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2011年12月の13件の記事

2011年12月29日 (木)

SFマガジン2012年2月号

「私はゴジラに誘拐され、妊娠した!」
「ブッシュ、ゴジラと秘密会談疑惑」  ――MAGAGINE REVIEW(橋本輝幸)
   F&SF誌2011.5/6~2011.7/8より、スティーヴン・ポプケス「変革の代理者」

 280頁の標準サイズ。…って、え?

 今月は日本作家特集として、若手作家5人の競作に加え、連載が2本(山本弘の「輝きの七日間」と梶尾真治の「怨讐星域」)。やっぱり小説が載ってないとねえ。

 特集トップは宮内悠介「ヨハネスブルグの天使たち」。南北に別れ内乱で荒れる未来の南アフリカ。13歳の黒人少年スティーヴは、チンピラ仲間と組み軍の車を盗んでは売り払って生き延びていた。スティーヴがアフリカーナーの白人少女シェリルと同居する円筒状のビルでは、毎日幾千もの少女が降るのだった。
 人種間の争いが続く南アフリカの殺伐とした雰囲気の作品なのに、「歌姫」の名前がDX9だったりするクスグリが入ってる。そういえばスティーヴィー・ワンダーの愛器はDX7だったような。かつての谷甲州やルーシャス・シェパードを思わせる、ハードボイルドで乾いた感じがいい。

 お次は十文字青「小さな僕の革命」。舞台は不況が続き失業者が溢れる近来の日本。くだらない世の中が嫌になった僕は、従弟の逸夢と組み、烏合離散を繰り返すネットのコミュニケーションツール「ミスト」に、ちょっとしたイタズラを仕掛けた。
 ヒリつく閉塞間は滝本竜彦の「NHKにようこそ」に似ている。起きる事件は現実の騒動をモデルにしてるのかな?このテーマなら、SFにしない方が面白くなると思うんだけど、どうだろ。

 片理誠「不思議の日のルーシー」。夏のある朝、ウィル少年は妙な焦りに取り憑かれ町に出て、ルーシーという少女に出会う。隣のファラデーさんの家に住んでいるというが、ファラデーさんに娘はいない筈だ。だがルーシーはこの町を知っているし、町の人もルーシーを知っていた。
 田舎の町の普通の少年が夏に経験する、ちょっと変わった事件。前二作のやさぐれた雰囲気とは打って変わり、ブラッドベリのように牧歌的な印象の話。

 倉数茂「真夜中のバベル」。「原理的には、あらゆる言語が理解できる」能力を持つ青年、シロウ。彼の幼馴染ハルが彼を訪ねていったとき、シロウは今日も家で寝こけていた。
 長編の冒頭みたいな感じで、一応は完結しているんだが、奥にある多くの設定が語られぬまま、って印象がある。意味ありげに出てくる人物も、詳しく語られないし。

 ラストは瀬尾つかさ「ウェイプスウィード」。舞台は未来の地球。人類の多くは宇宙で生活し、地球は島嶼部の少しの人々が残るだけだった。島で生まれ育った12歳の娘ヨルは巫女として生まれ、多くの知識を学んでいたが、村人は迷信深く彼女の話を信じない。ある夜、流れ星を眺めていたヨルは、流れ星の一つが分裂するのを見る。
 未来の海で繁栄する謎の生物ウェイプスウィードが魅力的。今回は前編のみで、後編は次号。舞台こそ地球なものの、異星のファーストコンタクト物と似たワクワク感がある。5編の中では最も王道SFの気配があって、後編が楽しみ。

 SF BOOK SCOPE は香月祥宏のJAPAN、水見稜「マインド・イーター[完全版]」に驚いた。未収録短編二編が追加ってのが嬉しい。本格的な作品だったのに、知りきれトンボで終わってたんだよなあ。ちゃんと完結してるのかしらん。

 梶尾真治「怨讐星域」、今回はノアズ・アーク号が舞台。シャトル部品製造に優れた能力を発揮する青年ジョナは、ひどく内気で、人と話すより工作機械を相手に仕事をするのが好きだった。チームのボスであるアラン直々の仕事を請けたジョナは、出来上がった部品を届けに営繕室フロアに赴くが…
 彼らしいホンワカした雰囲気のボーイ・ミーツ・ガールのお話。と同時に、この連作長編の重要なエピソードになりそうな一遍。完結が楽しみだなあ。

 堺三保のアメリカン・ゴシップ、今回はハリウッド映画版「アキラ」と「All You Need is Kill」のお話。All…は、なんとトム・クルーズの出演が決まったとか。気合入ってます。対してアレなのがアキラ。金田はネオ・マンハッタンでバーを経営する青年で、演じるはギャレト・ヘドランド27歳。これじゃ「健康優良不良少年」は無茶だよなあ。あの特異なバイクも出そうにないし、祭りの予感。

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2011年12月26日 (月)

乾一宇「力の信奉者ロシア その思想と戦略」JCA出版

 ロシアは力を信奉する国である。パワー・ポリティックスの立場から、どの国も大なり小なり力を重要視する。ロシアの場合は、それが度を超している。

【どんな本?】

 第二次大戦後のスターリンからゴルバチョフのソ連崩壊を経て現代のメドベージェフまで、ソ連/ロシアの軍事の基本方針/戦略の変転と実情を、主に公開された文書を元に読み取り、その決定の背後にあるソ連/ロシアの政治・経済の内情や国際情勢などと併せ、元防衛研究所室長の著者が解析・解説する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年5月10日発行。ハードカバー縦一段組みで本文約252頁+まえがき8頁+むすび3頁。9.5ポイント45字×18行×252頁=204,120字、400字詰め原稿用紙で約511枚。

 文章はいかにも軍人らしい堅さがあり、また研究者らしく正確さに注意を払っているものの、素人の読者に配慮したのか、思ったより読みやすかった。人名などの表記や年月日の表記法などを、「まえがき」で触れているのもありがたい。

【構成は?】

 まえがき
序章 通常戦戦略期(1945年~53年3月)
第一部 核戦戦略期(1953年3月~76年)
 第一章 軍事上の革命期(移行期)(1953年3月~59年12月)
 第二章 核戦略草創期(1960~64年)
 第三章 核戦略発展期(1965~76年)
第二部 核脅威下の通常戦戦略期(1977年~)
 第一章 第一期 攻勢戦略期(1977~85年3月)
 第二章 第二期 防勢戦略期(1985年3月~91年)
第三部 ロシアの核脅威下の通常戦戦略期(第三期 修正防勢戦略期)
 第一章 エリツィン時代の安全保障(1992~99年)
 第二章 プーチン時代の安全保障(2000年~08年5月)
 第三章 メドベージェフ時代の安全保障(2008年5月~)
むすび
 注/付録 歴代国防相及び参謀総長/英略語
あとがき
 初出及び関連論文、兵器緒元・注関係書物、ロシア語・英語引用文献
 人名索引/事項索引

【感想は?】

 扇情的な書名とは裏腹に、文章は冷静でドライだ。ロシアの基本軍事戦略という概要的なテーマや、主に文献から分析・解析するというアプローチも手伝って、細かいエピソードもあまり出てこない。

 こういう一見「眠い」本は、ナメてかかると酷い目にあう。「よーわからん」などと思って読み飛ばすと、実は大変な事が書かれてたりする。

 中でも最も衝撃的なのは、ロシアが核戦略を今でも重要視し、しかも核攻撃の敷居を次第に下げている、という点だ。末尾近く、「メドベージェフ時代の安全保障」には、こうある。

ロシアは、ロシアと(あるいは)その同盟国に対する核兵器及びその他の大量破壊兵器の使用に対する報復として、また、ロシアの国家安全保障の危機的状況において通常兵器を使用する侵略に対して、核兵器を使用する権利を留保する

 「通常兵器の攻撃でも核撃っちゃうよ」と言ってるわけ。日本が核兵器を持っていようがいまいが関係ない、ロシアの脅威と判断したらドーンといっちゃうよ、と。なんでこんなに攻撃なのかというと、著者はこう分析している。

 西側先進諸国などの最先端技術をとり入れた通常兵器(システム)に劣り、あるいは中国の圧倒的通常戦力を前にして、ロシアはドクトリンで核兵器の使用において自己を縛ることをしていない。

 つまりは通常兵器で劣勢だから核に頼るしかないじゃん、というわけ。こっちから見れば無茶な理屈だけど、ロシアから見れば当然の理屈なんだろうなあ。ということで、冷戦は終わったけど、核の脅威は消えちゃいない。

 核戦略の歴史的経緯は深読みすると面白い。スターリンは当初核を軽視するポーズを取ってたけど、ソ連で核実験が成功するや核重視に切り替え、次第に核偏重へと傾いていく。この傾向はフルシチョフまで続き、通常戦力は軽視される。気になったのが核のボタンは書記長が握ってるって点。軍に頼らない軍事力が欲しかったんじゃないか、ってのは勘ぐり過ぎ?

 ブレジネフの登場以降、軍は通常戦力軽視をおおっぴらに批判して戦力拡充を図る。このあたりの屁理屈のつけ方がいかにも共産主義国家っぽくて笑える。過去の政策を素直に批判できず、なんとか正当化しようと四苦八苦してて、それを本書が見事に暴露してる。

 逆に言うと今のロシアは共産主義の縛りがない分、本音かつ現実的な施策を堂々と打てるので、かえって怖い存在になってるのかも。現実的な側面のひとつは、兵数。

平時、兵員数は削減するけれども、必要に応じ戦力を増強することが出来る基幹制正規軍の制度をとっている。つまり、平時、完全充足部隊は最小限しか保持せず、他の多くは、装備は完全充足、人員は未充足の動員師団として保持する体制である。

 平時は小兵力で安く上げ、戦時には大量動員して大きな軍に膨れ上がる、イスラエルと同じ性格を目指してるわけ。質と量を両立させる実績ある制度なわけで、これは手ごわい。

 もうひとつ、ロシアから見た軍事情勢の興味ぶかい点は、彼らが最大の脅威を感じているのがNATOだ、という点。まあ歴史的にもナポレオンとヒトラーが最大の激戦だったし、地勢的にも欧州は陸続きだし、戦力的にも日米同盟よりNATOの方が大きいから、当然といっちゃ当然なんだけど、軽視されてるみたいでちと複雑。いや重視して欲しくもないけどね。

 語り口は冷静ながら、政治家に対しては結構辛らつに評してて、フルシチョフは「現実認識に欠けた政治指導者」、ゴルバチョフも「崩壊後もちやほやし、厚遇するのは日本やいくつかの国ぐらいだろう」とコキおろしている。まあロシアの立場で見れば高評価は出来ないよなあ。

 他にも原油価格の高騰に応じて国情が浮沈する資源大国ロシアな側面も垣間見えたり、細かい点に注意すると色々な事が見えてくる。日本としちゃ愚かで弱いロシアでいて欲しいんだが、どうもそうはいかないみたいだ。

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2011年12月25日 (日)

籘真千歳「スワロウテイル/幼形成熟の終わり」ハヤカワ文庫JA

 ――桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)。

【どんな本?】

 前作「スワロウテイル人工少女販売処」が、ハヤカワ文庫JA初登場ながらSFマガジン編集部編「SFが読みたい!2011年版」ベストSF2010国内編で堂々12位にランクインし、2011年星雲賞の候補にもなった籘真千歳による、同じシリーズの続編。

 疫病<種のアポトーシス>に冒された者が隔離された人工の浮島<東京自治区>を舞台に、二つの事件の謎を追うミステリの形で、歪な自治区の歴史と社会、人の手で作り出された人工妖精と共棲する者たち、そして日本国内の自治区という特異な立場にある東京自治区を巡る外交駆け引きを描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 文庫書下ろしで2011年9月25日初版発行。文庫本で縦一段組み本文約527頁。9ポイント41字×18行×527頁=388,926字、400字詰め原稿用紙で約973枚。標準的な長編2冊分ぐらい。

 ライトノベル出身の作家にしては、意外と読みにくい。文章が云々ではなく、これは著者の意図的なもの。というのも、かつての黒丸尚氏のようにルビを多用したスタイルのため。例えば「人工妖精」には「フィギュア」とルビがついている。

 詰め込みすぎなぐらいに設定が込み入ってるので、出来れば前作から読んだ方がいい。特にミステリとしての部分はアレなので、前作を読んでいないと、唐突にご都合主義を持ち込んだ印象になる…って、私もほとんど設定を忘れてたんだけど。

【どんな話?】

 男女が別れて暮らす自治区。男性側自治区の自警団の曽田陽平は、人工妖精の“顔剥ぎ”事件を追い現場に赴く。そこで仕入れた情報は、意外なものだった。被害者・加害者ともに女性、つまり人口妖精であり、かつ被害者の身元は既に割れている。なんと、元気に生きているのだ。

 同じ頃、人工妖精の揚羽は後輩の葬儀に出席していた。出席者は揚羽ひとりだけの寂しい葬儀が終わろうとする時、火葬炉で燃え尽きる筈の遺体は真っ黒に焦げながらも蘇り、逃げ出した。

【感想は?】

 椛子さん…ワイルドな言動も素敵です。

 前作を読んだ人は、「アレ?」と思う出だし。あーゆー終わり方だから、今度は美少年続々かと思ったら、舞台は変わらなかった。いや別に美少年物が読みたいわけじゃないけど。

 このシリーズの目玉となる人工妖精はマイクロマシンの集合体で、アンドロイド。<種のアポトーシス>罹患者は男女が別れて暮らす必要があるため、第三の性として作られた。人間並みの高度な感情を持つが、同時に『人工知性の倫理三原則』+『情緒二原則』を組み込んである。

第一原則 人工知性は、人間に危害を加えてはならない。
第二原則 人工知性は、可能な限り人間の希望に応じなければならない。
第三原則 人工知性は、可能な限り自分の存在を保持しなければならない。
第四原則 (制作者の任意)
第五原則 第四原則を他者に知られてはならない。

 情緒二原則が功を奏してか、このシリーズの人工妖精は感情豊かだ。体重を気にするし恋もする。嫌な奴には悪態をつき、自分の生き方に迷う。個性も豊かで傍若無人なエセ金髪もいれば十二単を着こなすお姫様もいる。主人公の揚羽は黒に拘る小柄なボクっ娘。計算は速いが根本的な所でボケる所が可愛い。

 今作も冒頭はミステリ仕立て。人工妖精の顔を剥ぐ人工妖精、しかも被害者は元気に今も生きている。何のために顔を剥ぐのか、なぜ被害者は生きているのか、なら今ここにある遺体は誰なのか。

 もうひとつは美少女ゾンビ。表紙こそ可憐なものの、描写は相当にエグい。火葬炉から炭化した腕がニョキっと出てくるんですぜ。その直後はゾンビと追いかけっこの末にバトル。この容赦もやたらと詳細で…。

 というグロい描写もあれば、やたら歎美なシーンもあるから困る。なんと言ってもこの作品に欠かせないのが、<蝶>。マイクロマシンの集合体で、主に廃棄物を分解する機能を受け持っている。ゴミ集積場や殺人現場に蝶が舞うってのも、相当にシュールだが、読み所は終盤。閉ざされた「秘密基地」の中を妖しく蝶が舞うシーンには、寒色の照明が似合いそう。蝶って、本体をアップで見ると結構グロテスクなんだよね。

 出てくる女性が極端なのも、この人の特徴。相変わらずプロの引きこもりで年齢不詳の鏡子さん、口を開けば罵詈雑言ばかり。天上天下唯我独尊とでも言いますか、自分以外は蛆虫並みの馬鹿と決め付け、しかもそれを隠さず口に出すから酷い。まあ表裏がないと言えばないんだけど、よくもこんな人物を作ったもんだ。

 前作では出番が少なく底を見せなかった椛子閣下も、今回は見所たっぷり。自治区総督という立場に相応しく、今回も登場シーンでは教養豊かで優雅、思慮深くも誇り高い姿を見せ付けてくれる。ところが、場面が展開するに従い「…あれ?」となり…なかなか底が知れないお方です。

 前半の読み所は、その椛子閣下が活躍する自治区の危機と、その背景として語られる自治区を巡る国際関係。まあ私がハイル椛子閣下なせいもあるけど。前作では日本以外はあまり出てこなかったが、今作では緊張を孕む国際関係を交え世界情勢と歴史の一端を見せる。「え!あそこがあーなるの?」と、日本人としてはショッキングな設定もチラリ。

 前作でもプールが印象的なシーンを描いてた著者、今作も水のシーンは印象的。深いプールの中で、静かにリズミカルに「唄う」青い光。短い場面だけど、ビジュアル的なインパクトは鮮烈。

 終盤では、ロボット物の常として、ロボットを鏡として人間を映し出す、というSFの王道に真っ向から取り組むこのシリーズ、著者が「十年後に読まれても色褪せないような物語」を目指しただけあって、密度も濃い。自治区や各登場人物の行く末も気になるし、長くシリーズを続けて欲しい。

 …だれか登場人物を忘れてるような気がするけど、ま、いっか、おっさんなんか←をい

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2011年12月22日 (木)

ドューガル・ディクソン&ジョン・アダムス「フューチャー・イズ・ワイルド」ダイヤモンド社 松井孝典監修 土屋昌子訳

 すべての大陸が集まって一つの大きな超大陸になっている世界。本書は、そこに現れる8トンもの巨大イカが地上をのし歩く様子を描いている。また、カンガルーのように跳ぶカタツムリ、森の中をチョウのように飛ぶ魚、4枚の翼をもった鳥も登場する。

【どんな本?】

 地球の気候は常に変動している。周期的に氷河期が来るし、大陸の移動は密林を砂漠に変え海底を山脈に押し上げる。現在、判っている変動要因から、500万年後・1億年後・2億年後の地球の気候を科学的に推測し、そこに住むであろう生物の姿と生態を、豊富なイラスト(CG)を交えて紹介する。

 科学・生物学ファンのみならず、珍獣・UMA・怪獣を愛する人も図鑑のように眺めて楽しめる、ちょっと変わった科学啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は the FUTURE is WILD, A Future Is Wild Book, by Dougal Dixion & John Adams, 2003。日本語版は副題に「驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界」とあり、2004年1月8日第1刷発行。私が読んだのは同年1月28日の第2刷。ハードカバー縦一段組みで本文約264頁。9ポイント42字×18行×264頁=199,584字、400字詰め原稿用紙で約499枚、小説なら一般的な長編の分量だが、イラストや図版を多数収録しているので、正味の文字量は400枚分ぐらい。

 同著者の前作「アフターマン」に比べると、だいぶ文章はこなれてきた感がある。が、それより、本書の魅力は奇妙奇天烈な生物のイラストなので、そっちをじっくり楽しもう。同じモデルを使いまわしてたりするのは、まあご愛嬌ってことで。

【構成は?】

 序文
 刊行によせて――第一線の科学者たちが描く地球の未来
第一章 進化する地球
 生きている地球
 生命のサイクル
第二章 500万年後の世界
 氷河時代
 北ヨーロッパ平原
 地中海盆地
 アマゾン平原
 北アメリカ砂漠
 一つの時代の終焉
第三章 1億年後の世界
 温室の地球
 大浅海地
 ベンガル沼地
 南極森林地
 グレートプラトー
 大量絶滅
第四章 2億年後の世界
 第二パンゲア
 中央砂漠
 地球海
 レインシャドー砂漠
 北部森林地
    事項索引/地名索引/動植物名索引

【感想は?】

 前の「アフターマン」は哺乳類が中心だったので珍獣図鑑的な雰囲気があった。今度は鳥類・魚類・昆虫類、そして環状生物が大活躍。われわれ人類とは徹底的に異なるデザインの生物が中心なため、もはや珍獣というより怪獣・怪生物図鑑といった趣がある。水上・水中生物を多く紹介しているのも生物デザインの幅を広げている。

 シナリオとしては、間もなく氷河期が来て人類は絶滅、500万年後は寒冷化した地球でげっ歯類が繁栄する。その後、次第に温暖化して海面が上昇、1億年後は浅い海で海洋生物が大繁殖する。が、火山活動が活発化して大絶滅が発生。2億年後にはすべての大陸がくっついて第二パンゲアとなり、中央は砂漠になる、という筋書き。

 500万年後の寒冷化した世界は全般的にモノトーンで、正直イマイチ迫力に欠ける。面白いのは「身長2メートル超の飛べない猛禽カラキラー」。走る姿のイラストがあるんだが、逞しい後足と短い前足で前傾姿勢は、まるきし肉食恐竜。二足で走る肉食動物としては、洗練されたデザインだんだろうなあ。

 1億年後の温暖化した世界は、海洋生物が楽しい。アザラシほどの大きさになったウミウシの子孫リーフグラーダー、海から這い出したタコのスワンパスもいいが、やはり異様さが際立つのはオーシャンファントム。見た目は帆つきの筏というか平べったいクラゲというか。しかも体内に「戦闘機」を隠し持つ「空母」みたいな生態。

 こういうのを見ると、人間の想像力ってなんだろうなあ、などと考えてしまう。科学という厳しい制約を基に考えた生物が、純粋な想像より遥かに異様なんだもんなあ。

 もうひとつ、この世界で活躍しているのが昆虫。30cm超のハチとか、おっかねえ。なんで大型化するのか、というか、なんで今は大型化しないか、というと、理由は二つ。1)外骨格を支えるには多くの筋肉が必要 2)肺がないので酸素を体の奥に運べない。ところが温暖化で酸素濃度が上がったんで、大型化できた、という理屈。

 2億年後は海水の酸性度が増して硬骨魚が死に絶えるが、一部は空中に活路を見出す。軟骨魚のサメは案外と既にデザインが完成してるらしく、2億年後も今とあまり変わらないのが興味ぶかい。

 そして、陸上の王者となるのが、なんとイカ。身長8メートル超だが太い8本の脚でノシノシ歩く。変温動物なために燃費が良く、「同じサイズの恒温動物、例えば、現代のアフリカゾウが一日に必要とする食事量の10分の1ぐらいで十分だ」。哺乳類ってのは、燃費が悪いんですな。

 他にも体内に藻を共生させてるガーデンワーム、運搬アリ以外は脚が退化したテラバイツ、巨大カメのトラトンなど奇妙奇天烈な生き物がいっぱい。

 逆に「おお、カッコいい!」と思ったのが、グレートブルーウインドライナー。「4枚の翼をもつ鳥」と紹介してる。上から見たイラストが載ってるんだが、これ、尾翼の大きい最近の戦闘機っぽいシルエットだったりする。

 哺乳類が中心の「アフターマン」に比べ、生デザインの幅が大きく広がり、生物としての親近感は減ったものの、異様さは大きくグレードアップしている。スティーヴン・ジェイグールドの「ワンダフル・ライフ」が好きな人にはお勧めの一冊。

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2011年12月18日 (日)

バーナード・ベケット「創世の島」早川書房 小野田和子訳

魂は、その部分部分の活動の集まり以上のものなのだろうか?
   ダグラス・ホフスタッファー『マインズ・アイ――コンピュータ時代の「心」と「私」』

【どんな本?】

 なんとニュージーランド産の長編SF。ニュージーランドの児童書またはYA(ヤング・アダルト)作品が対象のエスター・グレン賞およびニュージーランド・ポスト児童書及びYA小説賞YA小説部門受賞、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2011年版ベストSF2010」でも14位に入っている。日本ならライトノベルに該当する市場を狙う作品。

 という受賞暦でもわかるように、元は青少年を読者対象とした作品だが、中身は本格的なSFだ。21世紀に戦争と疫病で世界が崩壊する中、一種の鎖国政策により生き残った島国<共和国>を舞台に、伝説と現代の二つの物語が語られていく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GENESIS by Bernard Beckett 2006。日本語版は2010年6月15日初版発行。新書版で縦一段組み、本文約229頁。9.5ポイント42字×16行×229頁=153,888頁、400字詰め原稿用紙で約385枚。長編としては短め。

 YA作品だけあって文章は読みやすいが、テーマが哲学的なので、内容的には少々歯ごたえあり。その歯ごたえの部分がこの作品の醍醐味なので、「メンドクセー」とか言わずじっくり読みましょう。

【どんな話?】

 21世紀、戦争と疫病が世界を席巻した。富豪プラトンは群島に居を構え<共和国>を建設し、孤立することで生き延びた。稀に流れ着く難民も疫病の危険を防ぐために「処分」し、外部との接触を極端に避けた。やがて難民の漂着も減り、他国からの通信も途絶えた。

 そんな共和国で生まれ育った兵士アダム・フォードは、国境監視の任務中に漂流中の少女を救う。この事件をきっかけに、共和国は大きな曲がり角を迎える。

 そんなアダムの事件に強い興味を抱く少女アナクシマンドロスことアナックスは、アカデミーの入学試験に挑み、大きな関門となる口答試験に臨む。勿論、主題は、得意な「アダム・フォードの人生とその時代、2058から2077年」だ。まず冗談で雰囲気を和らげる作戦に出たが、いきなりスベってしまう。ピーンチ。

【感想は?】

 こんなモン、健全な青少年に読ませてもいいんだろうか。ニュージーランドって、意外とサバけてるのね。

 物語は、受験者のアナックスがアダムの事件を語り、試験官の突込みを受けて狼狽しながら持ち直す、という形で進んでいく。全般的に静かな面接室内で話が進むので、派手なアクションはほとんどない。

 が、その中で語られる共和国の社会は、なかなかグロテスク。男女は別れて生活してるし、子供は親が誰かを知らない。しかもゲノムで階級が決められてしまう。労働者・兵士・技術者・哲学者の四階級で、支配階級は哲学者。そのためか、このお話は哲学的な問答が中心となる。

 登場人物の名前もプラトンと主人公のアナクシマンドロス(→Wikipedia)は哲学者の名前だし、重要な役割を果たすペリクレス(→Wikipedia)もアテナイの政治家。アダムは旧約聖書のアダムだろうし、その同僚のヨセフは…えっと、ヤコブの倅かジーザスの父ちゃん、どっちなんだろ?

 まあいい。肝心の哲学問答、さすがに青少年向けだけあって、相当に噛み砕いた形で問題を提示している。とまれ、この問題はSFの本質に迫るものだ。つまり、生命とは何か、思考とは何か、という問題だ。かの有名な「中国人の部屋」も出てくる。

 デッカイ部屋がある。部屋には一つ紙を出し入れするスロットがある。スロットに中国語で書いた手紙を入れると、暫くして中国語で返答を書いた手紙が出てくる。手紙を介してではあるが、キチンと会話が成立している。この時、部屋の外の人は、「中の人は中国語を読み書きできるんだな」と思い込む。

 ところが。実際はコンピュータが手紙を読み、中の人に返答用の手紙を書かせている。中の人はコンピュータに言われたとおり書いてるだけ。ま、チューリング・テストですな。この場合、コンピュータは「思考している」と言えるんだろうか、中の人は「中国語ができる」と言えるんだろうか、という問題。←すんません。これ、間違い。このブログの記述の信頼性の目安として、敢えて間違いを残しときます。

 部屋の中には膨大な「規則集」がある。規則集には、あらゆる手紙と、それに対する適切な返答が載っている。中の人は、規則集を参照し、該当する返答を書き写して返事の手紙を出す。「ありうる全ての中国語の手紙を掲載した本なんて無茶じゃね?」という疑問はもっともだけど、とりあえず思いっきり大きい部屋って事にしといてくださいな。

 今考えると、プリンタ使えば中の人は要らないじゃん…ってのは置いといて。突き詰めていくと、「人間って何だろうね」という問いにまで発展してしまう。そういえば最近、IBMのWatsonがクイズ番組で王者に勝ってる(→ITmedia)。クイズという限定された状況ではあるものの、それなりに妥当な会話を成立させてるのね。

 物語が対話形式で展開するのは、やはりプラトンに倣ったんだろうか。こういうめんどくさいテーマを扱うには、なかなか巧い語り口だ。しかも、会話の双方が、この問題に重要な関わりを持ってるだけに、問答は切実なものとなる。生命の発生を巡る双方の見解の違いが面白い。まあ、やっぱり、そうなっちゃうよねえ。

 …と思ってWikipediaのニュージーランドの項を見ると、実はこの作品に別の側面が見えてきた。共和国の位置もニュージーランドを思わせる記述がチラホラ、「北島の南岸」とかあるし。

 そのニュージーランドの歴史と現在、9世紀にポリネシア人が住み着き、18世紀から捕鯨に伴い欧州移民が活発になり、今はワーキングホリデーを実施してる半面、人種差別が問題となっている、と。なるほど。ニュージーランドの児童文学界で絶賛を浴びた裏には、微妙な政治的事情があるのかも。

 それまでの緩やかな流れが打って変わり、終盤は怒涛の展開。じっくり、落ち着いて読もう。

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2011年12月16日 (金)

マイケル・サンデル「これからの[正義]の話をしよう」早川書房 鬼澤忍訳

 便乗値上げをめぐる論争を詳しく見てみれば、便乗値上げ禁止法への賛成論と反対論が三つの理念を中心に展開されていることがわかるだろう。つまり、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の促進である。

【どんな本?】

 副題は「いまを生き延びるための哲学」。浮世離れした学問という印象が強い哲学だが、この本では具体的な法案や事例を元に、「正義とはなにか」を探り、哲学と政治の深い関係を訴え、読者の思想と政治姿勢を問う。ハーバード大学の人気講義「正義」をもとにした話題のベストセラー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原題はズバリ Justice, What the Right Thing to Do? by Michael J.Sandel, 2009。日本語版は2010年5月25日初版発行。私が読んだのは2010年9月12日の68版。たった半年で68版とは化け物だ。しかも既に文庫が出ている。ハードカバー縦一段組みで本文約333頁。9.5ポイント42字×20行×333頁=279,720字、400字詰め原稿用紙で約700枚。小説なら長めの長編の分量。

 政治哲学という面倒くさそうな内容だが、拍子抜けするぐらいわかりやすく、読みやすい。いちいち現代アメリカの具体的な訴訟や事件の事例を挙げて説明しているため、親しみやすく切実な実感がある。

【構成は?】

第1章 正しいことをする
第2章 最大幸福原理――功利主義
第3章 私は私のものか?――リバタリアニズム(自由至上主義)
第4章 雇われ助っ人――市場と倫理
第5章 重要なのは動機――イマヌエル・カント
第6章 平等をめぐる議論――ジョン・ロールズ
第7章 アファーマティブ・アクションをめぐる論争
第8章 誰が何に値するか?――アリストテレス
第9章 たがいに負うものは何か?――忠誠のジレンマ
第10章 正義と共通善
 謝辞/原注

【感想は?】

 そうか、私は功利主義者だったのか。

 この本の特徴は、現代アメリカの具体的な事例を挙げ、その議論を分析し、各論を主張する者達の思想原理を明確にしようと試みている点だ。事例として、いきなりハリケーン・カトリーナ後の便乗値上げの是非を語っている。多くの日本人は「便乗値上げなんて言語道断!」と考えるだろうが、リバタリアンの理屈が凄い。

 …モーテルの部屋代などが通常よりも高いおかげで、こうした商品やサービスの消費が抑えられるいっぽう、はるかな遠隔地の業者にとってハリケーンの後で最も必要とされている商品やサービスを提供するインセンティブが増すことになる。

 市場原理の当たり前の理屈だけど、どうにも納得いかない。だって不幸で苦しんでる人を更に踏みつけるみたいで酷いじゃないか。この「納得いかない」部分が、「道徳」だよ、と著者は主張する。このように事例を通して、現代アメリカの思想を著者は大きく三つに分ける。

  1. 幸福の最大化:功利主義
  2. 自由の尊重:リバタリアニズム
  3. 美徳の促進:それ以外

 それ以外ってのも相当にいい加減な分類に見えるが、つまりは政治に道徳を要求する立場、と考えればいい。ただし道徳の形が人によって違うため、宗教保守も「美徳の促進」に入ってしまう。この本だと宗教保守にはあまり深入りしないが、リベラルは随所で槍玉にあげられている。

 一般に政治的な著作は、著者の姿勢に共感するか否かで評価が大きく分かれる。著者は上の 3. に属するコミュニタリアン(→共同体主義者)で、私は功利主義者だ。よって思想的には対立する立場だが、それでも本書は楽しめた。

 確かに著者の政治姿勢は出ているものの、おおむね公平を意識して書いている。各事例に対し功利主義やリバタリアンの主張も披露し、その主張をするに至った思想の根本原理を語る、という形を取っている。まあ、その後でチクチクと欠陥を突くんだけどw

 感想の冒頭で妙な事を言っているが、私はこの本を読むまで自分の思想がどんな位置にあるのか知らなかった。つまりはその程度の素人だが、そんな素人に、本書は現代の思想のルーツと変転をわかりやすく教えてくれる。「思想って黴臭くて退屈」などと思っていたが、意外とエキサイティング。

 また、上の三分類、政治的な議論をする際の指針にもなる。つまり利害を基準にしてるか、選択の自由を広げようって主張か、正義をなそうとしているか。往々にして人って、支持する結論があって、その後に理屈をつけたりするんだが、その際に上の三パターンを知ってると便利かもしれない。

 とまれ、昔の人の考える事だけあって、「ちと無茶じゃね?」と突っ込みを入れたくなるのも事実。最も「突っ込みてー」と思ったのは、第5章のイマヌエル・カントの、「道徳的に行動することは、義務から行動すること――道徳法則のために行動することだ」という主張。これ、「じゃアシモフの三原則に従うロボットは道徳的なの?」と突っ込みたい。

 などと言うものの、「自分で定めたルール(道徳)に従って行動する」って生き方、魅力的ではあるんだ。特に物語の登場人物だと。フィリップ・マーロウとか。

 確かに文章は読みやすいのだけれど、スラスラ読めるか、というと、実は結構時間がかかる。というのも、読者が支持する立場によって、本書で主張されているサンデル教授の論に反論したくなるからだ。功利主義の立場だと、「功利主義を捨てたら発展が阻害され国家が衰退しちゃうんじゃね?」とか。そういう事を考え始めると、ついつい妄想にふけってしまう。

 現実の政治議論も面白い例が多くて、本書の終盤近くでは結婚制度について触れている。同性婚の是非を問う議論で、結婚とは何かを問い、三つの意見を紹介している。

  1. 男性と女性の結婚のみを認める。
  2. 同性婚と異性婚を認める。
  3. あらゆる種類の結婚の承認をしないが、その役割を民間団体に委ねる。

 c. は無茶だと思うでしょ。でも、政治と宗教を徹底的に切り離そうとすると、イスラムなどの一夫多妻はどうするの?って問題に突き当たる。これから逃げちゃったのが、結婚の民間化。こんな馬鹿な事を考えるのは私ぐらいかと思ったら(*)、評論家のマイケル・キンズレーなどリバタリアンが支持するそうな。

*誤解を招きそうなので言い訳を。別に私は「結婚制度は民間に任せろ」と主張しているわけじゃない。SF者の常として、極端な状況を想定して奇妙な社会を妄想する癖があ。ある時、「政教分離を極限まで推し進めたらどうなるか」を考えた。結婚制度には、イスラムの一夫多妻や一部地域の一妻多夫など、文化や宗教により様々な形態があ。これらを政治から完全に切り離したらどうなるか?と考えた結果、「政府は結婚に関与しない、民間の業者に任せる」という世界設定に辿りついた。SFだと思っていたのに、まさか現実に主張している人がいるとは思わなかった

 ところがサンデル教授は意地が悪くて、こういう「逃げ」の姿勢に対し、「逃げちゃダメた」と、ES細胞と妊娠中絶を例に挙げて立ちふさがる。どっちも「どこから人間か?」という宗教的な問いを含んでいるわけで、これに結論を出さないと前に進めないぞ、と通せんぼする。困りましたね。

 他にも「裏口入学があるんだから、いっそ新入生枠の一部を競売にかけちゃえ」とか「タバコは年金負担を軽くする」とか「インドのアナンドは商業的な代理出産の集積地になるだろう」など、衝撃的な意見やエピソードがいっぱい。ワイドショーを楽しむ野次馬根性で読んでも充分に楽しい本だ。

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2011年12月13日 (火)

梶尾真治「ムーンライト・ラブコール」光文社文庫

映画好き同士ということで加塩は清太郎に好意を持っていたのだろう。この男は卒業後、実家の熊本に帰り家業を継ぐことになる。同名で下手なSFを書く作家がいるが、まさかこの加塩が文章を書くような奴には見えないから多分別人だろうと清太郎は思っていた。  ――1967空間

【どんな本?】

 「黄泉がえり」でブレイクしたベテランSF作家、梶尾真治。長編ばかりが注目される昨今だが、SF者は知っている。彼が短編の名手であり、甘いロマンス物から抱腹絶倒のドタバタ・ギャグまで、広い芸幅を誇っていることを。やや懐かしい雰囲気の親しみやすい短編を、過去の作品集から集めた短編アンソロジー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年4月20日初版第1刷発行。文庫本縦一段組で292頁+尾之上浩司による22頁のカジシン作品ガイドつき。8.5ポイント41字×17行×292頁=203,524字、400字詰め原稿用紙で約509枚。標準的な長編の分量。ベテラン作家だけあって、文章の読みやすさは抜群でスイスイ読めるけど、涙腺の弱い人は電車の中で読まないように。

【収録作は?】

ムーンライト・ラブコール
 ヨーコ・Kのおばあちゃんは、重力生理学の研究者だ。おばあちゃんとおじいちゃんは、大ロマンスの末に結ばれたらしい。大学生の頃は、二人とも学業熱心な分、色恋沙汰には奥手だった。なかなか進まぬ二人が結ばれるには、長い時間が必要で…
 日ごろおとなしい人間を追い詰めると、往々にしてとんでもない真似をやらかすもんで。ある意味マッド・サイエンティスト物なのかな。パーティー券は誰かの陰謀じゃないかと思うんだが、あなた、どう思いますか。
アニヴァーサリィ
 長い間連れ添った老夫婦の仙太とまり江。だがまり江は病で倒れ、仙太は看病に専念していた。クリスマス・イヴは二人の結婚記念日であり、仙太はこの日を大事にしていた。だが、この年、仙太には用事ができてしまった。
 これぞカジシンの真骨頂。最後の一行が泣かせる泣かせる。
ヴェールマンの末裔たち
 行き詰った中年男三人、鉄工所の資金繰りが苦しい栄ちゃん、特殊撮影のプロダクションをクビになったしっちゃん、婿養子に行った先の舅に叩き出された研究者のガリビーは、小学校の同窓会で、かつてのマドンナ美紀ちゃんと再会する。
 追い詰められヤケクソになったオッサン三人組が、「この際だからデッカイ事をやろう」とロクでもない事を企むお話。とはいえ行き詰るような連中だから…。
夢の閃光・刹那の夏
 ワイン合成公社に勤め、2年後に定年を控えた竜介。彼には、定年後の予定があった。一人で惑星ベグ・ハー・パードンへ赴き、なすべき事があるのだ。だが、思わぬ事態が持ち上がる。ベグ・ハー・パードンの母星ルイテン892が膨張を始め、ベグ・ハー・パードンの全居住者は脱出する事になった。
ファース・オブ・フローズン・ピクルス
 惑星<フローズン・ピクルス>は、採掘惑星だ。住んでいるのは5人だけ。祖父、父、母、妹、そしてぼく。ぼくと妹は、ここで生まれ、育ったため、ここ以外の世界を知らない。ある時、父は宇宙船で二ヶ月かかる<ポーカーフェイス・ボギー>に買出しに行った。「お前の嫁を探して連れてきてやる」と言って。
 舞台こそ未来だけど、お話の雰囲気は懐かしの西部の馬鹿話。何かの映画を下敷きにしてると思うんだが…
メモリアル・スター
 惑星<メモリアル・スター>は、殺伐とした殺風景な星だ。有名なものは二つ、凶暴で知られるリッ蜂と、「泥場」。泥場を訪れる観光客が増えるに従い、リッ蜂は駆除され、すでに絶滅したと言われている。だが私の目的は、観光ではない。
ローラ・スコイネルの怪物 ――B級怪獣映画ファンたちへ
 1981年、飛行中のボーイング727が高度八千メートルで空中分解し、たった一人の少女、ローラ・スコイネルだけが生き残った。彼女への取材に成功したわしが引き出したのは、奇妙な言葉だった。「ブロッコミリーのせいです。私が、ロサンゼルスの大学に行くことを知って追っかけてきたんです」
 サブタイトルでだいたいの流れが分かると思う。やっぱり怪獣映画には可憐な女性が不可欠だよねえ。
1967空間
 大学時代は映研に入り映画にのめり込んでいた清太郎だが、最近はめっきり見なくなった。妻の代志子も近頃は嫌味ばかり。なんとなく学生時代に通いつめたスナック「ヤング・ラスカル」を訪れた清太郎は…
 カジシン、やりたい放題。加塩でやっと仕掛けがわかった。後で袋叩きにされたんじゃなかろかw
解説:尾之上浩司
解説といいつつ、中身は梶尾真治の読書ガイド。やっぱりクロノス・ジョウンターは人気あるんだなあ。

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2011年12月12日 (月)

ポール・ルセサバギナ「ホテル・ルワンダの男」ヴィレッジブックス 堀川志野舞訳

私はごく普通の人間がとるであろう、ごく普通の行動をとった。誰もが同じように答えるだろうと思いながら、非道な行為に対してノーといった。実際には実に多くの人がイエスと答えたことに、私は今でも当惑している。  ――序文 ホテルと鉈のあいだで より

【どんな本?】

 1994年3月にルワンダで起こり80万人が犠牲になった虐殺。当時ホテルの支配人であった著者は、ホテルに避難した者を全てを受け入れ、匿う決意をする。彼の手にあるのはホテルに備え付けの酒・ホテルの金庫にある金・今までの顧客リストによるコネ、そしてホテルの支配人として鍛えた交渉術。四方を武装した敵に囲まれ強行突破されれば終わりという状況の中、彼は交渉術だけを頼りに1268人の避難者を守りぬく。

 映画「ホテル・ルワンダ」のモデルとなった著者が自ら綴る、事件の背景と経緯、そして後日譚。予めお断りしておくが、映画の原作ではない。本書の末尾近くで映画化の経緯に軽く触れている。つまり、映画化の後で書いた本だ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原題は An Ordinary Man, by Paul Rusesabagina, 2006。日本語版は2009年2月28日初版第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで279頁。9ポイント43字×16行×279頁=191,952字、400字詰め原稿用紙で約480枚。標準的な長編小説の分量。翻訳物だが、気のいいおじさんが語りかけてくる雰囲気の文章は親しみやすく、読みやすい。

【構成は?】

 序文 ホテルと鉈のあいだで
第一章 バナナビールの国
第二章 フツとツチ
第三章 ホテルマン
第四章 扇動
第五章 虐殺の朝
第六章 ホテル・ミル・コリン
第七章 命綱
第八章 黙殺されたジェノサイド
第九章 脱出
第十章 残骸
第十一章 平凡な人々

 第四章まで、ルワンダの歴史と著者の半生、そして虐殺の背景を書き込んでいる。また、十章と十一章は映画の後日譚にあたる(映画は見てないけど)。

【感想は?】

 原題の An Ordinary Man を直訳すると「普通の男」となる。謙遜してるのかと思ったが、どうも違う。これは、著者が読者に送るメッセージだ。

 ルワンダはアフリカ大陸の中央、赤道の少し南に位置する内陸の小国だ。最初の宗主国ドイツは興味を示さず、「旗を立てる」程度の興味しか示さなかった。しかし、第一次大戦のドイツ敗北に伴いルワンダを獲得したベルギーは、「熱心に」植民地経営に乗り出す。

 「分裂させて統治する」手口で、長身で少数派のツチ族を支配階級とし、多数派のフツ族より優れている、と国民全体に刷り込む…ったって、本人たちにもツチとフツの区別なんかついちゃいない。仕方がないんで身分証明書などで無理やり「民族」を作り上げる。

 1959年の国王崩御後のゴタゴタでツチ族の支配は終わり、選挙によりフツ族政権が成立、ツチ族の迫害が始まる。隣国ウガンダに逃れたツチ族はRPFを結成し、抵抗を始める。ルワンダの独裁的な政権は権力を維持するため、ツチ族への憎悪を煽る。そんな中、ルワンダ大統領ジュヴェナル・ハビャリマナを乗せた自家用ジェット機が撃墜される。

 1994年4月6日。緊張がはじけ、フツ族によるツチ族の虐殺が始まる。ツチ族ばかりでなく、ツチ族をかばうフツ族穏健派も虐殺の対象となった。この虐殺はしくまれたものだ、と著者は指摘している。大統領自身が筆頭株主を勤める民間ラジオRTLMが盛んに虐殺を促していた。

受取人は偏見を促進するラジオ局RTLMの有力なスポンサーのひとりだった。中国から届いたその船荷の品も、奇妙なことに続々輸入されてくる鉈の一部に過ぎなかった。1993年一月から1994年三月の間に、合計で50万本もの鉈が世界各国からルワンダに輸入された。

 また、同時に民兵団インテラハムウェも結成されている。これが虐殺では先導役を果たす。

 著者はフツ族の父親とフツ族の母親の間に生まれ、一応はフツ族だが、奥さんはツチ族。悪く言えば「口から先に生まれたような奴」、よく言えば優秀なビジネスマンだ。そのためか、この本はビジネス書としても読める。幼少期の著者はペンキ塗りのアルバイトで稼ぐ。悪たれに目をつけられた彼は…

ただ相手の目をじっと見つめて、決然と、だが親しみのある声で、「どうして?」と尋ねることにしていた。いじめっこは私と言葉を交わさずにはいられなくなり、おかげで暴力を振るわれることはまずなかった。一度言葉を交わしてしまった相手と争うのは至難の業だということを私は学んだ。

 紆余曲折の末に高級ホテル「ミル・コリン」の職につき、クレーム処理で優れた能力を示す。「たいていの人間は、ただ自分の話に耳を傾けて理解してもらいたいだけなのだ」。支配人となってからも、経験から多くの教訓を引き出す。

 「取引をしている相手は、完全な敵対者になりえない」「交渉しようとしている相手と話す時は、相手に見下ろされているよりも同じ目線の高さで向き合っているほうがいい」。だが、本書内で何度も繰り返し出てくるのは、彼が父から教わった言葉だ。「ビールも用意せずに、人を招待すべきじゃない」。

 「篭城」中も、彼が支配人として勤めながら作ったVIPの電話帳が大きな役割を果たす。尉官が脅しに来れば佐官に、佐官が来れば将官に連絡して上から圧力をかけてもらう。興奮している相手は、オフィスに通して一杯おごる。「けしかけるほ他の兵士もいない静かな部屋に腰を落ち着けたことで、彼の表情からはすでに怒りが薄らぎ始めていた」。

 「大部分の人間にとって、事実というものはほとんど意味を持たないということだ。我々は感情に基づいて決断を下し、後から自分を弁護するような事実を寄せ集めて、己の決断を正当化する」などと皮肉な事を考えつつも、時には酒を奢りゴマをすり賄賂を渡し、彼は時間を稼ぐ。

 そう、彼が「篭城」中にやっていた事は、まさしく時間を稼ぐ事でしかない。「ルワンダ人のノー」、つまり表面上は合意の様相を見せながらのらりくらりとかわし、「続きは明日にしましょう」的な形に持っていく。やがて相手も面倒くさくなってか、ホテルに顔を見せなくなる。そうやって一日一日を稼ぎ、事態の変化を待った。

 「いつまで」というゴールが見えない状態で、これは相当に神経に堪えるだろうに、よく頑張りとおせたものだ、と感心する。

 後日譚では、ベルギーでタクシー運転手として働いていた頃の話が出てくる。稀に客にホテルの話もしたそうだが、客は「話を聞いた後、彼らは言葉もなくタクシーを降りていった」。「えらいほら吹きな運ちゃんやなあ」などと思っていたんじゃなかろか。

 書名の「普通の男」に込められたメッセージ、それは末尾で再び強調される。彼同様に被害者を匿ったルワンダ人の絵エピソードを並べ、語る。

 これらの人々の共通点は何か?彼らは皆、将来を見据えていたのではないかと私は信じている。彼らは過ぎ行く出来事を見極め、ルワンダを支配する狂気は一時的なものに過ぎないことを理解していた。
 (略)正気は必ず戻ってくる。長い目で見れば世界は必ず自ら正常な状態に戻る。

 ホテルの支配人という、多くの人に接する職歴を通じ彼が学んだ様々な事柄、そして極限状況の中で発揮される「普通の男」の誇りと信念。分量はお手軽で文章も柔らかく、極端に政治的でもない(多少はそういう部分もあるけど)。書感想文にはもってこいの題材ですぜ、中高生の皆さん。

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2011年12月 9日 (金)

貴志祐介「新世界より 上・下」講談社

 こういうところは、覚の話術の巧みさに感心する。もし、人を怖がらせる話を作る職業があれば、覚は、まちがいなく第一人者になれるだろう。むろん、どんな社会においても、そんな馬鹿な仕事が成立するとは思えないが。

【どんな本?】

 ホラー作家貴志祐介が新境地に挑戦した長編SF小説。2008年第29回日本SF大賞受賞作であり、SFマガジン編集部編「このSFが読みたい!2009年版」でも2008年国内編でトップをもぎ取った問題作。一度文明が崩壊し、人類が再出発を始めた遠未来の日本を舞台に、少年少女の成長と、彼らが垣間見る世界の姿を、息をつかせぬ危機とアクションの連続で描ききる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年1月23日第一刷発行。今は講談社から文庫が出ている。上下巻で上巻約492頁+下巻約568頁=1060頁。ハードカバー縦一段組みで9.5ポイント43字×20行×(492頁+568頁)=911,600字、400字詰め原稿用紙で約2,280枚の大作。ちなみに文庫本は上・中・下の三巻。

 ベストセラー作家らしく、読みやすさは抜群。SFとは言っても堅苦しい屁理屈はスパイス程度で、意味がわかんなかったら読み飛ばしても大きな問題はない。どころか、物語が走り始めたら、ぐいぐいと引き込まれ、途中で本を閉じるのに苦労する、というか、しました、はい。

【どんな話?】

 舞台は遠未来の日本、利根川のほとり。機械文明は何らかの事情で一旦崩壊したらしく、今は小さな集落でそれなりに平和に生活している。主人公は渡辺早季。幼い頃の早季は、多くの友人と楽しく遊んでいた。同じ日に生まれ女王様然とした真理亜、お調子者で法螺話が得意な覚、優等生で穏やかだがリーダーシップに溢れた瞬。網のように水路が巡らされた神栖66町は、秋になれば水田に赤トンボの舞う牧歌的な郷だった。

【感想は?】

 「うわ、やられた!」というのが、正直な感想。ホラー作家やミステリ作家の書くSFというと、微妙にピントがズレてたり変にセコかったりするんだが、この作品はとんでもない。確かに感触は「ホラー作家の書くSF」なんだけど、これはむしろ「ホラーで鍛えた作家だから書けるSF」だ。

 出だしは早季ら子供たちの平和で牧歌的な日常で始まる。「ほお、穏やかな世界だねえ」などと油断していると、少しぞつ「ミノシロ」やら「悪鬼」などの変なモノが、物語に侵入してくる。「まあ、遠い未来の話しだし、生物相が変わってても不思議はないよね」などと勝手に了解しながら読み進めていくと…

 このお話の凄さは、その異様な世界観だ。今までSF作品で何度も扱われてきたテーマを徹底的に推し進め、その結果、人類社会がどう変化するか、それを徹底的に考察し、構築している。今までこのテーマに挑んだ作家というと、ベスターぐらいか。ベスターだとスタイルが独特すぎてテーマがぼやけてしまう感があるが、貴志祐介は物語の王道的なスタイルで描ききった。

 一般にSF作家は理屈でモノゴトを伝えようとするのに対し、貴志祐介はホラー作家らしく感覚で訴える。この手法の違いが、この作品では見事な効果を挙げる。「おまえら理屈じゃそう言ってるけどさ、当事者としてその立場になったらどうなのよ」という問いを、容赦なく読者に突きつける。実に意地が悪い。

 物語の流れが、これまた巧い。お話は早季の一人称で語られる。人は成長するに従って、少しずつ世界が広がっていく。このお話も同様で、彼女の成長に伴い、世界は一枚ずつ衣を剥ぎ取り、本当の姿を現していく。彼女らの行動範囲が広がるに従い、姿を現す奇妙な生き物や、通過儀礼として課されるオカルト的な風習。

 幼い頃の描写では、単にそれらの外見を描くだけだが、様々な冒険や探索を通じ、やがて本当の姿を垣間見せ、読者の背筋には戦慄が走る。

 大きな流れとしては、世界の真の姿を明らかにする、という流れだが、実際にはそんな小難しい形ではない。危機また危機、一難去ってまた一難の連続で、レイダースよろしく激しいアクションと脳髄を絞りきる頭脳戦の連続。娯楽活劇としてもサービス満点で、是非ハリウッドで映画化して欲しい、たっぷりと予算をかけて。

 …と思ったが、向うだと人種問題が絡んで大幅な書き直しが必要だろうなあ。かと言って著者自身に脚本なんかやらせたら、暴動どころか戦争が起きかねない。いやホント、それぐらい読者の感情を揺さぶる毒がたっぷり詰まってる。

 ああ、どうにも巧く面白さを伝えきれない、というか、全編が面白いのよ。だもんで、ここで下手な事を語っちゃうと、これから読む人の楽しみを奪ってしまう。こういうもどかしさは「図書館戦争」以来だ。SF者達から絶賛を浴びるのも納得。これだけデカく深刻な仕掛けを、徹底した娯楽作の形でキッチリ描ききった著者の力量には、ひたすら脱帽するのみ。

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2011年12月 7日 (水)

ヒュー・マイルズ「アルジャジーラ 報道の戦争」光文社 河野純治訳

「一つの意見があれば、また別の意見もある」

【どんな本?】

 911以降のアフガニスタン戦争やイラク侵攻など中東関係の話題がニュース番組を席巻する中、命知らずの取材でスクープを連発し、また欧米のメディアとは異なる視点で突如世界の注目を集めたアラブ系の放送局、アルジャジーラ。彼らはどのように成立し、どんな姿勢で事業に臨み、何を目論んでいるのか。

 ある者はシオニストの手先と呼び、またある者はアルカイダと繋がっていると糾弾する。報道の世界に激震を起こしたアルジャジーラの正体を探るとともに、彼らを取り巻く中東、特に湾岸諸国の情勢を報告する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 副題は「すべてを敵に回したテレビ局の果てしなき戦い」。原書は Al-Jazeera: The Inside Story of The Arab News Channel That Is Challenging The West, Hugh Miles、2005。日本語版は2005年8月30日初版1刷発行。

 ハードカバー縦一段組みで本文約437頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント45字×20行×437頁=393,300字、400字詰め原稿用紙で約984枚。長編小説2巻分ぐらい、かな。翻訳書ながら文章は読みやすい部類。内容の面白さに引っ張られた部分がある事は認める。

【構成は?】

イントロダクション 砂漠の小さな放送局
第1章 電波の種、中東に蒔かれる
第2章 アラブ世界への衝撃
第3章 反イスラエル闘争の真実
第4章 9.11はメディア戦争だ
第5章 アフガニスタンとタリバン
第6章 アルジャジーラかCNNか
第7章 「現場にいなけりゃ仕事にならん」
第8章 イラク戦争、特派員の殉職
第9章 テロリストに電波を利用させるな!
第10章 アラブ人と言論の自由
第11章 英語放送は未来を開く

 基本的に素直な時系列順。つまりアルジャジーラ設立の背景から成長、そして将来の展望という流れ。

【感想は?】

 基本的にアルジャジーラを持ち上げまくる本だ。こういう姿勢が明確な本は論調の歯切れがよくサクサク読めるものだが、それを割り引いても抜群に面白い。肝心のアルジャジーラの行動とそれに対する反応はもちろん、彼らを取り巻く湾岸諸国やアラブ世界の状況がとてもよく伝わってくる。アラブ世界に興味がある人には格好の副読本だろう。

 そのアルジャジーラ、この本が出た時点の主な番組はニュースと政治系の討論番組だ。よって、この本の内容も著者の政治的な姿勢が出ている。本書から察する限り、反ネオコン・反ブッシュjrなのは明らかで、マイケル・ムーアやノーム・チョムスキーに近いかもしれない。

 こういう政治的な内容は、著者の姿勢に共感できない人にとって大抵は不愉快なものになる。本書ではパレスチナ問題が重要な要素の一つになっていて、著者はイスラエルに批判的な姿勢を示している。この点、私はイスラエル擁護派なのだが、それでもこの本は楽しく読めたし、新たな視点を示してくれた。

 面白さの一つは、アルジャジーラという放送局の暴れん坊っぷり。

 看板番組のひとつ「反対意見」は討論番組。「そう反する意見をもった二人のゲストに、いまいちばん問題になっていることについて議論させる」番組で、司会のアル・カシムが「火に油をそそぐ」。「ゲスト同士が怒声と罵詈雑言の浴びせあいを始め、ついには二人とも席をけって帰ってしまう」事態が珍しくない。朝生なんて可愛いもんです。「放送時間帯にはアラブ諸国の街角からは人影が消え」って、「君の名は」かい。

 「イスラエル人を出演させる唯一のアラブ系放送局」でもある。それまで他の放送局は「イスラエル人の意見を伝えるにしても、アナウンサーが読み上げるだけ」だった。レバノン内戦の報道ではパレスチナ難民が虐殺される映像を流すが、予告編では…

PLOと敵対していたレバノン側のゲリラたちがアラファト議長のポスターを掲げているシーンがあって、議長の顔の前には靴がぶら下がっていたのである。

 「顔の前に靴を突きつける」のはアラブじゃ酷い侮辱だそうで、その前にもパレスチナ自治政府の腐敗を糾弾するニュースを度々流していた事もあり、ファタハは激怒。武装警備隊員がパレスチナのラマラ支局に踏み込み、支局は閉鎖となる。その後、アラファトとの会談で支局は再開となる。

 他にもタリバンのオマル師やアルカイダのビン・ラディンから届いたテープを放送したり、アフガニスタンでは唯一タリバン支配のカブールから独占映像をもたらしたり、イラク侵攻中に危険を恐れずバグダッドに踏みとどまって空爆を実況したり。特に迫力なのが、9.11の主犯へのインタビュー。冒険小説や漫画みたいな展開が待っている。

 そんなアルジャジーラは、全てを敵に回す。イスラエルからはインティファーダを煽ると睨まれ、ファタハや過激派からはシオニストと罵られ、アメリカからは「テロリストと繋がりがある」と見なされる。まあ、アルカイダやタリバンにコネがあるのは事実なんだが、マスコミだから当然だよなあ。ちなみにタリバン支配地域では「タリバンの広報担当者がついていた」そうで、北朝鮮で取材するみたいな雰囲気なんだろうし、視聴者もその辺を了解の上で見てるんだけどね。

 ってな感じで、本書のもう一つの面白さは、そんなアルジャジーラを巡る周囲の動き。対照的なのがアメリカとイギリス。イギリスはトニー・ブレア首相自らがアルジャジーラにインタビュー出演を打診し、実現させている。好評とは言えなかったようだが。対してアメリカのブッシュ政権はあの手この手で圧力をかけてくる。

 …といった西欧各国ばかりでなく、湾岸やアラブ各国の動きも抜群に面白い。最も典型的なのがサウジアラビア。あの辺一帯の広告事業はサウジ資本が牛耳っており、アルジャジーラに広告を出したら「未来永劫、サウジの市場から締め出す」と脅しをかけている。これでアルジャジーラの収益は大きく悪化した。

 広告について面白いのが、パレスチナの状況。

ビルゼイド大学メディア研究所の所長ナビル・ハティーブによれば、アルジャジーラのおもな視聴者はパレスチナ人であり、彼らのおよそ78パーセントがアルジャジーラを情報源としていた。だがCMで宣伝する商品を購入できる状況にあるパレスチナ人は、ほとんどいなかった。

 そんなアルジャジーラの存在を許しているカタールの政策も独特。湾岸の小国であり、常にサウジアラビアを意識しなければならない。そんな中、英国に留学経験を持つ現首長のハマドは「解放」政策を率先し、その一環としてアルジャジーラを設立する。どこでもマスコミって地元勢力には手ぬるいが、他国の政策は厳しく報道するもの。なまじ小国である分、アラブ諸国の大半に対し「公平」な視点で報道できるわけ。

 アルジャジーラが半官半民みたいな立場なんで、カラール政府にも圧力がかかる。これに対しカタール政府は「八方美人外交」で凌ぐ。ハマスの指導者を迎え入れる一方で、大規模な米軍基地基地建設も許可する。アラブ各国の駐カタール大使曰く「アルジャジーラに抗議を申し入れることばかりだったから、カタール駐在大使というよりは、アルジャジーラ駐在大使のようなものだった」。

 他にもイラクでバスラ蜂起のデマをすっぱ抜く話、ニューヨーク証券取引所からアルジャジーラ記者が叩き出される話、フセイン敗北に対するアラブ人の複雑な感情など、読みどころは一杯。

 後半のハイライトはイラク暫定統治機構の出鱈目っぷり。ニュース放送局IMNを設立するが、イラク人記者は暫定統治機構を批判しはじめる。ドサクサに紛れて「未来少年コナン」を放送しているのが楽しい。スタッフの大量辞任などで窮地に陥った当局は民間に委託するが、それを請け負ったのが、なんと軍需企業SAIC。

 …など、面白い所を挙げていったらキリがない。生真面目な人は怒りまくりだろうから、多少肩の力を抜いてロシアのジョークを楽しむ感覚で読もう。そういう態度で読めば、腹筋が鍛えられるのは確実。中東情勢に興味がある人には、文句なしにお勧めの一冊。

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2011年12月 5日 (月)

SFマガジン2012年1月号

僕は基本的に根暗な人間だけど、書いているものにその欠点は一部しかあらわれていないと思う。僕の小説を全部読んだら僕を嫌いになるはずだよ。他人がどうして自分の小説に共感を覚えるのか理解できない。  ――パオロ・バチガルビ インタビュウ「見えない虎を描く」

 280頁の標準サイズ。

 今号は小川一水特集として、大森望によるインタビュウや書籍ガイドなど。やはり小松左京の後継と見なす人が多いようで、本人もインタビュウで「高校の時に小松左京を読み漁った」と語っている。桝田省治の論評が、いかにも「俺の屍を越えてゆけ」の人らしい視点で笑った。

 個人的にハイライトなのが、巻末のパオロ・バチガルビのインタビュウ。どんな人なのか全く知らなかったけど、なんとも悲観的で欝っぽい人だった。専業作家じゃないのも意外。とまれ経歴と職業が独特の作風に活きてるのも事実なんで、あんまし売れないほうがファンには嬉しいかもしれない。野良イモの問題とかを知ったら、この人はどう思うんだろう。

 やはり最後の執筆者紹介の縣丈弘で驚いた。なんど、ワイルドカード映画化とか。これは期待。といっても、「無敵の勇者タートル」ジェットボーイ、それにヨーマンぐらいしか覚えてないけど。なんとか刊行再開してくれないかなあ。

 そのジョージ・R・R・マーティンのペーパーバック部門の大暴れはまだ続いている。ドラマ、評判いいんだろうなあ。アメリカのTVのSFドラマの状況は羨ましくて、スピルバーグ製作総指揮の「Terra Nova 未来創世記」、パイロット版だけで制作費20億円。日本のTVが韓流で制作費を節約してるのに対し、この違いは何なんだろ。

 最近はあまり見なかった草上仁が載ってる。誰か原稿を落としたんだろうか←をい。「予告殺人」。ミュータント絡みの殺人を巡るミステリの掌編。「これから夫を殺す予定だ」という女が、夫と妹を連れて出頭してきた。「どないせいちゅうねん」と頭を抱える巡査部長。ほんと、どう扱えばいいんだろうねえ。

 北野勇作「カメリ、山があるから上る」はお馴染みのカメリのシリーズ。人がいない世界で、知性を持った動物?の生活風景。今回は、勤め先のカフェが突然消えて、そこに巨大な岩の壁、というより山ができていた、というお話。

 大森望「新SF観光局」は、電子書籍が出版業界に及ぼす影響のお話。yomel.jp が、絶版タイトルの電子書籍化を進めてて、作家にも好評というお話。こういうサービスを待ってたんだ。月額315円ってのも格安。といってもスマートフォン持ってないけど。

 海外SFはグレゴリイ・フロスト「ドリアン・グレイの恋人」が怖い。いやホラーじゃないけど、下腹の脂肪の発達に悩んでる人にはとっても怖いお話。その裕福な男は、美食家でかつ大食漢だった。次から次へと美食を平らげるその男、だが男のデートの相手の女はミネラル・ウォーターとクラッカーだけ…。空腹時には読むべからず。

 もうひとつの海外SFはロバート・F・ヤングの「11世紀エネルギー補給ステーションのロマンス」。26世紀の過去再建部隊のアーチャー・フレンドは、時間航行中に、パワーパックのガス欠に気づいた。出発前にエネルギー補給を忘れたのだ。最寄のステーションに立ち寄るが…。「たんぽぽ娘」のヤングらしい、ほんわかした雰囲気の掌編。

 横山えいじの「おまかせ!レスキュー」、これはどう見てもQBだろw

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2011年12月 4日 (日)

篠田雅人「気候ブックス014 砂漠と気候 改訂版」成山堂書店

…日本における平均的な年間の降水量は約1700㍉で、世界の陸地における平均の約750㍉と比べて2倍以上もあります。(略)
砂漠が存在するためには、年降水量がおよそ200㍉を下回ることが必要となります。

【どんな本?】

 砂漠とは何か。どんな所にできるのか。なぜ砂漠になるのか。砂漠にはどんな種類があるのか。サハラは昔から砂漠だったのか。砂漠は気候にどんな影響を及ぼすのか。鳥取大学乾燥地研究センター教授で、世界各地の砂漠を観測した経験を持つ著者が、気候学的アプローチで語る砂漠の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2002年10月8日初版発行、2009年4月8日改訂初版発行。ソフトカバーで幅広の新書サイズ。縦一段組みで約166頁。9ポイント45字×16行×166頁=119,520字、400字詰め原稿用紙で約299枚。小説ならやや短めの長編程度。

 素人向けを意識した親しみやすい文章ではあるが、所々に数式や分子式が出てくるし、離れた章の図を参照しての説明があったりで、読み下すには相応の心構えが必要。ただ、気候学系の専門用語はたいてい文中で説明しているので、前提知識は特に必要ない。小学校で習うレベルで天気図の読み方が分かっていれば充分。

【構成は?】

 はじめに/改訂版にあたって
第1章 砂漠をみたことがありますか
第2章 砂漠はどこにあるのか
第3章 砂漠はどうしてできるの
第4章 砂漠はなにでできているの
第5章 砂漠はあついの
第6章 砂漠は昔からあったの
第7章 砂漠化とは
第8章 砂漠化が気候に影響するの
おわりに 将来の砂漠像を描くために
 参考文献/索引

【感想は?】

 この国に住んでいると、どうも砂漠というモノが理解しにくい。夏ともなればアスファルトの道路の隅っこからでも、オヒシバなどが逞しく生えてくる。「植物なんて土さえあれば生える」などと、ついつい考えてしまう。

 そういう感覚は、水が豊富な日本ならではなのだな、と冒頭で実感できる。日本の降水量1700mmは、「世界の陸地における平均の約750㍉と比べて2倍以上もあります」。恵まれてるわけです、この国は。

 口絵で世界の様々な砂漠を紹介している。砂漠と言えば赤茶けた大地が広がっているか、砂山が広がっている印象があるし、そういう写真もあるのだが、ウズベキスタンの粘土砂漠は灰色だし、ホガール高原の礫砂漠は尖った石や岩がゴロゴロ転がって、見るからに不毛な雰囲気がある。

 降水量で砂漠を定義する流儀もあるけど、植生で考える流儀もある。ってことで、植物に関する部分も出てくる。まずは光合成のエネルギー変換効率。「1メガジュールの日射あたり約25キロジュールの熱量をもつ1.4グラムの乾物(炭水化物)ができます」として、変換効率を2.5%と計算してる。太陽電池って、実は凄いのね。

 砂砂漠で凄いのがタクラマカン砂漠。「そこでは、高さ50~300㍍の移動砂丘が85%を占めています」って、ゴジラの身長より高い砂丘が動きまわってるのかい。

 温度変化も凄くて、「中緯度砂漠である中央ユーラシアのカラクーム砂漠(レペテック)では、年間で最高となる地表温度が80℃弱ですが、最低はマイナス40℃」って、年間の温度差が120℃ですぜ。ところが、温度が安定している砂漠もあって、南アメリカのアタマカ砂漠と南部アフリカのナミブ砂漠。共通点は沿岸に寒流が流れていること。

沿岸には寒流が流れているため、大気は下から冷やされ低温となります。また、海から水蒸気の供給があるので、湿度は高いのです。亜熱帯高気圧の南東側(南半球では北東側)の下降気流によって昇温した上層大気が、下層の冷涼湿潤な大気によって冷やされるため、水蒸気が凝結して霧が形成されます。そのため、日射も少なくなります。

 と、霧が出る砂漠もあるってのは意外。名づけて「霧砂漠」。
 有名なサハラ砂漠、実は昔は緑に覆われていた模様で。

 地球規模で温暖化が始まった1万4000前ごろになると、熱帯アフリカは湿潤になってきます。それ以降、さらに湿潤化し、湿潤な状態は10000~9000年前と8000~6000年前にピークを迎えます。ふたつの大湿潤期には、サハラ奥深くまで多量の雨が降り、砂漠はサバンナやステップの緑に覆われました。

 と、砂漠とは常に移動・変化するものなのですね。しかし温暖化でサハラ砂漠が縮小するってのは意外だった。てっきり拡大するとばっかり。

 もうひとつ、「あ、やられた!」と思ったのが、古代の四大文明の共通点。大河のほとりってのは知ってたけど、もうひとつ、「乾燥地である」と指摘してる…って、もしかして、これは常識で、知らなかったのは私だけかしらん。

これらの大河は、いずれも湿潤地の山地に源を発し、乾燥地の平野を流れて海に注ぎます。このような大河を、外来河川と呼びます。黄河の中流域は乾燥地ですが、下流域は乾燥地でないと思われるかも知れません。しかし、年間の水収支を計算すると、下流域も中流域と同程度の水不足となっているのです。

 ということで、大河が運ぶ肥料分とかんがい技術が、文明の発生に都合が良かった、と述べている。なるほど。

 全般的に気団がどうの水収支がどうのと、理学を中心にした本ではあるものの、過放牧やアラル海の縮小など社会的なトピックも織り込み読者の興味を引こうと努力している。機会があれば降水量が社会や文化に与える影響を考察した本を読みたいんだが、「肉食の思想」でも読み返そうかしらん。他にいい本を知ってたら教えてくださいませ。

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2011年12月 2日 (金)

ニール・ゲイマン「アメリカン・ゴッズ 上・下」角川書店 金原端人/野沢佳織訳

 昔から不思議だったのだが、移住者が祖国を離れて新大陸へやってきたとき、故国で彼らとともにいた超自然的な存在はどうなったのだろう?アイルランド系アメリカ人は様々な妖精を、ノルウェー系アメリカ人はニッセを、ギリシア系アメリカ人はヴリコラカスを記憶しているが、それらが登場する話はいずれも故国を舞台としている。こうした超自然的な存在を、なぜアメリカではみかけないのだろう?  ――リチャード・ドーソン「アメリカ民俗学のための一学説」『アメリカ民俗学と歴史家』(シカゴ大学出版局、1971年)所集

【どんな本?】

 イギリス出身のファンタジー作家ニール・ゲイマンによる、現代アメリカを舞台とした長編ファンタジー小説。移民の国アメリカに、世界各地の移民とともに海を渡った古き神々や妖精・怪物などと、現代アメリカの技術文明が生んだ新しき神々の争いと、それに巻き込まれ翻弄される人々の姿を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は American Gods by Neil Gaiman, 2001。日本語版は2009年2月28日初版発行。ソフトカバー縦一段組みで本文は上巻約418頁+下巻427頁=845頁に加え、訳者金原端人による2頁の解説と、「本書に登場する神・妖精など」19頁が」つく。9.5ポイント43字×18行×(418頁+427頁)=654,030字、400字詰め原稿用紙で約1636枚。長編小説2~3文分の分量。

 分量こそ多いものの、翻訳物のわりに文章はこなれていて読みやすい上に、お話の面白さも手伝って、読み始めたら一気に読み通せる。また、下巻巻末の参考文献一覧は神話や伝説の化け物が好きな人にはちょっとした参考になる。

【どんな話?】

 暴行で服役していた大柄な32歳の男シャドウは、おとなしく模範囚を演じて出所を目前に控えていた。暇なときは愛する妻のローラを思い、またはコインマジックを練習していた。出所を3日後に控えた日、突然所長に呼び出され、二つの用件を聞かされる。一つは出所が早まり今日の午後になること、二つ目は妻のローラが交通事故で死んだこと。

 感情が麻痺しながらも淡々と妻が住んでいたイーグルポイントへ向かうシャドウは、白いスーツの奇妙な男に付きまとわれる。「きみに仕事を用意したよ、シャドウ」

【感想は?】

 自分じゃファンタジーを苦手だと思ってたけど、これは楽しく読めた。世界中の神話や伝説に出てくる神々や妖精・怪物が現代アメリカに勢ぞろいする話で、化け物好きな人はニヤリとする場面が多々ある。

 登場するのは、ギリシア神話はもちろん、北欧神話・エジプト神話・スラヴ神話・インドのラーマーヤナなどの神々を始め、アイルランド・スコットランド・ウェールズに残るケルト系の妖精や怪物,ネイティブ・インディアンが崇めた動物神,中東の悪鬼など多種多彩。これだけ色々出てくるだけでも諸星大二郎的な面白さがある。

 日本じゃギリシア神話は馴染み深いし、最近は北欧神話をモチーフにしたアニメや漫画も多いので、この二つは良く知られている。ユニコーンやドワーフなどもファンタジーじゃ人気者。ところがスラヴ神話はちと馴染みが薄く、これが新鮮な魅力がある。ヴェチェールニャヤ・ウートレンニャヤ・パルノーツニャヤのゾリャー三姉妹とかは、「北欧神話のウルド・ヴェルザンディ・スクルドの三姉妹と関係があるのかしらん」などと余計な事を考え出すと妄想が止まらない。

 古代から伝わる神話や伝説は、往々にして生贄とか殺し殺されの殺伐とした物語だ。またギリシア神話のゼウスやパーンを代表として、好色な神も多い。この本に出てくる神々も、決して神々しい存在ではなく、力強くはあるが野卑で乱暴で身勝手な性格に描かれている。

 そんな神々が、現代のアメリカで何をやっているかというと、これが結構情けない。タクシーの運転手だったり、占い師だったり、葬儀屋を営んでたりと、地道かつ真面目に稼いでる者もいれば、詐欺師で荒稼するけしからん輩もいる。いずれにせよ共通しているのは、かつては崇められたのに、今は落ちぶれているって点。

 こういう「普通の人に神々が混じって生活している」って物語は、最近の日本のアニメじゃ「かみちゅ」「かんなぎ」「猫神やおよろず」などでお馴染みだけど、大抵は穏やかに人びとを見守る存在として描かれる。が、この本の神々は、ちと違う。時代にあわせ丸くなってる者もいるが、多くは原典の神話や伝説に描かれているように、身勝手で幼児的とも言える性格を失わず、かつ気位だけは高いからタチが悪い。

 そんな神々の姿と並行して、彼らを連れて来た人びとの物語も語られる。アイスランドからやってきたバイキング、コーンウォールの寒村に生まれた性悪娘、奴隷狩りでアフリカから連行された双子の兄妹、そしてユーラシアから渡ってきた狩猟民族。彼らの野卑で野蛮で悲惨で、でも生命力に溢れたダイナミックな生涯は、現代アメリカ社会を舞台とした物語の中で、強烈なスパイスとなっている。

 物語は、神々の争いに巻き込まれたシャドウが、アメリカ各地を点々とする形で進む。これがまたいかにも「聖地巡礼」を誘いそうなポイントを紹介してるのが憎い。カンザス州の寂れた「アメリカの中心」、<ロックシティ>、そして魅力的な田舎町レイクサイド。

 神々や妖精をモチーフとした物語だけに、伝奇的な挿話も魅力的。特にレイクサイドの住民ヒンツェルマンの語る、レイクサイドの冬の寒さをネタにした馬鹿話が面白い。厳寒の地で家族が冬を越す方法、湖で鹿の毛皮を手に入れる話、トランペットの練習をする話。

 挿話としてはもうひとつ、詐欺の手口を紹介してて、これまた面白い。とくに印象に残ったのが<ヴァイオリンのゲーム>。よく考えるよなあ。映画<ペーパームーン>もそうだったけど、アメリカって、たまに詐欺師をテーマにした物語が出てくるんだよね。

 などと埃臭いネタに対抗して出てくるのは、新しい神々。インターネットだったりテレビだったり。古い神々が次第に落ちぶれているのに対し、彼らは日々力を得て元気いっぱい。の筈なのに、全体を通すとどうにも印象が薄い。都会的で洗練された雰囲気に描かれている分、血を好む野卑な古い神々よりインパクトが弱いのは仕方がないか。

 出演者こそ幻想的であるものの、田舎のモーテルやグレイハウンド・バスの情景など現代アメリカの風景は生活感と臨場感たっぷりで、それがこの物語の吸引力を増している。本当に著者はイギリス在住なのかしらん…と思ったら、今はアメリカのミネアポリスに住んでた(→Wkipedia)。納得。

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