シェイクスピア全集1「ハムレット」ちくま文庫 松岡和子訳
寄る年波は忍び足
おいらはむんずと掴まれて
遥かな国に運ばれて
見る影もないこの姿
【どんな本?】
To be, or not to be などの名台詞で有名な、シェイクスピアの代表作を、松岡和子が読みやすい現代語に訳した作品。デンマークの若き王子ハムレットが、亡き父の凄惨な死の真相を知り、運命の苛烈さに悩み狂気を装いつつ、復讐へと突き進む。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
解説によると、1600年か1601年ごろ。日本語訳はいろいろ出ているが、松岡和子のちくま文庫版は1996年1月24日第一刷発行、私が読んだのは2007年5月10日の第九刷。文庫本縦一段組みで本文約263頁。8.5ポイント29字×17行×263頁=129,659字、400字詰め原稿用紙で約325枚。小説なら短めの長編の分量。
一見とっつきにくい古典文学だが、松岡和子の訳文は、雅な雰囲気を残しつつも親しみやすい現代文。また、編集(組版)でも読者の便宜を図っている。大量の注記を、章末や巻末でなく、同じ頁の下につけているので、いちいち他の頁をめくる必要がない。この配慮は、とても有難かった。
とはいえ、戯曲だ。小説とは勝手が違う。現代のドラマや映画の脚本とは違い、ト書きは役者の登場と退場を示す程度で、文章の大半は役者の台詞だ。小説のような情景や心理の細かい描写がない。今なら脚本ではなく台本に相当するだろう。正直言って、暫くは戸惑った。が、自分なりにコツは掴んだ。「舞台で役者が演じている」様子を想像しながら読めばいい。
【どんな話?】
時は中世、所はデンマーク。前王が逝去し、その弟クローディアスが王位を継ぎ、王妃だったガートルードを娶る。そんな母に納得がいかぬ若き王子ハムレットは、父の幽霊から死の真相を知らされる。クローディアスとガートルードが図って父を毒殺した、というのだ。悩むハムレットは塞ぎ込み狂気を装い、宰相ポローニアスの娘で恋人のオフィーリアにも冷淡になる。心配する周囲をよそに、ハムレットは復讐へ向け一歩を踏み出し…
【感想は?】
シェイクスピアの戯曲が舞台や映画の人に喜ばれる理由が、少しわかる気がする。小説と違い台詞しか書いていないので、解釈の幅が大きいのだ。個々の台詞は決まっちゃいるが、それを語る人物の気持ちや表情は明記されていない。だもんで、「ファージングⅡ 暗殺のハムレット」では「ハムレットは女性だった」なんて珍解釈まで飛び出している。
もうひとつ、ハムレットには劇中劇があったりで、「演劇」そのものを重要なテーマの一つとして取り上げている。なんたって、大半の登場人物が本音を隠して演技してるわけだし。加えて、劇団員が「最近は子供役者を使った芝居が流行して俺たちはお払い箱」なんて時事ネタもい扱ってるんで、この辺は色々とアレンジしやすい。宝塚なら、さしずめ「最近は女ばかりの劇団が大好評で、客を取られちまった」とでもする所だろう。
などと想像しながら読むと、「きっと女性客を狙った劇として書いたんだろうなあ」と思ってしまう。
題名が示すように、主役はハムレット。読んだ印象は、若く細身で生真面目な、でも少し暗いイケメン青年。剣の腕に優れ頭の回転も速い。この訳での初演は1995年に主役真田広之とあって、「いかにもハマった配役だなあ」と納得。ガンダムなら、カミーユを充てる所。「いかにハムレットをいい男に見せるか」が、劇としての成否を握る鍵。
その分、割を食ってるのが、ハムレットの恋人役のオフィーリア。親父のポローニアスには「あんまし王子にデレデレするな、どうせすぐに飽きられる」と説教され、肝心のハムレットには身に覚えもないのに「尼寺へ行け」と罵倒され、挙句の果てには…
これも、女性客を重視した故の展開と考えると、納得がいく。「いかに女性客を主役ハムレットに惚れさせるか」が鍵なら、女性客にとってオフィーリアは恋敵。なら、徹底的に苛めれば、女性客は満足するだろう
…ってのは、ちと意地悪すぎる解釈かな。
実際、ハムレットだと、女性は「運命に流される」タイプの人ばかり(といっても二人しか出てこないけど)で、ちと存在感がないんだよなあ。王妃のガートルードにしても、なんかクローディアスにそそのかされた故の犯行、って雰囲気で、自分の意思で動いたって感じはない。今はマクベスを読み始めてるんだが、こっちのマクベス夫人のふてぶてしい存在感とは対照的。
この作品のもう一つの読み所は、やっぱり台詞。気が利いてるのは勿論、有名なだけに昔からアチコチで引用されまくってる。有名な To be, or not to be は今じゃギャグにしかならないけど、他の台詞は、意外な作品で引用されてる。私が「あれ?」と思ったのは、ハムレットがポローニアスの息子でオフィーリアの兄レアティーズに言う台詞。
俺は怒りっぽくも喧嘩っぱやくもない。
だが、いざとなると危険な男だ。
これ、映画トップガンでマーベリックがアイスに向かって投げる決め台詞「俺は危険な男だぜ」の元ネタじゃないかな?英米のドラマや映画が好きな人なら、他にも色々と見つけられるはず。
気の利いた台詞は他にも多々あって、ハムレット君、狂ってる筈なのに会話の応答は絶妙の機転を見せる。擦り寄るオフィーリアに対して、「お前が貞淑で美しいなら、貞淑と美しさは親しくつきあわせないほうがいい」なんて、本当にイカれてるのか?もうひとつ、実の母である王妃との掛け合い。
王妃「ああ、ハムレット、お前は私の心をまっぷたつに裂いてしまった」
ハムレット「ああ、それなら悪い方は捨て、良い方を残して清く生きて下さい」
舞台で掛け合えば、絶妙の面白さだろうなあ。
などと私の脳内ではガンダムのキャストによるシェイクスピア劇が展開してる。主役は先に書いたようにカミーユ、誠実で力持ちなホレイショーはスレッ ガーかククルス・ドアン、レアティーズはガルマ・サビ、クローディアスはコンスコン、ポローニアスはデギン・ザビ。でも女性が困るんだよなあ。ガートルードは老けたレコアさんとして、オフィーリアは…フォウもファも、しっくりこない。うーん。冨野ワールドの女性って、あんまし「運命に流される」タイプの女性が出てこないんだよね。
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