新井素子「・・・・・絶句 上・下」ハヤカワ文庫JA
「何ていっても、あたくしの親、前に女性にネプチューンって名前つけた人だから」
「ネプチューン……ネプチューンって、ポセイドンのことじゃない。女の子にそんな名前つけたの?」
「そう」
「ちょっと……ひどい」
【どんな本?】
独特の文体でSFのみならず文学界に大きな衝撃を与え、ライトノベルの祖の一人でもある新井素子が、その本領を存分に発揮した長編SF小説。SF新人賞応募の締め切りに追われ必死に応募作を書く作家志望の女子大生・新井素子の前に、突然作中人物が現れ、日本中を大混乱に巻き込む。後日譚の短編「秋野信拓の屈託」「すみっこのひとりごと」に加え、ファンにはお楽しみのあとがきも上巻・下巻それぞれ計2本収録。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
初出は早川書房新鋭書き下ろしSFノヴェルズ、1987年4月にハヤカワ文庫JAより文庫で出版。私が読んだのは2010年9月15日発行のハヤカワ文庫JAの新装版(表紙イラストはcoco)。文庫本上下巻で本文約445頁+439頁に加え、あとがき7頁+7頁。上下巻で両方にあとがきをサービスしてくれる作家は彼女ぐらいだろう。9ポイント41字×18行×(445頁+439頁)=約652,392字、400字詰め原稿用紙で約1631枚。上巻のあとがきによると、原稿用紙1200枚との事なので、その差431枚は短編2編+あとがき2編+誤差。思ったより誤差が多いなあ。
一人称が「あたし」、若い女性の話し言葉に近い雰囲気の独特の文体。拒否感を持つ人もいるだろうが、持たない人にとっては極めて読みやすい。SFと言っても小難しい話ではない。時折「テレポーテーション」などソレっぽい言葉が出てくる程度なので、ドラえもんなどでSFっぽい小道具に慣れている人にはスラスラ読める、というより、話が佳境に入ると紙面から視線を外すのに苦労する。
【どんな話?】
数少ないSF新人賞に応募する作品を書き上げるため、深夜に没原稿の山に埋もれる作家志望の女子大生・新井素子。幻聴が聞こえたかと思うと、唐突に作中人物が彼女の部屋に現れた。不敗のイケメン・ヒーロー森村一郎、言語学の天才でマッド・サイエンティストの秋野信拓、信拓の妻で家事のエキスパート秋野こすもす、空間を自由に行き来できるエスパーの宮野拓、人の恋心を自由に操る美女あもーる。
暫くのパニックはあったが、互いが状況を認識した由を確認した後、登場人物たちは何処かへと消えてゆく。何事もなかったように学校へ通う素子は、帰宅途中に男女のチンピラに絡まれ…
【感想は?】
新井素子、やりたい放題。思う存分ハネを伸ばして書きたいように書いてる。と同時に、作家・新井素子の創作手法を惜しみなく公開しちゃってる。ライトノベル作家志望の人は必読。ただし、創作の教科書としては少々難がある。お話が面白すぎるため、読んでて夢中になってしまい、分析どころではなくなってしまうのだ。ああ悩ましい。
当事の彼女の文体は若い女性の一人称が多く、多分に自分を主人公に重ねている感があったけど、この作品ではまんま本人を出演させている。登場人物をどう造るか、という部分もあけすけに語っていて、「ああ、やっぱりね」と思う部分もあれば、「それでよく話が作れるなあ」と思う部分もあったりする。
いきなり当事のSF界隈の作家デビュー事情が語られていて、古いSF者は「ああ、そうだったよなあ、当時はシンドかったよねえ」などと遠い目になったり。今はライトノベルのフリすればSFガジェットを大量にブチ込んでも可愛い女の子さえ出せばなんとかなるから、いい時代になったよなあ。もちろん、話が面白いって前提は必要だけど。
で、この作品なのだが、味付けはモロに今のライトノベルそのもの。「!」や「…」など約物の多用、会話の多用、若い女性の一人称「あたし」などの親しみやすい文体。作家志望の女子大生の前に作中の登場人物が現れる、という幕開けもそうだし、各員の設定も今なら厨二設定と言われかねない。その後の展開も相当なもの。今でこそ「ありがち」に思えるけど、当時、この手法は斬新の域を越え無謀ですらあった。受け入れてくれるのはSFとジュブナイルぐらいだったろう。
しかも、驚くことに、この時代に「男の娘」まで登場させている。なんという先進性。
お話の展開もやりたい放題で、目次を見ればわかるのだが、「作中人物全員会議」なんて真似までやってる。メタフィクションである。いやメタフィクションって何だか私にもよくわからないけど、筒井康隆みたいなアレ?
などとふんだんにSF設定を取り入れつつ、作家・新井素子の私小説としても読めるのが面白い。彼女がどうやって素っ頓狂なアイデアをひねり出すのか、どんな時に作品を書きたくなるのか、行き詰った時にどうするのか、どんな作品が好きなのか。いきなり「男おいどん」だもんなあ。掴みはオーケー。
などと上巻はライトノベルなノリで大騒動を巻き起こしつつ、少しずつシリアスな問題提起を展開し始め、下巻に入ってテーマはグッと深みを増す。深みを増しながらも、リーダビリティは全く失わない手腕に感服すべし。この辺、テーマといいキャラクターといい、どう考えてもあの「御大」の代表作に真っ向から挑戦してるとしか思えん。富田勲の重厚なシンフォニーが聞こえてきそう。
波乱万丈の冒険物語の果てにたどり着く、誰もが抱え悩む大きな問いと、この時点での彼女なりの解、そして再び意味を問いかける作品名。グレッグ・イーガンが潔く切り捨て、チャールズ・ストロスが覚めた目でコメディにする所を、あくまで肉体を備えた人間として、この作品は対峙していく。
登場人物では、気障の塊りで不敗の男・森山一郎が最強って設定だけど、むしろ拓ちゃんこそ最強って気がする。いや拓ちゃん、思考回路が凄まじいし。拓ちゃんこそ作家・新井素子の本領と思うんだけど、どうなんだろ。状況より自分の思い込み、理屈はうっちゃって感情タレ流し。追い込まれれば開き直り、身も蓋もない本音をブチまける。ガチガチに固まっちゃった私のオツムを、意味不明な発想と行動で木っ端微塵に粉砕してくれる。気持ちいいったらありゃしない。いや本当にいたら、相当に困っちゃう人だけど。いろいろと。
お話のテーマは文句なしに王道のSFなんだけど、「ライトノベルの祖」への敬意を込め、敢えてカテゴリは「ライトノベル」としておく。抜群のリーダビリティ、漫画的なガジェット、動きが多く読者を放さないストーリー、若く行動r力に溢れ魅力的な登場人物、そして読者に問いかける重い課題。上質なライトノベルが備えるべき全てが、ここにある。
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