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2012年8月 8日 (水)

デイヴィッド・E・ダンカン「暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか」河出書房新社 松浦俊輔訳

これまでに火を見たことのない人が、火は燃え、物を変化させ、それを破壊することを推理によって証明したとしても、それを聞く人の精神はそれでは満足しないだろうし、自分の手や可燃物を火にのせて、自分の理性が教えてくれることを、経験を通じて証明するまでは、火を避けることもないだろう。しかしひとたび燃焼という経験を得てしまえば、精神は納得し、真実の光の中で安堵する。この推理では十分ではない――経験が必要なのだ。  ――ロジャー・ベーコン「大著作」

【どんな本?】

 今日は2012年8月8日だ。では、2012という年は、いつ、誰が、どうやって決めたのか。なぜ年の初めは1月1日なのか。なぜ月は12月までで、2月だけ短いのか。うるう年の規則は、どんな経過で決まったのか。なぜ曜日は日月火水金土の七日なのか。

 地球が太陽を巡る公転運動、地軸を中心に回る自転運動が関係していて、困ったことに年の日数は整数にならない。カレンダーの不規則さの原因には、この困った自然現象があり、それを計測・予測する科学があり、表現する数学があり、利用する人間の都合があった。

 現在、多くの国や地域で使われているグレゴリオ暦(→Wikipedia)の歴史を軸に、科学・数学・そして社会の変転を、豊富な挿話で綴る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Calender : Humanity's Epic Struggle to Determine a True and Accurate Year, by David Ewing Duncan, 1998。日本語版は1998年12月10日初版発行。単行本縦一段組みで約366頁、うち本文約329頁。8.5ポイント49字×21行×329頁=338,541字、400字詰め原稿用紙で約847枚。長編小説なら長め。

 文章は最近の翻訳物のノンフクションとしては標準的な読みやすさ。テーマが「一年の長さ」なだけに、中学校程度には理科、特に天文の素養が必要。といっても、地球は自転し、太陽の周囲を公転し、地軸が23.4度傾いて季節を生み、地軸がすりこぎ運動してる、まで。正直、この本の科学解説の部分はちと不親切なので、恒星年と回帰年の違いを生む歳差については、Wikipedia(→恒星年回帰年歳差) などで補うことを薦める。

【構成は?】

 <暦の指標>
序章 時間にかけられた網
1 孤独な天才が時間についての真相を訴える
2 ルナ――時を惑わす月の女神
3 カエサルが太陽を採用する
4 輝く金の十字架
5 静止する時間
6 修道士は指折り数えながら夢を見る
7 シャルルマーニュの砂時計
8 365.242199への長い旅路
9 智恵の館から暗黒のヨーロッパへ
10 ラティノルム・ペヌリア(ラテン世界の貧困)
11 時間をめぐる争い
12 黒死病からコペルニクスまで
13 時間の謎を解く
14 永遠に失われた10日間
15 原子時間で生きる
 訳者あとがき/時の年表/図版出典/文献注記

【感想は?】

 この本に出てくるグレゴリオ暦は、現在日本で使っている暦だ。キモはうるう年の入れ方。年を西暦で表し、プログラム風に書くと、こんな感じ。

if( 4で割りきれない ) then { 平年(うるう年でない) }
else if( 400で割り切れる ) then { うるう年 }
else if ( 100で割り切れる ) then { 平年 }
else { うるう年 } /* 4で割り切れて100で割り切れない */

 普通の文章だと…

4で割り切れなければ、平年。
4で割り切れるなら、うるう年。
ただし100で割り切れるなら、平年。
ただし400で割り切れるなら、うるう年。

一見、めんどくさいようだが、昔はもっとめんどくさかった。月の満ち欠けを基にした太陰暦を使ってると、「わずか16年で夏至と冬至が逆になってしまう」。ところがエジプトは六千年前に太陽暦を採用してる。この原因は、ナイルの氾濫と農業にあるんじゃないか、と推測している。

 この本の大きなテーマは二つ。ひとつは、科学・数学の側面で、人がどうやって正確な一年を求めたか、という話。二つ目は、その正確な一年をどうやって受け入れたか、という社会的な側面の話だ。

 昔は大抵の国の基本産業は第一次産業だった。そのため、正確な暦は必須だった。でも一日は地球の自転周期で決まり、一年は公転周期で決まる。どっちも自然の気まぐれだから、整数にならず、ズレが出る。暦は社会の基本で、大抵は権威者が制定する。暦のスレは権威者の面子に関わるんで、狂ったからといっておいそれとは変えられない。この現実と権威者の面子の葛藤が、社会的な側面だ。

 科学・数学の側面では、小数点や位取り記法に意表を突かれた。改めて考えれば当然なのだが、確かに少数の概念がなければ正確な「年」は定義できない。計測は、紆余曲折の末に1543年のコペルニクスの「天球の回転について」が大きな基準となる。この時代に回帰年と恒星年の違いを認識していた、というから凄い。大雑把に言うと、恒星年は地球の公転周期だけで計算したもの、回帰年はそれに歳差を加えたもの。紀元前にヒッパルコス(→Wikipedia)が発見していた、というのも唖然。

 コペルニクスは「この本、ヤバくね?」とビクつきながら出したが、「ほとんど物議をかもさなかった。理解できた者がほとんどいなかったのである」。わはは。

 なぜヤバいかと言うと、つまりは教会だ。ところが、暦の定義・改訂の原動力となったのも、キリスト教なのが皮肉。「復活祭をいつにするか」「その日が聖書とズレちゃマいのではないか」という懸念により、教会は正確な暦を求めたのだ、としている。日本じゃクリスマスが有名だけど、キリスト教じゃイースターの方が重要だとは知らなかった。

 そうなるまではユリウス暦でやってきた欧州、偉大なローマがキリスト教を受け入れ腐敗し分裂し、舞台は東方に移って…ってな感じに物語りは進む。七世紀の欧州が「われわれは時間の終わりを生きている」(7世紀のフランクの年代記作家フレデガー)などと黄昏れた気分の終末論に浸っていたのに対し、833年に完成したバグダートの「知恵の館」は「単独のものとしてはアレキサンドリアの大図書館以来の最も優れた知識と学問の宝庫となった」。

 再び欧州が勃興し始めると、東方との貿易も増え、暦を統一する必要が出てくる。というか、その前は、地方ごとにバラバラな暦を使っていたので、日数計算が面倒くさいことったら。キリスト教が普及して地域ごとにローカルな聖人が増え、同時にその記念日も増えたんで、農夫などは「3月21日だとは言わずに、聖ベネディクトゥスの日」などと表現したそうな。

 時はめぐり16世紀の医師アロイシウス・リリウスが提案した案を天文学者クリスロフ・クラヴィウスが推薦し、教皇グレゴリウス13世が会議を開いて採用する。が、この時期にキリスト教世界は東方教会と袂を分かち、またお膝元でもプロテスタントが叛旗を翻している。それまでユリウス暦に従っていたための10日間のズレもあり、受け入れるには宗教的・社会的に大きな抵抗があって…

 自然そのものに根拠を得て天体の運動を求める数学・科学と、独自の論理に根拠を得て復活祭の日付を求める宗教が、互いの食い違いを解消しようと葛藤するドラマは、なかなかに刺激的。インターネットの普及もあって、最近になって出てきた新しい暦の提案など、現代の面白話もある。ちょっと変わった側面から歴史を探る河出書房新社のシリーズの一冊、科学よりは歴史の比重が大きいんで、カテゴリは歴史/地理とした。

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