ポール・ルセサバギナ「ホテル・ルワンダの男」ヴィレッジブックス 堀川志野舞訳
私はごく普通の人間がとるであろう、ごく普通の行動をとった。誰もが同じように答えるだろうと思いながら、非道な行為に対してノーといった。実際には実に多くの人がイエスと答えたことに、私は今でも当惑している。 ――序文 ホテルと鉈のあいだで より
【どんな本?】
1994年3月にルワンダで起こり80万人が犠牲になった虐殺。当時ホテルの支配人であった著者は、ホテルに避難した者を全てを受け入れ、匿う決意をする。彼の手にあるのはホテルに備え付けの酒・ホテルの金庫にある金・今までの顧客リストによるコネ、そしてホテルの支配人として鍛えた交渉術。四方を武装した敵に囲まれ強行突破されれば終わりという状況の中、彼は交渉術だけを頼りに1268人の避難者を守りぬく。
映画「ホテル・ルワンダ」のモデルとなった著者が自ら綴る、事件の背景と経緯、そして後日譚。予めお断りしておくが、映画の原作ではない。本書の末尾近くで映画化の経緯に軽く触れている。つまり、映画化の後で書いた本だ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原題は An Ordinary Man, by Paul Rusesabagina, 2006。日本語版は2009年2月28日初版第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで279頁。9ポイント43字×16行×279頁=191,952字、400字詰め原稿用紙で約480枚。標準的な長編小説の分量。翻訳物だが、気のいいおじさんが語りかけてくる雰囲気の文章は親しみやすく、読みやすい。
【構成は?】
序文 ホテルと鉈のあいだで
第一章 バナナビールの国
第二章 フツとツチ
第三章 ホテルマン
第四章 扇動
第五章 虐殺の朝
第六章 ホテル・ミル・コリン
第七章 命綱
第八章 黙殺されたジェノサイド
第九章 脱出
第十章 残骸
第十一章 平凡な人々
第四章まで、ルワンダの歴史と著者の半生、そして虐殺の背景を書き込んでいる。また、十章と十一章は映画の後日譚にあたる(映画は見てないけど)。
【感想は?】
原題の An Ordinary Man を直訳すると「普通の男」となる。謙遜してるのかと思ったが、どうも違う。これは、著者が読者に送るメッセージだ。
ルワンダはアフリカ大陸の中央、赤道の少し南に位置する内陸の小国だ。最初の宗主国ドイツは興味を示さず、「旗を立てる」程度の興味しか示さなかった。しかし、第一次大戦のドイツ敗北に伴いルワンダを獲得したベルギーは、「熱心に」植民地経営に乗り出す。
「分裂させて統治する」手口で、長身で少数派のツチ族を支配階級とし、多数派のフツ族より優れている、と国民全体に刷り込む…ったって、本人たちにもツチとフツの区別なんかついちゃいない。仕方がないんで身分証明書などで無理やり「民族」を作り上げる。
1959年の国王崩御後のゴタゴタでツチ族の支配は終わり、選挙によりフツ族政権が成立、ツチ族の迫害が始まる。隣国ウガンダに逃れたツチ族はRPFを結成し、抵抗を始める。ルワンダの独裁的な政権は権力を維持するため、ツチ族への憎悪を煽る。そんな中、ルワンダ大統領ジュヴェナル・ハビャリマナを乗せた自家用ジェット機が撃墜される。
1994年4月6日。緊張がはじけ、フツ族によるツチ族の虐殺が始まる。ツチ族ばかりでなく、ツチ族をかばうフツ族穏健派も虐殺の対象となった。この虐殺はしくまれたものだ、と著者は指摘している。大統領自身が筆頭株主を勤める民間ラジオRTLMが盛んに虐殺を促していた。
受取人は偏見を促進するラジオ局RTLMの有力なスポンサーのひとりだった。中国から届いたその船荷の品も、奇妙なことに続々輸入されてくる鉈の一部に過ぎなかった。1993年一月から1994年三月の間に、合計で50万本もの鉈が世界各国からルワンダに輸入された。
また、同時に民兵団インテラハムウェも結成されている。これが虐殺では先導役を果たす。
著者はフツ族の父親とフツ族の母親の間に生まれ、一応はフツ族だが、奥さんはツチ族。悪く言えば「口から先に生まれたような奴」、よく言えば優秀なビジネスマンだ。そのためか、この本はビジネス書としても読める。幼少期の著者はペンキ塗りのアルバイトで稼ぐ。悪たれに目をつけられた彼は…
ただ相手の目をじっと見つめて、決然と、だが親しみのある声で、「どうして?」と尋ねることにしていた。いじめっこは私と言葉を交わさずにはいられなくなり、おかげで暴力を振るわれることはまずなかった。一度言葉を交わしてしまった相手と争うのは至難の業だということを私は学んだ。
紆余曲折の末に高級ホテル「ミル・コリン」の職につき、クレーム処理で優れた能力を示す。「たいていの人間は、ただ自分の話に耳を傾けて理解してもらいたいだけなのだ」。支配人となってからも、経験から多くの教訓を引き出す。
「取引をしている相手は、完全な敵対者になりえない」「交渉しようとしている相手と話す時は、相手に見下ろされているよりも同じ目線の高さで向き合っているほうがいい」。だが、本書内で何度も繰り返し出てくるのは、彼が父から教わった言葉だ。「ビールも用意せずに、人を招待すべきじゃない」。
「篭城」中も、彼が支配人として勤めながら作ったVIPの電話帳が大きな役割を果たす。尉官が脅しに来れば佐官に、佐官が来れば将官に連絡して上から圧力をかけてもらう。興奮している相手は、オフィスに通して一杯おごる。「けしかけるほ他の兵士もいない静かな部屋に腰を落ち着けたことで、彼の表情からはすでに怒りが薄らぎ始めていた」。
「大部分の人間にとって、事実というものはほとんど意味を持たないということだ。我々は感情に基づいて決断を下し、後から自分を弁護するような事実を寄せ集めて、己の決断を正当化する」などと皮肉な事を考えつつも、時には酒を奢りゴマをすり賄賂を渡し、彼は時間を稼ぐ。
そう、彼が「篭城」中にやっていた事は、まさしく時間を稼ぐ事でしかない。「ルワンダ人のノー」、つまり表面上は合意の様相を見せながらのらりくらりとかわし、「続きは明日にしましょう」的な形に持っていく。やがて相手も面倒くさくなってか、ホテルに顔を見せなくなる。そうやって一日一日を稼ぎ、事態の変化を待った。
「いつまで」というゴールが見えない状態で、これは相当に神経に堪えるだろうに、よく頑張りとおせたものだ、と感心する。
後日譚では、ベルギーでタクシー運転手として働いていた頃の話が出てくる。稀に客にホテルの話もしたそうだが、客は「話を聞いた後、彼らは言葉もなくタクシーを降りていった」。「えらいほら吹きな運ちゃんやなあ」などと思っていたんじゃなかろか。
書名の「普通の男」に込められたメッセージ、それは末尾で再び強調される。彼同様に被害者を匿ったルワンダ人のエピソードを並べ、語る。
これらの人々の共通点は何か?彼らは皆、将来を見据えていたのではないかと私は信じている。彼らは過ぎ行く出来事を見極め、ルワンダを支配する狂気は一時的なものに過ぎないことを理解していた。
(略)正気は必ず戻ってくる。長い目で見れば世界は必ず自ら正常な状態に戻る。
ホテルの支配人という、多くの人に接する職歴を通じ彼が学んだ様々な事柄、そして極限状況の中で発揮される「普通の男」の誇りと信念。分量はお手軽で文章も柔らかく、極端に政治的でもない(多少はそういう部分もあるけど)。書感想文にはもってこいの題材ですぜ、中高生の皆さん。
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