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2012年3月 6日 (火)

レイ・ブラッドベリ「死ぬときはひとりぼっち」文藝春秋 小笠原豊樹訳

 その昔、カリフォルニアのヴェニスの町には、気が滅入ることを好む人になら魅力的なものがたくさんあった。霧はほとんど毎晩のように立ちこめたし、海沿いの油井では機械が呻いた。風が出て、がらんとした広場や、人影のない遊歩道で風の唄が始まれば、運河では暗い海水がぴちゃぴちゃと、家々の窓では砂がしゅるしゅると音を立てた。

【どんな本?】

 SFやファンタジーの大家レイ・ブラッドベリが始めて挑む、ハードボイルド長編小説三部作の開幕編。時は終戦間もない1949年、場所はカリフォルニア州のロサンゼルスに近い海辺の衰えつつある町ヴェニス。駆け出しの売れない小説家の「私」が、たまたま殺人事件の第一発見者となってしまった事件を追って、奇矯な住民や友人たちとドラマを繰り広げる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Death is a Lonely Business, 1985。昔は早川書房から単行本、追ってハヤカワ文庫から文庫版が出ていたんだが、絶版で長らく入手困難だったのが、2005年に文藝春秋から単行本で復活。私が読んだのは2005年10月25日の第1刷。単行本で本文約376頁+訳者あとがき3頁+池上冬樹の解説7頁。9ポイント43字×20行×376頁=323,360字、400字詰め原稿用紙で約809枚。長編小説としては長い方。

 文章は、良くも悪くも直喩暗喩を駆使した、いつものブラッドベリ。

【どんな話?】

 太平洋に面した死にゆく町、ヴェニス。路面電車が走る町には櫛の歯のように運河が入り込み、名物の海上遊園地は老朽化して閉鎖寸前。駆け出しの27歳の小説家の私が、路面電車の車内に乗り合わせた男に不吉な言葉をささやかれ、厄払いのつもりで飲めない酒を飲んだ深夜、それを発見した。

 運河に落ちたサーカスのワゴン車のライオンの檻。その中で、波に揺られていた、一人の男の死体。

【感想は?】

 「ブラッドベリのハードボイルド?なんか思いっきりミスマッチだよなあ。どうなるんだろ?」などと野次馬根性で読み始めたら、やっぱり「ブラッドベリのハードボイルド」としか言いようのない作品だった。

 結論からいうと、ブラッドベリのファンには文句なしにお勧め。つまるところあなたはブラッドベリが好きなのであって、SFかホラーかファンタジーか、などというジャンルはあまり関係ないんだ、としみじみ感じるだろう。また、かつての作品のネタがアチコチに出てくるんで、「十月はたそがれの国」あたりを読み込んでる人には、思わずニヤリとするシーンがチラホラ。

ではハードボイルドのファンにとってはどうか、というと、ごめんなさい、よくわからんです。船戸与一や大藪春彦みたいな殺伐とした雰囲気の中で、タフな男が紫煙を吐き激しいガンアクションを繰り広げる作品でないことは確か。文章も冗長でウェットだし、あんましそーゆーのは期待しないように。

 なんたって、主人公の「私」が、明らかに著者自身をモデルとしてる。酒は飲めずド近眼。車社会のアメリカ西海岸で、車も持っていない。27歳といういい歳こいて、甘いものが大好き。チョコレート・バーを買い込んでは食い散らかす。相棒役の刑事には「ビールを飲みなさい」と説教される始末。暗闇を恐れ漫画雑誌に埋もれて生活している。

 なんとも情けない、ハードボイルド史上に類を見ない子供っぽい探偵だが、他の登場人物も変な人が揃ってる。線路に面した店に屯する、少しボケた三人の老人は、誰が一番年寄りかを競い合ってる。「カナリア売ります」という広告を数十年前から窓に出している、埃の舞う家に住む老婆。やたらおしゃべりで、若い頃スコット・ジョプリンにピアノを教わったのが自慢の理髪師は、町中からそのセンスを世界最悪と噂されている。

 中でも変なのが集まっているのが、ファニーの住むアパートの住人たち。このファニー、知る人ぞ知る美声の歌手なのだが、横になって寝れば自らの体重で窒息しかねないほどの肥満で、階段の昇降にされ苦労する始末。メキシコから来た6人の青年は一着のスーツを共有し、半端仕事で食いつなぐ飲んだくれのサムは地下室で眠る。チェコ移民のジミーは入れ歯を盗まれ、自分の桃色の歯茎を見てゲラゲラ笑う。ピエトロは犬・猫・ガチョウ・インコを率いる大道芸で食いつないでいる。黒人のヘンリは盲人でありながら鋭敏な感覚の持ち主で、歩く歩数で距離を測り、杖なしで不自由なく生活している。

 そして本作のヒロイン、コンスタンス・ラティガン。元人気女優で、今はヴェニスでひっそりと暮らしている。初めて名前が出たときは謎の人物だが…まあ、それは読んでのお楽しみ。奇人変人大集合の本作の中でヒロインを務めるだけあって、半端ない変人振りを披露してくれるチャーミングなご婦人。

 などという登場人物もさることながら、小道具大道具も仕掛けバッチリ。中でも印象的なのが、公衆電話。「ブラッドベリ年代記」を読めばわかるのだけど、これも著者の体験を基にしたネタだとか。特に終盤での使われ方は、ヴィジュアル的にも鮮やかな印象を残す。

 加えてブラッドベリの諸作を読んでいるファン向けのくすぐりもチラホラ。私が気づいたのは骨・風・スーツぐらいだけど、熱心な人は是非お探しいただきたい。できれば「ブラッドベリ年代記」と併せて読むと、面白さ倍増。

 実はこの作品、昔に文庫本で出た時に読んでいたんだが、再読してすっかり中身を忘れていた事に気がついた。真犯人も勘違いしてたし。いやあ、人の記憶なんてアテにならんもんです←おまえが忘れっぽいだけだ

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