マルコ・イアコボーニ「ミラーニューロンの発見 『物まね細胞』が明かす驚きの脳科学」ハヤカワ新書juice 塩原通緒訳
人間どうしの最も深い関わりかた、最も深い理解のしかたを、ミラーニューロンは示している。私たちは生まれつき共感を覚えるようにできており、だからこそ社会を形成して、そこをさらに住みよい場所に変えていくことができるのだ。
【どんな本?】
最近の神経科学の熱い話題である、ミラーニューロン。本人が動作している時だけでなく、他者の動作を見ても発火する、「模倣」を司る奇妙な脳細胞。ミラーニューロンの発見と、その性質の謎を解き明かす研究を通じ、明らかになった様々な事実を解説するとともに、その発見と研究に寄与した研究者を紹介し、学際的で活気に溢れた神経科学研究の現場の空気を伝えると同時に、神経科学が社会に与える影響も考察する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原題は MIRRORING PEOPLE, The New Science of How We Connect with Others, by Marco Lacoboni, 2008。日本語版は2009年5月25日初版発行。新書で縦一段組み、本文約322頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイントの見やすい文字サイズで42字×16行×322頁=216,384字、400字詰め原稿用紙で約541枚。長編小説なら標準的な長さ。
文章そのものは翻訳物の中では比較的読みやすい方だが、何せ内容が最新科学だ。先に読んだ「越境する脳」よりは読みやすいが、「ブローカ野」や「脳梁」など専門用語が出てくるため、多少歯ごたえはある。さすがに数式までは出てこないので、ニューロン(神経細胞→Wikipedia)についての基礎知識があれば、中学生でも充分読みこなせるだろう。
【構成は?】
第1章 サルの「猿真似」
第2章 サイモン・セッズ
第3章 言葉をつかみとる
第4章 私を見て、私を感じて
第5章 自分に向き合う
第6章 壊れた鏡
第7章 スーパーミラーとワイヤーの効用
第8章 悪玉と卑劣漢――暴力と薬物中毒
第9章 好みのミラーリング
第10章 ニューロポリティックス
第11章 実存主義神経科学と社会
謝辞/訳者あとがき/原注
第7章までは、ミラーニューロンおよび関係する脳の部位の性質そのものを説く内容が中心。第8章以降は、既に判ったミラーニューロンの性質を元に、社会的な影響が強いと思われる応用的な研究を紹介する。理科より社会が好きな人は、後半の方が楽しめるだろう。
【感想は?】
異性と仲良くなりたかったら、咥えタバコは避けたほうがいい。
ミラーニューロンの性質は、本書の冒頭近くで明かされる。
私たちの脳にある一部の細胞――すなわちミラーニューロン――は、自分でサッカーボールを蹴ったときにも、ボールが蹴られるのを見たときにも、ボールが蹴られる音を聞いたときにも、果ては「蹴る」という単語を発したり聞いたりしただけでも、すべて同じように発火する。
蹴るときに発火するニューロンが、人が蹴っているのを見ても発火する。ヒトは、他の人の行動を脳内で真似しているわけ。この「脳内で真似する」性質が、人が他の人と繋がる重要な役割を果たしている、と、この本は主張している。
なぜ真似が重要なのか。人は、自分を真似する人に好感を抱くらしい。これを証明する、ターニャ・チャートランドとジョン・バーの実験を紹介している。
被験者に、他の人(サクラ)と共同作業させる。片方のサクラは被験者の姿勢・動き・癖を真似し、もう一方は真似しない。この実験だと、被験者は真似するサクラに好感を抱く。長年連れ添った夫婦が似てくるのも、同じ原因らしい。お互いがお互いの動作や癖を真似るため、傍から見ると似た印象を受けるのだ。
これを利用するなら、他の人と仲良くなりたかったら、相手の動きや姿勢を真似すればいい、という事になる。実際、ドラマや映画でも、仲の良い友人や家族を演出する際は、表情や動作をシンクロさせる場合が多い。
もうひとつの実験が、咥えタバコの良くない影響を実証する。
ポーラ・ニーデンタールの実験で、二つのグループに他人の顔の表情に表れる変化を見分けてもらう。片方は歯の間に鉛筆を咥える。そうすると、自分の顔を自由に動かせず、表情の真似が難しい。結果、鉛筆を咥えたグループは表情の変化をうまく見分けられなかった。
煙草のみなら知っているが、咥えタバコも表情の動きを制限する。だから、相手の表情を見分けられないし、真似できない。よって好意を得にくい。ということで、モテたかったら煙草はやめよう。
身振りも重要で、座って本を読んでいるより、教師に教わった方が捗る理由も出てくる。それも、黙々と教科書を読む教師より、適切に動く教師の方がいい。子供の例だが、「算数の問題を例にとれば、教師の言葉での説明に適切な身振りが添えられていると、身振りがまったくない場合に比べて、子供が解法を正しく繰り返せる確立が高くなる」。電化製品などの操作マニュアルとかで、イラストを使う際、製品だけでなく、使う人が書かれていると、判りやすさが増すのも、同じ理由だろう。
肝心のミラーニューロンはブローカ野にある。ここは、言語を司る部位でもある。だから、ヒトが言語を獲得したのは、模倣を通してではないか、と著者は推測している。
このブローカ野を錯乱する実験も興味深い。TMS(経頭蓋磁気刺激)を使い、被験者のブローカ野を「攪乱」すると、被験者は、模倣が不要な運動は問題なくできたが、模倣はうまくできなかった。
他にも、政治問題を考える際の政治好きな人とそうでない人の脳の活性化の違いや、スポーツカーの写真を見た時に活性化する領域は女性の顔写真を見て活性化する領域と同じだとか、モノゴトを自分で言語表現すると情報が失われる現象など、面白い実験が沢山のっている。私は、スーパーボウルの実験の際に、データ・ファイルが大きすぎてネットじゃ転送できず、ハードディスクを直接運んだ話が楽しかった。
最後に、模倣のプロ、俳優の言葉を引用しよう。
神経科学者はこの(ミラーニューロンの)特性をとんでもないものだと思っているが、「私たち俳優」に聞いてみればよかったのだ。私たちはずっと前から、そういう細胞のようなものが自分たちの脳の中にあるに違いないと知っていた――というより「感じていた」――のだから! 私は苦しそうな顔をしている人を見れば、その苦しみを自分自身の中で感じられる。
ミラーニューロンの研究が与える影響は、単に脳の一機能が判明した、というだけではない。社会は人と人の繋がりでできている。その繋がりを支えるのがミラーニューロンであり、その性質は社会に大きな影響を与えている。別の視点から見れば、ミラーニューロンの性質を理解し、上手に利用すれば、より人が幸福になれる社会にすることもできる…悪用もできるけど。科学だけに留まらず、社会的にも哲学的にも、そして身近な人間関係でも、興味深く読めて興奮する本だ。
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