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2012年9月28日 (金)

豊崎由美「ニッポンの書評」光文社新書515

 わたしはよく小説を大八車にたとえます。小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で車を引っ張るのが編集者(出版社)、そして書評家はそれを後ろから押す役目を担っていると思っているのです。

【どんな本?】

 嵐を呼ぶブックレビューアー豊崎由美による、書評メッタ切り。主に小説の書評を中心に、書評と批評と感想文の違いは何か、海外と日本の書評事情、優れた書評とダメな書評など原論的な面に加え、多数の書評を引用しつつ「ネタバレはアリかナシか」「Amazonのカスタマーレビューの問題点」「1Q84の書評の読み比べ」などホットな話題も取り上げ、トヨザキ流書評術も披露する。プロを目指す人に限らず、ネット書評屋にも有益な、けど耳の痛い話題がギッシリ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年4月20日初版第1刷発行。新書版縦一段組みで本文約220頁+あとがき3頁。9ポイント41字×15行×220頁=約135,300字、400字詰め原稿用紙で約339枚。長編小説なら軽めの分量。

 ライター出身だけあって、文章は抜群の読みやすさ。テーマが書評だけに、知らない作家や作品名がやたら出てくるけど、心配御無用。ちゃんとどんな人でどんな作品か、分かる仕掛けになっている。

【構成は?】

第1講 大八車(小説)を押すことが書評家の役目
第2講 粗筋紹介も立派な書評
第3講 書評の「読み物」としての面白さ
第4講 書評の文字数
第5講 日本と海外、書評の違い
第6講 「ネタばらし」はどこまで許されるか
第7講 「ネタばらし」問題 日本編
第8講 書評の読み比べ――その人にしか書けない書評とは
第9講 「援用」は両刃の剣――『聖家族』評読み比べ
第10講 プロの書評と感想文の違い
第11講 Amazonのカスタマーレビュー
第12講 新聞書評を採点してみる
第13講 『1Q84』1・2巻の書評読み比べ
第14講 引き続き、『1Q84』の書評をめぐって
第15講 トヨザキ流書評の書き方
対談 ガラパゴス的ニッポンの書評――その来歴と行方 豊崎由美×大澤聡
 あとがき

 これもライター出身ゆえの心遣いか、短い章が連続する形なので、気になった部分だけを拾い読みできる。というか、私は、拾い読みしてたら1/3ぐらいを読んじゃって、「こりゃ全部通して読まないと」と思って入手した次第。

【感想は?】

 腹が立つ本だ。なんだって私の悪口ばかりを言うのだ。ピント外れなら笑って済ませるが、大半が図星だから余計腹が立つ。著者曰く、ダメな書評とは。

  • 自分の知識や頭の良さをひけらかすな
  • 自分語りウザイ
  • 備忘録にすんじゃねえ
  • 粗筋や登場人物の名前を間違えるな
  • 本を利用して自分の思想を押し付けるな

 思わず叫んでしまった。「俺のことか~!」。

 それでも基本的な部分では共感できる部分は多くて、例えばネタバレ問題。著者は「読者の楽しみを奪ってはいけない」という姿勢で、よって原則としてネタバレ不許可。これは私も同じ意見で、お陰で図書館戦争は苦労した。だって全部面白いんだもん。ちなみに私はノンフクションの場合ネタバレありでやってます←自分語りウザイ

 面白いのはここから。「年配の書評者は平気でネタバレかますよね、なんで?」という疑問から、日本の書評の現代史を紐解いていく。書評もそうなんだけど、文庫本の巻末の解説も年配の解説者は予告なしにネタバレかますんだよね。この疑問を巡る推理がなかなか楽しい。いいなあ、羨ましいなあ、流行るジャンルは。こちとら冬の時代と言われて久しいもんなあ←愚痴こぼすんじゃねえ

 そんな冬の時代でも誇れる所はあって。本書中で文芸誌の書評の量を計算して、最多は「小説トリッパー」がブッチギリ、ついで新潮。手元のSFマガジン2012年1211月号の SF BOOK SCOPE のコーナーを数えてみたら、計46作品、1690字×6本+670字×4本。これで新潮といい勝負。コミックや MAGAZINE REVIEW も加えると二位につけてる。しかも今回は「屍者の帝国」クロスレビュー1650字×3本つき。情報誌・広報誌の側面もあるとはいえ、相当に充実してるぞやっほー←自分の思想を押し付けるな

2012.10.06追加:SFマガジン2011年11月号には上記に加え機龍警察シリーズ評1330字+BEATLESS評2260字+スワロウテイル・シリーズ評2180字が載ってる。前月号はブラッドベリ追悼特集で代表作33作の書評が、その前は「この20人、この5作」として20人×5作=100作の書評。書評が読みたければSFマガジンを読もうw

 いや、だってさ、本の内容は必要最低限でもいい、自分なりの芸を見せればって書いてあるし豊崎さん。一般的に粗筋は書評の全文少量の1/3~1/2程度でもいいけど、佐藤優による伊阪幸太郎『モダンタイムス』の評が、粗筋をたった一行「21世紀半ば過ぎ、日本の都市を舞台としたアンチ・ユートピア小説だ」で済ますのを絶賛してるし。

 どこがいいのか。それは、佐藤氏の評に「背景があるから」。佐藤氏が今まで積んできた経験、学んできた事柄、現代社会が進む方向を見通す視点、そして豊かな教養を背景として、彼にしか語れない形で書評してるから。じゃ、私には何があるんだろう、と深く考え込んでしまう。

 素人に嬉しいのが、「第15講 トヨザキ流書評の書き方」。プロの秘術をハードウェア・ソフトウェアから運用に至るまで親切に伝授してくれてる。そうだよねえ、やっぱり付箋は必須だわ。使い方もいろいろ。見栄はらずにガンガン貼ろう。戦記物とか読んでるとつい大量消費しちゃうけど。「ノルマンディー上陸作戦」の時は大変だった←自分語りウザイ

 書評の腕を上げるコツが、掌編の名手・星新一の創作手法と同じなのは驚いた。こればっかりはなかなか真似できない。わかっちゃいるけど、やっぱり身を切られる想いというか、ついついもったいなくて。

 著者の理想が淀川長治なのも、意外だけど納得。あの人の映画紹介、凄いもんねえ。提灯持ちと言えば提灯持ちなんだけど、役者・監督・演出・衣装・大道具小道具・演出・カメラアングル・フィルムの色など、ありとあらゆる角度から誉める所を探す。それでもネタが足りなければ、出演者やスタッフの過去作を引き合いに出して聞き手を煽る。今思えば、人間離れした映画への愛情と知識あっての評なんだよなあ。

 自分語りがウザイ書評になっちゃったけど、それだけ私には身に染みる本だったって事で勘弁して欲しい。読んでて、ついつい「じゃ私はどうなんだろう」と切実に考えてしまう本だった。

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