マーク・ボウデン「ホメイニ師の賓客 イラン米国大使館占拠事件と果てしなき相克 上」早川書房 伏見威蕃訳
「日本人が戦争をはじめ、われわれが終わらせたんだ」
「どういう意味よ。日本人が戦争をはじめたって」
「日本は真珠湾に爆弾を落とした。だから、われわれは広島に爆弾を落とした」
「真珠湾?真珠湾ってどこ?」
「ハワイ」
【どんな本?】
1979年11月4日、テヘランのアメリカ大使館をイランの学生が襲い、職員や外交官を人質にして占拠する。時の合衆国大統領カーターは表向き平和的な解決を求めつつ、武力による人質奪還も検討するが、合衆国市民や政敵は弱腰の姿勢に非難を浴びせる。学生たちの目的は当初アメリカへの示威行動だったが次第に変質し、革命後の混乱にあったイランの政界に激変をもたらしていく…
「ブラックホーク・ダウン」で大ヒットをかっ飛ばした著者が、イラン・アメリカ双方の取材により描き出す、事件の詳細なノンフィクション。
いわゆる軍事作戦を描く作品とは異なり、この作品は当時のイランとアメリカの政治状況を克明に描いているのが大きな特徴。ただでさえ日本人には縁が薄いイスラム圏で、しかもアラブとも違うイランの内情を知るには優れた参考書だ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Guest of the Atatollah, by Mark Bowden, 2006。日本語版は2007年5月25日初版発行。ハードカバー縦一段組みで上下巻。上巻約436頁+下巻約438頁。9.5ポイント45字×19行×(436頁+438頁)=747,270字、400字詰め原稿用紙で約1869枚。長編小説3~4冊分の量。
今のところ上巻しか読了してないが、文章は翻訳物のノンフィクションにしては比較的読みやすい部類。前提知識も、「イランはかつてペルシャとして栄えた土地」ぐらいを知っておけば充分で、「イランはアラブじゃない」なんてレベルから本書中で解説している。元凶のパフラヴィーあたりから、軽くイランとアメリカの歴史もおさらいしてる親切設計。
【構成は?】
上巻
パートⅠ “セット・イン” 1979年11月4日 テヘラン
パートⅡ スパイの巣窟
パートⅢ 待機
下巻
パートⅢ 待機(承前)
パートⅣ 132名の兵士
パートⅤ 蛮人との交渉
エピローグ
訳者あとがき
基本的に話は時系列順に進む。上巻では軍事的な描写はデルタ・フォースの訓練シーンぐらいしか出てこず、事件の進行と並行して、イランとアメリカの外交史・イランの政治状況・人質各員の紹介などが進む。
【感想は?】
付箋をつけながら読んでたら、付箋だらけになったんで、上下巻に分けて記事を書くことにした。
米国のお粗末なイラン外交、デルタ・フォースの性質などに加え、当時のイランの政治状況、特に聖職者および事件を主導した学生たちの記述に愕然とする。現イラン大統領のアハマディネジャードもこの事件に参加していたという説もあり、実は大変な国を相手にしているのだ、という事がわかる。
どう愕然とするか、というと、冒頭の引用だ。これは人質となったトマス・E・シェーファー空軍大佐を、尋問を主導した女性「エブカテル」が尋問する様子。原爆は知っているが、真珠湾は知らない。歴史の知識が断片的で、しかも極端に偏っている。それを、「アメリカは大悪魔で大使館の連中はみなCIAのスパイだ」という妄想で補っている。これじゃ理性的な話なんかできない。
真珠湾も知らないんじゃ、マレー沖海戦も知らないんだろうなあ。史上初めて作戦行動中の戦艦を航空機が叩きのめした快挙なんだが。
とまれ、歴史を知らないのにも理由がある。大使館を占拠した学生の大半が、理工系の学生なのだ。まあ、その理工系の授業も、革命のゴタゴタで中断してるんで、そっちの能力も怪しいもんだが。
当時のイランの政治状況も混迷の極にある。アメリカの威を借りた独裁者パフラヴィーは倒したものの、「狂信的なイスラム主義、民族主義的な民主主義者、ヨーロッパ風の社会主義者、ソ連の支援を受けた共産主義者」が、互いに投獄と暗殺の内ゲバを繰り広げている。
そんな中で、イスラム主義者、特に「ホメイニ師の方針に従うムスリム学生」が周到に計画し、デモの興奮と混乱に乗じて成功させたのが、この事件だ。「地元警察は邪魔立てをしない――ひそかに協力を取り付けてある」。つまり、警察や軽微もグルだった。表向きの要求は、アメリカで治療を受けている前国王のパフラヴィーを引き渡すこと。
肝心のホメイニは、事後に承諾した形。当時のイラン暫定政府には穏健派も多かったのだが、この事件を気にイスラム主義が勢いを増し、ホメイニには追い風となったからだ。当初、イブラーヒーム・ヤズディー外相と会談した際は「そのものたちを叩きだせ」と指示したホメイニ、直後の公式声明では「学生たちの運動を熱烈に支持し、賞賛していた」。事件でイラン国民が大喜びしているのを見て、態度を翻したわけ。
ところが首謀者の学生たちも長期化は予想せず、後はグダグダ。「すぐにパフラヴィーを引き渡すだろう」という予想は覆り、長期化する。が、国内じゃ学生たちは英雄扱い。素人ばかりで「捕虜」の尋問も暴力上等だし、二言目には「お前はCIAだ、処刑する」。武器の扱いにも慣れず、安全装置を外した銃を振り回す。
そんな連中に人質にされた面々の対応は様々。内省に走るもの、信仰を再確認するもの、迎合するもの。退屈を紛らわすために「図書館」が開設されるや、皆さん読書に熱中するくだりは微笑ましい。蔵書中にソルジェニーツィンの「収容所群島」とアンリ・シャリエールの「パピヨン」が混じってるのが笑える。「あの七番目の波がお前を連れて行く」だったっけ?
中でも傑作なのが、海兵隊の面々。なんと、看守をからかって遊んでいる。ゴムで作ったパチンコで見張りを狙撃し、銃の扱いに不慣れな看守の銃を奪って「教育」し、連中の食器に小便をひっかけ、これみよがしに大きなおならをする。一番気に入ったのが、これ。
あるとき、尋問の最中にガジェゴスは、SAVAK(パフラヴィーが弾圧に使った情報組織)の工作員に会ったことがあるかときかれた。
「ある」と答え、たまたま部屋の外に配置されていた見張りを指差した。
「あいつだ。あいつがそうだ」
そのときのあわてふためいた見張りの顔は、何日ものあいだ、ふたりの笑いの種になった。
イラン人もいろいろで、事件前にマーク・リジェク副領事が革命防衛隊に事情聴取された話が笑える。
ふたりはアメリカの罪について説教され、大使館でどんな仕事をしているのかきかれた。リジェクが領事館で働いていると答えると、事情聴取の雰囲気が突然ころりと変わった。
「ビザを取得するのに協力してもらえないか?」と幹部が言い、おなじみの悲しい身の上話がはじまった。
腐りきってる。
米国本土の描写で面白いのが、デルタ・フォースの描写。設立に尽力したベックウィズ大佐、優秀だが傲慢で気難しい性格が災いし、「だれもが技倆を認める将校ではあったが、退役までに将官になれる見込みはまずなかった」。選抜試験も過酷で…
時間枠を指定せず、ただ "迅速にそこへ行くように" と指示して、どういう水準を維持できればいいのかを知らせずに、時間との戦いをさせる。数時間後にそこへ到着すると、そっけなくつぎの目的地を教えられる。選抜訓練の教官の意のままに、それがつづけられる。候補者にすれば、ゴールがまったくわからない。(略)成績がいいかどうかは、ヒントすらあたえられない。
そんな過酷な訓練の結果、どういう者が選ばれるのか、というと。
軍隊では従来からチームワークが重視され、手柄は公に称揚され、上下の関係は厳しく守られる。いっぽうデルタは、単独行動を好み、注目を嫌い、軍隊生活につきものの繁文縟礼や礼儀には我慢できないという人間を吸い寄せた。(略)髪型も服装も一般市民と同じで、任務の演習に参加するとき以外は、他の兵士たちとは交わらない。
大統領カーターは平和的な決着を求めあれこれ手を尽くすものの、どれも巧くいかず、政敵からは弱腰を批判される。世論は好戦的な方向に傾くが、人質奪還作戦には距離が大きな障害となって立ちはだかる。混迷を増す中、ソ連がアフガニスタンに進軍し…
と暗雲立ち込める中、下巻へと続く。
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