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2011年10月25日 (火)

ヴァーナー・ヴィンジ「レインボーズ・エンド 上・下」創元SF文庫 赤尾秀子訳

 「だって……勘でわかるじゃない?インタフェースって、そんなふうにできてると思うんだけど」

【どんな本?】

 「マイクロチップの魔術師」で話題をさらったヴァーナー・ヴィンジによる、ヒューゴー賞とローカス賞に輝くSF長編。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2010年版」のベストSF2009海外編でも9位にランクイン。無線LAN,ウェアラブル・コンピュータ、ネットカメラ,仮想現実などが生活に浸透した近未来を舞台に、世界の危機に立ち向かう人々を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Rainbows End, by Vernor Vinge, 2006。日本語版は2009年4月17日初版。文庫本の上下巻で約351頁+313頁に加え向井淳の解説10頁。8ポイント縦一段組みで42字×17行×(351頁+313頁)=474,096字、400字詰め原稿用紙で約1186枚の大作。

 文章そのものは読みやすい。この小説、様々な登場人物の視点で語られるのだが、特に13歳のオチコボレ少年フアン視点の文章は、翻訳物とは思えぬノリのよさ。ただし、小説としては読みにくい部類に入る。

 というのも。「ウェアラブル」や「ピング(*)」などコンピュータ/ネットワーク関係の用語が、ロクな説明もなく頻繁に出てくるため。この辺、人物設定の工夫である程度は緩和してるけど、Geek臭プンプンなのは覚悟しよう。逆に、ソッチの業界の人にはクスグリも充分でたまらない作品。

*ピング:多分 Ping の事。機器がネットワークに接続し、かつ動作しているか否かを調べる目的で使う命令。→Wikipedia

【どんな話?】

 2030年。

 地中海沿岸の諸国でウィルスが流行した。症状こそ軽いものの、それはかつて生物テロで使われたウィルスの変種だった。暫くして、サッカーの試合で流れたCMが、大きな成功を収めた。この二つの事実に興味を示したEU諜報局のエージェント、ギュンベルク・ブラウンは、世界的な危機の存在を嗅ぎつけた。

 かつては詩人としての名誉に輝いていたロバート・グーは、老化と認知症で車椅子生活だったが、最新の医療技術との相性が良く、認知症も順調に回復しつつあった。彼が呆けている間にコンピュータとネットワーク技術は長足の進歩を遂げ、それに応じ社会も大きく変貌していた。現代の生活スタイルに順応するため、ロバートは職業訓練校に入学し、オチコボレの子供や、彼と同じ境遇の老人と机を並べて学習を始める。

【感想は?】

 電脳コイルの彼岸。

 物語はブラウンの視点で始まるが、主人公はロバートだろう。ほとんど説明なしに出てくる「バーチャル」や「ウェアラブル」なども、社会復帰のため学校で学ぶロバートの視点を通じて説明されていく。

 なんといっても、世界が魅力的。ありとあらゆる所に無線LANの基地局が整備され、大抵の所では高速でネットワークにアクセスできる。コンピュータも服に組み込まれ、着れば使える。インタフェースもモニタとマウスとキーボードなんて不細工なシロモノではない。なんと、コンタクト・レンズにモニタを組み込み、人が見ている風景に被せてコンピュータからの出力を読み取る。じゃ、どうやってコンピュータに命令を出すかというと、身振り手振りで伝えるわけ。

 加えてネットワークに接続したカメラも氾濫し、他の人が見ている視点や高空からの視点で遠くの町を見ることもできる。だもんで、多くの人は現実の風景を元に仮想現実を被せ、多重の層で世界を見ている。他の町に仮想の存在として自分を置き、行動する事も可能。

 ところが、これ、社会全体がネットワークに接続され、コンタクトレンズをしている、という前提で成立しているわけで、ネットやコンピュータから切り離された人の目から見ると、仮想存在とお喋りしてる人は「人がいない所に向かって独り言を喋っている」ように見えるし、コンピュータに命令を出してる人は「ケッタイな踊りを踊ってる」ように見える。

 この辺のギャップが、社会への適応過程にあるロバートの視点を通して語られるあたり、なかなか芸が細かい。ブラウンの視点で見た魔法のような世界が、ロバートの目を通して「進んだ科学」に変貌していくのが気持ちいい。

 Geek向けのクスグリも忘れちゃいない。「ハードOS」は、おそらく GNU Hurd(→Wikipedia)だろうし、「管理棟の屋上に自動車をのせる」は、MITの学生のイタズラ(→MIT Sloan 101)だろう。正規版は出るのかね、GNU Hurd。<sm>なんてタグもマニアック。個人的にはS式が好きなんだけど←それはマニアックすぎ

 ところが問題のロバート、物語の主人公としてはあまりに型破り。詩人としてのキャリアは申し分なく、頭脳もそれに相応しく明晰ではあるものの、性格が悪すぎる。名声のある年寄りだから気位が高いのは仕方がないにせよ、人をへこますのが大好きで、彼を称え慕うフアン少年を容赦なくコキ下ろす。がびーん。

 このロバートとフアンの対比が面白い。いささか間抜けで天性の才には欠けるものの、素直なお人よしで現代の技術と社会には通暁しているフアン。豊かな教養と鋭い頭脳を持ちながら、現代社会のテクノロジーを使いこなせず、性格はヒネくれまくったロバート。フアンがロバートの才に感激するくだりは、いかにも無教養な若者らしく、熱意を伝えきれない語彙の貧しさに苦しむ模様がよく出てる。人事じゃないから身につまされるったらありゃしない。

 この物語のもうひとつのテーマが、世界の危機を招く陰謀と、それに絡む「ウサギ」の活躍。正体不明の存在のアイコンがウサギなのは「不思議の国のアリス」から、かな。<不思議な少年>は、マーク・トウェイン(→Wikipedia)っぽい。このウサギの正体は向井淳氏が解説で説明してるけど、下巻の147pが重要なヒントを示してる…と思うんだけど、あなた、どう思いますか。

 さて。この世界のハードウェアは規格化が進み、部品もブラックボックス化して "ユーザは触れないでください" と但し書きが付いている。ところが世の中には、とりあえず分解しないと気がすまない困った人が常にいるもんで…。このシーン、エンジニアリングの世界に身を置く人なら、何度か身に覚えがあるはず。

 「最果ての銀河船団」も、より「低レベル」な部分に手を出す困った人が活躍するシーンがあったり、こういう部分が、ヴァーナー・ヴィンジの味。しかし、「プランク・ダイヴ」といいこれといい、最近のローカス賞は濃いのが多いなあ。

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