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2011年12月 9日 (金)

貴志祐介「新世界より 上・下」講談社

 こういうところは、覚の話術の巧みさに感心する。もし、人を怖がらせる話を作る職業があれば、覚は、まちがいなく第一人者になれるだろう。むろん、どんな社会においても、そんな馬鹿な仕事が成立するとは思えないが。

【どんな本?】

 ホラー作家貴志祐介が新境地に挑戦した長編SF小説。2008年第29回日本SF大賞受賞作であり、SFマガジン編集部編「このSFが読みたい!2009年版」でも2008年国内編でトップをもぎ取った問題作。一度文明が崩壊し、人類が再出発を始めた遠未来の日本を舞台に、少年少女の成長と、彼らが垣間見る世界の姿を、息をつかせぬ危機とアクションの連続で描ききる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年1月23日第一刷発行。今は講談社から文庫が出ている。上下巻で上巻約492頁+下巻約568頁=1060頁。ハードカバー縦一段組みで9.5ポイント43字×20行×(492頁+568頁)=911,600字、400字詰め原稿用紙で約2,280枚の大作。ちなみに文庫本は上・中・下の三巻。

 ベストセラー作家らしく、読みやすさは抜群。SFとは言っても堅苦しい屁理屈はスパイス程度で、意味がわかんなかったら読み飛ばしても大きな問題はない。どころか、物語が走り始めたら、ぐいぐいと引き込まれ、途中で本を閉じるのに苦労する、というか、しました、はい。

【どんな話?】

 舞台は遠未来の日本、利根川のほとり。機械文明は何らかの事情で一旦崩壊したらしく、今は小さな集落でそれなりに平和に生活している。主人公は渡辺早季。幼い頃の早季は、多くの友人と楽しく遊んでいた。同じ日に生まれ女王様然とした真理亜、お調子者で法螺話が得意な覚、優等生で穏やかだがリーダーシップに溢れた瞬。網のように水路が巡らされた神栖66町は、秋になれば水田に赤トンボの舞う牧歌的な郷だった。

【感想は?】

 「うわ、やられた!」というのが、正直な感想。ホラー作家やミステリ作家の書くSFというと、微妙にピントがズレてたり変にセコかったりするんだが、この作品はとんでもない。確かに感触は「ホラー作家の書くSF」なんだけど、これはむしろ「ホラーで鍛えた作家だから書けるSF」だ。

 出だしは早季ら子供たちの平和で牧歌的な日常で始まる。「ほお、穏やかな世界だねえ」などと油断していると、少しぞつ「ミノシロ」やら「悪鬼」などの変なモノが、物語に侵入してくる。「まあ、遠い未来の話しだし、生物相が変わってても不思議はないよね」などと勝手に了解しながら読み進めていくと…

 このお話の凄さは、その異様な世界観だ。今までSF作品で何度も扱われてきたテーマを徹底的に推し進め、その結果、人類社会がどう変化するか、それを徹底的に考察し、構築している。今までこのテーマに挑んだ作家というと、ベスターぐらいか。ベスターだとスタイルが独特すぎてテーマがぼやけてしまう感があるが、貴志祐介は物語の王道的なスタイルで描ききった。

 一般にSF作家は理屈でモノゴトを伝えようとするのに対し、貴志祐介はホラー作家らしく感覚で訴える。この手法の違いが、この作品では見事な効果を挙げる。「おまえら理屈じゃそう言ってるけどさ、当事者としてその立場になったらどうなのよ」という問いを、容赦なく読者に突きつける。実に意地が悪い。

 物語の流れが、これまた巧い。お話は早季の一人称で語られる。人は成長するに従って、少しずつ世界が広がっていく。このお話も同様で、彼女の成長に伴い、世界は一枚ずつ衣を剥ぎ取り、本当の姿を現していく。彼女らの行動範囲が広がるに従い、姿を現す奇妙な生き物や、通過儀礼として課されるオカルト的な風習。

 幼い頃の描写では、単にそれらの外見を描くだけだが、様々な冒険や探索を通じ、やがて本当の姿を垣間見せ、読者の背筋には戦慄が走る。

 大きな流れとしては、世界の真の姿を明らかにする、という流れだが、実際にはそんな小難しい形ではない。危機また危機、一難去ってまた一難の連続で、レイダースよろしく激しいアクションと脳髄を絞りきる頭脳戦の連続。娯楽活劇としてもサービス満点で、是非ハリウッドで映画化して欲しい、たっぷりと予算をかけて。

 …と思ったが、向うだと人種問題が絡んで大幅な書き直しが必要だろうなあ。かと言って著者自身に脚本なんかやらせたら、暴動どころか戦争が起きかねない。いやホント、それぐらい読者の感情を揺さぶる毒がたっぷり詰まってる。

 ああ、どうにも巧く面白さを伝えきれない、というか、全編が面白いのよ。だもんで、ここで下手な事を語っちゃうと、これから読む人の楽しみを奪ってしまう。こういうもどかしさは「図書館戦争」以来だ。SF者達から絶賛を浴びるのも納得。これだけデカく深刻な仕掛けを、徹底した娯楽作の形でキッチリ描ききった著者の力量には、ひたすら脱帽するのみ。

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