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2012年9月の16件の記事

2012年9月30日 (日)

百田尚樹「永遠の0」講談社文庫

「これって、もしかしたら奇跡のようなことじゃないかと思っている。戦争に行った人たちが歴史の舞台から消えようとしている、まさにこの時にこの調査を始めたことは、何か運命的な巡り合わせのような気がしてならないんだ。もし、あと五年遅かったら、宮部久蔵のことは永久に歴史の中に埋もれてしまったと思う。だから、ぼくはおじいさんんを知っている人すべての話を聞かなくちゃいけないと思っている」

【どんな本?】

 放送作家として「探偵!ナイトスクープ」の構成などを手がけた著者の、デビュー長編。既に映画化が決定し、2013年の公開が予定されている。太平洋戦争の終戦間近、神風特攻隊の一員として南西諸島沖に散った一人の海軍航空兵の戦歴を辿りつつ、戦場の様子から従軍した将兵の戦中・戦後の生き様・死に様、そして戦中・戦後の日本を描く長編小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2006年8月太田出版より単行本を刊行。私が読んだのは講談社文庫版で2009年7月15日第1刷発行、2011年4月12日19冊発行。売れてるなあ。縦一段組みで本文約569頁+児玉清の解説13頁。9ポイント38字×17行×569頁=約367,574字、400字詰め原稿用紙で約919枚。そこらの長編小説なら2冊分の容量。

 読みやすさは抜群。一般に戦争物はややこしい軍隊用語や兵器名などがやたら出てきて一見さんお断りな雰囲気があるのだが、この作品は現代の若者を読者に想定したのか、読みながら自然と用語や仕組みに詳しくなるよう工夫が凝らされている。

【どんな話?】

 司法浪人で26歳の健太郎は、フリーライターの姉・慶子から仕事を頼まれる。二人の祖母は最初の夫を戦争で失い、残された娘(姉弟の母)と共に今の祖父に嫁ぎ、二人の男児(叔父)を生む。この最初の夫で血のつながった祖父・宮部久蔵の人物像を調べてくれ、というのだ。敬愛する今の祖父に気を使いながらも、姉弟は宮部の戦友を訪ね、彼の戦歴と人物像を調べ始めるが、その過程で浮かび上がってきた宮部の人物像は意外なものだった。

 「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」

【感想は?】

 小説「祖父たちの零戦」。

 「テレビ屋が書いた小説ね、お手軽なお涙頂戴だろ」などとナメて読み始めたら、最初の頁からガツンとやられた。「あれ?何か違うぞ」と思い始め、いきなり「特攻隊ってテロリストらしいわよ」などと言われてカッとなり、次々と出てくる戦友たちの話に「参りました」と降参して以降は、著者に翻弄されっぱなし。

 戦後生まれの書いた戦争物だ。これまでの戦争物はけっこう敷居が高くて、当事の陸海軍の組織や兵器について、ある程度知っている人向けに書かれている。が、この本は、そういった所がとても親切。最初の頁から、こんな感じ。

 俺は空母「タイコンデロガ」の五インチ高角砲の砲手だった。俺の役目はカミカゼから空母を守ることだった。(略)
 我々の5インチ砲弾は近接信管といって、砲弾を中心に半径50フィート(約15メートル)に電波が放射されていて、その電波が飛行機を察知した瞬間に爆発する仕組みになっていた。

 それとなく近接信管について、わかりやすく説明している。以後も「操練」や「予科練」など組織的な用語から、海軍航空隊の職務内容、軍用機の種類と役割、当然ながら零戦の特徴と他の戦闘機との比較、そして優れた操縦士たちが生み出した戦術などについて、こと細かく、だが決して煩くない形で丁寧に説明されていく。

 だからと言って「なんだ、トーシロ向けじゃん」などと侮るなかれ。最初の取材相手、長谷川梅男元海軍少尉の語る空戦の模様、そして彼が誇る「石岡の体当たり戦法」から、ニワカ軍ヲタの私は完全に脱帽してしまった。なぜ体当たりなのか。なぜそれが彼の異名となるのか。その意味がわかった時、彼の心中にあるものが少しだけ見えてくる。

 姉弟の取材に対応する人の多くは、戦闘機乗りとして出陣し、生き延びた人が多い。それぞれ生い立ちや性格は違うし、宮部との関係も違う。腕自慢の人も何人かいるのだが、面白いことに、それぞれ得意とする戦術・戦法が違う。詳しい人なら、「あ、この人はあのエースがモデルだな」などと見当がつくだろう。

 ばかりではない。進むに従って、実在のエースたちがひょっこり顔を出す。苔の生えた軍オタなら、思わず細かい粗探しに走ってしまうところだ。この作品は、単なる作り話ではない。綿密な調査の元に書かれた、ノンフクションに近い作品でもある。巻末の主要参考文献は、まんま推薦図書一覧として使えそう。

 戦闘レベルに加え、戦術・戦略、そして帝国陸海軍の組織にまで視野を広げ、著者は当事の日本の社会の構造から、その問題点まで、容赦ない批判を浴びせる。実在人物や史実上の作戦の背景を充分に書き込んであるために、著者の政治的メッセージは鮮烈な印象を残す。

 彼の政治主張は多岐に渡るだけに、全面的に賛同できる人は少ないだろう。一部は賛同できるが一部には反発を覚える、という人が大半ではないか。それでいいんだと思う。なにせ複数の国家にまたがる大きな問題だ。議論の土台となる事実を掘り起こすだけでも大変な仕事になる。多くの人が多くの立場で多くの論を張り、その過程で各員が戦争に関する知識と洞察を深めること、著者はそれを目論んでいるんじゃないか。

 第五章で宮部が語る零戦の航続距離の話は、エンジニア諸氏には耳が痛かろう。製品は、どうしようもなく組織の性格を反映してしまう。

 などという戦争物としての魅力もあるが、同時に「あの時代」を生きた人々の物語でもある。宮部久蔵という人物を縦糸に、彼に絡まる様々な人々は、なぜ従軍し、どんな気持ちで戦地に赴き、戦ったのか。死の危険があると分かっていて、なぜ軍に志願したのか。特攻隊は、テロリストと同じなのか。「国のため」と、本当に思っていたのか。

 次第に浮かび上がってくるのは、「戦死○○名」などと語られる数字の実態は、それぞれが人生を抱えた一人の人間だ、という当たり前の現実だ。当たり前ではあるが、それぞれの生まれと育ち、そして戦後の人生が加わると、全く重みが違ってくる。

 物語は冒頭から姉・慶子の結婚話に始まり、幾つかのロマンスが作中で展開される。これがまた、なんとも泣かせるんだ。私が好きなのは、元海軍整備兵曹長・永井清孝。ビンボくさいオッサンとオバサンの色気のないラブシーンで、なんでこんなに泣けるんだか。

 語りの圧巻は、元海軍上等飛行兵曹・景浦介山。元ヤクザのこの男、いきなり「俺は宮部が大嫌いだった。それこそ虫唾が走るほど憎んでいた」と一発かましてくる。そこから始まる彼と宮部の物語、そして景浦という男の人物像。素直に読んでも、腐った目で読んでも、感涙必至…と思ったら、やっぱり食いついてる人はいるのね。そりゃそうだわなあ。魅力的だもんね、景浦。

 姉妹の祖父・宮部久蔵とは、いかなる人物なのか。彼と祖母の関係は。なぜ「臆病者」の宮部が特攻に出撃したのか。読み終えて再読すると、各登場人物の言葉が、最初とは違った意味で響いてくる。一気に読ませる娯楽作にして、再読に耐える傑作でもある。

 ただし。決して通勤電車の中で読んではいけない。

 追記:
  宮部久蔵のモデルをお探しの方は、こちらの頁が参考になるでしょう。
   →『永遠の0(ゼロ)』100万部突破と、百田尚樹さんの回想

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2012年9月28日 (金)

豊崎由美「ニッポンの書評」光文社新書515

 わたしはよく小説を大八車にたとえます。小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で車を引っ張るのが編集者(出版社)、そして書評家はそれを後ろから押す役目を担っていると思っているのです。

【どんな本?】

 嵐を呼ぶブックレビューアー豊崎由美による、書評メッタ切り。主に小説の書評を中心に、書評と批評と感想文の違いは何か、海外と日本の書評事情、優れた書評とダメな書評など原論的な面に加え、多数の書評を引用しつつ「ネタバレはアリかナシか」「Amazonのカスタマーレビューの問題点」「1Q84の書評の読み比べ」などホットな話題も取り上げ、トヨザキ流書評術も披露する。プロを目指す人に限らず、ネット書評屋にも有益な、けど耳の痛い話題がギッシリ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年4月20日初版第1刷発行。新書版縦一段組みで本文約220頁+あとがき3頁。9ポイント41字×15行×220頁=約135,300字、400字詰め原稿用紙で約339枚。長編小説なら軽めの分量。

 ライター出身だけあって、文章は抜群の読みやすさ。テーマが書評だけに、知らない作家や作品名がやたら出てくるけど、心配御無用。ちゃんとどんな人でどんな作品か、分かる仕掛けになっている。

【構成は?】

第1講 大八車(小説)を押すことが書評家の役目
第2講 粗筋紹介も立派な書評
第3講 書評の「読み物」としての面白さ
第4講 書評の文字数
第5講 日本と海外、書評の違い
第6講 「ネタばらし」はどこまで許されるか
第7講 「ネタばらし」問題 日本編
第8講 書評の読み比べ――その人にしか書けない書評とは
第9講 「援用」は両刃の剣――『聖家族』評読み比べ
第10講 プロの書評と感想文の違い
第11講 Amazonのカスタマーレビュー
第12講 新聞書評を採点してみる
第13講 『1Q84』1・2巻の書評読み比べ
第14講 引き続き、『1Q84』の書評をめぐって
第15講 トヨザキ流書評の書き方
対談 ガラパゴス的ニッポンの書評――その来歴と行方 豊崎由美×大澤聡
 あとがき

 これもライター出身ゆえの心遣いか、短い章が連続する形なので、気になった部分だけを拾い読みできる。というか、私は、拾い読みしてたら1/3ぐらいを読んじゃって、「こりゃ全部通して読まないと」と思って入手した次第。

【感想は?】

 腹が立つ本だ。なんだって私の悪口ばかりを言うのだ。ピント外れなら笑って済ませるが、大半が図星だから余計腹が立つ。著者曰く、ダメな書評とは。

  • 自分の知識や頭の良さをひけらかすな
  • 自分語りウザイ
  • 備忘録にすんじゃねえ
  • 粗筋や登場人物の名前を間違えるな
  • 本を利用して自分の思想を押し付けるな

 思わず叫んでしまった。「俺のことか~!」。

 それでも基本的な部分では共感できる部分は多くて、例えばネタバレ問題。著者は「読者の楽しみを奪ってはいけない」という姿勢で、よって原則としてネタバレ不許可。これは私も同じ意見で、お陰で図書館戦争は苦労した。だって全部面白いんだもん。ちなみに私はノンフクションの場合ネタバレありでやってます←自分語りウザイ

 面白いのはここから。「年配の書評者は平気でネタバレかますよね、なんで?」という疑問から、日本の書評の現代史を紐解いていく。書評もそうなんだけど、文庫本の巻末の解説も年配の解説者は予告なしにネタバレかますんだよね。この疑問を巡る推理がなかなか楽しい。いいなあ、羨ましいなあ、流行るジャンルは。こちとら冬の時代と言われて久しいもんなあ←愚痴こぼすんじゃねえ

 そんな冬の時代でも誇れる所はあって。本書中で文芸誌の書評の量を計算して、最多は「小説トリッパー」がブッチギリ、ついで新潮。手元のSFマガジン2012年1211月号の SF BOOK SCOPE のコーナーを数えてみたら、計46作品、1690字×6本+670字×4本。これで新潮といい勝負。コミックや MAGAZINE REVIEW も加えると二位につけてる。しかも今回は「屍者の帝国」クロスレビュー1650字×3本つき。情報誌・広報誌の側面もあるとはいえ、相当に充実してるぞやっほー←自分の思想を押し付けるな

2012.10.06追加:SFマガジン2011年11月号には上記に加え機龍警察シリーズ評1330字+BEATLESS評2260字+スワロウテイル・シリーズ評2180字が載ってる。前月号はブラッドベリ追悼特集で代表作33作の書評が、その前は「この20人、この5作」として20人×5作=100作の書評。書評が読みたければSFマガジンを読もうw

 いや、だってさ、本の内容は必要最低限でもいい、自分なりの芸を見せればって書いてあるし豊崎さん。一般的に粗筋は書評の全文少量の1/3~1/2程度でもいいけど、佐藤優による伊阪幸太郎『モダンタイムス』の評が、粗筋をたった一行「21世紀半ば過ぎ、日本の都市を舞台としたアンチ・ユートピア小説だ」で済ますのを絶賛してるし。

 どこがいいのか。それは、佐藤氏の評に「背景があるから」。佐藤氏が今まで積んできた経験、学んできた事柄、現代社会が進む方向を見通す視点、そして豊かな教養を背景として、彼にしか語れない形で書評してるから。じゃ、私には何があるんだろう、と深く考え込んでしまう。

 素人に嬉しいのが、「第15講 トヨザキ流書評の書き方」。プロの秘術をハードウェア・ソフトウェアから運用に至るまで親切に伝授してくれてる。そうだよねえ、やっぱり付箋は必須だわ。使い方もいろいろ。見栄はらずにガンガン貼ろう。戦記物とか読んでるとつい大量消費しちゃうけど。「ノルマンディー上陸作戦」の時は大変だった←自分語りウザイ

 書評の腕を上げるコツが、掌編の名手・星新一の創作手法と同じなのは驚いた。こればっかりはなかなか真似できない。わかっちゃいるけど、やっぱり身を切られる想いというか、ついついもったいなくて。

 著者の理想が淀川長治なのも、以外だけど納得。あの人の映画紹介、凄いもんねえ。提灯持ちと言えば提灯持ちなんだけど、役者・監督・演出・衣装・大道具小道具・演出・カメラアングル・フィルムの色など、ありとあらゆる角度から誉める所を探す。それでもネタが足りなければ、出演者やスタッフの過去作を引き合いに出して聞き手を煽る。今思えば、人間離れした映画への愛情と知識あっての評なんだよなあ。

 自分語りがウザイ書評になっちゃったけど、それだけ私には身に染みる本だったって事で勘弁して欲しい。読んでて、ついつい「じゃ私はどうなんだろう」と切実に考えてしまう本だった。

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2012年9月27日 (木)

トルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」新潮社 村上春樹訳

「…この子とはある日、川べりで巡り会ったの。私たちはお互い誰のものでもない、独立した人格なわけ。私もこの子も。自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。そういう場所がどこにあるのか、今のところまだわからない。でもそれがどんなところだかはちゃんとわかってる」  ――ティファニーで朝食を

【どんな本?】

 1924年生まれのアメリカの人気作家トルーマン・カポーティによる1958年の中・短編集。第二次世界大戦時のニューヨークを舞台に、奔放な生き様で周囲を翻弄する若い女性ホリー・ゴライトリーを描き、すぐにオードリー・ヘップバーン主演で映画化され、今なお愛される中篇「ティファニーで朝食を」に加え、3編の短編を収録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BREAKFAST AT TIFFANY'S by Truman Capote, 1958。日本語版は1960年に新潮社から龍口直太郎訳で単行本が出版、その後文庫本が出て、2008年2月25日に村上春樹訳で改訂版発行。今は新潮文庫から文庫本(村上春樹訳)が出ている。単行本ソフトカバーで縦一段組み、本文約205頁+訳者あとがき13頁。9.5ポイント45字×17行×205頁=約156,825字、400字詰め原稿用紙で約393枚。短めの長編小説の分量。

 普段の村上節はやや控えめながら、それでも文章には彼のセンスがにじみ出ていて、翻訳物の小説としてはかなり読みやすい。1978年発行の龍口直太郎訳の新潮文庫版と比べると、私は読みやすさ・センス共に村上版の方が圧倒的にいいと思う。ちょっと「ティファニーで朝食を」の頭の数行を引用してみる。

龍口直太郎訳
 私はいつでも自分の住んだことのある場所――つまり、そういう家とか、その家の近所とかに心ひかれるのである。たとえば、東70丁目にある褐色砂岩でつくった建物であるが、そこに私はこんどの戦争の初めの頃、ニューヨークにおける最初の私の部屋を持った。
村上春樹訳
 以前暮らしていた場所のことを、何かにつけふと思い出す。どんな家に住んでいたか、近所にどんなものがあったか、そんなことを。たとえばニューヨークに出てきて最初に僕が住んだのは、イーストサイド72丁目あたりにあるおなじみのブラウンストーンの建物だった。戦争が始まってまだ間もない頃だ。

 龍口版だと一人称が「私」で、最初の文は「…である」で締めている。この冒頭で、どんな語り手を思い浮かべるだろう?少々歳のいった、お堅い職業の男性だろう。村上訳の一人称は「僕」で、もっと若い男性を意識させる。

 物語の形式は、30代の男性作家による、20代でデビュー直前の頃の思い出話だ。当事のカポーティーは充分に成功していたから、語り手として「私」も悪くないけど、実際の文章の大半は20代の若者の視点で語られる。まだ一作も売れていない作家志望青年の一人称としては、やっぱり「僕」がハマってると思う。

【収録作は?】

ティファニーで朝食を / Breakfast ai Tiffany's
 バーを経営する昔の友人のジョー・ベルから連絡を受け、僕は彼のバーに行った。要件は、写真家のI・Y・ユニオシ氏がアフリカで撮影した写真。写っている木彫りの彫像は、ホリーそっくりだ。モデルの女性は二人の男と旅行でその村に泊まり、去っていった。
 ニューヨークで一人暮らしを始めた作家志望の僕が住むアパートに、ホリーも住んでいた。彼女はいつも鍵をなくしては、上の階に住むユニオシさんを叩き起こしていたが、彼の苦情が効いたのか、今度は僕にお鉢が回ってきた。郵便受けには「ミス・ホリー・ゴライトリー、旅行中」とある。以来、僕の生活と心は彼女に振り回され…

 本書205頁中134頁を占める中篇。感想は長くなるので後述。
花盛りの家 / Home of Flowers
 ポルトー・フランスの娼館で働くオティリーは売れっ子だった。幼くして親を亡くした彼女は、粗野な農民に養われたが、14の時にポルトー・フランスにやってきて、そのまま娼館に居ついた。田舎育ちの彼女は娼館の暮らしが気に入り、同僚のベイビーやロシータと楽しく暮らしていた。そんな彼女の悩みは…

 悲惨な生い立ちの田舎娘が騙され娼館に売られ…ってな出だしながら、肝心のヒロインのオティリーがあまりに能天気に明るいんで、悲惨な雰囲気が全くなく、南国らしい気楽さに溢れている。その後の展開も日本の東北が舞台なら辛気臭い話に行きそうな所を、彼女は天然で跳ね返す。ボナパルトばあさんとの対決は大いに笑った。うぬん、そういう返しもアリだよね。
ダイアモンドのギター / A Diamond Guitar
 大柄で字も読め機転も利くミスタ・シェーファーは、囚人農場で厳しい懲役に従事する仲間の囚人たちから一目置かれている。既に刑期も17年を数え歳も50を過ぎたシェーファーが小遣い稼ぎの人形を作っていた時、新入りのティコ・フェオが入ってきた。若いティコは模造ダイアをちりばめたギターを持ち込み、陽気に歌った。シェーファーはティコを可愛がり…

 長い刑期ですっかり俗世を忘れ囚人生活に適応し、また囚人や看守たちからも相応の敬意を払われる立場のミスタ・シェーファーが、若く俗っ気たっぷりのティコに感化され、それを自覚して怯える様子が可愛い。どんな環境であろうと、適応しちゃうとねえ。
クリスマスの思い出 / A Christmas Memory
 「フルーツケーキの季節が来たよ!」11月も末が迫ってくると、7歳の僕はバディーの声で起こされる。バディーは60過ぎだけど、大家族で暮らす他の大人たちと違い、偉ぶらずに僕に接してくれる。うん、彼女は僕の親友なんだ。その日から、僕とバディーはフルーツケーキ作りにてんてこまい。なんたって、30個も作るんだから。

 古き良きアメリカの田舎の、大家族の暮らしを描いた短編。クリスマスを前に、フルーツケーキ作りに奮闘する少年とおばあちゃんの物語。材料は近所で買う物もあれば、近くの森や果樹園で拾ってきたりもする。野趣溢れる田舎の生活も楽しいし、歳とっても子供と同じ目線で人生を楽しむバディーも愛しい。方向性こそ全く違うけど、女性版ブラッドベリとでも言うか。
 売れっ子の小説家なら、よく質問されるだろう。「なぜあなたはあんなに面白く物語を綴れるのですか?どうやって鍛えたのですか?」と。これは、その質問への回答なのかもしれない。

【ティファニーで朝食を】

 若い作家志望の青年が一人暮らしを始め、奔放な娘ホリー・ゴライトリーに振り回される話。定職に就かず、多くの男をはべらせ、ハリウッドのスカウトをあっさり棒に振る。気ままで怖いもの知らず、「いつだって自分のことは自分でちゃあんとやってきた」と独立心旺盛。そう、まるで猫のような女の子。

 彼女の魅力に憑かれ、多くの男たちが集まってくる。例えばハリウッドで彼女をスカウトしたO・J・バーマン。せっかくのチャンスを棒に振られ、その事を恨みに思っちゃいるが、それでも彼女に未練たらたらで、彼女のいない所では「あたしはあの子のことが心底好きなんだよ」と典型的なツンデレぶり。それも男女の関係というより、父性愛的な方向で。

 好き勝手に生きているようで、安住の地を求めてもいる。ただ、今はまだ見つからないだけ。それまで、親友の猫には名前をつけない。自分が自分でいられる場所を求め、他の者に縛られる事を嫌う。

 うん、魅力的なヒロインだよね。気まぐれで猫みたいな若い女性。でも、少し痛々しい。それがまた、男たちの保護欲をそそる。「僕」、バーマン、そしてジョー・ベルも。終盤で見せる彼のツンデレは、もはや究極。オッサンのツンデレもいいもんだね。

 一般に野生動物の寿命はペットの半分程度と見られている。野性のように自由に生きようとする彼女を、周囲の男たちはハラハラしながら見守る。でも、誰も彼女に首輪をつけられない。なんとか捕まえようとしても、スルリと逃げられてしまう。

 などと女性を飼い猫に例えるのは失礼かも、と思って、彼女の男版を考えると、木枯らし紋次郎みたいな旅烏に思い至る。アメリカだと Allman Brothers Band の Ramblin' Man(→Youtube)、または Lynyrd Skynyrd の FreeBird(→Youtube)と、だいぶ明るく開放的な雰囲気になる。女性だとカルメン・マキ&OZの「私は風」かな。なんで放浪者の歌って、長いのが多いんだろう。

 旅に暮らすのは男の憧れ。そりゃ寂しかろうけど、鳥みたいに自由にアチコチに行ってみたい、そう憧れる月給取りは多いだろう。気ままな鳥や猫に惚れちまったら、どうすりゃいいのか。無理矢理飼えば長生きさせられるだろうけど、それが鳥や猫にとって幸福なのかどうか。

 旅はシンドイけど、不安定で危険も多いけど、それが彼女の生き方なら、見守るのが精一杯なのかもしれない。…というのが、普通の解釈。でも、全部読み終えると、また別の解釈もできて。こっちはネタバレありなので、末尾に。

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【ティファニーで朝食を 要注意!ネタバレあり】

 以下の文章は、根本的なネタバレを含むので、そのつもりで。

 ホリー・ゴライトリーとは何者か、というのが、この作品の解釈のキモ。自由気ままに生きているようで、その実、安住の地を探している。それは冒頭の引用でも明らか。つまり彼女は安住しないのではなく、できないのだ、というのが、私の解釈。好きで自由でいるわけじゃない。自分を野生動物に例えた後、野生動物の生き方を、彼女自身がこう語っている。

「空を見上げている方が、空の上で暮らすよりはずっといいのよ。空なんてただからっぽで、だだっ広いだけ。そこは雷鳴がとどろき、ものごとが消えうせていく場所なの」

 本当は、彼女も地に足をつけた生活がしたいのだ。だから、ホセ・イバラ=イェーガーとの話がまとまりそうになると、彼女なりに定住の準備を始める。そこが安住の地であると、自分に思い込ませようとする。

 なぜ安住できないのか。その鍵は、彼女の生い立ち。つまり、今で言うところのアダルトチルドレンではないか、と私は思っている。いやドク・ゴライトリーの事じゃない。それ以前の話。

 幼くして大人にならなきゃいけなかった人間。それは、ドク登場以前にガリ勉のミルドレッド・グロスマンとの対比で「僕」が見抜いている。

我々の大方はしょっちゅう人格を作り直す。(略)我々が変化を遂げていくのは自然なことなのだ。ところがここに、何があろうと断じて変化しようとしない二人の人物がいる。ミルドレッド・グロスマンとホリー・ゴライトリーの二人だ。(略)彼女たちが変化しようとしないのは、彼女たちの人格があまりにも早い時期に定められてしまったためだ。

 幼い頃から野生動物のように生きなければならなかったホリー。そして今でも全てを失う不安を抱えて生きている。万引きの後、彼女は語る。「今でもちょくちょくやってる。腕を錆びつかせないために」。不安を抱える反面、全てを失っても生きていける、という自信もある。身一つこそ、彼女の世界なのだから。

 浮浪児に世間の目は冷たい。だから悪意・敵意には敏感になる。「僕」に背を向けながらも、ホリーは「僕」の怒りを感じ取る。「あなたはさっきそうしたいと思ったでしょう。手の感じでわかるのよ」。

 反面、好意・厚意は理解できない。ドクの家の居心地が悪いのは、そのため。だから飛び出した。慣れたジャングルで、ルールが分かってる冷たい他人の世界で暮らすために。バーマンや「僕」の想いも、彼女には戸惑いしか与えない。でも、庇護者を求めている。だから、年配者に惹かれてしまう。ファザコンというマグ・ワイルドウッドの指摘は、ある意味あたってる。ただ、それは実在の人物ではなく、彼女の心が理想として求める父親像。

 全ての人間を、社会を彼女は信じきれない。地に足をつけたいと願う、でも他の人のように彼女は地が確たるものには思えない。どうせどっちも不安定なら、空の方が気分がいい。だから彼女は飛ぶ。

 安定が欲しい、地に足をつけたい、でもどこにも安住の地は見つからない。溜まったストレスが、「いやったらしいアカ」として噴出する。そう、青じゃない、赤なのだ。それは、怒りの色だ。敵意の中で生きてきた彼女が、世界に対し根底に持つ感情の色。

 アダルトチルドレンが人と親しくなる際、相手を「試す」。敢えて失礼な行動をして、相手が怒るかどうか、許容度がどれぐらいか、試すのだ。ユニオシは失格した。バーマンも怒った。「僕」も怒ってしまった。それが普通だ。怒りは一時的なものだ。だから三人とも彼女への厚意は続いている。でも、彼女は三人に信頼を置けない。大切な絆があるのに、それに気づくのは手遅れになってから。

「私がいなくなって淋しがってくれる人なんて、どこにもいやしない。一人の友達もいないんだもの」

「ついにこんなことになってしまった。いつまでたっても同じことの繰り返し。終わることのない繰り返し。何かを捨てちまってから、それが自分にとってなくてはならないものだったとわかるんだ」

 彼女が人を信じられれば、彼女は安住の地を手に入れられる。でもアメリカはだめ、アメリカは信じられない、幼いホリーを放り出した国だから。そして彼女はメキシコやブラジルに憧れる。そこなら、こことは違うどこかなら、人を信じられるかもしれない。

 だから、ホリーは旅に出る。安住の地を探して。こことは違うどこかを求めて。

 …ま、こんな解釈じゃ、映画は当たらないよね。結末を変えたのは正解でしょう。やっぱり可愛いオードリーにはハッピーエンドが似合うし…って、実は映画は観てないけど。

 実は小説世界じゃホリーの血は脈々と受け継がれ、21世紀の日本にも転生してたりする。なんでも神戸の高校に通ってて、こう名乗ってるそうな。「涼宮ハルヒ」と。

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2012年9月26日 (水)

ウィリー・ハンセン,ジャン・フレネ「細菌と人類 終わりなき攻防の歴史」中公文庫 渡辺格訳

 本書『細菌と人類』は、特に19,20世紀の研究者たちが、人類を苦しめてきた種々の病気の原因となった細菌をつぎつぎと発見した長い道のりを描いたものである。一方で、診断、予防、治療の領域で大きな進歩があったにもかかわらず、たとえば、ペスト、コレラ、結核などが21世紀初頭においても惨劇を招いていることには驚かざるをえない。  ――はしがきより

【どんな本?】

 人類を脅かしてきた伝染病のうち、ペスト・コレラ・結核など細菌に由来するものに焦点をしぼり、歴史上の流行・かつての対策と治療法・感染経路の特定・病原菌の発見・治療法の確立、そして現在の状況などを解説すると共に、その病気に関するエピソードを紹介する一般向け科学・医学・歴史ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は DES BACTERIES DES HOMMES, Jean FRENEY er Willy HANSEN, 2002。日本語訳は2004年4月1日中央公論新社より刊行。私が読んだのは文庫版で2008年11月25日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約282頁+著者のひとりジャン・フレネの「日本の読者に」2頁+訳者あとがき4頁。9ポイント40字×17行×282頁=約191,760字、400字詰め原稿用紙なら約480枚。長編小説なら標準的な分量。

 翻訳物のノンフクションとしては、かなり読みやすい部類。構成も短いコラムが繋がる形で、親しみやすい。医学の本ではあるが、一般人を読者対象とした本であり、特に前提知識は要らない。中学生レベルの理科と歴史の知識があれば充分に楽しめる。

【構成は?】

 はしがき/はじめに
ペスト/コレラ/腸チフス、その他のサルモネラ症/細菌性赤痢/発疹チフス/淋病/脳脊髄膜炎/ジフテリア/百日咳/ブルセラ病(マルタ熱)/結核/梅毒/破傷風/ボツリヌス病/炭疽病/ハンセン病
 日本の読者に/訳者あとがき

 それぞれの病気について10~30頁ごとの独立した章からなり、各章も1~8頁に区切られたコラムやエピソードから成っているので、気になった所から拾い読みできる親切設計。

【感想は?】

 伝染病と人類の関わりをざっと知るには手ごろな本。文章も平易で読みやすいし、科学・医学に関しても特に難しい前提知識は要らない。図版も反故で4~8頁に1頁ぐらいの割合で入っているし、各章にも1~2頁の面白エピソードを幾つか交え読者を飽きさせない工夫を凝らしている。

 ただ、その分、それぞれの病気や挿話については少々突っ込み不足と言うか、「もちっと詳しく教えてよ」ってな気分になり、つい Wikipedia で調べてしまったりする。訳者はあとがきで「本書が将来を担う少しでも多くの有為な若者の関心を引くことができれば、訳者の幸せこれに過ぎるものはない」と書いているので、そういう意味では見事に訳者の思惑に嵌っている。いや私は有為な若者じゃないけど。

 各章の構成はだいたい決まっていて、だいたい4つの事柄で出来上がっている。

  1. 病気の歴史。その病気が歴史上初めて現れたのはいつか,いつどんな形でどれぐらいの被害を及ぼしたか,かつてはどんな原因だと思われていたか,どんな治療や対策が取られたか。
  2. 科学・医学的な病気の解説。どんな症状か。罹患率・致死率はどれぐらいか。病因は何か。どこからどんな風に感染するのか。
  3. 現代医学への道のり。いつ誰が科学的に原因を究明したのか,予防法・治療法はいつ誰が発見したのか,その効果はどれぐらいか。
  4. 現代での各病気の位置づけ。今はどんな対策が取られているか。罹患率・治癒率はどれぐらいか。近年の動向と今後の見通し。

 科学史・医学史として読むと、やはり顕微鏡の発明の影響が最も大きく、次に予防接種、そして抗生物質の発見だろうか。冒頭にいきなりコッホ(→Wikipedia)の病因特定の四原則(→Wikipedia)があって、これを覚えておくと以降の章が理解しやすい。

  1. 病気となった動物の体内に病原菌が存在する
  2. 病原菌が純培養可能である
  3. 培養された菌を健康な動物に移植すると病気を生じさせる
  4. 菌がその(3.の)動物の体内から検出される

 なお、以降の章でもコッホ先生は大活躍なされます。
 最初の章のペストから、その衝撃は相当なもの。1340年代の流行では、「たったの5年間で、ヨーロッパの人口の半分が消えうせた」。感染源はネズミにつくノミ。ご婦人がネズミを嫌うのは理に適ってるわけ。

 致死率が高い病気も怖いが、感染しても症状が出ない人もいて、自覚症状が全くないのも、これまた困ったもの。腸チフスの項では、無症状保菌者「チフスのメアリー」の物語が怖い。1869年生まれのメアリー・マロン、1883年に新大陸に移民し、別荘の調理人として働く。ところがこの別荘に泊まった客は次々と腸チフスに感染し…

 下世話な興味で面白いのは、やっぱり性病。この本では淋病と梅毒を取り挙げている。どっちも歴史は古くて、淋病は「古代メソポタミア(紀元前6000~1000年)、あるいは、紀元前1000年頃の中近東で、楔形文字による記述が残されている」。梅毒もコロンブスが新大陸から持ち込んだと思われてるけど…

タラント湾にある紀元前80~250年のギリシア植民地メタポンテで発見された219の成人、53の小児の骨と歯を調査したところ、47人にトレポネーマ感染と考えられる症状が見つかっている。

 日本の俗説じゃ加藤清正が半島から梅毒を持ち帰ったといわれているけど、この本では16世紀にオランダ船が持ち込んだ事になっている。時代的にはどっちもアリだねえ。梅毒のルーツが分からない理由は二つあって、一つは淋病と併発してる場合が多いこと、もう一つはハンセン病と混同されがちなこと。なお、この本ではヒトラーも梅毒に感染していた、とある。バルバロッサ作戦の頃に脳までいっちゃったんだろうか。

 そのハンセン病の歴史は悲惨で、欧州でも昔から差別されていた模様。ドイツでは7世紀頃から隔離病棟が作られたけど、「隔離と重労働を目的としており」って、おい。これが病院の起源だけど、「中世の隔離施設における治療はどのようなものであったか。皆無である!」この本では感染ルートは不明って事になってて、「1995年の資料によると、ハンセン病原菌となんらかの形で常時接触している人でも95%は発病しない」。

 読んでて少々不安になるのが、各病気の現代の動向。先進国では20世紀末ごろに底を打ってるんだけど、少しづつ耐性菌が出てきている。そして、旧東側やアジア・アフリカの発展途上国では、なかなか撲滅できない。炭疽病の章では生物兵器の利点が挙げられてて…

 生物兵器の有用性とは、その大量生産が極めて安価に出来ることにつきる。1969年に専門家が調査したところ、一平方キロメートル内の民間人を攻撃するとき、通常の兵器では2000ドルかかるところが、核兵器を用いれば800ドル、神経麻痺性毒ガスは600ドル、そして、生物兵器ならなんと1ドルですむというのである。

 暗い話も多いけど、結核の章などはレントゲンなども関わって、科学の発展が人類の健康に大きく貢献する様子が心地よく楽しめる。分量も軽いし、「科学と歴史の手軽な本」が欲しい時向け。

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2012年9月24日 (月)

新井素子「・・・・・絶句 上・下」ハヤカワ文庫JA

「何ていっても、あたくしの親、前に女性にネプチューンって名前つけた人だから」
「ネプチューン……ネプチューンって、ポセイドンのことじゃない。女の子にそんな名前つけたの?」
「そう」
「ちょっと……ひどい」

【どんな本?】

 独特の文体でSFのみならず文学界に大きな衝撃を与え、ライトノベルの祖の一人でもある新井素子が、その本領を存分に発揮した長編SF小説。SF新人賞応募の締め切りに追われ必死に応募作を書く作家志望の女子大生・新井素子の前に、突然作中人物が現れ、日本中を大混乱に巻き込む。後日譚の短編「秋野信拓の屈託」「すみっこのひとりごと」に加え、ファンにはお楽しみのあとがきも上巻・下巻それぞれ計2本収録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は早川書房新鋭書き下ろしSFノヴェルズ、1987年4月にハヤカワ文庫JAより文庫で出版。私が読んだのは2010年9月15日発行のハヤカワ文庫JAの新装版(表紙イラストはcoco)。文庫本上下巻で本文約445頁+439頁に加え、あとがき7頁+7頁。上下巻で両方にあとがきをサービスしてくれる作家は彼女ぐらいだろう。9ポイント41字×18行×(445頁+439頁)=約652,392字、400字詰め原稿用紙で約1631枚。上巻のあとがきによると、原稿用紙1200枚との事なので、その差431枚は短編2編+あとがき2編+誤差。思ったより誤差が多いなあ。

 一人称が「あたし」、若い女性の話し言葉に近い雰囲気の独特の文体。拒否感を持つ人もいるだろうが、持たない人にとっては極めて読みやすい。SFと言っても小難しい話ではない。時折「テレポーテーション」などソレっぽい言葉が出てくる程度なので、ドラえもんなどでSFっぽい小道具に慣れている人にはスラスラ読める、というより、話が佳境に入ると紙面から視線を外すのに苦労する。

【どんな話?】

 数少ないSF新人賞に応募する作品を書き上げるため、深夜に没原稿の山に埋もれる作家志望の女子大生・新井素子。幻聴が聞こえたかと思うと、唐突に作中人物が彼女の部屋に現れた。不敗のイケメン・ヒーロー森村一郎、言語学の天才でマッド・サイエンティストの秋野信拓、信拓の妻で家事のエキスパート秋野こすもす、空間を自由に行き来できるエスパーの宮野拓、人の恋心を自由に操る美女あもーる。

 暫くのパニックはあったが、互いが状況を認識した由を確認した後、登場人物たちは何処かへと消えてゆく。何事もなかったように学校へ通う素子は、帰宅途中に男女のチンピラに絡まれ…

【感想は?】

 新井素子、やりたい放題。思う存分ハネを伸ばして書きたいように書いてる。と同時に、作家・新井素子の創作手法を惜しみなく公開しちゃってる。ライトノベル作家志望の人は必読。ただし、創作の教科書としては少々難がある。お話が面白すぎるため、読んでて夢中になってしまい、分析どころではなくなってしまうのだ。ああ悩ましい。

 当事の彼女の文体は若い女性の一人称が多く、多分に自分を主人公に重ねている感があったけど、この作品ではまんま本人を出演させている。登場人物をどう造るか、という部分もあけすけに語っていて、「ああ、やっぱりね」と思う部分もあれば、「それでよく話が作れるなあ」と思う部分もあったりする。

 いきなり当事のSF界隈の作家デビュー事情が語られていて、古いSF者は「ああ、そうだったよなあ、当時はシンドかったよねえ」などと遠い目になったり。今はライトノベルのフリすればSFガジェットを大量にブチ込んでも可愛い女の子さえ出せばなんとかなるから、いい時代になったよなあ。もちろん、話が面白いって前提は必要だけど。

 で、この作品なのだが、味付けはモロに今のライトノベルそのもの。「!」や「…」など約物の多用、会話の多用、若い女性の一人称「あたし」などの親しみやすい文体。作家志望の女子大生の前に作中の登場人物が現れる、という幕開けもそうだし、各員の設定も今なら厨二設定と言われかねない。その後の展開も相当なもの。今でこそ「ありがち」に思えるけど、当時、この手法は斬新の域を越え無謀ですらあった。受け入れてくれるのはSFとジュブナイルぐらいだったろう。

 しかも、驚くことに、この時代に「男の娘」まで登場させている。なんという先進性。

 お話の展開もやりたい放題で、目次を見ればわかるのだが、「作中人物全員会議」なんて真似までやってる。メタフィクションである。いやメタフィクションって何だか私にもよくわからないけど、筒井康隆みたいなアレ?

 などとふんだんにSF設定を取り入れつつ、作家・新井素子の私小説としても読めるのが面白い。彼女がどうやって素っ頓狂なアイデアをひねり出すのか、どんな時に作品を書きたくなるのか、行き詰った時にどうするのか、どんな作品が好きなのか。いきなり「男おいどん」だもんなあ。掴みはオーケー。

 などと上巻はライトノベルなノリで大騒動を巻き起こしつつ、少しずつシリアスな問題提起を展開し始め、下巻に入ってテーマはグッと深みを増す。深みを増しながらも、リーダビリティは全く失わない手腕に感服すべし。この辺、テーマといいキャラクターといい、どう考えてもあの「御大」の代表作に真っ向から挑戦してるとしか思えん。富田勲の重厚なシンフォニーが聞こえてきそう。

 波乱万丈の冒険物語の果てにたどり着く、誰もが抱え悩む大きな問いと、この時点での彼女なりの解、そして再び意味を問いかける作品名。グレッグ・イーガンが潔く切り捨て、チャールズ・ストロスが覚めた目でコメディにする所を、あくまで肉体を備えた人間として、この作品は対峙していく。

 登場人物では、気障の塊りで不敗の男・森山一郎が最強って設定だけど、むしろ拓ちゃんこそ最強って気がする。いや拓ちゃん、思考回路が凄まじいし。拓ちゃんこそ作家・新井素子の本領と思うんだけど、どうなんだろ。状況より自分の思い込み、理屈はうっちゃって感情タレ流し。追い込まれれば開き直り、身も蓋もない本音をブチまける。ガチガチに固まっちゃった私のオツムを、意味不明な発想と行動で木っ端微塵に粉砕してくれる。気持ちいいったらありゃしない。いや本当にいたら、相当に困っちゃう人だけど。いろいろと。

 お話のテーマは文句なしに王道のSFなんだけど、「ライトノベルの祖」への敬意を込め、敢えてカテゴリは「ライトノベル」としておく。抜群のリーダビリティ、漫画的なガジェット、動きが多く読者を放さないストーリー、若く行動r力に溢れ魅力的な登場人物、そして読者に問いかける重い課題。上質なライトノベルが備えるべき全てが、ここにある。

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2012年9月22日 (土)

マーク・ブキャナン「複雑な世界、単純な法則」草思社 阪本芳久訳

 数学は人間にとって唯一、終わりのない営みだ。物理学や生物学では、人間は事実上あらゆることを理解するようになるだろう。けれども、人間が数学を知り尽くすことは絶対にありえない。問題が無限にあるからだ。……だから、ぼくがほんとうに興味をもてるのは数学だけなのさ。  ――ポール・エルディシュ

【どんな本?】

 合衆国大統領から知り合いのツテを辿って、あなたに至るまで何人の人間が必要か?大抵の場合、解は6ぐらいになる。合衆国大統領に限らず、世界中のあらゆる人同士は、だいたい6人ぐらいのツテで繋がっている。「世界は意外と狭い」という意味で、これを「スモールワールド」と言う。このスモールワールドという概念は、物理学者が発見し、物理学・大脳神経学・地学などの自然科学から空港の混雑や貧富の差・エイズの感染まで、あらゆる場面で似たパターンが見つかっている。

 誰が、いつ、どんな風にスモールワールドを発見したのか。それはどんなモノで、どんな特徴があるのか。意図したわけでもないのに、自然にスモールワールドが出来上がるのはなぜか。どんな特徴があって、そんな違いがあり、どんな応用が考えられるのか。

 現代の数学・科学・経済学・社会学を横断してホットな話題となっているネットワーク科学の歴史と概要を多くのエピソードで綴り、最近(と言っても2002年)の動向を伝える、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Nexus : Small Worlds and the Groundbreaking Science of Networks, by Mark Buchanan, 2002。日本語版は2005年3月3日第1刷発行、私が読んだのは2005年3月18日発行の第2刷。半月で増刷だから、相当に売れたんだなあ。単行本ハードカバーで縦一段組みで本文約330頁+訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×330頁=267,300字、400字詰め原稿用紙で約669枚。長編小説ならやや長め。

 翻訳物の科学・数学解説書のわりに、文章は比較的素直で読みやすい。数学といっても、特に数式は出てこないので、特に構える必要もない。敢えて言えば、指数・対数の概念があると楽、という程度。

【構成は?】

 序章 複雑な世界を読み解く新しい方法
第1章 「奇妙な縁」はそれほど奇妙でない
第2章 ただの知り合いが世間を狭くする
第3章 スモールワールドはいたるところにある
第4章 脳がうまく働く理由
第5章 インターネットが従う法則
第6章 偶発性が規則性を生みだす
第7章 金持ちほどますます豊かに
第8章 ネットワーク科学の実用的側面
第9章 生態系をネットワークとして考える
第10章 物理学で「流行」の謎を解く
第11章 エイズの流行とスモールワールド
第12章 経済活動の避けられない法則性
第13章 偶然の一致を越えて
 訳者あとがき/図版出典/原注

【感想は?】

 内容はダンカン・ワッツの「スモールワールド・ネットワーク 世界を知るための新科学的思考法」とほぼ重なる。どちらも一般向けの解説書だが、素人が最初に読むなら、本書「複雑な世界、単純な法則」を薦める。

 ワッツ本はネットワーク科学の中心的な研究者が書いた本であるためか、詳しくはあるのだが少々専門的。本書は雑誌編集経験を持つ著作の専門家が書いているためか、素人に難しい事柄を説明するコツを心得ていて、本書の方がとっつきやすくてわかりやすい。

 なぜ世界は狭くなるのか。ご近所の人同士は、互いが互いを知っている。こういう、クラスタ化した関係だけだと、世界は狭くならない。遠くに住む、滅多に会わない人との知人・友人関係(本書はリンクと呼んでいる)が、世界を狭くするのだ。誰だって、遠くに住む友人・知人または親戚の一人や二人はいるだろう。

 ダンカン・ワッツとスティーヴン・ストロガッツは、ちょっとしたシミュレーションをした。世界人口60億人を円周上に配置して、それぞれ最も近い50人と知り合いである(リンクがある)、というモデルで、最も遠い隔たりは幾つか計算した。だいたい6千万だ。次に、ランダムに遠くの人との知り合い関係を追加した。一万リンク中2本をランダムにしただけで、最も遠い人への経路は8に激減した。

 つまり、基本的には近所の人との関係が多いが、少しだけ遠くの人とも関係がある、そういう形態のネットワークが、スモールワールドの正体である。

 スモールワールドには二つの傾向がある。貴族主義的か、平等主義か、だ。

 Web だと、Yahoo! や Google へリンクを張る頁は沢山あるが、このブログへのリンクはとても少ない。人気サイトは人気がある故に更に多くの人を集め、より充実していく。モテる奴はモテるが故に更にモテる。こういう「金持ちほどますます豊かになる」減少を、本書では貴族主義的と呼んでいる。

 この場合、一般に「べき乗則」が効く。100のリンクを持つサイトが10万あれば、1000のリンクを持つサイトは1万ぐらいで、一万のリンクを持つサイトは100ぐらい。スケールがx倍になると、その条件を満たす要素は1/yに減る。世の中、大抵はそんなモンである、哀しいことに。

ちなみにこれは私の推測だが、日本のブログのページビュー(pv)とブログ数の関係もべき乗則っぽい。ロボットを除く一日のpvが100以上のサイトは全ブログの5%~20%程度、pv200以上のサイトは2.5%~10%、pv400以上は1.2%~5%程だろう。根拠は後日。

 これに対し、平等主義的なネットワークの代表として出ているのが米国の空港。ハブ空港に集中しそうなモンだが、一つの空港が処理できる便の数には限界がある。流行ってない空港は空いてるため好評で、大空港を追い出された小型機に喜ばれる。

 貴族主義的なネットワークはハブが潰されると大ダメージを受ける。web なら Google や Yahoo! が落ちると世界中がパニックになりかねないが(少なくとも私は Google と Wikipedia が落ちるとパニックになります)、このブログが消えてもたいした問題にはならない。1999年に合衆国国防省は「潤沢な資金を持つ組織的な攻撃に備えよ」との報告を受け取っている。まあ、実際には、ハブとなっているサイトほどセキュリティ体制もしっかりしてるんだけど…少なくとも、民間では。

 逆に貴族主義的な性格を利用する事もできて、例えば性病の予防。一般に性的関係は貴族主義的で、少数の人が多くのパートナーを持つ。この少数に充分な予防体制をとらせれば、性病は一気に押さえ込める。

 ただし社会的な応用には解釈の問題で面倒くさい点があって。富の偏在は交換で緩和できる、というのは分かっている。税は交換の一形態なので、税金を取って再配分すればいい。一般に消費を活発にする政策は富の再配分を促す、とまり景気が良くなれば不公平感は減るんだけど、贅沢品に重税をかけると消費を抑えるので逆効果、とある。…税金をかければいいのか、かけない方がいいのか、どっちやねん。

 途中、捕鯨を巡って日本人には少し気に障る部分もあるけど、縁故就職のコツや放浪の数学者ポール・エルディシュなど雑学的な面白さもギッシリ。電撃実験のスタンレー・ミルグラムも顔を出したりするんで、数学・科学の学際的な方面は好きだけど数式や化学式は苦手、ってな人には格好のお勧め。

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2012年9月19日 (水)

チャイナ・ミエヴィル「都市と都市」ハヤカワ文庫SF 日暮雅道訳

「いいじゃないか。ウル・コーマの食べ物だぞ。食べてみたいくせに」
私はシナモン味のエンドウ豆と、濃くて甘い茶をコルヴィに勧めた。コルヴィは断った。
「ここに来たのはな、雰囲気にひたってみるためだ。ウル・コマの精神を感じてみようってな。ああまったく、きみは賢いよ、コルヴィ。きみがここについて知らないことは、私にも説明できない。ちょっと助けてくれないか」

【どんな本?】

 イギリスの新鋭SF作家チャイナ・ミエヴィルによる、現在の東欧らしき都市を舞台にした長編SF小説にして、殺人事件の謎を追うミステリ。ヒューゴー賞・世界幻想文学大賞・ローカス賞・クラーク賞・英国SF協会賞と燦然たる受賞歴に輝き、恐らく「SFが読みたい!2013年版」でもコニー・ウイリスの「ブラックアウト/オールクリア」とデッドヒートを繰り広げるのは確実の話題作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE CITY & THE CITY, China Mieville, 2009。日本語版は2011年12月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約506頁+大森望の解説12頁。9ポイント41字×18行×506頁=約373,428字、400字詰め原稿用紙で約934頁。

 正直言って、娯楽小説としてはあまり読みやすくない。出てくる名前が東欧風で馴染みがない上に、ハードボイルドを意識してか、二重否定などの妙に持って回った言い回しが多い。せめて登場人物一覧をつけてくれないかなあ、早川さん。

【どんな話?】

 舞台は現代の東欧。都市ベジェルのスケートボード上のそばで、若い女性の遺体が見つかる。過激犯罪課のティアドール・ボルル警部補は、リズビェト・コルヴィ巡査とともに捜査にあたる。被害者の身元は不明、目撃者は四人のティーンエイジャー。致命傷は胸の刺し傷、他にも複数の傷があり、特に顔の切り傷が目立つ。目撃証言から手がかりになりそうな灰色のヴァンを追い、持ち主を突き止めたが…

【感想は?】

 書名が示すとおり、この本の最大の魅力は都市ベジェルと都市ウル・コーマ…というより、その二つの都市を成立させている住民たち。

 両都市の発想が凄い。地図上ではたぶん東欧にあるらしいが、住民の涙ぐましい努力によって二つの都市が同じ場所に重なって成立している。といっても完全に重なっているわけではなく、一部は完全なベジェルで、一部は完全なウル・コーマ、そして一部は重なって存在している。両都市の境界は入り組んでいて、オランダとベルギーが混じりあうバールレ=ナッサウ(→Wikipedia)を更にシェイクした感じ。

 完全なベジェル・完全なウル・コーマなら問題ないが、問題は重なっている場所。地理的には重なっていても、社会・文化的には別の都市として存在している。どうやってそんな無茶を成立させているのか、というと。

 互いの住民が、互いを<見ない>ことで、二つの都市を同時に存在させるわけです。道を歩くベジェル人と、向うから来るウル・コーマ人がすれ違う際は、お互いに相手が見えていないように振る舞い、かつ、接触しないように気をつける。見えてるけど、見ない。建物も同じで、ベジェル人はウル・コーマの店や建物を<見ない>し、ウル・コーマ人はベジェルの店には入らない。

 どうやってベジェル人とウル・コーマ人を見分けるかというと、服装やしぐさ。建物や店は、様式や看板、または言語で見分ける。つまり、見分ける程度には見てるんだけど、動作としては<そこには誰もいない・何もない>かのように振舞って、二つの都市を同時に成立させている。

 お陰で小説内の記述が、やたらとややこしい。現実には人でにぎわっている街路も、歩いているのがウル・コーマ人ばかりの場合、ベジェル人が見たら閑散とした通りになる。

 いっそ統一しちまえよ、と思うのだが、両都市間の関係も複雑で、とりあえず両都市とも存続させましょう、という方向で双方の大意はまとまっている。違う意見の人もいるけど、どうやら過激派扱いされている様子。ということで、両都市間を行き来する際は、特定の場所<コピュラ・ホール>の検問を通るのが正式な方法。物理的な障壁があるわけじゃないんで、やろうと思えば簡単に越境できる場所が沢山あるんだが…

 勝手に越境したり、両国の住民が直接に会話を交わしたりすると、その行為は<ブリーチ>と見なされ、謎の組織<ブリーチ>により、厳しい処分を受ける。

 つまり、現実には壁がないんだけど、そこに住む住民の規範・文化・社会によって、壁があるかのごとく両都市が並存してるわけ。

 ここまで無茶な設定はほとんどギャグなんだが、著者はクソ真面目に設定を守って話を進めていく。とまれ一部には自嘲的にギャグを入れてて、冒頭の引用がそれ。主人公のティアドールがコルヴィを誘い、ベジェル内のウル・コーマ・タウンの店で食事する場面。これの直前のダプリール・カフェもふるってて。

 イスラム教徒とユダヤ教徒の店が合体してて、二つのキッチンがあり、それぞれイスラムとユダヤの律法に従った食事を出す。屋台村や、大型スーパーのフードコートの個人商店版かな?で、同じ店でムスリムとユダヤ人が仲良く談笑できる、という店。現実にありそうな気がするんだが、どうなんだろう。

 などと底抜けにおバカな設定ながら、お話は大真面目なミステリ・警察小説として進んでいく。こういう都市なだけに、捜査も両都市間の協力が必要となり、話は双方の警察・民間人・政治活動家・外国人を交え更に混乱した方向へ迷い込む。外国人が入国する際に必要な手続きとか、なまじ誠実に描いているのがかえって滑稽だったり。

 ベジェルとウル・コーマ、両国の並存を成立させる強制力<ブリーチ>の正体、そして第三の都市の噂。法や規範で成立させた二重都市という設定は、人の文化がどこまで物理的な世界を克服できるか、または文化がどこまで人を支配しうるか、という大きな問いを投げかけている。

 でもやっぱり登場人物一覧が欲しいぞ。

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2012年9月17日 (月)

マーシャル・I・ゴールドマン「強奪されたロシア経済」NHK出版 鈴木博信・赤木昭夫・内田義雄訳

ITERAはガスプロムから1000立方メートル当たり2.20ドルから5.20ドルという低価格で天然ガスを受けとり――ガスプロムにとっては赤字輸出となった――、それを1000立方メートル当たり40ドルから80ドルで売却してITERAとその所有者たち――だれかはご推察にまかせるが――のポケットに膨大な利益をころがりこませてきた。

【どんな本?】

 ソ連が崩壊してロシアが成立し、資本主義が導入された。この過程で莫大な財を築いた者、いわゆるオリガルヒ(新興財閥)が台頭する。しかし、その多くは国営だった企業を強奪して私物化した者たちだった。

 オリガルヒはどのような者たちで、どんな手口を使ったのか。なぜそんな事が可能だったのか。彼らはロシア経済にどんな影響を及ぼし、どんな問題を生み出しているのか。帝政ロシアからの歴史を振り返りロシア文化・経済の特質を背景に、オリガルヒがロシアを食い物にする過程と実態を多数の実名を含む挿話で語りつつ、ポーランドや中国と比較しながらロシアの資本主義化の問題点を明らかにする。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Piratization of Russia : Russian Reform Goes Away, Marshall I. Goldman, 2003。日本語版は2003年10月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み、本文約412頁+訳者あとがき10頁。9ポイント43字×19行×412頁=約336,604字、400字詰め原稿用紙で約842枚。長めの長編小説の雲量。

 読みやすさは…実は、けっこう手こずった。といっても、文章そのものは翻訳物のノンフクションとしては出来がいいほう。問題は、内容にある。つまり、もともと難しい題材なのだ。具体的には以下3つ。

  1. ロシアを扱うので、馴染みのないロシア語の人名や地名が沢山出てくる。
  2. 経済問題を扱っているので、経済の知識が必要。といっても株式会社のしくみや投資信託、担保や債権などの基礎的な概念で充分。
  3. 挿話の多くがペテンの手口の紹介であるため、人や会社が入り組んでいてややこしい。

【構成は?】

 十字路に立つプーチンのロシア――日本の読者のために
第一章 ロシアの「盗賊」銀行家たち――荒々しき東方
第二章 舞台となったのは――ポスト共産主義時代のロシア経済
第三章 帝政時代の遺産――引きつぎたくない不快なルーツ
第四章 壊れたら、修理せよ――スターリンとゴルバチョフの遺産
第五章 私有化――意図はともかく助言もタイミングもまちがい
第六章 ノーメンクラトゥーラ型オリガルヒ
第七章 成り上がり型オリガルヒ
第八章 FIMACO、ロシア中央銀行、トップのマネー洗浄
第九章 腐敗、犯罪、ロシアのマフィア
第十章 よりよい方法がなかったとはいわせない
第十一章 信用させてころりとだます――どんなに高いものにつくことか
 訳者あとがき/脚注

【感想は?】

 2003年の出版なので、社会情勢を伝える本としてはやや時期を逸している感はあるものの、素人がロシア経済の概要(というか雰囲気)を掴むには悪くない。ただ、これを読んでロシアに投資したくなる人は滅多にいないだろう。

 全般を通し、ソ連崩壊・ロシア共和国成立に伴い国営企業が私企業化されるにあたり、立場を利用して私物化した者と、その手口の暴露が多くを占める。それを通し、著者は「ロシアの資本主義化は急ぎすぎで、中国やポーランドのように徐々に移行すべきだった」と主張する。まあ急いだのにも理由があって、共産主義の復活を阻止したかったから。

 まず驚くのが、ソ連時代の経済体系。われわれにとって物の売買やちょっとした副業は別に疚しい事でもなんでもなく、貨幣が出回ると同時に発生した概念だと思い込んでいて、どころか夜なべ仕事や子供が働いて家計を助けるなんてのはむしろ美談に属する話なのだが。

 ソビエト時代は無茶苦茶で、学生や労働者の小遣い稼ぎの窓拭きのアルバイトまで違法とされてる。物の売り買いも、「自分が作った」と証明できる物だけが販売できる。いやそれじゃ卸や小売が成立しないから流通が発達しないじゃん、と思うのだが、そこは蛇の道はヘビ。ユダヤ人・グルジア人などの外国人商人やマフィアが闇経済を賄ってたり、物々交換でしのいだり。

 マクロ的にも酷くて、「ソビエトの軍事支出はGNPの20%に達していた」。これがロシアの再起を阻む。軍需産業の民生化は資本主義国でも難しい。まして統制の厳しいロシアでは。工場は生産額で評価される。生産額は総費用から計算する。費用をかけるほど高評価なら、誰も原価削減なんか考えない。

 経済の統計もいい加減。経営者は税金を払いたくないから利益を少なく申告する。「1997年までは、ロシアの国家統計委員会は、そこからくる数字のゆがみを修正するため、私有部門の経済活動を(略)申告結果に20%を上積みした数字を発表していた」。なんちゅういい加減な。

 著者はオリガルヒを三種にわける。1)国有企業の元企業長、2)共産党時代のノーメンクラトゥーラ(上級幹部)、3)ソビエトの体制外の者。建前は公開入札で決まるんだが、「だれか他人が入札に参加しようとすると、入札する場所の空港が当日になって閉鎖されるか、なにかほかの理由をつけて入札資格を剥奪された」。

 そうやって強奪した資産を、冒頭の引用のような形で己の懐に流し込む。ITERAはガスプロムの子会社で、フロリダ州ジャクソンビルに本社を置く。商品が地下資源なら多少の無茶も利くが、工場などは倒産しかねない。その場合も持ち逃げの手口があって、まず子会社を作り優良資産は子会社に移し、不良資産だけが残った親会社が倒産する。オリガルヒは子会社を得て悠々自適。子会社を西側に作っとくと、更に便利。

 輸出する際は、西側の銀行の口座に代金を振り込むよう取引相手に頼む。または輸入業者が架空の注文を出し、所定の口座に代金を振り込む。

 国内市場はマフィアが支配し、新規参入者は嫌がらせを受ける。タクシーはタイヤを切られ、ジャーナリストは殺され、なぜか税務署の監査が入ったり営業許可を取り消されたり。

 こういう無茶苦茶な手口には当然、政治の上層部も関わってて、エリツィンとプーチンも例外じゃない。プーチンを後継とする見返りに、プーチンは大統領代行に指名された翌日の2000年元旦に大統領令第一号でエリツィンと家族への刑事訴訟の免責を保障する。

 とはいえオリガルヒ全てがプーチンに従順なわけではなく、エリツィン-プーチンに批判的な民間テレビ網NTVを支配したヴラジミール・グシンスキーは嫌がらせで複数回逮捕される。彼が設立した「ロシア・ユダヤ人会議」に対抗してプーチンは「独立国家共同体ユダヤ人同盟コミュニティ」を作りグシンスキーの影響力を削ぐ。某国のラマと手口がソックリ。

 暗い話ばかりの中で光っているのが、外資企業ジレットの奮闘。なにせロシアにはマトモな流通・販売網がない。自前の構築を決意したジレット、4~5人のチームをロシア各地の古物市に送り出し、小売商にジレット製品の販売を依頼する。引き受けた商人から仕入れ元を聞きだし、卸売りを組織して流通・販売網を作り出す。

 確かに無茶苦茶な国だけど、それでもやっていけるのは石油・ガス・非鉄金属など豊富な地下資源があるから。著者曰く「日本やスイスじゃこんな真似できないよ」。地下資源があるのも考え物だなあ。

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2012年9月15日 (土)

シャーリー・ジャクスン「たたり」創元推理文庫 渡辺庸子訳

「ねえ、不思議だと思わない?どうしてこんなに何もかもが、ずっと静かなままなのかしら。こんなふうにただ待っていても、かえって気分が落ち着かなくて、何か起こってくれた方が、よっぽどマシだって思えてくるわ」

【どんな本?】

 「魔女」の二つ名を持つアメリカの女流作家シャーリー・ジャクスンが残した恐怖小説であり、スティーヴン・キングが「過去百年の怪奇小説の中で最もすばらしい」と絶賛した事でも有名な名作。「山荘綺談」を改訳。

 丘のふもとに80年間ひっそりと建っていた<丘の屋敷>の怪の謎を解くため、心霊学研究者のモンタギュー博士は協力者とともに屋敷に泊まりこむ。ポルターガイスト現象の経験者のエレーナ・ヴァンス、透視能力を持つセオドラ、そして屋敷の相続権を持つルーク・サンダースン。見るからに禍々しい様相の<丘の屋敷>で彼らを出迎えたのは、無愛想な管理人のダドリー夫妻だった。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE HAUNTING OF HILL HOUSE, by Shirley Jackson, 1959。日本語版は以前早川書房から出ていたが、私が読んだのは創元推理文庫版で1999年6月18日初版。文庫本縦一段組みで本文約313頁。8ポイント42字×18行×313頁=約236,628字、400字詰め原稿用紙で約592枚。長編小説としては標準的な分量。

 新訳のためか、古い作品のわりに拍子抜けするぐらい読みやすい。著者の語りの巧さもあって、終盤は紙面から目を離すのに苦労する。

【どんな話?】

 心霊研究家のモンタギュー博士は、80年間ひっそりと立つ“幽霊屋敷”の謎を解くため、泊り込みの実験を計画し、協力者を集める。現れた協力者は二人、加えて屋敷の所有者から一名の参加を要望され、受け入れる。

 32歳のエレーナ・ヴァンスは、病弱で小言が煩い母親の介護で11年間孤独に暮らしてきた。姉と義兄とも折り合いが悪く、友達もいない。突然に飛び込んできたモンタギュー博士の招待状に反対する姉夫婦を押し切って、エレーナは実験に参加する。

 明るく独立心の強い女性セオドアは、折り悪くルームメイトと大喧嘩したため、ほとぼりを冷ますため実験に参加した。屋敷の現所有者である叔母に疎まれた「不良の甥」ルーク・サンダースンは、面白がって参加を決めた。

【感想は?】

 巧いわ、この人。特に会話が巧い。

 序盤、エレーナ・ヴァンスが屋敷に辿りつくまでの記述が、一気に読者を物語りに引き込む。彼女と姉夫婦が車の使用を巡って争う会話が、それまでのエレーナの人生を要約しているようで、実に見事。姉とその夫の性格やエレーナとの関係について、直接は何も語っていないのに、ひしひしと関係が伝わってくる。おためごかしで言いつくろいつつ、相手の全てを否定する人間のいやらしさを、会話だけで伝える技術は名人芸。

 基本的な登場人物は四人。実験を計画したモンタギュー博士、参加者のセオドラ、屋敷の相続権を持つルーク、そしてエレーナ。物語は基本的にエレーナの視点で語られる。この視点が、特に後半、この小説では大きな意味を持ってくる。

 エレーナという人物の造形が、この作品の大きな魅力を生み出した。内気で引っ込み思案、人と張り合うのが苦手。姉夫婦との会話に続き、老女との会話が、これまた彼女の性格を雄弁に物語る。年頃は同じだが、明るく独立心旺盛なセオドアと彼女を対比させることで、この物語は大きな効果をあげている。

 終盤、エレーナが屋敷に泊まる各員の会話を盗み聞きする場面は、「もうやめてくれ~」と言いたくなるほどの痛さ。なぜにここまでエレーナをいじめるのか著者よ。

 会話の巧さが出ているもう一つの場面は、モンタギュー夫人の登場シーン。今まで鬱々とした物語に、突如現れた異分子として彼女が登場するのだが、そのキャラクターの強烈なこと。それまでの緊張の反動もあって、思わず笑い転げてしまった。博士の好みもよくわからん。

 もともと「山荘綺談」というタイトルで紹介された作品だけに、もう一人?の主人公は<丘の屋敷>。1959年のアメリカの作品だけに、一応は電気やガスもあるが、暖炉もある。カタログ・スペックだけで見たら、結構贅沢。埃臭いかと思ったら、通いの管理人ダドリー夫妻がちゃんと保守してる。

 見るからに不気味な屋敷の管理を任されるだけあって、ダドリー夫妻もなかなかの曲者。初登場時から明確な悪意を見せ付ける夫も相当なものだが、存在感が大きいのは、やっぱりダドリー夫人。事務的な会話の中で感情的な交流をきれいさっぱりと拒絶する姿勢は、クールなんてもんじゃない。

 その夫妻がいるのは昼だけ。「夜に何を叫んでも、わたしどもには聞こえません。誰にもです」とエレーナたちを脅すダドリー夫人。いかにも抑揚のない感じが、嫌な予感を逆に盛り上げる。

 肝心の「怪」は、セオリーどおり次第に盛り上がってくる。特に怖いのが、<屋敷>が明確なメッセージを示す部分。いやメッセージの意味はよくわからないんだけど、何かを伝えたがっているのはハッキリとわかる。その意味を想像すると…

 エンディングは、唐突で衝撃的。思わず何度も読み返してしまった。これもまた、その後の展開を考えると、怖くもあるけど、それ以上に私は切なかった。だってさあ、きっと、心配するのは別の事だろうし。間違った人物に感情移入したせいかもしれない。

 「魔女」の二つ名は伊達じゃない。屋敷より怪奇より、こういう救いのない心理劇を容赦なく抉り出す著者が一番怖い。

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2012年9月13日 (木)

スティーヴン・J・グールド「人間の測りまちがい 差別の科学史 増補改訂版」河出書房新社 鈴木善次・森脇靖子訳

貧困の悲惨さが自然の法則ではなく、我々の社会制度によって引き起こされているとしたら、我々の罪は重大である。  ――チャールズ・ダーウィン『ビーグル号航海記』

どのように受け入れられていようとも、名称は一つの実体すなわち存在物であり、それ自身独立した実体をもっているにちがいないと確信してしまう傾向は常に強かった。そして、もし名称に該当する真の実体が発見できない時でも、人は、それ故に何も存在しないと考えるのではなく、特に深遠で神秘的な何かが存在すると想像するものである。  ――ジョン・スチュアート・ミル

【どんな本?】

 「人の知的能力は遺伝、すなわち階級・人種・性別などで決まる」
 「人の知能は一次元の直線上に表現できる、つまり一つの数値で表せて、順序付けできる」
 「知能は生涯不変であり、劣っている者に教育を施しても無駄だ」

 これらを証明するという極めて困難な問題に、科学者たちは挑み続け、今なお絶望的な挑戦は終わっていない。進化論以前からサミュエル・ジョージ・モートンとポール・ブロカの頭蓋学・ロンブローゾの犯罪人類学・アルフレッド・ビネーのビネー尺度と新大陸での大胆な応用・チャールズ・スピアマンの因子分析など、難事に挑んだ人々の足跡を辿り、不可能に挑戦する科学者たちの粘り強さを描き出す。増補としてリチャード・ヘーンシュタイン&チャールズ・マリーの著書「ベル・カーブ」の検証を追加。

 …すんません、微妙に皮肉ってみました。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE MISMEASURE OF MAN, Revised and ex-panded, with a new introductions, by Stephen Jay Gould, 1996, 1981。日本語版は1989年7月20日初版発行、1998年11月30日増補改訂版初版発行。ハードカバー縦一段組みで本文約527頁+訳者あとがき4頁+改訂版訳者あとがき3頁。9ポイント46字×21行×527頁=約509,082字、400字詰め原稿用紙で約1273枚。長編小説なら2冊分ちょい。

 最近の翻訳物の水準からすると、文章はまわりくどくて読みにくい。クセの強いグールドの文章のせいもあるし、親しみやすさより原文への忠実度を優先した訳者の姿勢もある。も少し親しみやすさに配慮して欲しかった。前提知識として必要なのは二つ。一つは進化論の基礎。これは中学レベルで充分。もう一つは、数学の「ベクトル」の概念が、因子分析(→Wikipedia)の所で出てくる。確か中学ではやらないと思ったんだが、最近はどうなんだろう?

【構成は?】

 謝辞
改訂増補版の序
第一章 序文
第二章 ダーウィン以前のアメリカにおける人種多起源論と頭蓋計測学
       ――白人より劣等で別種の黒人とインディアン
第三章 頭の測定――ポール・ブロカと頭蓋学の全盛時代
第四章 身体を測る――望ましくない人びとの類猿性の二つの事例
第五章 IQの遺伝決定論――アメリカの発明
第六章 バートの本当の誤り――因子分析および知能の具象化
第七章 否定しがたい結論
エピローグ
『ベル・カーブ』批判
三世紀間に見られた人種に関する考えと人種差別主義
 原注/訳注/訳者あとがき/改訂版訳者あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 本書の最大のテーマは、以下の「信念」を粉砕する事だ。

  1. 知能は単一の数字で表せる
  2. その数字で人を直線的な序列でランク付けできる
  3. 知能は遺伝で決まる
  4. 知能は事実上不変だ

 これに加え、3つのサブ・テーマからなっている。

  1. 客観的で不偏と思われがちな科学者も、思い込みから誤ったデータ処理をしたり、重要な傾向を見逃したりして、都合のいい結論に誘導する事がある。思い込みは、往々にして当事の社会の「常識」に囚われる。
  2. 科学が政治と密接に関係する時、政治的に都合よく解釈が捻じ曲げられる場合がある。
  3. 因子分析とはなにか。

 上記の「信念」を証明するため、人類の多起源論から近年の「ベル・カーブ」まで、人種による知能の違いを計測しようとした科学者たちの研究を検証し、彼らの間違いの元を解き明かしていく。

 なんたって戦闘的で皮肉屋のグールドだ。そもそも原題から挑発的。これが日本語訳だと消えちゃうんだけど、ならどう訳せばいいのかというと、やっぱり無理だよなあ。

 件の「信念」はどこから来るのかというと、要は人種差別・階級差別を正当化したい、という個人的・社会的欲求のためであり、または公的教育への支出の削減要求という生臭い政治的な事情だったりする。特に米国は奴隷制が絡むため、事態はいっそう深刻だ。

 古生物学者として因子分析などの統計処理には詳しいグールドが、過去の研究のデータを再検証して「誤り」を暴くあたりは、科学解説書としてなかなかの迫力。最初のサミュエル・ジョージ・モートンの頭蓋の容量を測ったデータの処理から、冷酷かつ容赦なく批判していく。

 曰く。一般に体が大きい人は脳も大きく、男性は女性より大きい傾向があるんだから補正しろよ。種子で測った時と鉛玉でで測った時の差が人種によって違うのは、計測者の思い込みの影響だろ。都合の悪いサンプルを除くな。端数を誤魔化すんじゃねーよ。結局、素直にデータを見ると、頭蓋容量と最も強い相関が見られるのは、身長だったりする。

 オツムの大きさや形、または顔や身体の形状で分けようとする努力は、「個体発生は系統発生を繰り返す」とする反復説に基づき、「サルに近いほど劣ってる」とする理屈でやりくりしたが、ネオテニー(幼形成熟、→Wikipedia)の出現でひっくり返ってしまう。わはは。

 ってな所に出てきたのがアルフレッド・ビネーのIQ。これについては佐藤達哉の「知能指数」によくまとまってる。ビネーは「特別な教育が必要な子供を識別し、その子に適切な教育を施す」のが目的だった。が、なまじ数値で出てくると、誤解・曲解する者も出る。新大陸じゃ第一次世界大戦で徴集した新兵の適性判断に使おうとしたが…

(ロバート・M・)ヤーキーズは外国生まれの新兵のテスト平均点が、アメリカ在住年限が増えるに伴って上昇することを見いだした。

 素直に考えれば、「このテストはアメリカ文化に親しんだ度合いを示すんだろう」となるはずが、ヤーキーズの解釈が凄い。

近年の移民はヨーロッパのくずの人々、すなわちラテン系とスラヴ系の下層階級に集中していたと。長期間住んでいる移民は主として優秀な北方系の人々である。

 IQテストが作り出す多量のデータを処理するために考え出された手法が、因子分析。因子分析自体はまっとうな統計の手法でグールドも使ってるんだが、その解釈が論争を呼ぶ。この場合、第一主成分を「遺伝で決まる生涯不変のオツムの良さ」と解釈しちゃったからさあ大変。

 「障害」って概念も実は結構あいまいなシロモノで、グールドはこれをメガネで巧く説明してる。メガネがなければグールドは読み書きできないけど、メガネって補助器具があるから不自由なく生活できるし、研究もできる。メガネが簡単に手に入る社会だからグールドは普通の人として扱われるけど、そうでなければどうなるんでしょうねえ、と。逆に考えれば、現在は「障害」とされるモノも、手軽にサポートが得られれば障害じゃなくなるわけで、そういう社会の方が国民は豊かに暮らせる気がする。

 どうでもいいけど、ここ数年の私の抜け毛の量と、円:ドルの為替レートは強い正の相関があったりする。つまり私の頭頂部の砂漠化はFRBの陰謀だったのだあぁぁっ!

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2012年9月10日 (月)

仁木稔「グアルディア」ハヤカワSFシリーズJコレクション

 「過去がない俺は、空っぽだ。旨に穴が開いている。カルラはその穴を埋めてくれた。だけど、どうしても全部は……」

【どんな本?】

 期待の新鋭仁木稔のデビュー長編。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2005年版」でもベストSF2004国内編で新人ながら9位にランクイン。現代文明が滅亡した後、27世紀の中南米を舞台に、過去の文明の遺産を背景に戦乱を巻き起こす解放者たち・失った己の記憶をも求める若者と娘・二人に付き添う幼い兄妹などの群像劇と、荒廃し変容した世界の中でも迷信と差別を脱せない人間の社会を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2004年8月31日発行。今はハヤカワ文庫JAから上下巻で文庫版が出ている。ソフトカバー縦二段組で本文約460頁。8.5ポイント25字×19行×2段×460頁=約437,000字、400字詰め原稿用紙で約1093枚。そこらの長編小説2冊分。

 普通の人には不慣れなSFガジェットが出てくる点を差し引いても、日本の小説としては難渋する方。新人のデビュー作らしく文章がやや堅い上に、馴染みのないスペイン語が頻出する。とはいえ、スペイン語がこの作品に独特の味わいを与えている上に、背景となる社会の様子を伝える重要な要素になっているので、要注意。

【どんな話?】

 22世紀の末に、暴走するウイルスで人類文明は崩壊した。時は27世紀、荒廃した北米大陸と汚染された赤道に挟まれた中米は、現在のメキシコに位置するエスパニャ・南米大陸北端の西に君臨するグラナダ・東に位置するグヤナ、そしてアンティル海の諸国からなる。

 12個の知性機械(インテリヘンシア)の一つサンティアゴの生態端末アンヘルを擁するエスパニャは、アンヘルの指導の下にレコンキスタ軍を組織してグラナダを侵略、グヤナも支配下に置くために、政軍両面から圧力をかける。

 サンティアゴの噂は庶民の間に伝説として流布していた。盲目の少女トリニとダニエルの幼い兄妹は、トリニの治癒を願いサンティアゴが降臨する地、グヤナのコンポステーラを目指し旅をしている。兄妹に出会った青年JDとその幼い娘カルラは、JDの記憶を取り戻すためもあり、二人に同行を申し出る。

 だが、JDとカルラには秘密があった。山賊に襲われながら無傷で切り抜けた両名を、レコンキスタ軍が指名手配していたのだ。二人を追うアンヘルの真意は…

【感想は?】

 浅黒いイケメン青年JDと美幼女カルラ、性別不明で怜悧な美形アンヘルと誠実に付き従う少年ホアキン。美形カップルが激突する耽美な話…かと思ったら、全然違った。

 いや話の筋は両カップルを中心として進むのだが、いずれの運命も複雑で過酷な上に、他の仕掛けも盛りだくさん。中米を舞台としていることでわかるように、世界観も独特で、全体を把握するにはけっこう骨が折れる。

 書名のグアルディアとは、庇護者の意味。自分の記憶を持たない、しかし様々なきっかけで豊富な知識を思い出し、超人的な身体能力を持つ青年JDと、彼が護る幼女カルラの関係から、「つまりJDが主人公なのね」と思いながら読むと、「あれ?」ってな感じになって…

 こういう仕掛けが随所に仕掛けられていて、前半はかなり注意して読まないと後半はワが分からなくなるので要注意。まあJDとカルラは、冒頭から「仕掛けがありますよ」と予告してるんだけど。

 デビュー作のせいか、イマイチ魅力的な要素を活かしきれてない部分もある。私が悔しいのは、伝道師ホセ・ルイス・バスコンセロスと、彼に心酔するアルフォンソ・デ・ヒホン。この二人の登場場面をもっと増やして欲しかった。

 伝道師ホセ・ルイス・バスコンセロス。狂信的でありながら善意の塊。JDやダニエルに同行する旅の途中で、彼を中心に巻き起こる騒動は、それだけで長編一つが書けるぐらい魅力的な素材。この地に残るキリスト教の残滓と、「巡礼」の旅で見聞きした流言を元に、つぎはぎだらけの教義体系を作り上げ、大きなうねりを生み出していく。

 彼に従うアルフォンソ・デ・ヒホンも、単純そうで複雑な人間。野卑な愚連隊のボスで、無頼者をまとめあげる手腕と、戦闘指揮には優れた手腕を発揮するが、基本的には残忍なヤクザ者。そのくせ、バスコンセロスには心酔してて、巡礼団の庇護に活躍する。

 そう、新興宗教の教祖と、その手足となって汚い仕事を引き受ける武闘派のボスって関係。「おお、これは面白いドラマが展開するぞ~」と思ったら…まあ、これが、この人の味なのかも。しかし勿体無い。どっかで続きを書いてくれないかなあ。

 スペイン語が頻出するのも、この人の特徴。よっぽど中南米が好きなんだなあ。好きでありながら影の部分もちゃんと見てて、スペイン語と英語の対立で巧く浮き上がらせている。デ・ヒホンに代表される野卑な荒っぽさや、ダニエルの目を通してみた彼らの姿は、実に容赦ない。苛烈な世界で幼いながら狡猾に立ち回ろうとするダニエル君の奮闘も、なかなか切ないものがある。

 「勿体無いなあ」と思う所は他にもあって、それはJDが超人的な能力を発揮する場面。全般的に抑圧的な雰囲気のこの作品の中で、彼のアクションは残酷ながら実は爽快。終盤でも「待ってました!」な場面があるんだが、思ったよりあっさり。まあ、これをあまり強調すると作品の色が変わっちゃうかもだけど、やっぱり勿体ないなあ。

 終盤の舞台になるグヤナ高地、日本ではギアナ高地(→Wikipedia)という名前で有名。あの独特の地形を、こう使うか~。

 新人ながら、壮大な構想を元に書かれた年代史の一幕。かなり暗く壮絶な話だけど、終盤の展開は驚愕の連続。時間をかけてじっくり読もう。

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2012年9月 8日 (土)

かのよしのり「銃の科学 知られざるファイア・アームズの秘密」ソフトバンク・クリエイティブ サイエンス・アイ新書

 また尖頭弾は、金属などの硬い目標に斜めに当たるとすべってしまいますが、平頭弾だと食い込むので、機関砲弾にも用いられます。なお、尖頭弾を水面に撃ち込むと直進せず、跳ね上がるか急沈下しますが、平頭弾は水中を直進します。そこで船を撃つ砲弾を平頭弾にすると、目標のやや手前に着弾しても砲弾が水中を直進してくれます。

【どんな本?】

 銃と砲の違いは?口径とは?自動拳銃の自動って何?銃にはどんな種類がある?それぞれどんな特徴がある?拳銃はどれぐらいの距離なら当たる?ターミネーターが一発撃つたびに銃をグルリと回す意味は?自動拳銃はなんでスライドが動くの?自動小銃の口径を小さくして何が嬉しいの?ボルトアクションって何?熊撃ちにはどれぐらいの弾丸が必要?

 自衛隊を定年退官した著者による、銃の定義・歴史・種類・機構の名前としくみと特徴・銃選びのコツなどを、豊富な写真やイラストを駆使してわかりやすく解説した、一般向けの銃の入門書。取り扱う銃も軍用の自動小銃から民生用の散弾銃までバランスよくバラエティ豊か。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年1月25日初版第1刷発行。新書版横一段組みで本文約227頁。8.5ポイント29字×24行×227頁=157,992字、400字詰め原稿用紙で約395枚。けど紙面の半分ぐらいはイラスト・写真の図版が締めており、実質的な文字数は半分程度。ただ、機構など動きのあるモノを理解するにはじっくり図を見る必要があるので、読むには頁数相応の時間が必要。

 読みやすさ、というか、入門書としての分かりやすさは抜群。一般に兵器系の本は「どんな種類があってドコが違うか」は詳しいが、「なぜ違うか、どんな長所短所があるか」はあまり詳しく説明していない。この本はその辺を充分に配慮してて、「その機構が要求された状況」「解決すべき問題」「解決方法」「その特徴・長所と短所」などを流れとして掴める形で効果的に説明している。

 書名に「科学」がつくだけあって、ごく一部に数式が出てくるが、掛け算と割り算だけなので、あまり構える必要はない。小難しい式が必要になりそうな弾丸の軌道などは、一目見て分かるグラフで説明している。

 編集・レイアウト面での配慮も行き届いていて、まずはフルカラーが嬉しい。原則的に各記事は見開きで完結し、横組み見開きの左頁に文章・右頁に写真やイラストを配する形。注も同じ頁の下に置き、頁をめくらずに参照できるのが嬉しい。実銃や弾帯の写真も豊富で、見た目の迫力を増している。イラストはCGを多用しているが、機能に振り回されていない。グラデーションなどでリアリティを出す箇所と、単色で塗りつぶし簡素化する箇所を巧妙に使い分け、綺麗で分かりやすい図に仕上げてある。

【構成は?】

 はじめに
第1章 銃とはなにか
第2章 銃の歴史
第3章 弾薬
第4章 拳銃とサブマシンガン
第5章 ライフル
第6章 機関銃
第7章 弾道
第8章 散弾銃
第9章 銃床
 参考文献/おわりに

 各章は原則として見開き2頁の短い記事が連続する形なので、気になった部分だけを拾い読みできる。章の合間に1頁のコラムがついて、最近の動向などを紹介している。

【感想は?】

 書名は「銃の科学」だけど、実質的には「よくわかる銃入門」。一般向けの銃の解説書として、面白さ・わかりやすさ・扱う範囲など、バランスもよく価格も相応なので初心者にうってつけ。軍用・民生用の双方を扱っており、狩猟やクレー射撃にも頁を割いている。銃に興味がある人に限らず、アクション映画やシューティング・ゲームが好きな人なら、役者の動作や使う銃の種類の意味が分かる楽しみも大きい。

 なんといっても、説明の仕方が秀逸。「第1章 銃とはなにか」で大雑把に銃の種類を説明し、「第2章 銃の歴史」で様々な銃の種類と、それが出現した背景事情を語る。単に種類と特徴を説明するだけだと、暗記物みたいで頭に入りにくいが、背景事情から物語風に語られるとスンナリ理解できる。

 特に「2-12 サブマシンガンの登場 拳銃弾を使うフルオート銃」の項は、この本の長所を凝縮したような記事。日清・日露戦争の遠距離射撃が中心の戦闘風景から機関銃の登場を介し、第一次世界大戦のサブマシンガンの登場まで、兵器と戦闘形態が互いに影響しあって変化し、サブマシンガンが登場した由を、頭に入りやすい「物語のあらすじ」風に、かつ短く端的に説明してある。

 堅苦しいお勉強な雰囲気になりがちな入門書だが、この著者は所々で著者本人のキャラを披露して人間味を感じさせ、適度な眠気覚ましの効果を発揮している。自分で組み上げた実包が暴発した経験を「小さな破片がいくつか筆者の顔や肩に食い込んでいました」などとサラリと書いてるあたり、なんとも剛毅。所々に政治的な主張が顔を出したり、自著の宣伝をしたりしているが、これをウザいと取るかお茶目と取るかは評価が分かれるかも。

 「科学」としての面白さもてんこもり。例えば爆轟と爆燃の違い。一般に銃の火薬は爆燃、爆弾は爆轟。反応速度は爆轟が桁違いに速く、秒速数千mの衝撃波が連鎖反応を起こす。TNTやダイナマイトがこれで、火をつけても実は燃えるだけ。

 燃焼速度は興味深い話が多くて、口径というか弾丸の重さと火薬の種類も密接な関係がある。量と種類が同じ火薬なら弾丸が重いほど弾丸はゆっくり動き、銃腔内にある時間も長い。だから重い弾丸はゆっくり反応する火薬を使う。

 逆に弾丸が軽いなら速く反応する火薬にする。小さくても速く飛ばせば威力はあまり減らない。弾丸は重力で落ちるんで、遅く飛ぶと落ち方も大きいく、速く飛べば落ち方は小さい。自動小銃の口径が7.62mmから5.56mmに変わった理由はこの辺にもあって、距離を見誤った時の誤差が少なくて済むって利点もある。

 イラストが大きい効果を発揮してる記事も沢山あって、仕組みの解説イラストは全般によく考えられてる。自動拳銃・サブマシンガン・自動小銃、それぞれ全く違うのね。しかしサブマシンガンの単純さには感服。ジャム防ぐのは難しいだろうなあ。

 拳銃弾を使うサブマシンガンと比べ、小銃弾を使う機関銃は重くないと反動で銃が暴れて狙いが決まらない。軽機関銃(分隊支援火器、主に5.56mm弾)は10kg~15kgで想定の射程は300mぐらい。7.62mmは中隊機関銃として射程1000m~2000mを担当、12.7mmのは装甲車とかを撃ち抜くのに使う。銃身は200発~300発撃つと焼けて曲がるんで、予備銃身を持ち歩く。

 構造では弾丸の種類もイラストが秀逸。タングステン合金の芯が入ってる徹甲弾丸とお尻に曳光剤が入ってる曳光弾が一目でわかって嬉しい。凝りすぎの炸裂焼夷弾には笑った。さすが職人の国ドイツ。

 著者は趣味で狩猟もやるらしく、末尾近くは民生用の銃の話が多くなる。「初心者が最初に買うならスライドアクション銃をおすすめします」なんてあたり、本当に銃が好きなんだなあ、などと感じてしまう。

 「ターミネーターが一発撃つごとに銃を折ってグルッと回してたの、あれ多分レバーアクションだろうなあ」とか「地球防衛軍のライサンダーはきっとボルトアクション」とか、映画やゲームでの火器やアクションの楽しみが増すのも嬉しいところ。

 同じ傾向の本としてはNRAの「銃の基礎知識」があるけど、敷居の低さ・面白さ・分かりやすさ・扱う範囲,そしてお値段など、あらゆる面で「銃の科学」の方が優れている。初心者には格好のお勧め。

 最後に恥を告白しておこう。私は今までサブマシンガンと軽機関銃を混同してた。ああ恥ずかしい。

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2012年9月 7日 (金)

デイヴィッド・アーモンド「肩甲骨は翼のなごり」東京創元社 山田順子訳

 「絵を描くのは、世界をよりよく見ることなんだよ。自分が目にしているものを、細かいところまでよく見る助けになる。それ、知ってた?」

【どんな本?】

 現代イギリスの作家デイヴィッド・アーモンドによる、ちょっと謎めいた雰囲気の児童文学。1998年ウィットブレッド賞児童文学部門・イギリス図書館協会の児童文学賞であるカーネギー章受賞作。作文とサッカーが得意な少年マイケルが、引っ越した先の崩れかけたガレージで発見した「彼」、そして秘密を共有する隣の少女ミナ。春の訪れは、マイケルに何をもたらすのか。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SKELLIG, by David Almond, 1998。日本語版は2000年9月25日。今は創元推理文庫から文庫版が出ている。ソフトカバー縦一段組みで本文約174頁。9ポイント45字×20行×174頁=156,600字、400字詰め原稿用紙で約392枚。長編小説としては短め。

 児童文学だけに、文章も読みやすさに気を使っている模様。段落は短めだし、会話の割合も多い。構成も多数の短い章が続く形になっている。読み始めたら、あっさりと読み終えてしまう。

【どんな話?】

 サッカーが得意な少年マイケルの一家は、冬の終わりに引っ越した。新居は家も庭も荒れ果て、ガレージは崩れかけている。産まれたばかりの妹は体調が悪く、マイケルもおかあさんもおとうさんも心配している。学校は転校せずに済んだ。バスで通わなきゃいけないけど。

 ガレージを探検したマイケルは、そこで「彼」を見つける。ほこりとくもの巣と青蝿の死体にまみれた彼は、死んでいるように見えたが、しわがれた声でマイケルに問いかけた。「なにが望みだ?」

 隣に住む少女ミナは変わっている。初めて話した時は、木の枝に座ってブラックバードを写生してた。学校には行っていないけど、難しい喋りかたをするし、ブラックバードの巣のありかもしっている。マイケルは「彼」の事をミナに打ち明け…

【感想は?】

 アメリカの作家だと思って読み終え、解説を読んだらイングランドの作家だった。原題の Skellig はアイルランドの島の名前だそうなので、お好きならケルト風の解釈をしてもいいかも。

 読了感は爽やかで、少しだけ寂しいけど、静かな希望が残る。若い人ほど楽しめると思う。

 出だしはマイケル君が新居に呆れる場面から。一人暮らしの老人が住んでいた家で、ほこりだらけで全面改装の必要あり。庭も荒れ果て、雑草が生い茂っている。最悪なのはガレージで、セメント袋や錆びた釘などのガラクタが散乱している上に、建物自体が崩れかけでいつ崩壊してもおかしくない。

 ってんで、立ち入り禁止を言い渡されたマイケル君だが、そこはイタズラ盛りの男の子。目の前に小型とはいえお化け屋敷があれば、冒険せずにはいられない。おそるおそる入ってみたら、とんでもないモノを見つけてしまい…

 お行儀がよくおとなしめの文章だが、マイケル君は本来活発な子。サッカーでもスライディングが上手で仲間から頼りにされている。そういう子供を静かな文章で書くのは、やっぱりイギリスだから、かな。

 夜にはフクロウの声が聞こえる所だから、舞台は都会じゃない。でもバスで学校に通えるし、あまり田畑の風景も出て来ないんで、地方都市の郊外ぐらいに思えばいいんだろうか。

 そのためか、世界は意外とワイルド。ご存知の通りフクロウは愛らしい外見に似合わず肉食だし。冒頭から、作品には死の匂いが色濃く立ち込めている。新居は一人暮らしの老人が孤独死した家だし、あかんぼうの妹も入退院の繰り返し。おまけにマイケル君は転居で少々参ってる。他にも鳩の死骸など、死を思わせる表象が満ち溢れている。

 などと鬱屈した所に現れる「彼」と、隣の女の子ミナ。「彼」のことはおいそれと人に言えないが、彼女なら大丈夫だろうと考え、秘密を打ち明け…

 いいねえ、少年と少女の秘密。バーネットの「秘密の花園」以来の、児童文学の黄金パターン。あれも秘密の共有から始まる死と再生の物語だった。これもソレっぽい部分があって、ペルセポネ(→Wikipedia)なんてシンボルも出てくる。季節が冬の終わりなのも雰囲気を盛り上げている。「秘密の花園」は庭が重要な意味を持っていたように、この物語でも庭が重要な役割を担う。

 もうひとりの重要な登場人?物は、猫のウィスパー。マイケルとミナの冒険に同行し、けど猫の気まぐれを発揮して勝手に動き回る。田舎の猫はヤワじゃない。

 子供時代ってのはわからない事だらけで、行動の自由も少ない。子供なりにシンドイ事もあるけど、子供にしか体験できない事もあるし、過ぎてしまった時代は戻らない。それでも、幼い頃に体験した事は深く心の中に残るし、大人になっても影響を与え続ける。知った世界の中には、誰にも信じてもらえない事だってある。

 原題の Skellig を「肩甲骨は翼のなごり」としたセンスには脱帽。詩情を漂わせ、かつ内容を伝えるという点では、原題を越えていると思う。タイトルが気になった人なら、きっと感性が合う。

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2012年9月 6日 (木)

ビー・ウィルソン「食品偽装の歴史」白水社 高儀進訳

自分が買ったサフランが本物かどうかを知る簡単なテスト法がある。科学的な技術は必要でない。サフランを一撮み、湯を入れたコップに入れる。黒っぽい色が拡散するのに数分かかれば、それは本物である。だが、すぐに湯が黄色くなれば、それは偽物で、騙されたのだ。

【どんな本?】

 ワインに鉛を混ぜ味を誤魔化す・チコリーでコーヒーの嵩を増やす・菓子を銅と緑青で色付けするなど、消費者を危険に晒す偽装食品を製造・販売する業者と、それを化学・顕微鏡・果てはDNA鑑定までを使って暴こうとする科学者や報道機関の戦いの歴史を綴ると共に、マーガリンのような「代用」食品や現代の化学調味料・合成着色料など偽装に該当するかが微妙な事例を挙げ「偽装」の概念を問い直し、フランスの原産地呼称統制によるローヌ産ワインなどの保護政策を紹介して食品偽装対策の未来を探る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Swindled, by Bee Wilson, 2008。日本語訳は2009年7月20日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約400頁+訳者あとがき4頁。9ポイント45字×20行×400頁=360,000字、400字詰め原稿用紙で約900枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 文章は翻訳物のノンフクションとしては標準的な読みやすさ。硼酸など所々に化学物質の名前が出てくるが、中学二年生程度の理科の知識があれば充分だろう。それより、主な舞台がイギリスとアメリカであるためか、単位がヤード・ポンド法である点と、ナツメグやチコリーなど馴染みのない食品が出てくるのが敢えて言えば難点。

【構成は?】

 序
第一章 ドイツのハムと英国のピクルス
第二章 一壺のワイン、一塊のパン
第三章 政府製マスタード
第四章 ピンクのマーガリンと純正ケチャップ
第五章 紛い鵞鳥の仔とペアナナ
第六章 バスマティ米と乳幼児用ミルク
 エピローグ 21世紀における混ぜ物工作
  訳者あとがき/参考書目/原注

【感想は?】

 食品偽装を防ぐには、政府の強力な介入が必要で、責任は買い手(消費者)ではなく売り手(企業)に負担させよ、と著者は主張している。大きな政府を求める社会主義的な思想であり、小さな政府を求めるリバタリアンとは対照的な立場だ。まあ日本じゃリバタリアニズムはあまり流行っていないし、食品の安全性には敏感だから、反発を感じる人は少ないだろう。

 食品偽装への武器となるのは、科学と報道だ。冒頭に出てくるフレデリック・アークムが1820年にイギリスで発行した「食品の混ぜ物工作と有害な食品について」が大きな転回点となった。銅で色付けしたピクルス・硫酸で味付けした酢・痛んだ牛乳と米粉や葛鬱金で作ったクリームなどを暴き、化学的な真偽判定法を紹介する。例えば、オリーヴ油と芥子の油は、凍らせればよい。オリーヴ油は凍るが、芥子の油は凍らない。

 残念ながら極端に自由主義的な当事のイギリスではアークムは受け入れられず、スキャンダルで失脚しドイツへ帰る。

 だが、やがて彼の後継者が現れる。医師アーサー・ヒル・ハッサル博士と、大衆向け医学雑誌「ランセット」の出版者トマス・ワクリーだ。ハッサルの武器は顕微鏡。1851年~1854年の連載で、彼らはロンドンの店舗で買った食品とその分析結果を、店舗名と宣伝文句と共に公開する。シナモン19個のうち本物は6個、42個のマスタードは全て偽物。だがナツメグ12個は全て本物で、ハッサルはそれを正直に発表する。

 買い物の時間も重要だ。長時間働く労働者は土曜の夕方5時~七時にしか買い物できず、売れ残りのしなびた品物しかない。現代日本でも若い独身者はコンビニのお世話になるけど、一般にスーパーに比べ割高なんだよね、コンビニは。

 大反響を呼んだ連載に対し、見事な反撃をしたのが乾物屋クロス&ブラックウェル。

  1. まずピクルスなどの保存食品に銅を使った由を素直に認める。
  2. 全ての製品から銅など有毒な着色剤を取り除く。
  3. 改良した由を大々的に宣伝する。

 クロス&ブラックウェルは「地味な色は本物の印」と販売促進に逆用して大幅に売り上げを伸ばし、ハッサルも賞賛する。危機管理のお手本みたいな対応だ。

 食品偽装と言っても定義が難しい。コーヒーに焦げた小麦粉を入れ量を誤魔化すのは文句なしにクロだが、お汁粉に一撮みの塩を入れ甘みを増すなどの「隠し味」は偽装になのか。マーガリンはバターの代用品として登場したが、名前からして完全に「別のもの」と明言している。どうでもいいけど私はパンに塗るならマーガリン、料理に使うならバターが好き。

 新大陸アメリカでは清教徒的な「純粋食品」を求めるエラ・イートン・ケロッグ、マーガリンを敵視する酪農家、「人体実験」を行ったハーヴィー・ワイリー、小説「ジャングル」で悲惨な精肉工場の実態を描いたアプトン・シンクレア、保存料の安息香酸塩を押さえ砂糖と塩とヴィネガーを増やして高価格を設定して成功したハインツ社などを通し、20世紀へ向かう。

 全般的に欧米の食品を扱っているが、日本人として複雑な気持ちになる部分も多い。例えば小麦。小麦のビタミンとミネラルの大半は小麦の外側の層に入っているが、能率的なローラー製粉法ではふすまが失われビタミン欠乏症の危険が増す。日本でも脚気が江戸病と言われた事を連想する。

 飼育方法の変化でチキンの脂肪分が35年前の三倍近くになり、牛肉も脂肪が筋肉の間にまで入り込んでいる、と警告しているが、霜降りの神戸牛が大好きな日本人としてはなんとも。

 また、合衆国純正食品薬事法の条項402aは「不潔な、悪臭を放つ、腐敗した物質」を禁じていて、その例としてタイの魚醤とスティルトンの黴を挙げているが、納豆も腐敗といえば腐敗だし人によっては悪臭なんだよねえ。いえ私は好きですが、納豆。

 食品添加物をシンセサイザーのごとく操る現代のフレイヴァリスト、二次大戦の食料統制の元で逆にロンドン市民の健康状態が改善した話、果実などにどうしても混入してしまう動物の毛や昆虫の破片、ビタミン強化食品などを紹介しつつ、明るい話題としてアメリカとイギリスの食品成分表示とフランスの原産地保護指定を、暗い話題として中国とバングラデシュの偽物横行の実態を報告して終わる。

 毒餃子や生レバーなどの騒ぎを見ると、日本人も食品の安全性には強い関心を持っている。この本を読む限り、全般的に社会は食品が安全になる方向に向かっている気がする。だが、偽装と暴露は科学という同じ道具を使ういたちごっこであり、何らかの形で政府の関与は必須だ。どんな形が理想なのか、落ち着いて考えるにはいい材料だろう。

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2012年9月 3日 (月)

F.W.クロフツ「樽」ハヤカワ・ミステリ文庫 加賀山卓郎訳

 ワイン樽よりやや大きい。高さは3フィート6インチ(約1メートル)、直径は2フィート6インチ(約80センチ)近い。すでに触れたように、並外れて頑丈に作られていて、折れた部分から判断すると、樽板の厚さは2インチ(約5センチ)はある。それほどの厚さのものをまげるのはかなり骨が折れるのだろう。樽というより円筒に近く、その結果、上下の蓋は異様に大きい。

【どんな本?】

 1920年にイギリスで発表された、ミステリ作家F.W.クロフツ(→Wikipedia)のデビュー作。樽に詰められた死体と金貨を巡り、ロンドンとパリにわたる「誰が・いつ・どこで」を巡る謎と、それを追う警察と探偵を描く、本格派推理小説の古典にして定番といわれる作品。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE CASK, by Freeman Wills Crofts, 1920。日本には1935年から紹介されているが(→Wikipedia)、私が読んだのは2005年1月31日発行のハヤカワ・ミステリ文庫版。文庫本縦一段組みで本文約487頁に加え、森英俊の解説「すべてはそこから始まった」12頁を収録。もちろん、解説はネタバレしていないので、先に読んでも大丈夫。本作出版の背景などを紹介しているので、詳しくない人には格好のガイドとなる。8.5ポイント40字×18行×487頁=350,640字、400字詰め原稿用紙で約877枚の大作。

 訳文は今読むと「やや上品」な印象があるうが、これは作品発表の時代を意識した意図的なものかも。それより、重要なのは、イギリスとフランスの地理と、当事の旅行事情。なにせテーマが「誰が・いつ・どこで」だ。ロンドン←→パリ間の人とモノの移動・輸送経路と、その所要時間に詳しいほど、楽しみが増す。

【どんな話?】

 ロンドンの埠頭に荷揚げされた樽の一つが破損し、中からソヴリン金貨21枚と女性の手が出てきた。他のワイン樽とは違い異様に重く頑丈だ。荷札も妙で、中央部分が切り取られ、荷受人の住所は裏から貼られた別の紙に書いてある。運送会社社長エイヴリーと担当のブロートンはロンドン警視庁に報告するが、そのスキに樽は荷受人のフェリックスに持ち去られてしまう。捜査を担当するバーンリー警部は聞き込みを始め…

【感想は?】

 とことん辛口のミステリ。テーマを「誰が・いつ・どこで」の謎解きに絞り、その分、登場人物は恐らくは意図的に月並みな人物に描き、プライベートな描写は小説として成立するのに必要な最低限に抑えてある。例えばバーンリー警部が独身か既婚かすら分からない。なんか独身っぽい。

 なんたって、肝心の探偵役まで次々と交代する始末だ。最初はロンドン警視庁のバーンリー警部、第二部に入るとパリ警視庁ルファルジュ警部との合同捜査となり、第三部では私立探偵のジョルジュ・ラ・トゥーシュへとバトンタッチする。私立探偵が出てくるんだから官警 vs 探偵となるかと思いきや、バーンリー,ルファルジュ両警部は、ほぼ完全に退場してしまう。なんという潔さ。あくまでテーマは謎解きで、人物の魅力で読者を引っ張る気はまったくない模様。

 だいたい、書名からして素っ気無い。「樽」だ。読めば、まさしくテーマそのものを示しているのとわかるのんだけど。死体が入った樽が発見される。樽は特別なシロモノで、事件の前後、複雑にロンドンとパリの間を行き来している。「誰が・いつ・どこで」死体と金貨を詰めたのか、その謎を解き明かすのが物語の主題。

 現代日本の読者にとって、これは少々敷居が高い。何せ当地の地名がホイホイ出てくるし、鉄道・水運事情が密接に関係してくる。現代日本の鉄道は東京駅中心になりつつあるが、中央線の下りは新宿発が多いし、東北線や上越線は上野発もある。当事のロンドンやパリはもっと徹底しているらしく、行き先によって北駅やサン・ラザール駅など様々な駅を使いわけている。この辺の事情が飲み込めてないと、肝心のトリックがよくわからない、というか、私はわからなかった。

 もうひとつ、重要なのが時代性。1920年、日本の年号だと大正九年。第一次世界大戦が終わった直後で、国際連盟が発足した年。この当事、ロンドン・パリ間の旅行事情は、というと。物語中でパリからロンドンへ向かう場面の会話を拾ってみよう。時刻は午後の早い時間。

「行かなければならないのなら、すぐに発ったほうがよさそうだ。今晩海峡を渡り、ロンドン警視庁に、そうですね、明日11時にうかがいます」

 所要時間はだいたい丸一日。地図で見ると、パリ・ロンドン間は直線距離で約350km。日本だと東京・京都ぐらいの距離。実際の移動距離は約500~600kmほどか。パリから鉄道でカレーまで行き、船に乗り換えイギリスのドーヴァーで上陸、再び鉄道でロンドンまで、というのが距離・時間ともに最短かな?あ、それと、この物語に空路は出てきません、念のため。そういう「珍しいガジェット」を使ったトリックではなく、至って(当事の感覚では)常識的な手段によるもの。

 最近の高村薫などと比べると、人間関係の葛藤もほとんどない。ロンドン・パリの合同捜査にしても、妙な縄張り争いのような記述は全くなく、バーンリー警部&ルファルジュ警部のコンビもスムーズにチームを結成する。両名共に職業的な経験を活かした技巧には優れているものの、基本的には地道に足で手がかりを拾っていくタイプ。著者の関心はあくまで「謎を論理的に解明する」点にあり、人間の内面には踏み込まない。

 その分、謎解き関係のネタは豊富で、なんと靴跡のイラストまでつけるサービスぶり。中盤では「今までにわかった手がかり」を箇条書きにしてリストアップしてる。捜査線上に浮かんでくるちょっとした機械や、その運用法も重要な意味を持っていたりして、こういった所は、本職の鉄道技士らしい几帳面さというか、エンジニア魂が炸裂してるなあ、なんて気分になる。

 肝心の謎は、「おお、言われてみればそうだよね」という、至って常識的な、だが充分に読者の意表を突くもの。ミステリとしてはとことんフェアで、かつ堂々としたトリックだ。小説としては地味だけど、「とにかく謎解きが好き」で、メモを取りながら読むのも厭わないコアな人向け。

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2012年9月 2日 (日)

ユージーン・H・カプラン「寄生虫のはなし わたしたちの近くにいる驚異の生き物たち」青土社 篠儀直子訳

 1937年の万国博覧会で、やせ薬だとのふれこみで、ある製品が売られたことがあった。やがてスキャンダルが勃発する。この製品の有効成分として、ヒトに寄生するウシのサナダムシ、無鉤条虫の頭節が大量に使われているとわかったからだ。
 このサナダムシ薬は、健康でがっしりとした太り気味の人には効かなかった.。

【どんな本?】

 ホフストラ大学海洋研究所所長の著者が、世界各地で実際に観察・体験した寄生虫や、学生に実地訓練を行った阿鼻叫喚の授業の様子を交えつつ、なまなましくもユーモラスに、寄生虫や共生のエピソードを紹介する一般向けの科学解説書。

 出演者はマラリア原虫・カイチュウ・フィラリア・日本人に馴染み?のアニキサスなどの寄生虫を始め、ヒル・珊瑚・カッコウ・コバンザメなどバラエティ豊か。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は What's Eating You? : People and Parasites, by Eugene H. Kaplan, 2010。日本語版は2010年12月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約404頁。9.5ポイント46字×18行×404頁=334,512字、400字詰め原稿用紙で約837枚。長めの長編小説の分量。

 文章は、翻訳物の科学解説書として標準的な読みやすさ。科学解説書だが、数式や分子式は出てこないので、特に前提知識は要らない。国語が得意なら中学1年生でも充分に読みこなせる。ただ、単位系がヤード・ポンド系なのは少し不親切。また、テーマが寄生虫だけに、潔癖症の人にはお勧めできない。

【構成は?】

 はじめに――個人的寄生体/謝辞/おわび/生命の神聖さについて
序章 しょっぱい解決――内なる海
第1章 微笑の国……赤痢アメーバ
第2章 ヨルダン・ローズとの遭遇……リーシュマニア
第3章 わたしはアフリカに農場を持っていた……マラリア原虫(1)
第4章 あるマウスの死……マラリア原虫(2)
第5章 親密な関係……カイチュウ
第6章 肛門をのぞき見る――わが子の……ギョウチュウ
第7章 ぶらぶらイヌ……フィラリア
第8章 燃えるヘビ……メジナ虫
第9章 ほとんどありえないこと……アニキサス
第10章 反ユダヤ主義のサナダムシ……サナダムシ(1)
第11章 母はわたしにほんもののドクターになってもらいたかった……サナダムシ(2)
第12章 マーフィー夫人の赤ちゃん……サナダムシ(3)
第13章 マッチョ・テストに落第した日……肺吸中
第14章 聖書のなかの災い……住血吸虫(1)
第15章 路地裏のネコとカモメたち……住血吸虫(2)
第16章 よりよいネズミ捕り……吸虫たちの上陸
第17章 スキャンダルと幽霊……単生吸虫
第18章 とげとげ頭の怪物たち……鉤頭虫
第19章 血を吸う野獣たち……ヒル
第20章 ゴキブリに寄せる頌歌
第21章 コウモリ、虫、咬みつくやつら
第22章 ちっちゃなノミの背中にもっとちっちゃなノミが
第23章 毛ジラミ撃退法
第24章 野生の処女たち……ハエ、トリパノソーマ
      説明不可能な行動――すぐれて親密な関係というものがある
第25章 さかさまの世界
第26章 カリブの一日
第27章 チー、チー、シジュウカラさん――カッコウの話
第28章 生命のゲーム――そのカテゴリーに名前をつけよ
第29章 讃歌……カエルと寄生虫
第30章 旅行者に送るチップ……ランブル鞭毛虫、マンソン孤虫、ヒトヒフバエ、肝蛭
 エピローグ
  典拠/図版引用文献/訳者あとがき/用語集/索引

 ほぼ独立した10~20頁の章が並んだ構成なので、気になる所だけを拾い読みしてもいい。注は同じ見開きまたは次の見開きにある。

【感想は?】

 テーマが寄生虫なだけに、繊細な人は注意。しばらく寿司や生野菜が食べられなくなる。ヌトヌト・ウニョウニョな生き物が続々と出てくる上に、糞便や解剖の話も多いので、想像力豊かな人も食前に読むのは控えよう。動物実験では意図的に猫やマウスを寄生虫に感染させる場面もあるので、動物愛護精神に富む人も避けるが吉。では、覚悟はいい?

 出てくる寄生虫は、やはり人間に寄生するものが多く、様々な地域のエピソードが出てくる。

 いきなり怖いのが、リーシュマニア。食糧問題などでおなかの膨らんだ子供の写真をよく見るが、その原因のひとつがこれ。本来なら免疫機能を果たすはずの白血球に潜み、肝細胞に入りこむ。細胞と大量の白血球で脾臓・肝臓が膨らみ、腹水が溜まって腹が膨らむ。伝播するのは地を吸うサシチョウバエ。ネズミ・猫・イヌ、そしてヒトを襲うので、ペットや家畜からも感染してしまう。

 社会問題として考え込んでしまうのが、エジプトの灌漑用水路の巻貝に潜むセルカリアが伝播するビルハルツ住血吸虫。ヒトの皮膚から侵入し肝臓で成長し、膀胱の上の血管に住み着き、毎日数百の卵を産む。卵は炎症を起こして膀胱に穴をあけ、多ければ毎日約0.5リットルの血液が漏れる。尿はオレンジ色に染まり、身長は伸びず、肝硬変を患い、疲労倦怠感を抱える。古代エジプトのミイラの肝臓からも痕跡が見つかっている。

 アスワン・ハイダムで増えた水路が感染率を100倍に跳ね上げた、というから酷い。著者はアスワン・ハイダムに批判的で、「7つの災い」を挙げている。

  1. ナイル川が運ぶ肥沃な土壌が失われ収穫が減り、農民は欧米から肥料を買う羽目になった。
  2. 農地拡張で収穫物を入れる倉庫が増えラットの生息地も拡大し、線ペスト襲来の危険が増えた;ラットにつくノミが感染源。
  3. ナイルが運ぶ肥沃なミネラルが地中海に入らなくなり、漁獲高が減った。
  4. ナセル湖の造成で村人が退去させられた。
  5. 灌漑用水路が住血吸虫病を蔓延させ、ダム完成後の四年で元は10%だった子供の感染率が7倍になった。
  6. 住血吸虫は膀胱がんの発症率を上げる。
  7. 中東戦争でエジプトが勝てないのは農民兵士が住血吸虫病で弱っているから?

 こじつけっぽいのもあるけど、特に熱帯で水路を下手に弄ると思わぬ副作用がある、と実感させられる。

 教授としての著者の姿勢がよく出ているが、授業でマウスにマラリア原虫を感染させる実験。学生を二人一組にし、「マウスの命を救え」と課題を出す。中にはジントニックをマウスに与える生徒もいるとか。結局、約二週間でお陀仏なんだけど。

 最近はあまり見ないけど、昔は住居にネズミがいた。これが媒介するのがサナダムシ。なんとモスクワじゃ97%の感染率って、大丈夫かおい。コネティカット州のペットショップで売られていたラットの1/3が小形条虫に感染していた例もある。けどサナダムシは腸内で「人口」を調整し、あまり悪さはしない模様。また「ほとんどの甲虫にはサナダムシがいる」ので、カブトムシを飼うなら注意が必要かも。

 笑っちゃったのがシラミの対処法。胸毛や腕毛に住み着くコロモジラミは衣服に住み着くので、「医学文献では、コロモジラミを退治する策として、三、四日服を着ないでいることが推奨されている」。裸族は清潔なのだ。ちなみに毛シラミの退治法は…

  1. 陰毛の中心部分を、幅一インチの帯状に剃る。
  2. 片側の陰毛部分にケロシンを塗る。
  3. そこに光を当てる。
  4. シラミが剃毛部分に出てきたら、アイスピックでつぶす。

 末尾近くになると深海の熱水噴出孔の生態や、サンゴと藻の共生など、本業の海洋生物の話は中心になって、最後は爽やかな気分で読了できた。

 しかし、これだけ多様な寄生虫がいて、よくも今まで人類は生き延びてこれたなあ。つくづく感心してしまう。

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