バーナード・ベケット「創世の島」早川書房 小野田和子訳
魂は、その部分部分の活動の集まり以上のものなのだろうか?
ダグラス・ホフスタッファー『マインズ・アイ――コンピュータ時代の「心」と「私」』
【どんな本?】
なんとニュージーランド産の長編SF。ニュージーランドの児童書またはYA(ヤング・アダルト)作品が対象のエスター・グレン賞およびニュージーランド・ポスト児童書及びYA小説賞YA小説部門受賞、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2011年版ベストSF2010」でも14位に入っている。日本ならライトノベルに該当する市場を狙う作品。
という受賞暦でもわかるように、元は青少年を読者対象とした作品だが、中身は本格的なSFだ。21世紀に戦争と疫病で世界が崩壊する中、一種の鎖国政策により生き残った島国<共和国>を舞台に、伝説と現代の二つの物語が語られていく。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は GENESIS by Bernard Beckett 2006。日本語版は2010年6月15日初版発行。新書版で縦一段組み、本文約229頁。9.5ポイント42字×16行×229頁=153,888頁、400字詰め原稿用紙で約385枚。長編としては短め。
YA作品だけあって文章は読みやすいが、テーマが哲学的なので、内容的には少々歯ごたえあり。その歯ごたえの部分がこの作品の醍醐味なので、「メンドクセー」とか言わずじっくり読みましょう。
【どんな話?】
21世紀、戦争と疫病が世界を席巻した。富豪プラトンは群島に居を構え<共和国>を建設し、孤立することで生き延びた。稀に流れ着く難民も疫病の危険を防ぐために「処分」し、外部との接触を極端に避けた。やがて難民の漂着も減り、他国からの通信も途絶えた。
そんな共和国で生まれ育った兵士アダム・フォードは、国境監視の任務中に漂流中の少女を救う。この事件をきっかけに、共和国は大きな曲がり角を迎える。
そんなアダムの事件に強い興味を抱く少女アナクシマンドロスことアナックスは、アカデミーの入学試験に挑み、大きな関門となる口答試験に臨む。勿論、主題は、得意な「アダム・フォードの人生とその時代、2058から2077年」だ。まず冗談で雰囲気を和らげる作戦に出たが、いきなりスベってしまう。ピーンチ。
【感想は?】
こんなモン、健全な青少年に読ませてもいいんだろうか。ニュージーランドって、意外とサバけてるのね。
物語は、受験者のアナックスがアダムの事件を語り、試験官の突込みを受けて狼狽しながら持ち直す、という形で進んでいく。全般的に静かな面接室内で話が進むので、派手なアクションはほとんどない。
が、その中で語られる共和国の社会は、なかなかグロテスク。男女は別れて生活してるし、子供は親が誰かを知らない。しかもゲノムで階級が決められてしまう。労働者・兵士・技術者・哲学者の四階級で、支配階級は哲学者。そのためか、このお話は哲学的な問答が中心となる。
登場人物の名前もプラトンと主人公のアナクシマンドロス(→Wikipedia)は哲学者の名前だし、重要な役割を果たすペリクレス(→Wikipedia)もアテナイの政治家。アダムは旧約聖書のアダムだろうし、その同僚のヨセフは…えっと、ヤコブの倅かジーザスの父ちゃん、どっちなんだろ?
まあいい。肝心の哲学問答、さすがに青少年向けだけあって、相当に噛み砕いた形で問題を提示している。とまれ、この問題はSFの本質に迫るものだ。つまり、生命とは何か、思考とは何か、という問題だ。かの有名な「中国人の部屋」も出てくる。
デッカイ部屋がある。部屋には一つ紙を出し入れするスロットがある。スロットに中国語で書いた手紙を入れると、暫くして中国語で返答を書いた手紙が出てくる。手紙を介してではあるが、キチンと会話が成立している。この時、部屋の外の人は、「中の人は中国語を読み書きできるんだな」と思い込む。
ところが。実際はコンピュータが手紙を読み、中の人に返答用の手紙を書かせている。中の人はコンピュータに言われたとおり書いてるだけ。ま、チューリング・テストですな。この場合、コンピュータは「思考している」と言えるんだろうか、中の人は「中国語ができる」と言えるんだろうか、という問題。←すんません。これ、間違い。このブログの記述の信頼性の目安として、敢えて間違いを残しときます。
部屋の中には膨大な「規則集」がある。規則集には、あらゆる手紙と、それに対する適切な返答が載っている。中の人は、規則集を参照し、該当する返答を書き写して返事の手紙を出す。「ありうる全ての中国語の手紙を掲載した本なんて無茶じゃね?」という疑問はもっともだけど、とりあえず思いっきり大きい部屋って事にしといてくださいな。
今考えると、プリンタ使えば中の人は要らないじゃん…ってのは置いといて。突き詰めていくと、「人間って何だろうね」という問いにまで発展してしまう。そういえば最近、IBMのWatsonがクイズ番組で王者に勝ってる(→ITmedia)。クイズという限定された状況ではあるものの、それなりに妥当な会話を成立させてるのね。
物語が対話形式で展開するのは、やはりプラトンに倣ったんだろうか。こういうめんどくさいテーマを扱うには、なかなか巧い語り口だ。しかも、会話の双方が、この問題に重要な関わりを持ってるだけに、問答は切実なものとなる。生命の発生を巡る双方の見解の違いが面白い。まあ、やっぱり、そうなっちゃうよねえ。
…と思ってWikipediaのニュージーランドの項を見ると、実はこの作品に別の側面が見えてきた。共和国の位置もニュージーランドを思わせる記述がチラホラ、「北島の南岸」とかあるし。
そのニュージーランドの歴史と現在、9世紀にポリネシア人が住み着き、18世紀から捕鯨に伴い欧州移民が活発になり、今はワーキングホリデーを実施してる反面、人種差別が問題となっている、と。なるほど。ニュージーランドの児童文学界で絶賛を浴びた裏には、微妙な政治的事情があるのかも。
それまでの緩やかな流れが打って変わり、終盤は怒涛の展開。じっくり、落ち着いて読もう。
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