マーシャル・I・ゴールドマン「強奪されたロシア経済」NHK出版 鈴木博信・赤木昭夫・内田義雄訳
ITERAはガスプロムから1000立方メートル当たり2.20ドルから5.20ドルという低価格で天然ガスを受けとり――ガスプロムにとっては赤字輸出となった――、それを1000立方メートル当たり40ドルから80ドルで売却してITERAとその所有者たち――だれかはご推察にまかせるが――のポケットに膨大な利益をころがりこませてきた。
【どんな本?】
ソ連が崩壊してロシアが成立し、資本主義が導入された。この過程で莫大な財を築いた者、いわゆるオリガルヒ(新興財閥)が台頭する。しかし、その多くは国営だった企業を強奪して私物化した者たちだった。
オリガルヒはどのような者たちで、どんな手口を使ったのか。なぜそんな事が可能だったのか。彼らはロシア経済にどんな影響を及ぼし、どんな問題を生み出しているのか。帝政ロシアからの歴史を振り返りロシア文化・経済の特質を背景に、オリガルヒがロシアを食い物にする過程と実態を多数の実名を含む挿話で語りつつ、ポーランドや中国と比較しながらロシアの資本主義化の問題点を明らかにする。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Piratization of Russia : Russian Reform Goes Away, Marshall I. Goldman, 2003。日本語版は2003年10月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み、本文約412頁+訳者あとがき10頁。9ポイント43字×19行×412頁=約336,604字、400字詰め原稿用紙で約842枚。長めの長編小説の雲量。
読みやすさは…実は、けっこう手こずった。といっても、文章そのものは翻訳物のノンフクションとしては出来がいいほう。問題は、内容にある。つまり、もともと難しい題材なのだ。具体的には以下3つ。
- ロシアを扱うので、馴染みのないロシア語の人名や地名が沢山出てくる。
- 経済問題を扱っているので、経済の知識が必要。といっても株式会社のしくみや投資信託、担保や債権などの基礎的な概念で充分。
- 挿話の多くがペテンの手口の紹介であるため、人や会社が入り組んでいてややこしい。
【構成は?】
十字路に立つプーチンのロシア――日本の読者のために
第一章 ロシアの「盗賊」銀行家たち――荒々しき東方
第二章 舞台となったのは――ポスト共産主義時代のロシア経済
第三章 帝政時代の遺産――引きつぎたくない不快なルーツ
第四章 壊れたら、修理せよ――スターリンとゴルバチョフの遺産
第五章 私有化――意図はともかく助言もタイミングもまちがい
第六章 ノーメンクラトゥーラ型オリガルヒ
第七章 成り上がり型オリガルヒ
第八章 FIMACO、ロシア中央銀行、トップのマネー洗浄
第九章 腐敗、犯罪、ロシアのマフィア
第十章 よりよい方法がなかったとはいわせない
第十一章 信用させてころりとだます――どんなに高いものにつくことか
訳者あとがき/脚注
【感想は?】
2003年の出版なので、社会情勢を伝える本としてはやや時期を逸している感はあるものの、素人がロシア経済の概要(というか雰囲気)を掴むには悪くない。ただ、これを読んでロシアに投資したくなる人は滅多にいないだろう。
全般を通し、ソ連崩壊・ロシア共和国成立に伴い国営企業が私企業化されるにあたり、立場を利用して私物化した者と、その手口の暴露が多くを占める。それを通し、著者は「ロシアの資本主義化は急ぎすぎで、中国やポーランドのように徐々に移行すべきだった」と主張する。まあ急いだのにも理由があって、共産主義の復活を阻止したかったから。
まず驚くのが、ソ連時代の経済体系。われわれにとって物の売買やちょっとした副業は別に疚しい事でもなんでもなく、貨幣が出回ると同時に発生した概念だと思い込んでいて、どころか夜なべ仕事や子供が働いて家計を助けるなんてのはむしろ美談に属する話なのだが。
ソビエト時代は無茶苦茶で、学生や労働者の小遣い稼ぎの窓拭きのアルバイトまで違法とされてる。物の売り買いも、「自分が作った」と証明できる物だけが販売できる。いやそれじゃ卸や小売が成立しないから流通が発達しないじゃん、と思うのだが、そこは蛇の道はヘビ。ユダヤ人・グルジア人などの外国人商人やマフィアが闇経済を賄ってたり、物々交換でしのいだり。
マクロ的にも酷くて、「ソビエトの軍事支出はGNPの20%に達していた」。これがロシアの再起を阻む。軍需産業の民生化は資本主義国でも難しい。まして統制の厳しいロシアでは。工場は生産額で評価される。生産額は総費用から計算する。費用をかけるほど高評価なら、誰も原価削減なんか考えない。
経済の統計もいい加減。経営者は税金を払いたくないから利益を少なく申告する。「1997年までは、ロシアの国家統計委員会は、そこからくる数字のゆがみを修正するため、私有部門の経済活動を(略)申告結果に20%を上積みした数字を発表していた」。なんちゅういい加減な。
著者はオリガルヒを三種にわける。1)国有企業の元企業長、2)共産党時代のノーメンクラトゥーラ(上級幹部)、3)ソビエトの体制外の者。建前は公開入札で決まるんだが、「だれか他人が入札に参加しようとすると、入札する場所の空港が当日になって閉鎖されるか、なにかほかの理由をつけて入札資格を剥奪された」。
そうやって強奪した資産を、冒頭の引用のような形で己の懐に流し込む。ITERAはガスプロムの子会社で、フロリダ州ジャクソンビルに本社を置く。商品が地下資源なら多少の無茶も利くが、工場などは倒産しかねない。その場合も持ち逃げの手口があって、まず子会社を作り優良資産は子会社に移し、不良資産だけが残った親会社が倒産する。オリガルヒは子会社を得て悠々自適。子会社を西側に作っとくと、更に便利。
輸出する際は、西側の銀行の口座に代金を振り込むよう取引相手に頼む。または輸入業者が架空の注文を出し、所定の口座に代金を振り込む。
国内市場はマフィアが支配し、新規参入者は嫌がらせを受ける。タクシーはタイヤを切られ、ジャーナリストは殺され、なぜか税務署の監査が入ったり営業許可を取り消されたり。
こういう無茶苦茶な手口には当然、政治の上層部も関わってて、エリツィンとプーチンも例外じゃない。プーチンを後継とする見返りに、プーチンは大統領代行に指名された翌日の2000年元旦に大統領令第一号でエリツィンと家族への刑事訴訟の免責を保障する。
とはいえオリガルヒ全てがプーチンに従順なわけではなく、エリツィン-プーチンに批判的な民間テレビ網NTVを支配したヴラジミール・グシンスキーは嫌がらせで複数回逮捕される。彼が設立した「ロシア・ユダヤ人会議」に対抗してプーチンは「独立国家共同体ユダヤ人同盟コミュニティ」を作りグシンスキーの影響力を削ぐ。某国のラマと手口がソックリ。
暗い話ばかりの中で光っているのが、外資企業ジレットの奮闘。なにせロシアにはマトモな流通・販売網がない。自前の構築を決意したジレット、4~5人のチームをロシア各地の古物市に送り出し、小売商にジレット製品の販売を依頼する。引き受けた商人から仕入れ元を聞きだし、卸売りを組織して流通・販売網を作り出す。
確かに無茶苦茶な国だけど、それでもやっていけるのは石油・ガス・非鉄金属など豊富な地下資源があるから。著者曰く「日本やスイスじゃこんな真似できないよ」。地下資源があるのも考え物だなあ。
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