伊藤計劃「メタルギアソリッド ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」角川文庫
ぼくが語るのは、このスネークたちの物語。
かつて世界を変えようとしたスネーク。世界を解放しようとしたスネーク。世界を守ろうとしたスネーク。様々なスネークがいて、様々な戦いがあった。
ぼくはきみに、それを語りたい。
【どんな本?】
「虐殺器官」「ハーモニー」という傑作SFを書き上げた伊藤計劃による、もう一つの長編小説であり、コナミの人気ゲームシリーズ「メタルギアソリッド」(以後MGSと略す)の4作目「ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」のノベライズ。主人公スネークとコンビを組むオタコンの視点で、スネークの戦いと生き様を綴る。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2010年3月25日初版発行。文庫本で縦一段組み、本文約519頁+あとがき4頁に加え、なんとMSGシリーズ製作の指揮をとる小島秀夫へのインタビュー「伊藤計劃さんとのこと」11頁を掲載。9ポイント40字×18行×519頁=373,680字、400字詰め原稿用紙で約935枚の大作。
文章そのものは読みやすいのだが、語られる設定や物語があまりに膨大かつ複雑なので、ゲームをプレイしていない読者は気を抜くと迷子になってしまう。できればまとまった時間を取って一気に読もう。
【どんな話?】
舞台は、現代と少しだけ違う世界。冷戦が終わって民間軍事会社(PMC)が発達し、戦闘行為の多くは傭兵によって行われている。多くの困難なミッションをこなし、伝説の傭兵ソリッド・スネークとして知られる男は、反政府軍の兵に紛れ、その戦場に姿を現した。政府軍は反政府軍の動きを読んでいたらしく、反政府軍の兵を着実に狙撃していく。身動きが取れなくなった反政府軍。しかし、政府軍は容赦なく更なる攻撃手段を繰り出した…
【感想は?】
最初にお断りしておこう。私はMGSシリーズをプレイした経験がない。MGSに関しては、ニコニコ動画で時折MGSをネタに使っている動画を見かけた程度。バンダナしたヒゲ面のムサい男が段ボール箱に隠れて…という、断片的で偏った印象だ。それでも、伊藤計劃の著作ならハズレはあるまい、と思って読んだ。結果から言えば、予想通り。むしろ、MGSこそ作家伊藤計劃の原点ではないか、とすら思えてくる。
ゲームのノベライズは、大抵の場合ゲームのファンを読者対象に想定している。それだけに、往々にして設定などが説明不足だったりするのだが、本作は、ゲームを知らない読者でも理解できるよう、充分な配慮をしている…というか、親切すぎるかも。
今までゲームのノベライズは幾つか読んだが、未プレイの作品のノベライズを読むのは初めてだ。つくづく感じたのが、ゲームと小説では、リアリティの演出方法が全く違うという点。小説は文章だけで伝えなければならない分、書かれた事柄の整合性には気を使う。ゲームは映像や音があるため、舞台の照明や小道具などに気を配らなければいけない。反面、映像に充分な説得力を持たせれば、理論的には無茶なガジェットも投入できる。
現代を舞台に、ID化された銃器は時期尚早だし、PMCも相当にデフォルメしている。最後の戦闘で敵が使うアレも、口うるさいSF者ならアレコレとイチャモンをつけるだろうが、そこは作者も承知の上で、具体的な数字を出して「いや無茶だよねー」と自ら突っ込みを入れている。
また、ゲームでは、難易度などのバランスを調整するために、現実にはありえない便利なルールや小道具を導入している。多くのシューティング・ゲームは無限に弾装を交換できるし、戦場には一瞬で移動する。この作品でも、「あ、これはゲームの仕様だな」と思わせる場面が多々ある。代表的なのが、武器洗浄屋のドレビン。小説として読むと唐突な登場なのだが、これもゲームを面白くするために必要なんだろう。
など、「ゲームならではの無茶」を許容できる人なら、この作品は楽しめるだろう。
そういった無茶に目をつぶると、現代の戦場が抱える問題や、先端技術が実現しつつある機能やガジェットを惜しみなく取り込み、エキサイティングな設定がギッシリと詰め込まれている。先に触れたID化された銃も、IPv6が普及すれば確実に実用化されるだろうし、多くの国が競って導入するだろう。この作品では軍用だが、むしろ警察こそ熱望するはず。
現代の戦場と言う点では、冒頭から戦術の変化を通じて読者に大きな問題を提起する。大抵、狙撃兵は足や腕を狙う。他の兵が負傷兵を後送するので、一発の弾丸で二人を戦闘不能にできるからだ。しかし、相手が傭兵の場合は…。
この作品はMGS4のノベライズなのだが、実際はMGSシリーズ全部の総決算といった感がある。というか、一見の読者に配慮するために、今までのMGSシリーズの設定を説明する必要があり、そのため小説としては極端に説明が多く内容の濃い歪な形になってしまった。
きっと著者は主人公のソリッド・スネークを始め、全ての登場人物と物語世界に心底惚れこんでいるんだろう。そのため、「役割を演じる人形」ではなく、ちゃんと人生を抱えた人間として描きたかった。だから、今までのシリーズで各人物が登場したシーンも語る必要があり、シーンを語るために背景も説明せねばならず…といった風に、書くべき事柄が膨れ上がっていったんじゃなかろうか。構想の段階で作った骨組みは膨大すぎて、泣く泣くエピソードや人物を削っていったに違いない。
こういったガジェットや世界観を、著者なりに消化して煮詰めた作品が「虐殺器官」であり、「ハーモニー」では、更にその先を見つめている。ミァハとトァンは、スネークの分身として読むこともできるだろう。
などと書いているとMGSシリーズをやりたくなるんだが、プレイステーション3がない。しくしく。
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