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2012年5月10日 (木)

藤田宜永「鋼鉄の騎士 上・下」双葉文庫

「君は鋼鉄の馬を見た。さしずめ“鋼鉄の騎士”というところかな。走りたまえ。天馬のように駆けたまえ」

【どんな本?】

 今は恋愛小説が中心の直木賞作家として知られる藤田宜永による、第48回(1995年)日本推理作家協会賞長編部門受賞作。第二次世界大戦前夜、革命の都パリを舞台に、カーレースに魅入られた青年千代延義正が、ドイツ・ソ連・フランス・日本など列強の暗躍に巻き込まれつつ、己の求めるものを追い疾走する姿を描く、傑作冒険小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初版は1994年11月新潮社より単行本で出版。無謀な。私が読んだのは文庫本、双葉社から出ている日本推理作家協会賞受賞作全集78/79。新潮文庫からも出ている。文庫本縦一段組みで8.5ポイント41字×18行×(749頁+730頁)=1,091,502字、400字詰め原稿用紙で約2,729枚に加え、あとがき3頁+主な参考・引用文献3頁+日本推理作家協会賞全集のためのあとがき2頁+細谷正充の解説8頁。そこらの長編小説5冊分以上の大ボリューム。

 分量こそ多いものの、読みやすさは抜群で、読み始めたら止まらない。分量に相応しく登場人物もやたらと多いが、アクの強い面々が揃っているため、意外と混乱はしない。

【どんな話?】

 兄の後を追い左翼運動に熱をあげた千代延義正は、事件で兄を失い茫然自失となる。子爵でもある父の千代延宗平陸軍少将の駐仏武官赴任に伴いパリへと赴き、トリポリのグランプリ・レースを観戦し、レースの虜となる。父の宗平には勘当され家を叩き出されたものの、義正をレースに誘ったトゥルニエ男爵などの協力を得て、なんとか修理工場の職を得た。

 時は二次大戦前夜。ドイツで躍進したナチスは周辺諸国に仮借ない圧迫を加え、弱腰のフランス政府はズルズルとファシストの圧力に屈していく。スターリンを頂点とするソ連も、各国の共産党を通じて諜報活動に暗躍し、駐在武官の千代延宗平は盛んにドイツとソ連の動きを本国に警告するが、本国はドイツへの接近を止めない。

 ドイツとイタリアは国家の威信をかけグランプリ・レースへの支援を惜しまないが、費用ばかりかかって販売効果は怪しいレースに対しフランスのメーカーは及び腰であり、近年はドイツのダイムラー・ベンツとアウト・ユニオンが覇を競っている。トリポリのレースもアウト・ユニオンの擁する二人、イタリア人のアルド・ベルニーニとドイツ人のクラウス・シュミットのワン・ツー・フィニッシュとなった。

【感想は?】

 危険な本だ、いろいろと。

 数日前、「ちょっと味見してみよう」と思って冒頭を読み始めたら、一気に物語に引き込まれた。あの時、電話が鳴らなかったら、どうなっていたことやら。何せ上下巻共に700頁超えの大作、本気で読み始めたら大変な事になる。

 これだけのボリュームなんだから、4~5巻に分けてもいいと思ったんだが、読んでみて納得。お話は絶え間なく続くので、下手に分割のしようがないのだ。

 なんでこんなに膨れ上がったかというと、大量のテーマが相互に絡み合ってるから。

 そのひとつは、革命。貴族の子弟でもある義正が、なんで共産主義革命に共感するのか。義正自身が、その矛盾に悩みつつ、貴族とは何か・革命とは何か、と、最後まで問い続けていく。
 そんな義正に対し、「所詮はお坊ちゃんの道楽」と反発する者もいる。彼の父、宗平が、その代表格。

「革命の後は自動車レースか。いい気なもんだな」

 その宗平、陸軍少将という肩書きで連想されるような、単純な精神論の人間ではない。華族の家柄に相応しく充分な教養と同時に、国家に尽くす忠誠心も備えており、知的な軍人として、熱心に欧州情勢の情報収集に勤しんでいる…それが、息子の義正を嵐に巻き込んでいくんだが。

 当時の欧州情勢は百鬼夜行で、花の都パリも各国の公認非公認のエージェントが暗躍している。特にこの本では、ソ連の意を受けた共産主義者と、それに反発する反革命勢力が、様々な組織と手を組みつつ、暗闇で死闘を繰り広げる。

 対立軸として判りやすいのが父宗平と、子の義正の葛藤。華族である事の誇りを、国家への貢献で証をたてようとする宗平は、むしろ現代的な合理主義者でもある。

「命より自動車レースが大事だと言うのかね。そんな馬鹿なことがあるか。大義のため、主義のため、国のために、命を落とすというのなら、理解できるが、所詮、お遊びでしかないレースの方が大事だなんて、私にはまったく理解できん」

 面白いのが、帝国陸軍少将である宗平と、全く同じ視点を、彼と対立する共産主義側の人間も共有している点。

「何が面白いのか、何のために命まで賭けて走るのか、私にはさっぱりわからん」

 ファッショもコミュニズムも、一見対立しているように見えて、根底には合理性の追求がある。ただ、「どうするのが合理的か」という方法論が違うだけだ、と考えれば、宗平と某は同じ座標で世界を見ていて、単に属するチームが違うだけ、とも言える。彼らは、それが民衆のためだ、と考えているが…

 「人の生き方を計画的に動かそうなんて、誰にもできはしないさ。そんなこと、俺のような教養のない人間にだってわかることだぜ。お嬢さんも、そうは思わないかね」

 と、醒めた目で見ている者もいる。まあ、彼はその後で、やり返されるんだけど。

「難しい質問ね。でも、弓王子の好きな勇気や面子が、戦争を引き起こすんじゃないかしら」

 …ふう。やっと名前が出てきた弓王子、彼がまた魅力的。悪名高き大泥棒で、仲間と共にパリの夜をすり抜ける。狙うのはいつだって大仕事。ケチなカツアゲなんて恥さらし、と考える、ちょっとアナクロなヒーロー。ところが彼の縄張りパリにも、イタリアやアメリカの儲け主義のマフィアの手が伸びてきて、最近は仕事がやりにくくなってる。ここでも、組織優先のマフィアと、怪盗の誇りを優先する弓王子の対比が鮮やかだ。

 さて、勘当された義正、否応なしにパリの庶民生活を味わう事になる。その過程で出会う、パリで生活する日本人たちの生態が、これまた強烈。中でも顔の広い高石の武勇伝が豪快。無銭飲食で冬のさなかに身包みはがされた高石、開き直って…。いかにも沈没した貧乏旅行者らしい無茶苦茶なエピソードだ。

 政治的な面での敵役が共産主義者なら、レース面でのライバルはドイツ。国の威信を賭けてるだけあって、エンジンは強力で安定性も高い。レーサーのクラウス・シュミットも無敵の風格を備えている。冒頭で同じチームに属するアルド・ベルニーニ、こちらはイタリア人だけあって、妙にゲンをかつぐ所がある。ベルニーニを襲う悲劇、これはなんともやるせない。

 正体不明の激情に突き動かされ、レースへと突き進む義正。国家の危機に己の職分を果たす事に徹する宗平。走ることだけが己の誇りと割り切っているベルニーニ。王者の風格を示さんとするシュミット。義正の男気に感じた弓王子。組織と使命の体現者であるプーシキン。因縁を抱えるジャーナリストのデュアメル。全ての者たちが、暗雲立ちこめるポーのレースに結集する。

 今まで日本推理作家協会賞って見落としてたけど、これの他にも北方謙三の「渇きの街」や中島らも の「ガダラの豚」、船戸与一の「伝説なき地」なんてのが受賞してるのね。今後は少し注目しよう。

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