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2012年8月 1日 (水)

吉村昭「羆嵐」新潮文庫

 「遠すぎるさ。もし仕損じたら次のタマをこめる前に襲いかかってきて一撃のもとに叩き殺される。だから、最初の一発で仕とめなければならない。それには、近くで射たないとな。おれは、普通五間(九メートル)ほどの距離で射つが、二間ぐらいで射ったこともある」

【どんな本?】

 1915年(大正四年)12月に起きた、三毛別羆事件(→Wikipedia)と呼ばれる日本最大規模の獣害事件。北海道の寒村を巨大な羆が襲い、開拓民七人を殺害した。

 事件の舞台となった六線沢とはどんな所か。そこにはどんな人たちがいて、どの様に暮らしていたのか。問題の羆が出現した時、村の人々はどう行動し、どんな対策を取ったのか。ベテラン作家吉村昭が、徹底した取材を元に小説化したドキュメンタリー・ノベル。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は1977年新潮社より単行本で刊行。1982年11月25日に新潮文庫で文庫化。私が読んだのは2006年8月20日の33刷。順調に版を重ねてる。文庫本縦一段組みで本文約215頁+倉本聰の解説「羆嵐の吹いた沢――解説にかえて」6頁。8.5ポイント42字×17行×215頁=153,510字、400字詰め原稿用紙で約384枚。長編小説としては短め。

 ベテラン作家らしく、文章は読みやすい。ただ、漢字の使い方に独特のクセがある。例えば冒頭の引用の「射つ」、普通は「撃つ」を使う。誤用かと思ったが、この文脈だと「射つ」の方がしっくり来るから、意図的な当て字かもしれない。

【どんな話?】

 北海道天塩山地の麓の六線沢。東北からの開拓民が開墾した、十五戸あまりの小さな村だ。開墾は数年前に始まったばかりで、畑には未だ木の根や石が残り、村の者はみな貧しい。11月、ある家のトウキビが羆に食い荒らされる。馬を食われたら今後の生活が成り立たない。近くの大きな村である三毛別村に出向き、猟銃を持つ老人に助けを求めるが、羆は見つからず、老人は三毛別に戻っていった。

 そして12月、積雪が増し、村は冬越しの準備の最終段階に差し掛かっていたが…

【感想は?】

 冒頭から、一気に引き込まれる。素直に時系列順に書いてるんだが、描かれる世界があまりに壮絶でドラマチック。現代日本の都市部に生活する人にとっては、もはや異世界と言っていいぐらい、生活様式が全く違う。

 蛇口をひねれば安全な水が出るし、夜は電灯をつければ明るくなる。あまり大きな音を出せば隣に迷惑だし、夜中に腹が減ったらコンビニに行けばいい。テレビ・新聞・インターネットで世界中のニュースがわかるし、緊急の連絡どころか他愛ないおしゃべりだって電話でできる。

 ところが、この小説に出てくる人々の生活ときたら。

 北海道だというのに、壁は草。板張りなら優雅な方だ。服だって粗末なもので、犬の毛皮のチャンチャンコが羨まれる。暖をとるのは囲炉裏に薪、当然自給自足で、冬が来る前に木を切って家の周囲に積み上げておく。食事は雑穀の粥で、米は年に数回しか食べられない。魚は近くの渓流で取る。見事な自給自足の生活。

 物語の構造は「ジョーズ」などのパニック映画と同じで、巨大で凶暴な動物が人間を襲う、という話なのだが、こういう垢じみた生活の描写が、そこに生きる人々の生臭い体臭と、それを包み込む北海道の猛々しい自然を感じさせ、否応なしに人間の非力さを見せ付ける。

 感想を一言で言えば「怖い」で終わってしまう。だが、何が怖いかと言えば、肝心の羆より、北海道という土地そのものが怖くなってくる。これは、冒頭に描かれる六線沢の歴史の衝撃が大きい。

 元は水害に悩む東北の農民が開拓民として移住したのが始まり。ところが、最初に移住した土地は虫が凄まじく、「馬はアブと蚊に体をおおわれ」「夏季には、小さな糠蚊が大量発生し、あたり一面が白くかすんだ」。一匹の蚊で寝不足になる軟弱者には想像もできん。そして、止めが蝗。

 ってんで、別の土地を探す官吏が指定したのが、六線沢。村役場まで30km、どころか隣の家だって数百m離れてるってんだから、スケールが違う。

 こっちは虫も少なく、近くに渓流があるから水を引くのも便利。収穫は少ないが着実に増え…と思ったところに、羆。読んでて、蚊やブヨや蝗などの脅威が凝固した存在なんじゃないか、とすら思えてくる。

 体重350kg、体長2.7m。もはや動物というより怪獣だ。これだけの脅威を目の当たりにしたとき、人は「万物の霊長」から単なる「群れる猿」に成り下がる。中盤、意気揚々と銃を持つ集団が現れ、次々と戦意を失っていく様子は、読んでいて情けなくなる。いや登場人物がではなく、自分を含めヒトという種そのものが。

 個々の人物の感情・心理描写は、ほとんどない。同行した六線沢区長の目を通して語られるか、または地の分で動作や表情を描くという素っ気無く突き放した文章なのだが、それが見事に「荒々しい大地の中にノコノコ踏み込んできた直立猿」というヒトの立場を、容赦なく際立たせる。

 ノンフィクションかフィクションか、どっちにするか迷ったが、とりあえずフィクションに分類しておく。どうやら「起きた事柄」は事実だが、人物の名前などは変えてある模様。

 小説としては短く、クセはあるものの文章は読みやすい。冒頭から読者を引き込む吸引力も充分で、読み始めたらあっさりと読み終えられる。が、濃い。今の作家なら、500頁の上下巻ぐらいになるんじゃなかろか。内容が内容だけに、血生臭く凄惨な場面も多いので読者は選ぶが、耐性のある人ならきっと熱中する。版を重ねた実績は、伊達じゃない。

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