神立尚紀「祖父たちの零戦」講談社
「一目見たとき、すごい美人の前に出たときに萎縮しちまうような、そんな感じを受けました。これはすごい、美しいと。一目惚れですね。ところが、実際に乗ってみるとこれがとんでもないじゃじゃ馬で……」 ――三上一禧二空曹
【どんな本?】
零式一号艦上戦闘機、略して零戦。当時としては驚異的な航続距離と旋回性能に加え7ミリ機銃+20ミリ機銃の重武装。卓越した搭乗員の能力も相まって、開戦時は優れた戦果をあげたが、その後の経緯は歴史が示すとおり。開戦当初から終戦まで戦闘機部隊で戦い通し、混乱の戦後から平成まで生き抜いた歴戦の二人の搭乗員、進藤三郎と鈴木寛を軸に、零戦搭乗員たちの戦いと戦後を描くドキュメント。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2010年7月20日第1刷発行。ハードカバーで縦一段組み、本文約390頁。9.5ポイント45字×18行×390頁=315,900字、400字詰め原稿用紙で約790枚。小説なら長めの長編の分量。
文章そのものはジャーナリストの文章らしくこなれていて読みやすい。軍事物の中では抜群の読みやすさ。
【構成は?】
はじめに
第一章 黎明
第二章 奮迅
第三章 逆風
第四章 完勝
第五章 落日
第六章 焼跡
第七章 変容
第八章 蒼空
関連年譜
取材協力者・参考文献・資料一覧
原則として時系列順に語られる。第一章~第五章が戦場編、第六章~第八章が戦後編。
【感想は?】
ついに日本のジャーナリズムもこんな傑作を生み出したか。内容の充実ぶり・戦闘描写の迫力・そして読みやすさ、すべて申し分なし。
冒頭、昭和53年に進藤三郎が蔵の中から戦時中の機密書類を発見する所から話が始まる。軍機の朱印を見て「大変なものを、焼却もせずに持っていてしまった……」と一瞬狼狽するあたり、戦後30年以上たっても海軍で叩き込まれた軍人精神が生きていること、そして戦後生まれの者との感覚の違いが鮮やかに印象付けられる。
そういった人の描写も見事ながら、当時の空戦の描写も細かい。マニアには有名な奥義「左ひねり込み」、なんで左なのかというと、「零戦はプロペラトルクの関係もあり、右旋回よりも左旋回の性能のほうが格段にいい」から。軍として制式に教えたわけじゃなく、「腕に覚えのある搭乗員がめいめいに工夫し、応用を重ねて、搭乗員の数だけ『ひねり込み』の流儀が生まれる」。
当初は編隊での戦闘という発想は少なかったし、戦闘機乗りってのは腕に覚えのある人が多いから、統一や規格化は難しいんだろうなあ。
ところで零戦のよみは、レイセンかゼロセンかというと…
略称は、最初のうちは「零式(レイシキ)」と呼ばれたが、すぐに「零戦(レイセン)」が一般的になる。「ゼロセン」と呼ばれだしたのは、太平洋戦争が始まり、傍受した敵の電文に、「Zero Fighter」の文字が見られるようになってからで、いわば逆輸入的な呼び方であった。生き残りの元搭乗員の間でさえ、当時「レイセン」と呼んだか「ゼロセン」と呼んだか、戦後もしばらく議論になった。
つまり、好きな方で呼べって事ですな。私は「レイセン」が好きです。
大陸で華々しくデビューし、重慶で大戦果を上げながらも、憂いを感じた人もいるそうで。
「奥地空襲で全弾命中、なんて言っているが、重慶に60キロ爆弾一発を落とすのに、諸経費を計算すると約千円かかる。敵は飛行場の穴を埋めるのに、苦力の労賃は50銭ですむ。じつに二千対一の消耗戦なんだ」 ――飯田房太大尉
前線で大活躍しながら、冷静な目で大局も見ている。こういう優秀な人を使いつぶすのが戦争なんだよなあ。その飯田大尉、真珠湾で戦死なさってる。同期生の志賀淑雄氏曰く「搭乗員としては完璧に近い資質を備えていた」とか。
真珠湾の奇襲は、鹿児島での訓練からじっくり書き込んでいる。例えば雷撃にしても。
通常、洋上での雷撃では、昼間は高度百メートル、夜間は二百メートルで魚雷を投下するが、それでは、着水した魚雷がいったん、水面より五十メートルから百メートルほども沈んでしまう。海の浅いところで敵艦に雷撃するには、高度をかなり下げて魚雷を投下する必要があった。
ってんで、高度10メートルで魚雷を投下する。「この高さでは高度計が使えまぜんから、勘に頼るしかありません」。波にぶつかればお陀仏なわけで、当時の海軍の飛行機乗りの腕は相当なもの。本番の描写も信号弾の食い違いで強襲になってしまったなど、細かい上に迫力も充分。
開戦当初の描写は気分がいいが、第三章あたりから苦しくなる。「誰にも見届けられず、広い空のなかで忽然と姿を消す。戦闘機乗りの最後は多くの場合、そうである」とか、実に切ない。
戦後編では、坂井三郎氏のベストセラー「大空のサムライ」を巡る話が興味深い。「坂井三郎空戦記録」にしても「大空のサムライ」も、坂井氏に編集者が熱心にインタビューしてまとめた作品、という事らしい。ベストセラーになったのはいいが、世間のブームが元搭乗員たちにシコリを残す課程が苦い。
私は自分の撃墜機数が何機だとは言いたくない。墜とした敵機には全部、人間が乗ってるんですよ。何機撃墜したかというのは、人を何人殺したかということに等しい。見方を変えれば殺人鬼ですよ。 ――坂井三郎
敗戦という結果もあるにせよ、ハンス・U・ルデルとはまったく違う。アメリカの歓迎式典に招待されても、「生き残っただけでも戦友にすまないのに、手柄話をするなどもってのほか」(木名瀬信也氏)と、過去を捨てきれない。とはいえ、誇りも同時に維持しているようで、老境に入って体の自由が利かなくなっても…
「零戦の操縦桿を握ったら、俺は誰にも負けん」 ――鈴木寛
最後までダンディな人でありました。
従軍した人には戦争体験について口が重い人が多いけど、その理由が少しだけ判る気がする。戦後生まれとしては出来るだけ貴重な記録を残して欲しいけど、無理やり聞き出すというのもなんだし、どうしたもんだか。
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