スティーヴン・J・グールド「人間の測りまちがい 差別の科学史 増補改訂版」河出書房新社 鈴木善次・森脇靖子訳
貧困の悲惨さが自然の法則ではなく、我々の社会制度によって引き起こされているとしたら、我々の罪は重大である。 ――チャールズ・ダーウィン『ビーグル号航海記』
どのように受け入れられていようとも、名称は一つの実体すなわち存在物であり、それ自身独立した実体をもっているにちがいないと確信してしまう傾向は常に強かった。そして、もし名称に該当する真の実体が発見できない時でも、人は、それ故に何も存在しないと考えるのではなく、特に深遠で神秘的な何かが存在すると想像するものである。 ――ジョン・スチュアート・ミル
【どんな本?】
「人の知的能力は遺伝、すなわち階級・人種・性別などで決まる」
「人の知能は一次元の直線上に表現できる、つまり一つの数値で表せて、順序付けできる」
「知能は生涯不変であり、劣っている者に教育を施しても無駄だ」
これらを証明するという極めて困難な問題に、科学者たちは挑み続け、今なお絶望的な挑戦は終わっていない。進化論以前からサミュエル・ジョージ・モートンとポール・ブロカの頭蓋学・ロンブローゾの犯罪人類学・アルフレッド・ビネーのビネー尺度と新大陸での大胆な応用・チャールズ・スピアマンの因子分析など、難事に挑んだ人々の足跡を辿り、不可能に挑戦する科学者たちの粘り強さを描き出す。増補としてリチャード・ヘーンシュタイン&チャールズ・マリーの著書「ベル・カーブ」の検証を追加。
…すんません、微妙に皮肉ってみました。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は THE MISMEASURE OF MAN, Revised and ex-panded, with a new introductions, by Stephen Jay Gould, 1996, 1981。日本語版は1989年7月20日初版発行、1998年11月30日増補改訂版初版発行。ハードカバー縦一段組みで本文約527頁+訳者あとがき4頁+改訂版訳者あとがき3頁。9ポイント46字×21行×527頁=約509,082字、400字詰め原稿用紙で約1273枚。長編小説なら2冊分ちょい。
最近の翻訳物の水準からすると、文章はまわりくどくて読みにくい。クセの強いグールドの文章のせいもあるし、親しみやすさより原文への忠実度を優先した訳者の姿勢もある。も少し親しみやすさに配慮して欲しかった。前提知識として必要なのは二つ。一つは進化論の基礎。これは中学レベルで充分。もう一つは、数学の「ベクトル」の概念が、因子分析(→Wikipedia)の所で出てくる。確か中学ではやらないと思ったんだが、最近はどうなんだろう?
【構成は?】
謝辞
改訂増補版の序
第一章 序文
第二章 ダーウィン以前のアメリカにおける人種多起源論と頭蓋計測学
――白人より劣等で別種の黒人とインディアン
第三章 頭の測定――ポール・ブロカと頭蓋学の全盛時代
第四章 身体を測る――望ましくない人びとの類猿性の二つの事例
第五章 IQの遺伝決定論――アメリカの発明
第六章 バートの本当の誤り――因子分析および知能の具象化
第七章 否定しがたい結論
エピローグ
『ベル・カーブ』批判
三世紀間に見られた人種に関する考えと人種差別主義
原注/訳注/訳者あとがき/改訂版訳者あとがき/参考文献/索引
【感想は?】
本書の最大のテーマは、以下の「信念」を粉砕する事だ。
- 知能は単一の数字で表せる
- その数字で人を直線的な序列でランク付けできる
- 知能は遺伝で決まる
- 知能は事実上不変だ
これに加え、3つのサブ・テーマからなっている。
- 客観的で不偏と思われがちな科学者も、思い込みから誤ったデータ処理をしたり、重要な傾向を見逃したりして、都合のいい結論に誘導する事がある。思い込みは、往々にして当事の社会の「常識」に囚われる。
- 科学が政治と密接に関係する時、政治的に都合よく解釈が捻じ曲げられる場合がある。
- 因子分析とはなにか。
上記の「信念」を証明するため、人類の多起源論から近年の「ベル・カーブ」まで、人種による知能の違いを計測しようとした科学者たちの研究を検証し、彼らの間違いの元を解き明かしていく。
なんたって戦闘的で皮肉屋のグールドだ。そもそも原題から挑発的。これが日本語訳だと消えちゃうんだけど、ならどう訳せばいいのかというと、やっぱり無理だよなあ。
件の「信念」はどこから来るのかというと、要は人種差別・階級差別を正当化したい、という個人的・社会的欲求のためであり、または公的教育への支出の削減要求という生臭い政治的な事情だったりする。特に米国は奴隷制が絡むため、事態はいっそう深刻だ。
古生物学者として因子分析などの統計処理には詳しいグールドが、過去の研究のデータを再検証して「誤り」を暴くあたりは、科学解説書としてなかなかの迫力。最初のサミュエル・ジョージ・モートンの頭蓋の容量を測ったデータの処理から、冷酷かつ容赦なく批判していく。
曰く。一般に体が大きい人は脳も大きく、男性は女性より大きい傾向があるんだから補正しろよ。種子で測った時と鉛玉でで測った時の差が人種によって違うのは、計測者の思い込みの影響だろ。都合の悪いサンプルを除くな。端数を誤魔化すんじゃねーよ。結局、素直にデータを見ると、頭蓋容量と最も強い相関が見られるのは、身長だったりする。
オツムの大きさや形、または顔や身体の形状で分けようとする努力は、「個体発生は系統発生を繰り返す」とする反復説に基づき、「サルに近いほど劣ってる」とする理屈でやりくりしたが、ネオテニー(幼形成熟、→Wikipedia)の出現でひっくり返ってしまう。わはは。
ってな所に出てきたのがアルフレッド・ビネーのIQ。これについては佐藤達哉の「知能指数」によくまとまってる。ビネーは「特別な教育が必要な子供を識別し、その子に適切な教育を施す」のが目的だった。が、なまじ数値で出てくると、誤解・曲解する者も出る。新大陸じゃ第一次世界大戦で徴集した新兵の適性判断に使おうとしたが…
(ロバート・M・)ヤーキーズは外国生まれの新兵のテスト平均点が、アメリカ在住年限が増えるに伴って上昇することを見いだした。
素直に考えれば、「このテストはアメリカ文化に親しんだ度合いを示すんだろう」となるはずが、ヤーキーズの解釈が凄い。
近年の移民はヨーロッパのくずの人々、すなわちラテン系とスラヴ系の下層階級に集中していたと。長期間住んでいる移民は主として優秀な北方系の人々である。
IQテストが作り出す多量のデータを処理するために考え出された手法が、因子分析。因子分析自体はまっとうな統計の手法でグールドも使ってるんだが、その解釈が論争を呼ぶ。この場合、第一主成分を「遺伝で決まる生涯不変のオツムの良さ」と解釈しちゃったからさあ大変。
「障害」って概念も実は結構あいまいなシロモノで、グールドはこれをメガネで巧く説明してる。メガネがなければグールドは読み書きできないけど、メガネって補助器具があるから不自由なく生活できるし、研究もできる。メガネが簡単に手に入る社会だからグールドは普通の人として扱われるけど、そうでなければどうなるんでしょうねえ、と。逆に考えれば、現在は「障害」とされるモノも、手軽にサポートが得られれば障害じゃなくなるわけで、そういう社会の方が国民は豊かに暮らせる気がする。
どうでもいいけど、ここ数年の私の抜け毛の量と、円:ドルの為替レートは強い正の相関があったりする。つまり私の頭頂部の砂漠化はFRBの陰謀だったのだあぁぁっ!
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