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2012年1月10日 (火)

佐藤賢一「象牙色の賢者」文藝春秋

 それじゃあ、あらためまして。私はアレクサンドル・デュマ。いえ、父親のほうのデュマ(デュマ・ペール)ではなくて、息子のほうのデュマ(デュマ・フィス)です。

【どんな本?】

 「傭兵ピエール」や「双頭の鷲」など、フランス史上の実在の人物をモデルとした小説を得意とする作家佐藤賢一による、「黒い悪魔」「褐色の文豪」に続くデュマ三部作の完結編。本書で主役を務めるのは、「椿姫」(→Wikipedia)で知られる小デュマ(→Wikipedia)。波乱万丈で激しい物語を得意とする佐藤賢一だが、この作品は静かに小デュマの人生を振り返り、心のひだを探ってゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 初出は雑誌「文學界」2008年4月号~2009年11月号。単行本は2010年2月10日第一刷発行。単行本で縦一段組み、本文約328頁。9ポイント43字×20行×328頁=282,080字、400字詰め原稿用紙で約706枚。長編としては少し長め。彼の作品にしては動きが少なく内政的な話だが、語り口の工夫で文章そのものは読みやすくなっている。

【どんな話?】

 フランスの大衆に大人気の作家サレクサンドル・デュマ(デュマ・ペール)の子供として生まれたデュマ・フィス。作風同様に豪放磊落な父に溺愛され、若い頃は社交界で放蕩三昧の生活を送る。そんな中で出会った一人の女性、マリー・デュプレシが、彼の人生を大きく変えてゆく…

【感想は?】

 予めお断りしておくと、私はデュマ・フィスの作品は何も読んでない。椿姫さえ。デュマ・ペールも三銃士ぐらいで、モンテ・クリスト伯は子供の頃に抄訳を読んだ程度。まあ、その程度の知識しかない者の評だ、とご了承いただきたい。

 この作品の対象読者は、ある程度の歳になった男性だろう。父親を「越えるべき壁」と感じてがむしゃらに突っ走る時期を過ぎ、気がつけば自分も父親になり、親を一人の人間として客観的に見れる歳になった人こそ、最も楽しんで読める作品だろう。ええ、鼻毛を抜いたら白かった、なんて衝撃を味わい、それに慣れた人こそ、この作品が楽しめるってモンです。いや私の体験談じゃないよ、ないったら。

 物語はデュマ・フィスの一人称で、人生を振り返る、という形で進む。といっても独白という感じではなく、軽く飲みながらの気楽なインタビューに答える、といった雰囲気。お茶というよりはくだけた感じだが、飲みすぎて呂律が怪しくもならず、あくまでも静かに、かつ理性的な語りが続く。

 彼の語りで中心を占めるのは、当然ながら彼自身の人生だが、その中でも大きな比重を占めるのが、父親であるデュマ・ペール。この記事の冒頭の引用は、この小説の出だしでもある。出だしから、デュマ・フィスが父を強く意識している事がよくわかる。

 そりゃまあ当然の話で、今でもデュマと言えば「三銃士」や「モンテ・クリスト伯」が出てくるように、大衆には圧倒的な人気と知名度を誇るベストセラー作家だ。ただでさえ男には父親の背は大きいのに、同じ作家と言う職業を選べば、そりゃ否応なしに強く意識する羽目になる。

 という事で、幼い頃から晩年まで、デュマ・フィスが自分の人生を語る形を取りつつ、その時々の彼の目から見た父親の姿が、次第に変転していくのが、この小説の読みどころ。

 小説家を主人公にしているだけあって、書く者の気持ちを吐露しているのも楽しいところ。若い倅に小説家としての修行法を相談されたデュマ・ペールの返事の手紙が、彼の浮かれた気持ちをよく表している。自分が好きなものについて人から相談されたら、誰だって嬉しい。それが自分の息子となればなおさら。「父さん、張り切っちゃうぞー」な気分が漲ってて、実に微笑ましい。

 「椿姫」の執筆に情景も、これまた作家ならでは、という臨場感がある。「とにかく書かねば」という激情と、「どう書くか」という計算のバランス。完成させてみたら、思った以上に計算どおりに行ってしまったというか、「そんなトコまで計算してなかった筈なんだが」的な意外感というか。巧くいってる時って、そういうモンだよなあ。

 この「椿姫」の売れ行きの話も、なかなかの読みどころ。最近の日本の出版会の状況だと、スタート・ダッシュが命みたいな雰囲気があるけど、「椿姫」はかなりのスロー・スターターだった模様。なんであれ、こういうスロー・スターターの物って、滅多にハズレがないんだよね。ガンパレとか←をい

 作家としての愚痴も「佐藤氏の本音じゃないか」と思わせる所があって、下世話な興味が湧いてくる。「死んじまったら代表作の数作ぐらいしか残らない、椿姫なんて24歳の時の作品だぜ、その後の作家生活って何なんだよ」とか。まあ確かに「ジャガーになった男」や「傭兵ピエール」には痺れたけどさあ。

 読む前には三部作の完結編なんて知らず、「佐藤賢一にハズレなし」という経験則で読んだ本だったが、こりゃ前作・前々作も読まないとイカンなあ。というのも、アチコチに「黒い悪魔」なんて言葉が出てくるんだよね。商売上手だなあ。

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