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2012年2月 6日 (月)

テリー・クラウディ「スパイの歴史」東洋書林 日暮雅道訳

 現存する防諜活動についての最古の記録は、ラムセス二世時代の古代エジプトとヒッタイトとのあいだのカデシュの戦い(前1274頃)にまでさかのぼる。間諜の主な任務は情報収集だったが、しばしば、相手を欺くため意図的に情報をばらまいた。ヒッタイトのムワタリ王(在位:前1295~前1272)は、自軍がまだ遠くだとファラオに思い込ませるため、エジプト軍の野営地に脱走兵を装った間諜を送り込んだ。

【どんな本?】

 ラムセス二世や聖書・孫子など古代から、イギリスの有名なスパイ・マスターであるサー・フランシス・ウォルシンガム、高名な女スパイのマタ・ハリ、真珠湾攻撃前のハワイにおける日本の精緻な偵察活動、GRUからKGBに続くロシア・ソ連の諜報機関の歴史、そして現代では勇名を馳せるモサドなど、様々なスパイの育成や活動などを紹介すると共に、暗号や暗殺器具などスパイが使う小道具や、情報を伝達するテクニックも豊富なエピソードで伝える。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Enemy Within, Terry Crowdy, 2006。日本語版は2010年10月31日第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで本文約430頁。9ポイント46字×19行×430頁=375,820字、400字詰め原稿用紙で約940枚。小説なら長編2つに少し足りない程度。

 正直言って、ちと読みにくい。文章が云々というより、テーマがテーマだけに、内容がややこしいのだ。「本当は○○なのに欺瞞のため××と言った」とか、二重スパイとか、本名とは別にコードネームがあったり、偽名を使ったり。

【構成は?】

 はじめに
第1章 古代
第2章 暗黒時代
第3章 スパイせよ、ブリタニア
第4章 理性の時代における諜報活動
第5章 革命万歳
第6章 ナポレオンの「秘密の部分」
第7章 影の戦争
第8章 秘密情報のゴッドファーザー
第9章 スパイ・フィーヴァー
第10章 東洋の危機
第11章 二重スパイと無線ゲーム
第12章 アメリカの動向を探る枢軸国スパイ
第13章 ソヴィエト時代のスパイたち
第14章 先の見えない戦い
 訳者あとがき/索引/原註/参考文献

 基本的に古代から現代に向け時系列順に話は進むが、例えばGRU→KGBの歴史など特定テーマを扱う部分では多少前後する。

【感想は?】

 よくもまあ、これだけ調べ上げたなあ、という感じ。

 大昔から情報戦の概念はあったようで、孫子じゃ既に間諜を5種類に分けている。1)郷間:その郷人 2)内間:官人、不満や借金で靡く役人、二重スパイになりかねない 3)死間:敵に捉えさせて偽の情報を与える 4)生間:敵地から生きて戻った間諜 5)反間:二重スパイ。

 暗号も昔からあったようで、その解読法も研究されている。800年ごろのイラクの科学者アブ・ユースフ・アル・キンディは頻度分布を知ってた、というから凄い。頻度分布って、例えば英語だと、アルファベット26文字中、"e" が一番多く出てくるわけ。単純なシーザー暗号ROT13は、これでバレちゃう。

 チンギス・ハーンのモンゴル軍団も商人を装った密偵が活躍してて、「物を売りながら、モンゴル軍団が使える牧草地や現地守備隊の兵力、地域の情報をこつこつと集めていた」。人種が違うから目立つって?大丈夫。ヴェネツィアと秘密協定を結び、情報の見返りに保護、つか中国との独占交易権を与えたから。さすがベニスの商人はあざとい。

 忍者の話も出てるけど、「黒装束はねーだろ」と現実的。「実際は各地を巡り歩いても疑いを持たれない、旅回りの人々に身をやつすというような手段を使ったことだろう」。

 スパイマスター(諜報活動のリーダー)として有名なのが16世紀イギリスでエリザベス女王に仕えたサー・フランシス・ウォルシンガム(1530頃~1590)、国内の敵対勢力の監視もスパイの仕事ってわけで、最初の監視目標はカトリック教会とその手先のスコットランド女王メアリ、そして彼らが差し向ける暗殺者。彼の功績はもう一つ、フランシス・ドレイクのカディス港焼き討ちが載ってる。なんと、スペイン艦隊の大提督サンタクルス候の秘書を抱きこみ、「このフランドル人は、イングランド侵攻に必要な船舶や人員、備品の完全な目録を手に入れた」。

 暗号表の起源はナポレオンの好敵手、ウェリントンかな。

イベリア半島にいたとき、ウェリントンはスコヴェルにイギリス軍独自の暗号をつくるように頼んでいる。(略)彼(スコヴィル)は送り手と受け手のどちらも、同じ辞書を持つという手法を使った。暗号が示すのは辞書内の正確な位置で、たとえば46B6は46頁のB段落6行を意味する。

 軍は機密保持を重んじるけど、困るのはマスコミ。これは電信が導入されたクリミア戦争から頭の痛い問題で、ロシア皇帝曰く「密偵の必要などない。タイムズがある」。

 南北戦争で北軍側について活躍したクレイジー・ベスことエリザベス・ヴァン・ルー(1818~1900)は、人権派の天使のような人。北部出身でバージニア州リッチモンドに住む彼女、父親の死亡後に家の奴隷を解放する。南北戦争中は捕虜脱出組織を運営し、疑われると狂気を装う。諜報網の中心は、彼女の家の元奴隷のメアリ・エリザベス・バウザー。

 戦争の初期、ヴァン・ルーは南部連合大統領ジェファソン・デイヴィスの家での召使いの仕事にバウザーをつかせた。黒人女性の召使いであるバウザーは客たちから無視され、疑われることもない。彼女は注意深く会話を盗み聞き、仕事中にジェファソンの机にある書類を読んだ。

 連絡係もやはり彼女の家の元奴隷の老人で、「黒人の彼はやはり奴隷として見られえるため、花を運ぶという口実で怪しまれることなく行き来することができた」。残念ながら隣人たちはヴァン・ルーを快く思わなかったようで、「それから35年間、裏切り者と軽蔑され、社会ののけ者として生きたのだった」。

 ビスマルクに仕えたヴィルヘルム・シュティーベル(1818~1892)も目の付け所がいい。フランスに諜報網を作る一環として、「ドイツが最も格式の高い国際的ホテルを所有するようにした」。当然、客は各国の賓客だから、従業員に化けた諜報員は大活躍。

 第二次大戦でドイツが使ったエニグマ暗号装置の話も出てる。5個の歯車から三つを選んで装置にセットする。一文字打つごとに第一の歯車が一つ動き、26文字入れると二つ目の歯車が一つ動く。1文字ごとに異なる暗号表を使い、暗号表は全部で1億5千9百万個あるわけ。贅沢な暗号だ。ドイツじゃもうひとつ、海軍提督のカナリスがユダヤ人救出の秘密作戦を支援してたってのは意外。

 太平洋側では日本も頑張って諜報活動してて、訓令の中には「アメリカの政治力、経済力および軍事力を把握せよ」なんてのもあるんだけど、この情報は活かされなかったみたいだなあ。ハワイのオアフ島じゃ立花止(いたる)海軍少佐が綿密な偵察で優れた功績を挙げてるんだけど。航空機の数こそ過大に見積もってたけど、空母の不在は連合艦隊に伝わっていたそうな。

 GPU→KGBの歴史も怖い。1943年、OGPUはNKVD(内務人民委員部)となりゲンリヒ・ヤーゴダがトップに就く。大粛清後、ヤーゴダは解任されニコライ・エジョフが後任になり、ヤーゴダは1938年に銃殺。1938年ラブレンチ・ベリヤがトップに立ち、ヤーゴダは逮捕され、「その最後はベリヤに殺されたらしいこと以外ははっきりしない」。がスターリンが死にフルシチョフが立つとベリヤは逮捕され「1953年12月23日、ベリヤは死刑を宣告され、側近たちと共に銃殺された」。

 「戦闘報告は将軍たちが書くんでセコく見られる密偵は無視されがち、だからクラウゼッツとかは諜報を軽視してる」とかの愚痴も散見して、なかなか歯ごたえのある本でありました。

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