堀内勝「ラクダの文化誌 アラブ家畜文化考」リブロポート
ラクダは次第に衰え果てて死ぬ場合も勿論あるが、その様子もなく急に即死する場合がほとんどである。すなわち絶命するまで主人の命令に従って行動し、突如として力尽きて倒れ死ぬのが普通なのだ。「ラクダの死」を意味する語タナッブルも、こうしたことから「矢で急所を射抜かれて即死すること」とも、「絶命するまでその任務を遂行する高貴なもの」との語義であると説かれている。
【どんな本?】
砂漠の舟といわれ、アラブ社会を象徴する家畜であるラクダ。それはどんな動物で、どんな性質を持ち、どう育てられ、どの様に使われてきたのか。人はラクダをどう扱い、どう利用して、どう暮らしてきたのか。西アジア言語文化を専攻した著者が、言葉と文献、そしてフィールドワークから得た知識を元に、ラクダを通してアラブ社会の歴史と内情を探る。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
1986年3月25日初版第1刷発行。単行本縦一段組みで約461頁。9ポイント45字×18行×461頁=373,410字、400字詰め原稿用紙で約934枚。長編小説なら2冊分ぐらい。一般向け啓蒙書と学術書の中間ぐらいの内容で、文章は比較的読みやすい部類。
【構成は?】
はじめに
第1章 アラブのラクダ観
第2章 名高いラクダ ――アラブ種の名種、名産地――
第3章 ラクダを崇める ――サムード族伝説と神聖ラクダ――
第4章 ラクダを記す ――歴史に名高いラクダ――
第5章 ラクダを叙す ――ラクダの体の部位(1)――
第6章 ラクダのコブについて ――ラクダの体の部位(2)――
第7章 ラクダの蹄について ――ラクダの体の部位(3)――
第8章 ラクダが生きる ――成長段階――
第9章 ラクダが年とる ――ラクダの年齢階梯――
第10章 ラクダが群らがる ――「群れ」考(1)――
第11章 ラクダを数える、頭数 ――「群れ」考(2)――
第12章 ラクダが鳴く(1) ――アラブの擬音文化考(1) ラクダ以外の動物のオノマトペイア――
第13章 ラクダが鳴く(2) ――アラブの擬音文化考(2) ラクダの動物のオノマトペイア――
第14章 ラクダが運ぶ ――駄用ラクダ――
第15章 ラクダが引っ張る ――牽引用ラクダ――
第16章 ラクダに乗る ――乗用ラクダ・旅用ラクダのこと――
第17章 ラクダが歩く ――距離単位、ラクダ日――
第18章 ラクダが踊る ――キャラバンソングについて――
第19章 ラクダに据える ――ラクダ鞍の考察――
第20章 ラクダに掛ける、吊るす ――運搬用荷具――
第21章 ラクダで身をあがなう ――血の代金とラクダ――
第22章 ラクダで娶る ――婚資について――
第23章 ラクダで税を払う
第24章 ラクダを信じる ――ラクダに関する俗信――
引用・参考文献/おわりに
【感想は?】
副題にあるように、この本が扱っているのは、アラブ圏での人とラクダの関係。ということで、主にアラビア半島を中心にイラク・ヨルダン・シリアの三日月地帯に加え、パレスチナ・シナイ半島・エジプトあたり。また、ラクダを軸に見ていくので、商人・遊牧民の視点が中心となり、農民はあまり登場しない。
著者の専攻が西アジア言語文化のためか、言葉を元に論を展開する部分が多い。例えばラクダの群れを表現する言葉として、dhawd:20頭足らず/sirma:40頭以内/hajmah:40頭以上/akrah:60頭以上…があって…などと話が展開する。一般に言語は生活に密着した方面の語彙が充実する傾向があるので、これは面白い方法ではあるけど、正直読んでて少し退屈。
ちなみに牧畜の場合、ラクダは羊や山羊と一種に飼われる場合も多い。面白いのが、羊と山羊の関係。羊の群れには必ず山羊が入ってる。毛や乳など羊の方が価値があるんだけど、適応性や病気の抵抗力は山羊の方が上。つまり山羊は保険なわけ。だもんで、平坦で肥えた土地は羊が多く、丘陵・山岳地帯は山羊が多い。生活の智恵ですな。
面白いのは、やっぱりアラブのラクダ文化そのものを記述した部分。例えば、ラクダの群れの大半が雌だなんて、初めて知ったよあたしゃ。要は費用対効果、雌は乳も出るし子も産むから財産になるけど、雄の大半は交尾できるかできないかぐらいで肉用に屠殺されるとか。残るのは血統や体格の優れた種ラクダのみ。
ちなみに平均寿命は30歳程度、働き盛りは7,8歳から20歳ぐらいまで。赤ん坊でも1mぐらいあるんで、難産。「母ラクダは非常に子思いで、放牧に出された遠隔地でも、牧者の隙を盗んでは子ラクダの留まっているキャンプ地に戻ろうとする」。知能は高いのかなあ。
ラクダと言えば涎。涎を垂らす原因は二つで、一つは老化で、もう一つは交尾期(冬)の雄。この時期は気性も荒くなるそうなんで、涎を垂らしてるラクダには近寄らない方が吉。
育ったラクダの将来は三種類。優れたものは乗用、つまり人が乗る。そうでないのは運搬用か、農耕用。運搬用の場合、荷物の重さは平均160kg。これは行程の長短や道の良し悪し、急ぎかゆっくりかで変わる。まあ当然だね。人を乗せる場合は、二人が限界。
一日の行程は、だいたい48km。日本の参勤交代も、一日の行程は30km~50kmなんで、昔の旅は、大抵それぐらいが一日行程だったんだろう。「馬もラクダも歩行の習性としては、前後に縦列になり、先行する仲間に従って歩んだり、走ったりする習性がある」。よってキャラバンは長い縦列となるわけ。
そのキャラバンの先頭をいく者は、歌で群れを導く。「キャラバンソングの律動を変えて歌うことによって、ラクダ達の歩調を変える」というから凄い。大抵は美声の者が先導するけど、美声すぎるのも困り物。以下は皮肉な挿話の概要。
アブー・バクルは旅行中に某部族の一団に出会った。テントの前には死んだラクダや死にかけのラクダばかり、テントの中には黒人奴隷が枷をかけられている。テントの主人曰く「この奴隷は声がよすぎる。重い荷物をラクダに乗せた旅の途中、奴隷がキャラバンソングを歌ったら、ラクダが張り切りすぎて、三日の行程を一日で進み、このザマじゃ」。
「第21章 ラクダで身をあがなう」には、「目には目を、歯には歯を」が原則のアラブ社会で、報復の連鎖を止めるための方法の話。今なら損害賠償で、人一人の命はおおよそラクダ百頭だとか。まあ、これは被害者の立場や加害者との関係などで変動するけど。意外と合理的だと思ったのは、傷害の場合。両手な・両足などは命と同じラクダ百頭、片目片腕などは五十頭、指は一本につき十頭など、障害の程度で代償の相場が変わる。
また手打ちの儀式が、いかにもアラブ。双方の話し合いが合意に達した場合…
殺された側の居住地へ出かけ、その関係者の前庭で連れて行った犠牲動物を屠殺し、その流血を示さねばならない。これによって殺された者の「血の求め」が癒されるわけである。屠殺した動物は料理されて関係者一同に食べられる。この「共食」の行為により義兄弟の縁が結ばれるわけである。
仲直りの宴会、というわけ。食事を一緒にする事で親愛の情を作る・示すってのは、世界共通みたいだ。
今は自動車の普及や都市化でラクダ文化は衰えつつあるけど、サウド家が名種を保護してたり、イエメンじゃラクダレースが開催されたりと、アラブのアイデンティティとして、これからもラクダは残っていく模様。ハードコアなアラブ文化が覗ける本だった。
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