シェイクスピア全集10「ヴェニスの商人」ちくま文庫 松岡和子訳
「…やつは俺が損をすればあざ笑い、儲ければ馬鹿にし、俺の民族をさげすみ、俺の商売に横槍を入れ、俺の友だちに水をさし、敵を焚き付けた――理由はなんだ? 俺がユダヤ人だからだ。 ユダヤ人には目がないか? ユダヤ人には手がないか、五臓六腑、四肢五体、感覚、感情、喜怒哀楽がないのか?」
【どんな本?】
英文学・演劇史上の頂点に君臨するウイリアム・シェイクスピアの作品を、松岡和子が読みやすい現代口調に翻訳したシリーズのひとつ。人望厚い商人アントーニオとユダヤ人高利貸しシャイロックの確執に絡め、裕福な女性相続人ポーシャ&若者バサーニオ、シャイロックの娘ジェシカ&ロレンゾー、ポーシャの侍女ネリッサ&グラシアーノの恋を描く。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
解説によれば執筆時期は1596年晩夏~1598年初夏の間で、シェイクスピア30代前半の作品。松岡和子訳の日本語版は2002年4月10日第一刷発行。文庫本縦一段組みで本文約183頁+訳者あとがき8頁+中野春夫の解説「アントーニオとポーシャのメランコリー」5頁。9ポイント29字×17行×183頁=90,219字、400字詰め原稿用紙で約226枚。小説なら中篇~短い長編の分量。
文章そのものは読みやすい。ただ、戯曲なので、ほとんど台詞だけで構成されており、登場人物の生い立ち・性格などは特に明示されないので、冒頭の人物一覧は必須。栞をはさんでおこう。また、訳者あとがきは、登場人物間の関係を把握する大きなホントになるので、最初に読んでもいい。
それによると、アントーニオがバサーニオの兄貴分、バサーニオはグラシアーノやロレンゾーのボス格だとか。これは勝手な想像だが、アントーニオは20代後半、バサーニオたちは20代前半。
【どんな話?】
裕福な相続人ポーシャに焦がれるバサーニオだが、懐はスッカラカンどころか借金を背負っている。借金を清算してポーシャに求婚したいバサーニオはアントーニオにすがるが、アントーニオも今は複数の貿易船に投資していて現金は融通できない。仕方なしに悪名高いユダヤ人高利貸しのシャイロックに、アントーニオの体一ポンドを担保に金を借りる。
その頃、ポーシャはひっきりなりに訪れる求婚者の群れにうんざりしていた。父の遺言で、求婚者は金・銀・鉛の三つの箱から一つを選ばなければならない。
【感想は?】
うーむ。どうにもシャイロックに感情移入してしまい、素直に喜劇として楽しめない。私が捻くれているのかと思ったが、解説によれば「人によってまったく正反対の印象を持つことが十分ありうる」そうなので、少し自信を持てた。
そもそもバサーニオの借金の原因が、彼の派手な放蕩生活。それを解決する手段が、ポーシャの逆玉狙いという非生産的な方法。貧乏人としては「働けよバサーニオ」と言いたくなる。
そのツケを背負い標的となるアントーニオ、金を借りる立場なのに、シャイロックに向かい「これからも私はお前を犬と呼び唾をはきかけ、足蹴にだってしてやる」ときたもんだ。そんなに嫌いなら、沢山いるはずのお仲間に借りればいい。
だいたい、利子を取って何が悪い。その金を他の事に投資すれば利益を生むんだし、貸し倒れの危険もある。担保や信用のある者なら、他の人が低利で融通するだろう。貸し倒れる危険の多い者に貸すんだから、利率が高いのは当然。
…などと現代の感覚で考えちゃうからだろうなあ、楽しめないのは。ただ、本当にシェイクスピアがシャイロックを「単なる悪役」として書いたのか、ってのは少し疑問があって。冒頭の引用もそうだけど、他にもシャイロックには痛烈な台詞がある。
あなた方は大勢の奴隷を買いとっておいでだ、
そしてロバや牛馬並みに 卑しい仕事にこき使っておられる
理由は、買ったものだから――ではこう申し上げましょうか、
奴隷どもを自由にし、あなた方の跡取り娘の婿になさっては?
この手の台詞、シャイロックだけなら「意図的に観客の怒りをかき立てシャイロックを憎ませるための挑発」と解釈できるんだが、もう一人、(当時としては)過激な発言をしている人がいる。
ああ、身分、地位、官職などが
腐敗から引き出されることなく、汚れない名誉が
それをまとう者の価値によって得られる世の中であってほしい!
そうなれば、いま低い地位にある者の何人が高い地位に就くことか!
これを語るのが、ポーシャへの求婚者アラゴン大公。登場場面は一場だけのチョイ役だが、大公という高い地位もさることながら、性格的にも潔さを感じさせる。卑賤な生まれから実力で成り上がり、血気盛んな30代のシェイクスピアが書いた作品だと考えれば、お話の大枠で商業的な成功を狙い、台詞の端で自分の本心を吐露した、と解釈しておこう、今は。
商業的な成功って意味では、結構あざとい真似もしていて。この作品、妙に若い女優が男装する場面が多い。有名なのはクライマックスのポーシャとネリッサだが、もう一人、なぜかジェシカがロレンゾーとの逢引場面で少年に化けている。そういえばハムレットでも「子供役者が流行ってる」みたいな台詞があったし、こういう倒錯的な配役は当時の流行だったんじゃなかろか。
ってな倒錯的な面白さもあって、トコトン盛り上がるのが裁判の場面。シャイロックの怨念立ち込める存在感と、それに対する頓知の利いた判決は、快感ではあっても少々後ろめたい気分を残す。それを吹き飛ばすのが、その後のポーシャ&ネリッサとバサーニオ&グラシアーノの夫婦漫才。
お調子者で頼りないバサーニオと、裕福なポーシャの結婚に多少の不安を抱く観衆も、このクライマックスでポーシャの才覚に感心し、「ああ、こりゃバサーニオは尻に敷かれるな、なら大丈夫だろう、めでたしめでたし」と安心して席を立てる親切設計となっている。
古典と言えば上品そうな印象があるけど、実はシモネタが多いのもシェイクスピアの特徴。意外とシモネタって時代を超える力があるんだよなあ。
ネリッサ「あら、息子ひとりにそんな大金を?」
グラシアーノ「ま、ムスコが立たなきゃ勝てっこないけどな」
あらすじでわかるように、これはお金と恋のお話。気の利いた台詞は沢山あるが、恋編では短くも痛快なこれ。
グラシアーノ「恋する者の脚は時計より速いって言うだろ」
お金はいろいろあるが、直前のこれで締めよう。
シャイロック「しっかり締める、しっかり貯まる」
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