れている。しかも普段の行動は、友達と家族を大切にする紳士的な男。けど、必要な時には…
そして、物語の吸引力。外せない用事がある人は、決してこの本に手を触れてはいけない。迂闊に本を開くと、きっと良くない事が訪れる。その証拠が、このブログの更新ペースだ。私が体験した不幸を小さいものから3つ挙げると、寝そびれ、メシを食いっぱぐれ、風呂に入りそびれた。当然、他にもあるが、バレるとアレなので…。そう、先に述べた「ちと問題が…」は、この作品が持つ圧倒的なボリュームと、読者への吸引力だ。下手に味見を始めたが最後、大変な事になる。
ドンの思慮深さは、冒頭から明らかになる。警官が、嫌がらせも兼ね結婚式の訪問者の車のナンバーを控えるのに対し、短気なソニーが抗議に行く。ドンは警官の出現を予め知っていたし、予防措置も取っていた。だが、敢えてソニーの行動を咎めない。そこにあるドンの思惑は…
こういった深慮や、穏やかなドンの言葉の裏は、映画じゃ分かりにくい。これが小説だと便利なもので、例えば前半ではドンの片腕となるトム・ハーゲンが、いちいちドンの思惑を解説してくれる。そこにある、人間心理と社会のしくみに通じたドンの知恵、そして人心掌握術の鮮やかさ。こんな上司がいたら、誰だって心酔するだろう。
物語の中心はコルレオーネ・ファミリー、それも主にドンからマイケルへの継承が主軸となる。それに絡む群像劇としても、この物語の大きな魅力。
冒頭で途方にくれるジョニー・フォンティーン、最初は「見てくれだけの甘ったれた種馬」という印象で、私は大嫌いだったのが、後半に入り昔の友人のニノ・バレンティと絡みだすと、途端に印象が反転する。このニノもまた、ありがちな田舎者っぽい印象だったのが、短く少ない登場場面で、著者の深い洞察力を伺わせる人物。なんともはや、人間の業ってやつは。
やはり端役ではあるが、ルカ・ブラージも強烈なキャラクター。陰湿で凶暴な殺し屋ながら、ドンにだけは心底からの忠誠を示す。なぜ彼がドンに忠誠を誓うのか、どうやってドンは彼を手なずけたのか。マイケルがルカの秘密を知る場面は、陰惨なシーンの多いこの物語でも、飛びぬけた迫力を持っている。
人物の魅力もさることながら、同時に「なぜマフィア、それもシシリアン・マフィアが力を持ちえたか」という社会背景もキッチリ書き込まれているのが、この物語の奥行きを更に深くしている。若きドンが成り上がるまでの物語、そしてマイケルが訪れたシシリー島の歴史と現状。
パン屋のナゾリーネは、なぜドンを頼ったのか。エンツォの立場は、現代日本なら跡継ぎとして婿入れ、みたいな形に落ち着くだろう。だが、当事のアメリカの法と行政がそれを阻む。だから、それを超越できるドンに頼る。法治国家が孕む矛盾・問題点こそが、マフィアを生み出す大きな要因となる由を、この本は我々に見せ付ける。
そして、恐ろしいのが、マフィアが政治家と結びつく要因。そう、民主主義下の政治家が最も求めるモノと言えば…
もっと哀しいのが、シシリー島の歴史と現状。自然条件だけを考えれば、もっと豊かでいい筈のシシリー島が、なぜ貧しいのか。なぜアメリカへ多くの者が移民したのか。なぜドンは非合法な社会に飛び込んだのか。少し視野を広げると、これはシシリー島だけの問題ではない事に気がつくだろう。そう、発展途上国がなかなかその地位を脱出できない理由を、パキスタンの部族直轄地域やアフガニスタンで政府が支配力を持ち得ない理由を、シシリーのマフィアが教えてくれる。
そんなシシリーからの移民が、チャンスの国アメリカに抱く複雑な想い。マイケルは語る。
「…いずれにせよ、ぼくの子どもにはこういったことが起こってほしくない。彼らには君の感化を受けてもらいたいのだよ。完全なアメリカ人の子どもに、どこからどこまで、本物のアメリカ人に育ってもらいたいんだ」
この台詞の、なんと切ないことか。「子どもには完全なアメリカ人になってほしい」、この言葉の裏には、「自分は完全なアメリカ人じゃない」という悲しい自覚がある。自由と平等を標榜しながら、それでも移民は移民でしかない。そして、差別されるシシリー人もまた…
なんてお堅い話ばかりでなく、マフィアの内幕物としての面白さもたっぷり。下世話な所じゃ収入源。ドンの表向きの仕事はオリーブ油の輸入だが、本業は…まあ、だいたいご想像の通り。当然、麻薬も大きな要素として物語に絡み、果てはファミリー存続の危機にまで発展していく。
内幕で異彩を放ってるのが、ポッキッキオ一族。ひたすら愚直で獰猛、内部の結束は固いが外の世界にコネを作るのは苦手。あまり賢いと言えない彼らは、しかしその愚直さを活かし、マフィアの世界で必要不可欠な、だが唯一無二の独特の役割に活路を見いだす。「世の中には、いろんなビジネスがあるなあ」と、ひたすら感心する。
独特のスタイルを貫く男たちを描くハードボイルドとして、ビジネスと家族を描くファミリー・ドラマとして、マイケルの成長を描く物語として、マフィア同士の抗争を描くヤクザ物として、彼らを生み出す社会の病理を抉り出すレポートとして。たった一つの小説に、これだけのテーマを惜しみなくブチ込みながら、多くの人が熱中する娯楽作として仕上がっている。
もう一度、忠告する。外せない用事がある時には、決してこの本を手に取ってはいけない。必ず、充分な時間を確保して臨むこと。
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