シェイクスピア全集5「リア王」ちくま文庫 松岡和子訳
オールバニー 武器は身につけているな、グロスター。ラッパを吹け。
【どんな本?】
イギリスの演劇・文学史上の頂点ウイリアム・シェイクスピアの作品を、松岡和子が読みやすい現代文に訳したシリーズの一冊で、シェイクスピア四大悲劇のひとつ。口先の追従と誠意を見分けらぬリア王と、簒奪を企む庶子エドマンドの計略に陥るグロスター伯爵を並べ、破滅する姿を描く。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
解説によると、底本は1608年のクォート版「The History of King Lear」と、1623年のフォリオ版シェイクスピア全集収録の「The Tragedy of King Lear」があり、どっちがオリジナルかは盛んな議論がある模様。松岡和子による日本語版は1997年12月4日第一刷発行、私が読んだのは2007年12月10日の第六刷。
文庫本で縦一段組み、本文約235頁に訳者あとがき8頁+河合祥一郎の解説「裸の王様――不必要な衣装を脱ぎ捨てて」13頁に加え、扇田昭彦の戦後日本の主な『リア王』上演年表(1945~98年)11頁。9ポイント28字×17行×235頁=111,860字、400字詰め原稿用紙で約280枚。小説なら中篇かな。
戯曲なので、ほとんど台詞だけで構成されている。状況説明や登場人物の心理描写はない。舞台で役者が演じるのを想像しながら読もう。また、登場人物の立場の説明もないので、冒頭の人物一覧は必須。栞を挟んでおこう。
【どんな話?】
老いて隠居を決めたブリテンのリア王は、三人の娘に財産と権力を分け与えようとする。誠実な末娘コーディリアの直言に怒ったリア王は、追従の巧い長女ゴネリルと次女リーガンだけに分与を決め、王の短気を諌めたケント伯爵も追放する。全てを失ったコーデリアだが、彼女に求婚するフランス王は想いを貫き彼女を娶りフランスへ戻る。
忠臣のグロスター伯爵には二人の息子、嫡子エドガーと庶子エドマンドがいた。野心に燃えるエドマンドは、正当な継承者エドガーを追い落とす計略を企て…
【感想は?】
「古典って、やたらと台詞が大袈裟なんだよなあ」と思っていたが、戯曲ゆえの方便なのかも。小説と違い心理や表情の記述がない分、台詞で補うしかない。そこに解釈の幅が生まれ、様々なバリエーションが発生する余地がある。
この作品の特徴のひとつは、似た様な立場の人がペアになってること。判りやすいのが騙されるリア王とグロスター伯爵、悪役の長女ゴネリルと次女リーガン、正体を隠し忠義を貫くケント伯爵とエドガー。エドガーはトリックスターとして道化のペアかもしれない。
作品としては、悪役の魅力が光る。ゴネリルとリーガンは有名だが、ゴネリルの執事オズワルドも小悪党っぽくていい。トランスフォーマーならスタースクリームのポジション。でも、最も輝いてるのが、グロスター伯の庶子エドマンド。最初はセコい小悪党っぽかったのが、話が進むに従って、いかにも黒幕って感じの貫禄がついてくる。
舞台で演じるなら、恐らく最も重要なキャストはゴネリルとリーガン。
プロレスがそうなんだけど、一般にベビーフェイスより悪役の方が高いギャラを取る。善玉はレスリングだけしてりゃいいけど、悪役は観客の反応を観察して客を煽らなきゃいけない。高度な演技力と柔軟な即応性を要求されるんで、ビジネス感覚に優れている人が多く、引退後はプロモーターとして活躍するケースも多い。
ぶっちゃけ主役のリア王は大根でも大袈裟な演技ができれば充分だし、コーディリアは清純派の新人女優のデビューにピッタリの役。でも、ゴネリルとリーガンは、経験豊富な演技派でないと勤まらない。いかにゴネリルとリーガンを憎たらしく演じられるかで、舞台の出来が決まる。冒頭のお追従で性根の卑しさを醸しだし、観客に「うわ、こいつ気持ち悪い」とまで思わせたら、たいしたもの。
…とか考えると、この劇、巧くできてるよなあ。継続的に劇団を運営するつもりなら、定番として実に都合がいい配役ができる。新人女優はコーディリアでデビューさせて、実力がついたらゴネリルとリーガンを割り振ればいい。
ケント伯爵とグロスター伯爵は元二枚目俳優、エドガーは青年のイケメン俳優の役どころ。オズワルドはヤクザ映画(今ならVシネマ)出身の人かな?権力を嵩にくる卑しい小役人って感じ。道化はまんま芸人として、難しいのがエドマンド。見た目がエドガーより若くなきゃいけない上に、かなりの演技力が要求される。他の役はあまり二面性を要求されないけど、エドマンドは最初の小悪党から終盤の「悪の首領」の貫禄まで、幅の広い演技が必要になる。
ガンダムなら…長女キシリア殿下、次女ハマーン様かなあ。すんません、Vは観てないんでよくわからんです。コーディリアはセイラさん。エドマンドはシロッコで、オズワルドはヤザン。あ、フランス王はヘンケン艦長で。ガンダム世界だと意外と難しいのがケント伯とエドガー。こういう忠義者って、あんまし出てこないんだよね、あの世界。リア王?年寄りなら、誰でもいいや。
有名作品だけあって、映画やドラマや漫画に引用される台詞も結構ある。冒頭の引用は決闘を申し込む際の台詞。時代劇なら「刀を取れ、月之介」とかになるのかな?
リア王 (赤ん坊が)生れ落ちると泣くのはな、この阿呆の檜舞台に引き出されたのが悲しいからだ。
訳者あとがきにもあるように、女性を罵倒する台詞が多いのも、この作品の特徴。この辺は、ちと強烈すぎて、かえって引用しにくいかも。
リア王 半人半馬のケンタウロス、腰から上は女だが下半身は馬なのだ。
神が造りたもうたのは帯のところまで、
そこから下は悪魔の持ち場だ。
笑っちゃったのが、老いた従者の台詞。
老人 ああ、旦那様!
わたくしはご先代のころからお仕えしてまいりました、
もう八十年になります。
「先代のころから仕えた」ってのは、よく出てくるよねえ。
他の作品の解説にもあるが、シェイクスピアの作品は既存の伝説などを原型にした作品が多い。驚いたのは、このリア王の原型はハッピーエンドだった、という事。確かに結末はいろいろといじる余地がある、というか、ハッピーエンドの方が庶民には受けそう。
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