カール・ジンマー「大腸菌 進化のカギを握るミクロな生命体」NHK出版 矢野真千子訳
「E・コリにあてはまることは、ゾウにもあてはまる!」 ――ジャック・モノー
【どんな本?】
米国のサイエンス・ライターによる、最新の分子生物学の一般向け啓蒙書。分子生物学の研究で頻繁に使われるE・コリこと大腸菌を中心に、遺伝学・分子生物学の曙からシゲラこと赤痢菌の発見・抗生物質の普及と耐性菌の発生・ウイルス進化論やRNAワールド仮説など近年の研究動向・そしてインテリジェント・デザインとの論争や遺伝子組み換え作物の現状などの社会動向まで、バラエティ豊かな話題と知識を提供する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Microcosm, E.Coli and the New Science of Life, by Carl Zimmer, 2008。日本語版は2009年11月30日第一刷発行。単行本サイズのソフトカバーで縦一段組み本文約317頁。10ポイント42字×18行×317頁=239,652字、400字詰め原稿用紙で約600枚。長編小説なら標準的な分量。
一般向けの科学解説書であり、文章そのものは悪くないんだが、やや不親切。「プラスミド」や「リボソーム」などの単語がよく出てくるんだが、できれば細胞構造のイラストが欲しかった。まあ、高校の生物レベルの知識だし、今は Wikipedia を見ればいいんだけどね;私の科学解説書の評価は、中学卒業レベルで理解できないと「不親切」とか「難しい」って評価になるんで、そのつもりで。
【構成は?】
1 生命の軌跡
2 E・コリにあてはまることは、ゾウにもあてはまる
3 細菌単体としてのシステム
4 自然界での社会生活
5 絶え間なく流れる生命の川
6 存在を賭けての戦略
7 進化のスピード
8 オープンソースの遺伝子マーケット
9 生命の起源にさかのぼる
10 生命を人工設計する
11 さて、地球外の生命は?
謝辞/訳者あとがき
索引/参考文献/原注
全般的に時代に沿って研究成果を紹介していく流れ。
【感想は?】
こっちの脳味噌が劣化してて、本を読んでも片っ端から内容を忘れていくせいもあるが、やっぱり生物学の解説書はエキサイティングだなあ。
冒頭の引用は、ノーベル賞受賞者ジャック・モノーの言葉。E・コリとは、大腸菌のこと。DNA上の3つの塩基は、一つのアミノ酸に対応している。これがDNAの「文字」だ。そして、ゾウも大腸菌も同じ文字を使っている。この事実を、上のように表現した、というわけ。
大腸菌と言うとナニやら汚い印象だが、大半の大腸菌は無害、というのも意外。まあ場所によっては悪さするんだけどね。尿道や膀胱に入っちゃうと炎症を起こしたり。
病気で怖いのが、志賀潔の研究で有名な、赤痢。日本人は赤痢菌と言ってるけど、実は大腸菌と同じだそうで。なんと、O157H7も。じゃ、なんで振る舞いが違うのかと言うと。
特定の遺伝子を活性化したり不活性化したりするスイッチがあって、この状態で振る舞いが変わる。で、このスイッチの状態も、遺伝しちゃう。テキサスでミケネコのクローンを作ったら、性格と体格ばかりか、毛色まで違ってたそうな。元は白地に茶色と褐色と黄色のぶち、クローンは灰色のストライプ。
このスイッチ、個体を制御するだけでなく、多細胞生物じゃ、もっと重要な働きをしてる。「あるものは肝臓の細胞になり、あるものは骨になる」。iPS細胞ってのは、このスイッチをリセットしたシロモノ、と考えていいのかしらん。
進化の要因のひとつは、突然変異。この突然変異の発生確率が、環境で違うってのも驚き。
E・コリは痛んだDNAをポリメラーゼという酵素で修復する。ポリメラーゼには、修復に際する忠実度が高いタイプと低いタイプの二種類がある。いつもは高忠実度のポリメラーゼがすべての修復作業をおこない、(略)
DNAが大量に傷ついてしまったときには、低忠実度ポリメラーゼはDNAの修復を手伝う(略)
とはいえ忠実度が低いということは修復作業があまり正確でないということなので、修復ミス、つまり「変異」を多く残すことになる。
遅いけど確実な修復と、手早いけど荒っぽい修復の2モードがあって、環境がヤバくなると手早い方式に切り替える。で、突然変異の発生率が「100倍から1000倍に上がる」というから凄い。断続平衡説を支持する有力な手がかりになる…のかなあ?でも、多細胞生物だと、ちと事情が違うよね。
再び赤痢菌。戦後、水質を改善した国はみな赤痢の発生率が減ったのに、唯一の例外が日本。「発症例は1948年で2万件を割っていたというのに、1952年には11万件を超える急上昇となった」。今の日本の水道水の品質基準が厳しい理由の一つが、これかな。
その原因の一つは、菌に抗生物質への耐性ができたこと。もう一つが怖い。ウイルスによって、耐性の遺伝子が他の菌にも運ばれたこと。こうして、急速に大量の赤痢菌が複数の抗生物質への耐性を獲得しちゃったわけ。ウイルスは多細胞生物にも遺伝子を運び、「こうしたゲノム寄生体はいまや、ヒトゲノムのおよそ8パーセントを占めている」。
バイオハザードに対し、著者は楽観的な見解を示している。インシュリン製造など遺伝子を組み替えた細菌は、普通の細菌より、余計な仕事をしている。この余計な仕事は、自然状態では無駄なエネルギーの浪費になる。温度や栄養状態を完全に制御した環境だから、遺伝子組み換え細菌は生存できる。自然環境では、生存競争に敗れすぐ絶滅するだろう、と。
植物だと、「2006年に植えられた遺伝子組み換え作物の約80%は同じ目的で操作されている。グリホサートという除草剤に耐性を持たせている」。が、「2~3年後には、クワモドキやヒルガオなどの雑草が畑に侵入しているのが見つかった」。耐性を獲得しちゃったわけ。「ねじまき少女」の世界だなあ。
最後は、お決まりのネタを。「いつかヒト細胞のプログラミングをハッキングして、新しい臓器を製造することができるようになるかもしれない」。つまりネコミミ少女ですね←しつこい
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