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2012年1月29日 (日)

小菅桂子「カレーライスの誕生」講談社選書メチエ

 「カレー」の製法は葱(ねぎ)一茎生姜(しょうが)半箇蒜(にんにく)少許(すこしばかり)を細末にし牛酪大一匙を以て煎り水一合五勺を加へ鶏(にわとり)海老(えび)鯛(たい)蠣(かき)赤蛙(あかがえる)等のものを入て能(よ)く煮後にカレーの粉一匙を入煮る――西洋一字間已に熟したるとき塩に加え又小麦粉大匙二つを水に解きて入るべし  ――明治五年刊『西洋料理指南』より

【どんな本?】

 日本人が大好きなカレー。そのカレーは、いつ、どこから入ってきて、どのように受け入れられていったのか。小麦粉でとろみをつけたり、福神漬けを添えるなどの日本独特のアレンジは、いつ誰が始めたのか。タマネギ・ニンジン・ジャガイモの定番の具はどのように広まったのか。なぜ関西は牛肉で関東は豚なのか。日本におけるカレーの浸透と変容を通し、文明開化以降の食文化の変転を手繰る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2002年6月10日第一刷発行。ソフトカバー縦一段組みで本文約214頁。9ポイント45字×17行×214頁=163,710字、400字詰め原稿用紙で約410枚。内容の親しみやすさにあわせたのか、文章はそれほど難しくない。ただ、随所で明治時代の文献からレシピを引用しているので、そこは少々難儀するかも。それと、空腹時に読むのは控えた方が吉。暫く頭がカレーに占領されます。

【構成は?】

 プロローグ カレーはじめて物語
第一章 カレー美味の秘密
第二章 カレー伝来の道
第三章 カレー日本史事始
第四章 カレー繁盛記
第五章 カレー二都物語
第六章 カレーの戦後史
 エピローグ 日本人の智恵とカレー
  参考文献/あとがき/さくいん

 多少は前後するが、基本的に時系列順に話は進む。

【感想は?】

 カレーのうんちく本としては相当の充実度。と同時に、明治以降の畜産・農作物の変転が垣間見えるのが興味ぶかい。

 冒頭の引用は、健在のところ日本で最も古いとされる明治5年(1872年)の文献資料『西洋料理指南』よりカレーのレシピ。ここで既に小麦粉でとろみをつける技が紹介されている。「カレーの粉」とあるのは、イギリスのC&B社のカレー粉。日本のカレーは最初から「カレー粉」で始まっていて、スパイスを調合する本格的手法は、追って本格的なカレーを追及する探求者が発掘したらしい。

 このレシピ、今から見ると他にも異彩を放つ点が多い。まず、タマネギではなくネギを使っている。当時の日本ではタマネギの本格的な栽培が始まっておらず、知名度も少なかった。また、ニンジンも入っていない。本書では、追ってタマネギ・ニンジン・ジャガイモの栽培事始についても触れている。出島のオランダ商館・ポルトガル商館じゃ庭で西洋野菜や牛・豚・羊・鶏を飼育してた、というから、やっぱり誰でも故郷の味が恋しいんだなあ。

 もう一つ異様なのが、肉。鶏はいい。海老もシーフードカレーなら今もよく使う。牡蠣はともかく、鯛を入れるとは贅沢な。それより、赤蛙って何よ。当時は良く食べていたんだろうか。鶏に似てあっさりした味だと言うけど、一度は食べてみたい。ちなみに牛酪とはバターのこと。

 この明治五年、宮中で肉食が再開され、これをもって日本では実質的な肉食解禁となった年、とある。ところがこれに抗議した御岳行者一団が皇居に乱入し、10人中4人が死亡、一名が重症、他は全員逮捕された、というから、肉食の衝撃は大きかった模様。

 笑ったのが村井弦斎の小説「食道楽」の話。明治36年に報知新聞に連載され話題になる。料理の上手な奥さんをモデルに書き始めたら…

 連載がはじまるとまもなく、大隈重信から「わしのコックを貸すからもっといい料理をかけ」とハッパをかけられる。そしてコックが派遣されてきた。その後弦斎自身もアメリカ大使夫人に長く仕えたコックを雇い入れている。

 何やってんだ大隈。今なら「美味しんぼ」に該当する作品かな。日本人って奴は、昔から旨いものの追及には全力を尽くす民族なのね。

 日本におけるカレーの普及に役立ったのは軍隊だ、と主張しているのが山本嘉次郎氏。和食は作るのに手間がかかるが、カレーは手軽に作れる。軍隊生活でカレー作りを覚えた地方の青年が、地元に帰って広めた、とのこと。農繁期には重宝したそうな。なお明治43年の陸軍のレシピじゃ隠し味に酢を使っている。今の陸上自衛隊じゃ部隊ごとに秘密の隠し味がある、という噂をどこかで聞いたが真偽はいかに。

 寂しいのが太平洋戦争前の戦時体制への移行。食料統制で「カレー粉の製造と販売は軍用食のためをのぞいて中止されてしまう」。1941年には肉屋に対し「犬、タツノオトシゴ、オットセイの肉も販売してよろしい」って、タツノオトシゴやオットセイなんて、どうやって手に入れるんだか。ただし横文字追放の動きにも関わらず、「カレーはカレーのままであった。カレーは日本語になっていたのである」。

 日本のカレーは宇宙開発とも深いかかわりがあって。ボンカレーの事始は、1964年、大塚化学の(当時)資材課長の大塚明彦氏がアメリカの雑誌「モダンパッケージ」に載った、「フィルム容器を使って宇宙食を作る」という論文に触発されたのが始まりとか。現代では毛利衛氏が1997年に宇宙に持っていったレトルトカレーが好評で、NASAの標準メニューにカレーが取り上げられたとか。

 カレーに限らず、松栄亭の「洋風かきあげ」や中村屋の葉桜餅の笑っちゃう起源、カレーパンを油で揚げる理由、カレー南蛮普及に見る大阪と東京の違い、カレー&福神漬の黄金コンビ誕生のルーツなど、美味しい話が一杯。

 最大の難点は、読んでいて無性にカレーが食べたくなること。そこんとこ、充分覚悟した上で読みましょうね。

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