新エネルギー・産業技術総合開発機構監修 水素エネルギー協会編「トコトンやさしい水素の本」日刊工業新聞社B&Tブックス
水素エネルギーの利用を進めるためには、水素の性質、製造法、輸送・貯蔵の問題、利用法等に関する広い理解が必要です。この本では、水素エネルギーを多くの方に理解していただくために、その意義、技術の現状をできるだけ優しく解説するように試みました。
【どんな本?】
日刊工業新聞社による、主に技術/産業系のテーマを素人に解説するシリーズ「今日からモノ知りシリーズ」の一冊。次世代のクリーンなエネルギーとして期待され、既に燃料電池の形で実用が始まっている水素をテーマに、その性質・製造方法・エネルギー源としての特徴・貯蔵/輸送方法・安全性・効率などを、現在の状況から将来の展望までを、豊富なイラストや図版を交えて解説する。
なお、著者が団体名となっているが、奥付にメンバー一覧が載っている。怪しげな団体ではない。編集委員会は委員長:太田健一郎,幹事委員:石原顕光,委員:岡野一清・谷生重春・福田健三・西宮伸幸,執筆協力:石本祐樹・小野崎正樹・金神雅樹・倉橋浩造・小堀良浩・坂田輿・堂面一成・古田博貴・村田謙二・山根公高・渡辺正五。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2006年6月30日初版1刷発行。A5ソフトカバーで縦二段組で本文約150頁だが、独特のレイアウトのため実質的な文字量はその半分。9ポイント24字×17行×2段×150頁÷2=61,200字、400字詰め原稿用紙で約153枚。文字量だけなら短編小説の分量。
技術/産業系のテーマを素人向けに解説するこのシリーズ、独特の特徴がある。基本的に著者は知識と経験が豊富な専門家だが、素人向けの著述には不慣れ。そんな著者の欠点を補い知識と経験を引き出すために、編集・レイアウト面で徹底的な配慮をしている。以下は、シリーズ全体を通した特徴。
- 各記事は見開きの2頁で独立・完結しており、読者は気になった記事だけを拾い読みできる。
- 各記事のレイアウトは固定し、見開きの左頁はイラストや図表、右頁に文章をおく。
- 文字はゴチック体で、ポップな印象にする。
- 二段組みにして一行の文字数を減らし、とっつきやすい雰囲気を出す*。
- 文章は「です・ます」調で、親しみやすい文体にする。
- 右頁の下に「要点BOX」として3行の「まとめ」を入れる。
- カラフルな2色刷り。
- 当然、文章は縦組み。横組みだと専門書っぽくて近寄りがたいよね。
- 章の合間に1頁の雑学的なコラムを入れ、読者の息抜きを促す。
*デザインの法則で、一般に一行の文字数が少ないほどとっつきやすい雰囲気になり、文字数が多いと堅苦しい雰囲気になる。雑誌や新聞は多段組にして一行十数字に抑えるが、単行本や文庫本は一段組みが多い。
で、この本の内容は、というと。結構、難しい部分が多い。文章は読みやすいのだが、高度な内容が多いのだ。分子式も出てくるし。まあ、わかんなけりゃ読み飛ばしても、中学卒業程度の理科、つまり「水はH2O」ぐらいの知識があれば、充分に楽しめるんだけど。
【構成は?】
はじめに
第1章 今、なぜ水素なのか?
第2章 水素とは?その使い方
第3章 水素の製造法
第4章 水素の貯蔵法・輸送法
第5章 水素と安全
第6章 水素は何に使われるの?
第7章 未来の水素エネルギー社会
このシリーズ、序盤は素人向けに丁寧な解説をしていた著者が、後半に入るとギアが上がって読者おいてけぼりで高度な内容連発…となる危険を孕むんだが、この本は集団執筆体制が功を奏して、ペースは一定してる。それは逆に冒頭から難しい内容も出てくる、ということでもある。
【感想は?】
…ってのは、脅しじゃない。1章こそ社会的な内容が中心でとっつきやすいが、2章はいきなり「宇宙の起源は水素から」ってんで、ビッグバンから各元素の生成過程の話。「重水素や三重水素を多量に含む水は沸点が高い」なんて話題の後に、「オルト水素とパラ水素」なんて量子力学に突入。
水素分子は水素原子が二つ。二つの陽子のスピンが揃ってるのがオルト、違うのがパラ。オルトの方がエネルギーが高い。普通はオルト3にパラ1の割合だが、液体水素を作るのに冷却する際、オルトからパラへ変化して発熱する。冷やしてるのに熱出されると困るよね、って話なんだが、理科が嫌いな人は、この辺で挫折するかも。わかんなかったら、テキトーに読み飛ばそう。私もスピンって何だかわかってないし。
この章で重要なのは水素の性質。分子量が小さいんで軽い。同じ理由で他の物質の間に染み込みやすい。単位質量あたりのエネルギーが大きく、効率がいい。既に石油精製などで造ってるし、使われてる。燃えても水しか出ないのでクリーン。この辺を押さえとけば、充分。
ただ、石油や天然ガスのように採掘できるわけじゃないので、二次エネルギーの性格が強い。とまれ、輸送や保存が安く簡単にできれば、日本の経済状況だけでなく、外交方針も大きく変える可能性もある。というのも。
今、日本のエネルギーは政情不安定な中東に強く依存してる。特に自動車は、ほぼ100%石油だ。そこで、燃料電池車が普及し、水素経由で電気エネルギーを輸入できれば、中東依存から脱却できる。輸入元としては、チリのパタゴニアの風量発電を…なんて案が出ている。ワクワクするでしょ。
SF的には、バイオマス生産量の小さい日本海溝あたりに、メガフロート浮かべて波浪発電ってのが、環境負荷も小さい上に、無駄にスケールがデカくて気持ちいいんだが、まあ笑って聞き流してくださいな。
今でも水素は石油精製で盛んに生産してるんだが、同じ石油精製で消費もしてるんで、余ってはいない。まあ、技術的には生産可能、ってことで。
使い方としては、燃料電池が最も現実的で、既にオフィス機器などのバックアップ電源で実用化してる。自動車も作ってて、「約500kmの走行が可能」で「燃費はガソリン車の2.5倍から3倍良くなる」が、「燃料電池の耐久性とコスト」が課題で、「全国的な水素ステーション網を作ることが必要」。実用化されるとしたら、走る路線が決まってるバスから始まり、宅急便とかに広がっていくのかなあ。ステーションが不要な燃料電池鉄道車両も研究中で、「1編成2両連結車」。架線不要が長所。
面白いのが潜水艦。「ドイツでは約780km潜水して航行できる燃料電池潜水艦を建造してます」。214型潜水艦(→Wikipedia)かな?
直接水素を燃やす水素ディーゼルエンジン・水素ロータリーエンジンもあるけど、「軽いため燃焼室内で空気と混じりにくい」「着火エネルギーが小さく燃焼速度が速いので逆火が起こりやすい」のが難点。
けど、自動車には事故がつきもの。爆発炎上の危険は?ってんで、なんと、トンネル内で実験してる。凄い。結果、「放出された水素は回りが火災状態なので直ちに着火し大きな火柱となりますが爆発することはありませんでした」。水素は軽い分、拡散も早いんで、爆発はしにくいそうな。
なお、水素の事故で有名なのが大型硬式飛行船ヒンデンブルグの悲劇。炎上の原因は水素でなく「船体外皮に塗られた酸化鉄とアルミナの混合塗料」。意外なのが、「チェッペリン社も外皮の発火実験を行い、外皮が事故の原因であるとの結論に達していました」。それを隠した理由は、「保険金の問題かナチスの圧力」。またできないかなあ、硬式大型飛行船。なんたって、見栄えがいいよね。「ダイナミックフィギュア」でも飛行船が活躍して嬉しかったなあ。
水素のもうひとつの問題は、分子が小さいので「漏れる」こと。だけじゃなく、金属を腐食する。「水素脆性」と言うとか。でも既に欧州じゃパイプライン輸送が始まってて、「仕様は天然ガス用のパイプラインのものとほぼ同様」で、既存の天然ガスのインフラを使って初期費用を抑えられるとか。
でも、家庭のキッチンで使うには、大きな問題がある。「萌える際の光はほとんど紫外線の領域にあり、人間の目ではほとんど見えない」。じゃ火力の調整が難しいよねえ。また、「着火しやすいガス」なんで、火災の危険も。
一次エネルギー的な利用では藍藻や緑藻に作らせる話も出てる。藍藻は窒素がない状態で光合成、緑藻は二酸化炭素がない状態でが光合成すると水素を作るとか。遺伝子操作で、「野生株の3%程度の太陽エネルギー変換効率が30%近くまで改良できると言われています」。おお、沖ノ鳥島に発電所を造ろう!
輸送では、種子島宇宙センターに液体水素コンテナを運ぶはしけの写真が拾い物。タンカーも考えてるけど、形が変。「積荷の液体水素は水に比べて1/14の重さで非常に軽く喫水が浅いため船体は双胴船になります」。カッコいけど、嵐には弱そうだなあ。
…などと、本としては文章量こそ少ないものの、内容は濃くてワクワクさせられる。近未来の技術が好きな人には、格好の一冊。
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