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2012年3月 5日 (月)

安武塔馬「レバノン 混迷のモザイク国家」長崎出版

 いったい、レバノンで何が起きているのか?
 なぜレバノン情勢は、ほとんど絶え間なく、混乱を続けるのか?
 複雑怪奇な最近のレバノン情勢を、なるべくわかりやすく解説するのが本書の目的である。

【どんな本?】

 20以上中東に滞在する著者が、中東の諸問題を凝縮したようなレバノン情勢を、各政治組織の勢力争いを軸に解説する。時間的には2005年2月14日のラフィーク・ハリーリ元首相暗殺事件を中心であり、それ以前のレバノン内戦は背景説明として軽く触れる程度。登場するのは主にレバノンとシリアの政治家であり、民間人はほとんど出てこない。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年7月20日初版第1刷発行。ソフトカバー縦1段組、本文約214頁。9ポイント45字×17行×214頁=163,710字、400字詰め原稿用紙で約410枚。長編小説ならちと短め。

 文章そのものは読みやすいが、テーマのレバノン情勢そのものが複雑怪奇であり、人名や略語も頻発するので、理解するのは結構苦労する。大きな変化があった際には、各勢力同士の関係を図示するなど工夫していて、これが結構便利。出来れば栞を複数用意して、勢力構成図の頁をすぐ開けるようにしておこう。

【構成は?】

 はじめに/用語解説
第1部 ハリーリ元首相暗殺事件
 第1章 暗殺事件発生
 第2章 事件の背景
 第3章 容疑者
第2部 国際捜査とレバノン情勢の展開
 第1章 国際捜査
 第2章 特別法廷設置とレバノン情勢
 第3章 ヒズボッラー犯行説浮上
 第4章 「ドーハ休戦期間」の終了
第3部 中東情勢急変とレバノン
 第1章 吹きすさぶ革命の嵐
 第2章 レバノン情勢の膠着
  おわりに/レバノン現代史 年表

【感想は?】

 冒頭に書いたように、レバノンという国家を俯瞰的に眺めた本ではない。現代のレバノンの政治情勢を詳しく解説した本だ。そのため、例えばレバノン社会の様子などは、説明が必要になった段階で、実用最低限の要領で簡潔に出てくる程度。主眼が政治情勢なので、産業界の動きや庶民生活などもほとんど出てこない。宗教関係も、政治と関連する動きに限られている。その辺は覚悟しよう。

 また、時間的にも、2005年のハリーリ元首相暗殺事件を中心に、それ以前は事件の背景説明という形でレバノンの現代史を解説し、以降は事件の国際捜査を巡る政治対立を軸に話を展開している。実際のレバノン政界でも、国際捜査が与野党間の最大の対立案件である、という視点で書いている。

 私はレバノン情勢についてほとんど知らずに読んだが、それでもある程度は理解できた。できれば杉の革命(→Wikipedia)ぐらいは予め知っておいた方がいいだろう。

 情勢は複雑であるにせよ、一応の軸はある。まずは宗教による分類で、イスラム教スンニ派・イスラム教シーア派・キリスト教マロン派が三大派閥。もう一つの軸は、シリア。内戦以来、シリアの強い影響下にあるレバノンでは、親シリアと反シリアがもう一つの軸となる。

 大雑把に言うと、今のところスンニ派は反シリアでシーア派はヒズボッラーを中心に親シリア、マロン派は両勢力に分かれてる。日本との大きな違いは、宗教が同時に政治勢力でもある点で、この辺は最近になって変化を求める声が出てきたそうな。

 この宗教の浸透度、冒頭に主な政治家の写真が出てるんだが、これが結構象徴的。いかにもイスラムな格好してるのはヒズボッラー議長ハッサン・ナスラッラーだけで、他はスーツか軍服。髭を剃ってる人も多く、見た目じゃスンニ派とマロン派の区別がつかない。

 政治と宗教の結びつきを強化しているのが、ややこしい選挙制度。国会は一院制で定数128、キリスト教とイスラム教で定数64づつ分け合う。イスラム内でもスンニ派27・シーア派27・ドルーズ派8・アラウィー派2と決まってる。これは選挙区でも同じで、例えばトリポリ選挙区の定数は8で、スンニ派5・マロン派1・ギリシア正教1・アラウィー派1。

 日本だと大選挙区でも有権者の票は一人一票なんだが、レバノンはここからがややこしい。有権者は8票まで投票できる。スンニ派には5票まで、マロン派・ギリシア正教・アラウィー派の候補者それぞれに一票づつ投票できる。問題は、投票者の宗派は関係ないって点。

 マロン派の候補者2名、太郎と次郎がいる、とする。太郎はマロン派に絶大な人気がある。次郎はマロン派に不人気だが、スンニ派に支持されている。この場合、次郎が当選するだろう。

 つまり、キリスト教の代表者を決めるのはキリスト教徒ではなく、スンニ派という事になる。よって、マロン派の候補者は、スンニ派の最大派閥の協力をどう取り付けるかが鍵になるわけ。

 一般にスンニ派の有権者はマロン派候補の事を良く知らないし、マロン派の有権者はアラウィー派の候補者を知らない。だから、政党側も「定職メニュー」を用意して、「マロン派は次郎・ギリシア正教は浩二・アラウィー派は賢一に投票しよう」と、他の宗派の誰に投票すべきか、有権者に指示する。

 ってんで、各政党は選挙前から他の宗派の政党と選挙協力を巡って駆け引きする。ハリーリ元首相暗殺事件以後、レバノンは反シリアの機運が高まり、反シリア的な与党3.14勢力とヒズボッラー中心で親シリアな3.8勢力に分かれ、反シリア優勢と思われたんだが、マロン派のFPMが反シリアの3.8に合流して…なんて流れは唖然とする。

 外交政策も様々で、意外なのがヒズボッラー。リビアでは反カダフィ。レバノンのシーア派の政治的覚醒の父とされる、イラン出身のムーサ・サドル師が1978年にリビア訪問後、消息を絶つ。カダフィがサドル師を暗殺したと確信するレバノンのシーア派は、カダフィを敵視してるわけ。

 現在のレバノン政界の概況、といった性格の本書。できればレバノンの庶民生活や文化にも触れて欲しかったなあ。

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